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一人フランクにシンクロ

“アンネ・フランクが「アンネの日記」を書いた時、自分の父も生きていた。彼女と同い年の父の日記、戦前と戦後それぞれの日記を見ていると、私より若い時があったことが不思議だし、同い年である80歳のアンネ・フランクの作品ももっと見てみたかった。もし、あの時にナチスドイツが選ばれていなかったら、100年後の今どれだけ人が生きていたんだろう。”(記憶がもとなので多少違うかも)


そう話す女性の姿が目に留まり、チャンネル回す手を止めた。


小林エリカさん、というのかあ。


私がアンネの日記を読んだのは、小学校3年生か4年生の頃だったと思う。


大好きな祖母と生まれ年が近い。1928年生誕。


その日は、今日も一緒にテレビを観てくれる祖母の姿が不思議で、祖母が日本で生まれてくれたことに対して身勝手ながら安堵感を抱いたことを覚えてる。当時はまだ小学校でも社会科(歴史)の勉強が始まったか始まらないかくらいで、祖母は祖母で壮絶な中を生きてきたことをまだよくわからず、手を伸ばせば掴める距離にいることに、とにかく安心した。


ナチスドイツ、本棚の後ろの隠し部屋、毎日続くじゃがいも 料理、徐々に不穏になっていく状況、ポーランド、匿ってくれたご夫婦…etc…。


読んで久しくなるのに、あの時の、雲空を眺めている様なさっきまでの楽しい気分が濁っていく感覚や、いつかやってくるかもしれない何かに向けて心して生きていかなきゃという緊張感、全てを思い出した。


かつて自分が抱いた感覚と、同じような感覚を持つ人がいて

そしてそれを、大人になって随分と経った今日、知ることができてとても不思議だし、とても嬉しい。

目の前のことが不思議で不思議でしようがない、なんでこうなるんだ、なんでこんならないんだっていう率直な気持ち。


それを突き詰めて小説家になった小林エリカさん。


突き詰めずにぼんやり心にキープしてきた私。


同じものに同じ感覚を抱く瞬間があるのに、違う人生になるものなんだなあ、さて私はこれからどうしよう、と一人感慨深くて久しぶりにnoteを書いています。


そんな私は咽頭炎明けの滋養スープを拵えていました。おかえり、元気な私。


玉ネギを炒めることが好きです。バターとにんにくも一緒に。

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細かく刻んだしめじとベーコン、冷凍してたカボチャと、ハーブ、コンソメ入れてコトコト。

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こしたりしないで、粗めにつぶして、豆乳、クミン、塩コショウ、少しのはちみつ、バジル、パルメザンチーズ入れて、おしまい。

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絶景。

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うっすら写る有名○チューバーさん。


そんな感じ。



あれこれ難しい言葉を使うんじゃなくって、率直な気持ち「わあ、すごい」とか「なんでなんでなんで!」に、しっかり向き合うことって大切なんだなあと思った。


明日は小林エリカさんの作品買いに、本屋へGOだな。


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