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30歳、OL摂食障害~苦しい。だけど私、病気になってよかった~

全部がひとつにつながる時がある。
ピタッと
人生の問いが解けたようなあの瞬間。

私のこたえは
『ゼロ』だった。 

序章


幸せになりたいのか、
不幸にはなりたくないのか。

お金持ちになりたいのか、
貧乏にはなりたくないのか。

目的はよく分からないけど、
いつもどこか未来が不安だった。

だから、
正体の分からない、
その不安を解消するような
生き方をしてきた。

思い返せば。

私の人生、
ストイックな性格のおかげか、
だいたいなんでも
平均以上になれた。

小学校の頃、
短距離走はクラスで一番。
勉強はちょっと頑張れば
100点をとれたし、
学年10位以内は当然。
高校でも学年一位をとった。
大学は成績が良いおかげで
授業料免除になった。

学級委員長や文化祭・体育祭の
リーダー役も好きだった。
しかも、優勝した記憶しかない。
だって、どうやったら
見る人を感動させられるか、
面白いほど案が浮かぶし、
勝つための設計図を
簡単に描けたから。

進学は
高校も大学も推薦だったので、
辛い受験を経験せずに済んだ。
就職は
最初こそは苦戦したものの、
気づけば望んでいた道を
辿っていた。

そして、
『文章を書く人になりたい』。

小学校の文集に書いた言葉通り、
夢を叶えて
コピーライターになった。

ただ、
恋愛だけは上手くいかなかった。

普通の恋愛がしたい。
そう願っているだけなのに
いつも変な男に当たった。

幸せな結婚を夢見て
恋愛をしているはずなのに、
だいたい不幸だった。
結構な割合で騙されたり、
事件に巻き込まれたり。
最後は
’好きかもしれない’と想った、
始まりの感情すら疑った。

そして、不幸なくせに
男が途切れることもなかった。
「モテるね」と言われた。

違う。

次をつくってから終わらせる、
せこいタイプなだけ。

なぜか分からないけど、
幼い頃から
何かかが始まっても結局、
いつかは終わってしまうんだ、
という想いがあった。

何かが始まると同時に、
次はそれを失うことに怯えた。

恋愛が終わる時には、
『次』や『予備』を
用意しておかないと不安だった。

だからかもしれない。

漠然と老後のことを
心配して生きてきた。

いつ死ぬかなんて分からないのに。

この先、困らないように
傷つかないように、
予防線を張りながら生きてきた。



だけど。

どんなに
石橋を叩いて渡るように、
慎重に生きていても。
教科書のような
人生を送っていても。
老後のことを考え、
計画性的に過ごしていても。

人生には
想像もしなかった出来ごとが
起こるものだ。

私の身に
『それ』が起こってからは、
大学を出て正社員で
定年まで働き続けるとか、
福利厚生が整っていて
退職金が良い会社を選ぶべきとか。
旦那の理想の
年収はいくらだとか、
老後の資金はこのくらい
貯めておかなきゃとか。
両親の介護ができる距離に
住んでいなきゃとか。

今まで信じていた世界が
まるで変わった。



2017年。
―30歳、春の終わり。—

満開に咲いていた
やわらかなピンクの花が
突然の雨で朽ちた。

己の美しさを奪ったはずの雨を
その木はゴクゴクと飲み込んだ。

雨は根をたどり、枝をつたい、
花の代わりに若い葉を育てた。
新緑は太陽に照らされ、
輝いているように見えた。

雨は木から
奪いたかったのだろうか、
それとも
与えたかったのだろうか。

木は雨を
奪い取ったのだろうか。
生かしたのだろうか。

今でも分からない。


ねえ。

私はどこを歩きたかったんだろう。
どこに行きたかったんだろう。

遠くにあるものなんて
曖昧なのに。

足元には
あの人が種を撒いてくれた
黄色、紫、オレンジ。
いろんな花が咲いていたのに。

気づきもしなかった。

自然の循環を踏みつぶしながら
歩いていた。


―30歳、春の終わり。—

なくなるなんて
想像すらしていなかった。

大好きだった。
『当たり前』だった。

元気になったり、
笑顔になったり、
幸せを感じたり、
誰かと心を通わせたり。
心も体も満たされる時間。

ある人は
「毎日のささやかな楽しみ」。
ある人は
「人生で一番幸せな時間」
と言う。

私はそれを失った。

生まれた時から
誰にでも平等にあるもの。
疑いもなく、
毎日繰り返すこと。

何より、
生きるために必要なこと。

私はそれを失ったのだ。




そして、
失ったものと引き換えに。

予防線を張りながら
生きてきた私の人生は、




大きく舵をきった。

~読む前に伝えたいこと~


今から綴ることは
私、朝野花の人生の話だ。

恥ずかしながら、
Note創作大賞で大賞をとって、
関係者の皆さまと
出版や映画化を目指せたら
いいなと願っている。

誰かに自慢したいわけじゃない。
有名になりたいわけでもない。

理由はただ一つ。

今、この瞬間にも
あの時の私と同じように
悩んでいる人がいるから。

私は「あなた」を救いたい。

いや、できることなら
悩む前に止めたい。
一度失ってしまうと
なかなか大変だから。

私のように
人生の楽しみを失ってしまう女性が
一人でも減って欲しい。

心からの願いだ。

これまで小説や長編を
書いたことがないので、
拙い部分も多々あると思う。
ただただ心で書きあげた。

なぜ、ここまで書くのか
というところまで書いた。
長いと思われるかもしれない。

だけど、私の経験を
まるごと伝えることで、
きっと、「あなた」の心を
救えると思った。

何も分からなかった、
あの頃の私が知りたかったことを
書くことで、
「あなた」を助けることが
できると思った。

無駄なことはひとつもない。
最後に全部つながる。

しかし、
募集が始まった日から
締め切りの今日まで
毎日のように書き続けたが、
伝えたいことを
全部書ききれなかった。

描けたのは
ストーリーの1/4ほどで、
今回の作品は上・中・下巻の
上巻と言えるかもしれない。

それでも今、苦しんでいる
「あなた」に届けたかった。
生きる意味を失いかけている
「あなた」に伝えたかった。

私たちの悩みには
一体何が潜んでいるのか。
私たちが
向き合わなければいけない、
本当の問題とは何なのか。

それを知ることは
これからの人生や治療に
とても大事なことだから。

どうか、この作品に込めた
‘気づき’という星屑で、
あなたの人生が
キラキラ輝き出しますように。
張りつめた心が
少しでもラクになりますように。
明るい未来を信じる
スタートになりますように。


宣告


「うちでは見れません。
他の病院を探してください。」

ドラマのようなセリフを
突き付けられた。
しかしこれは現実である。

私の目の前にいるのは
役者ではない、本物の医者だ。

「彼女は非常に
生きづらい人生を歩んできた。
なぜ、彼女はこれほどまでに
生きづらい人生を
選択してこなければ
ならなかったのでしょうか?

…分かりますか?
お母さん。」

その目は
母を睨んでいるように見えた。
病院の診察室。
生まれて初めて浴びせられる
言葉についていけず、
母と二人で唖然としていた。


「こんなにボロボロじゃないですか。
なぜ彼女をこうなるまで
ほおっておいたのですか?」

ボロボロ…?誰が?
鋭かったはずのその目は
私を切なく見ていた。

いや、どこにも
傷なんかおっていない。
ケガの治療がしたくて
ここに来たわけじゃない。

しかし。
その言葉が胸に巡ってきた瞬間、
たまらない気持ちになった。

ポツン、ポツン…ポツン。

私の心を守ってくれていた
傘代わりの大きな葉っぱが、
傾いた。
降り続く雨の重さに耐えきれず、
葉っぱの上に溜まった雫が
落ちていく。

変調なリズムで小さく小さく、
止まることなく。
私の心をつたい、
瞳から涙がこぼれ続ける。

なぜ私は泣いているのか、
なぜこんなに涙が出てくるのか
分からなかった。

ティッシュが差し出される。
垂れ流していた
涙と鼻水をぬぐう。

医者は私たちに
ある病名を伝えた。

聞いたことのある名前だった。

そして、
私の深刻な状況を訴えた。

「いいですか?
この病気の専門科があって
なおかつ専門医が3名以上いて、
緊急体制も整っている病院を
自分たちで探してください。」

大袈裟すぎやしないか。
そんなに大変な病気なのだろうか。

病名を聞いても
緊急性を感じない。
医者が言うような
専門的な病院も聞いたことない。
少なくてもこんな田舎には、
ない。

…いや、
ちょっと待って。
自分たちで?

ハテナだ。
緊急性を訴えるわりに
なぜ今、病院を
紹介してくれないのだろうか。

疑問は続く。

「間違ってほしくないのですが、
朝野さんは
ただ『病気』というわけでは
ありません。
これは『生き方』の問題です。
根本から変える必要があります。」

生き方?
根本から変える?

呑み込めない。

医者はまた母に鋭い視線を仰ぐ。
瞳の奥からふつふつとした
怒りみたいなものを感じた。
敵を睨むようなその目は
演技ではなかった。

初対面の私と母になぜ
そこまで熱が沸くのだろうか。

私が病院に訪れた経緯を
話している時も、
隣で母が口を挟む時も、
医者はいい顔をしなかった。
なぜ患者ではない母を
問い詰めるのだろうか。

のちにこれらの疑問は
解かれることになる。

そして最後に医者はこう告げた。

「想像以上に
長い戦いになると思います。」


ドクン…。


心が鳴った。

運命からの招待


紹介状を書いてもらい、
会計を済ませる。

病院を出ると、
来た時は緑色だった景色が
線画のように白黒に見えた。

体が空洞になったような、
抜け殻のような脱力感。
だけど、全身が重い。

ポカン、だ。

なになになに?
なぜなぜなぜ?

理解できないことばかりだ。

だけど。

≪想像以上に
長い戦いになると思います≫

最後の言葉だけは、
どっしりと響いた。
その意味だけは分かった。

これまで診てきた患者の
快復の平均値が、
私に言い渡されたのだと。


2017年、5月。
病名を告げられたあの日。

私の心から瞳へつたい、
こぼれ落ちた雫は
いつどこで
生まれたものだったのだろうか。
どれほどの時間をかけて
溜まったものだったのだろうか。

溢れ出て
水たまりになった水面には、
どんな未来が
映し出されていたのだろうか。

ただ、もう
映らなくなったものがあった。

私はいつの間にか
『当たり前』の楽しみを、
『当たり前』の幸せを、
失っていた。

そして。

この手に握っていた紹介状は、
運命からの招待状だった。

異常な私


止まらない。
止まらないのだ。

食べても食べても
お腹いっぱいにならない。
何をどんなに食べても
満たされない。
お腹は痛いほど
パンパンなのに。

食べたくて食べたくて、
仕方ない。

最初は生理前に訪れる
謎の食欲だろう、と思った。

不思議なことに
朝と昼はどうもない。
むしろ、
食べることを制限できる。

だけど、
夜ご飯を食べたその後。
時計が次の日へ向かう頃、
それは咳を切ったように
はじまる。
食べることを
制限できなくなるのだ。

とにかくお腹が減り、
何か食べたくてたまらない。
美味しいとかマズいとか関係ない。
なんでもいい。

冷蔵庫や戸棚から
手あたり次第食べ物を見つけては、
獣のように手づかみで貪り食う。

食べ出すと
食べること以外は考えられなくなり、
食べることから離れられなくなる。
自分なのに自分じゃないみたいに。

そして、この異常な食欲は
毎夜襲うようになった。

「怖い…。
また夜がくる…。」

いつからか
夜に怯えるようになった。


そう。

2017年5月、
私に言い渡された病名は
『摂食障害』だった。

予感


実は、うすうす気づいていた。

「ねえ、もしかしたら
あんた摂食障害かもよ。」

病院に行く数日前、
母からそう連絡がきたのだ。

先日、実家に帰った時。
たまに起こる夜の異常な食欲を
母に相談した。

一人暮らしの家に戻った後も、
『最近は頻度が増えて困っている』と
報告していた。

そんな時、
母がふと目にした本に
摂食障害のことが
書いてあったらしい。
どうも娘とそっくりだ、と
胸騒ぎがしたという。

そして、母のすすめもあり
今回、『心水苑』という
心療病院に行ったのだ。

『摂食障害』といえば、
大量のお菓子やジャンクフードを
バカ食いしてしまう様子や、
食べたものを嘔吐する姿を
ドキュメンタリー番組で
見たことがある。

ストレスのはけ口で
暴飲暴食に走り、
動くのも困難なほど
ぶくぶくに太った女性。
またはその逆で、
いき過ぎたダイエットで
がい骨のようにガリガリに
なった女性のイメージだ。

正直、
初めて病名を言い渡された時は
‘なんだ’と思った。

医者が深刻に訴えるほどの
危機感はなく、
軽く考えていた。

それでも一応、
一人暮らしの家に戻って
近辺の病院を
ネットで調べてみた。
だけど、
どこもうさん臭く見えて
行く気がしない。
院内の写真を見ても、
薄暗くて怖い
別世界のような感じがした。

すぐ面倒くさくなって、
‘きっと母がどうにか
してくれるだろう’と
勝手に病院探しを任せた。
昨年、定年退職した母には
時間のゆとりがあったから。

今考えれば、
自分の身に起こっていることを
人任せにして子どもだったと思う。

一刻も早く、
病院に行くべきだった。

でも、余裕がなかった。
頭の中は仕事のことでいっぱいで、
他のことを考える余白がなかった。

根っからの仕事人間だった私。
数日後に控えている
大事なプロジェクトを成功させ、
なんとしても成果を上げたかった。

今まで経験したことのない
仕事ができるチャンス。
積み上げてきたものを
ここで諦めたくない。
自分の体を心配する暇があるなら
目の前にある仕事を成功させたいと、
必死だった。

自分のできる100%以上の
業務量を抱えていた私は、
『本当に大事なこと』が
見えなくなっていたのだ。


それでも。
異常な行動は
無視ができないほどに、
日に日に進行していった。

心の中のジェンガは
スカスカで、
今にも崩れそうになっていた。

食べ出したら止まらない

 
また夜がきた。
怖い。
 
始まってしまう。
信じられない程のバカ食いが。
 
スイッチが入るのは
決まって眠気がくる頃。
 
不眠症のため
睡眠薬を服用しているのだが、
薬が効き始めると
途端に『食べたい』欲求を
抑えられなくなるのだ。
 
最初は冷蔵庫にある、
キャベツやキュウリなど
カロリーの低い野菜を選ぶ。

でも、
ドレッシングじゃ満足できない。
マヨネーズを
たっぷりつけたい。

野菜よりマヨネーズの量が
多いのではないかと思うくらい
たっぷりつけて、貪り食う。

あっという間に
ボウルいっぱいの野菜がなくる。
 
お腹は?
全く満たされない。
 
次に手を出すのは乾燥物。
わかめやノリなど
カロリーの少なそうなものを
選んで食べる。
美味しくなんかない。
固い。

でもそれでいい。
ただただ食べたい。
満たされたい。
噛み応えのあるものが好物だ。
 
でも、当然満たされない。
むしろお腹が減ってくる。
 
どうにかこの空腹を抑えたい…!

その後、仕方なく手を出すのが
冷凍している、
お米やパンなどの炭水化物。
 
『夜中に食べてはいけない』
というのも分かっている。
だけど、ひと口食べ出すと
スイッチが止まらなくなるのだ。

小分けにしていたお米を
チンして食べる。
1個食べ終わったら
またチンして食べる、
を繰り返す。

パンも小さくちぎり、
一口食べたら封を閉じる。
しばらくして封を開け
また小さくちぎって食べる、
を繰り返す。
小さくちぎっても意味はないのに。
自分自身に小さな抵抗をする。

でも結局、
お米もパンも完食するまで
食べる手は止まらない。

炊き立てのお米が炊飯器にある時は、
お釜に入ったまま、全部食べた。
食べたいスイッチが入れば
3合だって食べられる。

おかずに
ソーセージやベーコンも食べる。
 
「美味しい…。」
 
異常な食べ方をしているのに、
食べている時だけは
この上ない幸福感に包まれる。
 
さすがに。
ここまで食べると
胃の中がパンパンになり、
苦しくなってくる。
 
しかし、
それでも食べたい。
もっと食べたい。
食べたい気持ちは増していく。
 
そして、手をつけるのが
カップ麺やレトルト食品などの
保存食。カロリーの塊だ。

『食べてはいけない気持ち』も
変に持ち合わせているせいか、
調理せずにそのまま食べる。
 
最初は
レトルトの味噌汁に入っている
乾燥した豆腐や野菜。
カップ麺なら
かやくから。

もちろん満足しない。
次に、乾麺を砕いて食べる。
どうせ食べてしまうなら
調理して食べたほうが美味しいのに。
『止めたい』からこそ、
そのまま食べるのだ。
 
気づくと
乾麺の素朴さと噛み応えが
好きになっていた。
 
次第に眠くなる。
でもその状態が一番、
自制心が効かない。

理性はふっ飛び、
手あたり次第に家にあるものを
手づかみで食べる。

固形の野菜を丸かじりしたり、
袋に入ったお菓子を
口に流しこむように食べたり。
食べることしか見えなくなる。
 
ボロボロとこぼれ、
散らかる食べカス。
 
ベッドに入りながら
食べ疲れて
眠るまで食べ続けた。
 
それは毎晩続いた。

ある日。
ホールのバームクーヘンや、
クッキーやチョコレートなどの
お菓子をたくさんもらった。
‘ダメだ’と思いながらも受け取り、
案の定、
一晩で食べつくした。

スイッチが入れば、
詰め合わせも
ファミリーサイズも
一瞬で食べられる。
 
だんだん
そんな自分が怖くなり、
仕事帰りは
夜ご飯以外の食べ物を
買わないようにした。

毎晩、パンケーキ10枚


ある夜、
ついに食べるものがなくなった。

 
「ない!ない!!ない!!!ない!!!!」

頭は混乱した。

でも
食べたい。
食べたい。
とにかく何か食べたい。

気が狂いそうだ。

家の中をあさる。
すると棚の奥に隠れていた
パンケーキミックスの
大袋を発見した。
それはもう、
宝物を発見したような気分!
気持ちが高揚する。
 
いつ買ったのか記憶にない。
賞味期限を見ると
一年過ぎていた。
でもそんなことどうでもいい。

ひと口、
粉のままで食べてみる。
 
甘くて美味しい。

「これだ。
これを食べよう。」

睡眠薬が効いて
眠りかけている状態の中、
暗闇の中で
パンケーキを焼く。
 
電気をつけないのは
こんなことをしている自分を
自覚したくないから。
『食べてはいけない』
という抵抗もあった。

いつ火傷してもおかしくない状況で
ほぼ目を瞑りながら調理する。

ひと口食べてみる。
 
「美味しい…。」
 
その瞬間、
パンケーキのことしか
見えなくなった。
 
大きく口を開け、
4つ切りにしたパンケーキを
4口で食べる。
 
夢中で一枚焼いては食べ、
一枚焼いては食べ、
を繰り返す。
 
10枚ほど食べたあと
やっと満足し、
食べ疲れて眠りについた。



「こんなところに眠ってたんだ…。」
 
次の日は
お菓子作り用に購入していた
トッピングのチョコやアーモンド、
はちみつも発見。
宝物だ。
たっぷりパンケーキにかけて
10枚以上焼いて食べた。
 
もちろん、
パンケーキなんて
2~3枚で十分なのは
重々承知している。

まるで儀式のようだった。

相反する気持ちと闘いながら、
毎晩食べ疲れるまで食べる。
そうしないと
私の一日は終わらなかった。

起きたら後悔

 
眠りにつけるのは
毎日、午前3時か4時頃。
6時過ぎには起床。

毎朝起きては
「なんでこんなに食べたの…!」
と後悔に襲われた。
 
食べ物の残骸が散らかった部屋を
見ては絶望し、
涙を流しながらその残骸を
ティッシュで拭う。
異常なことは分かってはいたけど、
気持ちはいっぱいいっぱいだったけど、
死に物狂いで会社に行った。

しかも、会社に行けば
何もなかったかのように働けた。
でも、
何かと余裕のない私の異変に
周りは気付いていたと思う。
 
夜中食べた後悔もあり、
昼食はあまり食べられなかった。
 
この頃には
自分のことはもちろん、
夜がくるのが怖くなり、
食べることも怖くなった。
 
宝物と思っていた
パンケーキミックスは
数日でなくなった。
 
少し安心した。

小麦、お米、調調味料を飲む


「あるから食べてしまうんだ。
もう絶対、食べ物を置かない!」

そう決め、家にある食べ物を捨てた。

だけど小麦粉やお米、調味料まで
捨てるわけにもいかない。
それに、いくらなんでも
これに手は出すまい。
そう思った。
 
しかし…。
真夜中。
ベッドから起き上がる。
必死に抑えていたけど、ダメだ。
何か食べたくて仕方がない。

キッチンへ行き、
小麦粉の袋を開ける。
そのまま食べてみた。
味気ない。

そうだ。
小麦粉に砂糖を入れて
水で溶かして焼いて、
パンケーキ代わりにしよう。
 
適当につくって食べてみる。
 
まあまあ美味しい。
これだと甘さも調整できる。
 
時にバターを足したり、
卵を入れてみたり。
あるものでアレンジしながら
相変わらず
10枚以上食べた。

翌朝、後悔に襲われると
分かっているのに毎日食べた。
 
捨てればいいのに、
捨てたくはなかった。
どうしても。

一週間ほどして、
ついに小麦粉はなくなった。
 

 
「はぁ…」
 
また夜がやってくる。
 
もう本当に家には何もない。
あるのは調味料と米だ。
 
だけど、
何か食べたい!
食べたくて仕方ない。
苦しい…!
 
お米の袋が目に入る。
 
立ち上がり近づき、
生米を何粒か食べてみた。
 
固い。
マズい。

次に
醤油、酢、調味料を
そのまま飲んでみる。

辛い、
マズい。
 
だけどもうなんでもよかった。
満たされたかった。

無感情で口の中に
調味料を運び続ける。
 
「…私、異常だ。」
 
もう自分では
自分を抑えきれなかった。
限界がきていた。
 
それでも。
家を出るまで
どんなに泣いていても、
疲れ果てていたとしても。
会社には行けた。
 
家を出れば平然と
いつもの『私』を振舞えた。
 

限界


その日の夜。

虚しさと後悔が心を占める中、
会社で残業していると、
上司が大きなカゴに
パンを抱えて持ってきた。
 
「みんな~差し入れだよ~!
取引先の方から
パンをたくさん頂いたから、
3個ずつ持って帰ってね~。」
 
「わ~、もらいに行~こっ!」
 
残業組が嬉しそうに席を立つ。
 
一瞬迷った。

もらったら
きっと食べて後悔してしまう。
ダメだ。
 
パンを持つ上司の周りが
ワイワイと賑わう。

「わ~アンパンにしようかな、
クルミパンにしようかな、
焼きそばパンもあるな~。」

「その3個、持っていきなよ。」

「僕はグラタンパンかな!」

みんな楽しそうに選んでいる。
私も欲しい…。
 
ダメだと分かっていながら
結局、ちゃっかり3個
パンを持って帰った。

そして案の定、
夜中に全部食べた。
 
我慢に我慢をしたのに、
全部食べてしまった。

それを機に食欲が爆発する。

生米を手づかみで食べ、
調味料をそのまま飲んだ。
 
早く満たしてよ!
このお腹が納得するように!
 
涙を流しながら
胃に流し込んだ。

気が済んだ頃には床で寝ていた。
 
―――
 
ピピピピピッ…。

ピッ…。

目が覚める。
体が重い。
見たくもないけど、
目を開ける。
 
床に散らかったパンの袋、
食べカス、
米粒、調味料の残骸…。

どうしようもない気持ちになった。
今までにないくらいに、
自分に失望した。


「私、何してるの…?
もう分からない…。」


ポタッ、ポタッ…。
涙がこぼれる。


「もう無理だよ…。
限界だよ…。
 
助けて…。」


助けて。
誰か助けて。
私を助けて。

涙が止まらなかった。

それでも。

「会社…、行かなきゃ…。」
 
自分を奮い立たせて
会社に行こうとした。

 
だけど、
もう限界だった。
 
床に倒れ込んだ。
 
手探りで携帯を探し、
ボタンを押す。
 
 


 
「お母さん…助けて…。」

 

我慢の代償


「どうしたの?」

母の声が聞こえた。
 
小刻みに
震える手を押さえながら、
言葉を振り絞る。
 


「お母さん…
私、もう限界…。
病院に行きたい…。」
 
その瞬間、ドッと涙が溢れた。
 
母は尋常ではない
私の状況を察し、
「今すぐ車で迎えに行く」と言った。
実家から私の一人暮らしの家まで、
70キロ程ある。

「ちゃんと待ってなさいね。」

母は力強くそう言い、
電話を切った。
グッと胸に響く。
 
私はその言葉を守るため、
母が来るのを
できるだけ無の心で待った。

なにか考えたら
なにか終わる気がした。

しばらくすると
母から電話がかかってきた。

「花?大丈夫?
あのね、病院のねっ、
予約とれたから。
この後、晴丘市(仮名)の
病院に一緒に行こう!」

「病院?晴丘市…?」
 
なんでも私と電話した後、
この前診察を受けた
心水苑に電話して、
看護婦さんに
私のことを相談したらしい。

母の必死さが伝わったのか、
摂食障害の患者を扱う
日本でも有名な精神病院が、
晴丘市にあることを
こっそり教えてくれたという。

母はいつも
私以上に私のことに
一生懸命になってくれた。
 
年中仕事に疲れて
体調が思わしくない私の代わりに、
私がすべきことを
先回りでしてくれる。
 
思っていた通り、
病院も見つけてくれた。



 
ガチャッ…、ガチャガチャッ。

玄関から音がする。
母が合鍵を使い、入ってきた。

米粒や食べカス、
空になった調味料、
ゴミが散乱した部屋。
床でひれ伏す娘。

なんと思っただろう。

母と目が会った。
また涙が出てくる。

自分でどうにかしたかった。
だけど、
自分のことなのに
もう自分じゃ
どうにもできなかった。
 

「…花。
頑張ったね、
…一人でよく頑張ったね。

もう大丈夫だから。
大丈夫だからね。」
 
私の肩を抱きしめる母。
 

「こんなに肩も細くなって…。
一緒に病院行こう。
 
…治療して治そうね。」
 
独りぼっちだった涙を
母がぬぐう。
 

「お母さん…。」
 
「ん?」
 
 
「私……、お腹空いた。

パンが食べたい。」
 
「へ?」
 
普通なら感謝する場面。
なのに食べたい気持ちは
沸いて溢れ、
感謝の気持ちを掻き消した。

私をコントロールする操縦士は
私ではなくなっていた。
 
それでも母は優しかった。
 

母よりパン


「分かった。その前に
ちょっと準備しようか。」
 
そう言って、
ティッシュで床を拭き出す母。
 
私も手伝おうと立とうとした。
だけど、動けない。
昨夜もあんなに食べたから
充分エネルギーはあるはずなのに。
心が衰弱しきっているのだろう。
食べること以外は
力が入らなかった。
 
母のおかげで、
元通りになっていく部屋。
私もなんとか立ち上がり、
適当に着替えて
車に乗り込んだ。
 
母がエンジンをかける。


「ねぇ、パンは…?」
 
「え?」

「ね!パン食べたい!!
パンが食べたいの!!!」
 
食べたい気持ちが込み上げる。

母が急いで迎えにきてくれたのに。
今から病院へ行くというのに。
もうこれ以上食べたくないのに。
気が狂いそうなくらい、
パンが食べたい。
 
近所のパン屋に
車を横付けしてもらい、
飛び出した。

「いらっしゃいませ~。」
 
また来たな、
という顔をする店員。
また来たよ。
 
う~~ん。
パンが食べたいけど、
カロリーは摂取したくないな。
できるだけ
カロリーの低いものを選ぼう…。
チョコやクリームが
入っていないものを…。

悩みに悩んだ結果、
チョコがたっぷり入ったパンと
砂糖がコーティングされたパン、
総菜パンを買った。
 


高速を走る。
流れる景色に集中する。
少しでも食べたい気持ちが
紛れるように。
 
だけど、食べたい。

目を閉じながら手探りで
袋に入っているパンにふれる。
少し、ちぎって食べてみた。
 
「美味しい…。」
 
もうひと口食べたい。
少し、ちぎって食べる。

‘我慢するんだ’と誓い、
封を閉じる。
 
…。

20秒後、また
ガサガサとパンの袋を開けて
また少し、ちぎって食べた。
 
甘いパン生地、
コーティングされた砂糖、
ランダムに入ったチョコが
堪らなく美味しい。

甘い味が口に広がる度、
この上ない幸福感に包まれる。
 
食べてはいけないと思いながら、
それを繰り返した。

しばらくすると
晴丘市のインターチェンジに着いた。
高速を降り、
さらに5分ほど車を走らせる。
 
赤信号で止まる。
ナビを見ると、
目的地まで
もうそんなには遠くない。

息を飲む。

信号が青になり、右折する。
道が狭くなり、
急に木々が増えてきた。
田舎道を大きく左折する。
すると…。




そこには
全く違う世界が広がっていた。

動き出した人生

 
「え?ここ病院?」

新緑にキラキラと光りが注ぐ。
たくさんの木々たちが
若々しい緑の葉を広げていた。

先にある小高い丘には空が広がる。
今にも鳥の鳴き声が聞こえてきそう。

質素で閉鎖的なイメージだった
精神病院とは正反対。

そこは自然あふれる、
まるで公園のような場所だった。
クリーンで清潔感もある。

丘の中央にはバスケットコートが見え、
程よくベンチが置いてある。

家から会社までを
電車で往復する日々に
突然、現われた自然の風景。



その景色を見た瞬間、
心の底からホッとした。
安心した。
‘私、やっとラクになれるんだ。
もう食べることに
悩まなくていいんだ。‘
そう思った。

大きな安心感に
抱かれたあの感覚は、
きっと死ぬまで忘れないと思う。

そして、
私はこれからこの感覚を
幾度か味わうことになる。

― 

ドキドキして病院に入ると、
大勢の患者さんが
静かに診察を待っていた。

暗い。
重たい。

病院ではない、人がだ。

公園にきた気分だったけど、
やっぱりここは病院だった。

椅子に腰かけボーッとする。
受付では母が一生懸命、
何か喋っている。
私はお守りのように
パンを手に握っている。

しばらくすると母が戻ってきた。
案内を待っている間、
病院の雰囲気について
ひそひそ話をする。

「大きな病院だね。」
「病院っぽくない感じがする。」
「なんか大丈夫そうだね。」
「先生いっぱいいそうだね。」
 
前に見えるパネルには
10人以上の医師の写真が並ぶ。
悪い病院ではなさそうで
一安心だ。


しばらく待っていると、
 
「朝野花さんですか?
お待たせしました。
こちらのお部屋にどうぞ。」

年配の女性が
優しい笑顔で迎えてくれた。

また少し、ホッとする。
手に持っていたパンを
母のバックに隠す。
 
小部屋に通されると、
また違う女性が座っていた。

どうやら主治医に診てもらう前に、
現状をヒアリングしてくれる人
(ソーシャルワーカー)のようだ。

最近の食行動や生活の状況、
自分の性格や生い立ちについて
一通り話をした。

先日の心水苑でも
同じようなことを聞かれたので、
割と落ち着いて話せた。

そうなのだ、
食行動以外なら
特に大きな問題はないのだ。

…夜の私は
一体誰なのだろう。


「少々お待ちくださいね。」

女性が席を立つ。

しばらくすると、
眼鏡をかけた
ぽっちゃりした男性が現れた。
 
「こんにちは、
主治医の日高です。」

なんか頼りない感じがするな。
大丈夫かな…。

「…こんにちは。朝野花です。」

日高先生と目が合う。

ドキッ…。

この瞬間、
私の人生に運命を越える、
新しいレールがつくられた。
 
このぽっちゃりした
日高先生こそ、
のちに私の人生を変える
スーパーヒーローになる。
 

心水苑でもらった紹介状は
日高先生に出逢うための、
招待状だったのだ。

雨の向こう側へ


日高先生は先ほど
カウンセラーに話した内容を
深堀して聞いてきた。
 
最近の食行動や
それに繋がっていそうな原因を
聞かれたと思うが、
よく覚えていない。

だけど1つ。
鮮明に覚えていることがある。

それは幼少期、私がどんな
子供だったか話をした時のこと。
 
なぜなら、
 
「お母さんは黙っていてください。」
 
今まで温厚な面持ちだった
日高先生が母に対し、強く、
制止の言葉を投げたからだ。

「お母さん、私は
花さんと話をしているんです。
花さんに聞いているんです。」
 
母は私が話している途中、
何度も口を挟んできた。
きっと自分の子育てや人生を
養護したかったのだろう。
 
「生後2か月目で
保育園に入れたんです。」

「赤ちゃんの頃から
本当に手のかからない、
良い子だったんです。」

「2歳の時、保育園で
取っ組み合いのケンカをして
相手にケガをさせ、
問題になったことがありました。

この子にも
言い分があったみたいですが、
相手の親が怒っていて…。
先生と一緒に相手の家に
謝りに行きました。
 
納得のいっていない花に
何度も無理やり頭を下げさせて…。
あの時は可哀想な想いを
させたと思います。」
 
私の知らないエピソードを
一生懸命話す母。
 
「それからです。
さらに良い子になったのは。
他の園児の荷物を運んであげたり、
新しく入ってきた子の
お世話をしてあげたり…。
あの時の先生とは
頑なに口をきかなくなって、
先生を泣かせてしまうことも
ありました。」

自分も園児なのに
他の園児のお世話してたんだ。

「とにかく頑張り屋で、
何でも一番になるのが
好きな子でした。
勉強も運動も習い事も
強制したことはないんです。」

「学校も一番に行って、
教室の鍵を開けて窓も開けて
みんなが登校するのを
待っているような子でした。」

「私は仕事と姑問題で
余裕がありませんでした。」

「長男には特に厳しく、
叩いたりもしました。」

自分が患者と言わんばかりに
必死に話す母。
母こそ、
何か助けて欲しそうに見えた。
 
注意されて
さすがに口をつぐむ母。

しかし、しばらくすると
また口を挟んできた。
 
次は看護婦さんが
「お母さん、
娘さんが喋っているんですよ。」
と強い口調で言った。

母は怒られっぱなしだった。

心水苑でもそうだったが、
先生たちは母に厳しい。
 
それにしても、
この人たちはなぜ
幼少期の話を繰り返し聞くのだろう。
私はこの食欲をどうにかしたいのに。


一通り話が終わると、
日高先生が静かに口を開いた。
 
「花さんは『摂食障害』です。
拒食症の反動で
過食症になっている状態です。
このままの状態だと
命の危険もあります。」

命の危険…。
 
≪君の命が大事だ≫

ある人の言葉を思い出す。

そして、
日高先生は力強くこう言った。
 
「花さん、
病気を治したいですか?」

 
ピーンと緊張の糸が張る。

もちろん、だ。
だから藁もすがる想いで
ここへ来たんだ。

 
「はい。治したいです。」

 
「今から入院できますか?」

 
!?
 
私も母も動揺した。

 
「たった1~2週間の
入院ではダメです。
最低2カ月、または
それ以上の入院が必要です。
この病気は生活を根本から
見直す必要があります。」
 
これまで入院経験など、ない。

しかし。
心は決まっていた。

自分ではコントロールできない
『食べる』現状を
どうにかしたかった。


「…はい。出来ます。」

日高先生の力強い目を
しっかり見て、
私も力強く答えた。

すると、
日高先生の表情が柔らかくなり、
その瞳に
パッと一筋の光が見えた。
 
「花さん、
生き方から見直しましょう。」

え?

「生き方?
生き方を見直す?」

「そうです。
摂食障害という病気は
風邪や事故のように、
降って湧いて出たものでは
ありません。
薬を飲んだら治るものでも
ありません。
心の病気にはそうなった
それまでの生き方が
関係しています。
だからこそ、
生き方から見直すことが
大切なんです。」

たしかに…。
日高先生の言葉が身に沁みる。

「…本当そうですね。
私、自分と向き合いたいです。
病気になってしまった
生き方を見直したいです。

そして…前みたいに
普通に食べられるように
なりたいです。」

気づいたら、
涙がこぼれていた。

≪生き方から見直しましょう≫

日高先生の言葉が心に響く。                                                      
私の人生、
どこで間違ったんだろう。
ただ誰かに喜ばれたくて
頑張って生きてきただけなのにな。
会社のために
頑張って働いていただけなのにな。
なんでこんなことに
なってしまったんだろう。
 
「先生、実は私、
昔カウンセラーになりたくて
晴丘氏の大学で心理学を
学んでいたんです。
またここに戻ってきたことに
不思議な縁を感じます。」
 
昔から人の心について興味があった。
 
「そうだったんですね。
僕もここの大学出身なんですよ。」
 
え、そうなの?
これは運命?

そして、最後に。

日高先生は
これだけは忘れないで
と言わんばかりに、
真剣な目をしてこう言った。

「この病気は長い目で見てください。」

…ゴクリ。

息を飲んだ。
 
「長い目?」
 
「うん、長い目で。
もう、う~~~~~~~~んっと
長い目で。」

≪想像以上に
長い戦いになると思います≫

心水苑で言われた言葉が重なる。

「分かりました。
よろしくお願いします。」
 
契約書を読み、
入院の同意書にサインをする。

動揺はない。
導かれいたと思うくらい、
今この場所にいることに
しっくりきている。
 


「では朝野さん、
今日から
生き方を見直しましょう。」

「はい。」

私の人生に突然訪れた、
『摂食障害』という使命。

2017年5月18日。 
予想もしていなかった
入院生活が始まった。

突然の入院

 
「私たちの病院は
集団精神療法というものを
取り入れています。」
 
「集団精神療法?」

数時間前までゴミに囲まれ
朽ち果てていた私は、今、
入院手続きの説明を受けている。

「それと集団の中で
責任を持って行動できるように、
患者さん一人ひとりに
行動範囲を定める
『責任レベル』というのを
設けています。」

「はぁ。
『責任レベル』ですか…。」
 
緊急入院過ぎて、
なかなか頭がついてこない。
 
私が入院したのは、
なぎ総合心療病院(仮名)。
実は、精神医療の世界で
有名な医院長が経営する、
日本で有数の救急精神病院だった。

心療内科、神経科、精神科などがあり、
365日24時間、救急対応を行っている。
外来、入院治療をはじめ、
外来リハビリ、訪問看護、
自立支援など、
その事業は多岐に渡る。

そして病院の特徴の一つが、
集団精神療法だ。
 
診察を受けて薬を飲んで
入院部屋でゆっくり過ごす。
そういった入院治療ではなく、
患者さんと一緒に生活をして
コミュニケーションをとる中で、
様々な気づきを得ること。
悩みを分かち合あったり
励ました合ったりする中で、
心を改善をはかることを
大切にしているらしい。

集団の中で
本当の自分に気づき、
誰かの役に立てる
自分に気づくことで、
『生きる勇気』を
身につけていくのだ。
 
また、なぎ総合心療病院は
心の問題に向き合う中で、
『共同体』という感覚に
重きを置いていた。
 
他の患者さんと共に生活をし、
ミーティングや話し合いを
繰り返すことで、
‘人と繋がっているんだ’という
感覚を養っていく。
これが病気の快復につながるという。
 
勢いで入院を決めた私は
自分がどんな病院に来たのか、
ほとんど理解していなかった。

だけど、待ち時間に読んだ
病院案内の
パンフレットに書かれていた
理念や医療体制に感銘を受けた。
 
(下記、飛ばして読んでもらっても
 大丈夫です。)
(最新の情報を引用しています。)
(病院名は伏せます。)

 
なぎ総合心療病院≫
――――――――――――――――――――
■理念
あなたがいて、わたしがいて、社会が営まれる。
私たちは、開業以来長きにわたり、人と人とのあわいに揺れ動くこころの問題に向き合ってきました。
その中で得た、ひとつの確信。
それは、社会からの隔離や投薬の多用といった旧来型の精神医療だけでは、根本的な治癒にならないということ。
人は、人との関係性の中でこそ、自らの力を引き出し、快方へと向かう推進力を得ることができるのです。
あなたがいて、わたしがいて、社会が営まれる。この丘は、社会の縮図です。それぞれが紡いでいく、日々の小さな物語こそが、私たちの治療行為なのです。
――――――――――――――――――――

ステキな理念。
たぶん、きっと、病院に恵まれた。
ここを読んだだけで
‘この病院に来てよかった’と安心した。

――――――――――――――――――――
■医療方針
すべての資源を、治療のために。
We make good use of all resources in the world for your treatment.
あなたのこころの有り様は、あなたを取り巻く環境に大きな影響を受けています。
健康も病も、ひとつの連続したうねりの中にあるもの。
私たちができることは、快方へと向かいやすい環境を整え、不安の只中にいる人たちと、ともにあることです。
スタッフや患者さん、家族、そして庭の木々や鳥たち、地域社会も、すべては治療に関わる共同体の一員なのです。

1. 私たちが実践する「力動的チーム医療」
力動的チーム医療とは、力動精神医学に基づいたチーム医療体制のこと。
力動精神医学とは、人間の精神現象を生物・心理・社会的な力のぶつかりあいと、その相互的因果関係の結果として捉える医学のことです。
私たちは、アメリカの総合精神医療施設「メニンガー・クリニック」に学んだ力動精神医学を独自に発展させ、治療共同体による力動的チーム医療を提供しています。
力動的チーム医療の実践は、病院内だけにとどまりません。
地域に生きる人々もまた、治療という役割を担う共同体の一員。
この地域の中でともにあり、ともに居続けられる環境を作っていきたいと考えています。
 
2. 患者さんを全方位から理解する
 「循環型情報共有システム(全体会議)」

力動的チーム医療の根幹となるのが、全スタッフを集めて毎朝行われる「循環型情報共有システム(全体会議)」。
ここで、当院と関わりを持つすべての患者さんの状態が報告・共有され、主治医や担当スタッフとより良い治療について話し合いが持たれます。
すべてのスタッフがすべての患者さんの“今”を理解し、カルテだけでは伝えきれない心の動きを対面で共有する会議です。
 
3. 退院までの道筋を感じられる「機能分化病棟
当院の入院病棟は、観察室、PICU、閉鎖ゾーン、開放ゾーンの4つのゾーンが連続して並んでいます。
私たちはこれを、新生児期、幼児期、学童期、青年期と、人の発達段階になぞらえています。
患者さんは観察室から開放ゾーンへ、すなわち乳幼児から大人へと、治療の進み具合に応じて部屋を移り、自らの成長を実感することができます。
ここで得られた自己肯定感は、退院後の心の安定感を大きく後押しします。

4. 自己管理の方法を学ぶ『責任レベル』
当院では、患者さんが自ら責任のある行動を取れるように促すため、『責任レベル』を定め、患者さんと共有しています。
医師やスタッフの判断のもと、患者さんは『責任レベル』を徐々に上げ、行動範囲を広げていくことができます。また各病室では、医師と患者さんで共有している治療計画をいつでも閲覧可能。
服薬についても自己管理できる仕組みを取り入れ、患者さんの「こうしたい」「こうなりたい」という意志が最大限尊重されます。
――――――――――――――――――――

のちに私は、
この『責任レベル』に葛藤しながら、
自分に向き合っていくことになる。

――――――――――――――――――――
■入院治療の考え方
人は成長の過程で、自らを癒すことができます。
入院が必要な状態の患者さんを、幼児に例えてみましょう。
初めは乳呑み子だったとしても、やがては自分の成長を自覚し、社会のルールを学んで、独り立ちする日がやってきます。
私たちはそのように、症状の改善を発達と捉えて、成長過程を自ら実感できるように病棟をゾーン分けしています。
また、『責任レベル』という考え方を取り入れ、スタッフや本人が責任ある行動ができるようになったと認められた場合、行動範囲やその条件を広げていくことができます。
こうして、社会生活において必要なことを院内で少しずつ体得し、退院後を見据えた治療に取り組みます。
 
■入院病棟について
成長を実感する機能分化病棟
病棟は、病勢期により3つのフロアに分けられ、機能分化が図られています。
各病棟内は、観察室、PICU、閉鎖ゾーン、開放ゾーンの4つのゾーンに分けられています。
患者さんは観察室から開放ゾーンへと、治療の段階に応じて部屋を移ることで、自らの成長を実感し、社会復帰への道筋をたどることができます。
――――――――――――――――――――

すごい。めちゃくちゃ
ちゃんとしている。
本当この病院に来て、良かった!
パンフレットを見て
とても安心した。
 

携帯没収


それにしてもここ、
学校の校舎みたいだな。
 
建物には木材が使われ、
運動できる大きなグランドや
体育館があった。

これから長い長い、
人生のお泊り学校が
はじまるんだな…。
 
書類を取りに行った
看護師さんが戻ってきた。
引き続き、入院の説明を受ける。
 
「病棟には
いくつかのルールがあります。
まず、携帯は使えません。」
 
携帯が使えない!?

かなり動揺した。
 
当時の私はSNSが好きで
Instagramなどを定期的に更新し、
フォロワーの投稿を毎日見るのが
習慣になっていた。
それに、友達や彼氏、会社の人と
連絡がとれないことに不安になった。
しかも今度、
彼との広島旅行を計画している。
 
とりあえず、
携帯を没収される前に
ひと言、彼と話がしたい。

「ちょっと電話していいですか?」
と看護婦さんに聞いた。
 
「いいですよ。
いきなりだからね。
あと1時間は自由に
携帯使って大丈夫ですよ。」
 
「ありがとうございます」
 
彼に電話するが出ない。

仕事中だよね…。
とりあえずラインをしておこう。

『俊介君、入院することになった。
携帯を没収されるから、
しばらく連絡できなくなる。』
 
少し経って、電話がかかってきた。
 
「どうしたの?」
 
そりゃそんな反応になるよな。

仕事中だったので手短に
現状を話す。
「旅行についてはどうにかする」
「どうにか連絡する」
と告げて電話を切った。

6歳年下の彼

 
彼、俊介君は6歳年下の24歳。
ガス会社で営業担当をする
サラリーマンだ。
付き合って3カ月ほど経つ。
 
恋愛体質だった私が
俊介君と付き合うまでは珍しく、
一年ほどフリーだった。
前の彼氏には浮気をされた。
そのトラウマもある上、
30代になると
出会いの場もグッと減り、
恋愛は諦めモードだった。
 
そんな時、
会社の人が誘ってくれた合コンで
俊介君と知り合ったのだ。
 
好意を持ったきっかけは、
出会って間もない頃。
風邪をひいた時に
ポカリスエットやゼリーなどの
差し入れを持ってきてくれたのだ。
しかも、「会うのは申し訳ない」と
連日ドアノブに袋をかけてくれて、
そこが好印象だった。
袋の中には
一生懸命選んでくれたのが伝わる
高い飲み薬やドリンクも入っていて、
年下ながらのピュアさを
可愛く感じた。

その後の鹿児島デートも
とっても楽しくて、
久しぶりに自然体で居られる
自分を感じた。
30代にもなって
恋愛のドキドキを味わえる人に
出会えるなんて、
想像していなかった。
でも6歳も年下だし、
付き合うことはないだろうな…。

そう思っていた矢先、
彼の健気な告白で付き合うように。
嬉しかった。
6歳年下の彼氏ができたことは
自信にもつながった。
 
これからもっと楽しいことが
待っている…はずだったのに。

入院することになるなんて…。
 

携帯の電話帳を
ざっとスクロールし、
連絡を取りたい人の
電話番号をメモする。
お母さん、俊介君、笑子ちゃん、
ゆいぴー、優希…。
 
「あれ、こんなもんか…。」
 
何百と登録している電話番号。
だけど、本当に連絡をとりたいと
思う人はとても少なかった。
 
「花さん、携帯大丈夫ですか?」

「あ、はい。」

「では、お預かりしますね。
病院で管理できますし、
ご家族にも預けることができますが
どうしますか?」
 
「あ、じゃあ母に預けてください。」

毎日、誰よりも側に居てくれた
携帯電話とお別れだ。
看護師さんの手に渡る。
 
「あっ!」

「どうしました?」

「いえ、大丈夫です」

分かった。分かったぞ。
私服なんだ。

初めて病院に来た時から
どこか病院っぽくないと
思っていたけど、
先生も看護師さんもみんな
白衣を着ていない。
私服だから抵抗感がないんだ。
 
もしかすると、
パンフレットに書いてあった、
『病院の人も患者さんも
「共同体の一員」である』
という意味なのかもしれない。
それに、長い入院生活を
患者さんが緊張感なく、
人間らしく送れるように
配慮してあるのかなと思った。

全身、蛍光緑のジャージ集団

 
「では、今日からしばらく
PICU病棟で過ごしてもらいます。」

いろんな手続きを済ませ、
『PICU』と書かれた扉に通された。
 
突然の入院で何も分からない。
私は言われるまま、
されるままに従った。
 
PICU…。
ICUなら知っている。
祖父が亡くなる前に
最期を一緒に過ごした部屋だ。
同じ考えでいうなら
私は今、精神状態の末期なの…?

木造の廊下を歩く。
小学校にタイムスリップした気分。
狭い廊下の両脇には
ポツポツと扉があった。
開けてはいけない、
只ならぬ雰囲気を感じる扉もある。

進んでいくと、
患者さんらしき人達が見えた。

その瞬間、足が止まった。

…ちょっ、ちょっと待って。
…普通じゃない。
 
そこには全身
蛍光緑のジャージの体操着を着て、
ピンクのリボンのついた
スリッパを履いている人たちがいた。

ヨダレを垂らしている人、
体操座りをしてうな垂れている人、
薬中のような目をしている人。
放心状態の人。
自分一人じゃ何もできなさそうな人たち…。
誰が見ても一目で
「精神障がい者」だと分かる。

待って。
私この人たちと暮らすの?
っていうか
私、この日人たちと同じなの!?

受け入れられなかった。

奥の休憩スペースのような場所には
共同のテレビでアニメを見てる人、
塗り絵に集中している人、
今どきの若い子がいた。
 
さっきの人より、まともそう…。
 
私に気づくと、
マジマジと見回してきた。
 
息を飲む。

とても怖い。

「今日から入院される朝野さんです。」
 
看護師さんが
わざわざ紹介してくれる。
 
引きつっていたと思うが、
精一杯の笑みで挨拶した。
 
「こちらがお部屋です。」
 
小さな個室に通される。
 
そこには
ベッドだけが置いてあった。
 
テレビもなにもない。
なんだか薄暗い。
牢獄のように感じた。



…ヤバい。
完全にヤバいところに
来てしまった。

「あ、それと朝野さん、これ。」
 
立ち尽くす私に
看護師さんが何か差し出す。
 
!!!!!!!
 
衝撃が走った。


 
まさか…。
 

全身、蛍光緑のジャージの私


私は今、
蛍光緑色のジャージの体操着を着て、
ピンクのリボンのついた
スリッパを履いている。
ヘンだ。

昨日まではOL風の
淡いピンクのフレアスカートに
ふんわりした
白いトップスを着ていたのに。
ヘンだ。
 
「コントだよ…。」

なんでこんなに「いかにも」な
服を着せるのだろうか。
今まで黒の全身タイツなら着たことがあるが
全身、蛍光緑ははじめてだ。
 
そして、
こんなに面白い格好なのに
なぜ、一人なんだ。
友達に見せて
ひと笑いとりたいぞ。
 
何もない空間に
やたら蛍光緑が映える。
 
…。

理解したようで
まだ自分の状況が理解できていない。

とにかく、私は入院したんだ。
摂食障害で入院したんだ。

そして何もない部屋に来た。
そして蛍光緑の体操着を着ている。

数時間前までは
駅前のおしゃれな建物の
8階に住んでいた。
食べカスで散らかった部屋に…。

思い出すだけで苦しくなった。
 
あの場所に比べたら
まだこっちのほうがいいな…。

「それにしても暇だ。」

恐る恐る廊下に出てみる。

ホッ。
誰もいない。

先ほど塗り絵や本があった
場所に行ってみる。
道具入れの中から
折り紙を見つけた。

「懐かしいな…。
暇つぶしに折ってみようかな。」

折り紙なんていつ振りだろう。
家でも仕事のことばかり
考えていたからな…。

鶴を折る。
ちょっと楽しい。

すると、

「お、新しい人?」

蛍光緑の体操着を着た
変な男たちがやってきた。

いや、ごめんなさい。
服が変なだけだ。
顔や髪形は今どきの20代、
という感じの男の子だった。

だけど、やっぱりなんかヘン、だ。

「名前は?」
「どこ出身?」
「彼氏は?」

うつろな喋り方で
ナンパみたいに
根掘り葉掘り聞いてくる。

怖い…。

いつもの愛想笑いで軽く流し、
部屋に戻った。


ベッドに横たわる。
せっかく久々
折り紙を楽しんでいたのに…。

「蛍光緑どもが。」

つい口が悪くなった。

ふと腕に視線を落とす。

「…って、私も蛍光緑やん!」

誰かこの流れを笑ってくれ。
でも、友達にも彼氏にも
しばらく会えない。
私はここの住人だ。
蛍光緑の一族だ。

それにこんな蛍光緑の女に
話しかけてくる奴らは
やっぱりおかしいぞ。

「はぁ…。
でも、心は一緒なんだよね…。」



何もない静かな部屋の中、
頭の中がぐるぐる回る。

忘れかけていた
現実世界のことを思い出す。

あの仕事は誰がするんだろう。
私がいきなりいなくなって、
みんなどう思うのだろう。
昨日完成した広告は
発行されるのだろうか?
売れそうな広告ができたのに…。

「はぁ…。」

今こうしてる間にも
現実は進んでいる。

固いベッドは寝心地が悪い。
だけど、
ここには食べ物がない。
不安もあるけど、
昨日よりずっと心は
安心している。

そうだ…。
今日からもう、あんなに
毎日苦しまなくていいんだ…。

「なんかよく見たら
この蛍光緑も可愛いな。」

人間とはおかしなものだ。
どんなものも
少しずつ見慣れてくる。

これからどんな
入院生活が始まるんだろう…。
想像ができない。

でも、どんなことも
この蛍光緑のジャージのように
慣れていく、
そんな気がした。

普通の朝


気づいたら朝だった。
 
「すごい!普通の朝だ。」

とってもとっても
嬉しかった。
久しぶりに過食をしなかった。
もとい、過食するものも
なかったのだが。

いつ振りだろう。
普通に眠れた。
過食せずゆっくり寝れた朝は、
心が晴れるように清々しかった。

朝ごはんはあったと思うけど、
あんまり覚えていない。
とにかく、『普通の朝』を
迎えられたことが
嬉しくてたまらなかった。
 
コンコンコンッ。
 
「朝野さん、体調どう?」
 
看護師さんが様子を見に来た。

「体は重いですが、
昨夜、久しぶりに
過食をしなかったんです!
とっても嬉しくて。」
 
看護師さんが微笑む。
穏やかな私を見て
安心しているようだった。

後から聞いた話だが、
入院したての患者さんは
暴れることが多いという。

だから、薬で落ち着かせたり、
時には手足を縛ったりすることも
あるらしい。 

『PICU』とは、
暴れたりする可能性が高い新規の患者、
病気を受け入れる前段階の患者、
また重度の精神障がい患者が過ごす、
特別な部屋だった。

特に、アルコール依存症や
薬物依存症の患者。
アルコールや薬物を断たれた
解毒期は、イライラしたり
暴れたり大変らしい。
1か月以上、
PICUで過ごす人もいるという。

だからあんなに部屋が
簡素なのかと、納得した。

「手足を縛ることもあります。」

入院説明の時そう言われ
冗談半分で聞いていたけど、
本当にそうされる人が
この部屋のどこかにいるんだろうな…。



コンコンコンッ。
 
「朝野さん、診察です」。

『看護ルーム』に呼ばれた。

看護ルームとは
病棟の入り口にある、
看護師さんたちが常時している
職員室みたいな場所だ。
患者さんとの
日々のやりとりはもちろん、
面会時の窓口でもあり、
診察室でもある。
 
入院中の先生とのカウンセリングは
看護ルームで行われた。
そして、診察中は
先生の後ろで議事録を録る、
看護師さんがついていた。

昨日振りの日高先生。
今日もぽっちゃりしている。

「一日過ごしてみていかがですか。」

「食べ物がないので、
気持ちがとても楽です。」

「食べたいと思わなかった?」
 
「少し思いましたが、
『食べなくて済むんだ』という
安心のほうが大きかったです。」
 
昨日の瀕死な状態と比べ、
別人のように
気持ちが安定している私。
日高先生も『あれっ?』と
拍子抜けしている様子だった。

そうなのだ。
食べることで混乱する以外は
特に問題はなかった。
自分ではそう思っていた。

それからしばらく話をしたあと、

「朝野さん大丈夫そうですね。
病棟移動しましょうか。」

えっ、早!

私はPICUという
『閉鎖ゾーン』から、
『解放ゾーン』へと
移動することになった。

やったーーーー!

心でガッツボーズをした。

昔からの‘人前の良さ’が
ここにきて役に立ったと思った。

さよならPICU、解放病棟へ


「朝野さん、こちらです。」

看護師さんに
『解放病棟』へ案内される。
 
ドキドキ。

病棟の扉が開く。
すると目の前には大海原!
…のような、
みんなで過ごす
広いデイルームがあった。

閉鎖された暗い空間からの
大ジャンプ!
本っ当に、
一気に開放的になった。

たった一日だったけど…、
PICUは二度とごめんだ。

デイルームには
で―――んっと大きな
ダイニングテーブルのような
机があった。
20人は裕に座れそう。
側の炊事場のようなスペースには
電子レンジやオーブン、
冷蔵庫などがある。

部屋の奥には本棚に囲まれた
小さな教室のような空間、
懐かしい公衆電話ボックス。
手前にはテレビとソファが
置かれた談笑スペースや、
運動するためのジム用具もある。

窓の方を見ると
水槽や可愛い花が咲いたプランター、
鍵付きのボックス。
窓の向こうには広いベランダがあった。

ちゃんとした、暮らしだ…。
 
デイルームの先を歩く。
廊下もPICUに比べて広々。
大部屋が6室、個室が4室ほどある。
他にも面会室やミーティング用の
広い部屋などがあった。
 
「朝野さんの個室、
今急いで準備してるので
ちょっと待ってね。」
 
「はい。」

実は病棟が移動になる時、
個室と大部屋どちらがいいか
質問があった。

もちろん、
個室になると別にお金がかかる。
なぎ総合心療病院は1日3,240円。
(当時は、そんなに
 お金がかかるとは知らなかった。)

はじめての入院。
しかもPICUの人たちを
見ていたのもあり、
大部屋なんて絶対無理だと思った。
個室を志願すると、
「お母さんに電話して確認しますね」
と言われた。

しばらく待つとOKが出た。
母も同じ気持ちだったらしい。
治療に専念して欲しい
物書きが好きな私に
できるだけ静かな環境で
過ごして欲しい、と。

「みんなに挨拶しましょうか。」

「あ、はい。」

「みなさ~ん、今日から
こちらの病棟に移動になった
朝野花さんです。
いろいろ教えてあげてくださいね。」

デイルームでくつろいでいる
患者さんが一斉にこちらを向く。
軽く会釈をした。

そこには、おばあちゃん、
おじさん、主婦みたいな人、
同世代っぽい人、子ども…。
老若男女いろんな人がいた。

PICUに比べると
大分、普通に見えた。

私、この人たちとこれから
生活するんだな…。

多様な人が集まっているけど
一つ、私たちには
確かな共通点がある。

それは
『心に何か抱えている』
ということ。

そして。
ここでの患者さんとの出会いは
私が今までつくりあげてきた
あらゆる固定概念を崩し、
『当たり前』を
なくしていくことになる。

このジャージからの卒業


「朝野さん、
お母さんが来られました。」
 
「あ、はい。」
 
個室の準備ができるまで
面会室で待機していると、
母が入院道具を抱えてやってきた。
リヤカーみたい荷台に
ドッサリ荷物を乗せて。
 
母の顔を見てホッとする。

「なんね、その体操着。」
 
「知らんよ。着させられとると。」
 
そう。
そのツッコミが欲しかった。
やっとまともに人と話ができる。
そして、
母と喋ると一気に方言が強まる。

私は興奮気味に
PICUで過ごした一日を話す。
母は笑って聞いてくれた。
 
「笑いごとじゃなかとばい!」

「ごめんごめん、でも
蛍光緑でナンパて面白かやん(笑)。」
 

 
たった一日で
目まぐるしく変わっていく環境。

「そういえば会社には
電話して状況を説明しておいたけん。」
 
はっ、そうだ!
蛍光緑のジャージを着ているけど、
私は会社員だった。
 
「ありがとう…。」

「休職と今後について
花と話がしたいと言よらしたばい。
今、携帯が使えんことも伝えたけん。
たぶん携帯にメールがくると思う。」
 
「そっか。」
 
「『今は自分の体を
大事にしてくださいね』て
労務課の方が言いよらしたばい。
とりあえず、
休職扱いになったけん安心して。」

「ありがとう。
私、どげんなるとやか…。」
 
「今は何も考えんでよかたい、
ゆっくりしなさい。
あんた、ずっと
頑張り続けてきたんやけん。」

「…そうなんかな。」

コンコンコンッ。
 
看護師さんが呼びにきた。
個室の準備が整ったという。

個室に入り、荷物をまとめる。

が…、体力がない。
体が重くて思うように動かない。
ほぼ母と看護師さんがやってくれた。

 
「ならのちほど~。」
 
「ありがとうございます。」

片付けが落ち着き、
看護師さんが部屋をあとにする。

「よし!」

さっきまで動かず
くたばっていたのは何?
そんな母の目線をよそに、
小さなクローゼットから
軽快に部屋着を取り出す。

「この支配からの卒業~♫」

尾崎豊を歌いながら
蛍光緑のジャージを脱ぎ捨てる。

やっぱりこのジャージ、ヘンだ。
頭がおかしくなるところだった。

母がUNIQLOで買ってきてくれた
部屋着に着替える。

「それでよかった?」
 
「うん、ありがとう。
やっぱ日本人はUNIQLOだよ!
蛍光緑の囚人服に比べたら
100倍っ素敵だよ!」

「でも、あんたが着ると
そのジャージもお洒落に見えたばい。」

「やめてよ。」

「お世辞じゃなかよ。
あんたは何着ても
それなりに着こなすやん。
新しいトレンドたい。」

「そう?なら、
蛍光緑のままでいようかな。」

「それはやめたがいいんやない?」
 
笑いが出た。
久しぶり、二人で笑顔になった。
 
母は自慢げにこう言う。

「よかった~。
お母さんのお腹パンパンだから
その服、入りもしないわ~。」

「お母さんが着てたらヤバい。
想像しただけでお腹痛か!
それにしてもこの服目立つからさ、
脱獄した時に見つかりやすかろうね。」

「そういう意味もあるやろう。」

「そうよね。
意味のない蛍光緑なんてなかよね。」
 
「そうよ、
意味のないことなんてなかよ。
…あっ!」

母が時計を見る。

「時間だ。
家でばーちゃんの待っとらす。
じゃあ、花、またね。
今はとにかくゆっくりして。
必要なものがあったら持って来るけん。」

携帯が使えない代わりに
患者は公衆電話が使えた。

「…うん、ありがとう…。」

急に寂しくなる。

「あ!忘れてた!
スケッチブックとペン、
買ってきたから。」

「わ~、ありがとう!嬉しか~。」

書くことが好きな私の必需品。
よく分かってくれてる。

「じゃあ、今度こそまたね。」

「う、うん。またね…。」

母に手を振る。
束の間の楽しい時間が過ぎて
少し切なくなった。

病院は基本、
家族以外の面会は禁止。
しばらく友達にも彼氏にも会えない。
 
今、頼りは母だけだ。

「ふう…。」

ベッドに腰かける。

新しい私の部屋ができた。
ベッドと机とイス、
心ばかりのクローゼットがある、
小さな部屋。
 
もちろん、
テレビもトイレもお風呂もない。
だけど、洋服、化粧品、
化粧水・クリーム、お風呂道具。
最低限のモノがある。
 
そしてスケッチブックとペン。
私の好きなモノがある。
充分だ。

PICUは何もなくて、
狭いのに広かった。

部屋があるって
当たり前じゃないんだな。
自分の部屋があることの
嬉しさを噛みしめた。

学校みたいな病院


「朝野さ~ん、
オリエンテーションしましょう。」

「あ、は~い。」

解放ゾーンの案内書と
病院の案内パンフレットを読んでいると、
元気な看護師さんがやってきた。
 
「私は看護師の高瀬です。
これからよろしくお願いしますね。」
 
「よろしくお願いします。」

昨日と今日で
何人かの看護師さんと接したけど、
どの人もハキハキしていて優しい。
心を感じられる。
 
壁に取り付けてあるモニター、
壁に貼ってある一週間のスケジュール表、
手元にある資料を見ながら
オリエンテーションが始まる。

「まず起床は6時半ね。
朝起きたら、このモニターに
就寝時間や起床時間、
健康状態を入力します。
睡眠ってね、
当たり前だけどすごく大事で
健康のバロメーターになるの。
これを見て、
医院長や先生が
健康状態を判断することもあるから
嘘のないように入れてね。」
 
「はい。」

「で、朝野さんの場合、
毎朝体重を測ります。
朝起床時間になったら
看護師が体重を測りに来るので、
身軽な服でいてください。」

「あ、はい…。」

毎日体重測るのか…。
嫌だな…。

「あの、高瀬さん…。
その、あんまり体重を
見たくないんですけど…。」

「あ、そうよね。
分かった、大丈夫よ。
体重は朝野さんに伝えないように
共有しておくね。
念のため、診察の時に花さんからも
体重計のこと先生に
確認しておいてください。」

「はい、すみません。」

「朝食は7時半からです。
朝野さんはまだ
病棟から出られないから
お部屋やデイルームで
食べるようにお願いします。
『責任レベル』が上がると
食堂で食べれるようになるからね。」

「食堂あるんですね。」

「そうよ。別棟の一階にね。
お菓子や飲み物が買いたかったら
売店や自販機もあるし、
障がい施設の方がつくった
パンも販売してるよ。
あと敷地内にカフェもあって。
たこ焼きやケーキやたい焼き、
時期によっては
かき氷やぜんざいとかも
提供してるんです。」
 
「へ~。そうなんですね!
なんか精神病院って
檻の中のイメージだったから
嬉しいです。」

「あら、それはよかった。
ちなみに朝野さんの
『責任レベル』は
入院したばっかりで1なのね。
1は行動できる範囲が
病棟内に限られているの。
今は売店も自販機もパンも
買いにはいけないんだけど、
レベルを上げていけば
行動範囲も広がるから。」

『責任レベル』…。
まだよく理解できていないけど、
レベルアップすると
自由が広がるみたいだ。
まるでゲームみたい。
 
「はい。少しずつ
病院のことを理解していきます。」

「朝野さん、
今日の夕食はお部屋がいいかしら?」

「はい、ぜひ。慣れるまでは。」

「OK。もしデイルームで
食べられそうになったら教えてね。」

「はい。」

「ご飯を食べたら食後の薬を
看護ルームに飲みにきてください。
ちなみに薬には
『服薬の自己管理レベル』
というのがあります。
今はレベル1なので
看護師が管理しますね。
これもレベルが上がっていくと
自己管理できるようになるので。」

「分かりました。」

薬の管理…子どもみたいだ。
もしかしたら、
薬を飲んだと嘘をつく人や
薬を忘れたら大変な人とかが
いるんだろうな。

「その後は朝の回診があります。
医院長と主治医が回ってきますので、
カーテンと扉を開けて
病室で待っていてください。」

朝の回診…。医院長…。
どんな人だろう。

「はい。回診は毎日あるんですか?」

「そうよ。あと回診の時は
必ずカーテンは
全開にしておいてください。
医院長が大切にしていることでも
あるんだけど、
朝の光を浴びるって
健康にすごくいいの。」

「たしかに。
なんとなく分かる気がします。」

「回診後は曜日別でベッドの
シーツ替えや部屋の掃除があります。
廊下の戸棚にシーツや
毛布の換えが置いてあるから、
自由に使ってね。」

シーツ替え。
お泊り学級を思い出すな。

「9時半になったらラジオ体操と
『朝の集い』を始めます。
時間になったら
デイルームに集まってください。」

ラジオ体操に朝の集い。
やっぱり学校みたいだ。

「はい。
朝の集いは何をするんですか?」

「学校の朝の会みたいな感じかな。
一人ずつ健康状態を聞いていきます。
昨夜の睡眠はどうだったか、
朝ごはんはどのくらい食べられたか、
今日の体調はどうか。

私たちが患者さんの状態を
把握するためでもあるけど、
患者さん同士が
互いの健康状態を知ることで
何かと気にかけたりできるから。」
 
そっか。
みんなで暮らすからみんなのことを
把握しておくことは大事だよね。

「その後は
今日の予定を聞きます。
診察やミーティングとか
毎日いろいろあるからね。
最後に共有事項などを話して
終わりかな。」

「分かりました。
ありがとうございます。」

私が思っていた『入院』のイメージと
なぎ総合心療病院の
取り組みは、全く違っていた。

 

授業みたいな生活


「朝の集いが終わったら、
11時半まで『OT』の時間になります。」

「OT?」

オートマティック?

「OTは作業療法って言って、
デイルームに集まって
刺繍をしたり編み物をしたり、
ビーズでアクセサリーを
つくったりするの。
日常の生活に戻った時のための
リハビリみたいな感じかな。
別に本読んでも絵を描いても
塗り絵をしてもいいし。
たまにネイルやガーデニングが
できる時もあって、
そういうの好きなら楽しいと思うよ。
詳しくはOT担当の
スタッフがいるから聞いてね。」

へ~、楽しそうだ。

「暇しなそうでいいですね。」

「そうよ~。
OTは午前と午後、
一日2回あります。」

「そうなんですね。」
 
「あ、話戻っちゃうけど
売店で買ってきて欲しいものがある時は
朝礼後、10時までに看護師に言ってね。
『責任レベル』が上がれば
看護師と一緒に売店にいけたり、
一人で行けたりできるようになるから。
しばらくは我慢してね。」

大丈夫だ。
食べ物もお菓子も
今はいらない。

「OTの前後はお散歩も行けます。
『責任レベル』が上がると
看護師同伴から
患者同伴、最後は一人で
散歩に行けるようになります。
範囲も院内から院外に
広がっていくので。
今はデイルームにある、
トレーニング用具や自転車で
運動してくださいね。」

「はい。」

なぎ総合心療病院は患者の
『責任レベル』によって
日常の行動範囲が
細かく決まっていた。

でもこれがあるから
集団生活が機能するのかもしれない。

「で。
12時から13時までが
お昼ご飯、
14時半から16時半までが
OTの時間です。
午後のOTは週に1回、
映画を観られる日があるの。
見る映画は朝の集いの時に
多数決で決めます。」

「映画見れるんですね!
最近全然見てなかったから
嬉しいです。」
 
「そう。よかった。
患者さんの年代層いろいろだから
渋い映画の時も
あるかもしれないわ(笑)」
 
「(笑)」
 
「あと週に一度、
午後のOTの時間を使って
病棟のみんなが参加する、
コミュニティミーティングがあります。
病院での決まりごとの確認や
集団生活の中で気づいたことを
話し合ったりします。
 
たまに病気や医療制度について
専門の先生が授業形式で
教えてくれる時もあるんです。」
 
へ~、小学校の道徳の授業みたい。

「それとは別に
患者さんの病気の種類によって、
専門のグループミーティングもあります。
アルコール依存の方は
週に2~3回あるかな。」

「結構忙しいんですね。
摂食障害のグループミーティングも
あるんですか?」
 
「あるよ~。
日高先生から何か聞いてない?」
 
「いや、そういう話はまだ…。
でも興味があります。
参加してみたいな…。」

「なら、日高先生に言っておくね。
次の診察で朝野さんからも
聞いてみてください。」

「あ、はい。
ありがとうございます。」

「OTは基本的には
デイルームで過ごすんだけど、
他にもいろんなプログラムがあるんです。

運動系だとヨガや健康体操、
バスケットやバドミントンがあったり。
病気の知識を深める講座があったり。
ディスカッションして
盛り上がる時もあるのよ。
あと、音楽療法の一環として
生の音楽演奏を聞けたりします。」

 
「え~すごい!
誰が演奏するんですか?」
 
「それがね…!
まぁ、先生だったり(笑)。」
 
「そこは
アットホームなんですね(笑)。」

「結構上手なのよ~。
『責任レベル』が上がっていけば
いろんなプログラムに参加できるから
楽しみにしていてね。
また、おいおい話しますね。」

「本当、一日が
学校の授業みたいですね。」

入院専門の精神病院は
どこもこんな感じなんだろうか。
マイナスのイメージだったのに
今は入院に対して
ポジティブに感じている。

「そうね。
授業と同じように
なんのために入院するのか、
どうなって退院したいのかを
頭の隅に置いて
生活してみるといいかもね。」
 
たしかに。
授業ってそれを受ける目的や
目標を考えてから始めるもんな。

「はい。」
 
「いろんなミーティングがあるけど、
特に大事なのが、
金曜日にあるPSミーティングです。」
 
「PS?」
 
プレイステーション?

「そう。病棟内の患者さんを
グループ分けして、
一人ひとりに一週間の
振り返りをしてもらいます。
自分の心や病気に
向き合う時間にもなるので、
体調が悪くなったり
気持ちがキツくなったら言ってね。
出入りできるので。」

「そんなに重いんですか?」

そういえば大学の時、
先行していた心理学の授業で
『自分を打ち明ける』っていう
時間があったな。
みんなで自分の過去や悩みを語って
泣いたり励まし合ったりして。
それで余計、
仲良くなった気がする。

「いや、そんなことないわ。
朝野さんも入院を決めた時に
‘こうなりたい’っていう
想いがあったと思うのね。
もし今はなくても、
これから診察を受けていく中で
‘こういうことが
できるようになりたい’っていう
目標が出てきたりすると思うの。」
 
「はい。」

「そういった入院生活の
『目標』に対して今週、
自分がどんな感じだったかを
自由に話してもらえたらいいから。」
 
反省会みたいな感じかな。
  
「それとね、
さっから何度か言ってる
『責任レベル』を上げる申請が
このミーティングでできます。
本人の申請を受けて、
レベルを上げるかどうかを
主治医や看護師で判断します。
結果はミーティングの翌日、
朝の集いで発表しますね。」
 
「へ~。」
 
先生が勝手に『責任レベル』を
上げてくれるわけじゃないんだ。
自分から申請するってところが
大事そうだな。
 
「あと新しく入った患者さんには
毎週土曜、新患ミーティングがあります。」
 
「新歓ミーティング!?
歓迎会ですか?」
 
「そっちの新歓じゃないわ(笑)
新しい患者で、新患ね。
このミーティングは
別の病棟に入院した患者さんも
混ぜて行います。

入院した「目的」や
これからの「目標」を話したり、
入院生活でやるべきことについて
考えたりします。
違う病棟の患者さんと
ディスカッションすることで
新しい気づきがあったりするから。
で、これは必ず4回参加してね。
参加しないと
レベルがあがりません。」
 
「はい。」
 
「結構ボリューミーに
話したけど大丈夫だったかな。
慣れるまでは戸惑うと思うけど、
分からないことがあったら
つど周りの人に聞いてね。
たまに参加するミーティングが
被ったりする時があるから、
その時はどちらが優先か
看護師に聞いてください。」
 
「はい。」
 
ここは
ただ入院する場所じゃないんだな。
 
精神病院の概念が変わった。

南さんとの出会い

廊下に出て病棟の案内が進む。

「ここが手洗い場ね。
歯磨きや洗顔はここでしてください。
共同スペースになりますから、
使ったらキレイに拭いてね。

あと夜10時から朝6時までは
使用禁止です。音が響くから。」

そこには6人くらいが
一緒に洗顔できる
広い手洗い場があった。
そして、車いすに座った
おばあちゃんがいた。

じっと前の鏡を見つめて、
ピクリとも動かない。

すると、
私より少し年上だろうか。
ギャルっぽいお姉さんが
声をかけてきた。

「こんにちは~。
今日から入院するとやろ~?
分からんことがあったら
なんでも聞いてくれてよかけん。
私、長いけん(笑)」

パッと見た感じ、
やんちゃなことを一通り
してきました感のある、
キティちゃんのサンダルが
似合いそうなお姉さん。
ザ、姉御肌な口調から
頼もしさを感じた。

「南さん、常連だもんね。」

「へへへ。」
 
「南さん…。
私、朝野花と言います。
入院生活はじめてなので
どうぞよろしくお願いします。」

頭を下げる。

「あら、自然派な名前やね~。
私は南亜海、よろしくね。」

「南さんは南国リゾートみたいな
お名前ですね。」

「ははは。花ちゃんウケる。
自然同士、頑張ろうばい。」

よかった。
南さんはちゃんと話ができそうだ。
それにしても私、
本当にこれから共同生活するんだな。

病棟内の説明が続く。

「で、ここが共同のトイレです。
もしティッシュペーパーが
なくなってきたら棚から補充してね。
次の人が困るから(笑)」

「はい(笑)」

トイレはウォシュレット付きが
2個あった。

「で、お風呂!
お風呂は、20分の時間制で
必ず2人で入ることになっています。
朝礼後、この青いボードの
入りたい時間帯の枠に
名前を書き込んでください。

洗濯物はあっちに
コインランドリーがあるから
必要があれば使ってね。」

「お風呂は2人、ですか。」

なんでも事故防止のため、
入浴は必ず2人で入るルールのようだ。
それにしても二人で20分?
短くないか?
脱衣の時間も考えたら
15分で入らないといけない…。
長風呂派の私には酷だ。
 
「今日はね~、
あっ、南さんが入る時間帯
まだペアいないから
一緒に入ってもらっていいかしら?」

「はい。」

ちょっとホッとした。

「就寝は夜10時です。
眠れない時は
追加で睡眠薬飲めるから、
看護ルームにきてくださいね。
それと深夜は看護師が
巡回にくるので、
お部屋の窓隠しを
少し開けていてください。」

すごい。
ちゃんと管理されているんだな。
突然死んでたり
逃げ出したりしてたら
困るしね。
 
「駆け足で説明したけど…、
全部はじめてのことだと思うから
分からないことがあったら、
患者さんや看護師に聞いてね。
何か質問あるかな?」

「大丈夫です。
また疑問がでてきたら
聞きたいと思います。」

「うん。あっ!
大事なこと忘れた。ご飯!

日によってね、
メインの料理をAかBで選べるの。
肉料理か魚料理かとか。
デイルームに献立表が貼ってあるから
どっちがいいか見に来てね。
基本はAがでるんだけど、
Bがいい場合は表に書き込んでね。」

すご~い。選べるんだ。

「食堂に行けるようになったら、
その場で好きなもの選べるから。
昔は朝、バイキングだったのよ~。」
 
へー!入院してるのに
ホテルみたいだな。


オリエンテーションが終わって
献立表を見に行ってみた。

≪ある日の献立≫
―――――――――――――――――――
【朝食】
ごぼうと豚肉の炒め物
ところてん
味噌汁(サツマイモ・玉ねぎ)
ごはん
柴漬け
 
【昼食】
鶏肉の香草焼き
(付け合わせ 筍のソテー・アスパラガス)
大根と海老の煮物
味噌汁(ナノハナ・シイタケ)
ごはん
ミルクゼリー
 
【夕食】
牛肉の焼肉風
(付け合わせ ブロッコリー・カットコーン)
もやしのナムル
味噌汁(ナメコ・人参)
ごはん
―――――――――――――――――――
 
え!
普通に美味しそう。
 
病院食とは思えない。
健康的な学校の給食のようだ。

どの日のメニューも
「食べたい」と思えた。

今まで餌みたいなものを
食べる生活をしていたから、
人間らしいメニューが嬉しかった。
 

便秘薬と生理薬の没収


「朝野さ~ん、
朝野さんって通院してたり、
病院からお薬もらってたりする?」
 
オリエンテーションが終わり、
部屋でゆっくりしていると
また違う看護師さんが入ってきた。
彼女は秋山さん。
 
「あ、はい。
生理が止まっているので
生理がくるお薬と
便秘なので便秘薬をもらっています。
薬をもらう時だけ
病院に行っています。」
 
「そっかー。」
 
頭の中で何か考えている
様子の秋山さん。
 
「お薬、今持ってる?」
 
「あ、はい。母が持ってきた分が。」
 
「一旦、預かっていいかな?」
 
待ってくれ。便秘薬は必需品だ。
 
「え?
でも私、便秘薬ないと
ほんと出ないんです。」
 
小学生の頃から便秘体質の私。
1~2週間出ないこともざら。
便秘薬を乱用し過ぎたせいか、
ここ数年は便秘薬を飲まないと
便意すら
もよおさなくなっていた。
便秘薬を使っても出ない日も多く、
年々、飲む量も増えている。

しかも、毎日便秘薬を
飲まないと気が済まない。
飲み忘れると不安になるほど。
食べたものが排出されないと、
その分太ってしまう気がして
怖かった。
依存しているのかもしれない。
 
「朝野さんはそもそも食べる量が
少ないから出ないんじゃないかな?
ちゃんとご飯が
食べられるようになったら
体も健康になって、
便秘も改善していくと思うし、
生理もくるようになると思いますよ。
 
今の状態で生理のお薬飲んでも
逆に負担になるかもしれない。
薬を飲むより、
まず体を健康にしましょう。」
 
看護師さんの良い分には納得できる。
 
「もし、どうしても
便秘が続くようだったら
病院にもお薬あるから、
看護師に言ってくださいね。」
 
「…はい。」
 
「あと入院している間、
保険がきかない医療機関があるから
急ぎでなければ
病院は退院してから
行っていただければと思います。」
 
「そうなんですね。
分かりました。」
 
お守りのようだった便秘薬と
生理をおこす薬が没収された。
 
 
今から本当に生活が、
習慣が変わるんだな。

部屋に戻り、
ベッドに横たわる。


「新しい生活のスタートだ。」

高瀬さんのオリエンテーションの
説明を頭でリピートしながら、
目を閉じた。

食べると太る、食べるのが怖い


「朝野さ~ん、夜ご飯で~す。」

ウトウトしていたら寝ていた。
看護師さんが「出前でーす!」
みたいなテンションで
夕食を持ってきた。

狭い机の上にお盆が置かれる。

「シチューだ」。

シチューなんて久しぶり。
単純に嬉しかった。

しかも、病院食は質素で
不味いイメージがあったけど、
豪華な学校の給食のようで
普通に美味しそうだ。

ひと口、食べる。
 
「美味しい…。」

だけど。

シチューを飲み込んだあと、
一瞬にして恐怖に包まれた。

「怖い…!怖いよ…!」
 
体がガタガタ震え出す。

「太る…。
怖い…怖い…。」

久しぶりのシチュー、
嬉しかったはずなのに
スプーンが止まる。

茶碗には
白米がこんもり乗っている。

これ、全部食べなきゃいけないの?
…地獄だ。
本当に無理だ。

でも、食べたかどうか
チェックされる…。

全身に鳥肌が立つ。

実は病棟移動する時、
日高先生から
今後の食事の量について
こんな話があった。

「まずね、朝野さんには
健康的な体になってもらいたいので、
毎日、1800キロカロリーは
摂ってもらいたいんですよね。」
 
「1800!?…ですか…。」

顔が引き攣る。
未知の数字だ。

「でも、
いきなり量が多いときついと思うから、
ん~1400…いや、
1500キロカロリーからはじめましょう。
カロリーの違いはご飯の量だから。
無理はしなくていいからね。
でも、治療だと思って
頑張って食べてくださいね。」

「はい…。」

しぶしぶ返事はした。
 
だけど、
いざ食べ物を目の前にすると
ダメだ。

「これ以上食べたら太るよ…。」

食べたら太る。
その恐怖に襲われ、
お米はひと口が精一杯。
他の副菜も手をつけられず
蓋をした。
シチューはなんとか半分食べた。

入院前は
信じられない程の量を
食べていたのに。
 
今はその真逆で、
食べるのが怖い。

コンコンコンッ。

看護師さんが様子を見に来た。

「朝野さん、
食べられていますか?」

それ、
聞かないでください…。

「少し…。
でもまだ食欲がなくて…。」

「そうですか。」

看護師さんが蓋をあける。
マズい…。

「3割くらい食べられたね。」

そう言い、
お盆を下げてくれた。

よかった…。
下げてくれて…。
3割も食べれてないけどね…。

全部食べないといけないと
思っていたので安堵した。
 

拒食症


「では、あとで看護ルームに
お薬飲みに来てくださいね。」
 
「はい。」
 
看護師さんが扉を閉める。

 「ふぅ。」

ひと息ついた瞬間…。

…!

‛シチューは食べてよかったのか‘
’食べたらいけなかったんじゃないか‘

たちまち頭が混乱した。
食べてしまった後悔が襲う。

「どうしよう、太るよ…!」

怖くて怖くてたまらない。
どうにかしたい。
 
体が震える。
 
「怖い、怖い、怖い…!!」

頭を抱えうずくまった。
全身が恐怖に包まれる。
 
助けて…!助けて…!!助けて…!!!

震えが止まらない。
 


そう。

実は、私は
過食の症状だけでなく、
重度の拒食症になっていた。

夜中は異常なほど食べてしまうのに、
日中は何かを食べようとすると
『食べるのが怖い』
『食べると太る』
という恐怖に襲われ、
食べた後は
『食べてしまった』
という後悔に襲われた。

次第に
この恐怖に襲われるのが怖くて、
食べる行為そのものが
怖くなっていた。

朝ご飯、昼ご飯、晩ご飯は
不思議なくらい
食べることを制限できる。
夜は全てのストッパーが外れるのに、
日中はきつく、きつく、
食べるストッパーを
絞めることができた。
そんな自分を誇らしくすら感じていた。

なぜそうなったのか分からない。
でも、気づいたらそうなっていた。



大学生の頃54キロあった体重は、
一時期30キロ台まで減っていた。

きっかけは些細なダイエット


きっかけは些細なダイエットだった。

『可愛くなりたい』
些細な願いだった。
 

 
摂食障害と診断される、
ずっと前の話。

私は食べることが大好きだった。

休日の楽しみは、
今どきのおしゃれなお店や
話題のお店に行くこと。

毎週末、友達とランチをしては
カフェでデザートを食べ、
美味しく撮れた写真をSNSにアップ。
夜は仕事仲間や飲み友達、
デートに誘われた男性と
居酒屋や雰囲気の良いお店で
お酒もご飯も好きなだけ食べていた。

お酒が飲み放題の時は、
もとを取るように7杯以上は飲んだ。
高カロリーな甘いカクテル、
チョコ系のドリンクを
好んで飲んでいた。

後先なんて考えず、
『好きなものを食べて飲む』。
その時間を
充分楽しんでいた。
 
もちろん、
『痩せていたい』という願望は
あったので、
休日に好きなものを食べる代わりに
平日は控えるようにしていた。

それに
平日は仕事が忙しく、
お昼ご飯を食べる時間がなかった。
残業続きで夜は12時過ぎの帰宅。
食べることより、
お風呂に入って
ベッドに潜るのが優先だった。

だからプラスマイナス0、
食べてもそこまで太らなかった。

それにしても、なぜだろう。

『痩せなきゃ、ダイエットしなきゃ。』

何歳になっても、
どんな体型でも、
多くの女性がこの気持ちを
持ち合わせている気がする。

そう思わせているのは一体
一体誰なんだろう、
何なんだろう。

 

元彼の浮気


学生の頃、
「ゴツいね」「たくましいね」
と言われていた私も
社会人になって、
「痩せてるね」「手足細いね」
「スタイルいいね」
と言われるようになった。
 
昔はほとんど言われなかった言葉。
単純に嬉しかったし、
‘可愛くなれてるんじゃないか’と
少し自信がついた。

学生の頃50キロ台だった体重も
仕事が多忙なおかげで、
なにか努力するわけでもなく
自然と痩せていった。

2009年、22歳で会社に入社。
ひょんなことから
クラブやDJにハマり、
20代前半は
痩せた体を見せるように
ホットパンツにノースリーブ、
高いヒールに生足で踊っていた。

2012年。20代後半には
夜遊びが落ち着き、
ロングヘアーをゆるく巻いて
ピタッとした洋服に
足の細さを強調したミニスカートで、
’今どきのOLスタイル’を
楽しんでいた。
 

 
だけど。

2016年。30歳手前になって、
急に太り出した。

朝おきるとパンパンな顔。

「むくんでいるのかな?」
最初はむくみやすい体質のせいか、
お酒の影響かと思った。

だけどある夜。
一日中出かけていたのに
朝と変わらずパンパンな顔を見て、
「私太ったんだ!」と
ひどくショックを受けた。

そして、薄着になる初夏。
友達5人で撮った
浜辺の写真を見て愕然とした。

そこに
昔のほっそりした私はいなかった。

ノースリーブ、短パン姿。
腕は肉々しくて
ふくらはぎは筋肉でモリモリ。
お腹周りもパツパツで
薄っすら段になっている。
サマーニットを被った顔は
季節外れの鏡餅みたい。
脂肪の面積が増え、
目は小さくなっていた。

「いつのまにこんなに太ったの…。」

ショックを通り越して、
血の気が引いた。

自分がとてもブサイクに見えた。
学生の頃に戻ったみたいだ。
 
ヤバい。
ダイエットしないと。

太ったことを自覚し、
ジムに通うことにした。

仕事帰りは一駅手前で降りて歩き、
休日は街中をたくさん歩いて、
自分なりに努力してみた。

だけど、
一向に体型も体重も変わらない。

そんな2016年、6月末。
 
「最近、付き合っているのが
しんどく感じる。」
 
当時付き合っていた彼、
奏太君に
急に別れを告げられた。

まどろっこしい理由を
つらつら言われが、
どうも辻褄が合わない。

問い詰めたら浮気だった。
きっと、元カノと。
 
私と付き合う前、
元カノのことを
何年も引きずっていたのは知っていた。
アパレルの仕事をしている彼が
それなりにモテること、
私と出会う前に
遊んでいたことも知っている。
 
それでも
「これからは真面目に向き合いたい。
花、俺と付き合ってくれん?」
と言ってくれた人だった。

太った私が悪い

 
別れたあと、
しばらく傷心していたが
奏太君とは地元が
一緒だったこともあり、
周りに報告することにした。
 
すると、
「付き合ってるって聞いて心配してたよ」
「奏太君、すごく遊んでるイメージだから」
「居酒屋で男女グループで楽しく騒いでたよ」
「出張先で多分、浮気してたよ」
「夜、女の子と歩いてたよ」
 
出るわ、出るわ、
ダメ男エピソード。
 
なんでそれを先に
言ってくれなかったの?
まぁいい。
人は本音を言わず
相手に合わせる生き物だ。

奏太。
お前の身にまとったカラフルな服や
無駄に高いこだわりの生地は、
嘘つきで弱い心を隠すための装飾か?
 
取り繕った仮面は
ボロボロ剥がれていった。
 
フタを開けると
根っからの浮気症、
ダメ男だったのだ。

でも。
 
それでも当時の私は、
浮気されるほど
私には魅力がなかったんだ。
付き合う時は元カノより、
私に向き合ってくれていた。
ということは、
私に理由があるんだ。
振られた私が悪いんだ!
と自分を責めた。

そして。
 
「私が太ったからいけないんだ」
「私がブスだからいけないんだ」
「私が痩せてて可愛かったら…」

ちょうど自信を失っていた体型に
ひどくネガティブになってしまった。
容姿は関係なかったのに。

さらに。

「外見を着飾ることばかり考て
中身のない男なんかに負けたくない。
絶対、私の方が幸せになってやる!」
 
復習にも近い気持ちが芽生えた。
 
「ダイエットをする!」
「痩せるんだ!可愛くなるんだ!」

そう強く胸に刻み、
本格的にジムに通い始めた。

最初はなかなか体重が落ちなかった。
理由は大好きなパン。
ジムに行っているのをいいことに、
ご褒美で近所のパン屋さんに
通うことが増えたからだ。
筋肉質の体質もあって
逆に筋肉太りしてしまった。

この頃はお店のパンが
高カロリーなことを知らなかった。
そもそも食べる時に
食べ物のカロリーを
意識したことがあまりなかった。

どうしたら痩せられるの?
頑張っているのに
結果が出ず、悔しかった。
 
周りの友達は
結婚して子どももいるのに、
私には彼氏も
自分のことを好きな人もいない…。
少しでも魅力的に
ならなきゃいけないのに…。
痩せなきゃいけないのに…。

炭水化物は悪


ダイエットで思い悩んでいた時。
ふと、友人の笑子ちゃんを
思い出した。

この前久しぶりに会った時、
痩せてとてもキレイになっていたのだ。

笑子ちゃんは友達でもあり、
尊敬する人。
頭が良く知識も豊富で
いろんなことを教えてくれて。
私の知らないステキな場所へ
連れていってくれては、
心躍るものたちに出逢わせてくれた。
彼女の生活スタイル、
持ち物どれもが魅力的に見えた。
彼女が好むものを私も好んだ。
 
ピンチな時はいつも助けてくれて、
相談をすればその日に悩みが解決した。
そんな笑子ちゃんを
心から信頼していた。
もしかすると、
初めて心が許せた友達が
笑子ちゃんだったのかもしれない。

「笑子ちゃんキレイになったね~。」
 
「そう?でもたしかに痩せたんよ。」
 
「ダイエットでもしたと?」

「いや、違うんよ。
うちね、体の不調がずーっと
続いとってね。
原因も分からんで、
1、2年くらいきつかったんよ。
で、本とかでいろいろ勉強して
体のことや食について見直したん。
そしたら体調が良くなって、
体も自然と痩せてきたんよ。」
 
「え~!めっちゃすごいね!
体調も良くなって
痩せるなんてハッピーやん!
なんばしたと?」
 
「食事面が大きいかな。
糖が体に良くないっていうのは
知っとったんやけど、
長い目でみると『炭水化物』も
体に良くないって分かったんよね。
だから糖や炭水化物を抜いて、
代わりにタンパク質を
摂るようにしたんよ。
そしたら自然と
体の調子が良くなってね。」
 
「へ~!なんば食べよると?」
 
「えとね、
朝はお肉や野菜をたくさん食べて、
お昼はゆで卵1個。
夜は卵、チーズ、お肉、野菜かな。

ある人の本にね、
『炭水化物は悪』って
書いてあったんやけど、
それも一理あるなと思ったよ。
私の体には合ってるのかも。」

≪炭水化物は悪≫

笑子ちゃんの
この言葉が胸に強く響いた。

そうだよね…。
パンも炭水化物だし。
お米も食べると太るし。
というか炭水化物って、
太って体にも悪いんだったら
食べても意味ないやん。

≪炭水化物は、悪だ≫

信頼しているが故に、
私は笑子ちゃんの
言葉の一部を切り取り、
誇大に捉えてしまった。
 
よし!
炭水化物、抜こう。
絶対食べない。

ストン、と落ちた体重


それから徹底して、
炭水化物と糖を食事から排除した。
お米はもちろん、
大好きだったパンを
食べるのもやめた。

少しでも甘い味がしたら、
拒否反応が出た。
食べてるものに
炭水化物が入っていると、
食べるのをやめた。

すると…。

「わ、1キロ減ってる。」

ストンと体重が落ち始めた。

「すごい。
簡単に落ちた。」

ジムの回数も増やそう。
彼に振られ時間ができた私は、
暇さえあればジムに通った。
だけど、根っから筋肉質。
運動するとすぐ筋肉がつくため、
期待とは裏腹に
体型がゴツゴツしてきた。

トレーナーに相談すると、
「うんうん。そっか。
しなやか体になりたいんですね。
花さんの場合、
トレーニングしすぎると
筋肉になりやすいから、
走るよりも
歩きとか自転車がいいかもね。

ウェイトトレーニングは
引き締めたい部分だけ集中して、
ほどほどに。
花さんスタジオ行ったことある?
ゆっくり動くヨガとか
ボディバランスとかおススメかも。」
とアドバイスをもらった。

そこでトレーニングと合わせて、
ヨガやダンスやエアロビなどの
プログラムも積極的に受けた。

すると、
2か月で3キロ痩せた。
 
「わ、目標体重、達成できた!」

とても嬉しかった。

44キロくらいになれたら
嬉しいと思ってた。
もう目標達成だ。

だけど、もっと痩せたいな。
 
体重が落ちたのが嬉しくて、
さらに体重を落としたいと思った。
落ちていく数字を見るのが
楽しみになっていた。

体型に自信が出だした
2016年、10月。
節目である、
30歳の誕生日を迎える。
 
側に居てくれたのは、
太ったことを自覚した海辺の写真に
一緒に写っていた仲間たち。
12時ちょうどにお祝いしてくれた。
楽しそうな様子もSNSにアップした。
あの日一人だったら
きっと、寂しかったと思う。
友達の気持ちが嬉しかった。

思えば、
あの海辺の写真と比べて
随分手足は細くなったし、
顔もシュッと痩せた。

でも…30歳、
心は孤独だった。
 
孤独な気持ちを掻き消すように
夢中でジムに通った。
 
彼氏に浮気され振られて、
仕事も上手くいっていなかった。
そんな中、
唯一目標が達成できるもの。
なりたい自分になれるもの。
それがダイエットだった。

頑張れば必ず痩せる。
ダイエットは、
裏切らない。
ダイエットは、
私の味方だ。

 
今思うと、
本当にバカだった。

痩せることに
とらわれていた私は、
とても大事なものを
失い始めていることに
気づいていなかった。

生理が止まった

 
「またこんなに…。
髪の毛すごい抜けるな。」

最近、髪を乾かして
床を見ると、
髪の毛が大量に落ちている。

コロコロコロ…。
 
カーペットクリーナーを転がす。
白い紙にたくさん茶色い髪の毛がつく。

「こんなにとれた…。」
 
嬉しい。
なぜか、嬉しいと思ってしまった。

「肌もカサついてきたな…。」

お風呂上りは
たっぷり保湿をするのが日課。
だけど、前みたいに
肌がしっとりしない。

「ツルツルしてキレイ」
そう言われていたのに、
急にツヤがなくなってきた。

でも、顔は順調に
ほっそりしてきている。
 
嬉しい。
 
髪も肌も年齢のせいかもしれない。
仕事も忙しいから
ストレスのせいかもしれない。
特に季節の変わり目は
肌も乾燥しやすいしね。

しかし、髪と肌の変化は
ただの序章だった。
それから次々と
体に異変があらわれるようになる。


 
「あれ?今月もきてない…。」

気づけば生理が2カ月きていない。

もともと生理不順で、
薬を使って生理がくるように
調整していた。
原因は仕事のストレス。
責任の重い仕事を担当するようになって、
それまで順調だった生理が
こなくなったのだ。
 
でも、薬を飲んでもこない。
 
だけど、
生理前のむくみや体重増加、
脂肪の増加が
なくなったような気がする。

生理が止まると
痩せるのかもしれない!
それならそれがいい。
そう思った。

そして。
夕方になると、
視界が薄くなるようになった。
まるで霧がかかったように
景色が白くなる。
 
「パソコンの見過ぎで
疲れているのかな?」

仕事柄、一日中
パソコンと向き合うことも多い。

だけど、休日もずっと
視界が薄いことに気づいた。
まるで瞳の上に
白いベールが一枚被っているよう。
景色が幻想のように見えた。



さらに、
耳にも異変が起きはじめる。

とにかく
人の声が聞こえづらい。

もともと20歳の時、
ある事がきっかで
耳鳴りがするようになった。
もう10年以上付き合っている。

だけど、最近特に
耳鳴りのボリュームがすごいのだ。
セミの大合唱が鳴りやまない。
言葉が上手く聞き取れず、
何度も聞き返したり。
会話にも支障をきたしはじめていた。

さらには
歩くのが辛くなった。

特に仕事帰りは
亀のように一歩一歩、
ゆっくりしか歩けない。
腰に手を当てながら、
時に立ち止まりながら、
力を振り絞るように歩いた。

そして、
悪寒がするようになった。
いつも手先が冷たい。
お昼には頭痛が激しくなり、
よく風邪をひくようになった。
 


時々頭をよぎる。
 
‛ダイエットが原因かもしれない…‘と。
 
だけど、
体調が不調なことより、
痩せていく体の方が嬉しかった。
だから無視をした。

痩せるための不調なら、
不調すら嬉しかった。

なくなる記憶


 ガタッ。
 
「あ、すみません…。」
 
「大丈夫?携帯。」
 
「はい。この頃落としやすくて。」
 
まただ。
また落とした。
 
最近、モノを落とすことが増えた。

特に携帯をよく落とす。
一日最低、2回は落としている。
なぜか手からすり抜けていく。

それだけじゃない。
 
ガッッシャーーーン!
 
「もう…!
お気に入りだったのに…」

食器を割ることも増えた。
なぜか手からすり抜けていく。

食器を避けたつもりが腕に当たり、
落として割ってしまうこともあった。

「なんでこんなに割るのかな…。」
 
その上、忘れ物も増えた。
バス停のベンチに
荷物をまるごと置いたまま
バスに乗車したこともある。

しまいには、
記憶が曖昧になりはじめた。

「あれ?さっきまで何してたっけ?」
「これから何をしようとしたんだっけ?」
「あれ、いつも
使っていたパスワードなんだったけ?」

今でも信じられないが、
昨日まで何年も
毎日使っていた大事なパスワードを
二度と思い出せなくなってしまった。


―――
 
 
そう、こんなにも。

体はサインを送ってくれたのに。
サイレンは
大きく鳴り響いていたのに。

それでも
私は痩せていく自分しか
見えていなかった。

シュッとした顔周り、
ほっそりした手足、
くびれたウエスト、
骨ばった鎖骨。

冬には
自分には無理だと思っていた
憧れのモデル体型になった。

「痩せたね!」
「細いね!」
「本当スタイルいいね!」

そう言われることが
各段に増えた。

「そんなことないよ~。」
 
そう言いながらも
内心はとても嬉しくて。
褒められる度、
自分がステキになっている気がした。

だけど…。

「食べたら太る」
「食べるのが怖い」
「食べたら前みたいに太ってしまう」
「食べたらブスになってしまう」

痩せた体に自信が出るほど、
私の心は
太る恐怖に襲われていった。

過度な制限


もう痩せなくていいはず。
なのに、
もっともっと体重を落としたい。

痩せたい気持ちは加速し、
カロリーを
厳しく制限するようになった。
一日のカロリーは
1000キロカロリー以下と決めた。

食べるものは
すべてカロリーをチェック。
食べたいと思ったものでも
表示が300キロカロリーを
越えていたら、
買うのをやめた。
その数字を越えていると知った瞬間、
恐怖に襲われた。

会社で注文して食べている
お昼のお弁当は中身に関わらず、
半分以上食べると
すごく怖くなる。
だから半分食べたら
「仕事があるから戻らなきゃ」と
サッと蓋を閉じ、席を立った。

それでもたまに
お腹がすごく減って、
全部食べたくなることがある。
お弁当のおかずを完食した時は
自分が異常なんじゃないかと、
心配でたまらなくなった。

お米は食べたくなかったけど、
一緒に食べている同僚に
変に思われないよう、
1/3は食べるようにした。

摂取カロリーが
足りていないのだろう。
いつも15時頃にお腹が鳴った。
それでも我慢を続けて仕事をする。

どうしても我慢できない時は
常時しているイリコや大豆を
一粒一粒、ゆっくり
口の中で噛み締め味わった。

お菓子は悪だから、
絶対に食べない。
強く心に決めていた。

実は、会社には
『オフィスグリコ』が設置してある。
手を伸ばせばいつでも
100円でお菓子が買える。

周りの女性スタッフは
小腹が空くと嬉しそうに
100円を持って
お菓子やアイスを選びに行き、
パクパク食べていた。

残業する社員が多かったため、
会社にはカップラーメンや
ゆで卵なども売っていた。
一時期、後輩たちが太ったけど、
絶対『オフィスグリコ』のせいだと思う。

その姿を見てさらに
お菓子は悪!私の敵だ!と思った。
お菓子は
『最高に太る食べ物』だと
心にバリアを張った。

それでも
夜7時を過ぎると、
どうしてもお腹が減って
限界がきてしまう時がある。

そんな時はしぶしぶ
カロリーが一番低いお菓子を選び、
カロリーが高そうな部分を
避けて食べた。
例えば、グリコは
外側のクッキー部分だけ。
周りに気づかれないように
クリームをティッシュで
拭きとって食べた。

チョコは1粒で満足できるように
舐めるのではなく、
口の中にそっと置いて
長い時間かけて溶かした。
 
残業で帰宅が遅かった平日。
『夜食べると太りやすい』という
罪悪感があるからだろうか。
夜ご飯を食べている途中で
食べることが怖くなり、
口から吐くこともあった。
 
おにぎりなどの炭水化物が
無性に食べたくなった時は、
口に含ませ
モグモグ味わい、
飲み込まず口から出した。
食べてる感覚だけ味わって
気持ちを満たした。

一日中、
『できるだけカロリーを摂取しない方法』を
考え、選び、生きていたように思う。

少しでも食べ過ぎたと思ったら、
一駅、二駅、いや三駅、
気が済むまで歩いて帰った。

2017年に入ると、
「スタイルいいね!」
ではなく、
「最近痩せすぎてない?」
「大丈夫?」
と言われるようになる。
 
その心配すら
私にとっては痩せている証。
嬉しかった。
 

爆発する食欲


そんな中、

「訳が分からない…。」

月に何回か
食欲が爆発するようになった。
一度スイッチが入ると、
どうしても食べることを
止めることができない。
 
「どうしたんだろう…。」

それに、
不眠、脱毛、肌乾燥、倦怠感、
寒気、頭痛、視力低下、耳鳴り、
物忘れ、記憶力、思考の低下…。

体の不調も相変わらず。
むしろ、進行していた。

だけど、
『慣れ』とは本当に怖い。

私は不調にすら慣れていき、
『不調な私が私だ』と
勘違いするようになった。



『痩せ願望』は
恐ろしいほど痩せること以外を
見えなくしてしまっていた。

急にモテだす


体型に自信が出始めた頃、
合コンに誘われた。

元彼、奏太君から浮気され
恋愛に悲観的になっていたので
最初は乗り気でなかった。

「居るだけでいいから!ねっ!」
 
友人の必死さに
人数合わせで参加。
人形のように居るだけに徹し、
無で過ごした。

すると、
参加した4人中3人から
アプローチされた。
毎日メールが届く。
ご飯やデートに誘われる。

なにもしてないのに、
痩せるといいことがあるんだな。
そう思った。
 
結局、どの人も
大してタイプではなかったので
美味しいご飯を
たくさん奢ってもらったのち、
フェイドアウトした。

昔からだ。
好意のない人からは好意を寄せられる。
 
それから何度か合コンに誘われて
今の彼、俊介君と出逢い
付き合うことになる。

―――

元彼に振られ、
本格的に始めたダイエット。
目標体重はとっくに達成した。
新しい彼氏もできた。

あの日願った、
「痩せて可愛くなりたい!」
その目標は達成したはずなのに。

私の痩せたい願望は
とどまることなかった。

そして、
『痩せたい』という気持ちと
似ているようで違う、
『食べるのが怖い』という気持ちを
常に抱えながら、
生活するようになった。

相反する2人の私


「あんた、
原爆ドームの写真の少年みたいやん。」
 
広島旅行中。
温泉に入る私の体を見て
母が言った。
 
「そう?」
 
「うん、ちょっとガリガリよ。
もっと食べんと。」
 
大袈裟だなと思った。
 
「嘘だぁ。だって私、
すごく食べてるんやもん。」
 
そう、夜中に。
『食べるのが怖い』のに、
夜は底なし沼の
空腹と食欲に襲われる。

みんなが知っている
日中の「小食」の私、
私だけが知っている
真夜中の「大食い」の私。
 
痩せてるわけない。
食べる量は増えてるんだから。
だけど、確かめるのが怖い。

過食がひどくなり出してから
ジムで体重を測るのが
怖くなって、
さらには自分の体を見るのも
怖くなってしまっていた。

お風呂に入る時は
脱衣所の電気だけつけ、
暗闇の中で目をつむり
体を洗った。
 
そして。
この頃から低血糖なのか、
食前食後に体が
フラフラするようになる。
急に頭がグルグルして
仕事が手につかなくなったり、
倒れそうになることもあった。
仕事中は
低血糖対策の飴を常時しないと
不安でたまらなかった。
 
2017年3月頃には、
自分の体が痩せているのか
太っていっているのか、
一体どうなっていっているのか
分からなくなっていた。

心配さえ嬉しい


あたたかな春が巡る。

過ごしやすい季節になり、
元職場仲間で
温泉旅行に行くことになった。
 
朝はおしゃれで
人気のパン屋さんで
たくさんパンを買い、
お喋りしながらモーニング。
昼はフルコースのランチ食べて、
夜は旅館の懐石料理を食べた。

とても美味しい。
だけど、怖いほど
カロリーオーバーをしている。

でも、みんなに合わせないと
変に思われる。
楽しいのに、一日中辛かった。

そして夜ご飯のあと、
みんなで温泉へ。
いつものように
目を閉じながら体を洗う。

だけど、
シャワーのスイッチを押す時に、
 
「あっ。」
 
見えてしまったのだ。
鏡に映った自分の姿が。
 
「…えっ!?」
 
私は驚いて、
目を見開いた。
 
…ガリガリだ。

あばらと鎖骨が
くっきり出っ張っている。
身のないお腹は
しぼんだ風船みたいに
皮膚が委縮していた。
Fカップあった胸は
ぺしゃんこに垂れ、
異様に乳首が大きく見えた。

体重は測ってない。
だけど、
すごく痩せているんだと思った。

驚いたけど…
とても嬉しかった。
 
「大丈夫?最近なんかあった?」
 「急激に痩せてきてない?」
 
友達が心配そうにしていたけど、
心配されるほどに痩せているんだと
嬉しくなった。

過食しながらも、
痩せているんだ。
頑張った分だけ
やっぱり、
体は応えてくれるんだ。

あの時、体重は軽く
40キロを切っていたと思う。

身長158cm、体重30キロ台。
嬉しかった。
 
炭水化物と糖を抜いて、
一日1000キロカロリー以上は
食べないと決めて、
ジムに毎日2時間通えば
必ず痩せる。

これだけは絶対、
私を裏切らない。
ダイエットは
私を裏切らない。

ゴールはもうなかった。
自分のダイエットを信じ、
ひたすら痩せることを頑張り続けた。
一日の中で
拒食症と過食症の症状を
繰り返しながら。

―――
 
それでも、
入院直前に
爆発的な過食が続いたことにより、
入院時の体重は42キロだった。

何歳になっても
痩せるには
時間も苦労もかかるのに、
太るのは一瞬だ。
 
 

【コラム】拒食症と過食症


そもそも摂食障害とはどんな病気か。
ここで一度、説明しておきたい。

(ご存知の方は飛ばしてもらって構いません。)
(参考文献:厚生労働省HP)

 
―――――――――――――――――――――
摂食障害とは
・食事の量や食べ方など、食事に関連した行動の異常が続き、体重や体型のとらえ方などを中心に、心と体の両方に影響が及ぶ病気をまとめて摂食障害と呼ぶ。
・やせや栄養障害、嘔吐などの症状によって、身体の合併症を来し、時には生命の危険がある場合もある。また、別の精神疾患をともなうこともある。
 
代表的な分類
・神経性食欲不振症(拒食症):極端な食事制限と著しいやせを示します。
・神経性過食症(過食症):むちゃ喰いと体重増加を防ぐための代償行動を繰り返す神経性食欲不振症(拒食症)の途中でこの症状が出現し、嘔吐や下剤・利尿剤の乱用をするという場合もあります。
 
症状
必要な量の食事を食べられない、自分ではコントロールできずに食べ過ぎる、いったん飲み込んだ食べ物を意図的に吐いてしまうなど、患者によってさまざまな症状がある。
(必ずしも全てにあてはまるわけではない)
 
≪食べることに関する症状≫
・絶食する、食事の量やカロリーを制限する、
 食べることが難しい、食欲がない
・大量に食べてしまい
 自分ではコントロールできない
・食べたものを自分で嘔吐する
・下剤を決められた量以上に使ってしまう
・利尿剤ややせ薬を使ってしまう
・過剰に運動してしまう
 
≪体重や体形、食事への不安≫
・体重や体形への不満がある
・周囲からはひどくやせていると言われるが、
 自分では、ちょうどいい、
 あるいは太っていると感じる
・強いやせ願望、
 あるいは体重が増えることへの恐怖がある
・食べ物のことが頭から離れない
 
≪こころの症状≫
・自尊心が低い
・精神的な苦痛がある
・抑うつ気分/不安/気分の変化が大きい
・性欲が低下している
・周りの人は心配するが、
 自分が病気とは思っていない
・周囲や社会から孤立している
 
≪からだの症状≫
・さまざまな身体の症状がある
 (例:疲れやすい、寒がり、胃もたれ、
    便秘、むくみやすい等)
・極端な体重の増加や、減少がある
・月経が止まる、不規則になる
・睡眠の障害がある

≪治療≫
・治療には心身両面からの働きかけが重要。
・治療者との信頼関係の構築、栄養状態の改善や身体症状・合併症の治療、不安や抑うつなどの情動面の改善、適切な食習慣の形成、食事や体重に関する信念や価値観の是正を行う。
・患者は自己評価が低く、完璧主義の傾向があり、大人になること・自立・家族との関係・対人関係・社会生活について課題を抱えていることが多い。
 心理教育・認知行動療法・対人関係療法・家族療法・社会的技術訓練などを組み合わせた統合的治療が推奨されている。
 
―――――――――――――――――――――
 
もし、今「あなた」が
上記の症状に近い状態であるなら、
一刻も早く、
病院に行ってほしいです。
少しでも早いほうが、
あなたの人生を救うから。
病院にいくことは
怖いかもしれないけど、
そのままにしていたら
命が危険です。
どうか、
頑張っている自分を
一度許してあげてください。
心からの願いです。
 
――――――――――――――――――――――――――

初めての相席風呂


「花ちゃん、摂食っしょ?」

体を洗っていると
湯船につかっていた南さんが言った。
 
入院してはじめてのお風呂。
入浴は事故防止のため、
2人ペアで入ることが
ルールとして定められている。
湯船は5~6人浸かれそうなくらい広い。

「はい。分かりますか?」

「うん、見てすぐ分かったよ。
痩せとるもん。
摂食障害の人の独特の痩せ方やん。
それに私も昔、
摂食障害やったんよ。
今はこんなんだけどね(笑)」

「そうなんですか!?」
 
「そうばい。
今は全然大丈夫やけどね~。
ちなみに私は
アルコール依存症で入院しとるんよ。
なぎ病院は4回目の入院ばい。」

アルコール依存症か…。
なんとなくそんな気はしてたけど…。

「そうなんですね。」

「実は子供もおるっちゃん。
高校生になる息子。」

「え!?」

どう高く見積もっても
35歳くらいにしか見えない。
そんなに大きなお子さんがいるんだ。

「南さんおいくつなんですか!?
高校生の息子さんがいるなんて
全然見えないです!」

「産むのが早かったと~。
あ、でも私、離婚してるから
旦那はおらんけん。
暴力と酒とギャンブルが
バリすごいヤツでね。
離婚しても連絡くるとよ。
女々しいヤツばい。」
 
すごい。
バリバリの方言だ。

「息子は
今お母さんと住んどるんやけど…、
やっぱり会いたかよね。」

映画のストーリーに
出てきそうな人がここにいる。

「どのくらい会ってないんですか?」

「1カ月かな…。」

「そうですか。
会いたいですね…。
息子さんも
南さんに会いたいでしょうね。」

「どうやか~。
ま、私がいけないんやけどさ…。」

初風呂を共にした南さんとは
これからいろんな場面で
語り合い、励まし合い、助け合い、
そして…。

裏切りまで経験する仲になる。

「花ちゃん初めての入院で
分からないことだらけっしょ?
私住人みたいなもんやけん、
なんでも聞いてね。」

「ありがとうございます。」

「ここさ、
まともに話しできる人が
少なかっちゃん。
花ちゃんみたいに年齢が近くて
話ができる子が
入ってきてくれて嬉しかよ。
よろしくね。」

「こちらこそ
よろしくお願いします。」

「あと…。」
 
ん?
 
「この人は
気をつけたがいいとかあるから…。
距離感とかね。
執拗に親しくしてくる人は
気をつけたがよかよ。」

「そうなんですね。
まだみんなと喋ってないから
分からなくて。」

「まぁ、なんか
気にかかったら言うけん。
でも基本的には
みんな『良か人』ば~い!」
 
「それならよかったです(笑)。」

「良か人やけん、
上手く生きられなかった、
そんな人の
集まりみたいなもんやけん…。」
 
なんだか自分のことを
言われている気分になった。

そして、南さんも。
おせっかいなくらい
人のことをほっとけない
良い人だ。
そしてきっと愛に飢えた人、
認められたい人…
そんな風に見えた。

共同生活の初夜


お風呂は
意外と20分で入れた。

「わっ!」
 
びっくりしたぁ。
扉を開けると一人、
次にお風呂に入るであろう女性が
待ち構えていた。

「あ、どうぞ…。」

華麗に無視される。
だけど、そういうのも気にならない。
もう一人はまだ来ていないようだ。

「入浴時間は
速くなったり遅くなったりするから、
お風呂からあがったら
次の人に声かけてあげてね。」

そう南さん教えてもらい、
一緒に呼びに行った。
 
コンコンコンッ。
 
扉の前で待つ。
患者同士の距離を保つため、
部屋の中までは入ってはいけない
ルールがある。
 
応答がなかったので
少し扉を開け、
「お風呂どうぞ。」
と声をかける。
サッと何かを隠された。

デイルームでは
お菓子を食べたり
ラーメンを食べたり、
みんな自由にしていた。

げっ…。

あまり見ないようにして
その場を立ち去る。
「食べるなよ…。」

イライラしながら
手洗い場で髪を乾かす。

カップラーメンの匂いは
廊下にも広がっていた。

いつも食べるのを
我慢しているせいかもしれない。
過食の症状が出はじめてから、
人が食べるのが
異常に気になるようになっていた。

それに、
人が食べているのを見て
食欲が爆発したらどうしよう…。
そんな恐怖と不安にも襲われた。

中途半端に髪を乾かし、
部屋に戻る。
タオバス用品を部屋に干し、
いてもたってもいられず
ラジオ体操を繰り返した。

そして1時間後、
さすがに匂いは収まっただろうと
歯を磨きに行くと…。
さっき隣で歯を磨いていた
おばあちゃんが
まだゴシゴシ歯を磨いていた。

軽く会釈をする。
無表情で
会釈を返された。

ボケてる?
いや、それだけじゃ
ここにはこないよね…。

80歳くらいかな?
高齢になっても何歳になっても
心を病んで入院するんだね…。
おばあちゃん、
何があったのかな…。

私は80歳になっても
痩せることに
こだわり続けているのだろうか?

切ない気分のまま、
寝る前の睡眠薬を
看護ルームに取りに行く。
 
子どもから大人まで列になって
睡眠薬を欲する姿を目にし、
また切なくなった。

部屋に戻り、ベッドに横たわる。
 
「はぁ…。」

たった一日で
今まで経験したことのないこと、
感じたことのない想いを
たくさん味わった。

いろんな感情を
吸収し過ぎたせいだろうか。
体がドッと疲れた。

だけど、意外に
順応していけそうな気がする。

はじめて使う
睡眠薬のせいだろうかか、
頭がぐわんぐわんする。
ベッドに入り、
静かに目を閉じた。

精神病院の朝


目が覚める。

睡眠薬が効きすぎているのか、
体がなかなかいうことを効かない。

自分じゃないみたいだ。

「今、何時なんだろう…。」

頑張って体を起こす。

 

コンコンコンッ。


「朝野さ~~ん、
おはようございます。
昨日は寝れましたか?」

看護師の秋山さんが
体重計を持って入ってきた。

そうだ、毎朝体重を測るんだった。

「はい…。逆に睡眠薬が
効き過ぎてるみたいで…
立ち上がるのがきついです。」

「あら、大丈夫!?
今日は私が健康管理のモニター
入力しますね。
…体重は測れそうかな?
無理しないでいいからね。」

「なんとか。」

私の代わりにモニターに
睡眠時間など
入力をしてくれる秋山さん。

その間に上着を脱ぎ、
裸足になる。

恐る恐る、体重計に乗る。
秋山さんは手で
モニターの数字部分を
隠してくれている。

…。

「朝野さん、
大丈夫ですよ~。」

フラフラと体重計を降りる。

秋山さんは
無言で体重をチェックし、
手に持っていたファイルに
数字を書き込んでいた。

ふぅ…。よかった。

昨日体重を見たくないって
伝えていたけど、
ちゃんと共有されているんだな。

数字を見なくていいことに
とても安堵した。

朝は強いタイプなのに、
今日はどうしても力が入らない。
そのままベッドで
うつらうつら過ごした。

朝ごはんは何が出たのか
どのくらい食べたのか、
あまり記憶がない。
朝飲む薬は持ってきてくれたと思う。

とにかく睡眠薬が効いて
眠かった。
 


「医院長がこられます~!
カーテン開けてね~!」

ハッ。
目が覚めた。また寝てた。
 
看護師さんが入ってきて
カーテンを開ける。

そうだった。
回診があるから朝食後は
カーテンを開けるんだった。

太陽の光が降り注ぐ。
眩しいな。

ベッドに座り、少し緊張気味で待つ。

しばらくすると
ゾロゾロと足音と喋り声が
聞こえ始めた。

もう少しだ。
 
「やあ!朝野さん、
はじめまして。
医院長の凪川です。
どうだい?気分は?」
 
ヒゲを生やした
ダンディなおじさんが
陽気に入ってきた。
 
イケメンだ!
映画にでも出てきそう。
 
この人が医院長か…。
かっこいいじゃないか。
少しテンションが上がる。

目鼻立ちがしっかりして
意思の強そうな目をしている。
そして、
絶対スローハットが似合う。

その後ろには6人程の仲間たち。
多分、医者か看護師さん達だ。
私服なので役割がよく分からない。

「はじめまして、朝野花です。
なんだか異常に眠いです。」

そんな言葉を皮切りに
自己紹介がてら談笑した。

少し話しただけだけど、
なんか全てを
受け止めてくれそうな人だと思った。

そして最後に、
「まあ、今はたっぷり寝てなさい。
それだけでいいよ。
睡眠はとっても大事だからね。」

そう言って、
医院長は次の部屋に向かった。

その後、日高先生が
汗をかきながら入ってきた。
医院長とのコントラストに
思わず笑う。

「朝野さん!
体調どうですか?」
 
「なんか体が変な感じです。
睡眠薬か安定剤が
合ってないのか、
効き過ぎてるのか…。」

「あらそうですか!?
今日は診察があるので
その時また話しましょう。」

「ありがとうございます。」

他の精神病院に
入院したことがないから
分からないけど、
なぎ総合心療病院は
温かい病院だ。

先生も看護師さんも
患者を一人の『人』として
接してくれているのが伝わる。

まるで小学校


「朝の集いはじめま~~~す!
朝の集いはじめま~~~~す!」

9時半。再び看護師さんの
大きな声が聞こえる。
ここの看護師さんは威勢がいい。

重たい体を起こし、
なんとかデイルームに移動する。

人がいっぱいいる…。
そこには病棟のみんなが立っていた。

すると

ちゃんちゃらちゃちゃちゃちゃんっ~♫

ラジオ体操が始まった。

真面目に体操をする人、
ダルそうに体を動かしている人、
ボーっとしてる人、
みんな思い思いに
ラジオ体操をしている。

真面目な私は、
体はきつかったけど
できるだけ大きくしっかり体操をした。
体が伸びて気持ちいい。

体操が終わると
みんな椅子に座りだした。
全員で20人弱くらいだろうか。
私にとって
はじめての『朝の集い』がはじまる。

「は~~~い。
では、皆さん!
朝の集いを始めます。
今日は5月20日ですね。
本日の担当は…」

今日の出勤の看護師さん、
OT担当者の紹介からはじまった。
一人ひとり頭を下げて挨拶をしている。

「昨日は安藤さんが退院されましたね。
そして、昨日
朝野さんがPICUから移動になりました。
朝野さ~ん!
あ、いたいた。
では、ひと言挨拶をお願いします。」

急に話を振られる。

「あ、はい。
朝野花と言います。
よろしくお願いします。」

パチパチパチパチ。

謎に沸く、拍手。
受け入れてもらったのだろうか。

そのあと
共有事項や連絡が終わって、
健康チェックが始まった。

「登くん!」

「は~い」

小学生くらいの男の子が呼ばれた。

「昨日は寝れましたか?」
「微妙!」

「ご飯は食べれましたか?」
「なんとなく!」

「体調は?」
「知らん!」

「今日の予定は?」
「知らん!何もせん!」

適当過ぎる(笑)!

「あら~登くん、
今日機嫌が悪いのかな?
今日は松崎先生の診察と
学習ミーティングがあるから
参加してね。」

「え、嫌やし!
俺、勉強したくないし!」

…可愛い。
小学生の朝の会だ。

こんな風に朝礼担当の
看護師さんが一人一人に
同じことを聞いていく。

昨日看護師さんが言ったように、
「あの人、すごく体調悪そうだ。
声かけるのはやめたほうがいいな」とか
「あの子はちょっと面白そうだな」とか。
患者さんたちの性格や具合が
少し分かる気がした。

そして、南さん。
昨日はとても優しくしてくれた。
だけど、今朝は様子がおかしい。

「南さん、体調はどうですか?」

「きつい。
ぎゃんイライラしとるんよ。」

「あら、大丈夫?
薬必要な時は先生に相談しますから
言ってくださいね。」

「ん。
ね、今日診察あるとよね!
予定の日に呼ばれんことあるけん。」

どうやらアルコール依存症の人
特有の症状がでてるようだ。

昨日とは別人のように不機嫌な南さん。
少し怖かった。

OT(作業療法)


「OTをはじめま~~す!」

また大きな声がする。

朝礼が終わり、
デイルームでお風呂ボードに
名前を書きこんだり、
体温や血圧を測ったり、
売店で何か欲しいものはないか
聞かれたり。

いろんな初めてを
忙しく経験していると、
OT担当の女性が
みんなに声をかけだした。

部屋にいた人たちも
デイルームに集まる。
 
今日もやりますか、みたいな顔だ。

色とりどりのビーズが入ったBOX、
刺繍のセット、
皮ひもがたくさん入ったBOX、
毛糸、布、クレヨン、色鉛筆…。
いろんな道具が机に並べられる。

その周りにみんなが座り出し、
「作田さん、私の針ちょうだい!」
「作田さん、私の作品は?」
「作田さん、昨日の続きから教えて~。」
OT担当の女性にワッと声をかける。
看護師さんより
親しげに喋っているような気がした。

きっとOTって楽しいんだな。

かと思えば、遅い思春期?
ベランダでつまらなさそうに
している男性もいる。

それにしても私はどうすれば…
戸惑う。

すると。

「朝野さん!こんにちは。
私OT担当の、作田です。」

「あ。
こんにちは、朝野花です。」

「声かけるの遅くなってごめんね~。
OTって分かるかな?」

「なんとなく。昨日聞きました。
みんないろいろつくっていますね。」

「うん、そうなの。
OTっていうのは
作業療法って言ってね。
ああやって刺繍したり、
ミサンガやアクセサリーつくったり、
手を動かして作業するの。
何かに集中する時間って
心に良いんですよ。

あと、手を動かしながら
患者さんと交流を
はかる場でもあるの。
普段上手く話せない人もね、
モノを介すことで
自分が出せたり、
話ができたりするから。」
 
たしかに。
初対面の人と話す時とか
会話に困った時とか、
近くに話の材料になるのがあると
話が弾んだりするもんな。
目線に困った時も
そっちを見たらいいし。

「朝野さんは何か興味ある?」

「皮ひもでみんな
何をつくってるんですか?
ちょっと興味あります。」

「あ、これはブレスレットや
キーホルダーをつくってるの。
やってみますか?」
 
「はい、やってみたいです。」
 
「紐の編み方もいろいろあってね、
難易度が違うの。
簡単なのからやってみましょうか。」
 
「はい。」
 
組み方を教えてもらう。
 
ほおほお。
 
ほおほお、ほお!
 
作田さん、
教え方がとてつもなく上手い。
不器用な私でも分かる。

そして、
淡々と編んでるだけなのに、
楽しい。
黙々と集中できて、
楽しい。

こんなにゆっくり何かを覚え、
手を動かすなんていつ振りだろう。

意味のないことに夢中になる楽しさ


仕事では
毎日締め切りが分刻みであり、
常に頭はフル回転だった。

今している仕事が終われば、
次がやってくる。
 
ひとつ何か成果を出せば、
次はその上の成果を求められた。
もうこれ以上出ないアイディアを
雑巾のように絞り出していた。

だけど、
ここは全部自分のペースで出来る。

時間や人にせかされることもない。
完成を急ぐこともない。
分からなかったら立ち止まって、
間違ったら解いてやり直して。
自分でゆっくり考えて、
それでも分からなかった人に聞いて。
 
‘頑張らないと’と
意気込む必要もない。
風に流れる雲のよう、
そのままでいい。

これを完成させたからといって
特に意味はない。
でも。
ただただ、楽しい。

なんだろう、心が穏やかだ。
この感覚、いつぶりだろう…。

はじめて病院に来た時に感じた、
安心感みたいなものを
また感じた。

そして。
OTをしながら、気づかされた。

いつも焦って生きていた自分に。
間違っても止まることなく、
絡まった糸を解くことなく、
早くゴールに着かなければと
生き急いでいた自分に。

私の歩いた道、
どれだけ絡んでいるんだろう、
間違いを重ねているんだろう。



「作田さん!
この前つくったキーホルダー
お母さんにプレゼントしたらね、
とっても喜んでくれたよ~!」
 
「あら~!よかったね~。」

会話が聞こえてくる。

「私は今、
子どもの名前刺繍しよるんやけど
喜んでくれるかな…。」
 
「ん~、私だったら
お母さんがくれたら嬉しいよ!」
 
ほっこり。

かと思えば…。

「岸田さん、
昨日の家族面談どうでした?」

「全然ダメ。
顔見たらイライラして上手くいかん。
全然分かってないし。
あいつ、クソやもん。
おかげで退院できないよ。」

「どうしてご家族と
上手くいかないのかな?」

そんなシビアな会話も聞こえてきたり…。

手を動かしながら、
それぞれいろんなことを
考えているんだろうなと思った。

OTの時間はあっという間に過ぎた。

もっとしていたかったな。
あ、でも焦ることないんだ。
午後もできるし、
明日もその次の日もできるんだから。

お昼ご飯は朝ご飯と同様、
あんまり食べれなかった。

体はまだフワフワしている。

カウンセリングという名の一騎打ち


「朝野さん、診察で~す。」

午後になり、診察に呼ばれた。

待っていました!
薬の相談をしたかったよ、
日高先生!

「朝野さん、いかがですか?」

「薬のせいか体がだるいです…。」
 
「そうですか。
薬が強すぎたのかもしれませんね。
量を調整してみましょうか。
 
ご飯は食べれていますか?」

「自分なりに頑張っていますが…
どうしても食べるのが怖いです。」

「食べるのが怖い…?」
 
「はい。」
 
「なぜ朝野さんは
食べるのが怖いんですか?」
 
「食べたら太る!
って思ってしまうんです。
ちょっとでも食べすぎたら
すごく太ると思ってしまいます。」

「太ったら何か
いけないことでもあるんですか?」

へ?は?
そりぁ太ったら…。
 
あれ?
何がいけないんだろう。
 
「太ったら…。
ん~と、ん~と。
…あっ!太ったら
今持ってるパンツが履けなくなります。」

「そうですか。
ズボンが入らなくなったら
新しいズボンを
買えばいいんじゃないですか?」
 
そんな…。
 
「あ、あと洋服が
可愛く着られなくなります。」

「そうですか。
洋服が似合わなくなったら、
似合う服を買い直せばどうですか?」
 

へ?あれ…?

不覚にも
‘たしかに…’と思ってしまった。

言葉が出てこない…。

私と日高先生のやりとりは
卓球のラリーのようだった。

「とにかく太るのが怖いです。」
 
「太ったら
痩せたらいいじゃないですか。」
 
へ?
‘そうだな’と
また思ってしまった。
 
日高先生の返しは続く。

「太ったあとのことは
太ってから考えたらどうですか?」
 
「はぁ…。」
 
「太るのが怖いって思いながら
毎日生活するのってどうでしょうか?」
 
……。

…たしかに。
一生太ることを怖がりながら
生きていくのって辛い。
 
「きついと思います…。
でも、でも!
こんなになるまで
頑張って痩せたのに、
もとの体型に戻るなんて…
太るなんて嫌です。
今までの我慢や努力が
水の泡です…。」
 
ここで太ってしまったら、
今まで頑張った意味が
減らした体重の意味が
なくなってしまう。

はっ…。待って…。

私、サンクコストに
とらわれてる…!?
でもでもでもでも…!

太ったら価値がなくなる?


「…太ったら
自信がなくなってしまいます。
痩せてないと価値がないんです。」

「価値がない?
痩せてないと価値がないですか…。
では太っている人は
みんな価値がないのでしょうか?」

そりゃぁ!
そんな…ことない。

もう、極端なこと聞かないでよ。

「みんなとかじゃないです。
みんなは関係ないです、
私の話です。
私は、私が痩せてないと
自信がなくなってしまうんです。
太ったら自信を失ってしまいます。
太っている自分は耐えられません。」
 
「そうですか…。
でも、太ることは
そんなに悪いことでしょうか?」
 
日高先生は
どんな球も打ち返してくる。
卓球の愛ちゃん?
 
「…。」
 
「ボクは太っていますが、
悪いことでしょうか…?」
 
ちょっとウケた。

つい「あはっ」と
声に出して笑ってしまった。

「いや、全然悪くないです。
むしろ先生は
今の体型が先生らしくて
好感が持てます。
でも太り過ぎは
健康に良くないと思います。」

「くすっ。」

私の言葉に
先生の後ろで議事録をとっていた
看護師さんが思わず笑う。

「何笑ってるんですか。」

そう日高先生に突っ込まれていた。

少し緊張気味だった空気が
和やかになる。

あれ?
太ったら何が悪いのかな…。
よく分からなくなってきた。

「ゴホンッ。
ボ、ボクのことはいいんですよ。
では、もし朝野さんの友達が太ったら?
何か変わりますか?」

仲の良い友達たちの顔が浮かぶ。

この前参列した、
大学サークル仲間の結婚式を
思い出した。
苦楽を共にした仲間との
久しぶりの再会。
前よりキレイになった子もいたし、
変わらない子もいたし、
昔に比べて太った友人もいた。
だけど、
みんな中身は相変わらなかった。
むしろお母さんになったり
社会経験を積んだりして
魅力が増していた。

そして大学時代と変わらず、
ポジティブなみんなに元気をもらった。
楽しくて笑顔になれた。
 
「いや…。
何も変わりません…。」

「なぜ?」

「だって
友達が太ったからって、
心は変わらないから。
太ったからって
友達は友達のままだから。
何も変わりません。」

「じゃあ、
朝野さんは変わっちゃうの?」

ん~~。

「…変わらないと思います。」
 
だけど、だけど…。
 
「…でも太るのがとても怖いです。」


「太っても朝野さんの
価値は変わらないのに
なんで太るのが怖いんだろうね。」

それは…。
多分…きっと…。
 
そういう経験をしたからだ。

太った時期に傷ついたり
嫌なことがあったり…。
自分に絶望した経験があるからだ。
 
きっと
過去の体験が、
私に太ることを許さないんだ。
 

可愛くて痩せてる子はモテた

 
昔から私の周りには
可愛くて
スタイルが良い友達が多かった。
可愛い上に、
社会的に裕福で
才能にも恵まれていて。
もちろん、自分が
可愛くないことは小さい頃から
自可愛くないことは
小さい頃から自覚していた。
 
そして、
可愛くて痩せている子は
モテた。
小学生の時も中学生の時も
高校生の時も大学生の時も。
社会人になっても。

小中学生の頃、
自分が好きだった男の子も
手足が細長い
可愛い子が好きだった。
可愛い子の周りには
自然と人が集まった。

私を本当に好きな人なんて
いなかった。
可愛くないから。
 
きっと可愛い子は
こんな悲しい気持ちになったり、
独りぼっちになったり、
容姿をけなされて
傷ついたりしたことも
ないんだろうな。
可愛い子は無条件で愛されるんだ。
そう思っていた。

好きな人ができても
どう接していいか分からなかった。
緊張して自分が出せず、
ぎこちなくなってしまう。
だって、
ブスでブタだから。

私もみんなみたいに
可愛くて
スタイル良く生まれていたら…。 
何度もそう思った。

だけど、顔は変えられない。

これ以上ブスにならないために
体型だけでも
どうにかしたほうがいい。
痩せたほうがいい。
私みたいなブスな子は
太ったらいけない。
太ったらさらにブスになって
傷ついてしまうから。

その想いは
大人になっても変わらなかった。



でも。もし…。

例えば太った時期に
アパレルの彼に振られずに
今でも仲良く付き合ってたら?
太ったことを
気にしていただろうか…?

分からない。
分からない。

だって、もう
そんな未来はやってこないから。

「今日はここまでにしましょうか。
よかったらその答え、
次の診察までに
考えてきてもらってもいいかな?」

混乱しているのが伝わったのか、
日高先生は考える時間をくれた。

「…はい。」

こうして、
入院して初めての
本格的なカウンセリングが
終わった。
 
まるで言葉の滝修行のようだ。
頭の中でたくさんの
水量を浴びた気分だった。
 
だけど、おかげで
凝り固まった何かが
流れているような感覚もした。


そして。

「太ったら何がいけないの?」

日高先生のこの問いかけは
『食べるのが怖い、太るのが怖い』
という思考に陥る度に、
私の心に投げられた。

心のコートに入った
その言葉のボールを
なんとか日高先生のコートに返す。
偏った考えをしている時は、
その思考を修正するための
言葉のボールが
私の心のコートに投げ返された。

入院中、
こうして日高先生と私は
何度も何度も
言葉のラリーを繰り返した。
 

太って傷ついた過去が
私に太ることを許さない


ん~。
なんでだろう…。

診察が終わり、
午後のOTが始まった。
黙々と作業をしながら
日高先生の言葉を頭で繰り返す。

“みんなと同じように
朝野さんが太ったとしても
朝野さんの価値は変わらないのに、
なんで太るのが怖いんだろうね。”
 
そうだ、
私もみんなと同じ。
太っても変わらない。
 
だけど、太った自分は
どうしても耐えられない。
許せない。

太ったら可愛くなくなってしまう。
ブスになってしまう。
好きな人に振り向いてもらえなくなる。
振られてしまう。
嫌われてしまう。
 
思春期の頃、好きな人に
振り向いてもらえなかった日々、
容姿で傷ついた日々を思い出す。
 
小学校時代、
毎日のように兄に
「デブ」「ブス」と言われ
蹴られていたこと。
中学時代、
誤送信で送られた
「花、あいつマジブス」という
容姿をけなすメール。
高校時代、
帰り道ですれ違った集団に
「おたふくみたい」と
笑われたこと。
 
今でも鮮明に覚えている。

容姿に傷ついた過去の私が
今の私にこう訴える。

『この容姿だから、
私は愛されないんだ。』と。

『デブでブスな私は
誰からも愛されない。』と。


あれ?

太っていると愛されない。
可愛くないと愛されない。

太っていると嫌われる。
可愛くないと嫌われる。

私は愛されない。
つまり、
愛されたい?
私は嫌われてる。
つまり、
嫌われたくない?
 
愛されたい。
嫌われたくない。

私が最も怖いこと


「二日前の宿題、考えてきたかな?」
 
「はい。」

宿題はもちろん、
『太っても朝野さんの価値は
変わらないのに
なんで太るのが怖いんだろうね。』
という問いだ。

「はい…。
合ってるか分からないですが…。」
 
「いいですよ。
思ったことを言ってくださいね。」

恐る恐る、
考えてきた答えを口にする。

「多分…。私、
人に嫌われるのが怖いんだと思います。」
 
日高先生が驚く。

なぜその答えに至ったか
子供の頃から
容姿で傷ついてきた経験を話す。

「…だったんです。
そういう経験から、
太ったら愛されない、
太ったら嫌われてしまうと
思ってしまうようになって。
だから、
太るのが怖いんだと思います。」
 
「それ!朝野さん、
それすごく大事な気づきですよ。」

日高先生がぴょこっと跳ねる。
小動物みたいで可愛く見えた。
 
「嫌われるのが怖い、がですか?」
 
「そうです。」
 
いつにも増して
力強い声が返ってきた。

 

その一言はあなたの全て?


 続けて日高先生は言う。
 
「それとね。
『悲しい経験があって
それが容姿のせいだと思った』
ということですが。
朝野さんが
言われたその言葉は、
朝野さんの全て
だったのでしょうか?」
 
「え?」
 
私の全て…?
 
「いやね、僕が思ったのは
朝野さんが人生のたった一部分、
ワンシーンを切り取って
『それが私の全てだ』
『容姿のせいだ』
と誇大に捉えてしまって
いるんじゃないかと思ってね。
現に今、彼氏さん
いらっしゃるでしょ?」
 
「はい。」
 
「今の彼氏さんは
朝野さんのこと何て言いますか。」
 
「可愛い…と言ってくれます。」
 
「いいじゃないですか。」
 
照れる。
 
「そうですね…。
誰かの一言は私の全て、
ではないですね。」
 
過去に負った心の傷が
少し癒されている気がした。

「一つが全てでない、
いい気づきですね。」
 
「…でも。それは今、
私が太ってないからかもしれません。
私が太っていたら、
過去の言葉を気にして
振られることに怯えると思います。」
 
そうだそう。

私は今太ってない。

太ったら嫌われる?


「あ、でも大学生の時、
すごく太った時期がありました。
でも、その時も社会人の
彼氏がいました…。
 
体型のことを指摘されても、
『痩せた女がいいなら
痩せた女と付き合えばいい!』
と謎に強気でした。
大学生というブランドに
自信があったのかな…。
 
あの時は太ることが悪いこととは
思ってなかったと思います。」
 
「いろいろ気づきがありましたね。」
 
「…はい、感情がぐるぐるします。」

「先ほど
『太ったら嫌われる』
『太ったら価値がなくなる』
と言っていましたが、
今はどう感じてますか?」

…。

「太ったからって
嫌われるわけじゃないし、
愛されないわけじゃない…
と思います。」
 
優しく微笑む日高先生。
その笑顔に
ちょっと泣きそうになる。

「先生、私  
人に嫌われるのが怖くて、
人に嫌われないように
生きてきたんでしょうね…。」
 
『!』という表情をする日高先生。

「朝野さん、
心理学卒業だったよね。」
 
「え、あ、はい。」

「アドラーっていう心理学者知ってる?
アドラー心理学。」
 
「あぁ、なんとなく…。」

「『嫌われる勇気』っていう本は?
朝野さん本、読むよね?」
 
「読みます。
だけど最近は仕事の本ばかりで、
心理学系は…。」

「ちょ、ちょっと待ってて…!」
 
ガタッ!
 
日高先生いきなり立ち上がり、
消えた。
 
ポカン…。

看護師さんと取り残された。
 


…ダダダダッ!
 
しばらくすると
本を抱えて戻ってきた。

「見当たらない本もあったんだけど、
これ、読んでみて。
次の診察までとかじゃなくていいから。
気が向いた時に。

そして、また思ったことを
聞かせてくれるかな?」
 
日高先生、なんか楽しそう。
 
「はい。」
 
あ。この青色の本、
本屋さんで見たことある。
よく置いてあるやつだ。
 
「室さん!」
 
看護師さんがぎょっとする。

「探しておいて欲しい本があるんだけど。
これとこれと…。」
 
そんなに一気に読ませなくても…
という表情の看護師さん。
 
日高先生が貸してくれた本には
『漫画で分かるアドラー心理学』
『アドラー心理学入門』、
そして青色の表紙には
『嫌われる勇気』
というタイトルが書かれていた。

「嫌われる勇気…。」
青色の表紙をなでる。
 
この時、
私が手に握ったのは
本という名の
新しい人生の扉を開く
『鍵』だった。
 
『アドラー心理学』は
私の生き方を
変えようとしていた。
 

薬が合わない2週間


体がムズムズする。
椅子に座るとお尻がムズムズ、
寝ていても背中がムズムズ。
体が浮いてる感覚もする。
 
あれから何度か
薬を変えてもらっているけど、
どうも調子が悪い。
ずっと体がムズムズして、
椅子にじっとしていられない。
変に動いてしまう。
 
神経を大きな力で抑圧され、
縛られているような気分。
 
それに
ずっと体が重い。眠たい。
頭はボーっとしている。
 
最初の一週間は
朝の集いやOT以外は
ほぼベッドで寝ていた。
 
これまでの疲れが
一気に出たのかもしれない。
だけど、それにしても
精神薬が効きすぎている。
 
今の私には
心を落ち着かすために
必要な薬かもしれないが、
体に合っていない。
毎日全身が気持ち悪かった。
 
日々のやるべきルーティンは
こなしていたと思うけど、
記憶が断片的にしか思い出せない。
自分じゃない自分が
生きていたんじゃないかと思うほど。
 
強い薬を与えられたことによって
精神薬の危険性をとても感じた。
自分じゃない自分になってしまう感覚、
あれは普通じゃない。
 
でも、この薬で
生活している人もいるんだよな…。
 
すでに異常をきたしている心に
強い薬を投与して、
さらに精神を抑圧して。
本来の自然体な自分を忘れて、
どうにか心を保って
生活している人たちがいるんだ。
 
身震いした。
 
‘心のお守り’にはなるけど、
やっぱり精神薬や睡眠薬は
使わないに越したことはない。
そう強く実感した。
 
精神薬がいらなくなるように
根本を変えよう。
心と考え方を変えよう。
自分で自分を
コントロールできるようになろう!
本来人間は、
自分の意思で動く生き物なんだから。
 
あらためてそう思った。


 
ムズムズと抑圧感が消えたのは
入院して3週間目のことだった。
やっと薬が合ったようだ。

だけど、
気持ちをゆっくり‘させられている’。
その違和感は
ずっと続いたままだった。
 

本当は食べたい


お昼12時。
 
「今日こそは食べるぞ!」
と意気込む。
 
献立表を見る。
 
【今日の昼食】
――――――――――
ホッケのみりん焼き
ビーフン
里芋の含め煮
甘人参
味噌汁
ごはん
ふりかけ
――――――――――
 
健康的だ。
どこにも太りそうな要素はないぞ。
ホッケのみりん焼きなんて
美味しそうじゃないか。
 
暗示をかけるように
自分に言い聞かす。
 
「朝野さ~ん、お昼で~す。」
 
看護師さんが病室に
昼食を運んできてくれた。
 
ゴクリ。
 
保温用の蓋を開ける。
 
そこにはOLが喜ぶ、
タニタ食堂の定食のような
料理が待っていた。
 
これを食べるのか…。
こんなに食べないといけないのか…。
 
また怖くなった。
だけど、頑張るのだ!
 
まずは、抵抗の少ない味噌汁を
ひと口飲む。
 
「美味しい…。」
 
箸を副菜にのばし、
ひと口ずつ食べる。
 
「美味しい…。」
 
そして、最大の難関、
ホッケに箸をつける。
 
ひと口食べる…。
 
「美味しい…。」
 
そうなのだ。
なぎ総合心療内科の食事は
病院食と思えないほど
味のクオリティが高い。
 
だけど。
食べた分だけ
体の肉になるんじゃないかと思って
怖くなる。
 
「飲み込んだらダメだ…!」
 
口だけもぐもぐ動かして
ホッケの身をティッシュに吐き出す。
 
もちろん、
お腹が満たされるわけない。
 
「なにをやってるんだろう…。」
 
だけど、
今の自分にはそれが精一杯。
 
美味しいし
本当はもっと食べたいと思う。
だけど、太るのが怖い。

太る恐怖が進む箸を止める。
 
泣きたくなる。
 
昔はこうじゃなかったのに…。
普段家で食べない
魚料理を出されると、
喜んで食べてたのに…。
 
今は、魚料理も怖い。
 
特に大きな固形になったものを
食べるのが怖かった。

少しでも恐怖心がなくなるように、
ホッケを細かくほぐす。
 
そのまま食べたほうが
美味しいことは分かっている。
 
だけど、今の私は
『美味しく食べる』ことより
『怖くなく食べる』ことのほうが大切。
 
飲み込んだり
吐きだしたりを繰り返しながら、
なんとか1/4、食べた。
 
ビーフンはなんとなく
太らなさそうな気がしたので
半分は食べられた。
 
「よし…。これで今日は限界だ。」
 
箸を置く。
ご飯は5粒食べただけで
こんもり残っている。
 
そして、
どのお皿にもおかずが残っている。
甘人参なんて、
あとひと口食べたら空になるのに。
 
実は、摂食障害になってから
お皿を空にするのが
怖くなってしまった。
 
なぜなのか分からない。
もしかしたら完食してないことが
食べたあとの後悔を減らし、
安心感につながっていたのかもしれない。
 
だから、どのお皿も必ず
ひと口は残っていた。
 
そして、
食べた量や中身に関わらず、
食べた後は
「あんなに食べてよかったの!?」
「食べ過ぎてしまったんじゃないか…。」
と食べた後悔が襲い、
「太ってしまうんじゃないか…。」
「どんどん太ってしまう…。」
と太る恐怖が心を覆った。
 
不安を解消したくて、
ジムで習った
ヨガやボディバランスを
気が済むまでやる。
 
入院して朝昼晩、
これを繰り返していた。
 
あんなに
食べることが大好きだったのに。
摂食障害になって
食べることは
楽しいことじゃなくなっていた。
 
もちろん、お腹は減る。
本当は食べたい。
だけど、
食べた分だけ、後悔する。
だから食べられない。
 
苦しかった。
 

顔のむくみ


朝、鏡で顔を見る。
 
「ん~~~。
今日もむくんでるな~。
いや太ったのかな?
大丈夫かな…。」
 
心配でたまらない。
 
昔から顔がむくみやすく、
朝起きると
顔や目がパンパンに
なっていることが多かった。
 
むくんだ顔を見る度、
太ってしまったんじゃないかと
不安になる。
 
「食べる量を増やしたから
太ったのかもしれない…。
どうしよう…。
これから
どんどん太っていったら…。」
 
たちまち恐怖に包まれていく。
逃げ出したい。
 
こんな顔じゃ、
デイルームにもいけないよ…。
みんなに笑われる。
 
どうにかしなきゃ…。
 
顔に拳を当てる。
 
 
グリッ、グリッ、グリッ…。
 
 
いつもの儀式がはじまる。
 

毎朝、執拗に顔面マッサージ


グリッ、グリッ、グリッ…。
グリッ、グリッ、グリッ…。
 
グリッ、グリッ、グリッ…。
グリッ、グリッ、グリッ…。
 
 
両手をグーにして
両頬に押し当て、
下から上へとマッサージする。
 
「今日はなかなか
むくみがとれないな…。」
 
グリッ、グリッ、グリッ…。
 
何度も何度も
マッサージを繰り返す。
 
5分ほどすると、
やっとむくみがおさまってきた。
 
「よかったぁ…。」
 
これは以前、
テレビで有名なモデルさんが
顔の引き締め対策としてやっていた
マッサージだ。
 
むくんでいる顔に試してみたら
意外にも効果的だった。
 
それから毎朝のように
むくむ顔をマッサージするのが
日課になった。
 
長い時は10分以上、
グリグリし続ける。
 
「あんた、やり過ぎよ。」
 
入院前、実家に帰った時は
母にそう言われていた。
 
「だってむくんでるんやもん。
太っとるんやもん。
マジ、私デブやん。」
 
「いやいや、花。
そんなむくんでないし
太ってもないよ。
あんた顔小さいとやし、
そんなゴリゴリする
肉もなかろうもん。」
 
自分だけが気になるのだろうか。
母の言葉が信じられなかった。
 
私には自分の顔が
パンパンにむくんで
ブサイクに見えた。
 
そして、
肌に負担をかけているせいだろうか。
最近、顔の頬に
黒いアザのようなものができはじめた。
自己流のマッサージは
あまりしないほうがいいとは
分かっている。
誤ったマッサージは
肌のコラーゲンを壊して
肌のたるみの原因にもなるから。
 
5年後、10年後、きっと
今の行為に後悔することになるだろう。
 
でも、どうしても
今のむくんでいる状況に耐えられず、
マッサージをしてしまう。
 
昨日も、今日も。
 
やめたほうがいいのに、
やめられない。

自分がとても太って見える


「どうしよう…。
やっぱり太ったよ…。
どうしよう…。」
 
朝。洗面所で
車いすのおばあちゃんと
歯を磨いていたら、
自分がすごくデブに見えた。
 
おばあちゃんは
こんなにほっそりしてるのに
私、ヤバいよ…。
 
OT中も体型のことが気になって
ずっと下を向いていた。
 
気分が乗らない…。
こんな私見られたくない。
 
「体調が悪い」と言って部屋に戻る。
 
体が重い。
やっぱり入院して動かなくなったから
太ったのかもしれない。
 
そういえばこのパンツ、
こんなにウエストきつかったけ?
 
おそるおそる
ウエストをさわってみる。
 
え?
めっちゃ脂肪ついてない!?
 
嘘!?
 
足元を見てみる。
 
足も太くなってる…!
 
どうしよう、どうしよう、どうしよう!!
 
そう思っていた時…。
 

コンコンコンッ。
 
母が面会にやってきた。
 
「ね、お母さんどうしよう…。
私めっちゃ太ってしまった…。」
 
「へ?何を言ってるの?
痩せてるやん。」
 
「痩せてないよ!!
すごい太った…!!」
 
「そんな数日で太るわけないやん。
大丈夫だから。
花、本当に太ってないよ。
むしろ痩せてるよ?」
 
何言ってるの?
 
「嘘つかないでよ!」
 
「嘘じゃないよ。」
 
「お母さんは嘘つきなんだから!」
 
私には自分がとてつもなく
太って見えた。
 
一刻も早くこの体から抜け出したい。
だけど、私と私の体は
一体になっていて、
どうしても抜け出せない。
 
「嫌だ、嫌だ、嫌だ!!!」
 
「花、落ち着こう。
薬、飲もう。」
 
心がパニックになった時に飲む
頓服薬をもらう。
薬に神経を抑えられ、
その日はそのまま寝て過ごした。
 
次の日、
恐る恐る鏡を見てみる。
 
すると…。
 
「あれ?昨日は
あんなに太って見えたのに、
今日は太ってない。
あれ?足も。
もしかしたら昨日、
体全体がむくんでたのかな?
 
でもよかった…。」
 
今日は、いつも通りの私だ。
安心した。
 
そう。
 
私は摂食障害になってから
体型をあるがまま
認識できない症状に陥っていた。
 
自分のことが
すごく太って見えたり、
逆に小さな人間に見えたり。
体の一部がむくんでいるだけなのに
それを認識した瞬間、
全身が太って見えたり。
 
時には食べ物が大きく見えたり
小さく見えたりした。
 
自分を見る心のレンズ、
食べ物を見る心のレンズが歪んでいた。
 
明日はどんな自分が
鏡に映るのだろうか。

ゴツゴツ骨ばった姿が嬉しい


あれ?
なぜだろう、
今日は自分がすごく痩せて見える。
 
腕は枝みたいに細い。
血管が浮き出ていて
手の甲は骨場ってゴツゴツしている。
 
…嬉しい。
 
手の甲を照明にかざす。
 より骨のゴツゴツが立体的に見える。
 
…嬉しい。
 
この手、写メに収めたいな。
 
過食が激しくなる前は
自分の痩せていく姿を
写メに収めるのが好きだった。
 
出っ張ったあばら骨、
浮き出た鎖骨。
 
昔の自分にはなかった
ゴツゴツが生まれてとても嬉しかった。
 
うーん。
お母さんが言ってたように、
私、痩せているほうなのかもしれない。
 
細い腕にうっとりする。
 
もっと
ゴツゴツした体になりたいな…。
 
また痩せたい願望が出てきた。
 

間違えていた、目的と手段

 
どうしよう。

せっかく入院しているのに
痩せ願望が出てくると
食事を制限したくなる。
少しでも炭水化物や糖を食べると
太る気がして、
またご飯が食べられなくなった。
 
だけど、
こう思ってしまう自分を
どうにかしたい。
 
日高先生に話をしてみる。
 
「先生、また
食べるのが怖くなりました。
痩せたい願望が出てきてしまって…。
食べなかった分、
痩せられるぞって。
少しでも食べたら
太ってしまうぞって。
だから、制限したくなるんです。
今日は朝も昼も
ほとんど食べられませんでした。」
 
「あら、そうですか。
そういえば、朝野さんって
ダイエットを始めたきっかけって
なんだったのかな?
まあいろいろあると思うんだけど。」
 
「そうですね…。
いろんなことが
重なってはいるんですが、
もともとは
キレイになりたい、可愛くなりたい、
でした。」
 
「うんうん。じゃあ、
キレイになるための手段として
『ダイエット』を選んだんだね。」
 
「そうです。」
 
「キレイになるためだったら、
他にもいろんな方法が
あったと思うんだけど。」
 
「まぁ…そうなんですけどね。
彼氏に浮気されて振られたんですが、
その時ちょうど体型に悩んでいて…。

『私が太っているせいだ』
『太って魅力が落ちたんだ』 
『痩せてキレイになるぞ!』
って体型のことしか
見えなくなってしまったんです。」
 
「振られたのが体型のせい、と
思い込んでしまったんですね。」
 
「はい。でも…。
もし、例えば振られた時に
肌にすっごく大きなシミがあったら、
シミのせいにしていたかもしれません。
そして今頃、
シミをめちゃくちゃ気にして
レーザー治療でもしていた
かもしれません。」
 
「ははは。たしかに
朝野さんならやりかねないな~。
あ、冗談ですよ。」
 
「やりかねないですよね(笑)。
でも…先生が言うように、
『キレイになりたい』ていう
目的だったら、
他にもスキンケアとか
内面を磨くとか
作法を学ぶとか
いろんな方法があったと思います…。

ダイエットを頑張っているうちに
痩せてることが私の全てだ、
みたいになっていました。」
 
…ん?
 
口にした自分の言葉に
ハッとした。
 
「『キレイでいたい』
という目的ではじめた
『ダイエット』
という手段がいつの間にか
目的になってしまったんですね。」
 
「…そうですね。
キレイになることじゃなくて
痩せることが
目的になっていました。
私、いつの間にか
目的と手段を間違えていました。」

やばいやん…。
なんでそんな風に
考えてしまったんだろう。

血の気が引いたような顔をしていると、
日高先生は微笑みながら言った。

「これからは
キレイになるための手段を
見直せそうですね。」
 
「…はい。」
 
手段から目的になってしまった
『痩せていたい』という気持ち。
私の心を占める
『痩せていたい』という気持ち。

これから
変えることはできるのかな…。
 

痩せている人がキレイ?

 
「それと朝野さん。
キレイな人って
たくさんいると思うのですが、
痩せている人が
本当にキレイなんでしょうか。
痩せていない人は
キレイじゃないのでしょうか。」
 
「えっ。」
 
日高先生の言葉が胸に刺さる。
 
「そう言われると…。
その人に合った体型があると思います。
モデルのローラは
あの引き締まった体がキレイだし、
元AKBの小嶋陽菜は
マシュマロみたいにふわふわした
柔らかい体が魅力的です。
 
近しい人で言うと、
私の友人は痩せているわけでは
ありませんが、
胸やお尻とか出るところは出ていて
ウエストは引き締まっていて、
すごく魅力的でキレイです。
男性は特に
惹かれる体型だと思います。」
 
「痩せているわけじゃないけど
ご友人のこと、
魅力的だと思うんですよね?」
 
「はい。とても。」
 
「じゃあ、朝野さんだって
痩せなくても魅力的に
なれるんじゃないでしょうか。
痩せることにこだわらなくても
いいんじゃないのでしょうか。」
 
…。
 
そ、そうだな。
 
でも、でも、でも…!
Instagramでフォローしてる、
ほっそり痩せた可愛い人の姿が
頭に浮かぶ。
あの子たちみたいに
痩せて可愛くなりたい。
 
「痩せている
朝野さんじゃなくても
朝野さんが好きなことをして、
好きなものを食べて、
無理にすることなく楽しく生きて、
その中で自然とつくられる
そのままの体型で
いいんじゃないんでしょうか?」
 
日高先生の言葉に
胸がギュッとする。
泣きたくなった。
 
そうできたら
どれだけラクになれるんだろう。
 

私らしさ

 
「そうですね…。
でも、それでも自分は
同年代のインスタグラマーみたいに
ほっそりした体になりたい、
痩せていたいと思ってしまいます。
そっちの想いのほうが
勝ってしまいます…。」
 
「もちろん、
もとから痩せ体質の人もいます。
でも…きっとその人たちは
朝野さんのような
無理はしていないと思うんです。

朝野さんには朝野さんに合った、
『キレイ』や『可愛い』が
あるんじゃないのでしょうか?
体型に捉われなくても
いいんじゃないのでしょか?」
 
…。

‐―-―-―-―-―-―-  
「花ちゃんの笑顔は可愛かぁ。」
祖母がよく私に
言ってくれた言葉を思い出す。

「花が笑うと嬉しいんだ。
だって花の笑顔可愛いんだもん。
僕、花の笑顔が一番大好き!」
昔長く付き合っていた
幼なじみの
あお君の言葉も思い出した。
‐―-―-―-―-―-―-  

≪花の笑顔は可愛い≫
 
もしかしたら
私の『可愛い』は体型じゃなくて、
笑顔なのかもしれない…。
 
「それに
’ほっそり痩せた人が可愛い’と
思うのは朝野さんの主観です。
今はそういう体型の人が
ブームなのかな?
時代や流行りによっても
理想って左右されるから。」
 
たしかに。
AKBや韓国のアイドル、
SNSが流行り出して
’痩せているほうが可愛い’という
傾向はあるかもしれない。
 
私も昔は小嶋陽菜みたいに
ふっくら柔らかい体型に憧れてた。
その前はローラみたいに
筋肉の引き締まった体に憧れてた。
 
いつの間にか
私の心にかかるフィルターが、
『痩せていることが正』という世界を
映し出してしまった。
 
このレンズを変えていかないと。
 
でも…でも、でも。
 
先生が言うこと
分かってはいるけど…。
 
自分のこととなると、
受け止められない。
痩せていないと
どうしても嫌だと思ってしまう…。
 
今は…分かっているのに
変われない自分が悔しい。
 
だけど…。
 
「そうですね。
私、周りや流行に流されて、
本来の自分を見失って
痩せることに捉われて
しまっていました…。
この考えをすぐに変えることは
なかなか難しいかもしれませんが、
少しずつ…少しずつでも
変わっていきたいです。
この偏った心のフィルターを
外していきたいです。」
 
「うん。もうね、 
そういう考えができることが
充分素晴らしいことですよ。

朝野さん、
好きなものを楽しく
食べられるようになるといいですね。」
 
日高先生は最後に
笑顔でそう言ってくれた。
 


私の小さく大きな願いを。
 

新患ミーティング


入院して初めての土曜日のこと。
平日と比べ、
ゆっくりした時間が流れる。 
 
土日はOTなどの活動はお休みになる。
また、希望を出せば
外泊や外出ができるため、
患者の数も半分くらいに減る。

病院で過ごす患者にとっては
退屈な週末。
他の患者が
家族と共に出て行く姿には
寂しさも感じる。
 
ちなみに、外泊や外出は
事前に主治医の許可が必要だ。
人によってはなかなかOKが出ない。
外泊中に体調を崩したり、
家族と揉めたり、
逃亡する可能性があるからだ。
 
デイルームでボーっとしていると
看護師の高瀬さんが呼びに来た。
 
「朝野さん、
今から新患ミーティングが
あるので一緒に行きましょう。」
 
「あ、そうでした!
すぐ行きます!」
 
隣の病棟をまたぎ、
エレベーターに乗って
ミーティングが行われる部屋へ
移動する。
 
初めて歩く場所や
知らない顔に戸惑う。
 
「新患ミーティングは
必ず4回受ける必要があるから、
外泊の許可がでても
ミーティングに参加してから
外泊をお願いしますね。」
 
「はい。」
 
入院して初めて
参加するミーティング。
少しドキドキする。

そこには十脚ほどの
患者用の椅子が円状に並んでいて、
すでに患者さんたちが座っていた。
患者さんの間には、
進行係の男性スタッフや
看護師さんが座っている。
 
焼酎が似合いそうなおじいさん、
中学生くらいのパジャマを着た女の子、
茶髪でヤンキーっぽい細い女の子、
不摂生なのが伝わる肥った男性、
ガンを飛ばす青年、
いろんな人がいた。
 
どこに座ろう…。
悩むぞ。
 
すると、
「朝野さん、こちらに。」
と案内された。

なんだろう。
新人の集まりだからだろうか、
迷子になった子どもの集まりみたいな
空気感がある。
 
なんでも参加回数に関係なく、
このグループには
1~4回目の参加者が
入り混じっているらしい。

私のように今日が初めての人もいるし、
今日で参加が最後の人もいる。

「では、時間になりましたので
新患ミーティングを始めます。」
 
真ん中にいる男性スタッフが
進行役のようだ。
 
「今日から参加される方は
挙手してください。」
 
手を挙げる。
 
「よろしくお願いしますね。
それでは、軽く自己紹介と
入院生活の目標を
話してもらいましょうか。
私から時計回りに。」
 
おぉ、急だな。
 
幸いにも3番手だ。
 

普通に食べられるようになりたい

 
みんなの自己紹介が始まる。
 
「浅田奈美です。
ん~。入院の目標は
朝ちゃんと起きること、
日中寝らずに
ベッドから起きて過ごすこと、
夜眠れるようになることです。」
 
へ?
それが目標?

拍子抜けした。
 
「頑張りましょうね。
よろしくお願いします。
では隣の方。」
 
「草津たける。」
 
足を貧乏ゆすりさせ、
攻撃的な目をしている。
 
「草津さんですね。
草津さんの
入院の目標はありますか?」
 
「ん~~そうやね、
すぐキレて暴言吐いたり
殴ったりしてしまうけん、
そこやね。」
 
本当、今にも誰か殴りそうな顔…。
なんでそんなに
イライラしてるのかしら。
 
「改善していきましょうね。
では次の方。」
 
私だ。
背筋を伸ばす。
 
「朝野花です。
入院中の目標は…。
上手く…
上手く食べられるように
なりたいです。
 
朝、昼、夜、
食べることを怖がることなく、
食べたことを後悔することなく、
普通に食べられるように
なりたいです。
 
そして…、
昔みたいに好きな人たちと
『美味しい』って言いながら
笑顔でご飯を食べたいです…。」
 
自然とその言葉が出た。
頭にはランチ仲間の笑顔が浮かぶ。
泣きそうになった。
 
「頑張りましょうね。」
 
「はい。」
 
そして、新入り以外の人たちも
自己紹介をしていく。
 
あ、お酒が好きそうなおじさんからだ。
 
「名前は、後藤繁。
入院の目標は、お酒をやめて
家族に会えるようになること!」
 
やっぱりおじさん、
アルコール依存症なんだ。
 
次は金髪の子。
フラフラ体を動かせて落ち着きがない。
何も喋らない。
それにしても肌が白くて可愛いな。
 
一向に喋らない。
 
「山之内さんは、
今、薬でちょっとあれだから
飛ばしましょう。」
 
看護師さんがフォローに入る。
 
体調悪いのかな?
この子の目標、何なんだろう…。
 

普通

 
「田中ななです。
目標は…
学校に…学校に
行けるようになりたいです。」
 
小学生くらいの女の子が
一生懸命話す。
 
学校で何があったんだろう。
入院しなくちゃいけないほどの
何かがあったんだよね。
胸が痛くなる。
 
みんなの目標が続く。
 
「足がずっと痛いから
この痛みがなくなることが目標です。」
 
「ギャンブルから
抜け出して借金しないこと。」
 
「死にたい気持ちから
生きたい気持ちになりたいです。」
 

…。


「以上ですね。
皆さんありがとうございます。」
 
参加者全員の目標を聞いて
胸がギュッとした。
 
どの患者さんも
拍子抜けするくらい、
目指す目標が
『当たり前』のことなのだ。

「売り上げ10億円を目指したい」
「日本一になりたい」
会社のように数字や一番を
追うような目標でもない。
 
「漫画家になりたい」
「旅行をしたい」
輝く未来の夢でもない。
 
日常生活を送る上で
『当たり前』のことが
できるようになりたいんだ。
『普通』のことが
できるようになりたくて、
みんなここに来たんだ。
 
むしろ、
『当たり前』ってなんだろう?
『普通』ってなんだろう?
とまで思った。
 
そもそも
『当たり前』も『普通』も
ないのかもしれない。
 
あの人の目標は私にとって
『当たり前』にできること。
だけど、その人にとっては
きっととても難しいこと。

逆に私の目標、
「普通に食べれるようになること」は
みんなにとって
『当たり前』にできること。
だけど、私にとっては
とても難しいこと。
 
おそらく、
みんな過去に何かがあって
当たり前の『それ』が
できなくなっているのだ。
 
自己紹介が終わると、
自分の目標に対して現状どうなのか、
今抱えている問題を
どうやったら乗り越えていけるかを
みんなで考えることになった。
 

心と心がつなひきする

 
ミーティングの中で
印象に残った言葉がある。

アルコール依存症の後藤さんが
自分の胸の内を開いて
話してくれた時の言葉だ。
 
「なんかね、
心と心がつなひきするとたい。
 
酒を飲みたか自分と
家族と幸せに過ごしたか自分が。
 
心の底から
家族と幸せになりたいって
思っとるとよ。
だけど、どうしても
酒ば飲みたか気持ちが勝ってしまう。
ダメて分かりながらも飲んでしまう。
あとで後悔して
‘もうやめる’って決意するとに
また飲んでしまうとたい。
心と心がつなひきして
苦しい…。」
 
≪心と心がつなきひきする≫
 
その気持が痛いほど分かった。
 
周りの人も「そうそう」という
共感の表情を浮かべていた。

後藤さんの悩みに対して
様々な意見が交わされる。
後藤さんの表情が
少しずつ明るくなっていく。
よかった…。
患者さん同士だから
分かることがあるんだよね。

ここでは性別も年齢も関係ない。
過去の功績も成果も
地位も肩書きも職業も、
ここでは意味をなさない。
みんな変わらない、
同じ一人の人間。

だけど、一人ひとりから
学ぶものがある。

悩みを共有する大切さ

 
私の悩みには
あの狂気的な草津たけるくんが
意外にも真剣に答えてくれた。
 
「いや、俺思うとやけど
朝野さんは痩せとるけん、
もっと食べてよかよ。
むしろ食べたほうがよか。
な~んも怖がることなかばい。
あと10キロ増えても大丈夫ばい。
 
そげんみんな食べる時に
『俺、太るっちゃないか』とか
思い込まんよ。
もしさ俺がさ、毎食
『これ食べたら太るやか~』って
悩みよったら痛かろ?
 
それに料理人は
美味しさを追求して
料理ば提供してくれとるけんね。
 
食べたいから食べる。
美味しいから食べる。
気楽に考えちゃあ、どうね?」
 
気楽すぎて
笑いが出そうになった。
居酒屋で料理の担当でも
してたのだろうか。
思わず口元をおさえる。
 
でも、なんだろう…。
人に話すと
めちゃくちゃ大きかったはずの
自分の悩みが小さく感じてくる。
 
「そうですね。
ありがとうございます。」
 
本当はとっても小さなことかもしれない。
そもそも悩まなくてもいいのかもしれない。
 
そして。患者さんたちの
目標や悩みを客観的に聞いて
気づいたことがある。
 
それは
『自分はこうだからこうできない』
『世界はこういうものだから仕方ない』
という思い込みが
患者さんそれぞれにあること。

いろんな解決策や
可能性があるのに、
暗い箱の中に閉じ込められて
その狭い世界で
もがいている感じがした。  

分かっているけどやめられない。
こうしたいのにできない、と。
 
そして私も同じ。
思い込みや偏ったこだわりで
世界を小さく見ている。
暗い箱の中でもがいている。
…外に出なきゃ。
 
「では時間になりましたので、
今日で最後の方たちから。
今後の入院生活をどう送っていくかと、
新患ミーティングでの学びがあったら
教えてください。」
 
参加が4回目の方たちが話をする。
卒業していく人たちの言葉には
私たちとは違う、
未来に対しての希望や
ポジティブな姿勢を感じた。

私も4回目には変われてるかな?
 
新館ミーティング。
それは、
はじめて入院する同士が
悩みを共有し合うことで
共同体という意識を高めたり、
『変わるきっかけ』を
与えてくれる
大切な時間なんだと思った。
 
―――
 
そして後日…。
とても驚いた。
 
ヤクザのように攻撃的だった
草津くんが
とても穏やかな表情で
患者さんたちと歩いていたのだ。
思わず二度見してしまった。
声のトーンも柔らかくなって
楽しそうにお喋りしている。
 
私と目が会うと、
優しい笑顔で
「朝野さん、こんにちは」
と挨拶してくれた。
別人かと思うほどの
変わりように感動すら覚えた。

草津くんの心からは
すっかりトゲが抜け、
全身にこびりついていた
悪いものが消えているのが
分かった。

きっと良い先生や看護師さん、
患者さんに恵まれたんだろうな。
彼の成長がとても嬉しかった。
 
そして。
 
表情、声のトーン、物腰、性格…
短期間で人は
こんなにも変わるんだとびっくりした。
 


でも、これが本当の
草津くんの姿なのかもしれない。

『責任レベル』

 
私たち患者の行動範囲は
『責任レベル』によって
細かく決められている。
 
≪責任レベル≫
―――――――――――――――――――――
責任レベル1:病棟内安静
責任レベル2:病院内安静
       院内の散歩、売店利用、
       院内移動は
       看護師同伴ならOK
責任レベル3:病院内自由行動
       単独での売店利用OK
       食堂利用OK
       院内の散歩は
       患者さん同伴ならOK
責任レベル4:病院内自由行動
       単独での院内散歩OK
責任レベル5:病院内外自由行動
       院外散歩OK
       (許可範囲・時間制限あり)
責任レベル6:……
―――――――――――――――――――――
 
薬の服用に関しても
『服薬の自己管理レベル』という
ものが存在した。
 
≪服薬の自己管理レベル≫
―――――――――――――――――――――
自己管理レベル1:看護師管理
自己管理レベル2:一日分管理
自己管理レベル3:一週間分管理
―――――――――――――――――――――
 
『責任レベル』も
『服薬の管理レベル』も
患者の心身の快復とともに
上がっていく。
 
『責任レベル』2までは
看護師下管理かつ、
病棟から自由に出られないため、
行動がかなり制限される。
自由を感じられるのは
院内を一人で行動できる
『責任レベル』4からで、
患者は自然とそこを目指す。
 
レベルを上げるには
自己申請が必要だ。
週に一度行われる、
PSミーティングの最後に
申請する時間が設けられている。

PSミーティングとは、
病棟内の患者を
グループ分けして行われる
週一の反省会みたいなもの。

そこで何レベルになりたいのか、
なぜレベルを上げたいのかを話す。
 
レベルの申請をすると、
進行役のスタッフさんが
 「○○さんのレベルを
上げてもいいと思いますか?」と
みんなに投げかけるので、
賛同の場合は拍手で同意。
賛同できない場合は意見を述べる。
まるで小さな国会会議。
 
まず、本人の
‘こうしたい’という意志が尊重され、
その次に一緒に過ごす患者さん達と
主張を認め合うという
ステップが踏まれるのだ。
 
たまに賛同者が一人もおらず、
気まずいほどシーンとした
空気になる時がある。
それでも、ちゃんと誰かが
同意できない理由を述べる。

「岸田さんは見ていて
不安定なところがあるから、
一人で散歩に出るのは
まだ危ないと思います。」
 
発言される言葉に嘘や嫌味はない。
相手を想っての発言だ。
 
ボーっとしてそう見えて、
意外とみんな周りのことを
見ているし、心配しているし、
協力している。
 
そう。
入院して2週間も入院すれば、
ここの住民。
自然と仲間という意識が芽生えてくる。
コミュニケーションをしていなくても、
一種の絆のようなものが結ばれている。
 
私も
‘この人は大丈夫だろう’とか
‘よくレベル上げようと思ったな!’とか
‘家族の文句ばっかり言ってるから
心配だな~’とか、
いつの間にか真剣に考えていた。
 
そしてたまに
「レベル2から4に申請したいです。
理由は一人で
散歩したいからで~~~す!」
と飛び級申請をする強者もいる。
 
まさかと思うが翌日、
「梅林くん、
レベル4になりました。」
「わ~~~~い!」
本当に飛び級するからすごい。
 
私はまだレベル1。
早く自由に散歩がしたいな。
 
運動不足のせいで
太ってしまわないか、
心配でたまらなかった。

PSミーティング

 
初めてPSミーティングを受けたのは
入院して二週間目のこと。
一週目は薬の副作用で体が動かず、
どうしても参加ができなかった。
 
PSミーティングとは、
グループ分けされた病棟の患者と
病棟のスタッフで一週間を振り返る
ミーティングのこと。
PSのPは患者(Patient)のP、
Sはスタッフ(Staff)のSを指す。
 
円状に並べられた椅子に
患者が8人ほど、その間に
看護師や臨床心理士が4人ほどが座る。
後ろには長机が並べられていて、
作業療法士の女性スタッフも座っている。
 
最初はシーンとした
厳かな雰囲気に驚いた。
 
進行役である男性スタッフが
優しい口調で喋り出す。
 
「PSミーティングを始めます。
まず、ここでは何を話し合うか
教えてくれますか?」
 
数人が手を挙げる。
 
「では、町田くん。」
 
「自分の『責任レベル』はなにか。
『服薬の自己管理レベル』はなにか。
この一週間どうだったか、です。」
 
「そうですね。では春田さん、
『責任レベル』の中身を
教えてください。」
 
こうやって
ミーティングの目的を共有したり
責任レベルの確認をしたあとは、
新患ミーティングと同様、
軽い自己紹介と入院中の目標を
みんな話していく。
 
「では、本題に入りましょう。
自分の『責任レベル』と
『服薬の自己管理レベル』を
話したあと、
1週間どうだったか教えてください。
時計回りに話していきましょうか。
 
初めて参加する方は
今日は聞いていてくださいね。
もし参加できそうだったら
教えてください。
今週退院が決まっている時さんは
今日が最後ですので、
ミーティングの終わりに
入院生活の感想をお願いします。」
 
「はい。」

みんなのミーティングの様子を見守る。
 
「今週はずっと具合が悪くて
散歩にも出られなかった。」
「来週家族面談があるので
毎日ソワソワしていた。」
「恵梨香ちゃんと喧嘩した。」
「病院では普通に過ごせるけど
退院後の生活を考えると
とても不安になる。」
「コンビニに行った帰り、
パチンコに行きたくて仕方なくなって
誘惑に負けてしまった。」
 
それぞれ思い思いに
自分の一週間を振り返る。
そして
入院中の目標に対して、
自分が今どんな成長段階かを話す。
 
一人の話が終わると、
進行役のスタッフさんが
周りの患者さんに
「○○さんの
この一週間の様子について
何かあれば教えてください。」
と聞いていく。
 
話がある人は手を上げ、
発言者に対して
気になっていること
伝えたいことを話していく。
 
「最近部屋にいることが減って
デイルームで
見かけることが増えました。」
「困っていたら助けてくれました。」
「自分のことをダメだと言ってたけど、
僕は心優しい人だと思いますよ。」
「さっきの悩み、
こうしてみたらどうですか?」
 
みんなの優しい言葉に
難しい顔をしていた発言者の顔が
柔らかくなる。
 
患者さんに続いて、
座っているスタッフも発言者に
語りかける。
 
「元気になったきっかけって
何かあったのかな?」
「どうやったら
ご家族と反発なく話し合うことが
できると思いますか?」
「体の痛みと心の調子は
関係すると思いますか?」
 
スタッフに続いて、
長机に座っていた
作業療法士も発言していく。
 
「今週は集中してビーズで
創作されていて穏やかに見えました。」
「OT中に悩んでいたことは
あれから解決しましたか?」
「また何か悩んだら
OTの時間でもいいので
教えてくださいね。」
 
どんな発言も肯定的受け止め、
患者一人ひとりに
勇気を与えるかのように
あたたかい言葉を投げかける。

時に言葉に詰まる人、
涙を流す人、
体調を悪くして席を立つ人もいる。
それも全て
やさしく包み込む雰囲気が
ここにはある。
みんな自分の病気と向き合って
頑張っているんだ。

どんな病気を抱えていようが
どんな人もみんな一緒。
それぞれがそれぞれのために
役に立っている。
回を重ねるごとにその想いは
強くなっていった。

きっとこの感覚が
病院案内のパンフレットに
書かれていた『共同体』という
感覚なんだと思う。

一周したあと、
『責任レベル』と
『服薬の自己管理レベル』の
申請に移る。
 
「レベルの申請をしたい方
いらっしゃいますか?
挙手して何レベルになりたいか、
なぜレベルを上げたいかを
教えてください。」
 
みんなどんな理由を話すのだろう。
 
「一人で散歩しながら
退院のことを考えたいので
責任レベル4になりたいです。」
「コンビニに売店にはない
お菓子を買いに行きたいから、
レベル5になりたいです。」
「自分で薬を
管理できる自信があるから
服薬レベル2になりたいです。」
 
へぇ。
こんな些細な理由で
レベルの申請をしてもいいんだ。

申請が終わると男性スタッフが
「江藤さんのレベルを
上げてもいいと思いますか?」
とみんなに問う。
すると賛同の拍手が鳴る。


なんとなく
PSミーティングの流れが分かった。
 
最後に
今週末退院する患者さんから
入院生活の感想と
みんなに向けて一言が贈られる。
そして見送る側からも
はなむけの言葉が贈られ、
ミーティングは終了した。
 

孤独を感じている人が多い中、
このPSミーティングは
「自分はたしかにここに居て、
仲間とともに成長しているんだ」
と実感できる時間だと思った。
 
ただ入院をして薬をもらい、
共同生活を送るだけの生活なら
この感覚は得られないだろう。
 
ミーティングやOTなど
いろんな共同活動が毎日あり、
たまに怠いなと思う日もある。
だけど、
この病院の入院プログラムは
本当にすごいなと思う。
 
自分の存在を
なかなか自分では認められないけど、
他者から認めてもらうことで
心は救われるものだ。


そしてもう一つ、
病棟のみんなが
参加するミーティングがある。

コミュニティミーティング

 
同じ病棟で過ごす患者さん
全員が参加するミーティング、
それがコミュニティミーティングだ。

PSミーティングと同じく、
週に1回行われる。
心や病気と向き合う
PSミーティングと違って、
コミュニティミーティングは
主に共同生活について話し合う。
話されることは大きく3つ。
 
一つ目が、
病棟内での決まりごとの確認だ。
 
病棟内では『5つの決まりごと』
というものがある。
 
■5つの決まりごと
―――――――――――――――――――――
①    他の患者さんとの距離を保つ
②    金銭や物の貸し借りをしない
③    他の人の部屋には入らない
④    連絡先の交換をしない
⑤    危険物・携帯およびカメラ機能の
  あるものは持ちこまない
―――――――――――――――――――――
 
進行役のスタッフに当てられた人は
『5つの決まりごと』の
どれか一つを答え、
なぜその決まりごとを
守る必要があるのかを話す。
 
最初の頃は、
毎週確認する必要あるのかな?
と思っていたけど、
共同生活をしていくうちに
『5つの決まりごと』を
守れていない人が
意外と多いことが分かった。
特に、②や④については
守れていない人が多い印象がある。
 
きっと毎週共有することで、
今決まりごとを守れていない人が
‘ヤバい’と気づいたり、
緩んだ気持ちを引き締めたりする
きっかけになるのだろう。
 
二つ目が、
共同生活で気になることの共有と
それに対する解決策の話し合いだ。

出された意見や要望を
どうやったら改善できるか、
みんなで考えて
折り合いをつけていく。
 
議題については
直接その場で挙手して発言してもいいし、
病棟には意見箱が設置されているので、
匿名で意見や要望を書くこともできる。
共同生活のことだけでなく、
看護師やスタッフ、
病院に対しての意見・要望も
受け付けている。
 
「トイレットペーパーが
なくなってきたと気づいた人は
ちゃんと補充して欲しい」
「洗面台をキレイにしても
気づいたらすぐ汚れている」
こういう些細な意見から、
「トレイでたばこを吸っている人がいた」
「看護師の○○さんの態度が気にくわない」
少しヘビーな意見と様々。
 
出た意見や要望を
どうやったら改善できるかを
みんなで話す。
 
洗面台問題は入院中、
何度も意見が出た。
その度、「使ったらつど拭く」。
そのシンプルな解決策に落ち着く。
しかし、キレイなのは
最初の3日くらいでまた汚れてくる。
家と一緒だ。

素行のいい患者さんが多い時は、
洗面台はキレイに保たれていた。
洗面台には人が出る。
 
もちろん、話されるのは
改善点ばかりではない。
意見箱には時に
「○○さんの
こういうところがいいから、
みんなも見習うといい」
というような、
相手を肯定しながら
病棟の士気をあげる意見も
書かれていた。
 
こうやって
みんなの気持ちを共有し、
不満をつど解消していくことが
円滑なコミュニケーションや
安心安全な共同生活を送ることに
つながるんだと思う。
  
三つ目が、
病院で行われるイベントや行事の共有だ。

なぎ総合心療病院では
夏には七夕のお祭りや夏祭り、
冬はクリスマス会や
餅つき大会などがある。
 
夏祭りでは浴衣の貸し出しが行われ、
院内に出展された屋台で
お祭りを楽しめる。
 
そういった行事の参加の確認や
締め切りなどの共有が
ミーティングの最後に行われた。
 
特にイベント事は親元を離れて
入院生活を送る子どもたちの、
楽しみやモチベーションにつながる。
 
私は『責任レベル』が低いため
参加ができなかったが、
イベントから帰ってくる
子どもたちの笑顔は
キラキラ輝いていた。
 
とっても嬉しそうに
感想を話すその表情からは
普段のネガティブな影が消え、
明るくて可愛くてピュアで。
イキイキとしていて。

‘これが本来の
この子の姿なのかもしれない’
と思うと、
嬉しくもなったし
切なくもなった。

栄養管理士のサポート

 
「よし!
今日こそ食べるの頑張るぞ!」
 
気持ちは強く意気込んでいるものの、
現実は上手くいかなかった。
 
出されたご飯を
食べればいいだけなのに、
それが難しいのだ。
ご飯を目の前に出されると
何を食べていいのかが
分からなくなる。
 
相変わらず、
お米はひと口、ふた口。
麺やパンもほぼ手がつけられない。
おかずは野菜なら食べられるけど、
じゃがいもはダメ。
肉や魚は
とてつもなく大きな塊に見えた。
炭水化物、肉、魚は
私にとっては『怖い食べ物』だった。
 
日高先生に相談をする。
 
「先生、食事の度に
‘出たもん食べるだけや’と思うんです。
だけどいざ、
ご飯が目の前に出されると
本当に食べて大丈夫なのか、
何を食べたらいいのか
分からなくなって。
気持ちが混乱してしまうんです…。
食べたら太ってしまうんじゃ
ないかと思ってしまって…。
食べても大丈夫なのでしょうか。」
 
アホなことを聞く患者だ。
 
「もちろんですよ。
病院のご飯は患者さんの
健康のことを考えて
つくられているから。
朝野さんの場合、
‘食べていいんだ’という安心感が
あればいいですよね。」
 
「たしかに…。
食べても太らないっていう
安心感があれば
怖くなくなるかもしれません…。」
 
「そうだ。
管理栄養士がいるから、
朝野さんの食事のサポートを
してもらいましょうかね。」
 
「管理栄養士?」
 
「うん。病院の献立も
彼女が考えてくれているんです。
週に一回、
食事に対する偏った考えや
食べる不安を解消する
ミーティングみたいなものを
しましょうか。
きっといろいろと
アドバイスくれると思いますよ。」
 
優しい…。
日高先生、優しい!!
 
「ありがとうございます。」
 


本当、至り尽くせりな病院。
日高先生に感謝だ。

 

栄養の勉強


日高先生が管理栄養士を
紹介してくれると言ってくれた
数日後。月曜の夕方。
 
コンコンコンッ。
 
部屋でゆっくりしていると
ドアをノックする音がした。
 
「こんにちは、朝野さん。
私、管理栄養士の酒井優子です。」
 
小柄で少しふっくらした
可愛らしい女性が入ってきた。
笑顔は少女のように朗らか。
 
「こんにちは、朝野花です。」
 
管理栄養士というと
華奢でシャキッとした女性を
イメージしていたので、
ぬいぐるみのような
癒し系の酒井さんに安心した。

痩せている人を見るのは
好きじゃない。
 
「あっちのお部屋に行きましょうか。」
 
2人で面談室に入る。
 
自己紹介がてら、
病気になった経緯と今どのくらい
食べられているかを話した。
 
「日高先生から事前に
『何を食べていいか分からないので
食べても大丈夫なもの、
食べ物の栄養について教えて欲しい』
と伺いました。
なので今日は
これを持ってきたんです。
一緒に見てみませんか?」
 
酒井さんは微笑みながら
≪「5大栄養素」って?≫
と書かれたプリントを配ってくれた。
 
小学校の時、
家庭科で習ったような気がする。
懐かしいな…。
 
「まず今日は、なんで
私たちは食べるのかということ、
食べ物の栄養が私たちの体に
どう関わっているかを
知って欲しいなと思って。」
 
優しい笑顔。
酒井さんは保険の先生のような
不思議な安心感がある。
 
冒頭の文章から一緒に読んでいく。
 
(参考資料:管理栄養士さんが
      くれたプリントなど)
 
≪なぜ食べるの?≫
――――――――――――――――――――
なぜ、私たちは食べるのでしょうか?
おなかがすくから?美味しいから?
それだけではありません。
人間は食物から「エネルギー」をもらって
生きているのです。
朝起きること、歩くこと、走ること、
夜寝ることも、全てエネルギーが必要です。
そして、このエネルギーの全ては
「食べること」で作られているのです。
また、私たちの身体をつくっている
筋肉や臓器、骨などの組織。
それらも食物に含まれる栄養素によって
構成されています。
食事を摂り、
エネルギー源や身体をつくる成分となる
栄養素を摂取することは、
人間が生命活動を維持するために
不可欠なのです。
 
■5大栄養素って?
―――――――――――――――――――
栄養素は、
食物の中に含まれている
さまざまな物質のうち、
生命活動を営むため
人間の身体に必要な成分であり、
タンパク質、脂質、糖質、ビタミン、
ミネラルに分類されます。
―――――――――――――――――――
 ①糖質(炭水化物)
 糖質の一種であるブドウ糖は、
脳にとって重要なエネルギー源です。
 
②脂質
 からだを動かすエネルギー源であり、
体の細胞膜や神経組織、
 ホルモンの材料になります。
 
③たんぱく質
 筋肉や内臓、皮膚、髪の毛など
体をつくるもとになります。
 
④ビタミン
 体の調子を整えます。
 
⑤ミネラル
 体の調子を整え、
 骨や血液のもとになります。
――――――――――――――――――――
 
ふむふむ、
ふむふむふむふむ。
 
「朝野さん、
炭水化物は太るイメージが
あるかもしれないけど、
摂り過ぎがいけないのであってね。
決して炭水化物が
悪いわけじゃないんです。
太るわけじゃないんです。
むしろ、
元気に脳を動かすために
摂ったほうがいいの。
どの栄養も
私たちに必要なものだから。」
 
なんだろう。さっきまで
怖いと思っていた食べ物が
体に必要な食べ物かもしれない、
そう思えてきた。
 
なんて単純なんだろう。
 
私の歪んだ考えが
少しずつ変わっていく。

 

食べることは悪くない

 
「そうなんですね…。
炭水化物や糖や脂は
『食べると太る』と思っていました。」
 
「ノンノンよ。
脂も摂らないと
肌がカサカサになっちゃうわ。
脂質はね、少量で多くの
エネルギーを得ることができる
効率の良いエネルギー源なの。」
 
ふむふむ…。
 
「そっか。酒井さん、
なぜか分からないんですが
私、お肉や魚の塊を見ると
怖くなってしまって…
太ってしまうって思うんです。
でも食べたほうがいいんですよね…。」
 
「もちろん。
お肉やお魚はたんぱく質だから。
たんぱく質はね、
筋肉や内臓、皮膚や髪の毛、血液。
朝野さんの体をつくってくれる、
とっても大事な食べ物なの。
特に、たんぱく質のもとになる
必須アミノ酸は体内では
合成できないから。
だから、
食事から補う必要があるんです。」
 
「そっか…。
ダイエットをしだして
肌がカサついたり髪の毛が抜けたり、
血流が悪くなったのは、
たんぱく質が足りてなかったんだ…。」
 
「そうかもしれないですね。
タンパク質は
食べたほうがいい食べ物だから。
大丈夫ですよ。
 
最初は全部食べれなくても
1/3、半分とか
少しずつ頑張ってみてね。
もちろん、
全部食べて問題ないですよ。
 
太るんじゃなく、
朝野さんの栄養になるんだから。
人間の健康のために必要な栄養だから。
太らないから安心してね。」
 
「生理がこなくなったのも
痩せた…というより、
栄養が足りてなかったからでしょうか。」
 
「そうね~。
特に女性ホルモンのもとにもなる
コレステロールは、
動物性のたんぱく質だから。
 
いつか子どもが欲しいと思った時に
授かれるように、
お肉やお魚は毎日摂って欲しいかな。
摂食障害の患者さんは、
不妊で悩まれることが多いんです。」
 
子ども…。
今は想像できないけど、
私もいつか結婚して、
子どもを産みたい。
 
「そうですね!
頑張ってみます。
あと、何度も質問してすみません。
話が戻るんですが、
炭水化物って本当に本当~にっ、
太らないですか?」
 
「あはは。心配になるよね。
朝野さん、
炭水化物が糖質と食物繊維で
できていることは知ってる?」
 
「なんとなく…。
でも糖ってどうしても
太るイメージがあります。」
 
「糖質はね、
さっき言ったように
脳や体を動かすエネルギー源になるの。
ただ、摂りすぎると
エネルギーとして消費されずに
脂肪として蓄えられちゃうの。
だから食べたからって、
それですぐ太るものではないですよ。
一日に必要な摂取量の
範囲だったら太ることを
心配する必要もないと思いますよ。」
 
…!

そうなの? 

「そうなんですね。
ひと口でも食べたら
太るような気がしてました。」
 
「朝野さんの場合は
摂り過ぎを心配するより、
今は摂らなさ過ぎを
注意したほうがいいかもね。
 
ダイエットはじめて
体が疲れやすかったり
頭がボーっとする時ない?」
 
「はい。仕事でも
アイディアがでなくなったり、
集中力が続かなかったり、
視界が真っ白になったり。
それに体はずっと重いです。
でもストレスかと思っていて…。」
 
「ストレスもあるかもしれないけど、
もしかしたら
朝野さんの体や頭を動かす
エネルギーになる炭水化物が
足りてないのかもしれませんよ。」
 
「そう…なのかもしれません。
なんか摂ったほうが
いい気がしてきました…。」

…でも、でも、でも!
 
理解しようとするほど、
なぜか不安になる。
私ではない私が
理解するのを拒むように。

体重が増えた=太った、じゃない


 「でも、本当に朝も昼も夜も
茶碗一杯食べて大丈夫なんですか?」
 
まだまだ不安が消えない。
 
「大丈夫よ。
きっと動きやすくなって頭も働いて
前より体がラクになると思いますよ。」
 
迷うことなく笑顔で話す酒井さん。
その笑顔に不安が吸収されていく。
 
「そうか…。そうなのか。
これからちょっと頑張ってみます。
 
『食べることは、体重が増えること』
ではないんですね。」
 
「そうよ!朝野さんすごいわ。
そう思ってもらえただけでも
今日は嬉しいです。」
 
酒井さんが無邪気に笑う。
 
「それにね、
『体重が増えた』から『太った』
ということではないんですよ。
体重が増えることは
悪いことじゃないんです。」
 
「えっ?」
 
酒井さんは、
私の体重と身長からBMIを計算し、
≪BMI値16以下、低体重≫と
紙に書いてくれた。
 
「自覚はないかもしれないけどね、
朝野さんは今、『低体重』なの。
どちらかというと不健康なほう。
だからね、
体重が増えても
『太った』じゃなくて
『健康になっている』ってことなの。
喜んでいいことなんです。」
 
酒井さんの言葉にグッと熱がこもる。
 
「朝野さんには
ここをしっかり逃げずに
考えて欲しいな。
ここが理解できないと
体重が増えた時に
また痩せようとしてしまうから。」
 
酒井さんの真剣な眼差しに
思わず手に持っていた
スケッチブックを広げた。

そして、用紙に大きくこう書いた。
 
――――――――――――――――
「体重が増える」=「太った」×
「体重が増える=健康になっている」◎
――――――――――――――――
 
「そうよ、朝野さん!
健康になるために食べるの。」
 
「はい。」
 
≪体重が増える=健康になっている≫
の下に
≪健康になるために、食べる≫
≪食べるとは、健康になること≫
と書き足した。
 
「そう!
書いてくれただけでも嬉しいわ。
食べることが怖くなった時は、
ここに立ち返ってみてくださいね。」
 
「はい。ありがとうございます。」
 
酒井さんと話した一時間。
 
たったそれだけで、
私の偏った考えが
大きく修正された気がした。
 

書いて頭に入れる

 
部屋に戻って
スケッチブックを広げる。
 
――――――――――――――――
「体重が増える」=「太った」×
「体重が増える=健康になっている」◎
健康になるために、食べる
食べるとは、健康になること
――――――――――――――――
 
リピートアフターミー。
 
「体重が増えるということは
太るということではない。
体重が増えているということは
健康になっているということ。」
 
そうだそうだ!
 
「私は健康になるために食べるんだ。
食べると健康になれるんだ。」
 
そして、スケッチブックの
空いているスペースに
今の自分の裸を描いてみた。

そこには
頬がこけ、あばらが出て、
胸がぺしゃんこの
ガリガリな私がいた。
顔は泣いていた。
 
「がい骨だな…。」
 
イラストにしたら、とても醜かった。
 
「本当はどうなりたかったんだっけ…。」
 
今の自分の隣に
『なりたい自分』を描いてみた。
胸がふっくらしていて、
全体に程よい肉付きがある。
だけど絞まるところは絞まっている。
そして、
その顔は笑っていた。
 
そうなのだ。
もともとふくよかで筋肉質な私は、
ほっそりしたアイドルのような
体型になるのは難しいと思っていた。

どちらかというと
小嶋陽菜のように、
マシュマロのような
柔らかい体型に憧れていた。
 
なのに。
InstagramなどのSNSを
活用しだして、
いつの間にか
同年代の痩せていて
可愛いインスタグラマーに
惹かれるようになった。
筋肉質の自分にはない、
棒のような細い足、
脂肪のついていない体が
羨ましいと思うようになった。
 
でも、やっぱり。
私の体質には
合っていなかったのかもしれない。
 
正常な判断ができていた時の
『なりたい自分』が
ちょうどよかったのかもしれない。
 
無理をし過ぎた。
いつの間にか
こんなに不健康な体に
なってしまっていた。
 
でも、大丈夫だ。

これから食べて健康になるんだ。
食べても太らないんだから。
 
大丈夫。

≪炭水化物は悪≫の後日談


これは、ずっと後の話だ。
久しぶりに笑子ちゃんと再会した。
相変わらず元気で笑顔が可愛い。
 
「笑子ちゃん、
前ね、糖やお炭水化物を抜いて
タンパク質中心の生活をしてるって
言ってたやん?今も続けてるの?」
 
笑子ちゃんは、
何のこと?みたいな顔をしている。
 
「あ~~~!あれね。
もうとっくに辞めたわぁ。 
最初は調子良い気がしてたんやけど、
なんか途中からフラフラしてきて。
花ちゃんと会った後、
急に顔も老けたんよ。
 
なんだかんだ、
バランス良く食べるのが
やっぱり体にええと思うわぁ。
炭水化物も摂ったがええわ。」
 
へ?
そうだったの?
 
なんだ…。

とっても拍子抜けした。
 
笑子ちゃんにとって、
炭水化物抜きは
一時のブームだったんだ。
 
「あははは。そうだね。」
 
なんか笑えてきた。
  
私、なんであの時、
笑子ちゃんの言葉をあんなに
信じ込んでしまったんだろう。

≪炭水化物は悪≫
なんでこの一言に
固執してしまったんだろう。
 

…ある意味、すごい。
 
「美味しく食べるのが一番だね~。」
 
そう言って笑子ちゃんは、
糖と炭水化物でできたお菓子を
隣でボリボリ食べていた。



満面の笑顔で。 

病室からデイルームへ

 
酒井さんとのミーティングを受け、
気持ちが入れ替わった。
 
「食べることは良いことなんだ!
よし!みんなとご飯食べるぞ!」
 
人が食べている姿を見たくなくて、
食べている姿を見られたくなくて、
個室でご飯を食べていた。
だけど、前に進むために
デイルームで食べると決めた。
 
翌朝。
 
「高瀬さん、ご飯なんですけど
今日からデイルームで
食べていいですか?」
 
体重を測りにきた
看護師の高瀬さんに尋ねる。
 
「あら、朝野さん!
もちろんよ!
お昼からできるように
対応しておきますね。」
 
嬉しそうに微笑む高瀬さん。
そう言えば、
はじめて配膳してくれたの
高瀬さんだったな。
 
12時。配膳の準備で
ザワザワするデイルーム。
ドキドキしながら
空いてる椅子に座る。
しばらくすると高瀬さんが
昼食を持ってきてくれた。
 
「今日から朝野さんも
一緒に食べるから
みんなよろしくね~。」
 
「は~い。」

はじめてのデイルームランチ 。
今日の献立は、なんと…!
 
【今日の昼食】
―――――――――――――――
親子丼
餃子
野菜のスープ
みかんゼリー
―――――――――――――――
 
蓋をあけて愕然とした。

驚愕…。
お米の玉手箱、
丼ものだ。

なぜなんだ。
なぜ、最初から難関なんだ。


カタカタカタカタ…。

みんな黙々と食べている。

「親子丼うめ~~!」

そりゃうめぇだろ。
親子丼なんだもの。

実は、親子丼が大好きだった。
大学時代は食堂で
週に2回は食べていた。 

もう過去のことだ。


痩せている患者さんも
キレイに親子丼を平らげていく。

信じられない。
このお米の富士山をものともしない。 
次々みんな完食していく。
 
すごい。
みんな怖くないんだね。
お米も怖くないんだね。
 
そっか、そうだ。
食べていいんだよね。
体の栄養になるものだから
なにも怖がることないんだ。
 
鶏肉に箸をつけ、
口に運ぶ。
 
うん、美味しい…。
 
大丈夫。
これは私の筋肉や血液を
つくってくれる大切な栄養なんだ。
 
今日は吐き出さないぞ。
 
ゴクリと飲み込む。
 
次に…お米をすくう。

5粒、口に運ぶ。
 
大丈夫。
これは私のエネルギーに
なるんだから。
 
食べるものに
どんな栄養や働きがあるかを
呟きながら食べる。
 
大丈夫。

食べても太らないから。
これは栄養なんだ。
食べることを怖がる必要はないし、
食べたあと後悔する必要もないんだから。
 
そう自分に言い聞かす。
もうひと口。
 
だけど、              
次第に心が苦しくなってくる。
 
…やっぱりダメだ。
丼ものになると余計に
お米が怖く見えた。
 
なんとか親子丼の鶏肉部分は
5割食べられたけど、
お米は少ししか食べられなかった。
 

人と食べる


はぁ…。
やっぱりうまく食べれない…。
そう落ち込んでいると、
 
「近藤さん、そのゼリー残すの?」
「うん。今日はいいかな。」
 
「えっ、食べないなら僕にくれる?」
「いいよ~。」
 
「わ~い!ラッキー!」
「幸太君、本当食いしん坊だよね。」
 
「だってみかんのゼリーだよ?
美味しいもん!
食べないともったいないもん!」
 
可愛い。子どもって
好きなだけ食べられていいな~。
いっぱい食べて
もっと大きくなってね。
 
食べることは
上手くいかなかったけど、
みんなと食べると
気持ちがちょっとラクになるな。
 
人と食べるのっていいかもしれない。
 
この日を皮切りに
朝食、昼食、夕食とも
デイルームで過ごすようになった。
 
周りが当たり前のように
ご飯をパクパク食べている姿を見ると、
「食べることは
悪いことじゃないんだな」
「全部食べてもいいんだな」
と歪んだ考えが修正されていく。
 
一日一日、
少しずつだけど
食べる量も増えていった。
 
それに献立表には
毎食のカロリーが表示されているので
‘食べても大丈夫’
という安心感につながった。
 
だけど…。

どうしても
茶碗一杯のご飯が食べられない。
 
≪炭水化物は悪≫
 
長年頭に刷り込まれた、
悪魔のささやきが邪魔をする。
頭では理解しているつもりなのに、
食べたらすぐ脂肪になって
太ってしまう気がした。
 

昨日より一粒多く食べれた


酒井さんとのミーティングは
毎週月曜の夕方に行われた。
 
「お米が怖いという感覚が
なかなか治らなくて…。
頑張っても30粒ほどしか
食べられません。」
 
「え、前より
食べられてるじゃないですか!
前は全く食べられなかったか、
食べてもひと口って
言っていましたよね。」
 
「はい。
3口くらいには増えました。
ひと口10粒で30粒。
米粒ととても
小さな戦いをしています。」
 
「頑張ってますよ~!
人それぞれ向き合うことは
違いますから、
朝野さんにとっては
大切な戦いです。
 
それにどうでしょうか?
『~しか』って考えるよりも
『~も』って考えたら。
 
30粒しか食べられなかった、
じゃなくて
30粒も食べられた!って。」
 
30粒も食べられた…?
 
たしかに。
 
「そうですね。
『~しか』より『も』のほうが
成長した感じがするし、
ポジティブですね。
そう考えてみます!
ありがとうございます。」
 
「いえ。昨日より
食べられるようになった自分を
認めてあげてくださいね。」

「はい。」
 

 
その日の夕食。
 
31粒を目指してみることにした。
 
「1、2、3…31!っと。」

米粒を取り分ける。
隣では子どもたちが
不思議そうに見ている。
 
いいんだ。
人それぞれ向き合うことは違う。

「よし!」
 
ゴクッ。
 
31粒が一つになった、
お米の結晶を口に運ぶ。
 
モグモグ。
 
口の中であっという間になくなる。
 
「…食べられた!
あれ?怖くない…。」

 
夕食を片付けて
急いで部屋に戻る。

スケッチブックを広げ、
≪31粒も食べられるようになった≫
と大きく書いた。
 
「すごい!ひと粒、前進したぞ!」
 
成長が目に見えて嬉しい。
 
こうして、
私は少しずつ食べる自分を
文字にして認める練習をした。
 
スケッチブックには
「60粒食べられた!」
「お魚完食!」
「パン1個食べられた!」
いろんな食べられた思い出が
溜まっていく。
 
正直、‘炭水化物が怖い’
という気持ちは
常に心のどこかにある。
 
だけど、
酒井さんとのミーティングや
スケッチブックの見直しを
繰り返すことで、
≪炭水化物は悪≫
という間違った考えは
自然と抜けていった。

スケッチブック治療


私と日高先生との診察には
いつも
スケッチブックがあった。

きっかけは、
日高先生から与えられた課題を
上手く言葉にできず、
スケッチブックに想いを
図解して書いてきたことから始まった。
 
「先生…自分の気持ちを
上手く整理できなくて、
イラストというか
図解して考えてみたんです。
見てもらえますか…?」
 
「おお、ぜひ見せてください。」
 
「はい。」
 
想いを言葉とイラストで
書き散らかした
スケッチブックを広げる。

先生の目が点になった。
 
「え?これ一日で書いたの?」
 
「え、はい。
一日というか1時間くらいで。」
 
「…すごいですね。」
 
「何がですか?」
 
「いや、普通の人は
こんなに書けないよ。
想ったことをこんなに
カタチにできないものだよ。」
 
「そうなんですか?
普通ですけど。
仕事柄でしょうか…。」
 
「才能だよ。朝野さんの。」
 
「はぁ。ただの習慣ですよ。
私、昔から
『自分の気持ちを口で伝えること』が
苦手で。小学生の頃から
自分の気持ちや感じた想いを
文字にして書いていたんです。
紙の上だったら
自分の気持ちを言えたので。」
 
日高先生は何かに
気づいたような顔をしている。

「そうですか!
朝野さん。
よかったらまたこうやって
書いて見せてくれますか?」
  
「もちろんです。」
 
これを機に、
日高先生と私の
スケッチブックを使った
摂食障害の治療、
もとい、
生き方を見直す
カウンセリングが始まった。
 
日高先生は
私がスケッチブックを使って
課題に対する想いを話すと、
いつも嬉しそうに聞いてくれた。
それがとても嬉しかった。

そう。
 
日高先生はすぐ私に
『書く力』があることを見抜き、
『書く力』を治療に
活かしてくれたのだ。
 
そして、私の『書く力』を
ずっとずっと、信じ続けてくれた。

心に住む2匹のモンスター


ある日の診察中。

「先生、話は変わるんですけど、
私の心には
2匹のモンスターがいるんです。」
 
「モンスター?」
 
「はい。」
 
ページをめくって、
2つのヘンテコなイラストを見せる。
 
「右の子が
『食べたら太るぞ』
『食べたら後悔するぞ』と
私の心を恐怖で満たして、
私を拒食症にするモンスター。

それと逆で、左の子が
『食べろ食べろ』『もっと食べろ』と
私の頭を食べることで満たして、
過食症にするモンスター。
 
で。絵にしたらほら、
こんなに可愛いんです。」
 
「ほんとだね。
朝野さんの絵は愛嬌があるね。」
 
「この子たちが心に住み着いて、
とても辛いはずのに…。
 
絵にして描いてみると
すごく可愛いんです。
可愛く描いているんです。」
 
スライムに手足が生えたような
キャラクターが笑っている。
 
「この子たちが
いなくなったらって
心の底から思うけど、
絵を見てたら
本当は悪い子じゃないのかも…
なんて思って。」
 
「そうですか。
でも、朝野さんが言うように
本当は悪いやつじゃないのかも
しれませんよ。

せっかくだからこの子たちに
名前を付けてみたらどうですか?」
 
日高先生も隣にいる看護師さんも
ニコニコしている。
 
「また見方が変わるかもしれないよ。」
 
面白いかも。
 
「ん~~、ん~~~。
あ…!
食べるのが怖い
『ガリガリモンスター』と
無限に食べてしまう
『パクパクモンスター』!」
 
我ながら、いい名前だ。
 
「おお、いいですね。」
 
「いやだ、なんかすごく可愛い。」
 
「あははは(笑)」
 
敵だと思っていた存在。
だけど、
敵じゃないのかな…
なんて思った。

敵じゃないなら?
何?
仲間?
 
いやいやいやいや…。
違うか。

でも…この子たちの存在を
『仲間』だと
認められたらラクになれるのかな。

それにしてもこのモンスターは
どこから生まれたの?
この子たちの正体は?



なぜ、私の心にいるの?

書く認知行動療法


日高先生が私にしてくれていた
心の治療は
『認知行動療法』だった。
 
人生の中で知らず知らず
身につけてしまった、
偏った考え方や思考。
私の場合、
特に体型への歪んだ考え。
それをカウンセリングを通して
修正していく方法だ。
 
日高先生は学ぶことが好きな私に
本をたくさん貸してくれた。
その中で得られたことを
話したり書いたりすることで、
偏ってしまった考え方や思考を
自分自身で気づき、
修正できるよう促してくれた。

日高先生から
与えられた課題に対しても
自分で考え、
自分の言葉で話すことで、
私は『偏った考え方』に
自分で気づき、納得しながら
健全な考えを
身につけていくことができた。
 
日高先生は病気ではなく、
いつの間にか傾いていた
私の人生を
修正してくれていたのだ。
 
おかげで
息苦しい生き方をしていた
自分に気づくことができたし、
モノの見方も広がったし、
世界のあらゆるものに
感謝できるようになった。
 
日高先生が担当医じゃなかったら、
きっと今の私はいない。

本当に日高先生に出会えてよかった。
 
大好きな先生だ。

彼との旅行、その後爆発

 
入院前から決まっていた
彼との旅行。
どうしても行きたかった。
 
親友の結婚式があるからと
嘘をついて、
なんとか外出許可をもらった。

入院初日から
「入院するのはいいけど
5月末の親友の
結婚式にはどうしても行きたい」と
話をしていたので、
信じてもらえたようだ。
 
彼とは公衆電話を使って
連絡をとっていた。
入院する前は毎週会っていたので
久々の再会を楽しみに、
入院生活も頑張った。
 
そして旅行当日。
 
「久しぶり!俊介君。」
「よ!花ちゃん。」

久しぶりの再会。
いつも通り接してくれる彼。
病気になったからって
何も変わらない。
変わらない彼が嬉しかった。
病気になった自分を
気にすることなく、
純粋に広島旅行を楽しんだ。
 
一日目は
旅行の一番の目的だった
サッカー観戦をして、
広島風お好み焼きを2回食べた。
二日目は
朝おしゃれなカフェでモーニング。
宮島に行って
もみじ饅頭や穴子のせいろ蒸しを食べた。

だけど…
ご飯の時に強引に
「食べろ食べろ!」と言われたり、
病気の話をすると
「考えすぎ!」と突っぱねられたりして、
ちょっと不快な気持ちになった。

俊介君なりの
優しさだったのかもしれないけど、
自分を否定されているように感じた。
 
それに、あまのじゃくな彼。
冷たいことを言ったかと思えば
急に優しくなったり。
かと思ったら、
またぶっきらぼうになったり。

何を考えているのか
よく分からないと思うこともあった。

でも、
小さな‘気になる’は
私が我慢すればいい。
久々のデートは
やっぱり楽しかった。

旅先には目移りするほどの
お土産がズラッと並んでいて、
つい気持ちが高揚して
たくさん買ってしまった。
看護師さんや日高先生、
家族にあげようと思い、
病院に持って帰った。

そして…、

その夜。
 


ガサガサッ…。
 
ガサガサガサッ…。



自分で買ったお土産で
過食してしまった。

食べたらダメだ!と思うのに
一度スイッチが入ってしまうと、
食べ始めると、
自分を止めることができない。

今まで我慢していた気持ちが
爆発したかのように
お土産を食べ漁ってしまった。


翌朝…。

空になったもみじ饅頭の箱、
せんべいの袋。

愕然とした。

「やっぱり食べ物があると
過食してしまうんだ…。」
 
涙が出た。
一瞬にして
自分のことが嫌いになった。
 
少しだけ身についてきた自信が
一瞬にして無くなった。
安定していた精神が
今にも崩れそうだ。

だけど、
幸いにも今日は診察の日。

「よかった…。」
 
一刻も早く日高先生に
この気持ちを聞いて欲しかった。

後悔が襲ってこないように
OTに集中したり
書き物をしたりして、
診察がくるのを静かに待った。
 

食べてしまう裏にある感情


「先生…。
昨日、とっても久しぶりに
過食してしまいました…。」
 
「あれ?なんで?
過食するほどの食べ物あったの?」
 
彼と旅行に行ったことが
バレないように
嘘をつきながら事実に近い話をする。

「昨日結婚式から
帰ってきたんですが、
先生たちにお土産を買ったんです。
それをほとんど食べてしまって…。
もみじ饅頭は箱にあった8個、
全部食べてしまいました。
日高先生の分まで…。

帰ってすぐ看護師さんに
預けたらよかったのですが、
まさか人にあげるモノを
自分で食べるなんて思ってもいなくて。

私やっぱり、
食べ物があるとダメみたいです…。
自分に失望しています。」

「そうですか。
なんでそんなに食べたのかな?」
 
「お腹が減っていたのかもしれません。」
 
「それなら食べられて
よかったじゃないですか。」
 
…。

それはそうだけど。
そういうことじゃない。

「でもお腹が減っていても、
全部食べる必要はなかったよね。」
 
そう。それなんだ。
 
「はい。そうなんです。
一度過食のスイッチが入ると、
おかしなくらい
止まらないんです…。」

「なんでだろうね。」
 
「分からないです。
自分なのに自分じゃないみたいに
食べてしまいます。」

「…。ちょっと待っててね。」
 
日高先生が姿を消す。
なかなか帰ってこない。
 
他の患者さんの診察は
大丈夫なのか?と心配になる。

すると日高先生は
『自分を大切にできない考え方を修正する』
という題目が書かれた
プリントを持ってきた。
 
その中の
≪考え方を修正するしくみ≫
と書かれた欄を指さす。

「周りにいろいろ
書いてありますが、
気にしないでください。
朝野さんが今回
過食してしまったことについて、
☆をつけた部分を
今考えてみましょうか。
 
プリントにはこう書いてあった。

 
≪考え方を修正するしくみ≫
―――――――――――――――
☆出来事

―――――――――――――――
☆その時浮かんだ自分の考え

―――――――――――――――
☆感情
(どんな感情をどの程度感じたのか)

―――――――――――――――
考え方のクセ
(当てはまるものに〇をつける)
一般化のしすぎ
自分への関連付け
根拠のない推論
全か無か思考
すべき思考
過大評価と過小評価
感情による決めつけ
―――――――――――――――
☆自分の考えの根拠となる事実

―――――――――――――――
自分の考えと逆の事実や例外となる事実

―――――――――――――――
自分を大切にする考え方

―――――――――――――――
新しい感情

―――――――――――――――
 
「『出来事』には
過食の原因となったと思う出来事を、
その下は
その出来事が起きた時に
浮かんだ自分の考えを、
という風に書いていきましょう。」
 
「はい。分かりました。」
 
☆の書かれた部分を
日高先生と話しながら書き込んでいく。

旅行に行ったことがバレないよう、
少し抽象的に書いた。

≪考え方を修正するしくみ≫
――――――――――――――――――――
☆出来事
結婚式の帰り彼が迎えにきてくれて
ご飯を食べにいったが、
「もっと食べろ!食べろ!」と
何度も言われた。
病気について話をしたら、
「考えすぎ」と突っぱねられた。
冷たい思えばいきなり優しくなったり、
ぶっきらぼうになったり。
――――――――――――――――――――
☆その時浮かんだ自分の考え
簡単に言わないでよ。
食べれるならとっくに食べてる。
そもそも食べることを
コントロールできたら入院してない。
ただ気持ちを話したかっただけ。
本当は何を考えてるの?
――――――――――――――――――――
☆感情
(どんな感情をどの程度感じたのか)
会えて嬉しかったはずなのに
嫌な気持ちになった。
分かってもらえなくて
悲しい気持ちになった。
なんで分かってくれないの!という
怒りの感情も少し感じた。
彼に対しての不安が大きくなった。
――――――――――――――――――――
 
「ここまで書いてみて
どう思いましたか?」

「ん~、
まだ分からないんですけど
もしかして食べてしまう時、
それ以前に
‘悲しい’とか‘不安’とか‘怒り’とか
ネガティブな感情になっている…
のかな。」
 
「それ、ヒントになりそうだね。」
 
「ヒント?」
 
「せっかくだから
今みたいな感じで
何枚か書いてみましょうか。
ここ最近、
過食した時のこと思い返して。」
 
「分かりました。」

「いくつか書いてみたら
共通点が見つかるかもしれません。
気づいたことがあったら
教えてくださいね。」
 
「はい。」
 
部屋に戻り、入院前に
過食した日々を思い出しながら
プリントに書き込んでいった。

その結果、
一つの事実にたどり着く。

悲しい、悔しい、寂しい、不安


「やっぱりそうだ!
すごい大発見をした気がする!」

すぐにでも
日高先生に言いたかった。
だけど、
朝の回診中は先生も忙しい。

それに入院患者は
2日3日に1回のペースで診察がある。
うずうずして次の診察を待った。
 
「先生、分かったんです。
過食する時の共通点が!」
 
「おお、分かりましたか。」

自慢げに書き込んだプリントを広げる。
 
「見てください!
これも、これも、これも!

過食してしまう行動の裏側には
自分のことを分かってもらえなくて
『悲しい、悔しい、寂しい、不安』
といったネガティブな感情が
隠れていることが分かったんです!」
 
日高先生は嬉しそうに聞いている。

「すごいですね。
よく考えれましたね。」
 
「はい!」
 
「それってこれから
生活する上でいいヒントに
なるんじゃないですか?」

「そうなんです。」
 
「ならちょっと考えてみますか。
『悲しい、悔しい、寂しい、不安』。
こういうネガティブな感情が
過食に繋がりそうだ。
ということは、
逆にどうやったら
過食を防ぐことができると思いますか?」

「ん~~~、
そういう気持ちにならないように
心がけることですかね。」
 
「ほお。」
 
「ここに『考え方のクセ』って
あるじゃないですか。」
 
プリントを指す。
 
―――――――――――――――
【考え方のクセ】
(当てはまるものに〇をつける)
一般化のしすぎ
自分への関連付け
根拠のない推論
全か無か思考
すべき思考
過大評価と過小評価
感情による決めつけ
―――――――――――――――
 
「私、この隣にある
≪間違った考えを修正する≫
っていうコーナーも読んだんです。
それで
もしかしたら私が感じた
『悲しい、悔しい、寂しい』
という感情もそもそも、
思い込みや勘違いなんじゃ
ないかと思って。
 
『考え方のクセ』のせいで
勝手に落ち込んでしまって
いるんじゃないかと思ったんです。」
 
日高先生は
うなずきながら聞いている。
 
「なぜか分からないんですが
’事実を確認するのが怖い’
’本当のことを知るのが怖い’
という気持ちが昔からあって…。
 
まさにここに書いてある
『根拠のない推論』です。
相手に確認もせず
相手の顔色や行動を見て、
相手の気持ちを勝手に解釈して
ネガティブな気持ちに
なっていたように思います。」
 
「うんうん。」
 
「だから、相手が
本当はどう思っているのかを
ちゃんと確認することが
大事だなって思いました。
そしたら無駄に
『悲しい、悔しい、寂しい』
という感情にならないような
気がします。」
 
「いいですね~。
ぜひ心がけてみてください。」
 
なんだか、
カタチのない宝物を
見つけたような気分になった。
 
診察を終えて、部屋に戻る。
 
「私、本当昔から
妄想癖なところあるよね。
これから起こることや
相手の気持ちを勝手に妄想して
怖くなったり傷ついたり…。」
 
それって’想像力が豊か’とは
また違う。
 
きっと人の気持ちを知って
傷つくことが怖いんだよね…。
 
でも乗り越えなきゃ。
 
そうだ!
 
次の外出許可が出る日に
俊介君に電話してみよう。
妄想じゃなくて、
彼の本当の気持ちを聞いてみよう!



「あ…。」


ふと、四角い箱が入った袋が
目に入った。

実は、まだお土産で買った
お菓子が残っていた。

看護師さんに預ければいいのに、
≪絶対誰にもとられたくない≫。
なぜかそう強く想ってしまい、
手放すことができなかった。

目につかないところに置こう。

ベッドの下にある引き出しに
こっそり隠した。

彼から連絡がない


土曜日。楽しみにしていた
外出の日がやってきた。
 
本来なら外出許可が出る
『責任レベル』ではない。
しかし、旅行で
外泊許可をもらったことで、
先に外出・外泊が許可されたのだ。
 
新患ミーティングのあと、
手続きを済ませていると
母が迎えにきた。

病院を出て早速、
母から携帯を受け取り
俊介君に電話を掛ける。
 
TrururTruru…
TrururTruru…
 
大丈夫。
 
昨日、これを言おうと
頭の中で何度も練習したから。

TrururTruru…
TrururTruru…

出ない。

サッカーの練習中かな?
 
俊介君は社会人の
サッカークラブに入っていて、
休日は練習がある。

代わりにラインを入れた。

しかし。
病院に戻る時間になるまで
彼からの返信はなかった。
 
普通なら夕方までに
返信くるのにな…。

もしかして嫌われた?
どうしよう…。
この前、
不機嫌な態度とったからかな…。
急に不安になった。

摂食障害になってから
病気になってしまった自分に
自信を失っていた。
食べることすら
上手くできない自分は
迷惑な人間だ、
おかしな人間だ、と。

その気持ちは恋愛も一緒で、
健康的な女の子がたくさんいる中、
6歳も年下の彼がわざわざ
『摂食障害』の私と
付き合う必要はないんじゃないか。
『摂食障害』の私と付き合って
迷惑なんじゃないか。
『摂食障害』じゃない
女の子がいいと思うんじゃないか。
いつか急に離れて
いってしまうんじゃないか…
と不安だった。

外出の時間が終わり近づく。

「戻らなきゃ…。」
 
シンデレラか。
携帯を母に返し、病棟に戻った。

そして、その夜。



ガサ、ガサッ、ガサガサッ…。


案の定、過食してしまった。
 
ダメだと分かっていながら、
ベッドの下に隠していたお菓子を
食べてしまったのだ。
 
翌朝。
起きると床には
空になったお菓子の箱。
 
なんで、なんで、どうして…!

また自分が嫌いになった。

思い込み


 「先生、
また過食してしまいました…。」
 
入院の良いところは、
先生や看護師さんがいつも
近くに居てくれることだ。
 
「あれ?なんで
食べ物があったのかな?
とは聞きませんが…
過食してしまったってことは
何かあったのかな?」
 
「はい。
昨日外出許可が出たので、
彼に電話をしたんです。
先生とこの前話して、
彼の本当の気持ちを
ちゃんと確かめようと思って!
でも出なくて…。
代わりにLINEで
メッセージを送ったんです。

普通なら割と早く
返信がくるんですけど、
午前中に送ったのに
夕方まで返事がなくて…。
嫌われたんじゃないかって
すごく不安になりました。」
 
「朝野さんは
返信がなかったら
嫌われたって思うの?
忙しかったとか考えない?」
 
「もちろん、
忙しかったのかな…と考えました。
言い聞かせました。
だけど、時間が経つごとに
‘嫌われたんじゃないか’
っていう気持ちが強くなって。
しかも、送った文章も
いろいろと考え過ぎて
本心ではなかったんです。
だから余計に反応がなくて
ガーンとなって。」
 
「そうなんだね。」
 
「はい。自分の本音を言って
嫌われるならまだしも
そうじゃない言葉で嫌われたら…。」
 
言いたくもないことを
言ってしまって後悔する、
そういう経験がよくあった。
 
「そもそも、私は
人に自分の気持ちを伝えるのが
すごく苦手です。」
 
「どうして?」
 
「自分の本当の気持ちを
言ったら嫌われるんじゃないか
って思ってしまいます。
私が何かを言って
相手の機嫌がよくなかったり
反応が悪かったりすると、
私のせいだと思うんです。
相手が傷つくようなことを
言ってきても
それは私のせいだと思います。」
 
「私のせい?」
 
「はい。
恋人でも友達でも家族でも
一緒にいる相手が
楽しそうじゃなかったり、
つまらなさそうにしていたら
私のせいかなと思ってしまいます。

昔から人の顔色や表情が
すごく気になるんです。
『人の顔色なんて気にするな』
てよく言うじゃないですか。
頭では分かっているんですけど、
どうしても気になってしまうんです。
ちょっとした表情の変化にも
敏感で。相手の顔色が曇ると
私が何かしたんじゃないかって
思ってしまいます。」
 
「そうなんだね。
もしかすると朝野さんは、
自分の課題と相手の課題を
分けて考えることが
苦手なのかもしれませんね。」
 
「自分の課題と相手の課題?」
 
WHAT?何かの宿題?
難しそうなことを言い出すな…。

しかし、これは私が
摂食障害を乗り越えていく中で
とても大事な考え方となる。

自分の課題と相手の課題


「そう。
自分の課題と相手の課題を
分けて考えること。
これは人と良い関係を築くために
すごく大事なことなんです。

本来ね、朝野さんが伝える言葉に
良い悪いっていうのはないんです。」
 
「へ?そうなんですか?」

そんなこと生まれてはじめて知った。

「そうなんですよ。
自分の気持ちを伝えたあと、
それをどう受け止めるかは
相手の課題なんです。
相手の心次第なんです。
それを朝野さんが
決めることはできない。」
 
そう言われるとたしかに…。
 
「どんなにポジティブな言葉を
相手に伝えたとしても、
相手の機嫌が悪かったら
冷たい態度を
とられるかもしれないでしょ。
朝野さん自身もそんな時、ない?」
 
「あります…。
『痩せてるね』という言葉も
自分が痩せてると思ってる時に
言われると嬉しいのに、
自分が太ってると思ってる時に
言われるとイラッとしたり
プレッシャーを感じたりします。」

ハッ…本当だ。

相手が言ったことを
私がどう受け止めるかは
相手には決められない。
同じように、
私が言ったことを
相手がどう受け止めるかは
私には決められない。

相手の心次第だ。
 
「でしょ?
もし相手が不愛想な顔をしても
ただ機嫌が悪いだけかもしれない。
それは相手が
乗り越えるべき課題なんです。
相手の反応や
相手の課題まで
朝野さんが請け負う必要は
ないんです。」
 
「…そうですね。」
 

「大事なのは
『自分の気持ちを伝えること』です。」

日高先生は
柔らかい表情で微笑む。
 

自分の気持ちを伝える


「自分の気持ちを伝える…?」
 
「うん。
自分の気持ちを伝えること。
実はね、これは
摂食障害を乗り越えるために
とっても大事なことなんです。」
 
どういうこと…?

「食べることと
自分の気持ちを伝えることが
関係しているんですか?」

「そう。
自分の気持ちを相手に
ちゃんと伝えられないとね、
心の中に
『分かってもらえなかった』
という空虚感が
生まれてしまいます。
そして、
その空虚感を埋めるために
過食してしまうことがあるんです。
この前、
過食する原因を話してた時に
似たようなこと言ってたでしょ?」
 
「そうですね。
『自分の気持ちを受け取って
もらえなかったから』って。

…先生、もしかしたら
そうなのかもしれません。
『自分の気持ちを
伝えられなかったこと』が
過食に繋がってる気がします。
 
相手の本当の気持ちを
聞くことが大事って言ってたけど、
相手の気持ちを聞くためにも
まずは、
『自分の本当の気持ち』を
相手に伝えなきゃですね…。」
 
「朝野さん、
自分の素直な気持ちを
伝えることは
なにも悪くないですからね。」

日高先生、やめて。
なぜだか涙が出てきそう…。
 
ぐすっ。
 
鼻をすする。

「もしかすると朝野さんは、
自分が思っている以上に
自分の気持ちを伝えて
こなかったのかもしれませんね。
これからは、
自分の気持ちを伝えてみましょう。
そうすることで
過食の症状も
落ち着くかもしれませんよ。」
 
「はい。」
 
「ここには私や看護師さんや
患者さんいろんな人がいます。
ぜひ、自分の気持ちを伝える
練習をしてくださいね。」
 
「練習?」
 
「うん!
この場所を日常生活に戻るまでの
リハビリ所と思ってください。
練習して自分の気持ちを
伝えられるようになってきたら、
きっと退院後も
自信につながると思いますよ。

そうだ!
≪自分の気持ちを伝えること≫。
これを朝野さんの
入院中の目標の1つにしましょう!

看護師が
巡回に来る時でもいいです。
自分は今こう思っているとか、
こういう気持ちなんだっていうのを
伝えてみてくださいね。」
 
「分かりました。
練習してみます。」



部屋に戻り、ベッドに横になる。

「自分の気持ちを伝える。
伝えることは悪くない。
伝えたあとは相手の課題、か…。」
 
30歳にもなって、
≪自分の気持ちを伝えること≫
が目標だなんて。
人に言ったら笑われそう。
 
いつも大きな目標を
掲げ生きてきた。
夢は大きいほうがいいと。
仕事では売上日本一!
なんて掲げていた。
 
だけど私は『特別』に
なることばかり考えて、
心の土台を整えることを
無視してきたのかもしれない。

でも、今気づけてよかった。

≪自分の気持ちを伝えること≫
これは私にとって
人生の大事な目標だ。

≪生き方から見直しましょう≫
入院を決めた時、
日高先生が言ってくれた
言葉を思い出す。
 
そうだ。
私は生き方を変えるんだ。
自分の気持ちを
伝えられるようになるんだ。
そして、
普通に食べられるようになるんだ。
 

南さんに相談


「南さん~。」
 
「あら、花ちゃん、どうしたの?」
 
相席風呂タイム。
体を洗うのも随分速くなり、
南さんとのんびり湯船に
浸かっていた。
 
そうだ!
女性の意見も聞いてみよう。
南さんに俊介君のことを
相談してみた。
 
「~っていうことがあって。
普通なら割とすぐ返信がくるのに
夕方まで返ってこなくて…。
病院では携帯が見れないから
その後返信きてるのかも
分からず…
嫌われたんじゃないかって
不安になってしまいました。」
  
「そうか〜、
まぁでも返ってくるっしょ。
心配してもしなくても
訪れる現実は変わらんからね〜。
花ちゃんは何かと心配し過ぎばい。」
 
「…たしかに。
携帯が見られない間、
どんなに心配しても
携帯の中にある事実は
変わらないですよね。
心配して変わるんだったら
いいけど(笑)
時間がもったいないですね。」
 
「そうば~い。」
 
南さんはたまにハッとすることを言う。
 
「あと…
彼のことは好きなんですけど、
たまに違和感を感じるんです。」
 
「え?そうと?例えばどんな?」
 
「例えば、
水に対する信仰が妙にアツいとこです。」
 
「へ?どういうこと?」
 
「綺麗な湧水を汲みに行って
それを飲み水に使う人って
いるじゃないですか?
そういうのは全然いいと思うんです。
私も白川水源とか行くと癒されるし、
水道水よりキレイそうだから。
 
でもうちの彼、
その一歩上をいってて
『水にはパワーがある』
みたいなこと言うんです。」
 
「パワー?はぁ?」
 
「そうです。
キレイじゃなくて、パワー。
ある水で癌が治った人がいる
とも言っていて。
大丈夫かな?と思いつつ、
『へ~っ』て適当に返事を
してたんです。
そしたら、
興味を持ってもらえたと
勘違いしたみたいで。
その後、嬉しそうに
病気が治る水のサイトを
送ってきたんです。
人それぞれ信じるものがあって
いいと思うんですけど、
ちょっと引いてしまって…。」
 
「それ大丈夫と?」
 
「値段の高さにも
びっくりはしたんですが…。
水で癌が治るならどんなに高くても
もうみんな
その水を飲んでると思うんですよ。」
 
「そりゃそうだ!」
 
爆笑する南さん。
 
「そういう考えができないとこに
ちょっと不安になってしまって…。
でも、よくよく聞くと
彼のお母さんが
水の力を信じている人みたいで。
小さい頃、
病気になると高い水を
飲ませられていたらしいんです。

小さい頃から
そういう環境で育っていると
それが普通、当たり前って
思うじゃないですか。
だから、彼自身も
疑いもしてないのかなと思って。
純粋に信じてる感じなんですよ。
だから、
突っ込んだ話もできなくて。」
 
「たしかにね~。
親がそうだと根が深かろうね〜。
 
花ちゃんが水について
何か言ったら拒否しそうだね。
彼にとってはその家庭環境が
普通なんやろうけん。
人生を否定された
気持ちにならすかもね。」
 

家庭環境がつくった
『信じている世界』は
疑うこともなく、
気づくこともなく、
心や体に染み込んでいくものだ。
そして、
大人になっても知らず知らず、
その世界観でも生きている。

違和感を大切に


「そうなんです。
信仰の部分は
デリケートだからふれられなくて。
否定してるわけではないんです。
だけど、とりあえず
彼の実家に行くのは怖いです。
 
あと、神社熱もすごくて。
…まぁ、
それはいいんですけどね。

そんな感じで水の話をされてから
違和感があるというか、
シコリがあるというか。」
 
「そっか〜。
花ちゃん、違和感て
ずっと違和感のままだと思うんよね。
 
結婚したら
変わるかもって思うでしょ?
根本的なとこって変わらないから。
 
結婚まで考えてるなら
受け入れるか、
もし受け入れられないようだったら、
ちょっと考えた方がいいと思うよ。
 
早い方がいい。
どんなに好きでも。」
 
離婚経験がある南さんの言葉は
説得力がある。
 
「違和感…。」
 
受け入れる?
でもすでに受け入れられないから
違和感になってるんだよね…。
 
神社のことは受け入れられたけど
水のことは受け入れられていない。
ってことは…。
 
まぁでも。
たかが水だから気にしないでいいか。
 
自分に都合がいいよう
頭の中で自己解決していると、
急に南さんは立ち上がり、
 
「小さな違和感だから
『まあいいや』って
小さな違和感を我慢して、
のちのちそれが積もって
結局ダメになって、
なんで気づいた時に
やめられなかったのかなって
私は思ったよ。」
 
と言って湯船から出ていった。
 
かっこいい。
 
いや、違うか。
 
南さんは自身の過去の反省から
教えてくれてるんだよね。
大事なことを。
 
もしかして私、
連絡がこないことより
違和感のことを
解決しなきゃいけないのかも。
 
南さんとの何気ないお喋りは
私の短所や弱い部分を
気づかせてくれたり、
見落としていることに
気づかせてくれたりした。
 

 
その日の夜。

気になることは早く解決しよう!
そう思い、公衆電話から母に
「明日私の携帯を
こそっと持ってきて欲しい」
と電話した。
 


翌日。
面会にきてくれた母に
携帯を見せてもらう。
 
「あ、LINEきてる!

なんだ…。
心配して損した。
日高先生と南さんの言う通りだな。」
 
この前、母に携帯を預けたあと
ちゃんと彼から連絡が来ていた。
 

『連絡遅くなってごめん。
サッカーチームと一日遊んでた。』
と。

 

ずっと言えなかった些細な悩み


≪自分が思っている以上に
自分の気持ちを伝えて
こなかったのかもしれませんね。≫
 
ベッドに横になりながら
日高先生の言葉を思い浮かべる。
 
う~~ん、
そうなのか?

…そういえば、そうだ。
 
大した悩みではないが
私にはこの1~2年、
誰にも言えず
胸に抱えていた想いがあった。
 
それは、
≪自分がつくった新商品の広告が
公正取引委員会から
景品表示法違反の指摘を受け、
1年におよぶ審議の末に
措置命令を受けて、
商品の自主回収に追い込まれた≫
ということ。
 
その広告は
『会社を救った』と言われていた。
 
ある事件をきっかけに
売上が暴落し、
なかなか新商品のヒットにも
恵まれなかった会社に
あっという間に
100万個の売り上げをもたらした。
私自身、
会社を立て直すために
頭も心も全てふり絞って
生み出した広告だ。
 
もちろん、
私としても会社としても
薬事法の範囲内で
世の中に出した広告だった。
 
しかし、目をつけられた。
新商品の広告を誰かが
丁寧に集めて、
消費者庁に訴えたのだ。
 
世間には
私がつくった広告なんか
比にならないくらい、
薬事法を無視したヤバい広告は
溢れていたのに。
 
売れ過ぎたがゆえに、
標的にされた。
 
1年に及ぶ審議。
指摘を受けた部分の根拠資料や
臨床試験の結果の提出。
じわりじわりと積もっていく、
責任とプレッシャー。
 
社内で薬事を管理する上司は
私の代わりに、
何度も東京に足を運んだ。
 
でも指摘を受けた部分の
根拠はある。
どうにかなるだろうと
思っていた。
 
年末年始の休みに入る前も、
「大丈夫だから。
心配しなくていい。」
と直属の上司はフォローしてくれた。
 

しかし、
2017年1月、仕事始め。

社長に会議室に呼ばれた。
 
「今から話すことは
決して朝野さんの責任ではない。
よく聞いて欲しい。」
 
とても嫌な予感がした。
 
「公正取引委員会から
措置命令を受けました。
広告の違反があったことを
お客様に伝えます。
そして希望するお客様には
商品の自主回収をすることを
公表します。」
 
全身に衝撃が走った。
 
「朝野さんは何も悪くないから。」
 
私が純粋で責任感が強いことを
知っている社長は
何度もそう言ってくれた。
 
だけど、会社にもお客様にも
申し訳ない気持ちで
いっぱいになった。
 
購入者に電話や文書で通達後。
スタッフ全員がお客様の
電話対応をしている姿を見るのが、
どうしようもなく辛かった。
 
ネットで叩かれ、
一部のニュースでも流れ、
心が痛かった。
 
違反した広告をつくったのは
誰だとか公表される訳ではない。
スタッフから責められたこともない。
 
だけど、自分が悪者のような、
事件の犯人のような気がした。
 
どれだけの損害が出たのだろうか。
『救世主』なんかじゃなかった。
 
私がこの広告をつくらなければ…。


なんのためにつくったんだろう。
なんのために頑張ったんだろう。
 
…もちろん会社のため、
商品を必要とするお客様のためだ。
 
それなら迷惑をかけた分、
もっと成果を出さなきゃ。
 
審議中も新しい広告づくりに
懸命になっていたが、
措置命令を受けたことによって、
より『取り返さないと』という
気持ちが強まった。
 
毎日心を圧迫する、
変なプレッシャーと責任感。
肩はいつも
なにかが乗っているように
重かった。
 
だけど、
迷惑をかけているのに
この気持ちを
誰かに言うのも違う気がして。


ずっと胸に抱えていた。

仕事


もしかしたら。
 
少なからず、
仕事が私の人生を
摂食障害の道に
進めていたのかもしれない。
 
少し、時を戻す。
 

 
2009年、22歳の春。
社会人一年目。
 
400倍の倍率。
私はその難関をくぐり抜け、
就活生が選ぶ
「働きたい企業ランキング」
10位以内にランクインした、
通販化粧品会社に入社した。

上場したばかりの
若い会社ではあったけど、
数年で年商は600億を達成。
経営はうなぎ上りだった。

その背景には
1つのヒット商品の存在があった。
朝刊に広告を打てば、
CMが流れれば、
注文の電話が鳴りやまない。
市場シェアはあっという間に
日本一になった。
 
同僚はその商品を
『金のなる木』と呼んだ。
ホントにバカ売れしていた。
 
メディアからの取材も多く、
社長は『小さな会社が
ここまで急成長した理由』と題した
講演会を全国で行っていた。
 
CMに起用した女優が言う
インパクトのあるキャッチフレーズは
一時はブームにもなり、
お笑い芸人やタレントが
マネしている姿を
テレビで見ることもあった。
 
そんな会社で働いていることは
誇らしくもあった。

会社があるのは
各駅停車の駅からさらに
バスで20分ほどかかる田舎町。
 
こんな田舎からヒット商品と
多額のお金が生まれている。
世の中は分からないものだ。
 
最初は企画部に仮配属され、
スパルタな先輩に鍛えられた。
吐き気と腹痛に襲われながらも
朝一に出社。
すぐにブランドの
大きなキャンペーンを
任せられたり、
不器用ながらも
いろんな仕事をこなした。

そして半年後。

導かれるようにして、
念願だった『書く仕事』、
制作部のコピーライターに
配属されることになった。

叶った夢

 
私には小学校から
変わらない夢があった。
 
それは
≪文章を書く人になりたい≫。
 
だから
制作部に配属される前。

突然上司に呼び出されて、
「今も頑張ってくれてるけどね、
朝野さんの書く文章、
すごいなって思うんだよね。
あたたかく心に響いて。
人の心を動かす力があると思う。
発想力も長けてるし。
よかったらそのスキル、
制作部で活かしてみない?
ぜひ、力になって欲しい。」
と言われた時は
本当に嬉しかった。

だって、
夢が叶ったんだから。

書くことが仕事になった!
なんて幸せなことなんだ!
と瞳を輝かせ働いた。
 
コピーライター。
その響きもかっこよくて好きだった。
 
主な仕事は、
自社のブランドの商品を
売るための
広告や冊子の制作。
会社で生まれる
制作物全般のライティング。
 
もちろん、
やること全てがはじめて。
幸か不幸か、
会社の急成長に対して
スタッフの人数も育成も
追いついていなかったおかげで、
いろんなことを
ぶっつけ本番でさせてもらった。
 
普通の新入社員なら
体験できないような、
企画やキャンペーンの立案。
広告に使う素材の撮影や
愛用者のインタビュー。
著名人や旬なタレントの取材。
モデルのオーディションや撮影など
あらゆることを任せてもらえた。
 
商品の人気は
留まることを知らず、
何ヵ所かあるコールセンターも
対応しきれないほどの電話が
毎日、鳴り響いていた。

もちろん、お客様第一優先。
社員総出で受注対応を行っていた。
そのため、本業に取り組めるのは
受注が落ち着く夕方から。
つまり、残業がデフォルト。
「気持ち次第」で
どんな仕事もこなせる、
という考えが強かったように思う。

それを表すように、
私を採用してくれた社長は
とてもストイックな人だった。
そりゃそうだ。
名もない会社の商品を
日本一のシェアに導いた人だ。
 
もともと社長の両親が
肌に悩む女性のために
試作でつくった化粧品。
それが口コミで広がり、
感謝の声がたくさん
届くようになったという。
それを目の当たりした
当時の社長は
‘これは世の中の女性のために
広めるべきだ’と決心し、
当時勤めていた大企業を辞めて
今の会社を立ち上げたのだ。
 
広告もマーケティングも
一から学び、
寝る間を惜しんで本を読んでは
広告を制作して、
数字と向き合い、
受注や発送の業務も行って
努力してきたという。
だけど
経営はそう簡単にはいかず、
資金が尽き果てそうになったらしい。
しかし。
『これで最後』と社長が
想いを込めてつくった広告が
大ヒットした。

だから今がある。

その経験をしてきた社長の
『できるまでやる』
という信念や仕事の姿勢は、
社員にも強く求められていた。
 
どんなことも諦めることなく、
ギリギリまで
最大限の成果が得られる方法を
考えて、やり遂げる。
それを体に沁みつくほど
叩き込まれた。
 
もともとストイックで
頑張り屋な性格だった私。
ある意味、
相性がよかったのかもしれない。
会社の理念に純粋に共感し、
社長のあらゆる要望にYESと答え、
求められる以上のものを
つくりたいと働いた。
 
それにどんなに忙しくても
自分の言葉が誌面に載った時、
誰かに自分の想いが届いた時、
売上が上がった時は
嬉しかった。
やりがいを感じていたし、
夢だった文章を書く仕事が
できているんだから、
なんでも頑張ろうと思った。

できるまでやる

 
多忙をきわめるある日のこと。
 
月に2回発行される冊子に
「芸能人を4人載せよう!
広告宣伝のスペースを設ける
換わりに、無料掲載で。」
そんな社長の思いつきの企画が
突然始まった。
 
どんな贅沢使いだろうか。
お客様に冊子を読んでもらうために
芸能人を表紙に載せたいらしいが…。
でもNOなど、
口裂け女になっても言えない。
 
資生堂など大手がひしめき合う中、
突然の無料掲載オファー。
通販業界では急成長を遂げていたが、
化粧品の世界では
まだまだ知名度は低い。
とにかく電話をかけまくった。 

しかし。

「今をときめく著名な方に
生き方のヒントや美の秘訣を
お伺いして、
弊社発行冊子に掲載したい。
無料で掲載させていただく代わりに
誌面の一部を広告宣伝として
使っていただけます。
発行部数はこのくらいです。」

そんな大義名分で
大手の芸能事務所が
相手をするわけがなかった。
 
逆の立場になれば当然だ。
 
緊張して電話をかけては
門前払いか、
企画書を送って返事がないか、
何度アタックしてもかわされるか、
とんでもない金額を提示されるか。
100人当たって一人、
奇跡が起きるか起きないか。
そんな世界で
奮闘する毎日だった。
 
本命の芸能人はほぼNG。
その代わり「それだれ?」と
突っ込みたくなる無名な人や、
潮時のきた
”あの人は今”みたいな人を
紹介されることがあった。
申し訳ないが、
それじゃオープナーにならない。
 
そんな中でも、
商品のことを知ってる
マネージャーさんに
根気強く想いを伝えると、
大物歌手や女優さんに
奇跡的にOKをもらえることがあった。

こちらとしては
「まさか」な事態。
大物と呼ばれる人も、
実は意外と仕事が
なかったりするんじゃないか、
という錯覚に陥った。
 
できるまでやる。

社長の言葉通り、
どうすればできるか考え、
やり続けたら
無理だと思うこともできた。
 

蝕まれていく心と体


しかし。さすがに
ストレスが溜まっていたのか、
芸能人企画を担当してから
不眠の症状に悩まされ始めた。
 
無理もない。
日々、迫りくる締め切り。 
冊子の制作が
ひと段落したかと思えば、
また次の号に向けて
芸能人探し。

そして、著名人に
自社の商品を実際使っていただき、
感想を掲載する企画も始まった。
さすがにこれは有料だ。

オファーから価格交渉、取材、
ライティング、
発行後の諸手配まで全て自分。
もちろん
ヘアメイクやカメラマン、
衣装さん、場所の手配も。
芸能人の方を軸に
全員のスケジュールを調整するのも
地味に頭が痛かった。
 
業界の常識など持ち合わせてないし、
誰もやったことがないことを
教えてくれる人も頼る人も、
ほとんどいない。
でも、どんなことも
‘やる’しか選択肢はなかった。
 
きっと、ずっと
緊張状態だったんだと思う。
書くことは大好きだったけど、
交渉や調整の仕事は
向いていなかったんだと思う。
 
事務所のマネージャーさんには、
常識のなさを
電話越しで怒られて。
撮影は冷や汗をかきながら、
段取りの悪さに呆れられて。
たまに褒められて。
情熱だけで
コミュニケーションをとっていた。
 
むしろマネージャーさんや
現場に関わる人たちに、
育ててもらったと
言ってもいいかもしれない。
突拍子もない質問を
たくさんしたと思う。
 
それでも、
インタビュー後の記事づくり、
ライティング作業は楽しかった。
ご縁があった方の魅力を
最大限引き出せるように、
感謝の気持ちを込めて
一生懸命言葉にした。
 
それに、
芸能人の方から直接電話で
原稿を褒めてもらえた時や、
担当した誌面が出来上がった時、
お客様から
「インタビューの内容がよかった」
と感想をもらえた時は
素直に嬉しかった。
 
何より、
波瀾万丈な人生を歩んできた
芸能人の話は自分の為になる。
取材を通して、
有名になった方々の
’美しく生きるヒント’を
自分の肥やしにしていった。

芸能人の他にも
いろんな年代のモデルさんと
仕事をする中で、
何歳になっても‘美しい人’の
共通点を知ることもできた。
それは今も役立っている。
 
時が経っても、
人のバックグラウンドを聞いたり
伝えたりすることは
相変わらず、好きだ。
 
もちろん、
仕事はそれだけじゃない。 
他にも常に
10個以上の原稿は持っていた。
ゆっくりする時間は1分もなかった。
 
受注の電話が鳴れば
締め切り前の原稿を
両手に抱えて走り、
手では原稿を添削しながら、
頭の中では芸能人や
他の企画の構成を考えながら、
口と耳はお客様の受注の声に
応えていた。
 
今思うとお客様には
失礼なことをしていたと思う。
だけど、
それほど時間が惜しかった。
 
思い返すと、
入稿日2日前なのに
掲載する芸能人すら
決まってない時もあった。
ストレスで
胃を通り越して
全身が痛かった。
 
秘書のミスで
行き先の違った飛行機のチケットを
手に握っていたことに、
搭乗前に気づいた時もある。
 
そんな日に限って
他の便の予約が埋まっていて
心臓が爆発するかと思った。
全員のスケジュールをひっくり返し、
めちゃくちゃ怒られた。
真夏の沖縄で海も見ることなく、
汗だくになって日帰りで帰った。
 
極めつけは、入稿日前日。
社長の気分で
完成していた冊子が
一から作り直しになることが
よくあった。
よく、ってなんなんだ。
気分って怖い。
 
深夜まで残業して、
夜12時の休憩でもらったおにぎりで
同期と共にお腹を壊した。
もちろん
一日で冊子を作り直すなんて無理で、
原稿を持って帰って
家で続きをした。
社外秘だとは分かっていたけど、
こそっと原稿を印刷して
持って帰るのが
当たり前になっていた。

「どうすればできるか」を
考え抜いた結果が
‘家で徹夜する’。
もうそれしかなかった。

毎日、胸が痛かった。
 
だけど、
どんなに‘もうダメだ’と思う仕事も
なぜかギリギリどうにかなる。
不思議なことに
上手くおさまってしまう。
 
これが厄介で、
「ギリギリどうにかなってしまう」
根性スパイラルは
社長の要求度を高め、
さらにスタッフを苦しめていった。

麻痺していく感覚

 
同期で最初に異変が起きたのは、
一番サバサバしていた明るい子。
家に引きこもって、
連絡がつかなくなった。
玄関前まで行ったこともある。
でも、開けてはもらえなかった。
 
鬱になった理由は、
毎月2冊出される課題図書と
その感想文の提出だったという。
‘え?それで!?’
と最初は思ったけど、
彼女にとっては
仕事が多忙な上に、
私生活にも入り込んでくる
読書が耐えられなかった
のかもしれない。
 
隣の席の子は
目の下が青色を通り越して、
緑色になっていた。
 
昼休みをとらず、
自分の体より仕事を優先して
やせ細っていく同期。
「もう限界…」と
いきなり泣き出す同期。
突然倒れるスタッフもいた。
 
だけど、
次第にその光景にも慣れて
『死にそうな顔をしている制作部』
がデフォルトになった。
絶対異動したくない部署、
と言われた。
 
頭が良くて
情に流さないタイプの同期は
「この会社ヤバイから」と
早々に見切りをつけ、
あっけらかんと辞めていく。
 
当時の私は
そんな同期に対して、
‘自分で選んで入社したのに
なんでこんなに早く簡単に
辞めてしまうんだろう?
松下幸之助が
『3年は頑張りなさい』
と言ってたじゃないか。
忍耐力がないな。‘
と本気で思っていた。
 
絵に描いたように真面目だった。
 
しかし。
会社や社長に従順な私も、
睡眠不足を筆頭に慢性疲労、
体の痛み、腹痛、頭痛。
耳鳴り、吐き気、喉の渇き…。
何カ月も続く体の不調に
ピークを感じはじめた。
 
とにかく
この疲れをどうにかしたかった。
寝たかった。

命が大事


日に日に衰弱していく体。
実家に帰るたび痩せていく私に
母のほうが心配していた。
そしてある日、
地元の山奥にある心療病院に
連れて行かれた。
 
長いカウンセリングを終えると…。
 
「君ハ今、
メチャクチャヤバイ状態ダ」
 
ひと言で要約すると
そんな感じのことを言われた。
 
そして医者は怒り気味で、

「診断書を出すから、
明日から会社を休みなさい。
いいね?
これは君を守るためです。
君はガソリンがない体で
アクセル全開で走っている、
このままじゃ危険だ。」

と言った。
 
何を言う。
私は機械じゃない。
車扱いしないでくれ。
明日も会社に行きたいから
眠れるようになりたくて、
ここに来たのだ。
 
私も怒り口調で、

「私は車ではありません。
大丈夫です。
会社には行きます。
行けます。
眠れる薬をください。」

 と答えた。

「いいかい?朝野さん。
薬は出せる。だけど、
薬では根本は治らない。
会社は行っちゃだめだ。」
 
話が違う。
私は眠れる薬を
もらいに来ただけだ。
それに同期だって
同じ環境で働いている。
みんなに置いてかれるじゃないか。

くそっ。
病院に来たのが間違いだった。
 
目の前には、
診断書ひとつで休職できる
絶好のチャンスが
差し出されているのに。
 
自分にも同期にも
負けたくなかった。
 
どうしても
仕事に行こうとする私に
医者はこう言った。
 
「私はね、
君の会社なんかより
君の命のほうが
比べものにならないくらいに
大事なんだ。
君は世界に一人しかいない。

君の命が大事だ。 
命が何より大事だ。」
 
胸の奥がギュッとなった。
 
≪君の命が大事だ≫
 
その言葉は嘘じゃなかった。
この人は医者ではなく、
味方だと思った。
 
すると。
泣きたい訳でもないのに
ポロポロと涙がこぼれ落ちてきた。
 
ケースが空になるくらい
大量のティッシュを消費した。
 
何の感情もないはずなのに
涙は止まることなく、
胸の奥から苦しさが込み上げた。
もしかしたら、
想像以上の我慢が
溜まっていたのかもしれない。
それが涙に変わって
溢れ出てきたのかもしれない。
 
先生の言う‘心のガソリン’を
溜めないと
いけないのかもしれない。
 
休職を頑なに拒んでいた私も
次第に納得し、
『魔法のお休みチケット』
ともいえる診断書を手にして
病院を出た。
 
空を見上げた瞬間、
ホッとしたのを覚えている。

 

重度の鬱病


診断書には難しい漢字の
病名がいくつか並んでいた。

簡単な言葉で言い換えれば、
「過労による重度の鬱病」。

どうやら、私は
流行りの鬱病になったようだ。

はじめは軽く捉えていた。
摂食障害と診断された時のように。
 
それから心療病院には
週に一回通うようになり、
先生とはとても親しくなった。
桂談志に似ていたから
‘談志’というあだ名をつけた。
 
だけど。私が28歳の時、
談志先生は癌で亡くなった。
 
病気のことは伏せられていたが
亡くなる直前まで、
「君は頑張り屋さんだから」と
私のことを心配してくれた
心ある先生だった。
機械の管でつながれながらも、
入院中は病室から
電話で診察してくれた。
 
談志先生は何より
『命』を大切にする人だった。

きっと
どうしても救えなかった命が
あったんだと思う。
いくつも。
 
生前に書かれた遺書は
今でも大切にしている。
 
実は、摂食障害の疑いがあると
最初に診断してくれた医師は、
談志先生が亡くなったあとに
その場所を引き継いだ人だった。
 

休職しても休まらない心


話を戻す。

睡眠薬をもらいに行ったつもりが
『魔法のお休みチケット』により、
3カ月休職することになった。
 
みんな同じ場所で
同じ仕事量をこなし働いているのに。
逃げ出したと
思われていたらどうしよう…。
そもそも
私って弱い人間だったんだ…。
とても落ち込んだ。
 
当時の私は
『頑張れる度合い』が
人によって違うことを
知らなかった。
その人が
生まれながら持っている
気質や環境、経験、
いろんなことが
折り重なっていることを。
 
会社は「ゆっくり休んでください」
と受け入れてくれた。
実は鬱病で休職している社員は
少なくはなかった。
仲の良い同期も私が
休職したあとすぐに休職していた。
  
多忙な日々にポッと空いた時間。
『人生の夏休みだ』と
気持ちを切り替えて、
最初は寝れるだけ寝た。
自由な時間を楽しみ、
謎の元気もあった。
『これを機に転職でもしてやるか!』
という意気込みさえあった。

だけど結局、
会社を辞める選択はできなかった。
何かを楽しんでいても
頭の片隅には
いつも会社のことがチラついていた。
 
休職2カ月目になると、
復帰が視野に入ってくる。

会社のことを考える度、
胸がドキドキした。
職場にいる自分を想像すると
拒否反応のように具合が悪くなり、
冷や汗がでた。
 
‘また頑張ろう!’と思うほど、
体がずっしり重くなって
寝込んだ。
 
今考えると休職中、
心や体が芯から休まった時は
なかったように思う。
 
会社に所属している以上、
私にとってどんな長期休暇も
休養にはならなかった。
 
しかし、復帰前になると
不安もありながら、
新しい気持ちで
また頑張れる気がしてくる。
 
3カ月休職したのち、
私は仕事復帰した。
睡眠薬とは友達になった。
 

仕事復帰

 
復帰初日。

「あ、花子!
お帰り~~~。」

ドキドキして会社に行くと、
みんな3カ月前と変わらずに
迎え入れてくれた。

花子は、あだ名だ。

あれ?なんだかデスクが寂しい。
隣の席の人に聞くと、
私のいない間に同期や先輩が
休職したり辞めたりしていた。
一緒に頑張ってきた日々を
思うと切ない。
挨拶もできなかった。
きっと私と同じような体調の人も
いたのかもしれない。
 
それからも
次々に人が辞めていく。
初めは誰かが辞めると
悲しかったけど、
次第に別れにも慣れていった。
 


月日が経ち、
セーブされていた仕事量も
元に戻り、
責任のある仕事を
任されるようになった。
斬新な企画で成果も出し、
働く楽しさを感じた。
 
しかし、
体調は相変わらずだった。
お昼頃になると
謎の発熱や頭痛に悩まされ、
毎日昼休みに薬を飲んだ。
そうしないと
後がやっていけない。
おかしいことなのに、
‘お昼になると頭が痛くなる私’が
当たり前になって、
頭痛にも慣れていった。
 
体から発信される痛みや熱は
『助けて』という
心からの切実なサインだったのに。
そのサインを薬で掻き消し、
自分の心を無視して働いた。
 
そして。
何かのサイクルのように
私は数年に一度のペースで
体を壊しては、
休職することになる。
 


今でも思う。
 
…あの時。
 
もっと自分の心と向き合い、
会社を辞める選択をしていたら
私の人生は
どうなっていただろうか。
 
長い目で見て何が大切か。
それを考えることができていたら、
私は今どこにいただろうか。
 
立派でありたいとか
誰かに良く思われたいとか、
勝ちたいとか成功したいとか、
そんな見栄やプライドを
捨てることができていたら、
どんな選択をしていただろうか。
 
その答えが出ることはもうないけど、
もしかしたら
『摂食障害』には
なっていなかったのかもしれない。
 
ふと、そんなことを思う。
 
間違いなんてきっとない。
頑張ることは悪いことではない。
体と心のバランスとは
難しいものだ。
 
ただ。
どんな選択をしてきたが
今をつくっている。
そして、
過去に戻ることはできない。
 
だから
心のサインに気づくこと。
これからどうなりたいかを見据え、
今を正しく見つめて
選択して生きていくかが
大切なのだと思う。

 

未曾有の大事件


会社はどんどん大きくなり、
ブランドも増えていった。
クリエイティブ関係の部署を
中心とした新会社も設立された。
 
私は田舎町の本社から
福岡市内の一等地の
オフィスに異動となった。
 
それにしてもなぜ、
人が次々と辞めるのだろうか。
鬱病の社員が増えるのだろうか。

少なからず、
急成長する会社に対して
社員が健康的に働ける環境が
整っていなかったのが原因だと思う。
仕組みや制度が
上手く機能していないのに、
精神論や根性論で
乗り切ろうとしていた。
 
挙句の果てには、
予想もしないような
未曾有の出来事が
幾度も起きた。
 
他の会社を選んでいたら、
きっともっと穏やかに平和に
働けていたんじゃないかなと思う。
 
中でも大爆発は入社3年目。
東日本大震災が起きた年。
 
年商700億円の急成長を遂げる、
絶好調の真っただ中に起きた。
 

 
2011年、5月。
終業時間前に突然、
全社員が集められた。
 
社長の顔がいつにも増して
真剣だ。
ただならぬ空気が張りつめる。
 
「~ということがありました。」
 
詳しい内容は伏せるが
会社の主力商品に
なにか問題があったという。
とても嫌な予感がした。
 
「これから記者クラブに
商品の自主回収を発表します。
夜ニュース番組で流れると思いますが、
どうか皆さん、
心配しないでください。」
 
突然突き付けられた、
主力商品の自主回収。
 
衝撃だった。
 
今から会社はどうなってしまうのか、
全社員が不安になった。
大ごとのように感じたけど、
「心配しないでください」
社長の言葉を信じて帰宅した。
 


そしてその夜。
全国のニュース番組で
いつも見ていた
アナウンサーたちが、
地獄へのゴングを鳴らした。
 
何を心配しなくていいと
思ったのだろう。
全く大丈夫じゃなかった。
 




「一万人のお客様がお待ちです。」

休日だった翌日。
全社員がコールセンターに
集められた。

トークスクリプトが渡され、
心の準備ができていないまま
インカムをつけ、
通話のボタンを押した。

そう。
通話ボタンを押した瞬間、
電話の向こう側では
数百名の従業員に対して
一万人のお客様が
待っていたのだ。
  
その日を境に通常業務は停止。
社員総出で
クレームの電話をとり続ける
地獄の毎日がスタートした。
 
「騙してたのね」
「裏切られた」
「嘘つき」
「信じてたのに」
 
お客様の怒りは
相当なものだった。
 
CMの好感度も高く、
消費者に根付いていた
自然派で安心安全、
クリーンなイメージ。
丁寧な電話対応で
積み上げてきた、
お客様との信頼関係。
それが故に、
お客様の’裏切られた’という
気持ちも強かった。
 
炎上する世間。
ネットではあることないことが
書き込まれた。
 
地道に築き上げてきた
会社とお客様との信頼関係は、
ジェンガのように
崩れ落ちていった。
 
「モンスター級の成長だ」
そう業界を騒がし、
市場シェア日本一だった会社は
あっけなく暴落した。

社員は
朝8時から夜9時まで、
毎日100本近くの
クレームの電話を                                     
3カ月間とり続けた。

心があるほど疲弊していく

 
「何時間かけて
つながったと思ってんだよ!!」
「1ケ月、毎日電話したんだから!」
 
お客様は基本、
開口から怒っている。
 
それもそうだ。
受注体制も返品対応の
マニュアルも
整っていない状況で
自主回収を発表したものだから、
クレームの電話は受けきれず、
返品返金対応の
処理も遅れていた。

不信感の上に
さらに不信感を重ねていた。
 
社内は段ボールだらけ。
対応の遅さに二次爆発、
三次爆発を起こしていた。
 
テレビでは
捻じ曲げられた嘘の報道や
顧客の不安を煽る報道が流れ、
その度に電話が鳴り響いた。
 
「死ね」
「倒産しろ」
「裏切者」
「ふざけるな」
「地獄に落ちろ」
 
会社への罵倒だと
分かっているものの、
まるで自分に
言われているかのように
心にナイフが突き刺さった。

「ね!私の家もうないの!!
ぐちゃぐちゃなの。
瓦礫の中から石鹸を見つけて
送れってこと!?
ふざけないでよ!」

震災の被害を受けた方からは、
胸をえぐられるような言葉を
投げられる。

コールセンターの上司は
「女優になりなさい」と
言っていたけど辛かった。
お客様のことが大切だったから。

何十か所も穴を開けて
返品される商品。
太い黒マジックで
『死ね!』と書かれた箱。
同封されている
メモ紙に書かれた
『倒産することを願っています』。
見るだけで心が痛くなる。
もとはお客様の
願いを叶える商品だったのに。

クレームの電話対応、
問い合わせメール対応、
返品処理の日々。
きっと一生分の
「申し訳ございません」を
使ったと思う。
どれだけの社員の心が
すり減ったか分からない。
40名いた同期も
あっという間に9名になった。
 
人生の中で
絶対戻りたくない過去を
挙げるとするなら、
ここだ。
 
出過ぎた釘は打たれた。

トラウマだと思うが、
今でも携帯電話が鳴ると
怖いと思ったり、
メールを開くのに
躊躇することがある。
着信音も苦手で
携帯は基本、
マナーモードにしている。



対応が落ち着き、
本業をできるようになってきたのは
報道から半年くらい
経ってからだった。
 
この事件を乗り切った同期と
たまにこう言い合うことがある。
 
「あの日々のおかげで
物事に動じなくなったよね。」
「感情が鈍感になったよね。」
「会社で何か起きても
‘あぁまたか’‘いつものことか’
って驚かなくなったよね。」

いろんなタイプのお客様の接し、
クレームや罵倒を浴び続ける中。
私たちは諦めることが
傷つかないことと学んでいた。

志向が高い人は
「心を強くする出来事だった」と
締めくくるかもしれない。
 
でも、
心が強くなったのではなく、
心が不感になっただけだ。
もうこれ以上、
傷つかないでいいように。
 
あの出来事が
なにかプラスになった人は
いたのだろうか。
 
どうほじくり返しても
プラスの要素を見つけられない。
 
どんな出来事にも
きっと意味はある。
だけど、世の中には
あの日々のように
心がただすり減るだけの、
わざわざ経験しなくていい
出来事もあると思う。
 
残ったスタッフが
裏でどれだけ涙を流し、
悔しい想いをしたのか
私は知っている。
 
そして、
強い人が残ったわけでもない。
自分を大切にしたい人が
辞めていったのだ。
 
会社のために
自分を犠牲にする必要はないんだ。

 

信頼を取り戻したい


会社の事件後。
 
仲良しだった同期たちは
心を無くして去っていった。
ほぼ鬱状態で辞めていったと思う。
入社当時はあんなに
キラキラ輝いていたのに。
 
心細かったけど
残った同期と支え合い、
ガランとした社内で
細々と制作物をつくっていた。
 
こんなに人が
辞める会社であっても
真面目で愛社精神
たっぷりだった私。
「失ったお客様の
信用を取り戻したい」
と必死だった。
 
社長のことを
卑下するスタッフは多かった。
だけど、
完璧な人間なんていない。
私は入社できたことや
同期に出逢えたこと、
夢が叶ったことを感謝していた。
 
もちろん、
会社の体勢については
改善が必要だ。
でも、社長も一人の人間。
完璧な人なんていない。
マイナスの部分だけ見たら
可哀想だ。
社長の尊敬できる部分を
見つめていた。
 
そして、
相変わらず体調は悪い。
年々悪くなっている。
だけど頑なに辞めなかった。
 
なぜこんなにも
懸命に働いているのか、
自分でも不思議だった。
  
週に一回は本気で
この会社辞めてやる!
と思うのに、
「あと少し頑張れば
ラクになるかもしれない」
「もう少し我慢したら
体調が良くなるかもしれない」
そんな希望を抱き、働いた。
 

だけど。
その希望だけは
やってくることはなかった。
 
会社は度々バッシングに遭い、
トラブルにもみまわれた。
大袈裟に演じられる
テレビの報道を見るのが怖くて、
数年はテレビを見なくなった。
 
それでも、誠実に。
会社のためにお客様のために
信頼を取り戻すために、
頑張って働いた。
 
そのおかげか、
私は能力以上にトントンと昇進した。
 
社長のお気に入りの一人、
だったのかもしれない。
だって、何か試練を与えたら
期待以上に応えてくれるんだから。

 

大ヒット


2014年冬、28歳。
心機一転。
会社は新商品の開発に
力を入れていた。
 
私は新商品開発部の
広告担当チームに配属された。
チームには
他に女性2人男性1人の
スタッフがいた。
 
上司はなんと社長。
新商品をヒットさせるために、
社長も本気だった。

短期間で成果を上げるために
朝と夕方の2回、
毎日社長に広告の
プレゼンをすることが
ルーティンとして定められた。
しかし、
これがキツかった。
 
そんなに簡単に毎日、
新しいクリエイティブは
生まれない。
だけど毎回、
何かプレゼンするために
何か生まなければならない。
 
社長は優しく
接してくれていたけど、
芯はやっぱり強かった。
妥協を許さなかった。
笑顔の裏に
どんな意図があるのか、
何を求めているのか、
私には分かった。

後輩は持っていく度に
NGをくらい、
にっちもさっちもいかなくなって
社長の前で号泣。
そんな後輩をフォローする
余裕もないほど、
私は「もっと」と上を求められた。
 
常に追い詰められる
ストレスフルな環境の中、
チームの女子3人とも
同じタイミングで生理がとまる。

こんな偶然があるだろうか。
 
それまで順調だった生理。
薬を飲まないとこなくなった。
 
仏のように
心やさしかった後輩も
いきなり怒ったり泣いたり。
感情が火山のよう噴火して、
別人になった。
 
明らかにみんなのストレスは
限界を越えていた。
 
しかもこんなに頑張ったのに、
一度目の広告テストは
チーム全員散々だった。
 
本音を言えば、
良い広告案が
なかなか思い浮かばないは、
そもそも商品に魅力や
需要がないんじゃないか。
そう思っていたけど、
言えるわけがない。

それに、
どんなに石ころのように
価値を感じられない商品でも、
ダイヤモンドに輝かせるのが
広告制作者の力だ。

逆を言えば、
広告の力で暗闇に
眠っていた商品に光を当て、
輝かせることもできる。

頑張ったらきっと、
この商品もダイヤモンドにできる。
そう信じて、
遅くまで残業して広告を作った。
 
だけど。

何度広告をプレゼンしても
新しくつきつけられる、
社長からの要望。
私もどうしたらいいか
分からなくなっていた。
 
社長がOKしなければ
広告を発行する権利すらもらえない。

お客様に届ける広告なのに、
いつの間にか
社長のためにつくっている気がした。
お客様のことより、
どうやったら社長に
OKをもらえるかを考えて
つくるようになっていた。

一日2回のプレゼンに、
心はすり減っていった。
 

 
「大丈夫ですか?」
 
ある夜。
キャッチコピーを200個くらい
考えていると、
上司が隣の椅子に座ってきた。
気晴らしに一緒に
案出しすることになった。
 
ブレストだから
どんな案でもいい。
だけどウケ狙いなのか、
私を励まそうとしているのか、
それとも真剣なのか。
上司から売れそうにもない
キャッチコピーの案が
次々出てくる。
 
いつもなら上司の冗談を
笑って受け入れられるのに、
とてもイライラした。
上司の言葉を受け止められない、
自分の心にもイラついた。
 


すると…。
 


「もう私…分かりません…。」
 
張りつめた糸が切れてしまった。
 
上司の隣で大号泣。
恥ずかしいほどに泣き、
狂ったように
弱音と苦しみを吐きだした。
 
上司は
負けず嫌いな私が号泣する姿に
しどろもどろ。



 


「…ハッ。」
 
ひとしきり泣き、我に返る。

あれ?今なら書ける。
今なら書けるぞ。

「すみません、
やっぱり頑張ります。」
 
零れた涙がしおれた心に
水を与えてくれたのだろうか。

怒りの感情が
ガソリンに代わったのだろうか。

体の内側から
エネルギーのようなものが
湧いて溢れてくる。

私は再び、強く、
パソコンに向き合った。



カタカタッ…
カタカタカタッ…



カタカタカタカタッ…
カタカタカタカタッ…




これだ。

上司を呼ぶ。

「このキャッチコピー、
どうですか?
よくないですか?」




「朝野さん…、
これ、売れますよ。」



きっと狂った精神の中で、
クリエイティブ力が
一気に開花したんだと思う。
皮肉にも
号泣した後に生み出した
キャッチコピーが、
化け物になった。



広告配布日。

「すごいよ。」 

今までにない注文の電話数が
モニターに映し出された。

一度目のテストでは
全然売れなかったのに、
キャッチコピーと
レイアウトを少しを変えただけで
めちゃくちゃ売れたのだ。
  
広告の力で、
新商品を大ヒットに
導いたのだ。

2015年2月のことだった。
 
商品部の上司には
「花ちゃん、これは
会社を救う広告だよ」
と言われ、社長には
「朝野さんやっぱり
やってくれたね。ありがとう」
と感謝された。
「天才コピーライター」
みたいな呼ばれ方もした。
 
広告を打てば
商品がどんどん売れる。
市場テストとして試していた
商品はすぐブランドになり、
会社の主力商品となった。
ブランドからは
次々と新しい商品が発売され、
会社にも活気が戻っていった。
 
素直に嬉しかった。

期待に応えたい


人に喜ばれることが
昔から好きだった。
その姿勢は仕事でも
変わらなかった。
 
期待されるほど期待に応えたい。
期待以上のものを生み出したい。
 
夢見ていたことが現実になり、
自分のつくった広告が
全国へ広まっていく。

タブロイド紙から
新聞や折込広告へと
拡大を広げていく。
 
しかし、
広告が拡大していく
ということは
それだけ制作物が増える
ということ。
私のもとには
キャパオーバーの
仕事量がどんどん舞い込んだ。
 
チームのみんなで協力して
制作を進めたらよかったものの、
当時の私は、
苦しんで生み出した
我が子のような広告を
他の人にさわられるのが
すごく嫌だった。
 
正直に言えば、スキルの高い
スタッフが辞めてしまい、
‘私の広告を任せても良いな’と
思えるほど、
信頼できる人がなかった。
 
広告には意図がある。
それを分かっていない
スタッフに任せて、
売上が下がってしまうことだけは
避けたかった。
 
だから、
新聞やタブロイド誌、雑誌など
何十種類もある広告のリサイズを
ひとりでこなした。
 
分単位で何本も迫ってくる
締め切り。
新聞社出版社ごとに違う、
コンプライアンスや
薬事法のチェック。
添削、修正、入稿。

他にも、折込広告の制作。
リピーター様に向けた同梱物や
月発行の冊子の企画・制作。
 
毎日、終電近くまで残業しては、
早起きして一番に会社に行った。
とにかく時間がなかった。
 


人に優しくする余裕など
一切なかった。

 

コントロールできない感情


その頃からだ。
自分の性格が変わっていったのは。
 
感情のコントロールが
上手くできなくなって、
イライラするようになった。

常にピリピリした顔をして
眉間にシワを寄せて、
原稿を乱雑に置いたり、
キーボードを強く叩いたり…。
 
時間がないのに
原稿を抱えている分、
スタッフとのやり取りも増え、
話しかけられる。
忙しいのに集中できない。
やらなければならないことと
やりたいことのジレンマに
挟まれ、さらに苛立った。
 
昔は話しかけられたら
手を止めて、
相手の目を見て
会話をしていたのに、
相手のほうを向く余裕もない。
 
上司に相談して、
私に喋りかける時間を
制限してもらった。
 
次第に言葉遣いも荒くなり、
言うつもりもなかった
汚い言葉が口から
出てしまうようになる。

ペアで頑張ってくれている
デザイナーに対しても、
思ってもいない
ひどい言葉や嫌味を言ってしまう。
私にビクつくスタッフもいた。

帰り道は歩くことさえ辛く、
腰に手をあてながら
ゆっくりゆっくり足を進めた。
1日を振り返り、
自分の性格の悪さに落胆しながら
帰路に着いた。
 
会社が黒字になるほど、
自分の心が擦り減っていることに
私は気づいていなかったのだ。

それでも社長を目にすると、
どんな時もキラキラ
ポジティブモードになれる。
良い人を演じるパワーはあった。

そんなある日、
私の限界に気づいていた
同期やデザイナーの先輩方が
手を差し伸べてくれた。
主力のスタッフを集め、
私の仕事の負担が軽くなるように
ミーティングを開いてくれたのだ。
 
「朝野さん
こんなに疲れてるじゃない。」
 
ミーティング中、
ふいに言われた先輩の言葉に
泣きたくもないのに、
涙がポロポロ零れた。
 
この頃から悲しくもないのに
勝手に涙がでるようになる。
 
ミーティングでは
自分がどれだけ限界を超えて
仕事をしていたのかを教えてもらった。

負担を軽くするため、
仕事を素直に
チームの後輩に割り振ること。

すると、
「朝野さん、任せてください!」
後輩たちは私と同じ熱量で
頑張ってくれたのだ。

時には私が思いつかない
アイディアで
成果を出してくれた。

デザイナーとのやり取りの方法も
話し合って改善することで、
自分の時間を
確保することができた。
 
この時、初めて
『相手を信頼して任せること』
『周りを頼ること』
の大切さを学んだ。
 
私は勝手に
自分で自分に厳しくして、
周りも厳しい目で見ては、
自分も周りも
苦しめていたのだ。
 


周りはいつでも優しかった。

売れることの代償

 
チーム一丸となってから、
勢いはさらに増した。
 
一年で5万個売れれば
ヒットといわれる通販業界。
新商品は
あっという間に
100万個を売り上げた。
 
スタッフみんなで喜び合った。
 
何より、お客様から届く
効果を実感した感動のお声や、
ずっと悩んでいたことが
解消されたというお喜びの声が
嬉しい。

そして、たまに
「広告が良かった!」
「この広告なら
信じられると思って買った」
と褒めてくださることもあり、
広告も誰かのためになっているんだと
有難い気持ちになった。
 
しかし。
 
紙広告で
モノを売り続けるというのは
簡単なことではなかった。
 
同じ媒体に
同じ広告を出し続けていると、
どうしても売上の数字が
疲弊してくる。
すると今度は
ヒット広告よりも
売れる広告を
つくらないといけない。
 
売れるということは、
数字を出し続けなければ
いけないということであった。
 
薬事法の規制も厳しく、
思い通りに
広告を掲載できないことや
ライバル会社からの
やっかみも受けることもあった。
 
売れるということは、
壁が厚くなるということであった。
 
仕事が終わっても
帰りの電車の中でも、
お風呂の中でも
寝る前も。
広告のことが気になって、
もっと良くするには…と考える日々。
原稿が手放せなかった。
 
常に頭は仕事モード。
心は緊張感でいっぱい。
睡眠薬を飲んでも
なかなか眠れなかった。
 
だけど、どんなに
‘もうダメだ’と思っても。

最後の最後で、
いつもギリギリのギリギリで
アイディアが湧き、
ボンッと成果が出た。
 
身を焦がした末に
成果はあるのだと思った。
 
そして。
 
これからもっと、
商品をお客様に広げていくぞ!


 
そんな時に。
短期間で売れ過ぎたが故に、
私の広告は
ターゲットになってしまった。

 

措置命令


そもそも、広告とは
世の中にあふれている。
その中で
ターゲットとなるお客様に
広告を見てもらうには、
『尖る』必要がある。
あたりさわりのない広告は
消費者に見向きもされないし、
すぐ飽きられているからだ。
 
飛び抜けたアイディアや
『尖った』キャッチコピーは、
売れる要素になる。
そのその上で、時には
薬事法のギリギリのラインを
攻めながら商品の効果を
伝えなければいけない。

しかも『尖る』ということは
敵を生みやすい。
それに過去に一度、
大きな事件を起こしているので
私たちの会社は目をつけられていた。
 
【通達】
景品表示法違反。

私が作った広告は
公正取引委員会から
指摘を受けることとなる。
その審議は一年にも及び、
結果的に
会社の言い分は認められず、
消費者庁から
措置命令を受けることになった。

2017年2月。
商品を購入されたすべてのお客様へ
広告の違反を伝え、
自主回収する事態となる。
 
古株の社員にとっては
もう二度と経験したくない、
自主回収。
それを私のせいで
また経験させてしまうことが
本当に申し訳なかった。
 
それに
自分のつくった広告を信じ、
商品の効果を期待して
購入してくださったお客様に
心から申し訳ない気持ちで
いっぱいだった。
 
実際、
商品の効果を実感している
お客様の声は
たくさん届いている。
臨床試験でも
効果は証明されている。
それでも「嘘だったんだ」と
思われることがとても悲しく、
誰かを傷つけたかもしれない…
と思うと胸が痛かった。
 
会議室では会社のトップが集まり
毎日遅くまで会議を開き、
コールセンター、発送センター、
リピーター部門、
それぞれ対応に追われていた。
 


社長に
「あなたのせいではない」
と言われながらも
指摘を受けた日から
ずっとずっと責任を
感じていたのだと思う。
 
誰かが責めるわけでもないのに、
『会社のお金を
無駄にしてしまった分、
ヒット広告を生み出さなければ』
と大きなプレッシャーを
感じてしまっていた。
 

「次こそ挽回しないと!」

しかし、一度広告の
指摘を受けていることもあり、
なかなかチャンレンジが
出来なかった。
頭が痛くなるほど
ひねりにひねり出した
アイディアも、
薬事担当の上司から
ほぼNGをくらう。
お客様の心に届かない、
当たり障りのない広告に
なってしまう。
 
それでも頑張って
なんとか出来上がって
売上数字も良かった広告も、
全国への拡大となると
懸念点が生まれて
発行できなくなった。
つくってもつくっても
いたちごっこの日々。
 


心も体も疲れていた。

自分が大嫌い

 
その頃の私は
『数字』の鬼になっていた。
誰かの喜びのために
広告をつくっていたはずなのに、
いつの間にか
売上の『数字』をあげるために
働いていた。

余裕なんてない。
もともと
穏やかな性格だったはずなのに、
トゲトゲしい性悪の女になって
笑顔も忘れていた。
 
「こんなのだったら
私でも考えられるよ。」
「何が変わったの?」
「本気出して考えてる?」
 
気づいたらデザイナーに
嫌味な言い方をして、
原稿のマイナス点ばかり
指摘していた。

互いにイメージしていた
デザインの方向性が違うだけ。
それなのに、
「頑張ってない」
「やる気がない」
「クリエイティブ力がない」
と決めつけた。


「はぁ…。」

デザイナーが
席の後ろに置いていった
新しいデザイン案を見て、
大きなため息をつく。

ため息って無意識じゃなくて
どこか意識的に出している。
ため息は相手へのアピールだ。

「はぁ…。」

なんで
このクオリティなんだろう…。
自分で考えたほうがマシだ…。
考える時間がないから
お願いしてるのに。
もっと勉強してよ。
こっちは寝る間も惜しんで
勉強してるのに。

頭を抱える。

「はぁ…。」

深いため息をついて
頭を抱える私を、
デザイナーはどう見ていたのだろう。

あの時の私と
仕事していたデザイナーたちは
楽しくなかったと思う。



成果に追い詰められるほど
私の心は頑固になっていった。

部署全体で高みを目指すなら、
成果につながる情報は
共有にしたほうがいい。

勤勉家で
それなりに成果も出していたので、
いろんな知識や情報、
自分だけの成功のテクニックを
持っていた。

だけど、
頑張って得た知識や
集めた情報を渡したくない。
成果を奪われたくないと、
頑なに共有を拒んだ。

私が持っている情報を
誰かが探していても知らん顔。
アイディアをマネされると
ひどく苛立った。

自分と同じ情熱を相手にも求め、
「もっと、もっと」と追い込んだ。
帰る時間は相手の自由なのに 
「え?残業せずに帰るの?」と
嫌味を言った。

私の言葉は
人の心を傷つけるナイフだ。



自分が大嫌いになっていた。

心は大赤字


自分を嫌いと思うたび、
体調も悪化してった。
 
全く食事がとれない日があったり
逆に暴飲暴食をする日があったり、
記憶にないことをしていたり、
毎日使っていたパスワードを忘れたり。
体には様々な異変があらわれる。
 
会社に貢献すればするほど
私の体は蝕まわれていった。
 
思えば、
薬事法の指摘を受けてから
いや、入社して2年目には
一年の8割は具合が悪かった。
 
こんなに具合は悪かったのに
なんで私はそれを
無視してきたのだろうか。

目の前のことに
とらわれ過ぎてしまい、
人生を『長い目で見る』という
視点を持てていなかった。


 -

そして、30歳の春。

もう一度ヒット広告を
生み出すために編成された、
実力者が揃うチームで
新しいプロジェクトに
取り組んでいた中。
さらに異変が起き始めた。

まだ誰もしたことのない
新しい挑戦は、
心に大きなストレスや緊張感を
与えていたのかもしれない。

過度な食事制限に、
過度な暴飲暴食。

日中は食べたら太るという
恐怖と戦いながら、
夜中は苦しいほどに食べ、
朝は食べた後悔が
私の心を襲った。

何を食べて良いのかも分からない。
食べる自分もコントロールできない。 
自分の意思ではどう頑張っても
食べることが止められない。

もう、いっぱいいっぱいだった。
 
だけど、これを乗り越えたら
絶対いい広告ができると信じていた。
 
そして、
無事プロジェクトは成功し、
数日後には新しい広告ができた。
 


しかし、その翌日。



緊急入院。
 
ギリギリの淵にいた私の心は
ガラガラと崩れ落ちていった。
 

広告の結果を見ることなく、
私の心が先に倒産した。
 


 
後日、
スタッフからこうメールが届いた。
 
「朝野さんが新しく考えた
キャッチコピーの広告、
売上がすごくよかったから
それを拡大することになったよ。」
 
…そうだろう。

絶対、お客様の心に
響くと思ったんだ。
確信があったんだ。
頑張ってよかったよ。
お客様に商品を
喜んでもらえたらいいな。
それで少しでも
会社が黒字になれば嬉しいよ。

そして…。

成果を出した当の本人は
赤字になった心を治すために、
自分の稼いだお金で
治療をしている。
 
人のために働いた結果、
待っていたいのは
傷だらけの心だった。

 

頑張り過ぎです


「朝野さん!そんなに
頑張らなくていいですから。」

朝の集いが終わって、
デイルームの気になるところを
掃除していると、
看護師さんが慌てて
声をかけてきた。

「え?」
 
「そういうお掃除は
私たちがやりますので。
大丈夫ですよ。
気になったら言ってください。
朝野さんは
ゆっくりしてくださいね。」
 
何も頑張ってないけど…。
 
「あ、はい。」
 

別の日。
 
個室で本を読んでいると、
看護師さんが入ってきた。
 
「あら、朝野さん、
今日も本読んでるのね。」
 
「はい。」
 
「それ、日高先生が貸してくれた本?」
 
6冊くらい積まれた本を
指さしながら看護師さんが言う。
 
「そうです。読むの楽しくて。」
 
「そうですか。
でも無理しないでね。
ここでは頑張らなくていいですから。
ゆっくり過ごしてね。」
 
「あ、はい…。」
 
また言われた。
何も頑張ってないけどな…。
 

食後にヨガをするのが日課の私。
ヨガマットを敷いて体操をしていると
たまに看護師さんが巡回にやってくる。

「失礼します~!
お、今日もヨガやってるのね。
気持ちいいでしょ?」
 
「はい。体が伸びます。
入院する前は毎日ジムで
ヨガをしていたので、
しないと気持ち悪くて。」
 
「私もやってみたいなぁ。
あ、でも朝野さん、
きつい時は休んでね。
頑張り過ぎないでくださいね。」
 
「習慣なので大丈夫ですよ~。
ありがとうございます。」
 
「そう、ならよかった。」
 
まただ…。

看護師さんたちは
私が踏むアクセルに
ブレーキをかけてくれている
ように感じる。


ある日のこと。

今、私の仕事
誰がしてるんだろう…。
のんびりしてる間に
置いて行かれてちゃうよな…。
退院したらすぐ復帰しなきゃ…。

仕事のことが頭にちらつき、
気持ちが焦っていた。

でも、
復帰して大丈夫なのかな。
よく考えたら
会社に入ってから
ずっと体調が良くない。

好きなことが仕事になって
やりがいも楽しさも
感じてはいるけど、
もしかしたら今の会社、
私に合っていないのかな…。
 
頭の中がグルグルする。
 
そうだ。
≪自分の気持ちを伝える練習≫
を兼ねて、
看護師さんに今の気持ちを
打ち明けてみよう!
 
巡回に来た看護師さんに
今の気持ちを話してみた。
 
すると…。
 
「そんなに思い込まなくても
朝野さんなら大丈夫よ~。

今は退院後のことは考えずに
のんびりしたらどうですか?
せっかく入院して
ここに居るんだから。
まずはしっかり体を休めて
健康になってください。

きっとね、その時がきたら
しっくりくる
答えが出ると思いますよ。
今から頑張ることを
考えなくても
いいんじゃないでしょうか?
ゆっくりのんびり、
朝野さんの好きなことを
してくださいね。」
 
また、だ。

看護師さんから見て
私は一体何を
頑張っているというのだろう?
不思議でたまらなかった。

たしかに、
もともと『頑張り屋』ではある。
でも‘その程度’と思っていることを
「頑張り過ぎす」と言われ、
混乱する想いだった。

しかし、さすがに
何度も「頑張り過ぎです」と
言われるうちに、
もしかしたもしかしたら私は
普通の人より、
「頑張り過ぎている」のかも
しれないと思い始めた。

この子を頑張らせないでください!


外出許可が出て、
母と過ごしていたある土曜日。
精神状態が乱れてしまった。
 
何か大きなことが
あったわけではない。
 
病院という守られた世界から
急に外の世界に出ると、
今まで見えていなかった
現実を実感してしまって、
焦ってしまった。
変にあれこれやり過ぎて、
気持ちがいっぱいいっぱいに
なってしまったのだ。

叫んだり号泣したり喚いたり。 
パニック障害のような
症状になってしまい、
母もどうすることもできずに
外出の途中で病院に戻った。
 
「すみません…。
外出から戻りました…。」
 
母が近くにいた
看護師さんに話しかける。
 
「あら、早かったですね~。
あれ!?
朝野さんどうかした!?」
 
そこにいたのは看護師の室さん。
明らかに様子のおかしい私に
慌ててやってくる。
 
「ちょっと今日…
いろいろと頑張り過ぎて
しまったみたいで…。
混乱してパニック状態に
なってしまったんです。」
 
しどろもどろ話す母。
室さんは頭で何かを考えながら、
怖い顔をしている。
 
すると、私を
手でかばうような姿勢をとり、
 
「お母さん、
この子を頑張らせないでください!」
 
そう強く母に言った。
 
「お母さん、いいですか?
普通の子は
頑張っても病気になりません。
だけど、
この子は…
この子は…
頑張ったら病気になるんです!
だから
頑張らせないでください。
今はちゃんと
セーブしてあげてください。」
 
室さんの言葉と真剣な眼差しに
涙がでそうになる。
 
頑張ったら病気になる?
どういうこと?
 
「はい。
これから気をつけます。」
 
頭を下げる母。
 
お母さんが悪いんじゃないよ。
勝手に頑張ったのは私だから。
 
病室まで着いてきてくれる母。
 
「花、ごめんね。
お母さんが…
頑張り過ぎる子に
してしまったんよね。
お母さん、気をつけるけん。」
 
切なくそう言う。
 
「ううん。私が勝手に
頑張ってしまうだけばい。
お母さんのせいじゃなかよ。
今日もありがとうね。」
 
室さんに怒られる母が
可哀想だった。
 
だけど…室さんが言うように
何か頑張ったあと、
過食の症状が出やすくなるのは
事実だ。
 
もしかしたら
私に起こる様々な症状は、
『頑張り過ぎ』の
サインなのかもしれない。
当たり前になっている
『無理』に気づかせてくれて
いるのかもしれない…。
 
看護師さんの言葉には
ハッとする気づきがしばしばあった。
 

―そして―

入院して
はじめて気づきをくれた、
忘れられない
ある看護師さんの言葉がある。

その笑顔、本物?


「こんには、朝野さん!
私、主任の牧田です。」
 
それは入院3日目のこと。

病室にいると、
ハツラツとした40代後半の
看護師さんが入ってきた。
キラキラと明るい笑顔が
好印象だ。
 
「はじめまして、朝野花です。」

「はじめまして~。
この数日めまぐるしかったでしょ?
どう?体調大丈夫?」

「はい。大丈夫です。
まだ分からないことがありますが、
看護師さんも患者さんも
良い人たちでよかったです。」

「そう!」
 
互いにニコニコ顔を合わせる。

今まで接した看護師さんも
良い人たちだったけど、
牧田さんは愛嬌があって
太陽みたいな女性だ。

すると、

「朝野さん。
その笑顔、本物?」

「え?」
 
ドクン。
胸が鳴る。

牧田さんが一瞬、鋭い目をした。
だけどすぐ笑顔に戻った。

「いや、今の笑顔
クセなのかなって思ってね。
‛笑ってなきゃ‘って
感じがしたから。」
 
牧田さんは
右手の親指と人差し指を
口の両脇に当てる。
 
また胸が
ドクンと鳴った。

「これからよろしくお願いしますね。
気がついたことがあったら
なんでも言ってください。」

「はい、ありがとうございます。」

牧田さんが部屋のドアを閉める。

…。
 
何?
 
私の笑顔、変だった?
 
クセって言われたけど、
笑顔って大切でしょ?
 
『人前では笑顔でいること』
そう教えられてきた。

辛い時こそ笑顔、
そうでしょ?

嫌味を言われても、
理不尽なことがあっても、
無茶な仕事の依頼を受けても。
どんなことがあっても。

笑顔だと人は喜ぶ。
笑顔は人を幸せにする。
そう信じて生きてきた。
 


…違うの?
 
≪その笑顔、本物?≫

カタチのないはずのその言葉が
やけに私の胸を刺した。

 

突然の涙


看護師さんたちの言葉に
自分を見つめ直していた頃。
 
診察中、
大号泣してしまった。
その日は牧田さんが
議事録係だった。
 
悲しいことがあった訳ではない。
日高先生の問いかけに対し、
自分の人生を振り返っていたら
ドッと涙が出てきたのだ。
 
今まで
我慢していたのかもしれない。

入院生活の苦しさや戸惑い、
病気への不安や
苛立ちみたいなものが
堰を切ったように
胸の中から
涙と共に溢れてきた。
 
「本当は辛いです…。
どうしてこんなことに
なったのかなって。
なんで摂食障害に
なったのかなって。」
 
「ただ頑張って
生きていただけなのに。
何を間違えたのかなって…。」
 
勝手に口からこぼれる
自分の言葉に
さらに涙が止まらなくなる。
 
でも、
日高先生も牧田さんも
困った顔をすることはなく、
穏やかな表情だった。
 

ひとしきり泣いた後。
 
「ボクはね、
今こうして自分を見せてくれてる
朝野さんにとても安心していますよ。」
 
日高先生はそう言った。
 
その後ろでは牧田さんが
微笑んでいた。

演じていた私


診察が終わり、部屋に戻る。
 
目が痛い。
ベッドに腰かけ、
気持ちを落ち着かせる。
 
すると、
 
コンコンコンッ。
 
牧田さんが入ってきた。
 
「あ、牧田さん。
さっきはすみません…。
子供みたいに泣いてしまって。」
 
「そんなことないわ。
私ね、朝野さんが
泣いてくれたことが
とっても嬉しいのよ。」
 
「え?」
 
どういうこと?
 
「だって朝野さん、
ずっと笑ってるから。」
 
「え?」
 
「入院して辛いはずなのに、
朝野さん
いつ会っても笑ってるから。」

その言葉に
胸がギュッとなる。
 
もう一人の私が
「そうなの。本当は辛かったの。」
と体の内側から
叩いているようだった。

「だいたいの子はね、
入院したり病室が変わったりすると、
イライラしたり不満を漏らしたり、
ワガママを言ったりするものなのよ。
でも朝野さん何も言わないし、
むしろいつも笑顔だから
心配してたのよ。」
 
「そうなんですか…?」
 
入院したんだから、
この環境を受け入れるのが当然、
どんなことも我慢するのが当然、
そう思ってた。
文句を言っている人たちを見て、
子供だなと思っていた。
 
 
「そうよ。ここは職場ではないし、
誰かに評価される場所でもないわ。
そうだとしても
‛良い子‘でいる必要なんてないの。」
 
「え?
良い子じゃなくていい?」
 
「そうよ。我慢せずに
自分の気持ちに素直になっていいの。」
 
牧田さんが優しく微笑む。
その表情に
愛のような安らぎを感じた。

「今日は朝野さんの
そのままの気持ちが見れて
安心してるわ。
もっと本当の自分、見せてね。」
 
そう言って
牧田さんは部屋を出て行った。

また瞳から涙が
ポロポロこぼれる。
すると、
「我慢しなくていいの?」
心の中から声が聞こえてきた。
 
え!?
もしかしてモンスター?
 


ねぇ、教えてモンスター。
もしかして私、
ずっと我慢してたの?

笑顔を演じてたの?

看護師さんからの応援歌


思い返せば。
 
「朝野さんは落ち着いてるね」
「あの時よく動揺しなかったね」
「いつもニコニコしているね」

心では落ち込んだり
焦ったりしているのに、
そう言われることが多かった。
思っていることとは
逆の気持ちで
捉えられることが多かった。

(ここ最近は職場で
別人のように汚い態度が
出してしまっていたけど…。)
 
もしかしたらそれって。
 
自分のことより
相手やその場の雰囲気を
大事にすることが当たり前になって、
自分の気持ちを見せたり
言葉したりすることが
できなくなっていたのかもしれない。
我慢することが
クセになってたのかもしれない。
 
そして、
嫌われることが怖い私は
自分を守るために、
良い人でいるために、
笑顔を武器に
していたのかもしれない。
 
自分の気持ちを隠す代わりに
笑顔をつくっていたのかもしれない。

≪人の前では笑顔でいること≫
そう思っていたけど
本来、笑顔って
心から出るものだよね。
 
自分の心にない笑顔を
無理に表情でつくっても、
いつか心が疲れちゃうよね。
 
ベッドに横になり、
目を閉じる。
 
「頑張らなくていいのよ」
「無理しないで」
「その笑顔、本物?」
 
看護師さんが私に言ってくれる言葉。
 
それは
頑張ることや我慢することが
当たり前になり過ぎている私への
「そのままでいいんだよ」
というメッセージなのかもしれない。
 
無理に笑うことやめてみようかな…。
自分の気持ちを隠すために
笑顔を使うのをやめてみようかな…。
 
そしたら
素直な自分の気持ちが
伝わるのかもしれない。
そう思った。
 


 

退院した今でも、
頑張り過ぎている時や
心が苦しい時には、
看護師さんたちの言葉が
応援歌のように心の中で
聞こえる時がある。

その言葉は狭くなっていた
心の視野を広げてくれたり、
アクセルを全開に踏みがちな心に
ブレーキをかけてくれる。
良い人でいようと
無理している自分に、
気づかせてくれる。

 
時を超えて、今も言霊は生きている。

心に余裕を持つ


「朝野さん、
心に余裕を持つことが大事だよ。」
 
「え?」
 
診察中、
会社で起きたこれまでの出来事や
入院するまでの働き方を
日高先生に話していた時のこと。
 
「朝野さんはこれまで
心に余裕がないまま、
全力で仕事を頑張り続けて
きたんじゃないかな?」
 
「はぁ。…そうですね。
成果を出したくて常に
全力で頑張ってきたと思います。

仕事が忙しくなると
他のことが見えなくなるし、
仕事が生活の全てになって
他のことをする余裕がなくなって…。

いつも心はギリギリで、
締め切りに追い詰められて
頭がパンパンになっていました。
毎日、頭痛薬を
飲むのが日課でした。」
 
「きつかったでしょう。
心に余裕がなくなるとね、
どんなに優秀な人でも
大らかな人でも
心が優しい人でも、
正常な判断ができなくなるものだよ。
ミスも増えるし
仕事の効率も悪くなるんです。」
 
「はい…。」
 
「それに心の余裕がなくなると
人の言うことを
受け入れられなくなります。
ちょっとしたことで
カッとなったり、
イライラしてしまったり。
心が安定している時は
受け入れられていた言葉にも
反発してしまったり。

そして。
しまいには自分のことも
受け入れられなくなってしまう。」
 
その通り過ぎて、耳が痛い。
 
「はい…。その通りです。
ここ1~2年は
新商品の広告のことで
本当に余裕がなくなって…。

人間関係がギクシャクしたのは
自分に原因があると思います。
私が雰囲気を悪くしていました。
自分の気分でスタッフを
傷つけて追い詰めて…。
そんな自分も嫌いになっていきました。

もしかしたら
私が原因で辞めたスタッフも
いるかもしれません。」
 
後悔の顔を見せる私に
日高先生は優しく言う。
 
「大丈夫。
誰でも心の余裕がなくなる時は
あるものです。
職場のみなさんも
朝野さんの大変さは
理解されていたんじゃないでしょうか。
 
それに。
朝野さんは今、気付けた。
これからは
私生活でも職場でも
心の余裕を保てる人に
なれるといいですね。」
 
「はい…。
でもどうやったら
保てるのでしょうか…。」
 
心の余裕がない生活が長すぎて
どうやったら心の余裕が
保てるのか分からなくなっていた。

 

80%の力でいい

 
「朝野さんの場合、
今までが頑張り過ぎていたから、
単純に
『今の80%くらいの力で頑張る』
でいいと思いますよ。
100%で頑張れば
成果がでるってわけでも
ないですから。」
 
「えっ?
そうなんですか!?
 
私、これまで限界を越えた先の
120%くらいの力で
頑張った時に
思いもよらぬアイディアが出て、
それが成果に繋がってましたけど…。」
 
「う~ん。
そうやって成果が出ることも
あるとは思いますが、
余白があったぐらいが
脳や体へのストレスも少なくなって、
本来の力を出せるかもしれませんよ。
これからは
80%でやってみたらどうですか?
 
それに120%の力で
成果を出し続けていくのって
きつくないですか?」
 
「そうですね…。
今まで成果が出た成功体験が
120%で頑張った時だったから
それが自分の基準に
なってしまって、
走り続けていたのかもしれません。
この苦しみの先に
成果がある!って」
 
「うんうん。逆に、
これから80%の力で働いて
よい成果が出れば、
それでいいと
思えるかもしれませんよ。」
 
「そうですね!
80%を意識してみます。」
 
「うん!心がけるだけで
変わってくると思いますよ。
 
朝野さんの場合は
長い人生の中で
『頑張るのが当たり前』に
なってるから、
頑張り過ぎてる自分に
気づけるようになれたら
いいですね。」
 
「自分では
頑張ってるつもりはないんです。
だけど、看護師さんによく
『頑張り過ぎ』って言われます。
どうやったら
頑張り過ぎてる自分に
気づけるんでしょうか…。」
 
「きっと頑張り過ぎてる時、
体や心に異変があったと思うんです。
さっきの『頭がパンパン』みたいに。
 
心に余裕がなかった時に
心身にどんな変化があったか
スケッチブックに
書いてみませんか?
で、その症状がでたら
『あ、今頑張り過ぎてるんだ』って
意識的にセーブしてみる。」
 
「たしかに。書いてみます!」

 

自分で気づく、俯瞰してみる

 
早速、頑張り過ぎてる時の
心身の状態を
スケッチブックに書いてみる。
 
≪頑張り過ぎてる時≫
―――――――――――――
■身体面
頭がパンパンになる
視界が薄くなる
冷や汗が出る
頭痛がする
知恵熱が出る
胃が痛くなる
眠れなくなる
耳鳴が酷くなる


■精神面
緊張状態が続く
小さなことでイライラする
すぐカッとなってしまう
ちょっとした変化に混乱する
人が敵に見える
ミスが増える
忘れ物が増える

―――――――――――――
 
「できた!

…恐ろしい。先生、
私この不調を抱えながら
何年も仕事をしていました。
冷静に考えたら
無茶し過ぎていました…。」
 
「いや~、よくも
こんなに抱えて頑張りましたね~!
頑張り過ぎちゃいましたかね。
そして、
頑張り過ぎていたことに
気づけてよかったですね。」

「はい。入院してなかったら
このまま突っ走っていました。」

「こうやって
自分を俯瞰して見ることは
とても大事なんです。
 
朝野さんは
スケッチブックを使って、
自分を俯瞰して見ることができる。
それに、俯瞰したことが残る。
良いことです。」
 
「俯瞰…。そうですね!
もしかしたら
このスケッチブックは
つい頑張り過ぎて
自分を見失う私に、
『自分を俯瞰して見なさい』と
授けられたものなのかも。
これからは
心身のサインを無視せず、
自分を大事にしたいです。」
 
スケッチブックを
ヨシヨシとなでる。
 
先生が褒めてくれたおかげか、
今日はスケッチブックが
一段と輝いて見えた。
 

『心の余裕を持てる時間』を入れる


日高先生は実生活で
すぐに活かしたくなるような、
ステキな考え方を
いっぱい教えてくれた。

「うん、そうだね。
あと忙しい時ほど、
頑張り過ぎてるサインに
気づいていても
『大丈夫』
『あと少しだけ』って
心身のサインを無視したり、
休憩することを
後回しにしてしまうから、
そこは気をつけたいね。
 
例えば、必ずセーブする
仕組みをつくるとか。
周りに協力してもらっても
いいかもしれません。」
 
本当にそうだ。
先生は私のことよく分かってる。
 
「あとは優先順位だね。
一日のスケジュールの中に
『自分の心の余裕を持てる時間』
を必ず入れておきましょう。
 
人って重要度が高くて
緊急度が高いことに
目がいきがちで、
重要度は高いのに
緊急度が低いことを
後回しにしまうんです。
 
でも、本当は
それをコツコツすることが
心の余裕につながったり、
心身の健康を保つ基盤として
大事な部分だったりするんです。」
 
「たしかに…。
それ、すごく分かります。
私、一時期締め切り前の
原稿ばかりに追われて、
市場や顧客の広告の調査を
ないがしろにしていた時があって。
 
そうしてたらいつの間にか
最新の情報に乗り遅れて、
アイディアのストックも
減ってしまって、
いい案が全然思い浮かばない壁に
ぶち当たってしまったんです。
 
それに気づいてからは
朝、必ずスケジュールに
調査の時間を
入れるようにしました。」
 
「そうですか。
仕事が忙しいとプライベートでも
運動や寝る時間、
趣味を楽しむ時間がなくなって、
それがのちのち
響いてくるんですよね。」

「わかる~~~~~!」

睡眠なんてまさにそうだ。
残業で寝る時間が削られて
不眠が続いて、
仕事は忙しいのに頭は回転しなくて
仕事の効率も下がる…。
 
「人って目の前のことに捉われたり
『こう!』なってしまったりすると、
どうしてもそこしか見えなくなって、
心に余裕がなくなるから。

だから、私生活でも意識的に
時間をつくってあげることが
大事なんです。
仕事と同じように。
朝野さんの人生自身に、
ぜひ取り入れてみてくださいね。」
 
「はい。ありがとうございます。」
 
それから部屋に戻って、
緊急度と重要度の
縦と横の線を書いて、
マトリックス表をつくってみた。
 
どうやら私の人生には
≪散歩やヨガ、体操、書く時間、睡眠≫が
優先順位は低いけど
重要度は高いことのようだ。
  
今はできている。
余裕があるからだ。
 
これを退院してから
ちゃんとできるようにならないと
意味がないな。
 
それによく見たら
≪散歩やヨガ、体操、書く時間、睡眠≫
どれも心身を健康にするためのものだ。
すごい大事なことなんだ。
 
マストでいれよう。
ヨガのために
会社の残業をやめてもいいんだ。
 
自分で
『自分の心の余裕を持てる時間』を
つくることで、
長い人生の健康を保っていくんだ。
 
あらためて
自分の人生を俯瞰してみてみると、
いつの間にか
自分の大事な人生を
ほとんど仕事で
埋めてしまっていたんだな。
それで心が豊かになるなら
話は別だけど、
心は赤字になっていた。
過去の自分が可哀想になった。

よし、これから変えよう。
 
生活を、変えよう。

 

摂食障害グループに入りたい


「こんにちは、朝野さん。」
 
見かけない女性が病室に入ってきた。
 
「私、臨床心理士の
寧(ねい)と言います。」
 
「あ、こんにちは。」

「日高先生から
摂食障害のグループミーティングに
参加したいって伺ってて。
それには参加できるかどうかの
検査があるって聞いてるかな?」
 
「あ、はい。」
 
そういえば。
病棟を異動したすぐのこと。
 


「先生、摂食障害の
グループミーティングに
参加してみたいんですが…。」

少しでも早く病気を治したくて
日高先生に志願していた。
 
「おぉ。興味ありますか。
摂食障害のグループミーティングはね、
参加していいかどうかの心理検査を
事前にする必要があるんです。
なので、手配しておきますね。」
 
「心理検査?」
 
「そう。
グループミーティングが
プラスに向く人もいれば、
参加することで
症状が悪化してしまう人も
いるからね。なので、
検査をするようにしています。
適性があるかどうかだから、
参加できないからといって
問題があるわけではないです。」



そんな話をしてたな。
 
「その心理検査を
担当させていただくことになりました。
よろしくお願いします。」
 
「あ、はい。
よろしくお願いします。」

物腰の柔らかい女性。
寧という名前の通り、
一つひとつの言葉やしぐさが
丁寧で落ち着いている。

「検査には、
対面の検査と筆記の検査があります。
でね、時間がある時に
筆記のほうをやっていて欲しくて。
今日プリント持ってきたので
書いてきてくれるかな?」
 
「あ、はい。」

両面印刷されたA3のプリント。
何やらぎっしり文字が書かれている。
5枚くらいあるだろうか。

「では、よろしくお願いしますね。
分かるところから
埋めてもらって大丈夫だから。」

書くことは得意だ。
任せてください。
 
「分かりました。」
 
寧さんが部屋を出た後。
早速、机に座って
プリントに向き合ってみた。
ザッと質問内容を読んでみる。
 
・あなたはどんな子供でしたか?
・あなたにとって母親はどんな存在ですか?
・あなたにとって父親はどんな存在ですか?
 
自分のこと、家族のこと、過去のこと。
そこには人生を振り返るような質問が
永遠のように続いていた。
 
書くことは大好き。
だけど。
過去や心と向き合う時間に
何度も手が止まり、
時に頭を抱え込んだ。
 
思い出したくないことを、
思い出してしまいそうな気がした。

でも、
いつもあと少しのところで
顔を出しそうな思い出は
心のポケットに隠れた。


幼少期の質問は苦手だ。
記憶力の良さに驚かれるのに、
なぜか
保育園の頃の記憶がほぼないのだ。
消しゴムで
強く搔き消しているかのように、
ない。
 
思い出すのは
毎夜、両親が喧嘩をしている姿。
 
怒鳴り声と大きな物音が怖かった。
怖くて寝たふりをしていた。
 
「もう耐えられない!」
そう叫ぶ母に起こされ、
二階の寝室から一階の畳の部屋に
移動している自分。
二人が離れてしまわないか、
不安でたまらなかった。
布団の中でギュッと目を閉じた。
 
「花を連れて、出て行く!」
荷物を抱える母と車に乗り、
母方の祖母の家に
移動している自分。
家族がバラバラに
なってしまうんじゃないかと、
怖くてたまらなかった。
 
鮮明に覚えている。
 
空白だらけの回答欄。
それでも頭を振り絞り、
なんとか埋めて
期日までに提出した。
 
対面の心理検査って何をするのかな。
心理学科を卒業していることもあり、
ワクワクした。
 

ロールシャッハ・テスト


「今から絵を見せますので、
それが何に見えるか、
どう感じるか教えてくれますか?
正解はないから自由に答えてね。」
 
「はい。」
 
私は今、面談室で
寧さんから心理検査を
受けている。

インクを垂らした紙を
二つ折りにして広げたような
左右対称の絵が、
何枚も目の前に現れる。
 
墨色だけの絵もあれば
カラフルな絵もある。

「ん~
コウモリ?悪魔?ですかね…。
なんだか怖い感じがします。
敵のように感じます。」
 
これは
『ロールシャッハ・テスト』だ。
大学生の頃、心理学を
専攻していたので知っている。

心や性格とか目に見えない世界、
本人も意識していない
内面の世界を理解するために
用いられる心理検査だ。
 
時を超えて今自分が
『ロールシャッハ・テスト』を
受けていることが
なんだか偶然とは思えなかった。
 
一時期、私は
カウンセラーになりたかった。
大学では様々な
心理学や統計学を学んだ。
その中でも、
なぜか家族心理学に興味が湧き、
卒論では
『夫婦間のコミュニケーション』
について研究発表した。
 
あの頃は
気付いていなかったけど、
小さい頃、
両親の仲が悪かったことで
『夫婦仲』『家族心理学』に
興味を持ったのかもしれない。
家族が仲良くなることを
ずっと願っていたから。
 
そして。
心の悩みを抱えているからこそ、
誰かのことを
救いたかったのかもしれない。
自分の心を
知りたかったのかもしれない。
  


なんと表現していいか
分からない、
曖昧な絵が繰り出される。
 
違う検査も行い、
気付けば開始から
2時間以上が経過していた。
 
「以上です。
お疲れ雅でした。
結果が出たらお知らせしますね。
朝野さん疲れたでしょ?
今日はゆっくりしてね。」
 
「いえ。こちらこそ
ありがとうございました。」
 
 

部屋に帰り、ベッドに転がる。

「しんどかった…。」
 
ドッと疲れた。
 


それから何日経っただろう。
 
結果が出たようで、
寧さんから面談室に呼ばれた。
その手には分厚い資料。
 
きっとその中に
私も知らない
私の『心』が書いてあるのだろう。
 
静かな沈黙が流れる。

何を言われるのか
見当もつかなかった。

人が怖い


「ここにあることを
全部伝えるわけではないです。」
 
寧さんははじめにそう言った。

え?どうして?

すごい知りたい。全部知りたい。

自分のことなのに。
なんでだろう?
 
寧さんは何度も資料に目をやり、
慎重に言葉を選んでいる様子。

そして、静かに口を開いた。

「朝野さんの心ってね、
すっごく繊細なの。」
 
へ?繊細?
続けて寧さんが言う。
 
「こうね、
伝えたい言葉が喉のここまで
出かかっているんだけど、
それをどう言葉に
していいか分からない…。
上手く言葉にできない。
あと少しで出てきそうなんだけど、
どう表現したらいいか分からない…。
そういう風に受けとれるのね。
そう感じたことない?」
 
「…。」
 
一瞬、時が止まる。

…すごい。
 
首を立てに振る。

なんだこの人…。
なぜ知ってるの?


私、ずっと
その言葉を探してた。
きっと、ずっと
そう言いたかった。

今まで言葉にできなかった
『私の気持ち』を、
表現してくれた寧さんの言葉に
涙がでそうになる。


そう。
 
寧さんのその曖昧なニュアンスが
ピッタリ当てはまるくらい、
私の心はいつも曖昧で
自分の言葉に自信がない。
 
物心ついた頃から
‘自分の気持ちを言うのが怖い’
という感情が常にあった。
どう表現していいか分からなかった。

そして、その曖昧さが
いろんな判断を鈍らせた。

本当の私の気持ちはどれなんだろう。
本当は何がしたいんだろう。
本当の私はどれなんだろう、と。


「‘人が怖い’。
そう受け取れるのね。」
 
「え?」
 
人が怖い?私が?
 
人に嫌われることが怖い
とは思うけど…。
 
そもそも、人が怖い?
 
キョトンだ。

だって、仲間の集まりや
誕生日サプライズや幹事とか
率先してやっている。

その私が?

…人が怖い?
 
まさか。
 
「朝野さん、
‛人が離れていくのが怖い‘。
…そう感じることはない?」
 
「え?」
 
そんなこと…。
 
「…あります。
人が離れていくのが怖い
っていうのは、
きっと物心ついた時から
そうだと思います。」
 
家族でも友達でも恋人でも
どんなに信頼している人でも
いつか、
私のもとから離れていってしまう。
そういう不安が常にあった。

恋人ができて真っ先に思うことは
‘いつか別れるんだろうな’
という不安。
だから、
振られないようにするためには
どうしたらいいんだろう?
そう考えて接していた。

相手の顔色や表情を気にして
怯えていた。

誰かに愛されることは、
嬉しい以上に
不安なことでもあった。

友達ともそうだ。
仲良くなるほど
不安な気持ちが生まれた。
友達が他の子と仲良くすると
心配になった。
私のことを忘れて
離れていくんじゃないか、
他の子に
捕られてしまうんじゃないかと。

だから、本当は
友達との付き合い方も
距離の取り方も
よく分からなかった。
 
変に頑張って、
変に距離をとっては
勝手に疲れていた。
 
友達の輪にも
上手く馴染めていないと
感じていたし、
気を遣われている気がした。

それに、
こんな複雑な心情を持つ私に
友達も居心地の悪さを
感じていたと思う。
それが伝わるから、
余計に苦しかった。
 
…!

…もしかして。

面倒くさいと思いながらも
仲間を集めたり、
義務のように定期的に
女子会を開いていたのは、
結局、人が離れていくのが
怖かったから?
だからみんなと居ようとしたの?
 
「でも…。
人が離れていくのが怖いって
いうのは分かるんですが、
私って
人そのものが怖いんですか?
今までそう思ったことなくて。

…あっ!えっ?
ちょっと待ってください…。」
 

仲良しのグループと
一緒にいる時の自分が頭に浮かぶ。

自ら声をかけ開いた集まり。
楽しみにしていたはずなのに、
いつも空虚感の中にいた。
家に帰ると、
楽しかったはずなのに
虚しくなった。
心がドッと疲れ、
あんまりいい気持ちがしなかった。
みんなといるのに
寂しくて不安だった。

それって…
結局、人が怖かったから?
 
本当の本当は、
人と関りたくなかったってこと?
 
嘘でしょ?
 



でも…。
 
「でも、辻褄が合います…。
合ってしまいます。」

なぜか子どもの頃から、
集団でいると一人、
取り残された気分になった。
みんなでいるのに
独りぼっちという感覚。
どこか緊張していて、
居心地が悪かった。

なんでみんな
こんなに楽しそうなんだろう?
なんで私は
楽しめないんだろう?

まるで映画を観客席から観るように、
自分も居るはずの
その輪を一歩外から眺めていた。
早く帰りたいと思うことも多かった。
 
『仲間』というものは
人生の中でかけがえのない、
大切な存在のはずなのに。
『仲間』というものに
馴染めないでいた。

小中高生の頃は、
大人数で騒ぐ女子のことも、
連れションする女子のことも
理解できなかった。

もちろん、
毎日一緒に過ごす
友達はいた。
慕ってくれる人もいた。
だけど、
友達のはずなのに
いつも気を遣っていた。

周りが無邪気に
友達と戯れている姿を見る度、
‘どうやったらそうできるんだろう、
いいなぁ’と思った。

特に仲良くしているはずの友達でも
心は許せていなかった。
素直になれなかった。
何を喋ったらいいか
分からない時も多かった。

ぎくしゃくするもの、
それが友達だった。

それに、
中学生くらいからだろうか。
自分の発言でしばしば
場の空気が変わることに
気づいた。
「天然だね」と
言われることもあった。

違う。
前提として、
‘持っている感覚’や
‘物事の見る角度’が
周りと違う。
だから、
発言しても
一歩ズレてしまうんだ。
そう気づき、ずいぶん悩んだ。

だから、
ヘンな空気にならないよう、
自分の気持ちを押し込めるのが
自然とクセになっていった。



つまり、それって…。

みんなといること自体が
私には合わなかったってこと?
 
人が怖かったってこと?

でもでも。それでも。
大学で心理学科に入って、やっと。
前提として
‘持っている感覚’や
‘物事の見る角度’が
同じ人たちに出逢えた。
心が安心できる友達に出逢えた。
‘相手に心を開く’
‘自分のことを分かってもらえる’
喜びを知った。

でも…それってもしかしたら、
心理学に興味を持つ人たちが
私と似た心を持っていたから?

だから、社会人になって、
また人と上手く
コミュニケーションが
とれなくなったのかもしれない。



自分の人生が覆されるような
すごい真実に
気づいてしまった気がして、
とても混乱した。

だけど…。

今出した答えにとても
しっくりきている。

「なんかもう泣きたいです。
私の人生の辻褄が
合ってしまいました。」
 


私の人生は
相反する気持ちで
空回りし続けていたのだ。
 

アンビバレントな心


寧さんに今の気持ちを
言葉にして伝えたいけど、
混乱して
上手く言葉にできない。

落ち着こう。
落ち着くんだ、私の心。

悲しい顔をする私に
寧さんが何か
話しかけてくれている。
だけど、耳に入ってこない。

多分、
「人が怖いことが悪い訳ではない」
そんな感じのことを
言ってくれていたと思う。
 
心がザワつく中、
心理検査の解釈が続く。
 
「朝野さんの心ね、
いつも不安定なの。
こうね、
心にぽっかり穴が
空いてしまっているのね。」
 
「…穴?」
 
「そう、心の穴。
そして
この穴を埋めるために、
何かを頑張ったり
誰かを求めたり
何かを買ったり…と、
必死になってることが
あるかもしれません。」
 
へ?
 
寧さんの言葉を聞いた瞬間、
心の奥から声が響いた。
 
「助けて」

胸が痛い。

これは、心の穴?
 
待って。
もしかして私、
心に空いた穴を埋めるために
今までいろんなことを
頑張ってきたの?

学級委員になったり、
体育祭のリーダーになったり、
テストで学年首位をとったり。
成果を出すため懸命に働いたり。

一番になることが好きだったのも、
人より目立つことが好きだったのも、
人と違った個性的な洋服や
アクセサリーが好きだったのも。
いつも誰かに恋をしていたのも。

心の穴を満たすためだったの?
 
痩せていく体や
減っていく体重の数字が
嬉しかったのも、
空いた心の穴が埋まるから?

信じたくない。
受け入れがたい。
だけど、
返す言葉がないくらい
しっくりきている…。
 
「だから…
食べることも
そうなのかもしれません。
食べることで心の穴を
満たそうとしていたのかも
しれません。」
 
心が渦巻く。
だけど整理されていく。

拒食症も過食症も
その根本にあるのは
’心の穴’ってこと…?
 
痩せることで
心の穴を満たして、
食べることで
心の穴を満たしていたの?

≪言えない気持ちが
過食につながっている≫
ふと日高先生の
言葉が頭に浮かぶ。

いろんなことが
一本の糸のように
繋がっていく感じがして
怖くなった。
 
「朝野さん、
近づきたいけど、
離れるのが怖い。
そんな相反する気持ち、
感じたことある?」
                               
「…え?」
 
近づきたいけど、
離れるのが怖い?
 
「…あります。
というかこれまでの
私の人生を表すなら
まさにそれです。
私の心、すっごく
アンビバレントなんです。
 
人と居たいのに
離れるのが怖いし、
愛されたいのに、
嫌われるのが怖い。
言いたいのに
言うのが怖い。

いつも
相反する想いを抱えながら、
相反する気持ちと戦いながら、
生きてきた気がします。

そのままの私でいたいし
ありのままを伝えたいのに、
自分の気持ちに
正直になった時に
傷つくのが怖いんです。
 
だからこそ…
人が怖いのだと思います。」
 
さっき出した答えを
やっと寧さんに
伝えることができた。
 
「そう。
きっと心に穴が空くのが
怖かったのね。
だから自分の気持ちを
飲み込んでいたのかもしれません。
相手の気持ちを優先して
しまっていたのかもしれません。」
 
なんだろう、
なんだろう。
涙がこみ上げてきた。


 
気づいてしまった。
 
30年も不器用な
生き方をしてきた自分に。

気づいてしまった。

 

自分の心はどうなんだい?


「寧さん、私、
自分の心に空いた穴を
埋めるために
生きていたんですかね…。
心に穴が空くのが怖くて、
何かにしがみついて
人のために
生きていたんですかね…。」

会社で心が疲弊するまで
働いていたのも、
恋人のために必死に
なっていたのも。
誰かに認められることで
心の穴を満たそうと
していたのかもしれない。

「今まで何のために
頑張って生きてたのかな…。」
 
全身の力が抜ける。
 
「朝野さん、
人のために頑張ることは
とてもいいことなのよ。
大丈夫。
朝野さんのこれまでに
間違いなんてないわ。

ただね、
人のために何かする前に
『自分の心はどうなんだろう?』
って心に問いかけて
みて欲しいの。」
 
「私の心、どうなんだろう?」
 
寧さんが優しく微笑む。

「そう。
私の心、
どうなんだろう?
傷ついてない?
泣いていない?
大丈夫?って。
 
誰より、何より、
自分の心を大事にしてね。」
 
寧さんの優しい声が
心に沁み込む。

 
自分の気持ちを押し込めて、
人に合わせて生きることが
当たり前だった。
何かしたいと思うと同時に、
それをするのが
怖いという気持ちを抱えて
生きていた。
心から安心できる場所が
なかった。
私の心は宙に浮いたように
いつも不安だった。
 


「ねぇ、傷ついてない?」

胸に手を当てる。すると…。

 「とっても傷ついてるよ。
立ち上がれないくらい
ボロボロだよ。
やっと気づいてくれたんだね。
ありがとう。」

そう声が聞こえた。
ごめんね…。
私の心、本当にごめんね。
 

 
きっと
寧さんには見えていたんだ。
ボロボロで傷だらけの私の心が。
 
寧さんの言葉は傷口に
薬を塗ってくれているようだった。
 
少し沁みるけど、じんわり優しい。
心の傷口が癒えていく感じがした。

ごめんなさい


放心状態で
病室まで歩く。
 
本当にそうなのかもしれない。

寧さんが言うように、
私の心には穴が空いていて、
この数年は
仕事で自分を追い詰めて、
さらにその穴を
広げてしまっていたのかもしれない。
 
そして広がった大きな穴を
痩せることで満たし、
食べることで満たして
いたのかもしれない。
 
もっと痩せたいと思う気持ちは
心の穴を埋めたいからで、
太るのが怖いと思う気持ちは
埋めた心の穴が
また空くのが怖いからかもしれない。
食べるのが止まらないのは
それだけ心の穴が
広がっているってことかもしれない。

そう考えたら…。
『食べること』に向き合うことは
もちろん大事だけど、
まずはこの
『心の穴』と向き合うことが
摂食障害を克服する
近道なのかもしれない…。
 
新しい課題が見つかった。
 


部屋のドアを開ける。

すると、面会に来てくれたのだろう。
母が座っていた。
 
「あら、長かったね~。
お昼あんまり食べれとらんやろ?
花の好きなサラダ、
買ってきたよ。」
 
今日も40キロの道のりを
運転してきてくれた母。
 
 
「う、う、うっ
うわ~~~~~~~~~~~~~~ん!」
 
「どうしたと!?」

私の心、本当は傷だらけだったんだ。
傷だらけなのに
自分の心を無視して、
心を満たすために頑張ってたんだ。

「うわ~~~~~~~~~~~ん。」
 
母が与えてくれた
私という存在を
大切にできていなかったことに、
申し訳ない気持ちで
いっぱいになった。
 
「病気になってごめんなさい。
お母さんに迷惑かけてごめんなさい。」

母はとまどいながらも微笑む。
 
「何言いいよると。
なんも迷惑なことなかよ。
みんなで頑張ることなんやけん。」
 
「うわ~~~~~~~~~~~~~ん。」
 
子どものように泣く娘。
 
「私、お母さんの
自慢でいたかったとやん。
お兄ちゃんがあげんなったけん、
私くらいちゃんとした
子どもでいたいって。
正社員で働いて親孝行したいって。

お母さんとお父さんが
誇らしく思う、
娘でいたかったとやん。
お母さんの笑顔が見たかった。
お母さんの喜んでる顔が見たかった。
だって…。」

幼い頃、
良い子だった兄は
大人になって暴れたり騒いだりして、
引きこもるようになった。
‘周りは全て敵’と
言わんばかりに攻撃的になり、
就職もせずアルバイトをしていた。
 
だから、私くらい
お母さん達の自慢でいたかった。

お母さんが喜んでいると
私も嬉しかったから。
 
でも、それも
心の穴を満たすためだったの?
それだけは違いますように、
と願った。

「なんね。
お母さんは花に何も望んでなかよ。
充分過ぎるくらいばい。」
 
母はそう言いながら笑っていた。



いろんなことに気づき、
心が右往左往した一日。
 
だけど。
この心理検査のおかげで、
意識が大きく変わった。

『頑張る』の根本が変わった。
 
人のために頑張る時はまず、
『自分の心を大事にする』ことが
できるようになってきた。
「私の心はどうなんだろう?」
そう自分に問いかけることが
できるようになった。
 
自分のために頑張っている時も、
心の穴を満たすために
頑張り過ぎてないか
考えられるようになった。
 
そして、
今やっていることで
本当に心の穴が満たされるのか、
立ち止まって
自分の本当の気持ちを
見つめることが
できるようになってきた。

寧さんがくれた宝物たちに
心から感謝している。
 


 
摂食障害グループに
参加するために受けた心理検査。

人に敏感で影響を受けやすい私は
結局、摂食障害のグループの
ミーティングには参加できなかった。

でも、自分の心を
知って納得ができた。
 
グループミーティングで
得られることも
たくさんあると思う。
だけど今の私は、
人と比べて焦ったりするだろう。
人と関わることで
新しく生まれる感情に
悩んでしまうだろう。
 
あくまでも
グループミーティングは
治療の一つ。
私には自分で考え、
解決できる力がある。
 
自分に合った治療法で
前に進んで行こう、
そう思った。

 


入院してからというもの
母は多くて週に3回、
病院に会いにきてくれた。

決して病院までの距離は近くない。
家から田舎道を走らせ、
高速に乗り、約1時間の道のりだ。

そして60代前半。
決して若くはない。
運転も得意ではない。
きっと毎回、肩に力を入れて
ハンドルを握っていたと思う。

母は私が快適に
入院生活を送れるように、
あらゆるサポートをしてくれた。

こまめな洗濯や着替えはもちろん、
「病院の固いベッドや
ゴワゴワの毛布じゃ寝心地が悪い」
と話すと、
気持ち良く寝られるようにと
クッション性のあるベッドマットや
ふわふわの毛布を持ってきてくれた。

「病院の固い椅子じゃ
物書きや読書の時、お尻が痛い」
と話すと、
家から大きくて座り心地のよい
椅子を持ってきてくれた。
 
椅子を持ってきた時はさすがに
看護師さんもびっくりしていたけど…。

それほど、
母は私に一生懸命だった。
というか、きっと必死だった。

心の中に
「自分のせいで花が…」
という想いがあったのだと思う。
言葉にしなくても
母の気持ちは伝わっていた。
 
そして、母が何かに懸命になる度、
‛ごめんなさい‘という気持ちになった。

でも、
母が会いに来てくれることは
嬉しかった。
母が来てくれる日は
朝から楽しみで、
母が帰る様子を見せると
寂しくなった。
 
誰かがお見舞いに来てくれることが
こんなにも嬉しいことなんだって、
入院生活を送る側になって
初めて知った。
入院したからこそ、
いろんな感情を知ることができた。



一緒に過ごす時間は
あっという間に過ぎること。
もっと居て欲しいと思うけど
言えないこと。
長居してくれる時は
嬉しい反面、
退屈してないか心配になって
申し訳なくなること。
時計を気にする姿を見ると
切なくなること。
帰ると寂しいこと。
そして、
‘また会いにきてくれる’
それが励みになること。
 

 
「花ちゃんはいつも
お母さんがきてくれていいね。」

ある日、母を見送った後、
デイルームにいる未希さんに言われた。
 
そういえば、
未希さんのお母さんの姿は
一度も見たことがない。
他の患者さんも、そうだ。

家族が会いにきてくれることは
当たり前じゃなかった。
 

私の家族

 
私(30歳)は、
5人家族の中で育った。

学生の頃は、
父(60歳)と母(60歳)、兄(35歳)、
祖母(82歳)と暮らしていた。
 

祖母

 
祖母は、
後天性の聴覚障がい者で
耳が全く聞こえない。
若い頃に高熱が出て
聴覚が悪くなり、
私の叔母にあたる
父の妹を産んでから
耳が完全に聞こえなくなったという。
 
そんな祖母とは
口語や筆談で会話を交わしていた。
口の動きでだいたいの言葉を
読み取れる祖母。
耳が聞こえない分、
他の五感が研ぎ澄まされていて、
感覚でコミュニケーションをとる力に
長けていた。

私も祖母も互いに
声を出して会話をするので、
一見、外から見たら
聴覚障がい者ということも
分からないかもしれない。

もちろん、
言葉が伝わらない時もあるけど、
祖母が聴覚障がい者だからといって
困った記憶はあまりない。
 
障がい者も健常者も変わらない。
幼い頃からそう思っていた。 

しかし、
そんな祖母も集団になると
コミュニケーションが難しくなる。
親戚の集まりでは会話についていけず、
寂しそうな顔をよくしていた。
 
’なんでみんなおばあちゃんを
輪に入れてあげないの?
おばあちゃんにも
分かるように話をしてよ。’
気が回らない親戚が
不思議だった。

なら、
私が代わりになろう!
子どもの時から、
集まりがある時は
なるべく祖母が
一人ぼっちにならないように、
祖母の隣に座って
おしゃべりしていた。

耳が聞こえなくなって
きっと辛い想いを
たくさんしている祖母。
だけど、
祖母が障がいについて
愚痴をこぼす姿を
見たことがなかった。
自分が摂食障害になって、
そんな祖母を
なおさらすごいと思う。

そして、言葉にしなくても
祖母の努力は分かっていた。
だからかもしれない。

‘おばあちゃんは
『耳が聞こえない』ことで、
諦めなきゃいけないことが
たくさんあったんだ。
だから、障がいが
気にならなくなるくらいの愛情を
家族が注いであげるんだ。

人より寂しいことや
悲しいことがあった分、
おばあちゃんには
もう幸せだけでいいんだ。
いっぱい笑って欲しい。‘
幼いながらこう願っていた。


近年は
脳梗塞や骨折で入退院を繰り返し、
自分では動けない状態である。



祖母は小さな頃から
とても良くしてくれた。
両親が共働きしていたこともあり、
お迎えは基本、祖母。
毎日バスに乗って迎えにきてくれた。
帰り道、駄菓子屋さんで
一つ好きなお菓子を
買ってもらうのが小さな楽しみで。
どのくらい先の
バス停まで歩けるかな?と
手を繋いで歩いた。

小学生になると
朝早く学校に行く私を心配して、
散歩がてら門まで送ってくれた。
祖母の笑顔はとても可愛く、
春に咲く花みたいに
明るい気持ちになった。

学校が早く終わる日は
私の好きなお菓子を準備してくれて。
夕食は食べたいというものを
何でもつくってくれた。
 
祖母は私と兄に
無償の愛を私に注いでくれた。
きっと祖母がいなかったら、
私と兄は寂しかったと思う。
祖母に対しては
兄妹で深い愛がある。

― 

そんな祖母は
母にわがままを言うことが多かった。
私たちには無償に優しいのに、
母には厳しかった。
 
「母と結婚して父の性格が悪くなった」
と祖母は言い、
「父は祖母に本性を隠していただけ」
と母は言う。

祖母の様々な圧に耐えながら
同居する母のストレスは、
大きかったと思う。
 
幼い頃、
父と母はよく喧嘩をしていたけど
その理由のほとんどが祖母だった。
 
どんなに祖母のことを言っても
協力してくれない父。
そんな父に
母は突然大きな声を出したり、
物を投げたりしていた。
父は椅子を蹴ったり
物に八つ当たりしていた。
 
私の思い出のポケットには
両親が仲良くしている姿はなく、
怖い顔をした二人が浮かび上がる。
 
でも、母と母が
ずっと仲が悪かった訳ではない。
 
一緒に食事に出かけていたし、
祖母の誕生日や祝いごとがあると
母は祖母のことをちゃんと考えて、
プレゼントを選んでいた。
祖母も私には
「お母さんには感謝している」と口にし、
母と喧嘩した後は
とても寂しそうに不安がっていた。
 
今思えば、祖母は母に
甘えていたんじゃないかと思う。
耳が聞こえなくて
辛いこともたくさんあったはず。
だけど、人前では
いつも朗らかかだった祖母。
そんな祖母が唯一、
甘えられることができた相手が
母だったのかもしれない。
 

そして祖母は
どんな時も私には優しかった。


父は、本当に変わっている。

天然、と言われる部類に入ると思う。
言うことも受け止め方も行動も、
人とはちょっとズレている。
 
そして、人に無関心。
自分が一番。
その部分ではケンカもたくさんした。
 
小さい頃は
子育てにも無関心だったらしい。
私や兄が生死を彷徨う状況でも、
趣味のゴルフに行っていたという。
 
母が体調を崩しても
心配するのは自分のご飯のこと。
家族が入院しても
自らお見舞いに行くこともなかった。
 
だけど、それでも
不器用で変わっている父が
好きだった。
ほっとけなかった。
 
父は人とコミュニケーションが
上手くとれない。
 
まず、人に挨拶をしない。
職場が同じ母は、
同僚に「愛想がない」「無視される」
と言われて困ると言っていた。
 
無視しているわけではないと思う。
興味関心のないことは
目にも耳にも入らない、
アクションも起こさない。
それが父なのだ。
 
ちゃんと働けているのか
心配だったけど、
コミュニケーションを
必要としない現場仕事だったよう。
父には合っていたと思う。
 
親戚との集まりも
その場の空気など考えず、
自慢したいことや
自分の話したいことだけを喋るので、
みんなと会話がズレている。
ズレてることにも気づかない。
興味のない話や人の自慢話になると
急に黙り込んで、
そのあとは多分聞いていない。
 
昔、バイクにハマっていた頃は
ツーリング仲間がいたようだけど、
今では友達もいない。
父の友達を見たことがなかった。
 
そして、
こだわりがとても強く、
一度何かにハマると
それを続けないと気が済まない。
途中で口をはさまれたり
外部から中断されたりすると、
ひどく混乱していた。
 
父のことを日高先生に
話したことがある。

「もしかしたらお父さん、
アスペルガー症候群の可能性が
あるかもしれないね。」
と心配してくれて
本を貸してくれた。
本を読むと、
びっくりするほど症状が
父に当てはまった。
だけど、まあいいかと思った。
 
なぜなら、
父のこだわりやハマり方は
面白くもあったからだ。
例えば、
バナナにハマれば
毎日ひと房食べていたし、
散歩にハマれば
どんなに豪雨でも
熱中症になりそうなほどの
猛暑でも、
毎日欠かさず出かけた。
父には天気という
外部要因は関係ないらしい。
サッカーのワールドカップ中は
家家でずっとサッカーの
ユニフォームを着ていた。
サッカー選手になりきり、
私にエアーパスを出す。
母は呆れていたが、
私は楽しかった。
 
キャバクラにハマれば
毎晩のように通い、
そこで知り合った
大工さんのマネをして、
家ではねじり鉢巻きをしていた。

絶対家など建てていないのに
「は~、今日もよか仕事した~。
いい家が立ち寄るばい。」
と言いながら帰ってくる。
首にはタオルをさげ、
肩を叩いていた。
正気の沙汰じゃない。
 
一時期はライブにもハマり、
マイケルジャクソン、
小柳ゆき、DA PAMP、
その時流行っていた歌手のライブに
毎週のように通っていた。
家では音楽をガンガンかけて
ライブごっこ。
チケットは
「手っ取り早くていい席がとれるから」
とダフ屋で購入。
父にとって金額は関係ないらしい。

私も父とチケットもないのに
ドームに出かけ、
ダフ屋で購入したチケットで
ライブを楽しませてもらった。
耳が聞こえない祖母とも
野外ライブに行ったり、
家族旅行代わりに毎年
SMAPのコンサートに行くのが
定番になっていた。

家にはライブのビデオが
山のようにたくさんあった。
もちろん、
私が好きなSMAPのビデオも。
それを見て踊っていた。
父のこだわりに上手くハマれば、
私もその趣味を楽しく
共有することができた。
 
そして。
 
人とコミュニケーションが
上手くとれない父の唯一の友達が、
お酒だった。
 
毎晩豪快に飲んで食べる。
仕事から帰ってきては
寝るまで飲んでいた。

お酒が弱い父はすぐに酔っ払い、
性格がコロッと変わる。
普段は寡黙なのに気が大きくなり、
上機嫌でお喋りをはじめる。
自慢がみなぎるのか
本当か嘘か分からない
自慢話を永遠とする。
母が話に口を挟んだり、
反発しようものなら
噛みついていたい。

食事が終わり、
みんなが父に呆れて部屋をでると
音楽をガンガンにかけ、
一人踊っていた。
 
≪一体、本物の父はどれなんだろう≫
そう思うこともあった。
 
私が大学の途中で
一人暮らしを始めると、
父は飲み屋通いとお酒が
ひどくなった、らしい。

一時期は
アルコール依存症のようになり、
病院に行きたがらない父の代わりに
母は精神科に相談していたという。 

今は体を壊したのがきっかけで
お酒もたばこも辞めて
すっかり丸くなっている。
 

思い返すと、
父も祖母と同じように
母に甘えたかったんじゃないかと思う。

だけど、いつも素っ気なく
晩酌も付き合ってくれない母。
ちょっとした冗談も
「はぁ?」という態度で返す母に、
父は上手く
甘えられなかったのではないか。

寂しい気持ちを埋めるために、
お酒やキャバクラのお姉さんに
ハマってしまったのではないか。

それに、父がこれほどまでに
コミュニケーションが下手なのにも
理由があると思う。

祖母が聴覚障がい者ということもあり、
子供の頃上手く甘えられなかったり
コミュニケーションがとれなかったり
したのかもしれない。
逆に、周囲から過度に
甘やかされていたのかもしれない。
いろんなことが父の不器用さに
繋がったんだと思う。
 

父はよく
「花ちゃんだけはお父さんの味方だ」
と言っていた。

 
子供の頃の兄のイメージは、
‘怖い人’だった。

思春期のストレスをぶつけるように
「ブス」「ブタ」と暴言を吐かれ、
意味もなく叩かれたり
蹴られたりしていた。
 
毎日のように
兄にそう言われていたので、
私は疑いもせず自分のことを
どうしようもない「ブス」
どうしようもない「ブタ」と
思っていた。
 
母が言うには幼少期の頃は
とても良い子だったらしい。
 
たしかに、
性格悪いなと思うことはあったけど、
兄は勉強もスポーツも優秀だった。
母似の私と違い、
父似の兄は顔が整っていて、
イケメンの部類でもあった。

学生の頃はモテていたと思う。
バレンタインデーになると、
家まで女の子が
チョコレートを持ってきては
「お兄ちゃんに渡してくれる?」と
頼まれていた。
 
中学の頃ハマっていたサッカーは、
学校推薦の候補になるほど
上手だった。
だけど、大事な試合前に骨折。
さらに高校受験も
トラブルにみまわれ失敗。
望み通りの進学ができなかった。

兄にとってこれが初めての
挫折だったかもしれない。
そこから兄の人生は
良くない方向に向かっていったと思う。
 
高校入学後、
成績はトップクラスだったのに
途中から全部投げ出した。
髪を染めたり
ヘンな髪形をしたり。
何かに反攻何かに反抗していた。
それでも、中学生の頃より
私には優しくなって、
都会の天神まで一緒に
買い物をしてくれることもあった。 

大学は意外にも
福祉の学校に進学。
祖母が障がい者ということもあり、
少なからず福祉に
興味があったのかもしれない。
 
遠方の大学で初めての一人暮らし。
兄と離れられてホッとした気持ちと、
どこか寂しい気持ちもあった。

そして。
切ないことに、
両家の強いハゲ家系の遺伝子を
受け継いでしまった兄は
大学生で
髪の毛の後退が進んでしまう。
精神的にかなり不安定になり、
母に何度も「死にたい」と
電話していたらしい。
 
それでも
バンドでボーカルをつとめたり、
友達と楽しく過ごしているようだった。
心温かい彼女との出会いもあり、
兄もどんどん優しくなった。
帰省した時は、
洋服を買ってくれたり
ドライブに連れて行ってくれた。
 
しかし、兄は就職をしなかった。
就職する勇気がなかったのだと思う。

大学卒業後、
実家に戻ってきた兄。
そこから転落するように
兄はおかしくなっていった。
 
家にきていた友達と
よく喧嘩しては突然追い出したり、
仲が良かった友達を馬鹿にしたり。
人と距離をとるようになった。
全ての人間に価値がない
と言わんばかりの
暴言も吐くようになり、 
自分の殻に閉じこもっていった。
 


そして―。
 
ドン、ドンッ、ドンッ!
 
ガンッ!
 
家の襖や壁を
蹴ったり殴ったり、
時には車をボコボコに
蹴るようになった。
 
障子や襖は何度も変えたし、
ドアも何度も修理に出した。
だけど途中から埒があかなくなり、
穴が空いたドアも
ガムテープでふさぐだけになった。
車もボコボコのまま
父と母は運転していた。
 
精神的に不安定な兄を心配した母。
ある日、母も通っている
精神科に連れて行ったらしい。
だけど、
「アダルトチルドレン」と言われて
ブチ切れて暴れたという。
 
それからだ。
大学生になり一人暮らしを
していた私のもとに、
『あのクソばばあ殺す』
とメールが届くようになったのは。

今の兄なら本当にやりかねない。
母が殺されたらどうしよう。
こんなこと誰にも相談できない。
一人不安になって
毎日気が気じゃなかった。
ドキドキしていた。

そのせいだろうか。
『あのクソばばあ殺す』と
メールが届くと、
耳鳴りがするようになった。
10年経った今では
慢性化している。
 
その後、兄は
彼女の妊娠をきっかけに
結婚をしたが、
上手くいかず3年で離婚。

アルバイトだけは真面目に続け、
社員の候補にも挙がった。
しかし、兄は自分からそれを拒んだ。
転勤が嫌だったらしい。
 
今は兄が結婚した時に
父が建てた実家の隣にある、
一軒家で一人暮らしをしている。
 
腫れものをさわるかのように
父も母も近づこうとしない。
また暴れるのが怖いからだ。
 
これは嘘か本当か分からないが、
兄の異常過ぎる行動に
参っていた母が母方の祖母と
神社にお祓いに行ったという。

すると神主さんに、
「息子さんには
強力な悪魔がとりついている。
そして、息子さんは
その悪魔を自ら離そうとしない。
私に除霊は無理です。」
と言われたそうだ。
 
それを聞いた時は笑った。
でも、その言葉のように
兄は弱い自分を鬼の仮面で
守っているように感じた。
そして、
そんな兄を無下にできなかった。
 
兄は怖い存在でもあったが、
本当は人想いで
繊細で優しい人だ。
私の体調を
心配してくれていたし、
私がピンチの時には
救ってくれたし、
可愛がってくれた。
言葉も態度は悪いものの、
妹想いだった。

だから、
兄の様子が変わりだしても
実家に帰ったらできるだけ
兄とコミュニケーションをとるよう、
心がけていた。
どんなに無視をされても
おどけてみせた。
奇跡的に兄の気分が良い時は
昔の兄のように
いろいろ喋ってくれる時もあって、
兄が笑うと嬉しかった。
 
攻撃的な兄だったが
結局、兄も祖母や父と同じように
母に甘えたかったのだと思う。
だけど、
甘え方がよく分からなくて
暴れていたんだと思う。

 
兄は私にだけは心を開いてくれた。
きっとそれは私が兄に心を開き、
兄を肯定していたから。
 
だけど、近年は
あまりにも人間として
どうかと思うような発言が続き、
私も仕事でいっぱいいっぱいで
兄を受け入れる余裕がなくなって
距離をとっていた。
 

朝野家の大黒柱

 
そして。
この難しい家族の責任を
全部背負って生きてきたのが、
母だ。

仕事をしながら
本当に大変だったと思う。
 
しかも、定年退職をした矢先、
‘一番まとも’だと思っていた
娘まで摂食障害になった。

それに、母の苦労は
結婚してから始まったわけでない。
小さい頃から苦労をしている。



両親と弟の4人暮らしだった母。
母の父にあたる祖父は昔、
手が付けられないほどの酒飲みで
家にあるお金を全て酒代に使い込み、
家で暴れていたらしい。

母は毎日物音に怯え、
押し入れに隠れていたという。
 
母方の祖母は、
お酒に消えていく生活費を
稼ぐことに必死だった。
何個も仕事を掛け持ちして、
遅くまで勤務。
なかなか母の面倒を
見てやれなかったらしい。
その上貧乏なので、
欲しい物も買ってあげられず、
洋服は洋裁のできる
祖母の手作りだったという。
 
母は自分で着る洋服や
必要な物を買うため、
中学生の頃からバイトをしていた。

だからだ。
自分の子どもには
苦労をして欲しくない、
お金で惨めな思いをして欲しくない、
という想いがとても強い。
 
また、親に頼れない厳しい
家庭環境があったせいだろうか。
「人にどう甘えていいか分からない」
「甘え方が分からないのよ」
と母は言っていた。
たしかに、
母が父に甘えている姿も
気を許しているところも
見たことがない。

だから中学校の頃、
友達のお父さんお母さんが
仲良くしている姿を見た時は、
衝撃だった。

夫婦ってこんなに仲良いの!?
こんなにしゃべるの!?
こんなに笑い合うの!?と。

そして母は、
「笑い方が分からない」
と本気で言う。
その言葉の通り、
母は笑顔をつくることが苦手だ。
写真を撮る時もぎこちない笑顔で笑う。
だから、 
母にプレゼントをあげても
喜んでくれているのか
よく分からなかった。

仕事は定年退職するまで、
大手の会社の事務をしていた。
18歳のから60歳の定年まで働き、
男社会の中で
男並みに仕事をこなしていたようだ。
 
大量のリストラがあった時も
母は残った。
きっと先読み、深読みの性格が
仕事で功を奏していたんだと思う。
私に懸命になってくれる姿から
仕事ぶりもなんとなく想像できた。
 
そんな母は
慢性的な鬱病を患っていた。

医者が言うには、
かなり根が深いらしい。
もう何十年も精神科に通い、
精神薬と睡眠薬を
たくさん服用している。
 
「この薬があるから
頑張れるし自分でいられる」
とよく言っていた。
出先で一回分でも薬を忘れようものなら
ひどく不安に陥っていた。
 
家庭環境に恵まれなかった上、
自分のことしか考えない
アルコール依存症の父、
聴覚障がいを抱える祖母、
暴れまわるアダルトチルドレンの兄。
そして、
摂食障害の予備軍になる私。
結婚してからも
さまざまな家族の問題を
抱えることになった母。

とても辛かったと思う。
逃げ場もなく、
心はガチガチだったと思う。
 
そんな頑張り過ぎる母は、
ヒステリックを起こすことが
しばしばあった。
いきなり怒るもんだから
その都度びっくりした。
 
そして。

母は家族それぞれが持つ
悩みや問題に対してすぐ手を出した。

忙しいからこそ、
早く周りの問題を
解決したかったのだと思う。
 
『靴ひもが
ほどけている子どもが
自分で紐を
結び直しているところを、
時間がないからと
手を出して結んでしまう。』
 
そんな母だった。
 
父に任せておけば良いことも
父には任せておけないと
代わりにやっていた。
だから父は、
どんどんしない人になっていた。
 
私も兄も母が
先回りして動いてくれることは
都合がよかったけど、
その分、
自立の遅い大人になった。
 
そう。
放っておけば自分の問題を
解決してくれる母に、
家族みんなが寄りかかり、
さらには家族みんなが
母のせいにする。
そんな構図が、
いつの間にか出来上がっていたのだ。


父も祖母も兄も、きっと私も。
責任を母に転嫁させ、
自分の人生を
母のせいにするようになっていた。

 

私の願い


そしてそして。
このへんてこりんな家族の関係性に
子どもながら気づき、
調整役を担っていたのが私だった。
 
父も母も兄も祖母も
私には優しく心を開いてくれている。
それなのに、
他の家族の関係が
ぎくしゃくしていること、
仲が悪いことを
とても悲しく感じていた。
 
自分が家族の誰かと喧嘩するより、
父、母、兄、祖母が
喧嘩し合う姿を見るのが辛かった。
心が痛かった。
 
家族みんな仲良くなって欲しい。
みんなに笑って欲しい。
そう願っていた。

そうだ。それなら、
私が家族それぞれの仲を
取り持ったらいいんだ。
みんなを笑顔にするために、
私が頑張ったらいいんだと思った。

だから、
今みんなが何を想っていて、
どうやったら
機嫌が良くなって
家族が仲良くなれるか。
家に居る時はそう考えるのが
普通になっていた。

そのおかげだろうか。
家族の雰囲気が良くなくても
私が間に入ると、
場が和むことが多かった。
お葬式のような食事の時間も、
結構コミュニケーションが
上手くいって会話が弾んだり。
思わず兄が
笑ったりすることもあった。

兄が笑うと、父も母も
とっても嬉しそうだった。
もちろん私も。

ほんの数秒でも
家族全員で笑い合えた時は、
奇跡かと思うくらい、
本当に本当に嬉しくて。

その一瞬の時間だけで
一週間は元気に
過ごせそうなくらい、
幸せな気持ちになった。
心が満たされた。

本当は
互いに憎んだりしてないんだな。
この壁が早く
崩れればいいのになと思った。

幼い頃から
家族みんなの笑顔を
心から願っていた。

母と娘の関係が病気に?

 
ある日。
日高先生が貸してくれた
『依存症の本』を
パラパラ読んでいた。
 
え?
あるページで手が止まる。
 
――――――――――――
依存症の中でも
摂食障害は
幼少期の母子関係性が
深く関わっている。
――――――――――――
 
思わず大きくページを開いた。
 
――――――――――――
乳児期において、
母親との愛着の形成が
不充分だったと考えられる。
――――――――――――
 
嘘…。
 
摂食障害って
母子関係が影響しているの!?
 
思い返す。
 
心水苑に行った時、
母に厳しい声を投げかけ
睨むような視線を送っていた
医者のこと。
入院した日、
何度も母の言葉を制止した
日高先生や看護師さんのこと。

母に対する
先生たちのあの不可思議な
態度の理由。 
カウンセリングの時、
執拗に聞かれる
幼少期の母子関係の理由。

もしかして…
私が摂食障害になったのは
お母さんが
関係しているってこと?

ページを読み進めると、
そこには
摂食障害になりやすい人の特徴と
母子関係の特徴が書かれていた。
(手元に本がないので本の題名、
 内容共、うろ覚えです。)
 
―――――――――――――――
≪摂食障害になりやすい人の特徴≫
・完璧主義
・自己肯定感が低い
・自信がない
・他者の評価が気になる

―――――――――――――――
 
「嘘…
私のことだ…。」

びっくりするくらい当てはまった。
 
認めたくはないけど、
たしかに私はそういう性格だ。
 
「私って摂食障害に
なりやすい性格だったの!?」
 
ひどく悲しい気持ちになった。

もしこの特徴を
友達や彼氏に知られたら…。
『花ちゃんはこういう性格だから
摂食障害になっちゃったんだね』
と思われるんじゃないか…。

恥ずかしい気持ちになった。
 
そして。
 
―――――――――――――――――
≪母親の特徴≫
・過干渉
・不安・動揺を来たしやすい
・子どもが手間取っているとすぐ手を出す

―――――――――――――――――
≪父親の特徴≫
・無関心
・指導性がない
・父性が弱い、希薄
―――――――――――――――――
≪両親の関係性≫
・仲が悪い
・喧嘩することが多い

―――――――――――――――――
 
「これ、私の家族のことだ…。」
 
ショックでたまらなかった。
書かれていることがほぼ当てはまった。
ここまで統計化されていることにも
驚いた。
 
でもでもでもでも…!

どうしても、
納得はしきれなかった。
 
もし母子関係や家庭環境が
影響を与えていたとしても、
病気になっていない人だっているし
たくましく生きてる人もいるし
どんな過去もバネに
健全な道を歩んでいる人もいる。
 
子育てや家族関係が
影響していたとしても、
そのあと選んだ環境や
出逢った人によって、
性格は変わると思う。

摂食障害になったのを
お母さんのせいにするのはおかしいし、
お母さんのせいではないと思った。

自分の生き方の問題だ。
 
だけど…。

≪摂食障害になったのはお母さんのせい≫
 
このページを見てしまった時から
私の心にこの感情が生まれてしまった。
 
そして私はこれから
この感情にずいぶん、
悩まされることになる。

 

止められない怒り


急に。

母との関係が上手くいかなくなった。
喧嘩することが増えた。

入院したての頃は
あんなに感謝をしたのに。
穏やかに会話をしていたのに。
今も会いに来てくれることに
感謝しているのに。
会えたら嬉しいのに。

「なんでそんな言い方すると!?」
「入院して頑張ってるやん!!」
 
なぜか些細なことで
怒りの感情が芽生えて、
止めることができなかった。
 
ある日、
PSミーティングの時に
素直にその話をした。
 
「依存症の本を読んでから心の中に
≪摂食障害になったのはお母さんのせい≫
という感情が芽生えてしまいました。
自分が病気になったのは
人のせいじゃないと思っているんです。
 
でも、どうしても
≪お母さんのせい≫という
怒りの感情が湧いてくるんです。
そのせいか
前より喧嘩や言い合いが増えて…。
あとで罪悪感に陥ってしまいます。」
 
すると、OTの作田さんが手を挙げた。
 
「朝野さん、
ちょっと聞いてもいいかな。
朝野さんはどうして
お母さんに対して怒りの感情が
芽生えると思いますか?」
 
「へ?」

「怒りってね、
第二の感情って言われていてね、
実はその裏に本当の気持ちが
隠れていることが多いんです。」
 
「第二の感情?
本当の気持ち?ですか…。」
 
「そう。
例えば恋人とケンカする時、
いきなり怒り出すわけではないと
思うんですね。
‘そんなこと言うなんて悲しい’とか
‛会えなくて寂しい‘とか
そういった感情が先にあると思うんです。」
 
「たしかに。」
 
「本当はお母さんに対して
どんな感情なのか。
怒りの正体が分かったら、
少し気持ちが
ラクになるんじゃないかな?
よかったら考えてみて、
来週のPSミーティングで
思ったことを
聞かせてもらえたら嬉しいな。」
 
「…はい。」
 
新しい課題をもらった。
 
そして今回、
PSミーティングの最後に
初めて『責任レベル』と
『服薬の自己管理レベル』の
申請をしてみた。
 
「『責任レベル』を
1から2にしたいです。
理由は売店に行って
好きなものを選びたいからです。
あと気分転換に
お散歩がしたいからです。」
 
みんなから賛同の拍手をもらい、
翌日すんなりOKが出た。
 
『責任レベル』
『服薬の自己管理レベル』共に
2に上がった。
 
やっとやっと院内の散歩ができる!

看護師付きだとしても、
とても嬉しかった。

はじめての院内散歩

 
ソワソワ。
看護ルームの前で
散歩の時間を待つ。
『責任レベル』が1つ上がり、
なんだか誇らしい気持ちだ。
 
「ではお散歩行きましょうか~。」
 
「は~い!」
 
今日は待ちに待った
はじめての院内散歩!
同じ『責任レベル』2の
患者さんと看護師さんと
ゆっくりのペースで歩く。
 
ただ歩いているだけ。
なのに、とっても嬉しい。
散歩できることが
こんなに嬉しいなんて!
 
なぎ総合心療病院は
敷地がとても広い。
ゆっくり歩くと
一周20分くらいはあるだろうか。

入院当初の肌寒さが消えた
6月の空は清々しく、
気持ちがいい。
 
小高い丘には桜の木をはじめ、
様々な種類の木々が
植えられている。
花びらが散った桜の木には
緑の葉がそよぎ、
太陽の光でキラキラと輝いている。
緑豊かな景色に心がリラックスする。
  
「花さん、
入院して初めてのお散歩どう?」
 
「最高です!緑いっぱいで!
とっても気持ちいいです。」
 
患者さんたちとの
何気ないお喋りも楽しい。
 
「わっ、可愛いお花!」
 
見渡すと所々にお花が咲いている。
草花を愛でるなんていつ振りだろう。
昔はよくおばあちゃんと
お散歩しながらお花を探したなぁ。
いつの間にか原稿ばかり見てた。
 
バスケットコートには子ども達がいて、
ベンチには誰か座って話している。
 
それを見るだけで幸せな気持ちになる。
 
丘を降りた先の喫煙スペースには、
多くの人がたむろしていた。
 
近くを通ると
‘見かけない人だな’という顔をする人、
何度も目が合う人、
じっと見つめてくる人がいて
少し怖い。
 
「病院で花は目立っとる」
母にはそう言われていた。
部屋着の人が多い中、
日常と変わらず化粧をして
今どきの私服を着ていたからだ。
散歩中も目につくのかもしれない。
 
身なりを整えていた理由は
生活にメリハリをつけたかったから。
それに楽しみが少ない中、
お洒落が好きな私にとって
支度の時間が
ささやかな楽しみでもあった。
 
南さんも
「ON、OFFの切り替えをしたい」
と日中はギャル系の服を着ていた。
真奈美さんは寝間着のような服。
未希さんは
使い込んだような破けた部屋着。
着ている洋服でも
ちゃんと‘その人’が出ていた。
 
あっという間に一周が終わる。 
だけど、とっても幸せな気持ち。
 
携帯も使えない、
テレビも自由に見れない。
そんな生活に
散歩の時間が私に
新しい楽しみを与えてくれた。
 

してはいけないこと

 
面会に来てくれた母に
また八つ当たりをしてしまった。
 
口から出る汚い言葉に
自分が嫌になる。
 
ベランダで一人、
後悔の念に駆られていると
南さんがやってきた。
 
「どした?花ちゃん。
なんかあった?」
 
「南さん…。
実は、また母に
ひどいこと言ってしまって…。
自分でもびっくりするくらい
汚い言葉が出るんです。
カッとなると止められなくなって…。
昔はこんなんじゃなかったんです。」
 
「そっか〜。まぁ、
言ってしまったもんはしゃあない。
ちゃんと謝って気持ち伝えたら、
しっかり切り替えよ。
 
花ちゃん、
後悔だけはしちゃいかんよ。
私たちの病気は
後悔だけはしちゃいかん。
 
言ってしまったことも。
してしまったことも。」
 
《後悔だけはしちゃいかんよ。》

その言葉が強く、胸に響く。
 
いろんな心の病を経験し、
今もアルコール依存性などの
病を抱える南さんの言葉。
 
心にずっしりとくるほど
説得力があった。

「…はい。そうですね。
後悔って苦しいですね。
次に活かすようにします。」



そして。
南さんのこの言葉は、
これから何度も湧き上がる
『後悔の気持ち』を
少しだけ、抑えてくれた。

少しだけ。だけど、
ずっと支えになっている。

《花ちゃん、
後悔だけはしちゃいかんよ。》

 

怒りの裏にある気持ち


「朝野さん、前回話していた
お母さんに対する怒りの感情に
ついて考えてみたかな?」
 
OTの作田さんが言う。
 
もちろん。
あれから一週間、
毎日考えてみた。
散歩中も緑を眺めながら
答えを探した。
だけど。
腑に落ちる答えが見つからず、
PSミーティングの日がやってきた。
 
「はい。でもまだ
これという答えが出てなくて…。
今整理できてるところまで
話してもいいですか?」
 
「もちろんですよ。」
 
「ありがとうございます。
まず私の母についてなんですが、
性格的に思い込みが強くて
先走りするタイプなんです。

全部を話してないのに
会話の途中で
遮って言葉を被せてきたり、
いきなりカッとなったり、
反発してくることがあります。
『最後まで話を聞いて』
と言っても止まらないんです。
 
だから…母と喧嘩している時、
『なんで私の気持ちを
最後まで聞いてくれないの?
なんで分かってくれないの?』
と思うことが多くて。
その気持ちが怒りに
繋がっているのかなと思いました。」
 
「そうだったんですね。
充分良い気づきだと思いますよ。」
 
「でも、これは昔からなんです。
 なんでここ最近、
こんなに怒っちゃうのかは
分かりませんでした。」
 
「たしかに。
最近、特に、だもんね。
なんでだろうね。」
 
「う~~~~ん。
最近変わったことは…。
ここ10年くらい
一人暮らしをしていたので、
入院して母と過ごす時間が
増えたっていうのはあります。」
 
「そうですか。」
 
「…もしかして私、
一緒に居る時間が増えて
母になにか期待してしまって
いるんですかね。
頼ってしまっているんですかね。
 
『なんで分かってくれないの?』
は言い換えると
『私のこと分かって欲しい!』
ってことで、逆を言えば
『お母さんなら分かってくれる』
って期待しているって
ことですよね。
 
今までいろいろ抱えていた分、
母に頼ってしまっているの
かもしれません。」
 
すると、作田さんは
少し考え込んでこう言った。
 
「もしかしたら朝野さんは
お母さんに
甘えたいんじゃないでしょうか?」
 


え?
 
ドキンとした。
 
祖母や父や兄に対して
思っていたことを
自分に言われて、
とてもびっくりした。
 
「甘えたい、ですか?
ん~~、でも私、
今までもいっぱい迷惑かけて
充分甘えてきたと思うんですが…。」
 
何かと私に
一生懸命になってくれる母。
切羽詰まった状況になると、
その場を丸く収めることに
必死になる母。
そんな母を私は
きっと利用していた。
お母さんなら
何でもしてくれるって。
切羽詰まった状態になったら、
『YES』と言ってくれるって。
 
「もしかしたら
『本当の意味』で
甘えられていなかったのかも
しれませんよ。」


本当の意味…?
どういうこと?

 

甘えたい


看護師さんの意見を
受け止められない。
 
だって、
私は母に甘えていたから。
 
少なくともわがままを言えば
『モノを買ってくれる』とか
『こう動いてくれる』とか、
そういう甘えは絶対にあった。
 
「心から甘えられていたかな?」
 
心から?…たしかに。
 
不安定ですぐ
感情的になる母の性格に、
心の安心感や
拠りどころみたいな感覚は
あまりなかったように思う。
素直に
心から甘えられていたかと言えば、
分からない。

「精神的な面で甘えることが
できてなかったってことですかね…。」

なかなかしっくりくる答えが出ない。
 
「もしかしたら
入院していることで
甘えたいという気持ちが出てきて、
だけど上手く表現できなくて、
それが怒りに
変わっているのかもしれませんね。」
 
「そうなんですかね…。」
 
ん~分からない。
 
看護師さんの言葉が
腑に落ちないまま、
PSミーティングの時間は過ぎていった。

 

伝えることは甘えること


モヤモヤする。
 
PSミーティングでの話しが
しっくりこず、
日高先生の診察で
相談してみることにした。
 
「~って言われたんです。
私の怒りは
甘えたい気持ちからきてるって。
でも私、結構わがままに
育ったと思うんです。
大体のものは手に入ったし、
お金に不自由したこともないし…。」
 
「そうですか~。
 朝野さんの場合、
≪甘えれらなかった≫
と考えるより、
≪自分の気持ちを
伝えられていなかった≫
と考えてみたらどうでしょうか。
 
自分の気持ちを言えないまま
途中で遮断されたり、
自分の想いとは違う風に
解釈されたりすることが
多かったんだよね。
 
もしかしたら、
これまでは甘える前に
朝野さんの気持ちを
シャットアウトされて
いたかもしれません。」
 
「…そうか。」

≪自分の気持ちを
伝えられていなかった≫

そう考えると、腑に落ちる。
 
「自分の気持ちを聞いてもらえないと
相手のことを信頼できないですしね。
だから作田さんは
『心から』甘えられてたかな?
と聞いたのかもしれませんね。」

「たしかに~。そういうことか。」

「なので、
もしお母さんに怒りが湧いた時は
そのまま感情を
ぶつけるんじゃなくて、
怒りの裏にある『本当の気持ち』を
伝えてみたらどうでしょうか。」
 
「…そうですね!
『ぶつける』のではなく『伝える』。
母を信じて、
本当の気持ちを話すことが
甘えることに
つながるのかもしれません。」
 
「そこで
分かってもらえないことも
あるかもしれないけど、
まずは伝えることが大事です。
分かってもらえない以上に
気持ちを伝えられなかったら、
心にシコリが
残ったままになりますから。」
 
「そうですね。
それが過食にも
繋がってしまいますもんね…。
母に対しては
どうせ分かってもらえない
聞いてもらえない、と
諦めの気持ちがありました。
自分の気持ち、伝えてみます。」

「うん。
朝野さんは短い期間で
人生に大切なことに
たくさん気づいています。
怒りの裏には、
本当の気持ちが隠れていること。
本当の気持ちを伝えることが
治療につながるってことも。
すごいことです。
 
自分の気持ちを伝えることで
お母さんに
甘えられるようになりましょう。」
 
「はい。」
 
気持ちが明るくなる。
日高先生の言葉は胸に響く。
 
「それに怒りの感情が湧いた時に
≪本当は甘えたいのかもしれない≫
と思うだけでも、
怒りを抑えられると思いますよ。」
 
なるほど!たしかに。
 
日高先生はスーパーマンみたいだ。

「そういえば、
今日のPSミーティングで
『責任レベル』の申請はしたのかな?」
 
「はい。思い切って今週も!
レベル2から3を申請しました。」
 
「そうですか。
『責任レベル』が3になったら
患者さん同士で
散歩できるようになるから、
ぜひ、患者さんにも
自分の気持ちを伝える練習を
してみてくださいね。
周りを頼って甘えてください。」
 
「はい。」
 
私にとって
≪自分の気持ちを伝えること≫は
入院の大きなテーマだ。
頑張ろう。
 
「あとね、怒りの感情が出たら、
足を伸ばして座るといいですよ。
怒りの感情が流れるのを
防いでくれるんです。
こんな感じで。」
 
日高先生が両足をピーンと延ばす。
そのしぐさが
ドラえもんのように見えて、
笑いが出た。
 
「先生、本当
ドラえもんみたい。」
 
「え?また体型をいじるんですか?」
 
「いや、ヒーローっていう意味ですよ。
なんか気持ちがラクになりました。」
 
「ヒーロー??
それならよかった。」
 
日高先生は可愛いなぁ。

「実は、
日高先生が貸してくれた
『依存症の本』に
摂食障害の原因が
『母子関係』にあるって
書いてあって。
それから自分の感情が
よく分からなくなっていたんです。
でも、今日先生と喋って
落ち着きました。
 
どんな過去があっても
これからどうするか、ですもんね。
変に悩み過ぎていました。
ありがとうございます。」
 


そして翌日、
私は『責任レベル』が3に上がった。

やった~~~!
やっと!看護師さんの目が離れ、
患者さんとお散歩や売店に行ける!
 

摂食障害は愛着障害?


「先生!『責任レベル』3に
上げてくれてありがとございます。」
 
次の診察の日がきて、
一番にお礼を伝える。

「いえいえ。
朝野さんが治療を
頑張ってるからですよ。
そういえば『依存症の本』
読んでくれたんですよね。
どうでした?
この前、時間がなくて
聞けなくてすみません。」
 
「いえ。
いろんな発見がありました!
摂食障害って
依存症の1つなんですね。
アルコール依存症や
薬物依存症や買い物依存症と、
根本は同じなんだと知って
驚きました。
あと…。」
 
「どうしました?」
 
「ちょっと、部屋から
本を取ってきていいですか?」
 
「もちろん。」
 
いつもは日高先生が
突然姿を消すのに、
今日は私が消えた。
 
急いで本を取りに行く。
 


…ダダダダッ!
 
「お待たせしました~。」

本を広げる。
 
「私が関心を持ったところが
この≪愛着の形成≫っていう部分で。
健全な子どもの成長には、
生後三か月までの
母との子どもの心理的な結びつきが
大事と書かれていたんです。

母親が子どもの
安全基地であることで、
子どもは安心感を得て
好奇心や積極性、
ストレスに耐える力を
身につけていくと。
そして依存症の人は
この≪愛着の形成≫が
上手くいっていないことが多いと。」
 
「うんうん。
よく勉強してくれましたね。」
 
どうやら私は
『摂食障害』である以前に、
『愛着障害』のようだ。
 
―――――――――――――――――――――
≪愛着障害の傾向≫
・傷つきやすい
・怒りを感じると建設的な話ができない
・過去にとらわれがち
・0か100で捉えてしまう
・意地っ張り
・人の顔色を伺う
・養育者に対して敵意や恨みを持つ
 (または過度に順応になる)
・親の期待に応えられない自分をひどく責める
・人とほどよい距離がとれない
・恋人や配偶者、または自分の子どもを
 どう愛すればいいかわからない
・自分の選択に対する満足度が低い
・キャリア選択がうまくできず
 時間をかけた割にはわずかな見聞や情報で
 決めてしまう
・恐れや過度の警戒
・みじめさ
・いろんな対人関係場面で、ひどく矛盾した、
 両価的な反応を相手に示す
  
≪愛着障害が引き起こす疾患≫
・鬱病
・心身病
・不安障害
・摂食障害などの依存症
―――――――――――――――――――――
 
愛着障害の傾向には
自分のことが書かれていた。
私の人生を見ていたんじゃないかと
思うくらいに。
 
「で、私ハッとして。」
 
「どうしたのかな?」
 
「母は私を産んで
生後2カ月で保育園に預け、
働きに出ていたんです。
昔は産休に対して
今ほど理解がなかったようで。
仕事が忙しい上、
祖母と同居していたので
家事も完璧にしなきゃ
いけなかったらしく。
私に構う暇がなかったと
言っていました。」
 
「お母さん大変だったんですね。」
 
「それなのに
父は子育てに無関心で、
協力してもらえなかったそうです。
どんなに私が泣いていても、
放置して寝ていたらしく。
父と私が家で二人の時は
泣き疲れるまで泣いて、
眠っていたみたいです。
母は頼る人がいなかったとも
言っていました。」
 
「そうですか。」
 
家族のことを話し出すと、
先生の顔は真剣になっていった。

良い子なんかじゃなかった


「 最初の面談の時に
母も言っていましたが、
私はとても良い子だったそうです。
例えば、ミルクをあげる時は
横にして口に哺乳瓶をくわえさせると、
一人で勝手に上手に
飲んでいたらしいです。
その姿がとても可愛かったと
母は言っていました。
 
あと、抱っこをしなくても
平気だったみたいで。
抱っこしてないと泣いてしまう
赤ちゃんて多いと思うんですが、
私はその逆で、
抱っこされるのが
好きじゃなかったみたいです。
それに、
ひとり遊びが上手だったらしく。
手間がかからないから、
母は家のことができて
助かったと言っていました。」
 
「ほお。」
 
「私も兄も
あまり泣かなかったらしく、
『あんたたちは本当に
手がかからなくて良い子だった』
と母は言っていました。

でも…この本を読んで、
もしかしたら
ミルクのことも
泣かなかったことも、
良い子とは違うんじゃないかと思って。」
 
「どういうことかな?」
 
「良い子じゃなくて、
諦めていたのかもしれません。
泣いても無駄だと…。
 
あと!物心ついた時から
物心ついた時から
『お母さんはウソつき』と
思っていました。
母は無意識に
自分の都合がいいように
小さな嘘をつくんです。
子供ながらにも
嘘には気づいていました。
兄も同じことを言っていたので
私だけの感覚じゃないと思います。」
 
「そうだったんですね。」
 
「これまで何度か母に
『無意識に嘘をつくクセが
あるから気をつけたほうがいいよ』
と言ったこともありました。
だけど、
受け入れてもらえませんでした。
まぁ、嫌ですよね。
 
そういう感じで、
母の言うことを
いつもどこか疑っていたし、
心から信じきれないという
気持ちがありました。
 
もしかしたら
こういった気持ちも
もとを辿れば、
乳児期に≪愛着の形成≫が
上手くいかなかったことが
関係しているのかなと思って。」
 
「大事な気づきですね。」
 
ぽっちゃりしている
日高先生の顔が引き締まる。

もし母子関係が影響していても

 
「あとですね、
摂食障害になりやすい
母子関係や母親の傾向、
父親の傾向についても
書いてあったんですが、
これもびっくりするほど
当てはまってました。」
 
「話を聞く限り…そうかもね。」
 
「…でも。」
 
本を握る手に力が入る。
 
「でも!
例えそうだとしても、
私は母のせいだとは思いません。
母のせいで
摂食障害になったとは思いません。」
 
力強く口にする。

「母は母で、
心の余裕がなくなるほどの
苦しい状況があったんです。
母も子供の頃、
祖父が酒飲みで家も貧乏で
すごく苦労して育っています。
母も家族とどう接してていいか
分からなかったんです。
いろんな状況が起因してるんです。」
 
母の家庭環境を日高先生に話す。
 
「お母さんも大変だったんですね。」

「はい。だから、
そういうことが病気に
繋がっているのかもしれないって
気づけたから、
もうそれでいいなと思いました。
 
どんな過去があったとしても、
これから私がどうするかが大事だから。
人のせいにしても
私は変われません。」
 
その言葉には
統計データや傾向に当てはめて
母のことを責めないで欲しい、
そんな気持ちもこもっていた。
 
「もしかしたら
これからも病気の症状で苦しい時、
≪病気になったのはお母さんのせい≫
という気持ちが
湧き上がるかもしれません。

でも、そう思ってしまう自分を
悪いと思うんじゃなくて、
苦しくなった時の
ちょっとした心の逃げ道、
心の拠りどころにしてしまえば
いいのかなって思います。」

日高先生は優しく微笑んでいた。
 
「これからは母のことを
信頼していきたいです。」
 
自分の言葉に救われる気持ちになる。
 
「ステキですね。
花さん、甘えるということは
相手を信頼するという
ことでもあるんです。
相手を信頼しているからこそ、
人は甘えることができる。
今日の気づきで、
お母さんへの接し方も
少しずつ良いほうへ
向かっていくといいですね。」

「甘えるとは信頼すること、か。
本当そうですね。
日高先生、ありがとうございます!」

また一つ、
壁を突破した気持ちになった。
 

「それより、先生!
一番ショッキングだったのは
自分の性格のことです。
摂食障害になりやすい人の傾向を見て、
まさに私のことだと思いました。」
 
本を広げて日高先生に見せる。
 
――――――――――――――
・完璧主義
・自己肯定感が低い
・自信がない
・他者の評価が気になる

――――――――――――――
 
「当てはまりました?」
 
「はい。ほぼ全部。
自分がこういう性格だから
摂食障害になったんだ~!って
落ち込んでしまいました。
認めたくないけど、
ここに書いてあるように
私は完璧主義だと思います。」
 
「よく認められたね。」
 
「最初は、嫌でしたよ(笑)!
でも、入院して
今までの働き方を
客観的に振り返ってたら、
‘本当にその通りだな。
私はこだわりが強くて完璧主義だ’
と痛感しました。
 
でもでもそれより、
過去より今からです。
先生が貸してくれた
『嫌われる勇気』の
さわりだけ読んだんですけど、
そこにも書いてありました。
 
≪自分を変えることは
今この瞬間からできる≫って。

自分なら今から
どれだけでも変えられるから、
頑張りたいです。」
 
「お、アドラーの言葉ですね!
生き方を見直すことが
病気の快復に
つながりますから、
頑張りましょうね。
今日は時間がきたので
また続きは次回、話しましょう。」
 
「はい。」
 
言いたいことを
まくしたてて話した気がする。
でも、今日、
言いたいことすごく言えた。
 
きっとそれは
日高先生との間に
信頼関係が築かれている証。
 
なんだか嬉しかった。
 

便秘がひどい

 
入院中の
少し恥ずかしい話だ。
 
私は困っていた。
とっても困っていた。
 
どうしても、出ないのだ。
 
便秘薬を没収されて早速、
一週間音沙汰がなかった。
 
そんな時、
「共同のウォシュレットで刺激している」
南さんと70代のキヨちゃんの
秘密の話を小耳に挟んだ。
 
何?
ウォシュレットだと?
 
そうか。
ウォシュレットとは
そういう使い方をするのか。
洗うためじゃなくて
刺激するためにあるのか。
 
私は便秘問題に真剣だった。
 
夜。
 
みんなが寝静まった頃。
サササッと風のように速く、
静かに共同トイレに向かう。
 
普段、ウォシュレットを
あまり使ったことがなかった。
 
便座に座り、スイッチを押してみる。
 
『ON』
 
え?全然位置が違う!
 
ど、ど、ど、どうしよう!
 
調整ボタンがついているが、
どうしていいかわからず
自身の位置をズラした。
 
ふう。
 
やっとフィットした。
 
すると。
 
…。
 
いい刺激。
これは出そうだ。
 

 
…。
 
 
すごい。
ウォシュレットとは、すごい。
 ウォシュレットって便秘薬だったのか!
 
一週間ぶりの解放感。
幸せだった。
 
それから私は
ウォシュレットを便秘薬代わりに使った。
 
しかし、効果を発揮したのは
最初のほうだけ。
 
ある日を境に
どんなにウォシュレットを
『強』にしてみても、
何分もヒットさせてみても、
出なくなった。
長時間やり過ぎて便器が
水で溢れかえりそうになった時は
焦った。
 
私のお尻よ、
刺激になれるのが早すぎる…。
 
また便秘になり、
出なくなって一週間が過ぎた。
 
お腹はパンパンだった。
もうダメだ。
 
便秘のことを
主任の牧田さんに相談することにした。

恥ずかしい。
 
すると、
 
「まぁ!
一週間も我慢してたの?
ダメよダメ!
ちゃんと出すものは出さないと!
体に悪いわ。
もう、すぐ言ってよ~。
便秘薬あるんだから。
最長でも3日でなかったら
飲みにきてください。
 
あのね、食べて、出す、寝る!
これ、健康に生きるために
すごく大事なことだからねっ。」
 
たかが便秘に
牧田さんは真剣だった。
 
「食べたものが
3日もお腹に溜まってたら
不健康になるの想像つくでしょ?」
 
「たしかに…。」
 
自分のお腹の中が
放置されたゴミ袋の中身みたいに感じて
気持ち悪くなった。
 
しかし、もらった
便秘薬2粒ではでなかった。
量を増やしてもらって
やっと出た。
 
小学生からの便秘は
病院からもらう薬でも、
あまり応答がなかった。
 
それでも。
 
過食してしまった次の日や
ご飯や固形物を食べられた日、
量をいつもより食べられた日は
サインがあった。
その時は
ウォシュレットの力を借りて
頑張った。
 
毎日出ることはなかったけど、
ウォシュレットの
サポートを受けながら
自分の力で出た時は、
爽快感が違った。
 
体は正直だ。
 
いっぱい食べて、
いっぱい出して、
いっぱい寝る。
 
これは思った以上に
大事なことなんだと思った。
 

初めての食堂


『責任レベル』が3に上がり、
患者さんと2人ペアで
自由に院内の散歩ができるようになった。
そして、病棟のデイルームから
別棟の食堂で食事ができるようになった。
 
食堂でご飯を食べるには、
食事前に病棟の入口に用意される
個人の食券が必要だ。
 
ご飯前になると自然とみんな、
食券を取りに病棟の入口に集まり出す。
私は南さんや年齢の近い患者さんと
食堂に行くことが多かった。
 
食券には、個人それぞれの
メニューが書かかれている。
主食はご飯かパンか、
ご飯の場合、量はどのくらいか。
健康状態によっては
塩分少なめなどの
特記事項が記載されている。
 
この食券を
食堂の調理係の人に見せながら、
セルフでメニューをとっていく。
 
食堂が開く5分前には
螺旋階段に長蛇の列ができる。
食いっぱぐれることはないが、
患者にとってご飯の時間は
毎日のささやかな楽しみなのだ。

私も食べるのが怖いクセに
食事の時間になると、
嬉しい気持ちになった。
 
「まだ開かないの~?」
 
「今日はハンバーグだよ!」

「やった~~~!」
 
「ね、花さん、ハンバーグ食べる?」

「もちろん、食べるよ。」
 
「ちぇっ!花さんの
もらおうかな~と思ったとに。」

「そういう時だけ利用せんでよ(笑)
ハンバーグ好きやもん。」
 
私も前よりは食べる恐怖が減って、
季節の食材を取り入れ
和洋折衷、工夫を凝らして出される
病院の食事が楽しみになっていた。
 
なぎ総合心療病院は
食事が本っ当に美味しかった。
 
それに
食堂の器には陶器が使われていて、
盛り付けも美しい。
病棟内で食べる時は
プラスチックが使われていたけど、
陶器に代わるだけで
パッと華やかになる。
家で食べるご飯より断然、
豪華だった。
 
簡素なイメージの病院食と違って、
この人間らしい家庭的な食事が
患者さんの治療のモチベーションを
保っていたんだと思う。

 

みんなに助けらていれる

 
「いただきま~す!」
「いただきま~す」
 
朝食は基本、静かだ。
睡眠薬が効いて
ウトウトしている人もいる。
昼食・夕食になると
少し賑やかな雰囲気になり、
会話が弾む。
 
最初はみんなと食べると、
上手く食べられない自分と比べて
プレッシャーを感じるかと思った。
だけど、私にとって
『みんなと食べる』ことは
意外と合っていた。

誰かと一緒に食べることで
変に考え込む時間がなくなる。
食べるのが怖い時も
「食べて大丈夫だよ~」と
笑ってくれたり、
たわいもない会話で
気持ちがラクになった。

上手く食べられない日も
みんなが食べ終わるタイミングで
席を立てば、
‘どれだけ食べたら
よかったんだろう’と
悩み過ぎなくていい。
 
『みんなで食べる』ことは、
食べることに対しての不安や
無駄な心配を取り除いてくれた。
 

食堂の席はたくさん
用意されているが、
朝起きれなかったり
用事があったりして遅くなると、
相席になることがあった。
 
一緒に過ごす病棟の
患者さんたちとは違う、
心身の症状を抱えた患者さんと
相席になることも、しばしば。
 
呪文のようなひとり言を唱えている人、
体が震えている人、
何度もきっちり食器を並べる人、
敵意むき出しでずっと睨んでくる人、
いろんな症状の人がいた。
 
重度の精神障がいを抱える人だろうか。
食堂に行く途中の廊下では、
人形のように
車いすにもたれ掛かっている人や
地べたに寝ている人、
キャッキャッ笑っている人。
とにかくいろんな人がいた。
 
きっと、みんなも私と同じように
想像もしなかった≪症状≫と
向き合って生きているんだろうな…。

そう。
現実世界では
見ることがない人たちが、
ここには
『当たり前』にいた。
 


摂食障害になってからというもの、
『何を食べたらいいんだろう
食べるが怖い
食べて大丈夫なのかな
食べてよかったのかな』
と毎日苦しく悩んで、
時に未来に絶望することもある。

だけど、
脳や神経がおかしくなって
歩くことも困難な人、
サポートがないと生きてけない人。
周りを見渡すと
‘自分の病気は全然大したことない’
‘摂食障害なんてかすり傷だ’
と思うことができた。

私は『心』が変われば、
症状も快復させることが
できるから…。
 

 
食堂では
病院の献立を考えてる
管理栄養士の酒井さんが、
いつもみんなの様子を見守っていた。
  
患者さんの様子を見ながら
献立を考えたり
しているのかもしれない。
 
あの優しい酒井さんが考えた
メニューなんだと思うと、
怖かった食べ物に対しても
愛を感じる。
 
酒井さんは
「朝野さん、食べれていますか?」
「調子はどうですか?」
とよく話しかけてくれた。
食べることに不安や疑問があれば
その都度、相談に乗ってくれて、
上手く食べられていない時は
「大丈夫ですよ」
と微笑んでくれた。
 
毎週の面談でも
私の歪んだ食への考え方に
真摯に向き合ってくれて、
認知を修正するために
同じことを繰り返し伝えてくれる。
過食した時の罪悪感が減るように、
≪夜食べても大丈夫なものリスト≫を
つくってくれたりした。
 
いつの間にか、
私は本当にたくさんの人たちから
人生を前向きに生きるパワーを
もらっていた。

いろんな方向から
自分を支えてくれる人がいること、
共に頑張っている仲間がいること。
食堂はただ食べる場所ではなく、
感謝に気づく場所だ。
 

出逢ってくれたみんな、
ありがとう。

摂食障害の患者さんとの出会い


それは入院して間もない頃。
新しい患者さんが入ってきた。
 
ひょろっと背が高い。
170センチくらいあるだろうか。
髪が短いので、
最初は男の人かと思った。
だけど声を聞くと女性だ。
 
そして、
不健康に骨ばっている鎖骨。
細い板のような体。
棒のような手足。
体中に栄養が足りてなさそう。
 
‛この人、摂食障害だ‘。
見た瞬間分かった。

摂食障害の患者さんは
特徴的な痩せ方をしている。
 
「こんにちは。田中未希です。」
 
「こんにちは朝野花です。」
 
「私、入院2回目なんです。」
 
「そうなんですね。」
 
 
未希さんは年齢が一つ上で
北九州出身。
互いに摂食障害だということもあり、
すぐに打ち解けた。
なんでも一度入院したが、
拒食の症状が悪化して
再入院してきたという。

実は、同じ病棟の患者さんには
再入院だという人が結構多かった。
 
再入院と聞く度、
’絶対、再入院なんかしないぞ。
今回の入院で良くなるんだから!’
と強く思った。
 
「これ以上痩せたら
チューブ入れますよって言われたから、
今日から食べなきゃ。」
 
「点滴とかチューブ、
されたくないですよね。」
 
命の危険があるほど痩せている人や
食べることを拒否する人には、
点滴やチューブで
栄養剤を入れられることがある。
 
「いや、ほんと。一番の脅しよ。
一ヵ月後に体重が40キロ以下だったら
チューブって約束されたから。
逃げられない。」
 
「こわっ。私も入院当初、
あんまり食べれないと
栄養剤入れますと言われて、
ぞっとしました。」
 
「体重増やすのに手っ取り早いからね。」
 
「自分の意思に反して急に太るなんて…。
きっと耐えられません。」

「でも、どんなに抵抗しても暴れても
最後は縛られて栄養入れられるからね。」
 
摂食障害患者の話は
時にシュールだ。

そして、私は未希さんに
不思議なギャップを感じていた。
拒食症になる人は
モデルや可愛い人への憧れがあって、
お洒落やファッションに
興味があって、
容姿を気にしてるのかなと思っていた。

未希さんは正反対だ。
男性と勘違いしてしまうほど
ボーイッシュで、
身なりからファッションにも
興味がなさそうに見えた。
髪もボサボサで清潔感もない。
たぶん、ここで会わなかったら
友達になっていないタイプの人だ。
 
だけど。
 
「痩せると嬉しいんだよね」
「太るのが怖いんだよね」
 
心の中は一緒だった。

 

痩せているけどキレイじゃない


未希さんが摂食障害になった
きっかけは、
ストレスで食欲不振になり、
痩せ始めたことがはじまりだという。
 
減っていく体重の数字を見ると
なぜか嬉しくなって、
いつの間にか体重を落とすことに
ハマっていったらしい。
何より、家族や周りから
心配されることが
嬉しくてたまらなかったという。
 
共感できる部分がたくさんあった。
だけど、
≪キレイになりたい≫
≪可愛くなりたい≫
という私の願いとは少し違う。
摂食障害になるきっかけは
人それぞれなんだなと思った。
 
SNSでは、
赤ちゃんのままでいたいから
痩せていたい、という人がいた。
赤ちゃんだったら
お母さんに注目してもらえるから、と。
 
未希さんもこれに近いのかもしれない。
痩せていることは
周りから注目されるための
武器だったのかもしれない。

それにしても、
未希さんは不思議だった。
食事の量や体重を厳しく
観察されていたのもあると思うけど、
痩せたいという割に、
かなりの大食いだった。

食事の時は、
ご飯は漫画みたいに大盛り。
てんこ盛り。
美味しそうに食べては
時におかわりしていた。
日中は大袋に入っているビスケットを
肌身離さず、
嬉しそうに食べ続けている。
 
過食の症状が
強く出ているんだと思うけど、
その光景は異様で、
催眠術にかかっているみたいだった。
夜は売店で買い込んだお菓子を
デイルームで食べていた。

そんなに食べて大丈夫?
後悔しないの?
入院するまで拒食症だったなんて
信じられなかった。

それでも、
体はとても痩せていた。

失礼だが、長身の彼女は
アンガールズの田中をもっと細くして
ガリガリにしたような体型だ。
 
痩せているけど、
全く魅力的じゃない。
一度もキレイと思ったことはなかったし、
どちらかというと怖かった。

誰が見ても、病的な細さだった。

10キロ太っても
まだ痩せていると思う。
 
喋り方も鬱っぽく、
健常者ではないのが誰の目にも分かる。
そして話す言葉に
どこか信憑性がない。
 
未希さんを見て、
『痩せてる人がキレイ』とは限らない。
キレイな人は
『痩せてるからキレイ』なわけじゃないと
知った。
 
魅力とは
ステキな笑顔だったり、
ハツラツとした輝くオーラだったり。
その人の生き方、
考え方すべてが反映されて
つくられるんだと思った。

 

10年

 
ある日。

「私、一度離婚してるんだよね。
子どもは死産してて。」
 
ベランダに未希さんといる時、
未希さんが過去を語ってきた。
 
「そうなんですね。
いろいろあったんですね。」
 
「前は働いてたけど、
今は摂食障害の症状がひどくて、
働いてないんだ。
摂食障害になって10年くらい経つよ。」
 
10年!?
衝撃だった。

10年も悩んでいるの?
10年もそんなにガリガリなの?

可哀想。
未希さんの痩せたい願望に
付き合わされている、
その『体』が可哀想だと思った。
 
そして、
私はいつ治るんだろうと
ゾッとした。
 
私は
『頑張れば治る』と
信じて疑っていなかった。

 

治すことが怖い

 
昨日まで
好きなものを楽しく食べていた
未希さんの様子が違う。

「怖い…怖い…。」

デイケアのソファーにうずくまり、
食べることに怯えていた。

「太るよ…。」

過食していた日々が
すべて罪悪感に変わり、
太る恐怖が
未希さんを襲っていたのだ。

その様子を見て、
とても苦しくなった。
痛いほど気持ちが分かるから。
 
何日も過食のスイッチが
入りっぱなしだった
未希さんの気持ちを想うと、
胸が痛くなった。

病気になった人にしか
分からないかもしれないが、
過食のスイッチが入ると
食べてる間は、
本当に食べ物のことしか見えなくなる。
他のことが考えられなくなる。
食べ物から離れたいと思っても
離れられない。
食べたら後悔すると分かっているのに、
食べてる間は幸福感に満たされる。
もっと食べたいと思う。
 
でも、
我に返った途端、
恐ろしいほどの恐怖に襲われるんだ。

今日はそっとしておこう…。
 
それからも未希さんは
拒食と過食を繰り返しては、
治療を拒否していた。
 
そう。
 
拒食症の治療の難しいところは
『治すことが、怖い』という点だ。
 
他の病気、
例えば鬱病や癌であれば
治ることは嬉しいことである。
 
だけど、
摂食障害(拒食症)の場合、
治療するということは
痩せている自分を諦めること、
食べて体重を増やすこと。
つまり太るということであり、
心情とは
逆のことをすることになる。
 
治療に向き合うほど、
本来の理想とは
逆の状況になっていく。
 
そこを受け入れていかないといけない。
だから辛いのだ。
本当に辛い。
だって痩せていたいんだから。
 
そのためにも、
思考から
考え方から
変えないといけないのだ。
生き方から
変えていかなければいけないのだ。

私は自ら入院を選んだけど、
多くの人は治療を受け入れられないため、
むりやり家族に連れてこられるケースが
多いという。

「未希さん大丈夫ですかね…。」
 
「心配だと思うけど、
今は関わらないほうがいいよ。
本人の問題だから。」
 
南さんにアドバイスをもらい、
距離を保った。
 
‘心配で何かしてあげたくなる’
きっと誰にでもある感情。
だけど、
心が不健康な状態な人とは
なるべく関わらないほうがいいことを
ここで学んだ。

 

それでも向き合わないと変われない


それから数日後…。
 
「太りたくないんだよ、
痩せていたいんだよ!」
「もうこの生活嫌なんだけど!」
「帰りたい!」
「まだ煙草吸いにいけんと!」
「煙草くらい吸わせろっつーの!」
 
未希さんが
別人のようにイライラしていた。
大人げないその姿に
ちょっとびっくりした。

喫煙者の未希さんは
煙草が吸いたくて仕方ない様子。
病院では
煙草を吸える時間が決まっている。
人によっては本数も制限され、
煙草は看護師さんに管理されていた。
 
その夜。
病棟がバタバタしていた。
何かあったのかな?
廊下にいた南さんに尋ねてみた。

「トイレでたばこば
吸いよった人がおるって。
煙が出てたのを
看護師さんか患者さんが
見つけたっぽいばい。」
 
「え?そんなすぐ
見つかることをする人いるんですか?
煙もそうだし、
匂いですぐバレるじゃないですか。」


犯人は、未希さんだった。

そして、
それは結構な問題だった。

病棟内でたばこを吸うのはNG。
それ以前に、
煙草を個人で所持していることや
危険物であるライターを
所持してることもNGだ。

違反を犯した未希さんには
ペナルティが与えられた。
 
ペナルティとは、
あの何もない
PICU病棟で過ごすことを意味する。

未希さんがPICU病棟から
戻ってきてからも、
どんな風に過ごしたのかは
聞けなかった。
 
そしてその夜。
ベッドで寝ていると
何やら遠くの方から物音が聞こえた。
看護ルームだろうか。
何やら騒がしい。
まぁ、たまにあることだ。
そう思い、気にせず寝た。


翌日。
 
「摂食障害の子、未遂したんだって。
でも大したことなかったらしいばい。」
 
「え!?大丈夫なんですか!?」

未希さんが自殺未遂したことも、
それをサラッという南さんにも
驚く。
 
「大した道具もなかったんやろ。
死にたいわけじゃなかとよ、
きっと注目して欲しかと。
自分のこと分かって欲しかとよ。」
 
平然と話す南さん。
その手首には
何十か所も傷跡がある。

…。
 
そういうことが起こりうる世界なんだ。
 
未希さんが
本当に死にたかったのか、
注目されたかったのかは分からない。
だけど、そういうことが
起こりうる世界なんだ。
 
はさみや刃物、ライターを
所持してはいけないのは
こういうことなんだ。

死にたい人たちがいる、
そういう世界なんだ。
はじめて実感が沸いた。
 
未希さんの心には
どれほどの穴が空いているんだろう。
摂食障害になった
本当の理由を聞いてみたいな…。
 


だけど、
それは叶わなかった。
 
「歯医者に行きたい」
病院を理由に
外出した未希さんは、
二度と帰ってこなかった。
 


そのまま家に帰っていたら
いいのだけど。

未希さん、今どこにいますか?

 

睡眠障害の明奈ちゃん


バタバタバタッ。

廊下を歩いていると、
看護師さんが忙しそうに
個室の準備をしていた。
 
「新しい人かな?」
 
24時間受け入れ体制の病院では
緊急を要した患者が
突然、入居してくる。

夜中に救急車のサイレンが聞こえたり、
外から叫び声が聞こえたりもする。
 
時に収拾がつかないほど暴れ、
男性の看護師さん達に拘束されながら
どこかに運ばれる人もいる。
だけど、
そういう生活にも慣れてきた。
 
緊急性の高い患者を
受け入れるため、
いきなり病棟が移動になる人や
退院する人もいた。

仕方ないことなのかもしれないけど、
入る時は大事にされるけど
出る時はどこかあっけない。
そんな印象もあった。

空いた個室には
可愛い女の子が入ってきた。
久々の同世代の可愛い子、
少し緊張した。
 
かっこいい人や可愛い人と喋るのは
昔から苦手だ。
 
「こんにちは、市川愛です。」
 
「こんにちは朝野花です。」
 
初めて会話を交わしたのは、
愛ちゃんが入院して
一週間目のことだった。
 
年齢を聞くと同い年と分かり、
単純に嬉しかった。
元気で明るくてひと懐っこい愛ちゃん。
 
何の問題もないように見える。
 
「やっとまともに
歩けるようになったよ~。」
 
「愛ちゃん元気そうに見えるけど…。
どうして入院したの?」
 
「私、睡眠障害でさ。
二週間寝れなかったの。」
 
「え!?二週間???」
 
人間ってそんなに
起きていられるものなの?
 
「それでさすがに
頭がおかしくなっちゃったみたいで。
突然おかしなことしたり、
支離滅裂なこと言ったり、
倒れたりして。
当の本人は記憶がないんだけどね(笑)
それで運ばれてきたの。」

症状さえ明るく話す愛ちゃん。
 
「そんなに寝れなかったら
誰でもおかしくなっちゃうよ。
二週間寝ないなんて…未知だよ。」

「あはは。
点滴で睡眠剤入れてもらって
やっと寝れたんだけど、
効きすぎちゃって。
一週間くらいほぼ動けなかったんだ。
どう過ごしていたのかも
あんまり記憶なくて。
今もフワフワしてる。」
 
「大変だったね…。
私も入院した時、
睡眠薬が効き過ぎているのか
精神薬が合わなかったのか、
2週間くらい
自分が自分じゃないみたいだったよ。
なんか気持ち悪いよね。」
 
やっぱり薬って一長一短だ。
 
愛ちゃんは『責任レベル』が
同じ3ということもあり、
院内を散歩しながら
お喋りすることも多かった。

「私ね、睡眠障害でもあるし、
躁(そう)なんだよね。
だから寝れなくて。
勝手に気分が舞い上がって
仕事に支障をきたすから
仕事もバイトしかしたことがないの。
 
正社員で働いてみたいけど、
知らない間に人に迷惑かけちゃうから。
しかもね、バイトでも毎回
クビになっちゃうの(笑)。
ちなみに今は働いてないよ。
 
この前のバイト、
一生懸命頑張ってたんだけどなぁ。
カフェで働くの夢だったから。
楽しかったけど…
いろいろ難しいね。」
 
躁…。愛ちゃんが
ずっとテンションが高い理由が分かった。
 
まともに働けないくらい症状が
ひどいんだ。大変なんだな…。
 
大学を卒業したら
正社員として働くのが当たり前、
そう思ってた。
どこかアルバイトより
正社員のほうが偉いと思っていた。
だけど、心の病で
正社員として働くことが
難しい人だっているんだな。

正社員でいることが
『正』ではない。
それぞれにあった働き方や
雇用形態がある。
自分に合った場所で
健康に働けたらいいんだ。
様々な症状を抱える患者さんと接し、
心からそう思った。


 
愛ちゃんは私に
とても親しくしてくれた。
 
CDを貸してくれたり手紙をくれたり、
お散歩中はもちろん、
OTが終わって暇になると
ベランダでたくさんお喋りをした。
お互いに精神障害ではあるけど、
まともに交流ができる人がいるだけで
気持ちがラクになった。
 
「そういえば私も昔、
摂食障害だったんだよ~。」
 
「え、愛ちゃんも?」
 
「うん、
でも自然と治ったよ。」
 
南さん、未希さん、愛ちゃん。
これで摂食障害経験者は
3人目だ。
 
10年経っても治らない人もいれば、
治っている人もいる。
「昔摂食障害だった」
という話を聞くと、
私も頑張れば治るんだと
勇気づけられた。

ただ。

摂食障害が治った人も
違う病気で悩んでいることは
変わりなかった。

数人の例だけど
そこだけは気になった。
もしかすると、みんな根本には
『愛着障害』があるのかもしれない。

元彼、過去への依存


詳しくは聞いていないけど
きっと愛ちゃんは
双極性障害(躁鬱病)だ。
 
だけど、愛ちゃんは常に躁で
鬱の状態を見たことがなかった。
いつも元気で自信に溢れていて、
声も大きく、
いろんな人に喋りかけていた。

親しいというより、
人との距離感がつかめず
人との距離が近い。
 
そして、
過去に依存する子だった。
 
元彼との思い出を
毎日ターゲットを代えては語っていた。
話を聞いてくれる人には
プリクラ帳も見せていた。
 
忘れられない人っているものだけど、
元彼とのプリクラ帳を
わざわざ病院に持ってきてることが
ちょっと怖い。
私も何度も見せられ、
さすがに迷惑を感じていた。
 

 
「プリクラみます?」
 
あ、愛ちゃんが
南さんに話しかけている。

「いや、よか。
もう大丈夫、お腹いっぱい。」
 
ウケる。
南さんはスルースキルが高い。
 
「え~~~。」

愛ちゃんは相変わらず明るい。
迷惑がられているのに
気づかないのかな…。
 
「もうさ、あんまり
元彼の話するのやめたら?
みんな元彼とのプリクラ見せられても
『はぁ』って感じばい。
話合わせてもらってるの、分からん?
それに今付き合ってるなら
まだしもさ、
元彼のプリクラば
持ち歩くとかキモかばい。」
 
ズバッという南さん。
さすがにそこまで言えない。
南さんは苛立って、
その場からいなくなった。
 
「怖い!」
 
愛ちゃんが私にすり寄ってきた。

「プリクラ捨てろって!
ひどいよね。」

いや。そんなことは言ってない。
 
すると、
 
「わーーーーーーーん!」
 
突然、泣き出した。
 
「私にとっては大事な思い出なの。
過去みたいに言うんじゃない!」
 
でた…。まぁでも、
すごく好きだったんだろうな。

子供のように泣く愛ちゃんに
同情したけど、
翌日から違う元彼の話をし出して
ちょっと呆れた。
 
いつも誰かを求めてる。
誰かを想っていないと
心の居場所がない、
留まっていられない、
そんな感じがした。
 
私もそうなんだろうけど
やっぱり、
ヘンな人の集まりだ。
 

患者さんのことは
一歩引いてみることができた。

 

距離をとる


ある日、愛ちゃんから
アドレスが書かれた手紙をもらった。

病棟では
人との距離をとるために、
連絡先の交換は
NGという決まりがある。
退院後も交流をすることで
互いの症状に引っ張られ、
治療の悪影響になることがあるからだ。
 
ルールを破り、
繋がろうとする愛ちゃん。
きっと退院後も執拗に
近寄ってくるのが分かる。
子どもならまだしも、
30歳にもなって
連絡先を交換してはいけない理由を
分かっていないなんて。
私が真面目過ぎるのだろうか。
さすがに呆れてしまい、
私も適度に彼女と
距離をとるようにした。
 
 
寝れるようになるのが
目標だった愛ちゃん。
入院治療のおかげで
睡眠は改善したようで、
1か月ほどで退院していった。

最後にもらった手紙にも
アドレスが書かれていた。

きっと先生は知らない。
あの異常なほどの執着を。
 
患者さんだけが気づいてる
世界がある。
 

愛ちゃんの心の穴は
一体なんだったんだろう。

奥さんを亡くしたおじいちゃん

 
「朝野さんは
よく話を聞いてくれるな~。」
 
「そうですか?」
 
病棟は高齢の方も多い。
お話が好きな高田弦太朗さんは
60代後半。
優しく大らかなおじいちゃん
というイメージだ。
 
高田さんは鬱病で入院している。
しかも、今回が
記念すべき10回目の入院だという。
 
いや、記念すべきじゃないだろ。
そう突っ込みたかったけど、
グッと堪えた。
 
「病院にいる時は元気なんだよ。
みんなが居てくれるから。
でも、家に帰って一人の生活になると
気持ちが下がって鬱になってね。」
 
「そうですか。
人と会える環境だといいですけどね。
趣味とかサークル活動とか…。」
 
「いや~、なかなかね。
ここのグループホームには
診察も兼ねて週に2回来てるんだけど。
ほら、来ても
そんな喋ることもないでしょう。
年寄りになると、
黙々と作業するだけだから。
来ないよりはマシなんだけどね。」
 
グループホームとは
退院後のOT活動のようなもの。
 
入院当初、施設の説明で
院内をまわった時に
その様子を外から見たことがある。
 
静かに手を動かしている人、
ボーっと椅子に座って居るだけの人、
挙動不審な人…。
そこはやっぱり、
精神的な悩みを持つ人の集まり。
和気あいあいとした
お年寄りの集まりではなかった。
 
「この歳になると
友達もいなくなるし、
家ですることもないからね。
どんどん気持ちが落ち込んでいくんだ。
家からでるのも億劫になって…。
OTで習ったことを
やってみたりするんだけど。
…まぁ最初だけだよね。」
 
「そうですか…。」
 
ご家族はいないのだろうか。
独身なのかな?
あんまり聞けなかった。
 
高田さんもまともに
話ができる人の一人。
町の話、過去の話、
テレビで話題のこと、
何気ない話しのが楽しかった。
 
だけど、薬の影響か
手や体が小刻みに震えていて、
食事中は口から
食べ物をこぼしていた。
 
自信たっぷりな日もあれば、
一日中シュンと
落ち込んでいる日もある。
 
そんなある日。
旅行の話をしていると
高田さんがこう言った。
 
「僕ね、
早くに妻を亡くしたんだ。
妻が生きてた時は車で
いろんなところに旅行に行ってね。
僕、車の運転好きなんだ。

妻は本っ当に、優しい人だった。
悪いとこなんてひとつもなくてね。
妻がいる時は
僕も元気だったんだ。」
 
「そうだんったんですね…。」
 
「でも、妻が突然
病気で然亡くなってしまって…。
心にぽっかり穴が空いてしまってね。
それからずっと鬱なんだ。
まさか自分がこうなるなんて
思ってもなかったよ。」
 
「奥さんの存在、
大きかったんですね。」
 
「大き過ぎたんだろうね。
妻と居る毎日は本当に幸せだった。」
 
長年連れ添ったパートナーを
亡くすってどんな気持ちなんだろう。
 胸がキュッとなった。
 
南さんに高田さんの話をすると、
 
「10回目かぁ。
でも、そんなに驚かないな。
ここはお金があれば
入院できるから。
奥さんを亡くしたあの人にとって、
病院が居場所なんでしょ。
心のホテルなんじゃない?」
 
サラッとなるほど、
と思うことを言う南さん。
 
出来れば入院なんてしたくない、
と私は思うけど、
高田さんにとっては
大事な居場所なのかもしれない。

 

旦那さんを亡くしたおばあちゃん

 
入院してすぐのこと。
茶髪のおばあちゃんが入院してきた。
髪形も服装もハデ。
昔、レディースの総長でも
していたかのような面影がある。
 
「花ちゃんだっけ?
私、船谷キヨ。
キヨちゃんって呼んでね。」
 
「キヨちゃん…可愛いですね!
キヨちゃん、よろしくお願いします。」
 
気さくな親戚のようなテンション。
強面でしゃがれた声だけど、
中身は少女のように愛らしかった。
 
そんなキヨちゃんは
ヘビースモーカー。
時計を見上げながら
煙草の時間になるのを
今か今かと、待っていた。

時間にルーズなキヨちゃんも、
煙草の時だけは10分前行動。
時計が5分前を指すと
看護ルームの前でソワソワして、
看護師さんが来るのが遅いと
苛立っていた。
 
キヨちゃんの
『責任レベル』が上がると
たまに一緒に院内を散歩しては、
煙草に付き合った。
煙草大好きの南さんとは
喫煙所でよくつるんでいた。

 
「私ね、70歳まで
福岡のデパートで働いてたんだ。」
 
「え、そうなんですか。
すごいですね!
私も今、福岡市内で働いてて。
天神ですか?」
 
「そうそう。
接客は楽しかったよ~。」
 
キヨちゃんは前職に誇りを持っていて、
思い出話をよく聞かせてくれた。
お喋りで元気で
シャキシャキしているキヨちゃん。
なぜ入院しているか分からなかった。

「キヨさんはアルコール依存症だよ。
グループミーティング一緒だから。
あとアダルトチルドレン。
そして鬱病ね。」
 
知りたかったことを
南さんが勝手に教えてくれた。
 
「そうなんですか。」
 
鬱病は意外だった。
 
ある日、
デイルームでみんなと喋っていると、
私の彼氏の話から
結婚とはなんぞや、と言う話になった。
 
「女はね、愛されるのが幸せよ。」
 
キヨちゃんが演歌の台詞のように
語ってきた。

「私の旦那は
『キヨちゃんは世界一可愛い』
『キヨちゃんは何もしなくていいから』
って言う人でね。
私はご飯も掃除もしなかった。
家のことは全部、
旦那がやってくれたんだ。
そりゃお姫様のように
扱ってもらったよ。
本当に私のことを大好きな人でさ。」
 
「え~!
そんな男性いるんですね。
とっても愛されてますね。」
 
「そう。
駆け落ちと同然で結婚してさ。
すごく大切にしてくれたんだ。
周りに頼る人がいなくても
あの人がいれば大丈夫だった。
だから…
旦那が死んでしまって、
なーんにもできなくて。
大変だったよ。」

キヨちゃんの顔が
一気に切ない表情になる。
 
「旦那さん、亡くなったんですね…。」
 
「そう。
まあ、もう15年以上前の話さ。
死んだあと、最初は家の
どこに何があるかも分からなくてさ。
モノひとつ探すのも大変だったよ。

それに…寂しいでしょ?
あんだけ愛してくれた人が
いなくなるんだから。
 
もう、ポーーーーンッと
心に穴が空いた感じさ。
もともと酒は
たしなむ程度だったんだけど。
いつの間にか
そっちに走ってしまったんだ。」
 
キヨちゃんの人生を聞いて、
少し切なくなった。
 
自分のことを
無性に愛してくれているパートナーが
もし、突然死んだら?

人はいつか死ぬものだと
分かってはいるけど、
想像するだけですごく怖い。

もし、今お母さんが
突然死んだら?
無理だ。考えたくもない。
 
 
愛されることは
たしかに幸せなこと。
だけど、
キヨちゃんのように
自我を失うような
愛され方をしてしまうと、
相手がいなくなった時に
相手にもたれ掛かかっていた心が
ガタッと崩れてしまうのかもしれない。
 
もちろん、愛することも
愛されることもステキなこと。
ただ、愛し方や愛され方が
依存的になったり
役割が偏ったりしてしまうと、
のちに何かが
崩れてしまうのかもしれない。
そう思った。
 
弦太朗さんもキヨちゃんと
同じなのかもしれない。
 

そして、
弦太朗さんもキヨちゃんも
「心に穴が空いた」
と言っていたように、
病院には寂しさを
抱えた人たちがたくさんいた。

いろんな人と接してきたけど、
みんな『愛』を
探しているように見えた。

もしかしたら私と同じように
病気の根っこには
ぽっかり空いた
『心の穴』があるのかもしれない。
 


みんな、
一人ぼっちじゃないといいのにな…。
 
何度もそう思った。

入院を拒む声

 
「絶対、入院せん!」
 
面談室から
男性の大きな叫び声が聞こえた。
男性スタッフがバタバタと
その声がするほうへ走っていく。
 
「返せ!返せ!」
 
「翔太、やめなさい!」
 
翔太君という男の人と
そのお母さんらしき人の声。
 
ガンガン、ガンッ!
 
大きな物音が何度もする。
 
「なにごと?」
 
「あれやろ、
入院したくないんやろう。
うちも入院する時、
酒飲めんって思ったら
気が狂いそうやったばい。」
 
しらっとした顔で南さんが言う。
 
入院する患者さんの中には
家族に強制的に病院に
連れてこられるケースも
少なくない。

面談室の扉が開き、
中の様子が見えた。
 
そこには入院を拒んで暴れる
翔太君という20代らしきの男性、
それを心配そうに見つめるご両親、
数人の看護師さんと男性スタッフ。

そして…日高先生!がいた。
 
「日高先生やん。大丈夫かな。」
 
だけど、いつもより
ドシッとして患者を見つめている。
『医者」って感じだ。

「日高先生、
今日は医者っぽく見える…。」

「へ?医者やろ(笑)
なんと思ってたと?(笑)」

南さんが笑う。
 
日高先生と翔太君の
会話が聞こえてくる。
 
「携帯は使えません。
治療に専念するためです。」
 
「携帯が使えんなら
絶対、入院せん。
携帯返せ!!
携帯返したら入院してやる。」

おぉ、条件交渉だ。
 
「それは出来ません。
私はあなたの心が大事です。
入院して、治しましょう。」
 
翔太君が強制的に
どこかに連れて行かれようとする。
多分、PICU病棟に。
 
「やめろ!やめろ!
SNSができんくなるやろ!
俺にはフォロワーがいっぱいいるんだよ!
みんな俺の投稿、楽しみにしてんだよ!
フォロワーが心配する!
おい、最後に一言投稿させろ!」
 
バタン。
 
扉が閉まる。
 
へ?
フォロワーの心配?
自分の心配をしなよ。
 
『投稿楽しみにしてます』
って言葉よくあるけど、
本当はそれほど
楽しみにしてないから大丈夫だよ。
きっとすぐ次の人見つけるから。
SNSの世界なんてそんなものだよ。
 
でも、
突然病院に連れてこられて
携帯取り上げられて、
自分の意思ではなく
入院させられるって怖いよね。
不安だよね。
 
私は任意の入院だったけど、
携帯使えないって言われた時は
さすがに焦ったもん。
 
だけど。
携帯がない世界もいいもんだよ。
本当は気にもしないでいいことを
気にしなくて済むから。
比べないでいいことを
比べなくて済むから。

携帯があるから、
欲しいものが増えたり
足りないと思うんだ。
 
入院生活もいいもんだよ。
きっと翔太君の人生良くなるよ。
大丈夫だよ。
 

‘自分のことが見えていない人’を
客観的に見ることで、
妙に心が冷静になっていく。

翔太君は観念したのか、
しばらくすると面談室は静かになった。


 
どうか、翔太君の入院生活が
有意義になりますように。

 

かっこいい高校生

 
病院には10代の
思春期まっさかりな子どもたちも
暮らしている。
 
同じ病棟には
イケメンで長身の高校生、
土谷颯太君がいた。
恋愛対象の年齢ではないが、
好青年の彼はきっとモテる。

実際、
「恵梨香ちゃんは颯太くんが好きらしい」
「手紙で告白したらしい」
そんな話も聞いた。
若いなぁ~と思いながらも、
好きな人と病院で暮らしているって
どんな気持ちなんだろう?と
ちょっとワクワクする。
 
颯太くんは入院しながらも
学校に通っていた。
なんでもバスケットの
推薦に選ばれているらしい。
 
イケメンでバスケット?
ブザービートやん。
絶対モテるやん。
もしや学校では
モテモテなのではないのか?

そんな颯太くんはとてもシャイだった。
同世代の子とは喋っているようだったけど、
大人と会話しているところは
あまり見たことがない。
 
私も彼に関することは人聞きで、
まともに話したことがなかった。
 
というか、
彼はいつも大きなヘッドフォンをしていた。
朝礼中もデイルームでも。
 
行儀が悪いなと最初は思ったけど、
看護師さんが注意をしないのを見ると
何か理由がありそうだ。
 
周囲との繋がりを
シャットダウンしてるのかな?
対人恐怖症かな?と
思っていた。

そんなある日、
デイルームにいると
看護師さんが颯太くんに話しかけていた。
 
「調子はどうですか?」
 
「最近、また調子が…。
ずっと人の声が聞こえます。」
 
「もうすぐ退院だけど、大丈夫かな?」
 
「ヘッドフォンで音楽を聞いていると
まぁ…少しはまぎれます。
退院してもここには通うので、まぁ…。」
 
「バスケの推薦のこともあるからね。
無理はしないでね。」
 
え?

颯太くん、
幻聴に悩まされてたの?
だからヘッドフォンしてたんだ…。
きついだろうな…。
 
私は大学生の頃から
24時間耳鳴りがしているけど、
人の声がするって未知だ。
 
こんなにイケメンなのに
彼は苦しんでいたのだ。
 
耳の中で響く誰かの声を
音楽で紛らわしているんだ。
その声が聞こえだした原因は
何なんだろう。
 

この時、
幸せとは容姿ではかるものじゃないんだ、
と思った。
 
可愛い人は恵まれている。
かっこいい人は得をする。
たしかに
そういう部分もあるかもしれないけど、
容姿がいいから幸せとは限らない。
まずはその人全体が
健康であることが大切なんだ、
と思った。
 
症状は違うけど、
ここにはみんな
病気になった体や心を
治しに入院しにきている。
 
私の『食べるのが怖い』という気持ちも
なかなか心からとれてくれないけど、
颯太君の幻聴も
耳からとれないんだろうな…。
 
なんでも決めつけてはいけない。

ヘッドフォンをしている人が
必ずしも
音楽を楽しんでいるわけじゃない。
人には『それ』をしないと
過ごせない理由があるんだ。
 


どうか颯太君が
大人になるまでに
治りますように。
 
いつかヘッドフォンなしで歩く
颯太君が見れますように。

 

私を責めないで!

 
「きゃ~~~~~~~!」
 
部屋にいると隣から叫び声がした。
 
え?なにごと?
今の真奈美さんの声?
嘘でしょ?
 
隣の部屋の春田真奈美さんは、
30代後半の
おっとりとした雰囲気の女性だ。
 
人と関わりたくない様子の
真奈美さんとは、
挨拶以外は
ほぼ接したことがなかった。
真奈美さんから
こんな大きな声がでるなんて驚きだ。
 
心配になって覗きに行く。
 
すると、部屋の中で
うずくまっている真奈美さんと
それを支える看護師さんがいた。
 
「大丈夫ですか?」
 
「男の人が、男の人が…
ずっと、ずっと、
私のことを責めるんです。」

「大丈夫、大丈夫。」
 
看護師さんが必死になだめている。
 
「その人は誰ですか?
知っている人ですか?」
 
「分からない。
誰か分からない。
だけど、
いつも私を責める…。
怖い、怖い…。」
 
その光景を見て涙が出そうになった。

真奈美さんは
颯太君と同じように幻聴、
そして
幻覚に悩まされていたのだ。
 
後から教えてもらったが、
真奈美さんは男性恐怖症でもあった。
だから、
人との接触を避けていたのだ。

一体何があったのだろう。
普通の生活を送っていたら
こんなことにはきっとならない。
 
面会に来るご家族や
旦那さんは良い人そうだし…。
旦那さんには
警戒してないみたいだし…。

正体が分からない
男の人って誰なんだろう。
 
いろんな想像ができたけど、
もしかしたら真奈美さんにも
分からないかもしれない。
 


真奈美さんの心に刻まれた
深い深い傷が
いつか消えますように。
隣の部屋でそっと願った。
 

良い人を演じながら生きる主婦


あ、今日もデイルーム掃除してる。
入院当初の私みたい。
 
「美村さん、ありがとうございます。」
 
「いいえ。
いつも家でやっていたことだから。」
 
彼女は40代後半の美村遥子さん。
旦那さんと3人のお子さん、
そして姑さんと暮らす主婦だ。
 
世話好きの美村さん。
片付けや掃除、
食事中の子どもたちの世話も
積極的にしてくれる姿が
最初は好印象だった。

それに料理好きな彼女。
ブルーベリージャムの作り方や
美味しいハンバーグにするコツなど、
主婦の知恵のつまったメニューを
教えてくれた。

「すぐ忘れちゃうのでスケッチブックに
レシピとメニューを書いてきました。
これで合っていますか?」
 
「わぁ、朝野さん嬉しいわ。ありがとう。」
 
美村さんは自分のしたことが
人のためになっていると分かると、
とても嬉しそう。
 
一見、健常者に見える。
だけど、美村さんはアルコール依存症で
家庭が上手く機能していない様子だった。

 『責任レベル』が同じで
一緒に散歩する機会もあり、
その度に家族の話をしてくれた。
だけど…
その度に家族の愚痴を口にし、
人のせいにしていた。

「旦那も姑もね
家のことぜ~んぶっ、
私にさせていたの。
あの人たち何にもしてなかったから
私がいなくなって
とても困っているはずよ。
この前だって
『どこにモノがあるか分からない』って
電話がかかってきたんだから。
しかも片づけた私が悪い、
みたいな言い方されてさ。」
 
「そうなんですね。
美村さんに任せていたんですね。」
 
「そうなのよ。
着替えの準備とかも全部、
私がやっていたのよ。
でも、ありがとうと
言われることもなかったし、
文句ばっかり。
きっと今頃、
私に言ってきたことを
後悔しているんじゃないかしら。
 
特に、姑がすごかったのよ。」
 
「嫁姑問題って多いみたいですね。
私の家も祖母を巡って
両親が喧嘩していました。
小さい頃はそれを見るのが嫌でした。」
 
「そうなのね。
今思うといじめみたいだったわ。
私が掃除した後、
埃でも見つけようもんなら
指ですくって、
『遥子さん、埃。
本当に掃除したの?』って。
根っからの完璧主義でさ、
毎日監視されてるみたいだったわ。
 
私に文句を言えることがないか
いつも探しているから、
私も‘言われないようにしなきゃ’って
どんどん家事を
完璧にするようになって。」
 
なんだかうちの母と似ている。
母も祖母から
文句を言われないようにと、
朝4時に起きて家事を頑張っていた。
 

嫁姑問題、夫婦問題

 
「それなのに
夫は姑の肩を持つのよ。
お前が悪いって。
こんなに完璧にやっているのに。
私の何が悪いのよ、ねっ。」
 
「そうなんですね…。
うちの父も似た感じでした。
というか、
うちの父は本当に
自分のことしか考えていない人で。
母が風邪を引いても
母の体調ではなく、
自分のご飯の心配をするんです。」

苦笑いが出る。
 
「朝野さんのお母さんも大変ね。
うちの旦那は性格も荒くて。
言葉のDVのように
暴言を浴びせられてたの。
喧嘩してアザをつくったり、
体を打ったこともあるわ。」
 
「そうなんですか…。」
 
「で、ある時から
私ってこの家の何なんだろう、
何のために生きてるんだろう、
この家の奴隷みたいと
思うようになって。
それで日中、
時間が空いている時に
お酒を飲むようになってね…。
次第に量が増えちゃったの。」
 
「美村さんにとって
お酒が心の拠りどころ、
逃げ道だったんですね。」
  
あくまでも妄想だけど、
姑の前で良い人を演じるストレスが
お酒で爆発して、
暴れて暴言を吐く
美村さんの姿が想像できた。
 
「夫と話ができないのよ。
先生は『折り合いをつけないと』って
言うんだけど、
夫が聞く耳を持たないからさ。」
 
「大変ですね。」
 
「でも私がいなくなったことで
やっと私の大切さに気づくかもね。
ざまーみろって感じ。

でも…子どもたちのことは
すごく心配だけどね…。」
 
一瞬、美村さんの表情が
はじめてお風呂に入った時に
息子さんの話をしていた
南さんと重なる。
 
DV夫と完璧主義の姑との
コンビネーション。
結構辛いだろうなと思った。
 
でも。
この家族の根っこを握っているのは
美村さんなのかもしれない。
とも思った。
 
なぜなら、
話を聞けば聞くほど
接すれば接するほど、
美村さんの
完璧主義はすごかったからだ。

「しなければならない」
「こうあるべき」
「絶対こうだ」
 
思い込みも激しく、
負けず嫌いで
意地の塊のように頑固な人だった。
 
自分の非になるようなことは
絶対に言わない。
自分を良く見せるために
いろいろ頑張って、
良い人を演じていた。
  
本当は彼女の
完璧主義と承認欲求が
姑さんとの関係をこじらせ、
家事を完璧に追い込んで
やることを増やしているんではないか。

完璧にすることで、
姑さんや旦那さんに
マウントを取っているんじゃないか。
 
彼女を一番苦しめているのは
彼女自身なのではないか。
そんな気がした。

それに最初は良い人に
徹してた美村さんも、
病棟で過ごすうちに本性が出だした。

相手が自分の思い通りの
反応をしないと、
イライラしたり嫌味を言ったり。
遠回しな言い方で患者さんたちを
攻撃するようになったのだ。
 
彼女の本性に気づき、
距離を取り出す患者さんもいた。

本当のことは分からない


ある日、美村さんが
旦那さんといるところを見た。
家族面談のようだ。
話と違って旦那さんは
穏やかそうに見えた。
でも、今は仮面を被っていて
家では違うんだろうな…。
 
2人を見ていると
旦那さんと目が合ってしまった。
ヤバい!
 
すると、
旦那さんは丁寧に会釈してくれた。

あれ?
DV男にしては意外だ。
うちの父は
こんな優しい会釈はできない。
 
その数時間後。
面談が終わったのだろうか。
ロビーのソファで看護師さんと
話し込んでいる美村さんの姿が見えた。
 
「旦那さん、
寄り添ってくれてるじゃないですか?
それでも許せませんか?
旦那さんの意見、
受け止められませんか?」
 
美村さんが看護師さんに
絆されている。
 
「私が悪いんですか?
あの人面談の時だけ
調子がいいんですよ。」
 
「旦那さんもどうにかしたいと
思っていますよ。
向き合ってくださっていますよ。
今日も謝って
いらっしゃったじゃないですか。
私にはあの姿、
嘘には見えませんでした。」

「でも、今更ですよ。
姑のこともかばってくれなかったし、
いろいろ許せないんです。」

「過去を許せない気持ちも分かります。
だけど、過去の旦那さんを憎んでも
前にはなかなか進めないと思うんです。

相手が変わろうとしているのに
美村さんがこのままだと…
受け入れる姿勢がないと
ずっと変わらないままですよ。」
 
話に耳を傾ける。
しばらく二人の会話を聞いていたけど、
美村さんから聞いていた旦那さんと
看護師さんが話す旦那さんは
別人だった。
思ったほど悪い人じゃない
ような気がした。

もちろん、
どっちが本当の旦那さんかは
分からない。

人は現実を事実のまま
見ることはなかなかできないから。
その人の心のフィルターを通して
世界を見るから。

でも、
もしかしたら美村さんは
旦那さんを見る時、
悪いところが目につく心のメガネを
かけているのかもしれない。

過去、協力してくれなかった
旦那さんのことを敵だと思い、
自分でも知らないうちに
旦那さんを否定することが
クセになっているのかもしれない。
  
うちの母がそうだ。

「昔からのことが
積み重なっているから
今さら優しい目で見れない」
と母は父のことを
マイナスのメガネをかけて見ていた。


母と美村さんは似ていた。

 

人のせいにしても変わらない

 
「ね、花ちゃん、
私に何の問題があるのかしら。」
 
退院したくてたまらない様子の美村さん。
入院して2カ月が経つらしい。
自分より先に退院していく
患者さんに焦りを感じはじめていた。
 
美村さんが言うように、
病棟での彼女は一見、
何の問題もないように見える。
特にトラブルもなく
大きな波もなく、
日々が過ぎていく。
 
だけど、
主治医も看護師も
見逃していなかった。
 
『自分は悪くない、相手が悪い。』

入院した時から変わらない、
彼女のスタンスを。
 
今のままでは退院しても
アルコールに走ってしまう姿、
家族とトラブルになる姿が
容易に想像できる。
 
肝心な『自分の心』を
見つめ直すことを拒む美村さんの
ふとした表情には、
隠しきれない『鬼』のような
深い邪念が見えた。

そして、
その表情や言葉選びは
私の兄にも似ていた。
兄も何かあれば「母親のせい」と
人のせいにしていた。

もしかしたら美村さんは
『私の家族の縮図』
なのかもしれない。

彼女のおかげで、
どうやったら自分の家族が
良くなっていくのかを
客観的に見ることができた。

その点には感謝してる。



結局、私も美村さんより
先に退院したので、
彼女がどうなったのか分からない。
 
今でも完璧に主婦を
こなしているのだろうか。
自分を見つめなおすことが
出来ていたらいいのだが。
  

人を変えるより
人の欠点ばかり指摘するより、
まず自分に直すところがないか
見つめること。
完璧主義の自分を認めて、
自分の心に
柔らかくなることが、
病気の快復に
欠かせないんだと、
美村さんから教わった。

 

先生との相性

 
それは未希さんや愛ちゃんが
まだ病院にいた時の話。
 
「朝野さんて、日高先生だよね?
どう、あの人?」
 
患者さんと雑談中、
しばしば先生の話になる。
 
あの先生が良いとか
頼りになるとか、
あの先生は良くないとか
患者のことを考えていないとか。
 
『ちゃんと患者と向き合っていない』
そう思われる先生は、
いつも誰からでも
評判が悪かった。
話を聞いている演技をしても、
先生の心の温度というのは
患者に伝わるものだ。
 
「え、良い先生だよ~。
すごく親身になってくれるし、
診察時間が楽しいよ。」

私と日高先生は相性が良かった。
先生の治療方針と
私の性格がマッチしていたのだと思う。
 
「朝野さん、
診察時間長そうだもんね。
まだしてんの?って思う時あるよ。」
 
「長いのかな?恵ちゃんは?」

「私、副委員長なんだけど
大体5分、長くても10分だよ。
近況ちょっと話して
薬どうしましょうかで終わり。
患者が多いから
仕方ないんだけどね。
副委員長は
昔からお世話になってるし、
どの先生よりも信頼してるから。」
 
「そうなんだ。」

私の面談は
30分くらいあるだろうか。
でも、恵ちゃんは性格的に
5~10分くらいの診察が
合っている気がする。
恵ちゃんは物事をあまり深く考えず、
セカセカしているタイプの人だった。

「恵ちゃんはこの病院、
結構昔から通ってるの?」
 
「うん、小学校の頃から副委員長だよ。」
 
え?小学生の時から!?
何があったの…。

すると、未希さんが会話に入ってきた。
 
「日高先生って、
あのぽっちゃりしてる人でしょ?
なんかおどおどして
頼りなさそうだけど。」
 
「そんなことないですよ。
ぽっちゃりなのは
否定しないですけど(笑)。
いろいろ本貸してくれるし、
知らないこと教えてくれるし。
意外と頼りになりますよ(笑)」

「え、ちょっと待って!」
 
同い年の愛ちゃんが会話に入ってきた。

「私も日高ちゃんだけど、
本とか貸してもらったことないよ。」

「えぇっ?そうなの!?」
 
「いや、一度もないよ。
花ちゃん特別なんじゃない?」
 
特別?
いや、違う。
特別とかじゃない。
 
「私が本好きなの知ってるからだよ。」

日高先生は
患者さんの性格を読んでいる。
きっと私なら
素直に本を読んで
素直に学ぶと、
先生はちゃんと見抜いているんだ。

「花ちゃん、
なんか難しそうなの読んでるよね~。」
 
「愛ちゃんは、本読むの?
もし日高先生が貸してくれたらどう?」
 
「ん~、漫画なら読むけど。
活字苦手だもんなぁ…。
そうだな。
私、日高ちゃんに
本読めって言われても読まないわ(笑)。」
 
「あははは(笑)」
 
面白いな。
本当、先生と患者さんは
相性だと思う。
私にとっては
ヒーローのような存在である
日高先生が
みんなに合うとは限らないし、
恵ちゃんが好きな副委員長が
私に合うとは限らない。

私みたいに
納得したいタイプの人間は、
診察が5~10分だと
気持ちが消化しきれず、
満足しないかもしれないし
不安が残るかもしれない。
 
逆に愛ちゃんが私と同じように
毎回課題を出される治療法だったら、
面倒くさくなって
治療が嫌になってしまうだろう。
 
患者さんは
一人一人、それぞれだ。
先生も
一人一人、それぞれだ。
 
どの人にも良い悪いはない。
合う合わないか、だ。



そして、
‘相性が良い先生’に
出逢えることは
とても貴重で幸運だと思う。
 
私は日高先生だから、
前向きに頑張れた。

 

考え方のクセ

 
今日のコミュニティミーティングは、
ちょっとした勉強会らしい。
 
朝の集いの時間に勉強会に使う、
『あなたの考え方チャート』という
用紙が配られた。
 
「この18個の質問に答えて、
回答A~Fの合計点を計算して…。
ってみんな、聞いてる~?
右のチャートを完成させて
午後のグループミーティングに
持ってきてくださ~い!」

「は~~~い。」
 
ガヤガヤする中で
一生懸命説明する看護師さん。
毎日お疲れ様です。
 
『あなたの考え方チャート』か。
なんか面白そう。
 
早速、OTの時間に書いてみることにした。
質問事項をザッと読んでみる。
(参考文献:「こころの元気+」2013.6)
 

≪あなたの考え方のクセを知ろう!≫
――――――――――――――――――――
〈どれくらい当てはまるか点数をつけよう〉
「4.よくあてはまる」
「3.ややあてはまる」
「2.あまりあてはまらない」
「1.全くあてはまらない」
――――――――――――――――――――
・根拠もないのに、よくない結論を
 予想してしまうほうである。
・何か友達とトラブルがあると
 「友達が私を嫌いになった」と
 感じてしまうほうである。
・自分に関係がないと分かってることでも、
 自分に関連付けて考えるほうである。
・たったひとつでもよくないことがあると、
 世の中すべてがそうだと
 感じてしまうほうである。
・曖昧な状況は苦手で、
 ものごとを良いか悪いかなど
 はっきりさせたいと考えるほうである。

――――――――――――――――――――

自分のことだと思う質問ばかり。
4か3に〇が多くついた。
 
それぞれの回答には
ランダムにA~Fの記号が記されており、
同じ記号同士の合計点を
チャートにつけて線で結ぶ。

A~Fどれも点数の高い、
六角形のチャートが出来上がった。
唯一、Fだけ少し低い。
 
これ、何の結果なんだろう。
答えが気になるな。
 
お昼が終わり、
午後のグループミーティングの
時間になった。
広いミーティングルームに
他の病棟の患者さんも集まる。
 
席に座ると、
『あなたの考え方のチャート』の
解説用紙が配られた。
自分のチャートと見比べる。
 
――――――――――
A.先読み
B.べき思考
C.思い込み・レッテル貼り
D.深読み
E.自己批判
F.白黒思考
――――――――――
 
どうやら私はA~Eの傾向が
高いようだ。
 
なんかショックだ…。
字面だけ見ると
どれも良くないことに思えた。
 
もちろん、そうだろうなと
思っていた部分もあるけど、
こうやって数字として証明されると
胸にくる。
 
「花ちゃん、どうだった?」
 
「ほぼ高いです~。ヤバいです。
唯一、Fだけ低いです。南さんは?」
 
「私はFが一番高いよ(笑)」

周りもザワザワしはじめる。
 
‘認めたくない’と言わんばかりに
不機嫌になる中年男性もいた。
 
「結果はどうでしたか?
みなさんで解説を読んでいきましょう。
では、南さんからお願いします。」
 
「は~い。」
 
ワンセンテンスごとに回し読みしていく。
 
解説の冒頭にはこう書いてあった。
 
―――――――――――――――――――――
■考え方のクセとは何か?
「いつも私は失敗する…」「すべて私のせいだ…」、気持ちが落ち込んだり不安定になったりすると、ふと心に浮かぶこんなフレーズはありませんか?
私たちには、皆それぞれに考え方のクセがあります。

あまりに自然で慣れ親しんだ考え方なので、それが自分の考え方のクセだと気づかないことも多いものです。
しかし、そのクセにきづくことができれば、自分を振り返り、気持ちを整理するきっかけをつかめます。
―――――――――――――――――――――
 
たしかに。
こんなに自分を振り返る機会も
なかなかない。
ちゃんと理解しよう!
 
『あなたの考え方のチャート』の解説に続く。
 
■解説
―――――――――――――――――――――
A.先読み
「○○かもしれない」「○○にちがいない」と悲観的な予測を立ててしまう考え方です。

例えば、恋人から1日メールの返信が来ないともう2人の関係は終わりになるに違いない」と考えて落ち込んでしまうような考え方をさします。
相手は仕事が忙しかったかもしれないし、返事をしようと思いながらそのままになっていたのかもしれない…。
多くの可能性があるのに確かめないうちから悪い予測を立ててしまいます。

一方で、「先読み」の傾向が高い人は慎重なタイプともいえます。
「○○かも…」と先のことを考えるからこそ、困った事態にならないように準備するので、ミスや失敗が少なかったりします。
 
B.べき思考
「○○すべきだ」「○○しなければならない」などと思い悩んでしまいやすい考え方です。
思うように事が運ばないことは多いもの。現実を見ずに「○○すべき」と自分で自分を縛ってしまって苦しくなってしまいます。

例えば、調子が悪くて少し散らかっている部屋を眺め、「主婦ならば完璧に家事をすべきだ」と考えて自分を責めてしまったりします。

一方で、「べき思考」の傾向が強い人は、意志が強いタイプとも言えます。
決めたらやり通す強さを持つので、周囲から頼りにされることが多かったりします。
 
C.思い込み・レッテル貼り
自分が着目していることだけに目を向けて、根拠は不充分なのにもかかわらず、「いつも○○だ」「必ず○○だ」などと考えてしまいがちです。そして、「自分はダメ人間」などとレッテルを貼ってしまいます。

例えば、何か仕事でミスをしたとき、「僕はいつも失敗ばかりでダメ社員だ」と考えてしまったりします。

一方、「思い込み」の傾向が強い人は、思い悩むことなく結論が出せるので、割り切りがよく、躊躇せずに前進することができます。
 
D.深読み
相手の気持ちを一方的に推測して、「きっとあの人は○○と考えているに違いない」と相手の心を読んでしまうような考え方です。

例えば、会話中に相手がふと時計を眺めたら、「きっと自分の話はつまらないと思っているのだろう」と考えてしまったりします。

一方、「深読み」の傾向が強い人は、相手の表情を読み取ったり、言外のニュアンスを察することができるので、気配りのできるやさしいタイプということができます。
 
E.自己批判
良くないことが起きると、自分が原因と考えて、自分を強く責めてしまう考え方です。

例えば、みんなで取り組んできたプロジェクトが失敗したときに、「自分のせいだ」と考えて、必要以上に自分を責めてしまったりします。

一方、「自己批判」の傾向が強い人は、他人のせいにしたりせずに、「何がいけなかったのだろう」と原因を振り返ることができる強さを持っているので、自分を高めていくことができます。
 
F.白黒思考
灰色(あいまいな状態)に耐えられず、ものごとを白か黒か、良いか悪いかなど極端にとらえてしまう考え方です。

例えば、ちょっとミスをして注意を受けたときに、「完璧にできなかった自分はダメだ」と考えてしまいます。

一方、「白黒思考」の傾向が強い人は、ものごとの判断基準がはっきりしているので、スピーディーに仕事やものごとを進めることができます。
―――――――――――――――――――――
 
いやいや、待って。
私の性格のことがそのまま書いてある…。
 

私の人生をこじらせていたのは


「先読み」「べき思考」
「思い込み・レッテル貼り」
「深読み」「自己批判」…。
 
否定したくもなるが、
私の性格はこの文章の言う通りだ。
 
私、知らず知らずに
『考え方のクセ』を
身につけて生きていたんだ。
 
そういえば、
会社でも原稿に大きな修正が入ると
‘私はダメなんだ’と広告ではなく、
自分自身を否定される気持ちになった。
 
心の余裕がない時は、
ちょっとした原稿の
指摘を受けただけなのに
‘もう全部ダメなんだ’と
広告全てが批判されている
気持ちになった。

自分では完璧!と
思っていたものが否定されると、
ガーンと奈落の底に
落とされた気分になって、
具合が悪くなったり
混乱してしまうことが
多かったように思う。
さらにその混乱した感情で
相手を巻き込んでいた。
 
それも『考え方のクセ』が
影響していたのかもしれない。
 
そして、体型についても。

ちょっと脂肪がついただけで絶望したり、
ちょっと食べ過ぎただけで
どんどん太ってしまうんじゃないかと
極度の不安に陥ってしまうのも、
『考え方のクセ』のせいかもしれない。
 
もしかすると、
そんなに思い悩む必要がないことを
過剰に捉えて、
勝手に頭の中でこじらせて
自分の人生を
難しくしていたのかもしれない。
 
『考え方のクセ』のせいで
これまでの人生、
苦しむことが多かったのかもしれない。


…目から鱗だった。

ここはちゃんと理解して、
胸に留めておく必要があると思った。
 
もちろん、
『考え方のクセ』のおかげで
やり遂げられたこともたくさんある。
 
『先読み』の傾向が高いからこそ
ものごとを慎重に進めることが出来て、
失敗が少なかった。
計画的に物事を進めることができた。
『べき思考』が強いからこそ、
決めた目標は最後までやり通す力がある。
『深読み』の傾向が高いおかげで
人の気持ちに気づき、
手を差し伸べることができる。
『自己批判』するがゆえ
自己研鑽し、成長が早かった。
 
あと…私の母は
すべての傾向が高いような気がした。
そして、私も同じように高い。
 
母みたいに気性が激しい人には
なりたくないなと思っていたけど…。
同じ環境で暮らしているうちに
私も気づかぬうちに
同じ思考を身につけていたのかもしれない。
 
気をつけよう。
 
母の気になる点は
私の気になる点かもしれない。
母と同じことを
私も人にしているかもしれない。
 

読み進めながら、
患者さん同士で意見を交わす。
周りも私と同じように
自分の『考え方のクセ』に驚いていた。
だけど、クセに気づいて
「だからこうだったんだ」と
苦しかった自分の人生に納得していた。
 

文末にはこう書いてあった。
 
―――――――――――――――――――――
自分の特徴を知ることの大切さ
「『先読み』の傾向が強い…だから自分はダメなんだ」と考える必要はありません。
「自分には『先読み』の傾向があるんだなぁ」と知ることで、少し冷静に自分を見ることができます。
そして、いつもの考え方が自分を苦しめる方向に働きそうになった際に、「また、いつものクセが出てきたぞ」と立ち止まることができればよいのです。
クセは長所や強みでもあります。
 
「現実」を見る大切さ
 落ち込んだり、不安になったり、精神的につらくなっているときは、一般的に、目の前の現実を見ているようで、
きちんと見ていないことが多いものです。
「ああかもしれない」「こうかもしれない」と、自分の頭で悲観的なストーリーをつくり、なおつらくなってしまうといった悪循環が起こりがちです。
そんな時は立ち止まって、実際に起きている現実のできごとと、自分の頭の中で作り上げている現実とを区別する必要があります。
そのときの手がかりになるのが、「考え方のクセ(特徴)」です。
―――――――――――――――――――――
 
本当にそうだ。
私は自作の
悲観的ストーリーの中で
勝手に苦しんでいた。
現実を見ているようで、
見ていなかったんだ。
‘実際に起きている現実のできごと’を
ちゃんと見よう。
 
それに安心した。
今、こうして自分の
『考え方のクセ』を知ることで、
これからは
苦しくなってしまいがちな自分を
ラクにしてあげることが
できるかもしれない。
仕事や私生活はもちろん、
摂食障害の治療に
とても役立つ気がした。
 
日高先生は
私の『考え方のクセ』を見抜き、
カウンセリングをしながら
偏った考え方を
中心に戻してくれていたんだな。

今から全部を変えることは
できないかもしれないけど、
苦しくなった時は
『考え方のクセ』に気づいて、
生き方がラクになると
いいなと思った。

右往左往する気持ち


たくさんの人から気づきをもらい、
修正されていく
体型や食に対する考え方。
 
自分の『考え方のクセ』にも気づき、
症状につながる心の問題にも
向き合ってきた。
 
昨日よりご飯が食べられた
自分を褒めてあげたり、
「体重が増えても大丈夫だよ」と
なだめてあげたり。
自分で自分を支えることもできてきた。
 
それでも。

食事を100%完食できる日は
一度もなかった。
やっぱり怖かった。
 
お腹が減り過ぎて
おかずを完食できる日もあったけど、
自分を褒めたい気持ちの上から
太ってしまう恐怖が心を覆った。
 
日々、気持ちは右往左往していた。
 

 
「…このままじゃ変わらないよ。」
 
机の上で悶々とする。
 
スケッチブックを開き、
心の中にいる2匹のモンスターを
書いたページを眺める。
 
「食べたら太るぞ」
「食べたら後悔するぞ」。
私の心を恐怖で満たし、
拒食症にするガリガリモンスター。

「食べろ食べろ」
「もっと食べろ」。
私の頭を食べることで満たし、
過食症にするパクパクモンスター。


「ねぇ、あなた達は
どうやって生まれたの?」

 
キャッキャッと可愛く笑う
ガリガリモンスターに、
ペンを向ける。
 
「ガリガリモンスター、
あなたはどうして私に
『食べたら太る』『後悔するぞ』
って言うの?」
 
すると突然、
ガリガリモンスターの声が
頭を駆け巡った。
 
「どうしてって
君が痩せていたいからだろう?
僕はその心に従ってやっているだけさ。
君のやりたいことを
サポートしているだけさ。
君は僕のせいにしているけど、
痩せていたい気持ちを
手放さないのは君じゃないか。
 
僕は君だ。君は僕だ。」
 
焦った。思わず、
パクパクモンスターに話を振る。
 
「ねっ。君はどうして私に
『食べろ食べろ』『もっと食べろ』
って言うの?
食べたい気持ちを暴走させるの?」
 
すると次は、
パクパクモンスターの言葉が
頭の中に駆け巡った。
 
「どうしてって
君が本当は食べたいからだろう?
僕はその心に従ってやっているだけさ。
 
君はいつも我慢している。
本当に食べたい時に限って
我慢している。
 
僕は知っている。
君があの時もこの時も
痩せたいがために、
食べたいものを我慢したこと。
 
だから脳の判断が
鈍っている夜に
食べさせてあげているんだ。
食べることは幸せだろう?
僕は君が食べたいって
思う気持ちの味方さ。
 
それに君は夜食べるために、
朝昼を制限していたじゃないか。
 
君は僕のせいにしているけど、
悪循環をつくり出しているのは
君自身じゃないか。
 
食べることを
決めているのは君さ。
 
僕は君だ。君は僕だ。」
 
頭の中に響く言葉たちに
とても動揺した。
モンスターの言葉が
胸の奥深くに突き刺さる。
 

モンスターの正体


「と、とにかく、書こう!」

頭の中に浮かんだ
モンスターの言葉を慌てて
スケッチブックにメモする。
 
「ふう。書けた…。」

深呼吸して
書いた文字を眺める。
冷静になって
もう一度、
モンスターの言葉を飲み込む。
 

…!

…!!

 
大事な事実に気づいてしまった。
 
私、少しも手放せてない…。
手放せていないんだ!
 
入院していろんな気づきを得たけど、
肝心な『痩せたい気持ち』を
入院した日から
全然手放せていないんだ…!
 
もしかすると、
私は『痩せたい気持ち』を
自分のせいにしないために、
自分に言い訳ができるように、
このモンスターたちを
つくりあげたのかもしれない。

モンスターのせいにしたら
逃げられるから。

ご飯を食べられないのは
モンスターのせい、
食べるのが止まらないのも
モンスターのせいって。

だからこのまま
痩せていってもいいって、
食べてしまうのも仕方ないって…。




モンスターの正体は、
この私だ。

『痩せたい気持ち』を手放したい


次の日。日高先生に
今の胸の内を明かした。
 
「先生、『痩せたい気持ち』って
どうやったら手放せますか?
 
私、気づいたんです。
先生とたくさん
カウンセリングしているのに、
結局、ちっとも
『痩せたい気持ち』を
手放せていないことに。
 
そのせいで、
食べることに対して
ネガティブな症状が出ているんだって。
 
あの2匹のモンスターも
『痩せたい気持ち』が根源で
生まれたと思うんです。」
 
「うんうん。そうですよね。
『痩せたい気持ち』を
すぐ手放すことができるなら、
摂食障害の患者さんも減るでしょうね。
なかなか難しい問題ではありますが…。
それにしても!
よく気づけましたね。
どうしたんですか?」
 
「モンスターと話を…。
いや、何もないです。
自分とじっくり対話したんです。
 
先生、私ですね
この『痩せたい気持ち』がある限り、
一生ダイエットをし続けて
苦しくなってしまう気がするんです。」
 
「そっか~。うん、
でもそれは一理あるかもしれないね。

『痩せたい気持ち』を手放せないと、
どんなに痩せても
痩せている自分に満足できなくて、
もっと痩せたいと頑張ったり、
太るのが怖いと
不安な気持ちを抱え続てしまう
かもしれませんね。」
 
…たしかに。

現にダイエットを始めた時の
目標はとっくに達成したのに、
私は制限なしに痩せることに
夢中になっていった。
 
「あと1キロ、もう1キロ」って 
目標をクリアしたら
次にいきたくなって。
すると数字が元に戻ることが怖くて、
食べることが怖くなって。



どんどん沼にハマっていった。
 

折り合いをつける


「『痩せたい気持ち』を
手放せる日はくるんでしょうか…。」
 
今はまだその未来が見えない。
 
「そうですね。
一気にすぐっていうのは
難しいかもしれませんが…。
 
これはもう、
少しずつ自分の気持ちに
折り合いをつけていくことが
大事なんじゃないでしょうか。
 
病気になるとどうしても
すぐ治したいと思うし、
人と比べて焦ってしまうものです。
 
だけど、
病気になるまでには
一人ひとりそれぞれに
積み重ねたものがあります。

心は目には見えないですけど、
絡んだ糸を解くのに
時間がかかるように、
何年もかけて
積み重なった心の問題を
一気に解くことは
なかなか難しいことです。

だから焦らず、気負わず、
日々起きる出来事の中で
壁にぶつかりながらも
そのつど、そのつど、
理想と現実に折り合いをつけていく。
ひとつひとつ絡んだ糸を解いていく。
 
その中で少しずつ、
『痩せたい気持ち』を手放して、
今の自分を認められるように
なっていけたらいいのかなと
思います。
 
大丈夫ですよ、朝野さん。
長い目で見ていきましょう。」


ああ、泣きそうだ。

「そうですね…。
私、早く病気を治したくて
焦り過ぎていました。
急がば回れ、ですね。

先生の言葉に救われました。
一歩ずつ頑張りたいと思います。」

≪折り合いをつけましょう≫
 
この言葉は
日高先生や看護師さんから
何度も語り掛けられることになる。

「うん!この病気は
『三歩進んで、二歩下がる』
くらいに思っておいたら
いいですよ。」
 
日高先生が朗らかに言う。

三歩進んで、二歩下がる。
本当その通りだな…。
 
「あと朝野さん、
折り合いをつける時の
基準みたいなものを
考えてみたらどうでしょうか?
 
今の朝野さんの場合、
≪どちらがより健康になれるか?≫
≪より健康になれる考え方は?≫
と考えてみたらいいかもしれませんね。
心も体も。」
 
≪どちらがより健康になれるか?≫
≪より健康になれる考え方は?≫
 
「たしかに…!
日高先生、
今日もありがとうございます!
意識してやってみます。」

より健康になれる考え方は?



ガサッガサッ…

ガサッガサッガサッ…。



外泊した土曜日の夜。

食べたい気持ちを
ギリギリまで抑えていたのに、
家に隠してあるお菓子を探して
過食してしまった。
 
食べてる時は幸せで、
もっともっと食べたくなる。
 


翌朝。
 
「またやってしまった…。」
 
ベッドの周りに散乱するお菓子の小袋。
 
やっぱり私はダメなんだ…。
入院して治療してるのに…。
どうしよう…
太ってしまうよ…。

怖い、怖い…!
 
過食した分だけの後悔が襲う。
 
母が起きて来た。
 
「お母さん…どげんしよう。
せっかく食べ物ば
隠してくれとったとに、
スイッチが入って
探し回って食べてしまった…。
どうしよう…。」
 
「あら、お母さんが
隠すのが甘かったね…。
ごめんね。」
 
そうだそうだ!
お母さんのせいだ。
 
…って、違う!違う!
自分がそれを選んだんだ。
 
心がざわつく。
 
「いや、お母さんのせいじゃなかよ。
でも、どうしよう。太ってしまう…。」
 
「大丈夫たい。
きっと体が欲してたとよ。
いつもあんまり食べてないから。
食べれてよかったやん。
そんなに後悔しないで。
 
食べてしまう自分も
たまには許してあげたら?」
 
他人ごとみたいに言わないでよ。
 
…でも。

…そうだよね。
 
≪より健康になれる考え方は?≫
先生の言葉を思い出す。
 
ここで後悔の気持ちに
浸ってしまったら変わらない。
『痩せたい気持ち』から抜け出せない。
食べた自分も認めてあげよう。
 
「そうよね。
私、昨日は食べたかったんよね。
食べられて良かったんよね。
また、今日から頑張ればいいとよね。」
 
大丈夫。
また気持ち切り替えていこう。
落ち込んでしまうより、
気持ちを切り替えたほうが
グッと健康的だ。
 
「そうばい、花。」
 
私の言葉に微笑む母。


お母さん、本当いつもありがとう。

 

それほど食べ過ぎてない自分に気づく

 
「それに花、
過食したって言いいよるけど
そげん食べたと?」
 
え?
 
「ここに落ちとるお菓子以外、
何か食べたと?」
 
「いや、ここにある分だけだと思う。」
 
「なんね。それなら、
過食って言うほど食べてないやん。
お母さんなんて、
こんなの一瞬でペロリばい。
普通ばい。」
 
 
そうなの…?
 
「花は自分が思う程、
食べ過ぎてないんやない?」
 
「これって食べ過ぎてないと?」
 
「うんっ!
まぁ、お母さんから見たらね。
夜お菓子食べ出したら
止まらなくなっちゃった~、
てへって感じばい。
後悔とかせんでよかよ。」
 
「そうと?」
 
「花はさ、そんな
過食してしまった~!とか
私は病気なんだ~!とか
思い過ぎなくていいんじゃないと?」
 
たしかに。私は自分で
不健康なほうへ不健康なほうへ
物事を考えてしまっている。
 
「そうだね。
でも、今日せっかく
お気に入りのcaféで
ランチしようと思ってたのにな…。
お菓子食べた分我慢しないと。」
 
「なんいいよっと。
お昼には消化されとるたい。
心配しなくてよかよ。
食べて大丈夫ばい。
 
花はちゃんと成長しとるよ。
大丈夫やけん。
今日は美味しいお昼ご飯食べて、
病院に戻ろう。」
 
「…うん。」
 
そうだよね。
食べたい気持ちにも素直になろう。
そっちのほうが健康的だ。
 
食べたい気持ちに
素直にならないから、
あとでパクパクモンスターが
出てくるんだ。
 
それからお昼ご飯は我慢せずに、
大好きなcaféでカレーランチを
食べに行った。
 
お米は半分だけしか
食べられなかったけど、
我慢はしなかった。
 だから、
「半分も食べれてよかったね」
と自分を褒めてあげた。

今日は自分の心に
折り合いをつけられたし、
気持ちも早く切り替えられた気がする。

一歩、
成長できたような気がして
嬉しい。
 
こうやって一つずつ、
折り合いをつけていこう。
 
ガリガリモンスター、
パクパクモンスター。
 
どれも、私なんだから。

 

痩せている人が気になる


摂食障害になってから
痩せている人が
目につくようになった。
なぜか分からないけど、
とにかく痩せている人が
すごく気になるのだ。
自分より痩せている人を見ると
羨ましくなり、
胸が痛くなった。
 
痩せている人しか
目につかなくなる時もあり、
この世界は
痩せている人しか
いないんじゃないかと
焦ることもある。
 
だから、
人が多い場所に行くのは
好きじゃない。
特に天神に行くと
可愛くてキレイで、
なおかつ痩せている人が
たくさんいる。
いや、
いるように‘見えて’
辛かった。
仕事の帰りは、気づくと
足の細い女性の足元ばかり
見ていた。
 
「みんな痩せとるね。」
「あの人私より痩せとるね。」
「私太っとるね。」
「あの人は痩せとるけど、
私みたいにこげん辛い想いは
しとらんやろうね。よかね。」
「いいね。痩せとる人は…。」
 
母とどこか出かける度、
痩せてる人を見ては
そう口にしてしまう。
すると母は決まって、
 
「みんな痩せとる?
みんな痩せとらんし、
今日見た人の中では花が
一番痩せとったよ。」
「花の方が痩せとるやん。
こげん腕も足も細か人おった?
肩もまな板みたいやん。」
「あんたが太っとるなら
世界中のみ~んな太っとるたい。
お母さんとかどげんなるね。」
「分からんよ。
もしかしたらすごく
運動頑張ってるかもしれんし、
食事制限してるかもしれんよ。」
 
そう優しくフォローしてくれた。
私があまりに言い過ぎると、
呆れたように
怒りながら言うこともあった。

何度も同じことを言ってしまうのは、
本当は母にそう言って
欲しかったからなのかもしれない。
『私は痩せてるんだ』と
証明して欲しかったのかもしれない。
 
結局、私は
『痩せている自分』に執着していた。
痩せへの執着が生み出した
レンズで世界を狭く見ていた。
 
そして、
人のことを見ているようで、
本当は自分がどう見られているかが
気になっていたんだと思う。

だから、
痩せている人が気になったり
自分と人を
比べたりしていたんだと思う。
 


思い返せば、
誰かと久しぶりに会う約束があると、
楽しみという気持ちよりも
『この前会った時より痩せていなきゃ』
『太ったと思われないようにしなきゃ』
という想いに駆られた。

約束の数週間前から
ダイエットにより力を入れていた。

「太ったね」と言われるのが
怖かったから。

体型に自信がない時は
直前で断ってしまうこともあった。
 

…。


もしかして私って
誰かと会う、
その一瞬の時間のために
ダイエットしているの?
 
人にどう思われるかが
気になるから、
ダイエットしているの?
 
分からなくなる。
 
私、誰のために
ダイエットをしているんだろう。

人のため?
誰も痩せてる私を望んでないのに?
じゃあ、自分のため?
ならなんで自分のために
ダイエットをしているんだろう?

分からない…。

医院長の魔法の言葉


「お!朝野さん、
今日はどうかね?
元気にしとるかい?」
 
今朝もダンディ医院長が
回診に来た。
 
健康管理のモニターを見て、
うんうんとうなずいている。
 
「最近は睡眠も
安定しているようだね。」
 
「…はい。」
 
「ん?どうした?元気のなかぞ。」
 
心配していなさそうな口調で
心配そうに聞いてくる。
だけど、
このあっけらかんとした
医院長の雰囲気が好きだ。
 
そんなに多くの会話を
交わしたことはないけど、
毎日こうやして様子を
見に来てくれることは嬉しい。
 
しかも、たくさんの患者が
入院している中でも
私の状況をちゃんと把握している。
患者の生活が共有されているようで、
成長がみられた時は褒めてくれた。

医院長には他の先生にはない、
すべてを包み込むような
安心感と信頼感がある。

患者を多くの中の一人ではなく、
『一人ひとり価値のある人間』として
大切に診てくれているのが分かった。
 
「入院して過食は
落ち着いてきたんですが、
なかなかご飯を
上手く食べられなくて。
いざ食事を目の前にすると
食べるのが怖くなるんです。
痩せたい気持ちを
まだまだ手放せていなくて…。」

「うんうん。」
 
「このまま一生、
食べるのが怖い気持ちを
抱えながら生きていくのかな、
食べたあとは後悔が
襲うのかなと思ったら、
気持ちがズンとなってしまいました。」
 
「おうおう。そうか。
頑張って考えよるなぁ。
まぁ、でも
そんなに悩まなくてよかたい。
 
悩んで何か変わるかい?
悩んで何か変わったかい?」
 
…たしかに。
 
「…そうですね。
変わらないですね。
変わってないです。」
 
悩んでいるだけじゃ、
悩みは変わらない。
自分の行動を変えない限り、
この悩みは変わらない。
 
私は入院してから
ずっと同じことで悩んでいる。
 
「そうじゃろ?
悩んでも悩まんでも同じ一日。
今日は変わらんぞ。
それなら楽しいことを考えたほうが
今日一日楽しくなるぞ。」

本当医院長の言う通りだ。
楽しいことを
考えて過ごしたたほうが
きっと、今日は楽しい。
悩んでばかりいたら
きっと、今日一日苦しい。
 
「…そうですね。
医院長、ありがとうございます。
なんか元気が出てきました。」
 
医院長が軽く言う言葉には
実は、
いろんな気づきが隠されている。
 
数日後。
 
「お、どうした?
また悩んどるか?」
 
そう。
私はまた悩んでいた。
食べること仕事のこと、
患者さんとの人間関係。
そして、なんで私は
こんなに悩んでしまうのだろうと
悩んでいた。
 
「おお、おお。
悩みなさい。
君みたいな子は
悩まんでいいって言っても
悩むから。」
 
へ?

この前は
「そんなに悩まなくていい」
って言ったのに。
 
「え?悩んでいいんですか?」
 
「いいよ。
きっと朝野さんは
悩まんでいいって
言ったことに対しても
悩むやろう?
心と違うこともしても
きついからね。
充分、悩みなさい。」
 
私の心が透けて
見えているんじゃないかと思った。
 
でも、
医院長にそう言われて
悩むのが馬鹿らしくなって、
笑えてきた。
 
「あはははは…。」

ハッ!
 
「医院長!
私、本当どうでもいいことで
悩んでいますね。
悩まないでいいて言われたことに悩んで(笑)
 
自分で悩みをつくっていますね。
はははは。」
 
「お、気づいたかい?
ははは。
まぁ、よかたい。
ではまた明日。」
 
…。

医院長、天才か?
 
≪自分で悩みをつくっている≫
 
サラッと大事な気づきを与えて
去っていった。
 


医院長くらいの大物になると
良かれ悪かれ、
患者さんからいろんな噂話が回ってくる。

だけど、
一代でこの病院を築き上げた
医院長のことを、
私は尊敬していた。
 
医院長がつくってくれた
この病院のおかげで、
私は救われたんだ。
 

こうして
生き方から自分の人生を
見直すことができているのも、
医院長のおかげだ。
 
医院長、ありがとう。

食べることで何を満たしたいのだろう?


 …ハッ!

「夢か…。よかった…。」
 
食べるのが止まらない夢を見た。
 
はぁ…止められなくて辛かった…。

どうしよう…。
今は入院してるから大丈夫だけど、
退院したらまた前みたいに
食べるのが止まらない日々に
戻ってしまったら…。


とても不安になった。

過食のスイッチというのは
本当に怖い。

そうだ。
日高先生に相談してみよう。
 


「一旦スイッチが入ってしまうと、
本当ダメなんですよ。
『少しだけ』『一口だけ』と思っても、
食べ出したら止められなくなるんです。
 
過食する前に食べることを
止められたらいいのですが…。」
 
「そうですよね。
朝野さん、
朝野さんは過食した時って
メリットとデメリット、
どっちのほうが多いのかな?」
 
「え?
メリットとデメリットですか?

ん~~~~、
過食のメリットは、
食べてる時だけは
幸福感に満たされます。
美味しいな、
幸せだな~と。
 
過食のデメリットは、
太ります。
翌朝むくみます。
後悔します。
自分が嫌いになります。
次の日食べるのが怖くなります。
朝と昼ご飯が
上手く食べれなくなって、
また夜過食するという
悪循環に陥ります。
体にも悪いです。

…デメリットのほうが
だいぶ多いです(苦笑)。」
 
「とめどなく出てきたね(笑)。
じゃあ、過食を我慢できた時の
メリットとデメリットって
なんだろう?」
 
「過食を我慢できた時の
メリットは、
毎日続けば痩せます。
翌朝、嬉しい気持ちになります。
翌日、安心して食べられます。
食べることを
制限しなくて済みます。
無理に運動しなくて済みます。
我慢できたことに
自信がつきます。

過食を我慢できた時の
デメリットは…ないかな。」
 
「過食を我慢できたら
デメリットはないし、
それどころか
メリットがたくさんですね。」
 
「そうですね。」
 
「そもそも朝野さんは
食べることで一体、
何を満たしたいんだろう?」
 
へ?
 
たしかに…。
私、あんなに食べて
何を満たしたいんだろう。
お腹が減っているわけでもないのに。
こんなにデメリットが多いのに。
 
「どうでしょう、朝野さん。
過食したくなった時に
このメリット・デメリットを
思い出してみるというのは。
特に過食時のデメリットを
強く自分の心に伝えてあげたら、
食べたい気持ちが
少しおさまるかもしれないよ。」
 
「そうですね!
ただ‘食べちゃダメだ’
‘食べ出したら止まらなくなるぞ’
って思うより、
食べることに負けそうな
自分に具体的に
『食べたらこういうデメリットがあるよ』
『我慢できたらこんな良いことがあるよ』
って伝えてあげたほうが、
止められるような気がします!

実践したいと思います。
先生、ありがとうございます!」


その後、
『メリット・デメリット作戦』は
効果を発揮した。
 
そして
≪食べることで一体
何を満たしたいんだろう?≫
そう思うだけで
ピタッと我に返れる時もあった。
ただ、過食中は
そう思うこと自体が難関でもあった。

だけど、それでも。

≪食べることで一体
何を満たしたいんだろう?≫

この言葉は冷静さを失っている時に
自分に立ち返るパワーワードになった。

 

体重計


解放病棟に来てから
毎朝、体重を測っている。
 
これは摂食障害患者の宿命だ。
 
体重が少しでも減るように
薄い服を着て、
看護師さんが部屋にくるのを待った。
 
そして入院当初から変わらず、
体重を見ることができずにいた。

看護師さんに体重計の
モニターを隠してもらい、
無言で入力をしてもらっている。

理由は、
体重を増やしていることは
重々承知しているけど、
その事実を
数字で確認することが怖いから。
数字を見ると、
体重を減らしたい欲が出てしまうから。

見ない方がいいと思った。


でも、
 
「41キロですね。」
 
つい看護師さんが
体重を言ってしまうことがあった。
 
なんで言うの!
いや、人間だもの。
しょうがない。
 
現実が分かってしまうと
‘もういいや’と諦めがつく。
 
思い切って、
過去の記録をモニターで
見てみることにした。
 
すると…!
一時期は42キロ  、43キロと
増えていた体重が、
途中から痩せていっている。
 
「なんで?」
 
よく考えれば理由は簡単だ。
過食が落ち着いて
間食もほぼしなくなったからだ。
その上、病院の食事も
7割程度しか食べていないからだ。
 
「そっか…。太ったと思って
毎日食べることに怯えていたけど、
まだ食べていいんだ。」
 

心がスッとラクになった。

 

現実を見る、知る


「はは。なんだろ、
今の体重を知るって大事だな…。
なんか悩んでいたのが
バカみたい。」
 
体重に怯えていた心が
体重を知ることで
軽くなったのを実感し、
空回りしてる自分に笑えてきた。
 
体重が増えていた時に
数字を見ていたら、
それはそれで辛かったかもしれない。

だけど、
今何キロかも分からないのに
『今、すごく太っているんじゃないか』
『過食したから
すごく太ってしまったんじゃないか』。
そう妄想で思い悩むことは
無駄というか、
ただのストレスにしか
ならないなと思った。

鏡を見ることが怖かった時期も
同じだ。

自分は太ってると勘違いして、
過度に食事を制限して
逆に痩せすぎてしまった。
「戦時中の人みたい」と
言われるほどに。

あの時、
我慢した食べ物たちも
本当は食べてよかったんだ。
無駄な頑張りで
体や心にストレスを与えて、
自分で自分を不健康にしていた。

それに、
ちゃんと現実を見ないから
自分の体型が
太ったり痩せたりして見えるんだ。

数字は歪んで見えない。
真っ直ぐ今を示してくれる。

≪怖くても目で見て確認すること≫
 
現実を、今を、
ちゃんと見ることも治療だ。
 
想像以上に体重が増えて、
ショックを受けるかもしれない。
理想の自分の体型じゃなくなって
辛いかもしれない。
 
でもそれでも、
現実は早く知ったほうがいい。
人はいつか
現実を認めなきゃいけないものだ。
 
これが≪折り合いをつける≫、
ということかもしれない。
 
それに。
 
「もし本っ当~に
すごく太ったとしても、
太ってから
痩せたらいいんだよね…。」
                                                                 
先生が良く言ってくれる
言葉を思い出す。
 
現実に起こっていないことに
不安になったり
怯えたりすることは,

不健康だ。
 

 
翌朝。
 
「高瀬さん、今日から
体重隠さなくて大丈夫です。」
 
「あら?そう!分かったわ。」
 
高瀬さんは
とても嬉しそうに微笑んでいた。

現実を見て、知って、
物事を見る目が歪んだ
脳も心も変えていくんだ。
 
悩むんじゃなくて
行動を変えていくんだ。

外食


‘食べる楽しみを失ってしまった’

摂食障害と診断されてから
ずっとそう思っていた。

常に心の中にある、
『食べる恐怖』と『食べた後の後悔』。

食べるの楽しみだな、
美味しいな、
そう思っても結局はここに戻される。

だけど。週に一回だけ。
『食べる恐怖』と『食べたあとの後悔』を
気にせず食事を楽しめる時間が
私にもできた。

それが外泊時の外食だ。
 
平日、食べる量が少ないことは
自分でも自覚していた。
だからその分、週一の外食だけは
好きな物を食べることができた。
 
平日に蓄えた、
『あんまり食べていない』
というストックが
週に一度だけ、
食べる自分を解放してくれた。
週に一度だけは、
食べる自分を許すことができた。

私が行きたいというお店があれば
母はどこでも
一緒に着いてきてくれたし、
遠い場所も
車で連れて行ってくれた。
 
街中のおしゃれで
食材にこだわったランチ。
山の奥にある採れたての
野菜を使った定食。
美味しい、かつ
健康的なお店に足を運んだ。
 
特にお気に入りだったのが,

和食のバイキング。
理由はその日の気分で
好きな物を好きなだけ選べるから。
母もバイキングが好きなようで、
お皿に盛り盛りについでは
毎回三度お代わりしていた。
 
もちろん、
どのお店に行っても
最初は何を食べるか悩む。
だけど、
‘これなら美味しく食べれるぞ’と
自分でメニューを決めて
注文できるとすごく嬉しかった。
 
そして、
「わぁ!美味しそう~」と
運ばれてくるメニューに私が喜んだり、
「美味しいね!」と
怖がることなく私がご飯を食べていると、
母はとっても嬉しそうだった。

たまに
『食べる恐怖』と『食べたあとの後悔』に
襲われる時もあるけど、
そんな時は
母が私の分を食べてくれた。

食べられなくても
サポートしてくれる人がいる。
だからこそ、私は安心して
好きな食べ物を注文できたんだと思う。
母の存在はとても有難かった。
 
それに、不思議なことに
入院中は完食できない
ハンバーグや魚料理も、
外食なら完食できる。

週に一度の外食だけは
食べるのが楽しいと思えた。
「ごちそうさま!」と
 母と美味しく完食できた。
 
もちろんこれは
病院で認知行動療法を
してもらっているからこそ、
芽生えた気持ちだ。

たくさんの人の協力のおかげで
少しずつだけど、
ちゃんと‘大丈夫’になってきている。

『普通に食べれるようになりたい』
という夢に向かって
進むことができているんだ。

そして、今でも
携帯の写真フォルダには、
当時の彩り豊かなランチの写真と
母の微笑みがたくさん残っている。
食べるのが楽しかった、
母と私の大切な思い出だ。

写真を見返す度、
母の笑顔を見ては嬉しくなる。

美味しいご飯は
心と体を健康にする。
人を笑顔に幸せにする。



だから、どうか
食べる楽しみを楽しみを失わないで。 

DEAR:痩せたい私へ

 
心が穏やかな日。
 
時折、私は
自分自身に手紙を書くように
日記を書いた。
 
―――――――――――――――――
DEAR:痩せたいわたしへ
 
痩せたい気持ちは
すごくすごく分かる。
だけど、健康を失ってまで
痩せる意味はありますか?
失った健康は
確実に命を縮めます。
 
痩せていくことは
本当に喜ぶべきことですか?
痩せた結果が
早死になんて、
本末転倒だよ。

自分で自分の命を縮めないで。
あなたが一番怖いことは
「食べたら太る」ではないよ、
「死ぬ」ことだよ。
 
痩せたい願望に捉われないで。
あなたの魅力は
その心にある、笑顔にある。
 
笑顔になれない生活なんてしないで。
そんなの意味がない。
笑顔になれることを選んで。
あなたの笑顔が大好きだから。
 
健康に生きるために
食べよう。
野菜ばかり食べるんじゃなくて
健康的に食べよう。

カロリーが低いものじゃなくて
栄養のあるものを食べよう。

一口ひと口があなたの身体を
つくってる。

自分の体を守れるのは
自分だけだから。

あなたは痩せるために
生まれてきたんじゃない。

あなたは幸せになるために
生まれてきた。

もう充分ステキなんだから。

大切な人と楽しく食べよう。
幸せになろう。
1番1番大切なこと。
忘れないで。
 
FROM:2017年6月の花より
―――――――――――――――――
 
自分に手紙を書くことは
自分を癒すことにつながった。
 
まるで
カウンセリングされているように、
偏った考えが中心に戻っていく。
症状に捉われて埋もれていた
人生で大切なことが、
文字というカタチとなって
見えてくるのだ。
 
そして。

私のことを一番分かっている
「過去の私」が書いた手紙は、
読み返す度、
病気の症状に陥っている
「今の私」も救ってくれた。

偏ってしまっている思考に
深く心に届き、
暗闇にいた小さな私を
広い世界に連れ出してくれる。

過去から届く
言葉のプレゼントは、
「健康に生きること」
「何より命が大事だ」と
今日も教えてくれている。

 

OTから生まれるプレゼント

 
OTの時間も私は真面目だった。
 
皮ひもやビーズでつくる
アクセサリー。
ミサンガやストラップや
キーホルダー。
フェルトでつくるぬいぐるみ。
刺繍や編み物。
普段の生活の中では習得できない、
手づくりの技術を
覚えることに毎日夢中だった。
不器用だけど、
その中でも
自分の得意な部分も見つけたり 。
手を動かすことは
とても楽しかった。

宝石箱みたいな
カラフルなビーズが入った箱。
そこからドロップみたいな
淡い黄色や水色のビーズを
取り出す。
限られた色、カタチの中
彩りを考えて丁寧につなげる。
それだけで楽しい。
 
「でーきたっ!作品名は
『シャーベット風
ドロップブレスレット』だな。
おもちゃみたいで可愛いな。」
 
つくったブレスレットを手首につける。

普段の生活では身につけない
てづくりのアクセサリーも、
ここでは可愛く見えた。

それはきっと、
他に比べるものがないからだ。
この場所では
高価なアクセサリーなんて
必要ない。
‘本物の輝き’っていうやつも
意味をなさない。
逆に、なんで今まで私は
高価なアクセサリーを
身につけていたんだろう。
高価なものが良いもの、
手に入らないものが良いもの、
とでも思っていたのだろうか。

良いものを
身につけている自分を
誰かに見せて
自慢したかったのだろうか。

自分でつくった
お気に入りのブレスレットが
手元でキラキラ輝く。
今はそれだけで元気が出て、
こんなにも嬉しい。

 
皮ひもやミサンガ編みには
幾通りもの編み方があって、
複雑になるほど可愛い。
 
「もうすぐ父の日だ。
よし、お父さんに
おしゃれなブレスレットを
つくってあげよう!」

入院中に迎えた父の日には
上級者の編み方を習得し、
皮ひものブレスレットを
プレゼントした。
お店の商品みたいに
上手にできて嬉しかったし、
「お~、お父さん嬉しか~~。」
と喜んでブレスレットを
つけてくれる父の笑顔が
なにより嬉しかった。

そして、
私はOTでつくったものを
よく母にプレゼントした。
ミサンガ、ぬいぐるみ、アクセサリー。
全部「ありがとう」の気持ち。

今の自分ができる
感謝を表すプレゼントが、
OTで生まれた作品たちだった。

「何万もする
ブレスレットより可愛かよ。」

母は私がつくった
子どものおもちゃみたいな
アクセサリーたちを、
とても喜んでくれた。
日替わりで
ドロップブレスレットや
皮ひもブレスレットを
つけてくれていた。
 
笑顔や感情表現が苦手な母。
昔はプレゼントをあげても
喜んでいるのか分からなかった。
だけど、
私が入院してから母も
感情が表情や言葉に
出るようになってきている。
喜びがちゃんと伝わるから
嬉しかった。

母も少しずつ
変わっていっている気がした。

モノを介して気持ちが通じ合う。
その喜びをOTは教えてくれた。
 

映画鑑賞


週に一度。
OTでは映画鑑賞の日がある。

観る映画は朝の集いの時間に
多数決をとるのだが、 
患者さんは老若男女さまざま。
時代劇が出れば、
子どものアニメ映画、SF、コアな外国物、
いろんな意見が出た。

その中でも群を抜いて
「アナと雪の女王」は人気だった。
患者の移り変わりが早いせいか、
3回くらい見た気がする。
なんなら映画館でも見ている。
 
だけど毎回、雪の女王が歌う
レット・イット・ゴーの歌詞は
心に響いた。(一部抜粋)
 
――――――――――――――
とまどい傷つき
誰にも打ち明けずに
悩んでた
それももうやめよう
 
ありのままの姿見せるのよ
ありのままの自分になるの
何も怖くない風よ吹け
少しも寒くないわ
 
悩んでたことがうそみたいね
だってもう自由よ
なんでもできる

どこまでやれるか
自分を試したいの
そうよ変わるのよ
わたし
 
これでいいの
自分を好きになって
これでいいの
自分信じて
光あびながら歩きだそう
少しも寒くないわ
――――――――――――――――――
 
私もこの歌みたいに、
自分を好きになって
自分を信じて
歩き出せるようになれたらいいな。
 
映画を観ながら
前に進む勇気をもらっていた。

 

自分の気持ちを伝えはじめて
変わってきたこと


私には大事な課題があった。

≪自分の気持ちを伝えること≫。
 
それは
心に空虚感をつくらないため、
ストレスを溜めないため、
食べたい気持ちにならないため。
そして何より、
自分の人生を生きるためだ。
 
今までも、
それなりに自分の気持ちは
伝えていたつもりだった。
 
だけど。
 
こう言ったら
ああ思われるんじゃないか、
こう言ったほうが
嫌われずに済むんじゃないか。
 
言葉の先にいる
‘誰か’を気にしていたら、
いつの間にか
『自分の本当の気持ち』が
どっかにいってしまっていた。

長年、
‘誰か’というフィルターを通して
話をすることが当たり前になって、
『自分の本当の気持ち』を
伝えていないことに
気づいてもいなかった。
 
私は
自分の言葉を、
自分の人生を、
人にあずけていたのだ。
 
そこでまず、
私は『自分の本当の気持ち』を
伝えるために、
――――――――――――――
こう言ったらよく思われるんじゃないか
こう言ったら嫌われずに済むんじゃないか
――――――――――――――
言葉の前にいる
‘誰か’というフィルターを
外すことを意識して
話すように心がけた。
 
すると、
私の伝える言葉は
どんどん素直になっていった。
強がりや意地みたいな
トゲが抜けていき、
真っさらな
『自分の本当の気持ち』が
分かるようになってきたのだ。
 
母に対しても
こう言ったら困るだろうなと
思っていた言葉や、
嬉しい、悲しい、寂しい、
という気持ちを
素直に伝えられるようになってきた。
時には、
「お母さんが帰ると寂しいな。」
そんなちょっと
照れ臭くて恥ずかしい気持ちまで。

しかも母は困るどころか、
私の素直な気持ちを
嬉しそうに受け止めてくれた。
その笑顔が嬉しくて
心が満たされていく感じがした。
『自分の本当の気持ち』を
伝えることは悪くない。
伝えても大丈夫なんだと思えた。

それに相乗効果なのか、
母も私に素直な気持ちを
伝えてくれるようになったのだ。
今まで見えにくかった
母の感情が分かるようになって、
嬉しかった。
さらに、
それに比例するように
母に対して、
安心感や信頼の気持ちも
自然と芽生えてきたのだ。

≪自分の気持ちを伝えること≫は、
自分にも周りにも
プラスの影響を与えてくれた。

そして。
日高先生や看護師さん、
患者さんや母から、
自分の気持ちが伝わる喜びを
教えてもらう中で。
なんと不思議なくらいに
過食したい気持ちが落ち着いて、
心が安定してきたのだ。

もしかすると
自分の素直な気持ちを
伝えられるようになって、
心に空虚感が
生まれなくなったのかもしれない。
自分の素直な気持ちを
受け取ってもらえることで、
空いていた心の穴が
満たされていったのかもしれない。

だから、
食べることで
心の穴を満たす必要が
なくなったのかもしれない。

『自分の本当の気持ち』を
受け取ってもらえると、
こんなにも心が満たされて
心が落ち着くことを、
30年の人生で初めて知った。
 

【コラム】アドラー心理学との出逢い


今日はちょっと気分がいい。
日高先生がすすめてくれた本でも
読んでみるか…。
 
『漫画で分かるアドラー心理学』
という本を手にとる。
文章の章と漫画の章に分かれている。
最初に漫画を読んでみることにした。
 
すると…
そこには私の仕事振りに
そっくりな主人公がいた。
 
主人公である女性は、
仕事を『考え方のクセ』で
自らこじらせるタイプの人間だった。

しかし、
アドラーという心理学者の教えを受け、
自分の『考え方のクセ』と
ひとつずつ向き合い、
周りとの人間関係や仕事と
折り合いをつけていく。
人に『勇気を与える』ことを学んでいく。

面白くて一気に読んだ。
自分の会社生活と重なる部分が
たくさんあった。

私も主人公と同じように
仕事が忙しくなって
心の余裕がなくなると、
≪ベイシック・ミステイク(下記記載)≫
に陥っていたこと。
スタッフの勇気を
くじくような言い方をして、
関係が悪くなっていたこと。

そして、気づいてしまった。

なぜ会社に入ってから
こんなにも
ずっと体調を崩しているのか。 

その原因は
誰かのせいでもなく、
環境のせいでもなく、
自分自身にあったのだ。

もちろん離職率が高く、
鬱になる人も
多い会社ではあったけど、
根本は
『私自身の働き方』や
『考え方のクセ』に
問題があったのだ。



出来ればもっと早く
この本に出逢いたかった。
心の底からそう思ったので、
この章では【コラム】として
本の一部を感想も
含めながら紹介したい。

私と同じように
人間関係に悩むことが多い人は
きっと参考になると思う。
もちろん、飛ばして
読んでもらっても構わない。


少しでもあなたの心が
ラクになることを願っています。

(参考文献:『漫画で分かるアドラー心理学』
       岩井俊憲)
(このコラムは長いので、余裕がある時に
 読み返してもらっても大丈夫です。)
(漫画の会話等、このコラムで意味が
 通じるように修正しています。)
  

『漫画で分かるアドラー心理学』
―――――――――――――――――――――
≪見方を変えればあなたはもっと生きやすくなる≫
―――――――――――――――――――――

「人はピンチに陥った時、
ベイシック・ミステイクに
支配されやすくなる。」
 
■ベイシック・ミステイク(基本的な誤り)とは
決めつけ
 ひとつのミスで自分の価値観を
 決めつけてしまう。
誇張
 数人の意見なのに、
 まるで全員が文句を言ってきたと
 現実を誇張して受け取ってしまう。
見落とし
 人間関係が上手くいかない時、
 あなたを慕っている人だって
 いるはずなのに、
 そのことに心が及ばない。
過度の一般化
 仕事を失敗しただけなのに、
 人格まで否定したり、
 全てダメだと一般化してしまったりする。
誤った価値観
 価値のない自分が会社にいたら
 迷惑がかかる。
 自分はもう必要ない。最悪。
 生きていても仕方がないと思ってしまう。
―――――――――――――――――――――

読んで冷や汗が出た。
私は仕事でピンチに陥ると、
まさにこの
ベイシック・ミステイクの
沼にハマり、
悲観的に物事を見ては
勝手に傷ついていたのだ。
 
「じゃあどうしたらいいの?」
 
私と同じように
ベイシック・ミステイクで
職場スタッフと関係をこじらせる
主人公の問いに、
アドラーはこう答える。
 
―――――――――――――――――――――
「ものの考え方を変えたらいい。
今の君は考え方が
過去志向の原因論になっている。
それを、
未来志向の目的論にするんだ。」
 
「相手を原因論で
問い詰めてしまっていることを
言っている本人は
意外と気づいていないもの。
相手のためだと
思って言っていることが
いつの間にか
人格否定しているんだ。
これじゃあ、
抗議されても不思議じゃない。」
 
「原因論は説明にはなるけど、
解決にはならないんだ。
一方、目的論は
『人間の行動には目的がある』
という意志を尊重する。
人間は何か目標に向かって
より近づこうと努力をしている。
だから、
仕事でも目標に向かって
努力している人に原因論じゃなく、
目的論で話をするんだ。」
 
「スタッフに目的をハッキリさせて
『勇気づけ』をしてあげるんだ。
困難を克服する活力を与えるんだ。」
―――――――――――――――――――――

心が痛かった。
私は原因論でスタッフを追い詰め、
相手の人格を否定していた。
『勇気づけ』てあげられていなかった。
 
それは自分の容姿に対しても。
ベイシック・ミステイクに陥り、
自分自身を否定して、
摂食障害の深みにハマっていた。
 
アドラーの話は続く。
 
―――――――――――――――――――――
「人は目標に向かって努力をしている。
ただ目標が高いほどギャップが生まれ、
人はそれを劣等感と感じる。」
 
「劣等感は目標を持ち、
よりよく生きようとすることに
伴う感情である。
だからどんな目標に向かう時も
人は劣等感を抱えながら
『自己決定』しなければならない。」
 
「そしてこの自己決定が
大きな意味を持つんだ。
目標に対して
ポジティブにとらえることを
『建設的対応』、
ネガティブにとらえてしまうことを
『非建設的対応』というんだ。」
 
「例えば、兄弟げんかは
『非建設的な対応』だ。
じゃあ、
けんかの目的ってなんだろう?」
 
「親に‘注目してほしい’、だ。
過去にけんかしたことで
親に注目してらえた経験から、
またけんかをする。
けんかがしたいわけじゃなくて
本当の目的は
‘注目してほしい’なんだ。」
 
アドラーの言葉に主人公は気づく。
 
「つまり、親が自分に
‘注目してくれている’と分かれば、
けんかはなくなる
かもしれないってこと?」
 
「そう。
相手から『非建設的対応』を
されたとしても
自分が『非建設的対応』を
してしまった時も、
本当の‘目的’を見つけて、
建設的な行動はなにか?
が分かれば、
未来志向にしていけるんだ。」
―――――――――――――――――――――
 
たしかに…。
それに兄妹けんかと同じく、
過度なダイエットも
『非建設的対応』だ。
 
じゃあ、痩せたい目的は?
‘注目して欲しい、
認めて欲しい’だ。
‘きれいになりたい、
可愛くなりたい’だ。

それなら、
もし目的が他のこと
(例えば仕事や恋愛や趣味、内面)
で満たされていたら、
ここまで痩せることに
執着していなかったかも
しれないっていうこと?
 
逆を言えばこれから
‘注目して欲しい、認めて欲しい’
‘きれいになりたい、可愛くなりたい’
という目的に対して、
『建設的行動』はなにか?
を考えればいいのかもしれない。
 
この考えは
摂食障害の治療や
働き方はもちろん、
これからの人生を
健康に生きるための
大切な指標になりそうだ。
 

また、アドラー心理学では
下記の理論をもとに、
人生で起きるさまざまな
対人関係上の困難を
『勇気づけ』によって
克服する活力を与える、という。
 
―――――――――――――――――――――
≪アドラー心理学5つの理論≫
■「自己決定性」
自分を主人公にする。
人間は、環境や過去の出来事の
犠牲者ではなく、
自ら運命を創造する力がある。
 
■「目的論」
人間の行動には目的がある。
過去の原因ではなく、
未来の目標を見据えている
人間の行動には
その人特有の意思を伴う目的がある。
 
■「全体論」
人は心も体もたったひとつ。
人は心の中が
矛盾対立する生き物ではなく、
一人ひとりかけがえのない、
分割不能な存在である。
 
■「認知論」
誰もが自分だけの
メガネを通してものを見ている。
人間は、自分流の主観的な
意味づけを通して物事を把握する。
 
■「対人関係論」
すべての行動には相手役がいる。
人間のあらゆる行動は、
相手役が存在する対人関係である。
―――――――――――――――――――――

「全体論」の説明の中には、
摂食障害の症状にもある
≪わかっちゃいるけどやめられない≫
についてこう書かれていた。
 
―――――――――――――――――――――
わかっちゃいるけど
やめられない・取り組めないことを、
自分の制御不可能な環境・習慣のせいにし、
“I can not…”「できない」と表現していても、
本当に「できない」のかというと
そうでもありません。
 
同じ環境でもチャレンジしている人がいるし、
習慣をつくり上げたのも自分自身であるし、
能力も試してないので
未知数ということに行き当たります。
 
そうとらえると、
“I can not…”「できない」よりも
“I will not…”「しようとしない」のほうが
より適切な表現になり、
責任逃れができなくなります。
 
理性と感情、意識と無意識、
肉体と精神は、
一見すると矛盾した方向を
たどるように思われがちですが、
それぞれは相補的な
(お互い補い合う)ものであり、
その意味でパーソナリティには
統一性があるのです。
―――――――――――――――――――――
 
過食の症状に陥る時、
どうしてもやめられない、
自分ではコントロールできない、
これは病気だから仕方ない、
そう思っていた。
 
だけど、本当は
「食べること」を手放してないのは
私自身なのかもしれない。
本当は変わることを拒んでいる自分が
いるのかもしれない。
 
心の中にいるモンスターは
きっと、そんな気持ちの表れ。
 
それだったら?
これから変わることを決めるのも
この私だ。
きっと変えられる。

心の中にいる
マイナス思考のモンスターを
ポジティブで
未来志向なモンスターに
描きかえることだってできるんだ。


また、アドラー心理学では
重要な価値感として
『勇気づけ』と『共同体感覚』を
高めることを
目標にしているという。
 
―――――――――――――――――――――
■「勇気づけ」とは
困難を克服する活力を与えること。
相互尊敬・相互信頼に基づく共感的な
態度が欠かせない。
 
■「共同体感覚」とは

精神的な健康のバロメーター。
家族、地域、職場などの
共同体の中での
所属感・共感・信頼感・貢献感を
総称したもの。
仲間との間にある
『つながりや絆の感覚』のこと。
―――――――――――――――――――――
 
なぎ総合心療病院の理念と
重なる部分があるなと思った。


そして、アドラーは
「人はいつからでも変われる」という。

アドラーは性格をもっと広い概念で捉え、
『ライフスタイル』と呼んでいた。
 
―――――――――――――――――――――
 ■ライフスタイル
自己と世界の現状と理想に
ついての信念の体型。
性格よりももっと広い、
「自分についての信念」
「自分の周りの世界に対する信念」
を含めてライフスタイルと呼ぶ。

① 自己概念:自己の現状についての信念
      「私は○○である」
②  世界像:世界の現状についての信念
       世界(人生、人々、男性/女性、
       仲間など)は○○である」
③  自己理想:自己、世界の理想についての信念
       「私は○○であるべきである」
       「人生(周囲の人達など)は
        私に対して○○であってほしい」
 
例えば世界像が
「部下達は信頼できない」だとしたら、
部下達を頼りにすることなく、
何もかも自分でやり、
協力して何かを成し遂げようとするのは
困難になる。

本人も気づいていない文章公式が
心の奥底にできていて、
困難なライフタスク(*)に出合うと、
意識的に浮かんできて
自分の判断基準になるのだ。

つまり、
ライフスタイルはいざという時、
自分の頼りになる辞書や
地図のようなものと言っていい。

((*)ライフタスクとは、
 私たちが人生で直面しなければならない
 さまざまな課題のこと。
 ① 仕事のタスク
 ②交友のタスク
 ③愛のタスクがある。)
―――――――――――――――――――――

本当そうだ。私は仕事で
「後輩は信頼できない」という
世界像に陥って、
自分で自分を苦しめていた。
 
心が限界に達して
周りを信頼して頼ることができた時、
ラクになれた。
 
これまで私のライフスタイルは
健全じゃなかったのかもしれない。
 
だけど。
自分次第で今からだって
健全な目で世界を
見ることができるんだ。
 
自己概念、世界像、自己理想…
ライフスタイルが変われば、
世界は全く違うものに見えることも
容易に想像できた。
 

アドラー心理学の話は続く。
 
―――――――――――――――――――――
■自己決定性
・すべての判断軸は
 あなたが持っている。
・人間は、環境や過去の出来事の
 犠牲者ではなく、
 自ら運命を創造する力がある。
・あなたをつくったのはあなた。
 あなたを変えうるのもあなた。
・私的理論にこだわり続けて
 不自由な考え方や生き方から
 抜け出せないで
 『非建設的な対応』をするのも、
 コモンセンス(共通感覚)に
 導く発想を用いて
 『建設的対応』に向かうのも
 あなた次第。
―――――――――――――――――――――

たしかに。
自分の人生に起きる物事に対して
意味づけをしているのは
この私自身だ。
 
じゃあ、これからの人生も
私の判断や考え方次第で
変えていけるんだ。

―――――――――――――――――――――
 ■思い込みの世界から共通感覚へ

「キミには強い、
思い込みのフィルターが
かかっているんじゃないかな?」

「人は思い込みの世界で生きている。
人は事実をそのまま受け入れられない。
客観的事実など実はなくて、
主観的な受け止め方しかできないんだ。」

「過去の経験を現状の出来事と
照らし合わせていないかい?
キミは過去に
人から認められなかった経験と
同じロジックを
上司にも当てはめている。」

「他人の目で見て、
他人の耳で聞いて、
他人の心で感じること。
相手の立場に立って考えてみること。
それが大事なんだ。」

◎認知論とは――――
すべては思い込みが作る世界。
・10人が同じ場所にいて
 共通の体験をしたとしても、
 受け止め方が10通りある。
 つまり十人十色。
・人間は意味の領域を生きている。
 われわれは状況を
 それ自体として経験することはない。
 いつも人間にとって
 意味があるものだけを経験する。

→認知論の立場にたつと
 人の記憶の曖昧さ、
 人それぞれの記憶の
 保持の仕方に触れざるをえない。
→アドラーは
 「人は記憶をつくる」
 という言葉を残している。
→客観的に
 どんな出来事があったかどうかも
 大事だが、
 そのあったかないかの出来事を
 どのように記憶しているかが、
 その人を知る手がかりになる。

◎コモンセンス(共通感覚)へ導く3つの方法
1)証拠探し
  ホントにホント?
2)その瞬間を捕らえる
  あ、今ベイシック・ミステイクになってる!
3)ユースフル(建設的)発想
  破壊的・自滅的な方向から舵を切る

→歪んだ意味づけを伴う思考から、
 自分自身と他者にとって
 健全かつ建設的で、
 現実に即した意味づけの
 パターンに導こう。
→コモンセンスを養うには、
 「他者の目で見、他者の耳で聞き、
  他者の心で感じること」
 つまり共通の姿勢が欠かせない。
―――――――――――――――――――――

ベイシック・ミステイクに
陥りやすい私に
アドラーの考えは胸に響く。

きっと私の心には
分厚い思い込みのフィルターが
かかっている。
コモンセンスを養って
思い込みの世界から抜け出したい。
ベイシック・ミステイクから
抜け出して
摂食障害を克服したい。

人生をラクにしたい。
 
 
さらに、この本は人間関係についても
大切なことをたくさん教えてくれた。
 
―――――――――――――――――――――
■良い人間関係とは
尊敬:人間の尊厳に関しては
    違いがないことを受け入れ、
    礼儀をもって接する態度。
    相手との関係について
    「距離を置いて見つめ、
    冷静な態度で接する」こと。
信頼:常に相手の行動の背後にある
    善意を見つけようとし、
    根拠を求めず無条件に信じること。
    条件つきの「信用」とは違う。
協力:目標に向けて仲間と合意できたら
    共に問題解決の努力をすること。
共感:相手の関心・考え方・感情や
    置かれている状況などに
    関心を持つ。
―――――――――――――――――――――
 
私は普段、
「尊敬」「信頼」「協力」「共感」
について同じ意味で
人と接することができているだろうか。


また、アドラーは
「人間の行動はすべて対人関係である」
と述べている。
 
―――――――――――――――――――――
■人間関係と感情
「行動には相手役がいるんだ。
人は場や相手によって
見せる顔が違う。
相手役によって
その人の対人関係行動が
変わるということだ。」
 
「相手役とは、
その人の行動によって
自分が影響を受け、
特定の感情を抱き、
何らかの応答をする人のことを指す。
相手役は他者である場合もあれば、
自分自身である時もある。」
 
アドラー心理学では、
この相手役を抜きにして
人間の行動を語ることは
できないと述べている。

自分を相手役とする
自己内対話は、
自己概念と関連し合い、
自分を受け入れる
自己受容につながることもあれば、
自己否定に働くこともある。
―――――――――――――――――――――

さらにアドラーは
今私が壁にぶちあっている、
『自分の感情』との
向き合い方についても
助言してくれた。
 
―――――――――――――――――――――
アドラーの考える感情
①感情はある状況で、
 特定の人(相手役)に、
 ある目的(意図)を持って使われる。
② 感情はコントロールできる。
 つまり、
 『建設的に対応』するか、
 『非建設的に対応』するかのカギは
 自分が握っている。
③ 感情は、嫉妬や劣等感ですら
  自分のパートナー。

 ■劣等感とは
・他者との比較だけではなく、
 こうありたいと思う目標と
 現実の自分とのギャップに
 直面したときに抱く陰性感情。
・みじめさ、悔しさ、腹立たしさ、
 羨ましさ、焦り、不安、落胆、怒り
 などを総称して劣等感と言う。
・「劣等感」というと
 あまり好ましくない印象がある。
 しかし、アドラーは劣等感を
 「健康で正常な努力と成長の刺激」で、
 「すべての人は劣等感を持ち、
 成功と優越性を追求する。
 このことがまさに精神生活を構成する」
 と述べている。
 
◎劣等感の建設的対応
・劣等感そのものが問題なのではなく、
 劣等感をどう使うかが重要視される。
・重要なことは、
 人が何を持っているかではなく、
 与えられたものをどう使うかである。
 
◎劣等感の非建設的対応
① 無理に押し殺そうとする
②自分を憐れむ材料にする
③ 他者を巻き込む 
→こうなると劣等コンプレックスになる。
→さらに!劣等感の非建設的対応は、
 自分自身に対しても二次的な
 劣等感を引き起こすという特徴がある。
 つまり、
 他者に対してばかりではなく、
 自分に対しても
 非建設的・破壊的な対応になる。
―――――――――――――――――――――
 
私は与えられたものを
どう使うかではなく、
自分にはない他者のよいところを
欲しがっていた。
それに気づかずに、
自分で非建設的な道を
辿ってしまっていたのだ。
そして、自分にはない
「痩せている自分」を
手に入れるために
頑張り過ぎてしまっていたんだ。
 
さらに、アドラーは何度も
『勇気づけ』という言葉を使っていた。
そしてこれが
とても重要だと語っている。

―――――――――――――――――――――
≪アドラー心理学における勇気づけ≫
・勇気づけは、ほめることと違い、
 ましてや激励することでもなく、
 困難を克服する活力を与えること。
・プラス(+)の状況にある元気な人を
 より元気にする効果がある。
・鬱状態などのマイナス(-)の
 状況にある人に対して
 尊敬・信頼・共感をベースにして
 活力を与えることもできる。
 (勇気づけは、部下が自分を自分で
  勇気づけられるようになるため、
  長者がずっと働きかけをしなくとも済む。)
 
■自分自身への勇気づけ
「勇気くじき圧力」で
いっぱいの環境の中で、
どのように自分自身を勇気づけて
いけばいいのか。
→所属感・信頼感・貢献感が鍵となる。

所属感
自分の居場所を持つこと。
会社、家庭、地域の中でしっかりと
「自分は確かにここにいるんだ」
という存在感を持つこと。
信頼感
周囲の人々に対する信頼。
この感覚があり
目標が共有されていると、
周囲の人たちとの協力が可能になる。
貢献感
自分が世のために
役立っているという感覚。
自分の貢献を待ってくれている人が
いると信じられること。
特にアドラー心理学で
重視しているのが「貢献感」。
貢献することは、
自分の富や地位や年齢にも
経験にもかかわりなく、
意志がありさえすればできる、
最も確かな
幸福へのパスポートである。
 
・自分自身を勇気づけるもっとも近道とは?
 言葉とイメージと行動を勇気づけで
 満たしきること!
 ①断言:まずは自分自身や他者に
  プラスの言葉をはっきりと使うこと。
 ②断言:言葉がプラスになると、
  自分自身のイメージもポジティブになる。
 ③断行:言葉とイメージを
  プラスにしながら、
  次は行動に移す。
  時には見切り発車も必要。
 →断言・断想・断行の3つで大事なことは、
  物事がすでに成就したかのように
  肯定的な使い方をすること。
―――――――――――――――――――――
 
読むだけで勇気が湧いてくる。
今から変わろう。
自分で自分を『勇気づけ』て
あげられるようになろう。
 
―――――――――――――――――――――
■他者への勇気づけ
①相互尊敬・相互信頼の関係の中で
 勇気づける
②相手が自分自身を勇気づけられるように
 勇気づける
③共同体の役に立つように勇気づける
→まずは、
 相互尊敬・相互信頼の関係の中で、
 相手がこちらの勇気づけを待って
 行動するのではなく、
 相手が自発的に自分で自分を
 勇気づけることができるようになり、
 その果ては、
 「自分だけよければいい」ではなく、
 自分の周囲の人達を
 勇気づけられるようになるのが
 理想です。
 
【他者を勇気づける方法】
ヨイ出しをする
 「ダメ出し」ではなく、「ヨイ出し」。
 私たちは散々「ダメ出し」を受け、
 その結果、自分も無意識に
 相手にダメ出しをしてしまいます。
 しかし、意志を持ち、
 未来志向で自己決定できる人間には、
 ヨイ出しが圧倒的な効果を発揮します。
加点主義でかかわる
 周囲の人を理解しようと思うなら、
 共感の目で探し、目線を低くし、
 相手の目で見、相手の耳で聞き、
 相手の心で感じることが大切です。
 そのように接していると、
 ある人の努力に
 感動を覚えることがあります。
プロセスを重視する
 血も涙もある人間には
 結果がどうであれ、
 プロセスに目を向けられることによって
 やる気が湧いてきます。
 小さな進歩、黙々とした努力に
 目を向けることが必要です。
④ 失敗を受け入れる
 失敗は、
 アドラー心理学の立場からは
 「チャレンジの証」」「学習のチャンス」と
 みなしています。
感謝を伝える
 「すみません」「申し訳ありません」
 と詫びる言葉ではなく、
 「ありがとうございました」「助かりました」
 と感謝の意を伝えること。
―――――――――――――――――――――

この数年の仕事振りを思い出して
とても恥ずかしくなった。
 
私は勇気くじきばかりしていた。
過去に戻れるのなら、
目標のために
頑張ってくれていたスタッフを
勇気づけてあげたい。
心を抱きしめてあげたい。
 
今、このタイミングで
本に出合えて本当によかったと思う。
 
落ち込んでいる私を
知っているかのように、
アドラーはこう言う。
 
―――――――――――――――――――――
「上を向け。
アドラー心理学は
未来志向の心理学だ。
人間は
自分の運命の主人公だ。
明るい未来を築き上げるぞ。」
―――――――――――――――――――――
 
自分の人生が洗われるようだった。
 
そうだ、過去じゃない。
未来に向かって、
これから変わっていくんだ。
 
この本を読んで、
私は心を整理することができた。
本を貸してくれた日高先生に感謝だ。
 
アドラー心理学は
私の人生の道しるべとなった。

責任レベルとの葛藤

 
「朝野さんは
まだ体調が心配なので、
『責任レベル』は4のままで
お願いします。」
 
…くそぅ。
朝の集いで昨日の
『責任レベル』の申請の
結果が言い渡される。
 
連敗だ。
『責任レベル』を3から4へ
申請をしたが今回もダメだった。
 
責任レベル3までは
すんなり上がったのに。
日高先生は
なかなか『責任レベル』を4に
上げてくれなかった。
  
診察中は
褒めてくれることも多い。
患者さんや看護師さんに
自分の気持ちを
言えるようにもなってきた。
周りの患者さんより
ずっとまともな気がするのに…。
はがゆかった。
 
レベル3と4の大きな違いは、
患者同伴から
一人で院内の散歩や行動が
できるようになる点だ。
 
とにかく動きたかった。
自由に散歩がしたかった。
たくさん歩いて
カロリーを消費したかった。
食べたものを消費したかった。
 
だけどその願いが叶わない。
 
「なんでやねん!」

部屋に戻り、
心の中で地団駄を踏む。

「くっそ~!
私だって一人で散歩したい!」
と心で叫んだ。
 
なんでだ、なんでだ。
私より精神的に不安定そうな子、
鬱っぽい子、
後から入院してきた子が
先にレベル4へ上がっていく。
  
なのになんで?

これまでの人生、
スイスイと理想通りに事が運んでいたし、
どちらかというと昇格も速かった。
多少、プライドも傷つく。
 
でも。
日高先生はわざとレベルを
上げないようにしている気がした。
きっと、私が痩せようとして
動き回ることを分かっている。
 
そして、自分の想い通りに
ならないことがあることを
私に体験させ、
自分の心と折り合いをつける練習を
させているような気がした。
 
『こうなりたい理想の自分』と
『上手くいかない現実』に向き合い、
良い意味で諦めて、
互いのちょうどよいところで
折り合いをつける練習を。
 
他にも先を急ごうとする私に
行き止まりの看板を立てるように、
行動を制限されることがあった。

だけど、
その制限のおかげで
最初は思い通りにならず
やきもきしていたことも、
’そういう時もあるよね‘
‛上がらなくてもまあいいか‘
’上手くいかない時もあるよね‘
と思えるようになってきた。
完璧主義の自分を
崩してあげることが
できるようになってきた。

思い通りいかなくても
それは自分が
設定した「理想」だから、
焦る必要はない。
時には目線を落とすことも
必要なんだと学ぶことができた。

― 

これからの一番の課題は、
『痩せていたい』と思う気持ちと
『健康な身体になりたい』と思う
気持ちとの折り合いだろう。

2つの気持ちが
いつもつなひきしている。

『太りたくない自分』と
『食べられるようになりたい自分』に
いつか折り合いをつけられる日が
くるのだろうか。
良い意味で諦めることができる日が
くるのだろうか。

 

空いていた穴の正体


摂食障害になって
満腹感を感じることが減った。

特に過食中は、
明らかにいつもより
食べ過ぎているはずなのに、
一向に満腹感が得られない。
 
「先生、質問していいですか?
どうして
過食中はどんなに食べても
食べることを止められないのでしょうか。
お腹いっぱいにならないのでしょうか。
普通ならお腹いっぱいになる量でも、
満たされないんです。
逆にもっと食べたいって
気持ちが湧いてくるんです。」
 
診察中、
お腹が満たされない問題を
相談をしてみた。

「そうですよね。
なんで満たされないのかな。
一回整理してみましょうか。
まず朝野さんは
どんな時に食べたくなるんだっけ?」
 
「自分の気持ちを
伝えられなかった、
分かってもらえなかった、
喜んでもらえなかった。
そういう出来事があった時に
『悲しい、寂しい、悔しい』
という気持ちが湧いて
食べてしまうと思います。」
 
「すごいですね。
ちゃんと言葉にできるじゃないですか。
もう少し深堀してみましょうか。
それって結局、
まとめるとどういう状態かな?」
 
「まとめるとですか?
う~~ん。
相手のためを想って
やったことや言ったことを、
自分の想った通りに
受け取ってもらえなかった時や
反発された時に過食しがち…。
ってことですかね。」
 
「うんうん、いいですね!」
 
「…!!!( ゚д゚)ハッ!」
 
「びっくりした…。どうしました?」
 
「つまり…。
自分の『愛』を相手に
受け取ってもらえなかった、
と感じた時に
すごく食べたくなるのかも
しれないです…。」
 
自然と自分の口から
『愛』という言葉ができた。
 
とてつもない
大発見をした気がした。
 
「そうだ…。
多分、愛だ。
母に分かってもらえなかった時も
彼氏とすれ違った時も
仕事で広告が批判された時も、
そこには自分の愛が
取り残されている…。」
 
愛。
今まで何度使った言葉だろう。
 
「自分の愛が相手に
受け取ってもらえないと、
愛で満たされるはずだった心に
ぽっかり穴が空いてしまうのかも
しれません…。」
 
日高先生は黙って聞いている。
 
「もしかすると、
愛が不足した心を
愛の代わりに食べ物で
満たそうとしていたのかも
しれないです。
だから、食べても食べても
満たされなかったのかもしれません。」
 
言葉にしながら
頭が整理されていく。
 
「そうだ。
心は愛で満たされたいのに、
愛の代わりに食べものを与えても
やっぱり愛じゃないから、
本当の意味で
見たされることがないんだ…。
満腹感を感じなかったんだ…。
そんな気がしてきました。」
 
「朝野さん、すごい気づきですよ。」
 
しっくりき過ぎて頭が痛くなる。

「…!!!( ゚д゚)ハッ!!!」
 
「びっくりしたぁ…。
次はどうしました?」
 
どうしよう。

私はもう一つ、
世紀の大発見をしてしまった。
 


「先生…!
寧さんがこの前言っていた、
私の『心の穴』の正体って…。
もしかして幼い頃、
両親との愛着の形成が
上手くできなかったことによって
生まれた穴なのでしょうか?
ぽっかり空いた心の穴って、
’もっと愛されたかった’という
赤ちゃんの頃の
私の想いなのでしょうか?」
 
ハッとする日高先生。

「そうですね。
そういう可能性も
あるかもしれませんね。」
 
「でも。
そうなると私の心は
誰かの愛がないと
満たされないのでしょうか?

それだと限りがある気がして…。
私の心が人に依存して
しまうように思います。」
 
「そんなことありませんよ。
誰かの愛を頼らなくても、
もっとすぐに
できることがあります。」
 
え?
 
「そうなんですか!
それはなんですか?」
 
もう。それなら早く言ってよ~。
 
日高先生は優しい笑顔で言う。


「自分を愛してあげることです。
自分で自分の心に愛をあげるのです。」
 


…!

自分を愛す


「自分を愛す?
自分が愛をあげる?」
 
「そう。
朝野さんが
朝野さん自身を
愛してあげるのです。
自分を愛すことでも
心は満たされますよ。」
 
なんだか胸がギュッとなる。
 
「朝野さんは
今の自分好きかな?
愛してあげられているかな?」
 
「…嫌いです。
愛せていません。
愛すどころか
自分で自分の心を
傷つけているように
思います。」
 
「そこが
変わっていくといいですね。
自分の心に自分が
愛を与えられるようになると、
自然と症状も
落ち着くかもしれませんよ。

自分のこと、
好きになれるといいですね。」

自分を好きになる…。
自分が自分に愛を与える…。

「誰かにとっては
簡単なことかもしれないけど、
私にはとても
難しいことかもしれないです。
小さい頃から、
自分はブスでデブで
人に愛されない人間だと思って
生きてきたので。

…でも。
自分を愛することができたら
とてもステキな気がします。」
 
「うん。これから
一緒に考えていきましょう。
自分を好きになる方法を。
食べること以外で
心の穴を満たす方法を。」
 
微笑む日高先生。

「はい。
ありがとうございます。
自分を愛せるようになりたいです。

比べるものではないと思うんですが、
私、人からの愛なら
他の患者さんよりたくさん
もらっていると思うんです。

だけど、自分が自分に
愛を与えられていないのは
たしかです。盲点でした。
自分に一番、厳しくしていました。
 
先生、今日は大発見です!」

自分を知っていくことで
食べてしまう理由が解明されていく。

『生き方を変えるヒント 』が
また見つかった。



自分に自信がなかった。
自分が嫌いだった。

特に働き出して
心の余裕がなくなり、
人に冷たくしたり
厳しくしてしまって
自分がどんどん嫌いになっていった。

自分を愛せてなかった。
 
自分に愛を与えるどころか、
頑張るほどに
自分の心を傷つけては
心の穴をさらに広げていた。
 
だから、いくら頑張っても
報われなかったのかもしれない。

自分を愛すことは、
私の人生を変える
大きな鍵になるような気がした。

…嫌われる勇気。
ふと日高先生が貸してくれた
本の題名が頭に浮かぶ。

もしかして
自分を愛することができたら
嫌われることも
怖くないのかな…?

私、私を愛してあげたい。



この発見ができたおかげか
翌週、『責任レベル』が4に
上がった。
 
日高先生がどういう気持ちで
レベルを上げてくれたのか、
それを考えながら
行動しようと思った。

 

念願の責任レベル4


『責任レベル』が4になった。

レベル4とはすごい。
一気に世界が自由になった。
 
一人で行動できるって
とてつもなく自由だ。
 
今までは誰かと一緒じゃないと
散歩や行動ができなかった。

お喋りは楽しかったけど、
散歩に誘うのは気を遣うし、
もっと歩きたいなと思っても
相手に合わせなくては
いけないことも多かった。
体調が悪い時に
聞きたくもない暗い過去を
語られることで、
気持ちがより沈むこともあった。
 
一人で散歩すると、
憂鬱だった気持ちも
太陽に照らされたように
明るく変わる。

こんなところに
お花が咲いていたんだとか、
昨日まで蕾だった花が咲いたとか、
空の色がやさしいなとか、
景色の美しさに気づける。
 
この人とよくすれ違うなとか
あの人はいつもここに居るなとか
周りの様子にも気づける。

病院に守られている中での散歩は
心が軽く、自由だった。
 
そして、
『責任レベル』が4になって
一番嬉しかったのは、
面会にきてくれる母と
食堂で昼食を食べたり、
散歩ができるようになったこと。
 
持ち込みも可能だが、
なぎ総合心療病院では
事前に申し込むと、
外部の人の昼食も用意してくれた。

母と過ごす時間


はじめて母と食堂で
ご飯を食べた時はとても嬉しかった。

一緒に食堂に行き、
並んでおかずをとる。
それだけで
嬉しくて笑顔になってしまう。
 
患者さんであふれる中、
母と席に座り
一緒に「いただきます」をする。
 
「ねぇ、花。
これ病院食とは思えんばい。
美味かぁ。
うちよりごちそうやんね。
感動ばい。」
 
「そやろ?
病院食のほうが豪華ばい(笑)。」
 
あっという間に完食する母。
母も病院食の美味しさに感動して、
毎回完食していた。
 
私はまだまだ上手に
食べられないけど、
母と食べている時は
心が温かくなって、
いつもより食べることへの
恐怖や罪悪感が減った。
 
そして母は
食べる量が少ない私に、
毎回コンビニで
生野菜を買ってきてくれた。
野菜ならどれだけ食べても
罪悪感がないので、
空腹しのぎに助かる。
 
食後は院内を
2周散歩するのがお決まり。

景色の何気ない変化を話したり、
父や祖母の話を聞いたり、
時には恋愛話をした。
くだらない昔話も楽しかった。
 
また、週に1回。
院内に併設されているカフェに足を運び、
おやつ休憩をした。
 
カフェで過ごす時間は
特に楽しみだった。
 
このカフェには
障がいを抱える人たちが働いている。
言語や手足はおぼつかないものの、
震える手で
一生懸命コーヒーを淹れてくれる。
インスタントではなく、
豆から淹れてくれるので
結構美味しいのだ。
そして…たまにマズい。
当たり外れも母と楽しんだ。
 
「わ、今日はチョコだ。」
 
カフェのお楽しみは
コーヒーと一緒についてくる、
ひと口サイズのお菓子。
日によってクッキーだったり
チョコだったり。
今日は何かなとワクワクする。
 
拒食症の私とっては、
お菓子は
とてつもなく太る気がして
怖い存在。だけど、
ひとくちサイズだと安心できた。

それでもひと口サイズを
ひと口では食べられない。
5㎜ずつ小さくかじって、
小さな幸せを嚙みしめた。
 
母はそんな私の姿を
切なく嬉しそうに眺める。
 
昼食が好みじゃなかったり、
拒食症の症状が出て
上手く食べられなかった時は、
カフェでたこ焼きやたい焼きを食べた。
といっても、
ひと口かふた口しか食べられないので、
あとは母にあげた。
 
嬉しいことに、
カフェはいつも貸し切り状態。
ストレスが溜まった時は、
患者さんのことをベラベラ喋った。
母は楽しそうに聞いてくれた。
 

母の愛

 
思えば一人暮らしを始めて10年。
母とはあまり
連絡をとっていなかった。
社会人になってからは
仕事に疲れ切って,

LINEを既読すらしないことも
多かった。
 
たまに帰郷はしていたものの
こうやって母と向かい合うこと、
ゆっくり同じ時間を過ごすことは
はじめてのような気がする。

入院生活は
楽しいものではなかったけど、
母の愛を感じられる時間は幸せで、
感謝の気持ちで満たされた。
 
毎日40キロの道のりを
往復して会いに来てくれる母。
いつも時間を守ってくれて、
お昼前には病室に来てくれた。
 
渋滞などで遅れた時は、
「花~!待ってたやろ~?
ごめんねっ!
急いできたんやけど、
間に合わんかった~!」
と息を切らしながら病室に入ってくる。
その懸命な姿が可愛かった。
 
母は本当に優しい人だと思う。
自分のことよりも人のことに一生懸命。
だけど忙しい日々に
つい視野が狭くなってしまって、
「こうしなければ」「私がしないと」と
自分を駆り立ててしまうんだ。
 
曖昧な状態が苦手な母は
決断が早かった。
優柔不断な私が迷っていると、
「こっち!」と背中を押してくれる。
その割には
『自分』というものがない。
だから人の気分に流されやすくもあった。

特に私が落ち込むと
なぜか母まで落ち込み、
「お母さんのせいでごめん」と
言うクセがあった。

きっと母も私と同じように
人に嫌われることを恐れ、
人の目を気にして
生きてきたんだと思う。
 
今まで理不尽に怒られたり、
理解できないこともあった。
だけど入院して
いろんなことを学ぶ中で、
母こそいろんな人生があって
そうならざるを得なかった
事情があったんだと、
納得できた。
入院したおかげで、
母の言動を寛容に認めることが
できるようになった。
 
とにかく、今は母の存在が愛しい。
 

―-―-
お母さん、
「花、何かして欲しいことある?」
と毎回聞いてくれるけど、
お母さんが
会いに来てくれるだけで
嬉しいし、楽しいし、幸せだよ。

お母さんのおかげで、
この場所で生き方から
見直すことができたんだから。
―-―-


母と過ごした
病院での愛溢れる時間を、
私は絶対に忘れない。
 
これからもずっと、
こんな穏やかな時間が続けばいいなと
思った。

リズムを取り戻してきた食生活


心に穏やかさが戻り、
不規則だった生活も安定してきた。
 
入院前は
朝ご飯、昼ご飯、夕ご飯を
過度に制限し、
反動やストレスで夜中に過食。
睡眠時間は
4時間くらいだったと思う。
 
それが今は
睡眠薬を飲みながらではあるが、
夜10時に就寝できるようになった。
夜中に過食したいと思うこともない。
朝は自然と起床。
朝食前は「ぐー」と
お腹が鳴るようになった。
 
食べるのが特に怖かったお米も、
茶碗半分は食べられるようになった。
おかずは完食できる日もある。

そして何より嬉しかったのは、
‘太ってしまうんじゃないか’という
恐怖心が前より減ったこと。
おかげでずいぶん気持ちがラクになった。
 
これもたくさんの人のサポートのおかげだ。
 
管理栄養士の酒井さんがいたから、
病院で出されている
メニューや一日に摂る量は
『太るもの』じゃなくて、
『一日健康に過ごすために必要な栄養』と
思えるようになった。
退院したら、
病院食のメニューを基準に
食べる物や量を考えていく予定だ。
 
日高先生からは最近、
食べる恐怖感をなくすために
『今』を感じて
『今』この瞬間に
集中することを教わった。

色、カタチ、匂い、味、食感…。
食べている今、
この瞬間に意識を向け
ひと口ひと口ゆっくりと味わう。
これはマインドフルネスという方法。

まだ起こってもいない
未来に不安になるのではなく、
今食べている自分に集中することで、
心がラクになった。


もちろん、
『痩せていたい』という
願望はまだある。
だけど、
そんな自分の心とも
話し合って少しずつ折り合いが
つけられるようになってきた。
 
日高先生や看護師さん、家族。
たくさんの人に見守られ、
摂食障害の症状は
ずいぶん落ち着いていた。



摂食障害になった患者さんは
入院することを拒むというけど、
私には入院することが
心がラクになる近道だったと思う。

ストレスの原因だった環境から
強制的に切り離され、
過食や拒食を繰り返す
悪循環な生活から
強制的に切り離され、
外部の情報を
シャットダウンされることは
私にとってはプラスだった。

もちろん、
入院せずに通院しながら
症状を改善していくことも
できたのかもしれない。
だけど、私の場合、
どうしても治療より仕事を
優先してしまっていただろう。

それに、
心の余裕がない日々の中では、
日高先生や酒井さんの言葉を
すんなり受け入れられなかったと思う。

今までいた世界と
完全に切り離されることで、
携帯電話を手放すことで、
治療している今の自分に
集中することができたんだ。
食べることを治すために、
心を治すことに向き合えたんだ。

生活から、
考え方から、
生き方から、
自分自身を見直すことができたんだ。
 
それに
入院生活は一人じゃない。
一緒に病気と向き合う仲間がいる。
いろんな患者さんと
共同生活を送る中で成長もできた。
 
なぎ総合心療病院での入院生活は
長い目で見て、
私の人生の中で
最も価値ある尊い経験となっていた。

突然の別れ


 「花ちゃんと
出逢えてよかったな~!
って思うよ。」
 
デートの帰り道。
手を繋ぐ俊介君が微笑む。
 
「ほんと?私こそだよ。
俊介君いつもありがとうね。」
 
私も笑顔で返す。
 
「じゃあ、
花ちゃんまたね!」
 
「うん!
今日もありがとう!」
 
彼、俊介君とは旅行後も
外泊許可が出た時にたまに会っていた。
温泉に行ったり、
スポーツをしたり。
外食する時は
私が少しでも楽しめるようにと、
美味しい高級ステーキ屋さんや
食材にこだわった料亭などに
連れて行ってくれて、
お金も出してくれた。

入院する前と変わらない、
楽しい時間が流れていた。



病院への帰り道。

「今日はステキな言葉を
言ってもらえて嬉しかったな~。
普段あんなこと言わないのに。
次会えるの楽しみだな~。」

ひとり言を言いながら、
ルンルン気分で
今日のデートのお礼と
日頃の感謝を綴ったラインを
彼に送る。
 
携帯は院内では使えない。
返事を見られるのは一週間後だ。
なんて返事がくるかな。

それにしても最近、
体調も良い。
退院したらい~っぱい
俊介君との時間を楽しむんだ。
 
制限された入院生活を
ポジティブに頑張れるのは、
その先に彼との
幸せな未来が待っているから。

俊介君の存在は
病気を克服する大きなパワーに
なっていた。

いつにも増して
晴れやかな気分で病院に戻った。




しかし。
 
 
それから、
彼と会うことは二度となかった。





その日を境に、
彼との連絡は永遠に
途絶えた。
 
 


一週間後、
携帯を見たが
ラインの返信がない。
心配になって
電話をかけてみるが出ない。
折り返しもない。
 
その後も面会にくる母に
こそっと携帯を見せてもらったが、
彼からの連絡はなかった。
 
 


 
絶望した。
 
 
 
 
 
訳が分からなかった。

理由を探そうとしても、
私に接する彼の態度には
愛があった。
あの日も「またね」と
手を振ってくれた。
楽しく過ごしていた。

兆候がなかった。
 
グルグル記憶を辿っても
分からない。

入院中一度だけ、
連絡が遅かったことはあるけど…。
思い当たることと言えば
そのくらいだ。

今日で会うことを最後と決めている人が
「出逢えてよかった」
なんて言うだろうか?
あんなに優しく手を繋ぐだろうか?
無邪気に笑うだろうか?
「またね」と
続きがある振りをするだろうか?

 



…そういえば。
 
最後に会った日。
たしか夜、
友達と会うって言ってたな。

…もしかして。
その友達に
「摂食障害の女はやめとけ」とでも
言われたんだろうか。
 
病気のことを友達と検索して、
摂食障害になりやすい性格を知られて
引かれたのだろうか。
 
「俊介は若いんだから、
摂食障害持ちの年上女じゃなくて
若くて普通の女の子を選べばいい。」
そう言われたんじゃないだろうか。
 
連絡が途絶えた理由は
『摂食障害の彼女』だから以外、
考えられなかった。
 


 
 
私の心は一気に崩れていった。

彼は病気のことも受け入れてくれている、
退院したら彼との楽しい日々が待っている。
そう信じて
今まで頑張っていたのに。
 



もうその日々はやってこない。
 
退院しても一人、
『摂食障害』を抱えながら
生きていかなければならない。
 
恋愛に自信を失っていた中、
やっと出逢えた人だったのに。
『摂食障害』のせいで
こんなことになってしまった。




 
強く信じていたものが
突然なくなった。

 

崩壊


今週も外泊の日がやってきた。
 
音信不通なってから2週間。

病院を出て、
迎えに来た母から携帯をもらう。
画面をのぞいてみるが、
彼からの着信も
LINEの返信もなかった。
 
…。

昨夜、私はある決断をした。

「次の電話が最後。
出なかったら
連絡をとるのをやめる!」と。
 
これでもう最後にしようと。

 
深呼吸をし、
着信ボタンを押す。


TrururTruru…
TrururTruru…
TrururTruru…


TrururTruru…
TrururTruru…
TrururTruru…
 

ゴホンッ。



TrururTruru…
TrururTruru…
 
 

TrururTruru…
TrururTruru…


 
TrururTruru…

 


彼が電話に出ることはなかった。
 
 

 
 
終わった。
 
 
 

こんなにあっけなく、
終わった。
 
半年分の愛だけが
心に取り残された。
 


 
そして、
一人暮らの部屋で
暴れた。

 
ガシャンガシャンッ!
ガンガンガン!



部屋にあるものを気が済むまで投げた。
 
ガシャンッ!
ガシャンガシャンッ!

「やめなさい、危ないから!」

「なによ!!」

ドンッ!

静止に入る母を突き飛ばす。
彼がくれたCDのケースも粉々にした。
どうしようもない気持ち、
どうもできない現実を
周りにぶつける。

自分でもなぜこんなことを
しているのか分からない。
でも、
止めることができなかった。
 
「ねっ!なんで?
なんで私は
摂食障害になったの!?
なんで?
ダイエットなんて
みんなしてるやん!
なんで私だけ摂食障害なの!?
 
摂食障害にならなかったら
こんなことにならなかった!!」
 
涙が止まらなかった。
悔しかった。
悔しくて悔しくて仕方なかった。
泣き喚いて、
叫び散らかした。

ずっと大切にしていた
置物も投げた。
だけど割れなかった。
なかなか手に入らない
作家のオブジェも投げた。
少し曲がったけど
壊れなかった。

…きっと。
…きっと…きっと。
 
愛着障害にならなかったら、
摂食障害にもならなかった…。
こんなことにならなかった。
 
「もう人生真っ暗だよ!
この先、私のこと
好きになる人なんていないよ!
『アルコール依存症』の男なんか
わざわざ最初から選ばないように、
『摂食障害』持ちの女を
選ぶ理由なんてないんだから!」
 
怒りが止まらなかった。
手元にあった本を母に投げつける。
 
「悔しい…。
 
私には食べる楽しみも
当たり前の日常も、
健康な体も、彼も、自信も…
全部なくなってしまったんだ!

ただ、頑張って
生きてきただけなのに…!
摂食障害のせいで!!」
 
悔しくて悔しくて泣き崩れた。

本当は無理してる。
食べることだって
無理してる。
本当は痩せたいけど
無理してる。

摂食障害になって
食べることを
心から楽しいと思ったことなんて
一日もない。
『怖い』と『後悔』が
ずっと胸にある。

…悔しい。 

しかも、こんな状態なのに
食べたい気持ちが湧き上がってくる。

なんなの、なんなの。
 
「ずっと!ずっと!!ずっと!!!
私は死ぬまで一人で
食べる恐怖と太る恐怖を抱えて
生きていくんだ!
 
摂食障害になったせいで…!」
 
涙が溢れる。


 
母はなにも言わず、
荒れた部屋を静かに片づけていた。

私を救ってくれた看護師さんの言葉


病院に戻る車の中でも、
私の精神状態は不安定だった。
湧き上がってくる
マグマのような感情が噴火しないよう、
必死に押さえた。
 
「花、病院は
花を守ってくれるから。

…大丈夫よ。」
 
病院に着くと母はそう言ってくれた。
 
そして、
 
「俊介のくそやろう!!」

ハンドルを握りながらそう叫んだ。
母の顔を見ると、
涙目だった。

きっと母も
私と同じくらい、
悔しかったのだと思う。
 
入院して一カ月半が経ち、
やっと私の心が落ち着いてきて、
症状が改善してきたのに。

週に何度も
高速に乗って会いにきては、
私が元気になれるよう
お土産を持ってきくれたり、
世話をしてくれたのに。
互いに辛い想いをしながらも
楽しい時間を過ごし、
時に悩みを分かち合ったのに。
幸せを感じていたのに。
母子関係の壁も乗り越えてきたのに。
 



無責任な一人の男のせいで
水の泡になった。

- 

看護ルームに2人で歩く。

病院では
外泊や外出から戻った際、
保護者が指定の用紙に
その間の患者の様子を書くことが
義務付けられている。
 
その後は、荷物検査。
危険物や通信機器など
持っていないかチェックされる。

今日の担当は室さんだ。
メガネが似合う、40代後半の女性。
最初はちょっと苦手だった。
厳しそうに見えたから。
だけど、接するうちに
芯には患者さんを心から想う、
温かい気持ちがあるのが分かって
好きになった。
厳しそうに見えたのは、
真剣だったからだ。
 
提出した用紙を読む、室さん。
 
「朝野さん、今回あんまり調子が
良くなかったということですが…、
何かありましたか?」
 
「……。
 ……………はい。」
 
室さんの言葉に
悲しい気持ちが込み上げ、
涙がポロポロ溢れた。
 
不安定な私の代わりに
母が事情を説明する。
 
「まぁ!そんなことがあったのね…。」
 
私の肩に優しく手を当てる室さん。

そして、
 
「いいのよ!いいのよ!
その人は不健康だったのよ。
心が健康な人はそんなことしないわ。

そんな人ね、
朝野さんから手放しなさい。
捨てなさい。
もう忘れましょう!ねっ。」
 
びっくりするくらい怒ってくれた。
強く、優しい口調で。
私の心にまとわりつく
悲しみをはたき落とすように。

もしかしたら
私は悪くないのかもしれない、と
救われる気持ちになった。

ポロポロポロ…
また涙が出てくる。 
 
「心が不健康な時は
心が不健康な人が寄ってきます。
心が健康な時は
心が健康な人が寄ってきます。
 
心が健康になったら、
その心に見合った
心が健康な人が現れるから。

だから大丈夫よ。
まずは朝野さんから
健康になりましょう。」
  
私の肩を抱きしめる、
あたたかい手。
室さんの優しい言葉が胸に沁みて、
また泣けてくる。
 
「朝野さん、大丈~夫!
健康になってね、
自分の好きなことを
一生懸命やっていたら、
その中でステキな出逢いが
訪れるから。
ちょっと休憩して
元気になったら、
朝野さんから健康になりましょう。」
 
堰を切ったように、
さっきとは違う感情の涙が
こぼれた。

これは嬉し涙だ。
室さんの言葉が
本当に本当に嬉しかった。
 
「…はい。私、
健康になりたいです。
健康な心になりたいです。

こうなってしまった
生き方を変えたいです。」


そうだ。
室さんの言う通りだ。
私が今、
手に入れなければいけないのは
健康だ。
 
恋人じゃない。
 
心が健康になれば、
きっとステキな人に出逢える。
ステキなことが待っている。
 
半年前に出逢った男がなんだ。
隣には30年も
私を愛してくれている
母がいるじゃないか。

半年前に出逢った男に
私の笑顔や大好きな母の笑顔を
奪われてたまるか。


 
最後に向き合えない
卑怯な男なんて


いらない。



 
この時、心の健康に
本気で向き合おうと決めた。
彼への執念ではない。
私と母の明るい未来のために。
 
室さん、
本当にありがとう。
 
室さんの言葉があったから
あの時、
私は崩壊してしまいそうな心を
立て直すことができました。

室さんは
未来に絶望している私に
明るい未来があることを
教えてくれた。

心の軸と向き合う


彼との別れを決めた翌日。
 
日高先生が朝の回診にやってきた。
 
「朝野さん~、
調子はどうですか?
今日は診察をしましょうね。」
 
あれ?今日診察の日だっけ?
明日の火曜日じゃなかったけ。
 
もしかしたら…。
昨日のことを室さんが
日高先生に
共有してくれたのかもしれない。


午前中、OTをしていると
診察に呼ばれた。

今日はやけに早い。
 
「朝野さん、
体調はいかがですか?
外泊はどうでしたか?」
 
柔らかな笑顔の日高先生。
仏のような表情に
素直な気持ちを話したくなる。
 
「…実は。
とても悲しいことがありました。

彼と…別れました。
というか、
別れを決めました。
…結局、本当に本当に
音信不通になってしまって。」

今までの経緯を説明する。
 
「そうですか。
それは辛かったですね。」
 
「先生や母が支えてくれて、
食べることも
少しずつ改善してきたのに…、
一気に自信を失ってしまいました。
病気になった私は
幸せになれないのかなって…。」
 
自分から捨てるんだ。
あんな男いらない。
 
昨日はそう強く思ったけど、
冷静になって
これから先を想像してみると
不安や失望感が湧き上がり、
心は動揺していた。



摂食障害の症状が出始めた頃、
私の周りではライフスタイルと
人間関係の変化があった。
 
友達の結婚、出産。
いくつかあった仲良しグループも
結婚していないのは
ついに私だけになった。
 
前みたいに遊ぶことも減り、
久しぶりに会っても
会話についていけない。

みんな旦那さんや子どもと幸せそう。
おしゃれな家を建て、
ステキな生活を送っている。
家事や育児は大変そうだけど、
みんなには家庭がある。
それを大きな安心感だ。

一方、私は仕事ばかり。
チームで業績を競い、
終わりのない成果を追いかける日々。
恋愛も
出逢うのはダメ男ばかり。
結婚なんてできるのだろうか…。

いつも自分と周りを比べていた。
 
そんな中、
やっと見つけた
俊介君という宝物。



だけど、
それもなくなった。
 
また最初から探しにいかないといけない。
もっと取り残される気がした。



この気持ちも
素直に日高先生に話してみた。
 
すると…。
 
「朝野さん、朝野さんには
『自分はこうだ』『これが私!』
と言える自分の軸みたいなもの、
ありますか?」
 
日高先生がいきなり
難しい話をしてきた。
 
「え?
『これが私!』ですか?」
 
「そう。
『これでいいのだ~!』
っていう自分の軸。」
 
は?
バカボン?
ヒダボン?
どういうこと?
 
「ん~~~~
ん~~~~~。
よく分からないです…。

『これが私!』ってなんですか?
よかったら先生の
『これが私!』を教えて欲しいです。」
 
「ん?僕?今で言うなら
『この治療スタイルが僕!』かな。
他の人がどうであれ、
自分はこうしたい、こうありたい、
自信を持って自分はこうだ!って
言えるものだよ。」
 
たしかに、
日高先生の治療法には
独自のスタイルがある。
本を貸してくれたり
私の得意なことを見つけては
それを治療に活かしてくれたり、
何より『生き方』から
見直してくれる。
熱くなってくれる。
そして、勇気をくれる。

他の先生はどんな
治療法か分からないけど、
『日高式』って感じだ。
 
「そういった感じですね。
自分はこうだ、
これが私かぁ…。

う~~~~~~~ん、
なんだろう…。

 
 
…分からないです。」



私の『これが私!』って
言えるものって何?
 
学生時代も社会人になった今も
目標を持って
頑張ってきたはずなのに、
『これが私!』って
言えるものが見つからない。

 

人という波に流されていた

 
「もしかしたら朝野さんは
『心の錨』という自分の軸が
グラグラしているのかもしれませんね。」
 
「『心の錨』ですか?」
 
錨って船が流されないように
海底に沈める
おもりのことだよね。
 
「そう、『心の錨』。
自分を大海原に浮かぶ
一隻の船だとするでしょ?
 
もし錨が風船のように
軽かったらどうなると思う?
きっと船はその場に
留まれなくて
いつも不安定な状態で
グラグラしてしまう。
 
大きな波はもちろん、
周りの小さな波にだって
すぐ流されてしまいます。
 
心も同じように、
『心の錨』という自分の軸が
軽かったり細かったりすると、
周囲のちょっとした変化にも
心は動揺してしまう。
周りの波に流されて、
思ってもなかった場所に
辿り着いてしまうんです。」
 
「はぁ。」
 
「逆にね、
『心の錨』という自分の軸が
太く強く根付いていれば、
周りに流されないでいられる。
これが私なんだ、
私はこうしたいんだ、
私は私なんだ、と
どんなに波が大きくても
自分の心に
とどまっていられるんです。」
 
日高先生の分かりやすい例えに、
大海原で右往左往する
自分の小舟が見えた。
 
「たしかに…。
私、超優柔不断なんです。
フラフラなんです。
昔から自分で
何かを決めることが苦手で。
選択肢が2つあったら
どっちを選べばいいか
すごく迷ってしまいます。
外食に行っても
なかなかメニューを決めてなくて。
それって自分に基準が
ないからなのかな。
 
あと、これを食べたいと
思っていても
相手の意見に合わせたり、
相手と同じものを頼んだり…。
たぶん、
合わせるほうがラクなんです。

自分の判断に自信がないから。
この人が決めたんだからって、
委ねられるから。」
 
「うんうん。」
 
今日は言葉が止まらない。
 
「それに
選択肢があり過ぎると、
『こうしたかったはず』の
自分の気持ちが
分からなくなって、
周囲の意見に
左右されてしまいます。

センスの良い友達が
持っているものや
すすめてくれるものが
良く見えたり、
同じものが欲しくなったり。

ふと我に返った時に、
あれ?私って本当に
これ欲しかったんだっけ?
ってなることがよくあります。」

「そうなんですね。」
  
「はい。
人の意見に流されやすいし、
人の意見に合わせがちで。

それって結局、
自分の軸がなかったからって
ことなんですかね…。」
 
もしかして私は
『相手のために』じゃなく、
自分がないから
相手に合わせていたの?

「それだけじゃありません。
相手の言葉や表情に
一喜一憂してしまうし、
相手の顔色が曇ったら
その場を取り繕おうとして
変なこと言っちゃうし。
『結局どうしたいの?』って
シラケられることもあって。」
 
これも『心の錨』、
つまり自分の軸がなかったから?
 
「もしかしたら
自分の軸が細いのかもしれませんね。
でも、軸は今からでも
太くできますから。
気づけて良かったですね。」
 
「驚きです。
私、てっきり自分があると
思っていました。
でも、違いました。
人に左右されて生きてきました。」

こだわりは強いけど、
それは’自分がある’のとは違う。
 
「そんなことないですよ。
朝野さんは持っていますよ。
自分の軸。
今は自信がないだけで。
これから周りの波に流されない、
自分の軸を育てていきましょう。」
 
「はい…。
『これが私!』って
言えるものを見つけたいです。
 相手に流されない
『心の錨』を育てたいです。

そういえば今考えると、
心のバランスを崩す時は
だいたい『相手』がいました。
自分の人生なのに
相手の波に
揺らされていたんですね。」
 
「それも良い気づきですよ。
ストレスの9割以上は人間関係、
『相手』がいるから起こると
言われていますからね。

自分の軸が太くなると
ストレスも減るかもしれませんよ。」
 
「そうですね。
心の健康に繋がりますね。
先生、ありがとうございます!」

私の軸はこれだ!


部屋に戻って、
スケッチブックを開く。
 
ペンを握り、
用紙の左右を目一杯使って
大きな誕生日ケーキを描く。
 
さらに、真ん中に
一本のでっかいロウソクを描いた。
ロウソクは自分の軸だ。
 
小さなことでもいい。
『これが私!』
そう思えるものを
ロウソクの周りに書き出してみよう。
 
―――――――――――――――――――――
・休みの日は友達とランチしてカフェで
 のんびり過ごすのが私
・TSUTAYAで一日、
 本を読んで過ごすのが私
・仕事を一生懸命頑張るのが私
・ちょっとクセのある
 ファッションが好きなのが私
―――――――――――――――――――――
 
間違ってもいいいから
今、自分が思う
『私らしさ』みたいなものを
書き出してみる。
 
そして、最後に。
 
ロウソクの灯りの上に
『書くことが好きなのが私!』
と大きく書いた。
 
「これだ!」
 
小学生の頃から変わらない、
私の大好きなこと。
きっとこれからも
誰に何を言われようと
好きなこと!
 
書いていると、
楽しくて自分らしくいられる。
 
自分なりに
良い文章ができた時は
嬉しくなる。
 
その瞬間はきっと、
ちょっとだけ
自分のことが好きだ。
自分を愛することが
できている気がする。
 
「私は書くことが大好き!」
 
これだけは
自信を持って言える。
 
私は書くことで、
自分に愛を与えてあげられる
人間なのかもしれない。
 
早く日高先生に言いたいな。
 


次の診察の日。
日高先生に
スケッチブックを見てもらった。
 
「わぁ、朝野さんの軸、
ちゃんとあるじゃないですか。
それに誕生日ケーキみたいですね。
美味しそうです。」
 
「はい。
『新しい私の誕生』
という意味も込めて、
誕生日ケーキにしてみました。
食べますか?」
 
「よくそんな発想思いつくね~!
食べましょう。」
 
「先生ヤギみたい。
誕生日ケーキは
ただの思いつきです(笑)。
 まだ、
『私はこうしたい!』
『こうでありたい!』みたいな
大それたことは
見つけられていませんが、
『書くことが大好き!』
っていうのは
今私が持っている、
揺るがない軸です。

これだけは自信を持って言えます。
 
しかも、
この軸に気づけたおかげか
少し心が強くなったというか、
自分を頼れる感覚が
芽生えました。」
 
「いいことですね!
自分の心が
自分を味方してくれている
感じですね。」

「はい!」

「朝野さんの
『書くことが大好き!』
というスタイルは
治療にも活かされていますよ。
ケーキの周りに書いてあることも
ステキな軸ですね。」
 
「そうですか?
ここら辺は‘最近の私’を書いたので、
変化するかもしれません。
だから軸とは言わないかも。」
 
「うん。いいと思いますよ。
軸っていうと
『ずっと変わらないもの』
みたいな気がしますが、
自分軸って変わるものなんです。
 
環境やライフスタイルによって
変化していきます。
私も1、2年したら
軸が変わっているかもしれませんし。
 
だから変化する時に
私、ブレてる!って
思わなくて大丈夫ですからね。」
 
「そうなんですね。
たしかに、
結婚して子どもができたり
仕事が変わったりしたら、
軸って変わりますよね。
ありがとうございます。
 
『自分の軸』を持っていると
自分を信じられるパワーが
湧いてくることを知れて
嬉しかったです。」
 
彼氏とは上手くいかなかったけど、
この出来事のおかげで
人に流されやすい自分の心に
気づくことができた。

そして、
『自分の軸』に向き合えた。
 
傷ついた経験も
力にしてくれる、
日高先生の診察に感謝だ。
 
ありがとう。
 


周りの波に流されない
『心の軸』を太く強く、
育てていきたい。
 

退院したい


多くの患者さんは
常に’退院したい’と思っている。
 
携帯電話も通信機器も使えない、
大部屋であればプライベートもない。
 
私生活に戻れたほうが、
そりゃ自由だ。
 
入院生活が一ヵ月過ぎはじめると、
「いつになったら退院できる?」
という会話が、
看護師さんと患者さんの間で
よく聞こえてくる。
 
私もなんだかんだ、
やっぱり早く退院したかった。
自由になりたかった。
仕事がしたかった。
 
もうすぐ入院して2カ月が経つ。
 
同じ時期に入院した患者さんたちは、
チラチラ退院の話が出ているらしい。
 
だけど、
日高先生からは
退院の『た』の字も出てこない。
 
私はいつになったら
退院できるんだろう…。
 
巡回に来た
看護師の秋山さんに聞いてみた。
 
「秋山さん、私って
いつになったら退院できますか?」
 
すると、逆に質問し返された。
 
「そうね~。
朝野さんは今、
退院しても大丈夫かな?」

その瞬間、
胸がズンとなった。
 
家で過食をしていた日々、
締め切りに追い詰められた日々が
頭を巡る…。
 
「退院してから不安なことない?」
 
不安?
…まだまだたくさんある。
 
「なんか…。よく考えたら
退院はまだな気がします。」
 
’退院したい’と思ったけど、
’まだ退院できないな’と思った。
 
「せっかく
入院しているんですから、
後のことは考えず、
ゆっくりしてくださいね。
きっと、心が整ったら
『退院したい』じゃなくて
『私、退院できる』と
自然と思えますよ。」
 
秋山さんは穏やかに笑った。
 


本当、秋山さんの言う通りだ。
もっとちゃんと心を治そう。

「食べること」ばかり考えてしまう


 「日高先生、
私やっぱり頭がおかしいんです!
食べるのが怖いのに、
ずっと食べ物のことばかり
考えているんです。
もう24時間、永遠と…!
 
退院してからが不安です。」
 
そうなのだ。
 
摂食障害になってから、
私は異常なほど食べ物に
興味を持つようになった。
 
特に外泊時は一日中、
食べることを考えてると
言ってもいい。

SNSを覗いていても
気づけばご飯の写真を見ている。
車に乗っていると
飲食店の看板が気になり、
気づけば食べ物の話をしている。
コンビニに行けば、
パンやお菓子ばかり見て。
お気に入りの
パン屋さんやお菓子屋さん、
体にやさしい
健康食品の売り場に行くと
なぜお大量に
買い込んでしまうようになった。
 
一人では消化できないほどの
量を買っては、
夜中過食して後悔していた。
 
食べるのが怖いのに、
少ししか食べれられないのに、
朝から晩まで何を食べようかと
考えている。

そんな自分がきつかった。
 
「そうですか。
なんで考えてしまうんでしょうね。
逆に食べることを
気にしていない時ってどんな時ですか?
24時間の中で
考えてない時もあるはずですよ。」
 
そうだな、
24時間は言い過ぎた。
 
また考え方のクセ、
『0か100かで考えてしまう』が
でてしまった。
 

「食べること」を考えない時間を増やす

 
「食べることを
気にしていない時間かぁ。
ん~、スケッチブックを
書いている時、
家族や友達と居る時、
ヨガをしている時、
本を読んでいる時ですかね。」
 
「それをしている時って
どんな気持ちかな?
心はどうなっている?」
 
「ん~~~~。
穏やかな気持ちというか…

ハッ…!
心が豊かになっている感じがします!」
 
日高先生はニコニコしている。
 
「心が豊か!いいですね~! 
朝野さんの場合、
心が豊かになる時間を
生活の中で優先していくことが、
≪食べることを気にしないで済む≫
ポイントになるかもしれないですね。」
 
「…たしかに!」
 
「『それ』ばっかり考えていると
辛くなりますから、
できるだけ食べ物や食べることを
考えない時間を増やして、
心をラクにしましょう。」
 
「はい。」
 
「心が豊かになること、
今スケッチブックに書いてみますか。」
 
「はい!!!」

スケッチブックを開き、
書いてみた。
 
――――――――――――
≪心が豊かになること≫
・ヨガや体操
・散歩
・CAFÉ TIME
・景色を見る
・ドライブ
・朝日を見る
・書き物をする
・本を読む
・友達や好きな人と過ごす
・お風呂
―――――――――――――
 
「こんな感じですかね。」
 
「じゃあ、
この心が豊かになることが
生活の中心になるように、
一日のスケジュールに
当てはめてみましょうか。」
 
「あ、はい。」
 
円グラフを書き、
心が豊かになることリストを
当てはめていく。
 
―――――――――――――――――――――
≪心が豊かになるスケジュール≫
23時~6時 おやすみ
6時~8時 散歩・ラジオ体操・朝日を見る
8時~9時 朝食とか準備
9時~12時 書き物をしたり本を読む
12時~13時 昼食と休憩
13時~18時 書き物をしたり本を読む
       OR
        おでかけ・友達や好きな人と過ごす
       OR
        ドライブ・書き物をしたり本を読む
    ※15時~ CAFÉ TIME 
18時~19時 夕食・料理
19時~20時 お風呂・ヨガ
20時~23時 TVを見たり漫画を読んでリラックス
―――――――――――――――――――――
 
 「できました!
なんか良い生活だ(笑)」
 
「ステキですね~。
豊か、豊か。
退院したら最初はこれを参考に
暮らしてみたらどうでしょうか?
この通りに生活しなきゃという
訳じゃないから。
特に心がきつくなったり
食べることで頭が
支配されそうな時は見返して、
心を中心に戻してあげてくださいね。」
 
「はい!心がけて生活します。」
 

少し、自分に自信がついた。

退院に向けて先生が
勇気を身につけて
くれているみたいだった。

分かっちゃいるけどやめられない


「でも、先生…。
心が安定していたら
こうやって過ごせると思うんですが、
一度過食のスイッチが
入ってしまうとなかなか…。
 
今までも
何度も食べることから
気持ちを切り離そうとしたんですが、
できたことほぼないんです。」
 
「ん~、そうですね~。
食べてる時は
『こう!』なってるから、
なかなか抜け出すのが
難しいところはありますよね。」
 
「そう!本当は
やめたくてやめたくて
どうにかしたいんです。
だけど食べ始めてしまうと
どんなに頑張っても
やめられなくなって…。
だから食べ始めを
我慢しようと思うけど、
食べ始めてしまうんです。
少しだけ、が
どんどん止まらなくなって
しまうんです。」
 
「≪分かっちゃいるけどやめられない≫
ってやつですね。」
 
「本当、そうです!
≪分かっちゃいるけどやめられない≫。
なんか不倫みたいですね。」
 
「ははは。でも、朝野さん。
これからのために
≪分かっちゃいるけどやめられない≫状況に
ならないための武器、
≪分かっちゃいるけどやめられない≫状況に
なりそうな時の武器、
≪分かっちゃいるけどやめられない≫状況に
なってしまった時の武器を
それぞれ持っておくといいかもですね。」
 
「武器?」
 
「そう!
≪分かっちゃいるけどやめられない≫
状態の時って
本当周りが見えなくなるでしょ?
だから事前に
≪対策≫を考えておいて、
武器として持っておくんです。」
 
「たしかに。
武器があるのとないのとでは
違いますもんね。
分かっちゃいるけどやめられない対策!
ですね。」
 
「朝野さん上手いな~。」

「へへへ。」
 
日高先生とのカウンセリングは
本当楽しいな。

自分の好きなことを最優先に


「そうです。
分かっているけどやめられない対策、
ちょっとまとめてみましょうか。
 さっき話した
『心が豊かになることを優先する』は、
≪分かっちゃいるけどやめられない≫状況に
ならないための武器。
以前話した
『メリット・デメリット作戦』は、
≪分かっちゃいるけどやめられない≫状況に
なりそうな時の武器です。」
 
「おお、武器持っていました。」
 
「そう!朝野さんは
もう身につけているんです。
それと、
≪分かっちゃいるけどやめられない≫状況に
ならないための武器として、
『心が豊かになることを優先する』
の他にもう一つ。
 
『自分の好きなことをする時間を増やす』
ことも武器になりますよ。」
 
「自分の好きなこと、か。」
 
「自分の好きなことをしている時、
例えば書き物をしている時って
朝野さんの心はどうですか?」

「夢中で楽しいです。
あっという間に時間が過ぎます。
気づいたら
心が穏やかになっています。
自分なりに良い文章ができたら
’やった~!’って思います。」
 
「自分軸の話をしていた時も
そんなこと言っていましたよね。
朝野さんその時、
『自分のことが少し好きになってる』
と言っていませんでしたか?」
 
「言っていました。
文章を書いている時や
自分の書いた言葉で誰かが
喜んでくれた時は、
嬉しさや喜びで
心が満たされる感じがします。」
 
「いいですね。実は
『自分の好きなことをする時間』は
とっても大切なことなんですよ。
対策はもちろん、
自分のことを好きになるために。」
 
「自分を好きになるため…?」
 
「そう。
自分の好きなことをして、
自分で自分を
認められるようになると
誰かから賞賛の言葉を
もらわなくても、
自然と自信がついてきます。
ふとした瞬間に
‘なんか今の自分いいな’と思えて、
‘あれ?今の自分好きだな’って
気付けたりするんです。

それに、体型以外に
自分を認められるものができたら、
そっちで心を満たすことができます。
自然と体型への固執も減っていて、
痩せてるとか太ってるとかも
気にならなくなって
いくかもしれません。」
 
たしかに。体型以外に
自分を認められる部分ができたら…。
今のこの苦しい気持ち、
どれだけラクになるだろう。
 
「だけど、人って忙しいと
『自分の好きなことをする時間』を
つい後回しにしてしまうものです。
 
だから、決めるんです。
『自分の好きなことをする時間』を
毎日の生活の中に入れるって。
 
自分の人生だから、
自分の好きなことを
最優先にしていいんです。」
 
先生の言葉にちょっとグッとくる。
 
「本当そうですね…。」
 
「よかったら朝野さんの
『自分の好きなこと』を
またスケッチブックに
書いてきてもらえるかな?
今日は時間がきてしまったので…。
 
そして、
できるだけ生活の中で
『自分の好きなこと』を
最優先にできるように
工夫してみましょう。」
 
「はい!もちろんです。」
 
「あと、それと一緒に
≪分かっちゃいるけどやめられない≫状況に
なってしまった時の武器も
考えてきてもらってもいいですか?
過食している時に
気持ちを切り替えられそうなこと。
朝野さんの
武器として持っておきましょう。」
 
「もちろんです!」
 
なんかなんか!
今日はめちゃくちゃ元気が出た。

≪分かっちゃいるけどやめられない対策≫


病室に戻って、
今日の話をまとめてみる。
 
――――――――――――――――――――
【分かっちゃいるけどやめられな対策】
――――――――――――――――――――
①≪分かっちゃいるけどやめられない≫状況に
 ならないための武器
 【心が豊かになることを優先する】
  →私の心が豊かになること
  ・ヨガや体操
  ・散歩
  ・CAFÉ TIME
  ・景色を見る
  ・ドライブ
  ・朝日を見る
  ・書き物をする
  ・本を読む
  ・友達や好きな人と過ごす
  ・お風呂
 
 【好きなことをする時間を増やす】
 →私の好きなこと
  ・書くこと
  ・体を動かすこと
  ・LUNCHやCAFÉに行くこと
  ・おしゃれをすること
  ・音楽を聴くこと
  ・ウィンドウショッピング
  ・手紙を書く
  ・小物をつくる
  ・パソコンで作品をつくる…
 
②≪分かっちゃいるけどやめられない≫状況に
 なりそうな時の武器
 【メリット・デメリット作戦】
 ◎過食してる時
  →メリット
  ・幸福感に満たされる
  →デメリット
  ・太る
  ・むくむ
  ・後悔する
  ・自分が嫌いになる
  ・次の日食べるのが怖くなる
  ・夜食べるために朝昼を我慢するという
   悪循環に陥る
 ◎過食を我慢できた時
  →メリット
  ・痩せる
  ・翌朝、嬉しい気持ちになる
  ・翌日、安心して食べられる
  ・食べることを制限しなくて済む
  ・無理に運動しなくて済む
  ・我慢できたことに自信がつく
  →デメリット
  ・ない!
 
③≪分かっちゃいるけどやめられない≫状況に
 なってしまった時の武器
 ・お風呂に入る!
 ・思い切って、外に出る!
 ・頑張って布団に入って目を閉じる!
 ・誰かに電話する、LINEする、会いにいく
 ・一人じゃない状況をつくる
 ・食べてるものをゴミ箱に捨てる
――――――――――――――――――――
 
うん。
いい。
 
「先生の言う通り、
こうやって書いて武器として
持っておくとすごくいいな。
退院したら部屋の壁に貼っておこう!
 ≪分かっちゃいるけどやめられない≫
状況の時はここまで
考えられなくなるし、
ノートを開く余裕もないし。」
 
よ~~し、
私は武器を手にしたぞ!
 
また少し、退院に自信がついた。
 


それでも。
 

夜は
元彼のことを思い出して
少し、胸が痛かった。

南さん

 
「そっか、別れたんやね。
でも、花ちゃんよかったばい!
別れたおかげで
あの水問題から解決したやん。
一件落着たい。」
 
「たしかに(笑)!」

水問題とは、
’水で病気が治る’という
家庭で育ってきた元彼が
疑いもなく、
水のパワーを信じていた件だ。
すっかり忘れてた。

そうだ。
いや本当、別れてよかった。

「花ちゃん、次ばい、次!
水問題のなか人と付き合おう!」

潔く明るくバッサリ過去を
切ってくれる南さん。
失恋で傷んだ心が救われる。



南さんは入院した日から
とてもよくしてくれた。

分からないことがあれば
ホイッと教えてくれて、
気持ちが落ち込んでいる時は
明るく相談に乗ってくれて。
相席風呂の時間はもちろん、
散歩しながら、
時にはベランダで
互いの過去や恋愛話をしたり、
病院の裏話を
聞かせてくれたりした。
 
OTの時間も
隣でお喋りをしながら、
皮ひもの編み方や
ビーズアクセサリーの
作り方を教えてくれた。
 
食堂に行けるようになってからは
いつも気にかけて誘ってくれて、
病棟の出入り口で
私が来るのを待っていてくれる。
行くのが遅れた時は心配して
私の食券を持って
部屋まで呼びにきてくれた。
 
食事中、上手く食べれず
落ち込んでいると、
「私、こんなに
ご飯食べよるばってん、
散歩しよるけん
痩せてきたば~い。
やけん花ちゃん、
このおかず食べても
全然大丈夫ばい。」
と背中を押してくれた。 

ご飯が怖くなって
泣きそうになっていると、
「無理しなくていいけん。
今日はもう行こうか。
また次食べたらよかたい。」
と立ち上がらせてくれた。
 
摂食障害の経験がある南さんは、
私の気持ちを分かってくれていた。
初めての入院生活が
心細くなかったのは、
南さんの存在があったからだと思う。
 
事あるごとに私を誘ってくれて、
「これしよう」
「ここに行こう」
そう言われれば賛同した。

 たまに
’私って南さんの
金魚のふんみたいだなぁ’
と思うこともあった。
 
南さんは
優柔不断な私とは正反対の性格。
好き嫌いがとてもハッキリしている。
したくないことは遠慮せず断るし、
食事も気分が乗らない時は
「今日は一人で食べるから」と言って、
病棟のメンバーと距離をとる。

それをワガママと
捉える人もいたけど、
自分にはできないことを
できる南さんは
すごいと思った。
 
そんな南さんは
『感情カード』というものを
首から下げていた。

感情カード

 
「楽しい」
「穏やか」
「悲しい」
「イライラ」
「穏やか」
 
南さんが首にぶら下げている
『感情カード』には一枚一枚、
今の感情を表す言葉と
その言葉を表現したイラストが
描かれていた。
イラストは南さんお手製。
可愛かった。
 
南さんはこの『感情カード』を使い、
その日の気分を
私たちに提示してくれていた。
 
特にマイナスの感情の時に
使っていたように思う。
 
南さん以外にも、
感情表現が
上手くできない子どもたち、
自分の気持ちを
表情や行動や言葉で
表現できない患者さん、
発達障害の患者さんも使っていた。

病院にはいろんな人がいる。
悲しいのに笑ったり、
辛いのに明るく振る舞ったり、
右に行きたいのに左に行ったり。
感情と行動が相反する症状を
抱える患者さんたちもいた。
話を聞くと、
感情を隠さないと
暮らせなかった家族環境や、
感情を押し殺さないと
生きていけない過去を
抱えていた。
 
でも、そんな人たちでも
『感情カード』があれば、
「私は今イライラしています」
というのを言わなくても
相手に伝えることができるし、
「なにか辛いことでもあった?」
とカードを介して会話もできる。
 
そして、
周りが今の自分の感情を察して
受け止めてくれることで、
「自分の気持ちを表現していいんだ」
という自信が少しずつ芽生えてきて、
『感情カード』がなくても
自分の感情を表情に映すことが
できるようになっていくのだ。
 
一見、自分の気持ちを
表現できているように
見える南さん。
だけど、
実はそうじゃなかった。

図太く見えるのは建前で、
心の中はガラスのように繊細。
本当はいつも何かに怯えていて
芯は弱かった。

仲良くなって分かった。
彼女は彼女で苦しんでいたのだ。

アルコール依存症、鬱病、
摂食障害などの精神障害、
自殺未遂。
そうなってしまうほどの
深く暗い過去を抱えていた。
 
いろんな話をしてくれたけど、
本当のことを言えるのは
主治医だけのよう。
 
「由紀子先生のこと
大好きっちゃん!」
 
主治医とは
相性が良いみたいで、
診察がある日は子どもみたいに
朝からソワソワして、
順番が呼ばれるのを
今か今かと待っていた。
時間が押すと、
今日は診てもらえないんじゃ
ないかと、ひどく焦っていた。

自慢は弱さを隠すため?

 
シングルマザーの南さんはよく、
別れた旦那さんの話をしていた。
 
「ず~っと連絡くるとばい。
気持ち悪かよね。
やっぱりお前がよかったって。
もう何年経つと思っとるとやか。」
 
「失って気づくってやつですね。」
 
別れた旦那さんのことを
度々けなす南さん。
その割には
好意を持たれていることを
嬉しそうに話す。
LINEの返信がないと
極度の心配にかられて、
「ね、なんでと思う?
私なんかしたとやか?」
と不安定になっていた。
 
私には
「悩んでる時間がもったいなかよ」
とアドバイスしてくれるけど、
自分のこととなると
話は別みたいだ。
 
もしかしたら南さんも
私と同じように、
人から嫌われることが
怖かったのかもしれない。
 
そして南さんは
かなり恋愛体質であった。
本人が意識しているか分からないが、
思わせぶりが上手だった。
 
煙草が吸える休憩所は
看護師の目も離れ、
違う病棟患者や通院患者とも
自由に交流ができる。
気さくな南さんは
その場にいる男性と
すぐ親しくなって
集団でお喋りしていた。
 
そして。

「ね、花ちゃん、
高橋君ってもしかしたら
私に気があるとかいな?」
 
「松戸君からアドレス教えて
って言われたとばってん!」
 
「将司君てさ、
ずっと私のこと見てない?
見てるよね?」
 
仲良くなる男性は
みんな自分に気がある、
と言わんばかり。

それに対して私が、
 
「南さんモテますよね。」
 
「南さんキレイで明るくて
話すと元気もらえるから、
気になっちゃう男性の
気持ち分かります。」
 
「たしかに将司さん、
南さんが来ると姿勢が
変わりますよね。
私なんて目合ったことないですよ。」
 
そう話に乗ると、
 
「やっぱりそうだよね~~~。
いや~~~、どげんしよう~~!
モテて困る~!」
 
びっくりするくらい
テンションがあがって
満足そうだった。
 
周りの男性は自分に気がある。
そう自分で実感した彼女は
グンと元気になって
調子も良くなっていった。
「連絡がない」と落ち込んでいた
元旦那さんのことは、
すっかり忘れたようだ。
 
元気の源は
何だっていいと思う。

だけど、
精神障害を抱えている
男性たちを相手にすることや
恋愛対象に見ることは、
私には考えられなかった。

病棟恋愛


数日後、ベランダにいると
南さんが嬉しそうに話しかけてきた。
OTの作業中につくった
皮ひものブレスレットを、
将司君にプレゼントしたという。
 
「え、南さん、
将司さんに興味あるんですか?」
 
「う~~ん?どげんやろう。
喜ぶかな~と思って。
あげたらやっぱり、喜んでたよ!」
 
「そりゃそうですよ。
将司さん、南さんが自分に
気があると思っちゃいますよ。」
 
「そうかな?はははは。」
 

…純粋に南さんが心配だ。
 
せっかく入院しているんだから
恋愛に走るより、ちゃんと
アルコール依存症に向き合って
治療をして欲しい。
また入院しないでいいように。
息子さんに会えるように。
 
そんな心配をよそに、
南さんの恋愛モードは加速していく。
 
「ね、花ちゃん聞いて!
今日ね、
丘の上で一人ベンチに居たら
高橋君が話しかけてくれて。
ミサンガつくってる話をしたら、
『じゃあ、俺にも
ミサンガつくってくれん?』
って言われたんよ~。
ね~、絶対私に気があるよね。」
 
いや、どんな流れ?
30代にもなってミサンガつくってと
求める男もどうなん?
将司さんは?
それに高橋くんが煙草を吸う時間を
見計らって外に出たのも知っている。
 
いろいろ言いたかったけど、
恋愛体質の女性は
止められないもの。
 
「普通に考えて、
好意がない女性に
『ミサンガつくって』とは
言わないと思いますよ。」

南さんの乙女話に
上の空で返事をした。
 
翌日、早速OTの時間に
ミサンガをつくり始める南さん。
 
「ね、高橋くん
何色が似合うと思う?
緑やか?青やか?」
小声で私に聞いてくる。
 
「緑系ですかね?
アクセントに黄色とか混ぜたら
高橋君っぽいかもです。」
 
「そうだね。ありがとう!」
 
10代の女子のように
ウキウキしながら
ミサンガを編む南さんは
可愛かった。
 
3日後。
 
「できた~!
ね、お揃いにしちゃった。」
 
「早いですね~。上手!
しかもお揃いですか!
南さんは高橋君のこと
好きなんですか?」
 
「へへ。どうやかね~。
まだ向こうの気持ちが
分からんけんね~。」
 
いや、好意がないと
お揃いはつくらないだろう。
そう突っ込みたかったかったけど、
グッと堪えた。

南さんは
高橋君にブレスレットをあげて、
さりげなく自分も
お揃いのミサンガをつけるという、
健気な乙女作戦を
実行しようとしていた。
 
「今日、水曜だから
午後煙草吸いにくると思うけん、
その時渡してみるわ。」
 
「わ~、ドキドキですね。」
 
中学生の恋愛漫画みたいで
私もドキドキしながら
結果を楽しみに待った。
 
そして午後、
南さんが散歩から帰ってきた。
 
「花ちゃん、渡せたよ~。
『本当に作ってくれたの?』だって。
ぎゃん喜んどらしたばい~。
つけてって言われたけん、
手首につけてあげたよ~。」
 
それは可愛い。
 
「わ~!良かったですね!
つける時ドキドキしたでしょ?」
 
「ドキドキじゃなくてバクバクよ。
でね、『あれ?同じやつ?』って
私の手首のミサンガに気づいてくれて。」
 
「きゃ~!
南さん、なんて言ったんですか?」
 
「『お揃いにしたいなと思って。
ただそれだけ。』って。」
 
「それ、キュンとするやつ!
2人だけの秘密って感じでいいですね。」
 
「やだ、花ちゃん、恥ずかしか~~!」
 
何歳になっても恋愛話は楽しいものだ。

 

恋愛禁止


高橋君との恋愛に盛り上がる南さん。
だけど、なぜ南さんが
高橋君に好意を寄せているのか、
肝心な部分がよく分からなかった。
 
自分に気がある人に乗ってみたら、
自分もハマってしまったパターン?
恋に恋している感じもした。
 
でも、恋のはじまりって
そんなものかもしれない。
心配しなくていいか。
 
ただ、
なぎ総合心療病院では
治療の面から
患者同士の距離を保つこと、
連絡先の交換は禁止という
ルールがあった。
もちろん、恋愛も禁止。
 
健全じゃない同士が
親密になり過ぎると、
片一方の言動や体調に
もう一方も引きずられて、
共に精神状態を
崩す可能性があるからだ。
 
案の定。
 
「今日の煙草さ、
同じ場所におったっちゃけど
隣の重岡ちゃんとばっかり
喋りよらした。」
 
「今日は目すら会わなかった。
ま、こっちも
どうでもよかとばってんね。」
 
高橋くんのちょっとした言動で
勝手に傷つき落ち込む南さん。
自分を守るために
予防線を張っていた。
 
かと思えば、
 
「ね!!!!花ちゃん、
アドレスとLINE教えてって
言われたとばってん!!!
どげんしよう~~~。」
 
「え?そうなんですね!
教えるんですか?」
 
あっという間に
テンション最高潮。
相手に左右されすぎて心配…。
もちろん、
連絡先の交換は禁止だ。
 
「うん、
教えるくらいいいかなって。
高橋君はグループホームだから
携帯は所持できるごたる。」
 
大丈夫かなと思ったけど、
惹かれあう2人を
止めるのもおかしい。
 
どんなにルールが存在しても
破る人たちは破るものだ。
ルールを守れないのは
その人の弱さだから。
 
2人は外出許可が出た日に
デートを重ね、
同じ心の傷を分け合うことで
どんどん親密になった。

秘密のカップル


なんでも、南さん曰く
高橋君も家庭環境に
恵まれなかったという。
この前は互いに泣きながら
過去をいたわり合ったらしい。
 
どんどん恋愛にのめり込む南さん。
「本当は弱い高橋君の心を
私が守らなきゃ」
という意志に駆られていた。
 
そして。

2人は付き合うようになった。
秘密のカップルの誕生だ。

「南さん、よかったですね!」

「うん、花ちゃんありがとう。
高橋君、息子がおることも
理解してくれて…感謝ばい。
生きてればいいことあるんやね。」
 
普通なら「おめでとう」と
お祝いしたいところだが、
「おめでとう」とは言えなかった。

大人になっても欲に負け、
ルールを破って付き合う2人が
単純に心配。

それに、
どちらかが健全ならまだしも
高橋君も南さんと同じく、
アルコール依存症だったのだ。
 
依存症同士の2人が付き合うことは、
長い目で見た時に
あまり良いことではない気がした。
互いに依存し合い、
いつか破滅の道を
辿ってしまうのではないかと…。
 
でも。
 
私の心配をよそに
2人は順調で、
南さんの精神状態は落ち着いていた。
愛がパワーとなっているようだった。
 
もしかしたら、
お互いにとってお互いが
お酒に代わる、
良い依存先だったのかもしれない。
 
それから、南さんは
彼氏グループと
ご飯を一緒に食べるようになった。
男性たちと喋る南さんは
誇らしげで楽しそう。

南さんが幸せなら
それがいいと思った。
 

 
私も新しく入ってくる
若い患者さんたちと仲良くなり、
一緒に過ごす時間が
次第に減っていった。

親に愛されなかった瑠衣ちゃん


スカイブルーの髪の毛をした
女の子が入ってきた。
 
彼女の名前は
星村瑠衣ちゃん、28歳。
ビジュアル系のハードな服に
スカイブルーの短髪。
体型はふっくらとしていて、
派手なファッションの割には
いつもスッピン。

初めて見た時は
L'Arc-en-Cielのファンかな?と思った。
 
自由時間はいつも
イヤホンをして、
目を閉じて音楽を聞いていた。
人との接触を拒むように、
何かを掻き消すように、
違う世界に没頭するように。
 
話しかけにくい雰囲気だったけど、
自分も入院した当初は
殻に閉じこもっていたので、
『もしかしたら瑠衣ちゃんも
同じかもしれない』と思い、
声をかけてみた。
 
「瑠衣ちゃん、
いつも何を聞いてるの?」
 
「EXILEだよ。」
 
L'Arc-en-Cielじゃなかった。
 
「わ、瑠衣ちゃんEXILE好きなんだ。
私も初期のメンバーの時聞いてたよ~。」
 
「初期メンもいいよね。
私、TAKAHIROが好きなんだ。」
 
「TAKAHIRO!
イケメンで歌上手いよね~。」
 
そんな会話をきっかけに、
瑠衣ちゃんは少しずつ
私に心を開いてくれるようになった。
 
おススメの曲を聞かせてくれたり、
EXILEのアルバムを貸してくれたり、
一緒に散歩したり。
 
そんな瑠衣ちゃんは
重度の統合失調症だった。
言葉と表情が一致せず、
喜怒哀楽の感情が見えにくい。
他にも様々な精神病を
抱えているようで、
人形のような異質な雰囲気がある。
 
そんな彼女にとって
歌は心の救いだったのかもしれない。
髪色を派手にすることも
きっと、彼女なりの意味があるんだ。
 
実は、瑠衣ちゃんも再入院だという。
入院して2週間目の外出では、
髪の毛を緑色にして戻ってきた。
 
「瑠衣ちゃん緑色もステキだね。
似合ってるよ。」
 
「そう?自分でしたんだ!
花ちゃんみたいに
可愛い子から言われると嬉しいな。」

「自分でしたの!?
美容室でしたみたいに
キレイに染まってるね!」

「わぁ、そんなに言ってもらえて
嬉しいよ。ありがとう、花ちゃん。」
 
無表情だけど、
言葉で喜びを伝えてくれる。

瑠衣ちゃんは
心がキレイな子だった。
 
「花ちゃんが友達になってくれて嬉しくて。」
 
「髪の色、褒めてくれてありがとう。」
 
そう言っては
喜びを表現するのが苦手な代わりに、
OTでつくったブレスレットやミサンガを
私にプレゼントしてくれた。
 
「わ~!ありがとう!
すごく嬉しいよ。カバンにつけとくね。」
 
入院している私たちは
プレゼントの手段が限られている。
女性の患者さんはよく、
OT中にプレゼントをつくって
家族や看護師さん、
一緒に過ごす患者さんへ
感謝の気持ちを伝えていた。
 
小物入れには瑠衣ちゃんからの
心のプレゼントが溜まっていく。
 
「あの子、ちょっとキモくない?
スッピンなのに
髪の色すごいし。」
 
南さんはそう言っていたけど、
人には‘それをしたい’事情と
いうものがある。
 
私は瑠衣ちゃんの心に
寄り添ってあげたいと思った。
 
深くは聞けなかったけど、
EXILEのリストバンドをしている
その手首には、
リストカットをした傷が
たくさんあったのだ。
 

 
瑠衣ちゃんは
よくお母さんと一緒に食堂で
ご飯を食べていた。
 
家族が面会に来ない
患者さんも多い中、
瑠衣ちゃんにはちゃんと
味方がいるんだなと思って
安心していた。
 

そんなある日。
 
「花ちゃん、私ね
花ちゃんに相談があって。」
 
「ん?相談? 全然いいよ~。」
 
散歩中、意を決したように
瑠衣ちゃんが話しかけてきた。

「相談というか、
私の過去を聞いて欲しくて…。」
 
「え、過去?どうしたの?
私で良かったら聞くよ。」
 
「ありがとう。



…あのね、実は私ね、
親から愛されなかったんだ。」
 


「…え?」


 
瑠衣ちゃんの過去は
想像を逸脱していた。


 

名前がなかった


「両親から愛されなかった?
どういうこと?」
 
瑠衣ちゃんのいきなりの告白に
動揺する。
 
「私ね、入院するまで
一度もお母さんから
名前を呼んでもらったことなかったの。」
 
「は!?え?どういうこと?」
 
衝撃が走る。
 
「今までずっと
ネグレクトされてたの。
いわゆる育児放棄。」
 
「ネグレクト?
今までって、
小さい時からずっと?」
 
「うん…。
名前を呼ばれたことは
なかったし、
目を合わせて
話をした記憶もなくて。」
 
「嘘でしょ…。
そんな親いるの?
信じられない…。
で、でも、
一緒に暮らしてたんだよね?
瑠衣ちゃんのこと
呼んだりしなかったの?
どう生活してたの?」
 
「呼ぶ時は『おい』とか
『ブタ』とか『ブス』って
言われてたよ。」
 
「何それ…。
信じられないよ…。」
 
なぜ瑠衣ちゃんが
極度に自尊心が低いのか、
この話を聞いただけで分かった。
 
「そもそもお母さんね、
仕事終わったら
パチンコに行ってたから、
ほとんど家にいなかったの。
ご飯をつくってもらった
記憶もなくて。」
 
「え、ちょっと待って
どういうこと?
ご飯どうしてたの?」
 
「物心ついた時には
テーブルの上に
1000円置いてあったから、
そのお金で
自分で買って食べてた。」
 
瑠衣ちゃんの一言一言に
衝撃を受ける。
 
「そんな…。
ねっ、お父さんは?」
 
「お父さんは
もう亡くなってるの。」
 
「そう…。」
 
「でも…正直ね、
亡くなってよかったて思う。」
 
「え?」
 
「お父さんに
虐待されてたから…。
お父さん酒飲みで。
毎日、お酒を飲んで
家で暴れたの。
だからお母さんも
パチンコに行ってたんだと思う。」
 
育児放棄の母親に
虐待する父親。
 
幼い頃の瑠衣ちゃんの
気持ちを考えると
胸が張り裂けそうだった。
 
「そうだったんだ…。
お母さん、
家にいて守って欲しかったね。
お母さんに助けを求めたりも
できなかったんだよね。」
 
「…うん。
パチンコから返ってきても
虐待されている私を
見てみぬ振りしてたし…。
なにか口ごたえしたら
お母さんにも叩かれてたから…。
何も言えなかった。」
 
「え?
お母さんからも叩かれてたの?」
 
「うん。
私が良い子にしてないから。
パチンコで負けたり、
何か気にくわないことがあったら
八つ当たりされてた。
 
真冬にお父さんお母さんに怒られて、
素足のままベランダに一晩
追い出された時は辛かったなぁ。」
 


言葉を失った。
根が深すぎる。
 
人の家族だけど、
本当に本当に
最低な母親と父親だと思った。

誰にも言えない秘密


 「瑠衣ちゃん、
本当に辛かったね…。
よく今まで生きてきたね。」
 
「花ちゃん、ありがとう。
でも、小さい頃から
それが私の日常だったから、
それが普通って思ってたの。
 
でも、中学生くらいから
うちの家はおかしいのかも
しれないと思い始めて。
私、体罰を受けてるのかもって
気づいたの。」
 
「そう…。
友達とかに相談したりは?」
 
「ううん。
上手く人と喋れなかったし、
なんだか話しちゃ
いけないような気がして。
言ったら2人に殴られる気がして…。
おかしいと思っていたけど、
誰にも話せなかった。」
 
「本当に?
瑠衣ちゃん…信じられないよ。

私、中学生の頃の
瑠衣ちゃんに言いたい。
普通のお母さんは名前で呼ぶし、
目を合わせて会話するし、
ご飯もつくってくれるよって。
お金を置いて
放置したりしないよって。
誰かが傷つけようした時は
守ってくれるよって。」
 
気がついたら涙が出ていた。
 
「花ちゃん、ありがとうね。
そんなに私のこと想ってくれて。」
 
統合失調症の瑠衣ちゃんは
焦点が定まっておらず、
感情が表に見えにくい。
台本を棒読みしているかの
ような喋り方で、
声にも心が見えない。
 
でもその理由がやっと分かった。
 
「あと花ちゃん、
これもはじめて
人に話すんだけど…。」
 
「え、何?どうしたの?」
 

次の一言に私は
さらなる衝撃を受けた。
 

性的虐待


「私ね、お父さんから
性的虐待受けてたんだ。」
 



!!!



「嘘…。」
 

言葉にならなかった。
 
思わず瑠衣ちゃんを抱きしめた。
もうその一言で充分だった。
 
「そう…。
そうだったんだ…。
よく話してくれたね。
辛かったね。」
 
「うん。辛かった、かな。
今、初めて人に言えた。
花ちゃん、
聞いてくれてありがとうね。」

「うん、うん。」

「そうなの。
お母さんが夜
家にいないからその間に…。
中学生の頃からかな。
いたずらみたいなのは
小学生の頃からかもしれない。
 
最初は何をされてるか
よく分かってなくて。
性的虐待なんだと気づいてからも、
それ以上に殴られたり
体罰を受けることが怖くて…。
誰にも何も言えなかったの。

殴られる痛みに比べたら…
我慢するほうがマシだったから。」
 
「うん、うん。
瑠衣ちゃんは
なんにも悪くないよ。」
 
「だからね、
お父さんが亡くなって
安心したの。
お父さんが死んで
安心するってひどいよね。」
 
「ううん、そんなことないよ。」
 
守ってくれる人が
いない家で生きてきた
瑠衣ちゃんの心は、
どれだけの傷を
負っているんだろう。
 
「でね、
現実の世界を知ってから
反動で非行に走っちゃって。
 
煙草とかシンナーとか
リストカット…
いろんなことやったの。
今度は私が家に帰らなくなって。
当時付き合ってた彼氏の家で
暮らしてたんだ。
 
今まで両親から
愛をもらったことがなったから、
自分のことを
必要としてくれる人がいることが
すごく嬉しかったの。
 
でも…。」
 
「え?」
 


何?他にもまだ何かあるの?

愛に報われない人生


「ある日ね、
彼氏の部屋にいたら
いきなり彼氏の友達が
2人入ってきて…。



レイプされたの…。」
 

え?

これは現実?

漫画やドラマのような
現実離れした話しに、
夢でも見ているんじゃないかと
疑うほどだった。
 
「で、途中でドアが開いて。
彼氏が入ってきたの。
よかった!
助けてくれる!って思ったんだ。

でも、彼氏まで
ベッドに入ってきて…。


もう何がなんだか分からなくて。

私のこと好きじゃなかったんだ、
利用していただけなんだ、
全部偽物だったんだ、
やっぱり私は愛されないんだ。

もういいや…
って無気力になって…。
 
それから世の中のこと全部に
諦めの気持ちが
芽生えちゃったんだ。
どんなに抵抗してもダメなんだって。
私は夢を見たらダメなんだ、
私は愛を望んだらダメなんだって。 
心がおかしくなり始めたの。
 
今は普通に生活したり、
仕事することも難しいんだ。」
 
「そう…。」


誰もが平等に与えられる命。
 
なのに、どうしてこんなにも
傷を負い続けなければいけない人が
いるんだろう。
 
愛を知らずに育ち、
愛に傷つけられた愛ちゃん。
その心が抱えているものを
私が分かることなど到底できない。
 
人生は諦めるものだと
学んでしまった愛ちゃんは、
泣くことも声色も変えることもなく、
衝撃の過去をたんたんと話す。
 
昔、『ITと呼ばれた子』という
外国の本を読んだことがある。
親からITと呼ばれ、
ひどい虐待に合い、
複雑な精神病を抱えた子供の話だ。
 
そんなこと現実であるのかな?
なんて思ったけど、
『ITと呼ばれた子』が
今、目の前にいる。
 
瑠衣ちゃんと比べたら
私の抱えているものなんて
かすり傷だ。
 
「私、髪の色こんなんだし、
ブスでデブで気持ち悪いでしょ?
でも、花ちゃん
こんな私にも
普通に話しかけてくれて。
花ちゃんみたいな
お洒落な子が友達になってくれて、
本当嬉しかったの。
今までそんな経験なかったから。」
 
「そんな…友達になるのに
容姿も過去も関係ないよ。
私も瑠衣ちゃんも
何も変わらないよ。
瑠衣ちゃんの心、キレイだよ。」
 


この時、
私の中でいろんな概念が崩れた。
 


今まで私の周りには
明るくて元気で、
可愛くてお洒落で、
才能も豊かな友達が多かった。
 
その世界で当たり前のように
生きていたから、
疑うこともなく
それが私の基準になっていた。
 
私もそうあるべき。
みんなみたいに
ステキになりたい、と。 

でも、違ったんだ。
今まで見ていた世界は
たった一部で、
その世界のようになる必要は
なかったんだ。 

例えばこの病院にいるのは
どうしようもない心の傷を抱え、
「当たり前のことが
できるようになりたい」
と頑張っている人ばかり。
自分に与えられたものの中で、
みんな一生懸命生きている。

こういう世界もある。
そして、
他にもいろんな世界がある。

住む世界が変われば、
基準は全く変わる。
大事なものが変わる。
価値あるものが変わる。

私は理想が高すぎたんだ。
自分でつくりあげた
高い理想の中で、
勝手に人と比べて
苦しんでいたんだ。

人は容姿とか
暮らしている環境とか
体裁とか地位とか、
そんなもので測るもんじゃない。
そもそも比べなくていい。
どんな人にも意味があるんだ。
 
今、存在していることが
もう素晴らしいんだ。                                                          
 


『こうあるべき自分じゃないと許せない』

そう頑なに絞めていたネジが、
瑠衣ちゃんと話していく中で
緩んでいくのが分かった。
 
「花ちゃんありがとうね。
実はね、私も一時期、
摂食障害で38キロまで体重が
減っていた時期もあるんだ。」
 
「そうなの?」
 
今ふくよかな体型をしている
瑠衣ちゃんからは想像できない。
 
今まで関わってきた
若い女性の患者さんの多くは
摂食障害の経験があった。
そして、
新たな精神障害で悩んでいた。
 
「今はこんなに
ぽっちゃりしてるけど(笑)。
睡眠薬のせいか
夜、夢遊病みたいになって
寝ぼけながら
過食するようになってね。」
 
「わっ!それすごく分かる。
私も睡眠薬が効いてる時に、
駆け込むように過食しちゃって!
それが毎晩続いて、
自分で自分をコントロール
できなくなって入院したの。」
 
「本当、スイッチ入ったら
止まらないよね。
私それで20キロ以上、
体重増えちゃって。
そういう人たち多いのかな?」
 
「なんかそういう事例も
最近報告されているみたいだよ。
睡眠薬というか、
薬ってやっぱり怖いわ。」
 
「ね。薬は怖いよ。」
 
心の安定を保つために
様々な薬を服用し、
表情も行動も
不自然になってしまった
瑠衣ちゃんが、
うっすら微笑みながら言う。

それでも愛してる


「私さ、たまに
瑠衣ちゃんがお母さんと
食堂でご飯食べてる姿を
見かけてたから、
てっきり仲が良いと思ってたよ。 
今は大丈夫なの?」
 
「うん。そうなの。
私が今回、
精神崩壊して入院してから
やっとお母さん、
私の大切さに
気付いてくれたみたいで。」
 
「そうなんだ。
びっくりするくらい
遅すぎるけど、
気づいてもらえたんだね。」
 
「そう。でね、
入院して初めて私のこと
名前で呼んでくれたんだ!
もう、本っ当に嬉しくて。」
 
そうだよね、そうだよね。
だって自分のお母さんなんだから。
 
瑠衣ちゃんは今、
28歳にして初めて
親から愛をもらってるんだ。
 
「お母さん
すごく優しくなったんだよ。
これまで私のこと
上手く愛せなかった分、
今とっても
大事にしてくれてるの。
赤ちゃんみたいに
愛してくれるの。
抱きしめてくれたり、
ヨシヨシしてくれたり、
ご飯食べさせてくれたり。」
 
え?

ちょっと行き過ぎてない?
 

でも…。
 
今はそういう期間でも
いいのかもしれない。
 
「そうなんだね。
きっとお母さん、
昔できなかったことを
今、瑠衣ちゃんに
してあげてるんだね。」
 
「そうなのかな。
私、今はじめて
お母さんの愛を感じてて。
今、人生の中で一番
嬉しくて幸せなんだ。
今までお母さんにとって、
自分はゴミみたいな存在だと
思ってたから。」
 
そうだよね。
今はじめて愛を知ったんだ。
嬉しいに決まってる。
 
「実は今…
赤ちゃん返りしてしまってて。
先生からは
距離が近すぎるから
離れなさいって言われてるんだ。
でも、私やっと
お母さんの子供になれて
嬉しくて…。」
 
はたから見たらそうかもしれない。
でも、今までの話を聞いたら、
いけないことでもない気がした。
 
「先生は知らないんだ。
私が花ちゃんに話したこと。
ぼやかしてしか伝えてなくて。」
 
「そっか。言いにくいよね。
でも…瑠衣ちゃんの
これからのためにも
話したほうがいいんじゃないかな。
新しいことが
見えてくるかもしれないし、
治療の方針も変わって
病気も早く快復するかもしれないよ。」

健康とは程遠い
瑠衣ちゃんの表情を見つめる度、
心が痛くなる。

「うん…。
分かってはいるんだけど…
もし、本当のこと言ったら
お母さんが可哀想でしょ?
 
私、お母さんのこと
大好きなんだ。
私が真実を話すことで
お母さんがなにか言われたり、
離れ離れになったり、
嫌われでもしたら…
それこそ私耐えられない。」
 
「そっか…。」

生きてきて28年、
お母さんから
愛されず育ったはずなのに…。
 


それでも瑠衣ちゃんは、
お母さんのことが大好きだった。

 

ラクになって欲しい


「瑠衣ちゃんが
お母さんのこと大好きな気持ちも
すごく分かるよ。
だからこそ、
2人のこれからの未来のために
私は伝えたほうが
いいと思うけどなあ。
 
それにね、
本当に瑠衣ちゃんのことを
想っている人は、
どんなことがあっても
離れていかないよ。

私はまず、
たくさん傷を負った
瑠衣ちゃんの心を
治すのが優先だと思うの。
 
瑠衣ちゃんはどうしたい?
お母さんのこと抜きで考えたら
瑠衣ちゃん自身はどうしたい?」
 
「私自身…?
私自身は…話したいなと思う。
 
実は、今までも何回か
先生に話そうとしたんだけど、
どう話していいか分からなくて。」
 
「そっか…。
でも難しくないよ。
私に話してくれたように
先生に話したらいいんだよ。
順番なんか考えなくていいし、
思ったことから話していいから。
大丈夫だよ。」
 
「でも、自信がなくて…。
私さ花ちゃんみたいに
すんなり言葉にできないし、
上手くまとめられない。」
 
「そっか。そうだよね。
すんなり言えたら
こんなに抱え込んでいないよね。

あ!それなら伝えたいことを
紙に書いてみたらどうかな?
自分の過去を
年表風にまとめてみるとか。
そういうのが手元にあったら、
少しだけ伝えやすくなるかも!
もし診察で言えなくても、
書いた紙を先生に
渡したらいいと思うし。」
 
「そうか。
それいいかも…。

花ちゃん。
あのね、自分で考えてみるけど
もし上手く書けなかったら…。
その時は書くの
手伝ってもらってもいいかな?」
 
「もちろんだよ。
一緒に何を伝えたいか考えよう。」
 
「花ちゃん、本当にありがとう。」
 
「全然!こちらこそ
大事なこと話してくれて
ありがとうね。
瑠衣ちゃんの人生、
これからだから!
まず大事なことを伝えよう。」

「うん、ありがとう。」
 



 
数日後…。
 
「花ちゃん、
年表書こうとしたんだけど
どう書き出していいのか
変わらなくて。
やっぱり…一緒に書いて
もらってもいいかな?」
 
瑠衣ちゃんが
紙と鉛筆を持ってやってきた。
 
「うん!もちろんいいよ! 
それに書こうと思った気持ちが、
もうすごいことだよ~。

じゃあ…あっ!
ロビーのほうで書こうか。
デイルームだと人がいるし。」
 
ロビーに移動する。
 
「何から書けばいいんだっけ?」
 
「そうだね。
瑠衣ちゃんはこの年表を書いて、
先生に一番
伝えたいことって何かな?」
 
「一番伝えたいこと?
う~~~ん、なんだろう?
自分にはこんな過去があって
それが今の病気につながっている、
って思っていることかな。」
 
「うん、うん。
じゃあ先生に
過去を知ってもらったあと、
どうしたいとかある?」
 
「過去を話したら…
きっと治療方針が
変わると思うから…。

変わらない今の現状を
どうにかしたい。
少しでも病気を治して
普通に暮らせるようになりたい。
お母さんからも自立したい。」
 
「瑠衣ちゃん…。
すごいやん、
ちゃんと分かってるやん、
これから自分がやりたいこと。

普通に暮らせるようになろう。
そして、そのためにも
まず伝えよう。」
 
その願いが少しでも叶うように、
瑠衣ちゃんのペースに合わせて
年表を書くサポートをした。
 
「できた!
こんなんでいいかな?」
 
瑠衣ちゃんの字は薄く、
なにかに怯えているように
歪んでいる。
 
「うん!これをもとに
話ができたらいいね。
もし話せなくても、
『私のこれまでの過去です』
って言って紙を渡したら
先生察してくれると思うから。」
 
「ありがとう。
明日の診察、頑張ってくるね。」
 
「うん!瑠衣ちゃん、
大丈夫だからね。
瑠衣ちゃんのこと
大切に想っている人は、
離れていかないから。」

それぞれの人生だから


だけど。
 


それから瑠衣ちゃんが
先生に過去のことを話したり、
年表を渡すことはなかった。
 
お母さんのことを想うと
どうしても話ができなかったという。
 
年表がきっかけで
やっと紡いだ愛が
なくなってしまうこと、
母親と離れてしまうことが
怖かったのだろう。
 
「今のままでも
充分治療になってるから。」
 
そう言う瑠衣ちゃんに、
これ以上なにか手伝うのも
助言するのも違うと思って、
私は自分の治療に専念した。
 


どんなに傷つけられても、
愛されなかったとして、
何歳になっても、
‘母親を守りたい’という気持ちは
変わらないものなのかもしれない。
 
そして、
どんなに周りがサポートしても
自分の困難を乗り越えるのは
自分にしかできないんだと思った。
 

私も変わらなきゃ。
 

どんな過去があったとしても、
症状が辛くても、
これからどうしていくかを
決めるのは自分の心だ。
 
過去の海に溺れてばかりじゃ、
病気の自分に溺れてばかりじゃ、
変われない。
 
ダメだと分かっていることを
思い切って断ち切り、
健全な方向に
目を向け進んで行けば、
過去にだって病気にだって
いつか勝てるんじゃないか。

そう思った。

南さんの裏切り


「花ちゃん、ちょっと話があって。」

ある日の散歩中、
瑠衣ちゃんにそう言われた。
また何かあったのかと思って
ドキッとした。

「どうしたの?」

「あのね、花ちゃん…
南さんと一緒にいると思うけど、
距離をとったほうがいいと思うんだ。」
  
「え?
どういうこと?」
 
「私、たまに喫煙所で
南さんと一緒になるんだけど…。
 
南さん、喫煙所で花ちゃんのこと
周りにいろいろ話してるよ。」
 
え?
 
「昨日も…花ちゃんが
一人で散歩してる時にね、
喫煙所にいた男の子が
『あの子可愛いけど
めっちゃ痩せとるよね』
って言ったの。

そしたら南さん、
『あの子、摂食だから。
普通に見えて
実は頭おかしいけん!』
って笑いながら
花ちゃんの病気のこと話してて。
 
私ひどいなって思ったの。
花ちゃんと仲良くしてるのに。」
 


え?
 
嘘でしょ?
南さんが??
 

血の気が引いた。
 
だってこの2カ月、
毎日のように一緒に居て
時には悩みを分かち合って、
励まし合って、
誰よりも仲良くしていた。
 
しかも、
瑠衣ちゃんの言い方から
そう言っていたのは
今回だけではないようだ。
 
病気のこと
励ましてくれていたのに、
本当はバカにしてたの?


…悔しかった。

自分の病気のことを
周りに話されていることも、
すごく嫌だった。


最初は瑠衣ちゃんが
嘘をついているんじゃないか、
そう思った。
南さんがそんなことを
言うはずがない、
私と南さんの仲が良いから
仲を悪くさせようと
しているんじゃないかって…。


 
でも、私ってそうだ。
人を信頼し過ぎるところがある。
昔から、仲良くなった人を
疑うことが好きじゃなかった。

友達が家に遊びに来たあと、
アクセサリーが
なくなっていた時も。
友達とカラオケに行ったあと、
財布からお札が
なくなっていた時も。
友達のせいにはできなかった。
違う理由を探して、
そのせいにした。
 
本当は疑いをかけることで、
友達に嫌われてしまうことが
怖かったんだ。
 
でも、
そんな人生を過ごしていたら
これからもきっと損をする。




変わらないと。

強くなりたい


 それから私は
南さんと距離をとることにした。
 
ご飯に誘われても
何か理由をつけて、
他の人と食べるようにした。
必要以上に
自分のことを話すことをやめた。
 
すると、
私の態度に不安になったのか、
冷たくするほど
南さんは近づこうとしてくる。

「ねえ、ねえ、
花ちゃんこれ~、あげる!」

「あ、大丈夫です。
高橋君にでもあげてください。」

自分の気分で
コロッと態度を変えたり、
適当に媚びてくる南さんに
嫌気がさした。
目が覚める思いだった。
 
私は都合よく使われていたんだ。
南さんの精神状態を保つために。
 
彼氏からの裏切りもあって
疑心暗鬼にもなっていた私は、
南さんの言うことを
信用することができなかった。
 
そして、決心した。
 
嫌だったこと、伝えよう。
言いにくいこと、伝えよう。
自分の気持ち、伝えようと。

嫌われる勇気


「南さん、
ちょっといいですか?」
 
「うん、どした~?」
 
私は吹っ切れていた。

南さんをベランダに誘う。


 
「南さん、
私、自分の病気のことを
人に言われるの嫌なんです。
だから、むやみに
周りに言わないでください。」

「え?」

南さんは面食らった顔をしている。
 
「みんなそれぞれ
デリケートな問題を抱えています。
言ってもらいたくないことも
あると思うんです。
私は言われたくないです。
 
それに…南さんが
息子さんに会えるよう
頑張ってるみたいに、
私だって瑠衣ちゃんだって
みんな頑張っています。
頑張っている人を
けなしたり笑ったりするのは、
やめたほうがいいと思います。」
 
この後、
南さんとの関係がどうなろうと
不安はなかった。

自分の気持ちを伝えたあとは
相手の課題だから。
  

「う、うん。
花ちゃん…分かったよ。」

南さんがどこまで
察したかは分からない。

私は自分の気持ちを伝えて、
その場を去った。

言いたかったことを言えて
とてもスッキリした。
 


それから。

南さんは最初の数日こそ
気まずそうだったけど、
しばらくすると、
以前と変わらず
接してくれるようになった。
そういえば、人のことを
悪く言わなくなった気がする。 

私もはじめは
裏切られた気持ちになったけど、
南さんのことを
心から嫌いにはなれなかった。

彼女がアンビバレントな
感情を持つ人だと知っていたから。

このことを
面会にきてくれた母に話してみた。
 
「南さん、本当は
花のこと好きだと思うばい。
好きだし羨ましいんだと思う。
あんたはなんでも
持っとるように見えるけん。
子供の頃も
そういうことあったやろ。
『なんでも持ってて羨ましい』
っていじめみたいなこと。
 
南さんもそういう気持ちが
体調が良くない時に、
ふと言葉に
なっちゃうんじゃないと?
私から見ても南さんは
花に良くしてくれてたし、
心があったよ。
お母さんに挨拶してくれるのも
南さんくらいばい。
 
とにかく!
花に悪いところはなかけん。
羨ましいって思うのは
相手の問題やけん。
気にしなくてよかよ。」
 
彼氏に引き続き、
南さんの裏切りに
ショックを受けていた私に
母は力強く、
そう言ってくれた。
 
「うん。ありがとう。
私もそう思う。
何回か南さんに手紙もらったけど、
大事に想ってくれとるの
伝わっとった。
本当に嫌いだったら
あんなに書けんと思う。
 
お母さんが言うように、
つい口にしてしまわしたとかもね。
『感情カード』ば
使いよらすくらいやもん。
本当は別の気持ちば
抱えとらすのかもしれんしね。
 
まぁ、いいや!
私はここに
治療をしてきてるとやけん。
わざわざ人間関係で
悩む必要なんかなかよね。」
 
「うん!」

’人のことが気になる、
気になるからこそ悪く言う’
そんなことは
日常でもあることだ。

人の言ったことや気分に
一喜一憂する必要はないんだ。
特にここは
心が不健康な人が集まっている。

南さんとの一件があってから、
私はこの病院で出会う人とは
どんなに理解し合えたとしても、
一定の距離を保とうと決めた。

それは
私生活や仕事においても。
どんなに好きで
信頼している人だとしても、
程よい距離感を保ち、
相手の課題には介入しない。
その上で勇気づけたり
励まし合おうと思った。

それに、
摂食障害のことを言われて
苛立ったのは私の弱さもある。
私はまだ摂食障害を
受け入れられていない。
摂食障害の自分を否定している。
だから、きっと
摂食障害のことを
他人に言われて悔しかったんだ。

これは私の課題だ。
 



そして何より、
この一件には感謝している。
南さんのおかげで、
今までの自分だったら
言えなかったことを
伝えることができたから。

これを言ったら
気まずくなるんじゃないか、
嫌われるんじゃないかとか。
未来や相手に怯えることなく、
言いたいことが言えた。
言いたいことを言っても
大丈夫なんだと、
学ぶことができた。

入院前より、
『嫌われる勇気』を持てている自分に
気づくことができた。

裏切りと思った経験も
今では人生の肥やしとなって、
私の身になっている。

退院の兆し


「朝野さん、そろそろ
退院後のことも
考えていきましょうか。」
 
診察中、
急に日高先生に言われた。
 
「え?」
 
今までそんな素振りが
なかったのでびっくりする。
 
入院してもうすぐ2カ月。
入院生活は最長で
3カ月の予定だった。

’予想よりも
快復が早かったのかな?’

思わぬ展開に、
嬉しいような焦るような
変な感情が湧く。

私の真面目で勤勉な性格は、
入院中も変わらなかった。
「生き方を変えたい」。
その目標に向かって、
日高先生から与えられる
課題の取り組みはもちろん、
病気や心の改善の本を
いろいろ読んで、
自分なりに勉強をしていた。
 
自分の病気を理解するため、
病院で行わる鬱病や睡眠障害の
ミーティングなどにも積極的に参加。
歪んだ認知を改善することに、
懸命に取り組んでいた。

入院している
この環境だからこそ
得られるものを、
できるだけ吸収したかった。
 
多分、私のような
勤勉なタイプの患者は少ない。
だいたいの人はのんびりしている。
だからといって、
病気について深く考える人の
退院が早いわけでも、
のんびりしている人の
退院が遅いわけでもない。
快復のスピードは人それぞれ。
病気の種類や患者さんの性格、
家庭環境、先生との相性、
いろんなことが関係している。
 
それに心の病は、
『これで治った』という
はっきりしたゴールがない。
退院についても、
‘熱が下がりましたね’とか
‘折れた骨がくっつきましたね’とか、
明確に判断できる『証』が
あるわけじゃない。
 
私も今は症状が安定しているけど、
摂食障害が治ったわけではない。
 
太るのが怖い気持ちも、
痩せていたい気持ちも、
食べるのが怖い気持ちも、
まだある。
日高先生もそれは知っている。
 
それでも、
私生活という『本番』に戻しても
大丈夫なくらいに、
心の準備が整ってきていると
判断されたのだと思う。
 
入院生活は『練習』で
退院してからが『本番』だ。
 

 
「朝野さん、
会社に復帰したいんだよね。」
 
「あ、はい。」
 
仕事を辞めるか、続けるか、
転職するか。いろいろ悩んだ。
 
だけどやっぱり書く仕事が好きだし、
働いている仲間も好きだし、
今の会社で頑張りたいなと思った。
それに、辞める勇気もなかった。
 
退院してしばらく休職するか、
すぐ復帰するかも悩んだ。
後者を選んだのは、
仕事の能力が落ちて
周りと差がついてしまうのが
怖かったから。
 
それに、暇な時間も怖かった。
昔みたいに家で一人、
過食してしまわないか不安だった。
暇な時間をつくらないためにも、
早く仕事がしたかった。
 
日高先生は
私の意見を尊重してくれた。
 
「では、今度
職場面談を行いましょう。
ソーシャルワーカーの行田さんに
日程調整をお願いしますので、
日にちが決まったら
またお伝えしますね。」
 
「あっ、はい。」
 


…職場面談。
 
ついに、きた。
 
なぎ総合心療病院では
さまざまな支援が行われていて、
退院の兆しが見えてきた
在職中の患者には、
『職場面談』がセッティングされる。

なぜなら、
患者が病気と付き合いながら
これからも仕事を続けるには、
会社の理解が不可欠だからだ。
 
健康な人が
当たり前にできることが、
私たち患者には困難だったり
手間がかかったりする。
過度にストレスを感じたり、
時には混乱してしまったり。
頑張る自分を
コントロールできなかったりする。
 
そういった私たちの
病気や症状のこと理解してもらい、
今の自分ができることや
協力してもらいたいことを
職場には伝える必要がある。
 
その上で、
患者と職場がそれぞれ求める要望に
折り合いをつけていく。
その場を
退院前に設けてくれるのだ。
 
なぎ総合心療病院での
『職場面談』は、
会社の上司と主治医と看護師、
患者とその家族で面談が行われる。
 
「もうそんな時期なんだな…。」
 
急にドキドキし出した。
 
また不安になってきた。

練習から本番へ


数日後。
 
「朝野さん、さっそくですが、
職場面談の日が決まりました。
上司の立花さんが
来てくださるそうです。」
 
仕事、早っ!

職場面談の
調整がついたことを
日高先生が教えてくれた。
  
久しぶりに上司の名前を聞いて、
ウルッときた。
社長が上司だった頃から
会社の体勢が変わり、
今の上司は立花桃子さん。
 
私は桃子さんのことが好きだ。
もともと一つ上の先輩で、
入社した当時から
どんなことにも動じず、
淡々と成果に向かって仕事を
こなす姿に憧れていた。
頭が良く、冷静で、判断も速い。
スタッフの育成も上手で
よき理解者でもあった。
私の頑張りも
いち早く認めてくれて、
それを社長に伝えてくれた。
昇格の足掛かりに
なってくれた人でもある。
 
「そうなんですね。
急にドキドキしてきました…。」
 
「大丈夫ですよ。
朝野さんは
たくさん練習してきました。
自信を持ってください。
会社にお願いしたいこと
全部伝えてくださいね。
 
素直な気持ち、伝えましょう。
自分の気持ちを伝えることは
悪いことではない。

朝野さんには
ちゃんと勇気がある。」
 
勇気。
私に勇気をくれたのは
あなただ。
 
「先生…。
ありがとうございます。
自分の気持ち、伝えます。」



それから私は、
職場面談でちゃんと
自分の言いたいことを
伝えられるよう、
スケッチブックに
会社への要望を
何度も書き出してまとめた。
 
―――――――――――――――――――――
・これからも働き続けたいこと
・その上で会社にお願いしたいこと
・職場環境で症状の悪化に
 つながっていたと思われること
・これから症状を悪化させないために
 会社に配慮して欲しいこと
―――――――――――――――――――――
 
こんなこと話しても大丈夫だろうか、
こんなに些細な
お願いをして大丈夫だろうか。
書きながら何度も不安になった。
 
だけど、自分にとっては
すごく大事なことだ。
伝えることは悪くないんだから。
 
何度も気持ちを書き出すことで
少しずつ本当に伝えたいことが
まとまってくる。
 


大丈夫。
私には勇気がある。
 
このスケッチブックがついている。

 

職場面談


あっという間に
職場面談の日がやってきた。

上司の桜子さんと
約2カ月ぶりの再会。
朝からドキドキと
ソワソワが止まらない。
OT中も気が気じゃなかった。
 
時計を見る。
10時20分。
 
「あと10分だ…。」
 
南さんや瑠衣ちゃんが、
「頑張ってね」
「花ちゃんなら大丈夫だよ」
と声をかけてくれる。
 
朝の集いで
患者の一日のスケジュールを
共有するため、
みんなこれから私に
職場面談があることを知っている。
 
普段喋らないような患者さんも、
「朝野さん、自信持ってね」
「朝野さんいつも真面目に
頑張ってたから大丈夫ですよ」
と勇気づけてくれた。
 
見ていないようで
ちゃんと見てくれているんだよね。
ありがとう。
ずっと共にしてきた仲間からの
応援に勇気が湧いてくる。

いつの間にか
一緒に過ごす患者さんのことを
『仲間』と思えているのは、
共同生活やミーティングの中で、
『共同体感覚』というものを
感じてきたからだろう。
 
あっ。
 
先に母が来た。
席を立つ。

母と面会窓口のほうで
上司の桜子さんの到着を
待つことにした。
 
「桃子さん、
ここまで来れるかな。
大丈夫かな。」
 
「言いたいこと言えるかな…。」
 
ドキドキする。
摂食障害になって入院した私を
会社はどう受け止めてくれるのだろう。
 
すると。

扉の向こうに、
桃子さんの姿が見えた。
 
「あ、桃子さんだ。
よかった~。ここまで来れて。」
 
実は職場から田舎にある
なぎ総合心療病院に来るには
結構、労力を要する。
 
職場から駅まで歩き、
電車に乗って30分、
バスに乗り換えて30分、
さらに停留所から徒歩10分。
待ち時間など考えたら
片道だけで2時間ほどかかる。
 
桃子さんは会社の中核を担う
管理職。とても忙しい。
そんな人が
摂食障害になった私を見捨てず、
病院まで来てくれたことに
言葉にならない気持ちが
溢れてくる。
 
「花子~、久しぶり~。」
 
微笑む桜子さん。
私は職場で‘花子’と呼ばれていた。
 
「桃子さん、お久しぶりです。
こんな遠いところまで
本当にありがとうございます。」
 
「全然よ~。
体調どう?元気にしてた?」
 
昔と変わらない桃子さん。
その笑顔に安堵したのか、
涙がポロポロ出てきた。
 
「桃子さん…。
こんな病気になってしまって
ごめんなさい…。
これまでも何度も病気になって
ごめんなさい…。
中途半端に仕事を投げ出して
ごめんなさい…。」
 
会社に対して思っていた気持ちが
涙と共に溢れ出る。
本当はとても怖かった。
見放されることが。
 
「何言ってるの~!
大丈夫。
何も謝らなくていいんだから。
花子は頑張り屋さんだから。」
 

桃子さんは何ひとつ変わらず、
優しかった。

気持ちを伝える練習の集大成


「では、面談室へどうぞ。」
 
再会の喜びを分かち合っていると、
看護師さんが呼びにきた。
面談室へ移動する。
 
桃子さんと対面になって座る。
母が桃子さんと何か話をしている。
緊張して耳に入ってこない。
 
しばらくすると、
 
「お待たせしました。」
 
いつものように
汗をかきながら日高先生が
部屋に入ってきた。
主任の牧田さんもそれに続く。
 
日高先生は私のL字側の席、
私と桃子さんの間に座った。
 
牧田さんと母は
一歩離れた椅子に座っている。
 
「では始めますか。
私、主任の日高と申します。
よろしくお願いします。」
 
今日は日高先生が
いつもより
キリッとして立派に見える。
 
初めて会った時のようだ。
 
まず、日高先生は
摂食障害という病気の説明や
私の症状のこと、
今後の病気と仕事との
関わり方について
話をしてくれた。
 
「摂食障害は、
ストレスを感じると症状が
出やすい病気です。
もちろん、
誰でもストレスは感じるもので、
普通の方はストレス解消に
お酒や趣味を
楽しんだりしますよね。
でも、朝野さんの場合は
ストレスを上手く消化できず、
過食や拒食の症状が
出てしまうんです。
 
朝野さんは
入院する数年前から
自分が書いた広告の責任を感じ、
その気持ちを誰にも
言えずにいました。
そして、なかなか成果を
出せない自分を責めながら、
唯一、自分のことを
認められるダイエットに
執着していったんです。
健康を害するほど
食べることを制限して。
その反動で今度は、
毎夜、過食するようになりました。

責任感やストレスから
不眠の症状も続いて。
それでも毎日、
心が疲弊したまま
会社へ行き、
体を壊しながらも
成果を出すために、
夜遅くまで働いてこられたんです。

そして5月、
疲れ果てた心身で
病院へやってこられました。」
 
桃子さんは真剣に
日高先生の話を聞いている。
 
「朝野さんは
復帰を強く希望されています。
私はその意志を
尊重したいと思っています。
ただ、朝野さんは
頑張り過ぎる性格なので、
復帰をするなら
働き方を見直すことが
大事だと考えています。
 
これまで2カ月、
朝野さんのことを
見させていただきました。
復帰するために
一生懸命、真面目に治療に
取り組んでくれる姿から、
誠実な仕事振りも
想像できました。
 
ただ、摂食障害は簡単には
改善しない病気でもあります。
特にストレスは
症状悪化の原因です。
なので、会社では
ストレスの原因になっていたものを
できるだけとり除いてあげて、
仕事量もセーブしてあげる必要が
あると考えています。」
 
日高先生、
そこまで考えてくれていたんだ。
診察の時にバラバラな時系列で
話してきたことを、上手に
まとめて話す日高先生に感動する。
 
日高先生って
やっぱりプロだ。
 

「会社のほうは
どう考えていらっしゃいますか?」
 
日高先生が桃子さんに
言葉を投げかける。

ゴクリ…。

すると、桃子さんは
動揺することなく、
日高先生を真っ直ぐ見て
答えた。
 
「朝野さんは会社のために
とても頑張ってくれています。
これまでも持ち前の
クリエイティブ力や情熱で、
たくさん成果を出してくれました。
朝野さんの仕事に対する姿勢は
周りのスタッフの
モチベーションもあげてくれます。
 
こんこんな人はなかなかいません。
朝野さんは
会社にとって必要な存在です。
 
会社としては、
朝野さんが望むことを
できるだけサポートしたいと
思っています。
これは社長とも話をして
決めたことです。」
 
…ホントに?
 
胸がギュッとなる。
 
この日が来るのが怖かった。

摂食障害になってから
私は会社のお荷物だと、
迷惑をかける存在だと、
自分のことを弱者のように
感じていたから。 

患者さんの中には、
病気が理由で
首を切られた子もいる。
これまでも何度か鬱病で
休職していたこともあり、
私も「いらない」と
言われるかもしれない、と
とても怖かった。

生き方を振り返る中で、
働くことに自信がなくなっていた。 

だけど。

「会社にとって必要な存在です。」

今、目の前に
そう言ってくれる人がいる。
病気になった私を、
受け入れてくれる会社がある。
 
感謝の気持ちで
いっぱいになった。
 
そして、きっと社長が
「朝野さんのことをサポートしなさい」
と言ってくれたのだと思うと、
心がギュッとなった。
 
「朝野さんよかったですね。」
 
日高先生が私に言う。
 
「はい…。
本当にありがとうございます。」
 

そして。
 
「朝野さん、
会社にお願いしたいこと
あるんだよね。」
 
日高先生は
私にパスを出してくれた。
 

…ドクン。
 
「はい。」
 
先生がくれた勇気のバトンを握り、
自分の気持ちを伝える。

 

自分の人生を生きるために


 自分の気持ち、伝えるんだ。
 
「桃子さん、
あらためて今日は来てくださって
ありがとうございます。
そして、受け入れてくださって
本当にありがとうございます。
 
会社には感謝しかありません。
摂食障害になってしまい、
昔ほどバリバリとは
働けないかもしれませんが、
今の自分が出来ることを
これからも頑張りたいと思います。
 
その上で、いくつか
お願いしたいことがあります。」
 
…ゴクリ。

息を飲む。
頑張れ私。

不器用でもいい、
間違ってもいい。
 
伝えるんだ。
 
「まずはじめに…
ちょっと話が逸れるんですが、
今、私の心には
2匹のモンスターがいるんです。
『食べるのが怖い』と
私を拒食症にするモンスターと
『もっと食べろ』と
私を過食症にするモンスター。

それで、
上手く言えないのですが、
この相反する2つの気持ちと
付き合って生活することが
想像以上に大変で…。

頑張り過ぎたり、
不安定になったり、
強いストレスを感じたりすると、
モンスターたちが
暴れ出してしまうんです。
 
なので、これから
長く働いていくためにも、
できるだけ心に負荷を
かけないようにする必要が
あると感じています。

…そこで、
いくつかお願いがあります。」
 
日高先生と重複する話も、
桃子さんは真剣に
うなずいて聞いてくれている。
 
ついにお願いだ。
 
「1つ目が…
これまでの80%の力で働きたい、
ということです。
 
病気でなければこれまで通り、
100%で頑張りたいのですが…
私の場合、頑張り過ぎると
症状が悪化してしまいます。
そして現に、
今までの仕事量で何度も
体調を崩してしまっています。
 
なので、最初は
強制的に仕事量をグッと
セーブしていただきたいです。
また、その後も
全体的に業務量を減らして、
成果の高い仕事に絞って
働かせてもらえたらなと…
思っています。
80%の力でも、
変わらず成果は出します。」
 
桜子さんは、
うなずきながらメモを取っている。
 
「2つ目が、
頑張り過ぎてしまう私に
気づいてくれる
『ストッパー役』をつけて欲しい、
ということです。
 
仕事量を抑えたとしても、
私のことだからつい、
気づかぬうちに
頑張り過ぎてしまうと思うんです。
成果のためなら何でもする!
という暴走タイプなので。
 
なので、客観的に
『今、頑張り過ぎてるな』
『花、無理してるな』
と気づいてサポートしてくれる人、
ストッパー役になってくれる人が
側にいてくれるといいなと
思っています。」
 
「ストッパー役ね。うんうん。」
 
次、3つ目だ。
些細なことでわがままと思うけど…
私にとっては大事なことだ。
まず、『自分の本当の気持ち』を
伝えるんだ。
 
「3つ目ですが…。
これは理解が難しいとは
思うのですが、
私、病気になってから
食べ物のことが
異常に気になるように
なってしまったんです。
 
人が食べている姿を見たり、
視界に食べ物が入ると、
気になって仕方なくなって。
いつも食べるのを我慢している分、
常に食べたい気持ちがあるから
イライラしてきて。
仕事が手につかなくなる時も
あるんです。
 
休職前は、
デスクで朝食を食べたり
お菓子を食べている人を見るのが
とてもストレスで。
それが症状につながっていました。
なので、
復職をしてまた同じように
感じてしまった時は…。」
 
…ゴクリ。
 
「よかったら空いている
個室で仕事をさせて
もらえると嬉しいです。」
 
わがままなお願いだと
分かっている。
 
返事が怖い。
 
「そうなんだ。大変なんだね。
うん、分かった。
ちょっとこれは
私の一存では決められないから、
社長に相談しておくね。」
 
「ありがとうございます。」
 
ホッ。

呆れられるかと思ったけど…
よかった。
伝えること自体は
何も怖くないんだね。

桃子さんは自分と相手、
そして会社との
課題の分け方が上手だ。

それからも
小さなお願いごとを伝える。
すると、
桜子さんから質問があった。
 
「話してくれてありがとうね。
朝野さんが今、
どんな病気を抱えているか、
少しだけ分かったような気がします。
 
朝野さんの働きぶりは
ずっと見てきてるから、
会社からも提案できることがあったら
させてもらいたいと思う。
 
それでね、
朝野さんはこの人と働くと
ストレスを
感じてしまう人っている?
正直に言っていいよ。
そう言う人がいたら
できるだけ同じチームに
しないようにするから。」
 
それ、最後の最後に
言おうと思っていた。
 
「あ、はい。

います…。」
 
「誰かな?」
 


「由比田さん…です。」
 

桃子さんはびっくりしていた。
それもそうだ。
 
ゆいぴーこと由比田さんは
私の一番大切な同期であり、
仕事のパートナーでもあり、
友達でもある。
プライベートでも仲が良い。
 
ゆいぴーは入社当時から
めちゃくちゃ仕事ができた。
論理的思考で頭の回転が速く、
物事に動じない耐性力を
兼ね備えている。
クリエイティブ力も高い。
社長からの信頼も厚く、
いつも期待以上の
成果を出していた。

さらに、容姿端麗で、
会社の代表として
外部で話をすることもある。
指導力もあって、
的確な指摘でチーム個々の力を
伸ばす力も持っている。
後輩からも慕われていた。
 
そんな彼女とはペアのようにして
切磋琢磨しながら、
会社の売上に貢献してきた。
最近では私がヒットさせた
商品の広告を共につくり、
入院する前も、
初めて取り組むプロジェクトを
一緒に頑張ってきた。
 
「どうしても
比べてしまうんです。
自分と由比田さんを。

由比田さんの広告が
褒められたり
成果を出したりすると、
焦ってしまって…。
それに彼女から
広告の指摘を受けると、
なぜか自分が否定された
気持ちになって、
頭が混乱することもあって…。
 
由比田さんの意見は
ためになっているし、
尊敬してるし大好きなんです。
だけど、
距離が近いとストレスを
感じてしまうみたいで。

今まではよかったのですが、
私の場合、それが症状に
繋がってしまうので、
よかったら由比田さんと
距離を保ちたいです。

もちろん、
部署は一緒で構いません。
ただ、チームは別だと有難いです。
程よい距離だったら
問題ないと思います。」
 
昔の私だったら
こんなこと絶対に言えなかった。
 
桃子さんは
何か察する顔をしていた。

実は以前、
ゆいぴーが制作部の上司に
なったことがある。
しかし、辞める人が多かった。
彼女の能力が高いがゆえに、
求められるものに
ついて行けない人たちがいたのだ。
そのことを
桃子さんは知っている。

これに関しては
ゆいぴーも悩んでいた。

チームの冊子制作が
なかなか進まず、
社長からダメ出しをされた時、
「なんでこのくらい
できないのかなって思うんよ。
原稿のチェックをする時、
え?なんで?
変わってないやんって
ビックリするんよ。
自分がしたほうが早いから…
もう今回は時間もないし、
構成から全部作り直すよ。」
と残業しながら
頭を書抱えていた。

そしてゆいぴーが
一日でつくり直した原稿は
社長から一発でOKがでて、
「すごいね。
見違えるほどよくなったね!」
と褒められていた。

あの時はゆいぴーのことを
神のように尊敬したけど、
今思えば部下からすると
自分の課題が取り上げられ、
モチベーションが下がる原因に
なっていたのかもしれない…。
 
桃子さんは少し考え込んで、
こう答えた。

「うん。分かった。
話しにくかったでしょ?
言ってくれてありがとうね。
あのね、
朝野さんが復帰する頃、
ちょうどブランド全体の
チーム替えがあるの。
配慮しておくね。
他に朝野さんからあるかな?」
 
桃子さんは私のお願いを
一度も否定することなく、
受け入れてくれた。
これから判断が
変わるかもしれないけど、
受け入れてもらえたことが
とても嬉しかった。

「大丈夫です。
全部言えました。」

 
すると。


「桃子さん、私からいいですか?」

日高先生が
いきなり身を乗り出して
飛び込んできた。

この子にはすごい力がある


目を大きく開く、日高先生。
 
「話の途中ですみません。
私から桃子さんに
伝えたいことがあって。
 
朝野さんは今、
もしかしたら以前より
できないことが
多いかもしれません。
 
今まで頑張り過ぎた
心の傷を治すには
時間がかかるものです。
 
だけど。私は、
彼女の力を信じています。」
 
え?
 
「たった2ヶ月ですが
朝野さんのことを近くで見てきて
すごいと思ったんですよ。
彼女の書く力と集中力。
 
ビックリするスピードで、
課題への問いを
書いてきてくれるんです。
発想力や創造力もあって。
まぁ僕が感心しても、
『普通ですよ』『適当ですよ』って
言うんですがね。」
 
日高先生、
そんなこと思ってくれてたの!?
 
すると、桃子さんが言う。
 
「はい。
朝野さんのクリエイティブ力は
飛び抜けています。
それが会社の起爆剤です。」
 


起爆剤?
 
「実は、彼女みたいに
愛着の障がいを持つ人には、
文学や芸術の世界で
活躍している人がたくさんいるんです。
あのアップルの社長、
スティーブ・ジョブズも
ビル・ゲイツも
同じ愛着の問題を抱えていました。

一見、社会的にマイナスと
思われる心の問題が、
型破りな発想や
追い詰められた時に発揮される
ひらめきの力に
つながっていたんです。
そして、普通の人には
考えもつかないアイディアで
世界を変えたんです。
 
私は朝野さんにも
同じような爆発的な力が
秘められていると
感じています。
実際、朝野さんはそうやって
成果を出されてきている。
 
愛着の問題があるからこそ、
創作に没頭できるのです。
愛着の問題があるからこそ、
新しい世界をつくる力が
あるのです。
 
信じてあげてください。
この子の力を。
きっといつか
すごいことをやりますよ。」



日高先生の言葉に
涙がでそうだった。
 
そんな風に私のことを
想ってくれていたなんて。
こんなに私のことを
認めてくれた言葉はない。
こんなに私の存在を
肯定してくれた言葉はない。
 

肯定という勇気

 
日高先生が興奮して話したあと、
ずっと黙っていた
主任の牧田さんも口を開く。
 
「私も同じように感じています。
朝野さんの発想力だったり
創造性だったり、
周りを惹きつける力だったり。
やっぱり特出しているところが
あると思います。
 
それに、朝野さんは
ほんわかとした優しい雰囲気に
愛嬌もあります。
会社にとって彼女のような
社員がいることは、
成果以上に心が救われているのでは
ないでしょうか。」
 
「その通りです。」
 
桃子さんが微笑む。
みんなの優しさに涙がこぼれる。

この涙はいつもと違う。
嬉し涙だ。
 
私があまりにも泣くから、
桃子さんも母も笑い出す。

だって、
不安で不安で仕方なかったんだ。
 
大袈裟かもしれないけど、
病気になった
私たち患者にとっては、
『病気のせいで社会から
排除されるんじゃないか』
という不安は、
相当なものなんだ。

「朝野さん、大丈夫よ。
朝野さん自身は
変わらないんだから。」
 
仕事について言われた言葉が、
体型についても
言われているみたいだった。
 


桃子さん、ありがとう。
 
病気になった私ごと
受け入れてくれる会社に、
心は感謝でいっぱいになっていた。
 
「では、
今日のことを踏まえて
会社で検討のほど
よろしくお願いします。」
 

 

『職場面談』は
和やかに終わった。
 
桃子さんを見送る。
 
「桃子さん、今日は
本当にありがとうございます。」
 
「こちらこそ。
戻ってきてくれてありがとう。
退院したらご飯行こうね。」
 
手を振りながら互いに微笑む。
 
桃子さん、ありがとう。
今日も救われました。
 
 


…すごい。
 
私、自分の気持ち、言えた。
めちゃくちゃ言えた。
 
そして、伝わった。
嬉しい!
 
今まで何カ月も溜まっていた
不安やモヤモヤが、
たった一時間でスッキリ。
 
心が喜んでいた。
 
何より、みんなが今の私を
肯定して認めてくれたことが、
嬉しかった。
 
日高先生も牧田さんも
本当にありがとう。
 

「花の会社、
体制は良くないかもしれんけど、
良い人たちやん。
桜子さんもそうやけど、
電話対応してくれる人たちも
丁寧で優しいよ。」
 
「うん。
昔からそうなんよ。
人はすごく良いんよ。
辞めた人も、
『人に恵まれていた』
『人だけは良かった』って言って
辞めていくけんね。」
 
同期もみんな良い子だった。
 
「人が良いって、
それだけで働く上では
恵まれてとるけどね。」
 
「そうだよ。それでも
みんな辞めていくって…
なんなんやろうね。
 
いつか上の人たちには
そこに気づいて欲しいな。」

募る不安


職場面談が終わり、
退院日の日程が再来週に決まった。
 
「あと2週間弱か…。」
 
入院した時は
これからどうなるんだろうと
不安でいっぱいだったけど、
あっという間だったな。
 
振り返ると、たった2カ月で
価値観が大きく変わった。

――――――――――――――――― 
今まで私は
『特別』を追いかけて
生きてきた。

『特別』になることで
心の空虚感を満たし、
『特別』だと
認められることで
安心したかったのだと思う。

そして
『特別』を追いかけるあまり、
気づかぬうちに
体も心も壊して、
人間関係までこじらせていた。

だけど、
いろんな過去があって
障害を抱えることになった
仲間たちとの出逢い、
『普通に生活することが目標』
という世界で過ごす中で、
どんな人も
すでに『特別』なんだと知った。

一人ひとりできることがあって
一人ひとり役に立っていて、
一人ひとり素晴らしいところがある。

そんな仲間と共に生きている、
その感覚こそが自分の存在を
『特別』にしてくれることを知った。

実績とか名誉とか肩書きとかを
追いかけるより、
自分の好きなことをして
心と体が健康であることが
何より尊いこと。

『特別』になるより、
生きているこの世界で
『共同体感覚』を
感じられることのほうが
幸せなことを知った。

だから、
無理に頑張らなくてもいい、
そのままの私でいい。
人のためではなく、
まず自分のために生きていい。
その上で
貢献していけばいいんだ。

自分の気持ちを伝えることは
悪くない。
嫌われる勇気が持てた時、
愛を信じられた時、
心の自由が広がるんだ。
それを知った。
 ――――――――――――――――― 
 
閉ざされた世界。
そう思っていた場所は、
生きづらい世界にいた私を
新しい世界へ
連れて行ってくれた。
たくさんの人が
狭く偏っていた
私の心を広げてくれた。

価値観が変わって、
心がラクになった。


よし。
今度で最後になる
PSミーティングで話す、
お別れの挨拶を考えよう。
みんなに
ちゃんと感謝を伝えよう。
 
スケッチブックを広げる。
これまで書いた言葉を眺め、
感謝の気持ちをまとめる。
日高先生との
やりとりも見直して、
退院後の過食対策や
退院後にやってみたいことも
書き出してみた。
 

 
すると…あれ?

急に不安が襲ってきた。
 
本退院したら、本当に
この紙に書いてあるように
できるだろうか。
上手く食べられるだろうか。
食べる物に悩まないだろうか。
今は病院に守られているけど、
本当に過食しないだろうか。
 
現実世界がすぐそこに迫っている。
 
会社は要望を聞いてくれそうだし、
どうにか復帰できそうだけど
本当にちゃんと仕事できるだろうか。
 
…。
 
よく考えたら、
現実世界では
友達は結婚して子どももいる。
 
私は?
 
一人だ。
振り出しに戻って退院する。
 
こんな自分を
愛してくれる人なんているのだろうか。
 
考えがどんどん
ネガティブなほうへ行き、
自信が萎んでいく。
 

どうしたんだろう?
さっきまで大丈夫だったのに。
 
涙が出てくる。
 
どうしよう。不安定だ。
 
母親に守られていた幼児が
何もない場所に放たれる、
そんな気持ち。
 
不安に
押しつぶされそうになる。
 
 
コンコンコンッ。
 
「朝野さん~、体調どうですか?」
 
ちょうど
看護師の高瀬さんが巡回に来た。
 
よかった…。
 
「朝野さん、
もうすぐ退院だってね!
退院したらどうするの?
少しお休みするのかしら。」
 
「いえ、すぐ復帰する予定です。」
 
「えっ、すぐ復帰するの?
そっか…朝野さん大丈夫?
無理してない?
退院してしばらくは
ゆっくりしてても
いいんじゃないかな。
 
お家でのんびりして、
徐々に食べることに慣れて。
生活を整えてから
復帰してもいいんじゃないかな。
焦らなくていいと思うけど…。」
 
自分で強く決めた復職。
なのに、
看護師さんの言葉に
心が揺らぐ。
 
私、順番が間違っているの?
 

 
不安な気持ちのまま、
外泊の日がやってきた。
 
復帰前なので
あえて一人暮らしの家で
一人で過ごしてみることにした。
 
「花、本当一人で大丈夫?」

「うん!練習頑張るよ。」

しかし。
家まで送ってくれた母が
帰ったあと、
すごく不安になってきた。
母がいる時は
大丈夫な気がしていたのに。
部屋に一人になると、
怖くなってきた。
何に怖がっているのか、
自分でもよく分からない。
なんでこんなに心がざわつくの?
 
気持ちを落ち着かそうと、
携帯の写真フォルダを見返す。
すると…。
元彼と撮った写真が
たくさん出てきた。
 


2カ月前には
たしかにあった、愛。
今は、ない。
 
悲しい気持ちになる。
 
そして、よせばいいのに
つい、インターネットで
『摂食障害』のことを検索してしまった。
 
すると、
そこに並べられていたのは
マイナスの言葉。
摂食障害になった人の
ネガティブなブログ。
 
ちょうど目にしたブログが
何年も摂食障害に悩み、
リストカットを
繰り返している人のものだった。
 
終わりがない気がした。
一人ぼっちな気がした。
 
これから
私は誰からも愛されない気がした。
 
それに、
もし愛されたとしても、
摂食障害になった私と
付き合ってくのは大変だ。
巻き込みたくない。
 
…そうだ。

一人のほうがいいのかもしれない。
一人なら傷つかない。
一人のほうがきっと、楽だ。
 
でもずっと、一人…?
 


未来を思うと不安が溢れ、
涙がこぼれた。

突然の退院

 
外泊から帰ってきた翌日。
 病院に戻ってこれて、
ホッとしていた。

そして午前中。
いつものようにOTをしていると
突然、看護師さんに呼ばれた。
 
「すみません、朝野さん。
あのね、
退院のことで相談があって。」
 
「はい?どうしました?」
 
なにをそんなに焦っているのだろう?
 
「朝野さんいきなりで
本当に申し訳ないんだけど…
今朝、緊急の患者さんが入ってきて。
どうしてもお部屋を
空けなくちゃいけなくなってね。」

「はぁ。」
 
「それで朝野さんなら
大丈夫だろうって話になって。
 
急で大変申し訳ないんだけど、
退院をお願いできないかなと思って
相談しにきました。」
 
は?

え?
 
唐突過ぎて話についていけない。
 
「え、いつですか?」
 
「…今日、
今からお願いできるかな?」
 
は?

今から?
 「お母さんには
私から連絡しますので。
もし、朝野さんとお母さんが
OKだったら、
退院をお願いできたらなと…。」
 
「日高先生は?」
 
私のことを分かっている
日高先生が、こんなに
いきなり退院させるだろうか?
 
「実は日高先生、今日は
どうしても手が離せなくて。
医院長の判断なの。
でもね、退院しても変わらず
通院でカウンセリングは
続きますから。」
 
そんな。
そういう問題じゃない。
 
看護師さんも
焦っているかもしれないけど、
私もとてつもなく
動揺しているし、
びっくりしている。
 
それに今、調子が良くない。
 
今すぐ退院して、なんて
あんまりじゃないのか…?
 
でも、どうにも
NOとは言えなさそうな雰囲気だ。



「分かりました…。」
 
しぶしぶ答える。
 
「本当急にごめんね。
お母さんに連絡してみるね。」
 
「…はい。」
 
諦めて
OTをしていた椅子に座る。
 



…ポカンだ。

 
「何かあったの?」
 
瑠衣ちゃんが
心配そうに声をかけてきた。
 
「急に退院することなった。」
 
「え?そうなの?い、いつ?」
 
「今から。
病室が空いてないんだって。」
 
「…え?今から!?
嘘でしょ?急すぎるよ。

寂しい…。」
 
実は、南さんも
つい先日退院したばかり。
南さんが退院する日は
さすがに寂しかった。
でも、
入院すれば退院する時がくる。
仲間の退院は喜ぶべきことだ。
だけど、今は
自分の退院を喜べない。
 
すると、
看護師さんに呼ばれる。
母からOKが出たそうだ。
 
そりゃ私がOKしたらな。
母もOKするだろう。
退院したいって言ってたから。
 
「朝野さん、ありがとうね。
…で、早速で申し訳ないけど、
今からお部屋の荷物を
まとめてもらってもいいかな?
その間に退院に必要な書類とか
準備しますので。」

「はぁ…。」

テーブルの上に置かれた
つくりかけの刺繍を横目に 、
言われるがまま部屋に戻る。

看護師さんが率先して
私の荷物をまとめていく。
用意されたリヤカーに、
ここで過ごした思い出が
どんどん積まれていく。

考える暇もなく、事は進んでいく。

入院した時は
あんなに丁寧だったのに。
終わりは
粗末な扱いに感じてしまい、
悲しくなった。
 
でも、もしかしたら、
私が入院した日もこうやって
急に退院させられた人が
いるのかもしれない。
そう思うと少しだけ、
気持ちを落ち着かせることができた。
 

 
荷物を積み終わると、
面談室に移動をお願いされた。
狭い面談室に
荷物ごと押し込まれた気持ちになる。
 
しばらくすると母がやってきた。
 
「なんね、
埋もれてどこおるかと思ったやん。
いきなり退院だってね。
びっくりしたやろ?
大丈夫?」
 
「大丈夫かも分かんないほど、
気持ちが追いついてなかよ…。」
 
そして、
言われるがままに
退院の手続きを済ませた。
あとはここを出るだけだ。
 
荷物を運ぶ。
 
もう2度とここには
戻ってきたくはないけど、
少しだけ寂しい。
 
みんなと仲良くなったデイルーム。
最初は怖くて
なかなかご飯が進まなかった。
だけど、陽気にご飯を食べる
みんなのおかげで、
少しずつ食べることへの
恐怖が減っていった。
日々の何気ない、
些細な話が楽しかった。

いろんなタイプの人が居て
戸惑うこともあったけど、
みんなのことを知るほど、
ガチガチに固まっていた頭の中を
柔らかくほぐれていった。
大きな視野を与えてくれた。
 
思い出が巡る。
 
「突然ですが、
朝野さんが今日退院されます~。」
 
突然の看護師さんの言葉に、
みんな、ポカンとしている。
 
退院を知っていた
一部一部の患者さんたちからは、
急に書いたであろう、
小さなメモ紙に書かれた
手紙をもらった。
正直、喜べなかった。
 
「花ちゃんまたね!
診察の時に会いに来てね!」
 
「うん、もちろんだよ。
今までありがとう!」
  
リヤカーを引きながら
瑠衣ちゃんや美村さんに見守られ、
病棟を後にした。
 


お世話になった先生、
看護師さん、管理栄養士さん、
患者さん達に
まともと挨拶することもできず。

2017年7月15日。
私の入院生活は
突然、幕を閉じた。

崩れていく心


病院を出たあと、
一旦一人暮らしの家に
荷物を置きにいくことにした。
 
高速に乗り、
母が車のスピードを上げる。
シュンシュンと流れ
掻き消されていく景色が、
自分の心みたいだ。

途中、母の提案で
サービスエリアに寄ることにした。
 
「お母さん、
ちょっと買ってくるから
花は座ってて。」
 
「うん。」
 
外のテラスに座る。
季節はすっかり夏。
時折吹く風が心を揺らす。
 
しばらくすると、
母がたい焼きと
スターバックスのラテを
買ってきてくれた。
 
「急だったけど、
花、退院おめでとう。」
 
ラテで乾杯をする。
 
「ありがとう。
本当、急だったね。
お母さんこそお疲れ様。
いつもお見舞いありがとうね。」
 
ささやかながら、
退院のお祝いをした。
 
「それにしても
私、大丈夫かな…。」
 
「まぁゆっくり慣れて行こう。」
 
夢見た退院。
嬉しいはずだったのに、
悲しい。
 
昨日、
不安定になっていた心に
覆いかぶさるように訪れた、
突然の退院。
 
想像もしていなかった
粗末な対応に、
さすがに気持ちが落ち込む。
 

一人暮らしの家に着き、
荷物を運ぶ。
 
そのまま家に居るか悩んだけど、
一人でいるのが怖くて、
母と一緒に実家に戻ることにした。
 
「あ、コンビニに寄っていい?」
 
「うん。」
 
100円の千切りキャベツ3袋と、
店内のゼロカロリーゼリーを
買い占める。
過食してしまわないか不安だった。
 
実家に戻る車の中、
最近おとなしかった
心のモンスターが
暴れ出そうとしているのを感じた。
 
実家に着き、
ダイニングに行く。
 
…何か食べたい。
 
買ってきたゼロカロリーゼリーを
口の中にかきこむ。
 
一気に3個食べた。
そんな自分が情けなくなった。
 
≪食べることで
何を満たしたいんだろう?≫
 
過食対策の呪文を
心の中で唱えてみるけど、
答えが出ない。
日高先生と一緒に考えていた時は
大丈夫だったのに…。
 
焦る。
 
ダイニングに居るのが怖くなって
自分の部屋に入った。
 
すると…目線の先に
元彼が貸してくれたCDの束が。
忘れてた。
実家にも持って
帰っていたんだった。
 


…。
 
プツッ。
 
 
それを見た瞬間、
何か心の糸が切れてしまった。
 
心の状態が不安定なまま、
突然の退院。
守られていた世界から
無防備に飛び出した私は、
なにかが
おかしくなってしまっていた。
 


 
ガッシャ――――――ン!
 
ガシャンガシャン!
 
ガンッ…!ガンッ…!
 
「なんなの!もう!ふざけるな!」
 
「花、やめなさい。
ほら、危ないでしょ。」
 
「くそが!死ね!」
 
部屋にある棚を倒し、
そこら中にあるものを投げた。
元彼のCDを思いっきり床に投げつけて、
足で踏みつぶしては
ケースを粉々にした。
 
「ね、CDそんなに
簡単に折れないから。
花、ケガするよ。」
 
危険を感じた母が静止に入る。
 
「離して、離してよ!」
 
母と取っ組み合いになる。
 


ふざけるな、ふざけるな!

ふざけるな!!!!

 

あんたのせい


物音に驚いて
父が様子を見にきた。
 
「なんばしよるとね。
それ、お父さんのCDばい。」
 
はぁ?
 
娘がこんな状況にも関わらず、
相変わらず
自分のことを心配する父。
心底、イラッとした。
 
…ふざけるな!
 
ふざけるな!ふざけるな!
 
今まで、小さい頃から
我慢していたものが
溢れ出してしまった。
 
「なによ!私が悪いの!?」
 
私の怒鳴り声に
父が驚く。
 
怒りを止められない。
 
「ねっ!誰のせいで
摂食障害になったと思ってんの?
ふざけんなよ!
 
私はね、喧嘩ばかりしている
あんた達の仲を取り持つために、
小さな頃から気を遣ってきた。
 
みんなに笑って欲しくて、
家族の笑顔のために頑張ってきた。
 
なのに…
この結果は何!?
私は摂食障害になってしまった!
 
この家族の悪循環を背負って
病気になってしまった!」
 
母と父を睨む。
 
今までに見たことのない娘の姿に
動揺する父。
 
「ね、聞いてんの?
聞いてんのかって!
 
あんた達の理不尽を
全部私が背負って、
摂食障害になったんだから!
 
あんた達には分からないよね。
食べることが
怖くてたまらない気持ちも!
食べてしまった後に
全身を襲う後悔の気持ちも!
太ってしまうんじゃないかって
怖くてたまらない気持ちも! 
未来への不安も!」
 
父のCDを父に投げつける。
 
「何CDの心配してんの?
バカじゃないの?
 
あんたが小さい頃に
積み重ねた傷のせいで、
私は食べる楽しみを失ったんだから!
 
CD1枚と
私の人生どっちが大事なわけ!?
ふざけるな!
 
この自己中野郎!」
 
自分でめちゃくちゃなことを
言っているのは分かっているけど、
止められなかった。
 
「あんたはいっつも
自分のことしか考えてない! 
その分、
誰かが負担になってること
分からないの?
 
あんたが
自分のことしか考えてない分、
お母さんや私がどれだけ
フォローしてきたと思ってんの!
 
それにね!あんたが
お母さんのフォローしてたら、
私もお兄ちゃんも
あんなに夫婦喧嘩に
怯えることはなかった!
 
こっちは被害者なんだよ!
 
ってか何歳だよ。
もうちょっと人のこと考えて
生きろよ!」
 
この言葉を発してるのは誰?
私なの?
これが本当の気持ちなの?

息苦しくなってくる。
父は茫然と立っている。
  
「花、薬、
心がラクになる薬飲もう。
気が動転してるだけだから。」
 
母が病院からもらった
頓服薬をくれた。
 

30分ほどすると、
なんとか気持ちが落ち着いてきた。



 

バカだ…。
私なんであんなこと言ったんだろう…。
あんなこと言うつもりなかったのに…。
 
お父さん、傷ついただろうな。
お母さんも、部屋ごめんなさい。
 
自分の言った言葉に
ひどく後悔した。
 


もう暴れない、と誓った。

私はみんなの迷惑になる


翌朝。
昨夜の誓いも虚しく、
また暴れてしまった。
 
些細なことでイラっとして、
過食と同じように
一度スイッチが入ると
怒りが止まらなかった。
自分の気持ちを
コントロールすることができなかった。
 
めちゃくちゃになった部屋。
まるで私の心みたいだ。
 
薬を飲んで我に返っては、
また後悔した。
 
それなのに。
その次の日も暴れてしまった。

部屋にあるものが
どんどん壊れていく。
 
あんなに練習したのに、
ご飯も上手く食べられない。
 
ずっと心につきまとう、
「食べたら太る」という
恐怖と後悔。
行き場のない気持ち。
どうしようもない気持ち。
もしかしたら、
そんな気持ちを暴れることで
消化しようと
していたのかもしれない。
 
自分には
何もなくなったような気がした。
現実がこんなに怖いなんて
思わなかった。

 
それに投げていたのは
モノだけじゃない。
 
「あんたに
この気持ち分かるわけない!
心配してもらっても
私の病気が治るわけじゃない。
摂食障害のせいで
いろんなものを失った!」
 
「死ぬまで毎日
食べ物に悩み続けなら、
もう生きていたくないよ!」
 
止めに入る母の心に
ひどい言葉をたくさん投げつけた。
 
朝昼晩、
私が安心して食べられるように
カロリーが分かる
健康的なご飯を
用意してくれているのに、

「こんなの食べれない!」

食べるのが怖くて、
母の手料理を突き飛ばした。

ついには暴れて
静止に入る母を叩いてしまった。
 
「お母さんは大丈夫だから。
一番辛いのは花だから。
分かってるから、
ねっ。
気が済むまで叩きなさい。」
 
我に返る。

苦しい。だけど、
こんなに暴力的になっている自分を
自分でもどうしていいか
分からなかった。
 
「苦しい…。
いろんな感情が出てきて
苦しい…。」
 
母もどうしていいか分からず、
困っていた。
 
そして、こんな状況でも
父は助けるどころか
私に強く言われたことに
ショックを受け、
二階に引っ込んでいる。
 

「はぁ…。」

母に薬をもらい、
なんとか落ち着く。
 

 
…。
 


ダメだ。
 
私、ここに居ちゃ、ダメだ。
 




「お母さん、
私やっぱり一人暮らしの
家に戻るよ。」
 
「え?大丈夫なの?」
 
「うん、ここにいても多分、
みんなに迷惑かけちゃうから。」
 
こんな危険人物は
一人で生きていったほうがいい。
 
「なら家まで一緒に行こう。
そうだ。花、
その前にちょっと
公園でも寄っていこうか。
ずっと家にいたから気分転換に。
公園行ったあと
必要なものとか買って
花の家にお家行こう。」
 
今日も母は片道70キロある、
一人暮らしの家まで
運転してくれると言う。

「ありがとう…。」

そして家に行く前に
少しでも私が元気になるようにと、
地元の公園に連れて行ってくれた。
 
公園へ向かう車内。
母に言ってしまったこと、
叩いてしまったことに
後悔の気持ちが溢れる。
 
「お母さん、ごめんなさい。
誰より支えてくれているのに、
ひどいこと言ってごめんなさい。
叩いてごめんなさい。
どうしても
気持ちのコントロールができなくて…。
本当の気持ちじゃないから。」
 
「大丈夫。分かってるよ。
急に退院したから
体も心もびっくりしてるんよ。
 
骨折のリハビリだって
最初は痛かろ?
心も一緒とよ。
ゆっくり慣れて行こう。」
 
「うん…。ありがとう。」
 
きっと母はたくさん傷ついている。
それでも私を責めることはない。
 
母の言葉に優しさに、
救われる想いだった。

 

今はなにもないけど


雨上がりの公園。
 
曇り空だけど、
草木がみずみずしい。
緑を見ると落ち着く。
 
少し濡れている
水色のベンチに母と座る。
目線の先には
古びたバスケットゴールがあった。
 
ん?
あれ?
 
ここ。
 
たしか今年のはじめにも来たな。
このベンチに座って、
あのバスケットゴールを眺めてた。
 


そういえば…。
 
あの時も
今と似た気持ちだった。
自分に自信がなかった。 

結婚、出産…。
変わっていく周りの
ライフスタイル。
それにに比べ、
変わらない自分の生活に
焦っていた。

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…あれ?
 
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…あれ?
 
これでいいのかも。
 
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根拠はないけど、
本当に必要なものは
手に入れようとしなくても
いつかほろっと側にある。
そんな気がした。
 
それに心の側には
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母が居てくれるんだから。
 

 
暗い世界から
目が覚めていく。
 
 
「ハッ…!」
 
「どうしたの花?」
 
突然立ち上がる娘に
母がびっくりする。
 
「危ない、危ない!
私、『こう!』なってた!」
 
「へ?」
 
そうだ。
傷ついた過去に
惑わされちゃダメだ。
 
音信不通を選ぶ
弱い男なんかに負けちゃダメだ。

俊介君が全てじゃない。
大勢いる男の中の、
たった一人だ。
世界は広いぞ。
男なんてたくさんいるぞ。
 
温かい人たちが優しく
育ててくれたこの心を、
たった一人の卑怯な男に
汚させてたまるもんか。

ちょっと暴れ過ぎたけど…
今日からまた。
心の錨を立てて
しっかり歩いていこう。
これからまた
ステキなモノを拾って
前に進むんだ。
 

 
「お母さん、やっぱり
公園って元気がでるね。
来てよかったよ。
連れてきてくれてありがとう。」
 
負けそうだった心を
雨に打たれた心を、
明るく照らしてくれて
ありがとう。
 


目が覚めた。
 
私は花だ。
ステキに咲くんだ。
 

捨てる


 一人暮らしの家に向かう。
 
夜ご飯を買うために
途中でコンビニに寄ってもらった。
 
一人、コンビニに入る。

ドキッ。

どうしよう…。
何を食べたらいいんだろう。
何を買ったらいいんだろう。
分からない…。

頭が混乱する。
 
総菜や弁当売場、
パン売り場を
10分くらいウロウロする。
 
焼き豚カルビ丼美味しそうだな…。
フルーツサンドも美味しそうだな…。
だけど、
カロリーすごいな…。
 
悩みに悩んで、
カロリーが少ない
味噌汁とサラダを買った。
 
結局。
『病院食基準』じゃなく、
『カロリー基準』で
選んでしまう。
 
夜過食しないか不安だったので、
ゼロカロリーゼリーも
買い占めた。
 
一人暮らしの家に着く。
いつも停める駐車場が
満車だったので、
母は駐車場を探しに行った。

先に部屋に入り、
あらためて10年近く
過ごしてきた空間を見渡す。

当たり前だけど、
そこは入院前の私が
積み重ねてきた過去が
溢れていた。
 

「もうあの頃の私じゃない…。」
 
いい意味でも、
悲しい意味でも。
 
なんだか
無性に部屋を片付けたくなった。
リセットしたくなった。
 
ゴミ袋を取りだす。
 
元彼や友達が映っている、
大きな写真立て。

「いらない。」

「もうこの時の私じゃない。
いらない!」

バサッ。

ゴミ袋に投げ入れる。

好きで集めたはずの
オブジェや部屋飾り。
誕生日やお祝いでもらったもの。
器、書類、ドライフラワーも。 
どんどんゴミ袋に入れていく。
 
思い出が痛がっているのか
私の心が悲しんでいるのか、
じんわりと涙が出てきた。
 
「ぐすっ…。
だって今の私は
もうこの時の私じゃない…。」
 
写真の時のように
好きなものを心から楽しんで
食べていた私は、
もういないんだ。
 
「美味しい」「お腹いっぱい」
「幸せ」で終われる私は、
もういないんだ。
 
さっきも
食べるものに10分も悩んで、
食べたいものを選べなかった。
今も食べるのが怖いし、
食べたら太る気がして怖い。
 
「もう、あの頃の
食べることが大好きだった私は
いないんだ!!」
 

ガチャ…。
 
玄関の扉が開く。
駐車場を探しに行った母が
部屋に入ってきた。
 
「…どうしたの?」
 
部屋の様子に驚く母。
 
「断捨離してるの。」
 
横目で答えながら
クローゼットを開ける。
 
クローゼットに詰め込んでいた
思い出のグッズも、
どんどんゴミ袋に入れていく。
 
涙をこらえながら
断捨離する私を、
母は心配そうに見つめている。
 
「…げっ。」
 
アパレルの元彼、
奏太君からもらった手作りのバックや
奏太君のお店で買ったの服、
一緒に買い物したものが出てきた。
 
「いらない、いらない、いらない!」
 
投げつけるようにして
ゴミ袋に入れる。
 
モノなんて
『それを買った意味』
『それを選んだ理由』が
なくなった瞬間、
ガラクタになる。
プレゼントも
『愛』がなくなった瞬間、
ガラクタになるんだ。


あっ…。
 
白い木の額縁にふれた瞬間、
手が止まる。



 
「こんなの取ってたんだ…。」

 

大切な恋


「懐かしいな…。」
 
白い額縁の表を向けると、
そこには
3年前に別れた幼なじみ、
あお君と無邪気に笑う
私の写真が飾られていた。
 
その写真の奥には、
丁寧にファイリングした
2人のアルバム。
遠距離恋愛中に行った
いろんな場所のチケット。
USJで買った
お揃いのキーホルダーや、
ディズニーランドで買った
ダッフィーのぬいぐるみ。

「いつか子どもが
できたら履かせようね」と
古着屋さんで買った、
インテリアにしても可愛い
赤ちゃん用の靴。
一足ずつ持って帰った。

そして、
あお君からもらった手紙や
2人で書いた落書き。
思い出がたくさん出てきた。
 

捨てようか、
一瞬迷う。
 

でも…。
 
あお君との思い出の品だけは
捨てられなかった。
 
好きな気持ちがあるわけではない。
私から振ったし、
別れてから一度も会っていない。
それに福岡と千葉。
これから会うことも、
きっとない。
 
だけど、
純粋に恋をした。
ダメ男とばかり付き合っていた中で
唯一、純粋でキレイな恋だった。


「…これだけは
大切な思い出だから。」
 
そう。
大切な思い出。 
失敗だらけの恋だけじゃ
なかったんだって。
こんなにステキな恋も
したんだって。
 
ただ、それだけのこと。
 
「懐かしいね~。花、
あお君と撮ってる写真は
本当に笑顔が可愛かよね。」
 
母が言う。
自分でもそう思う。
 
それはきっと、
’心から愛されている’。
はじめて
そう実感した恋だったから。
 

あたたかい思い出に感謝し、
そっと箱の中に閉まった。
 
そして、
『ちゃんと愛されていた』
という暖かい思い出に
ふれたおかげか、
気持ちが落ち着いてきた。

 -

「花が笑ってくれるだけで
僕は嬉しいんだ。」
 


過去の思い出が、
私に言う。

あお君、ありがとう…。

 

暗い世界に
何度も迷い込んでは、
どうにか
戻ってくる私の心。
 
「お母さん、
ここまで送ってくれて
ありがとう。
暴れてしまって本当ごめんね。
でも、本当に
お母さんに感謝しとるんよ。
それだけは分かって欲しい。
今日から頑張るから。」
 
「うん、分かっとるばい。
お母さんは大丈夫だから。
 
少しずつ、慣れていこう。」
 
「ありがとう。」
 
母が帰る。

スッキリした部屋。
クローゼットの奥には
大切な恋の思い出。

モンスターが暴れ出さないか
少し不安だったけど、
その日は落ち着いて
夜を過ごすことができた。

花、立ち上がる


夜が明ける。
一人の朝。
 
体がとても重い。
どうしたんだろう?

入院してから
緊張し続けていた体が、
安心したのだろうか。
それとも、
急な退院に心身共に
疲れていたのだろうか。
 
体が動かない。

ベッドの中で
LINEのトーク画面を開く。
既読のまま、
俊介君からの返信はない。
 
それから2日間、
ベッドからほぼ
起き上がることができなかった。
 
市役所やスーパーに行きたい。
だけど、体は動かないし、
家から出るのが怖い。
人に会うのが怖い。
なぜか分からないが、
胸がドキドキするのだ。


夜、友達の夏香から
LINEが届いた。
 
『やっほー!元気してる!?
ねっ!今更なんだけど
花、タラレバ娘っていう
ドラマ見てたよね?
さっき見返してたんだけど、
やっぱりさ~打数が大事なんよ。
数打ちゃ当たると思わない!?
ということで、よし!
今度出逢い探しに行こう!』
 
笑いが出た。
無駄に明るい夏香の言葉。
失恋に傷ついた私を
遠回しに勇気づけて
くれているのが伝わる。
 
「優しなぁ…。」
 
それから幾度かLINEの
やりとりを交わした。
まるで未来に希望しか
ないんじゃないか?
と思うほどの、
前向きであたたかい
夏香のLINE。
30歳を超えてるけど、
もしかしたら
いつかまた恋が
できるような気がした。
 
夏香、ありがとう。

「よし、そろそろ寝るか。」

ベッドの中で目を閉じる。

…あれ?なんだろ。
体の内側から力が
みなぎってくる。

急に元気が出てきた。

ポジティブな言葉ってすごい。
友達の力ってすごい。

今なら前に進める気がした。

みなぎる元気

 
翌朝、目が覚める。

体を起こすと、
昨日と変わらず
胸がドキドキした。

でも昨日と違って、
今日のドキドキには
希望のドキドキも含まれている。
 
今ならいける気がする。

「よし!」

勢いよく立ち上がり、
思い切ってシャワー浴びる。
流れに乗って、
メイクをして服も着替えた。
 
すごい。
昨日まで体が
石のように重たかったのに、
今日は動く。
 
「よし!市役所に行こう。」

靴を履き、今だ!
と言わんばかりに
玄関を出る。
 
太陽の光。車の音。
ドキドキする。
私、今一人で外を歩いている。
自分の足で進んでいるんだね。
 
15分ほど歩くと
市役所に着いた。
市役所の来た目的は、
自立支援の手続き。

精神障がいを患った場合、
自立支援の手続きをすると
治療費や薬代の負担が減り、
安くなるのだ。

玄関の自動ドアが開く。
ドックンドックン。
心臓が鳴る。
 
人と上手く喋れるかな…。
 
すると、

「こんにちは。暑いですね~。
今日はいかがされましたか?」

担当してくれた福祉課の人が
とても親切に
対応してくれたのだ。
退院したばかりで、
上手く言葉が出てこない
私のペースにゆっくり合わせてくれて。
書類書きや捺印に
もたついても焦らすことなく、
やさしく見守ってくれた。
福祉課の方の
丁寧な手作業も嬉しくて、
つい涙腺が緩む。
 
他の職員の方も、
頭が回らない私を
サポートしてくれた。
 
「みなさん、
今日は優しくしてくださって
本当ありがとうございます。」

「いえいえ。退院したばかりで
しかもこんな暑い中、
大変だったでしょう。
気をつけて帰ってくださいね。」
 
その言葉に
泣きそうになってしまった。
 
心が伝わる気遣いに思わず、
泣きそうになる。
 でも、市役所で泣くなんて
変だと、グッと涙を堪えた。

自立支援の手続きを終え、
市役所を出る。
 
花、本当
一人で朝からよく頑張ったよ。
自分を褒めてあげる。
 
今日は天気がいい。
暑くて汗が滲むけど、
今をちゃんと
生きている感じがした。
 
よし!
帰りはいつもと違う道を
歩いてみよう。
 
途中で見つけた神社で
お参りをし、しばらく歩く。
すると、目線の先は交通整備中。
ちょうど大きなクレーンが
動いている。
 
邪魔かな…。
なぜかドキドキしてくる。
 
静止していると、
警備のおじちゃんが
深々と挨拶してくれた。

そして、
「お急ぎではありませんか?
申し訳ありません。
待っていただいて
ありがとうございます。」
と声をかけてくれた。
 
クレーンが停まると
丁寧に道を通してくれて、
最後はまた深々とお辞儀。
今まで警備の人に
こんなに親切にされたことは
なかったので、感動した。
 
「人って優しいんだなぁ。」
 
また嬉しくなった。
 
無事に家に着く。
久しぶりにこんなに歩いた。
暑いし、フラフラだ。
 
でも。調子が良い。
…久しぶりに
ジムにでも行ってみようかな。
 
携帯でスタジオの
予定表を調べる。
 
「あ、10時30分から
ボディバランスがある!」
 
急いで着替えて、
10時15分の電車に飛び乗った。
ジムまでは電車で2分。
 
あっという間にジムに到着。
約2カ月振りだ。
またドキドキしてくる。
 
「あ、先生だ…。」
 
尊敬するお気に入りの
スタジオの先生の姿を目にして、
ちょっとホッとした。
 
スタジオに入ると、
相変わらず明るくて
パワフルなシニアのみなさん。
この場にいるだけでも
心が健康になりそうだ。

「では、はじめま~す!」

ボディバランスとは
ヨガや太極拳、筋トレを
混ぜたような1時間の運動だ。

先生はレッスン中、
ポーズをとりながら
心にも心地よい言葉を
投げかけてくれる。
 
例えば両足と両手を開いて
星のようなカタチをとる、
スターのポーズをしていると、
「自分の輝きを忘れないで」
「全身で輝いて!」
とポジティブな言葉で
モチベーションをあげてくれる。
 
仕事終わりに
ボディバランスをしていた時は、
この言葉で荒んだ日々から
自分というものを
取り戻していたように思う。

今日は
『私も心から輝いていたい』
と思った。
 
久しぶりのボディバランスで
いろんなコリがほぐれていく。




「お疲れ様でした~!」

久しぶりのレッスンは
とても気持ちが良かった。

そして、朝しっかり
動いた安心感のおかげで、
昼ごはんは
野菜たっぷりサラダと、
母がストックで買ってくれていた
フルーツや総菜を
食べることができた。
 
午前中だけで、
ぎゅっと詰まった1日だ。
昨日までは
動くことすらできなかったのに
私、偉いぞ。
 
思い切って動き始めて
よかった。
 
頑張り過ぎや無理は良くないけど、
『前に進むための思い切り』
は時に必要なんだな。
自然とみなぎってきたパワーを
見逃さないことが大事なんだな。
 
それから午後は掃除をして、
翌日、親友と遊ぶ約束もした。

親友の言葉

 
翌朝。
今日も気分がいい。
一人だけど、
今のところ過食の症状もない。
 
体が重くない。
体が動く。
その『当たり前』が嬉しい。
 
今日もジムに行ってみようかな。
朝一のレッスンを調べると
ヨガだった。

「よし、行こう!」
早速支度をして、ジムに向かった。



気持ち~~~。

朝のヨガは本当、心身にいい。
縮こまっていた体も心も伸びる。
 
「すごい、私元気だ。」
 
一時間のレッスンを
楽しく過ごせて嬉しかった。
 
午後は
親友と会う約束をしている。
シャワーを浴びて、
化粧をして好きな服を選んで
家を出た。



「久しぶり~!」

「久しぶり!
花、退院おめでとう!
体調どう?」

「ありがとう!
今日は調子いいよ~。」

待ち合わせ後、
カフェに行くことに。
コーヒーと一緒に
ケーキも頼みたかったけど、
我慢した。
 
7ヶ月振りに会う親友、優希。
大学の心理学科で出逢った。
 
優希は本当に美人でキレイだ。
芸能人に間違われても
おかしくない。
大学の頃から
一目惚れされることも多かった。
しかし、
彼女も家庭環境に恵まれず、
DV、両親の離婚、家出、
家族の突然死。
いろんな過去を抱えている。
 
入院する前、最後に会った時は
仕事でいじめに合っていて、
恋愛も上手くいってなかった。
 
だけど。
久しぶりに会った優希は、
さらに美人になって
キラキラしていた。
 
近況を聞くと、
仕事のことも恋愛のことも
吹っ切れていて、
自分の足で前に進んでいた。
 
「っていうか私、
そんなに結婚したい訳じゃ
ないことに気づいたんよね。
結婚願望がない訳ではないけど。
 
相当心の底から
信頼できる人に出逢わない限り、
結婚はいいかな。
私の中で信頼できることが、
一番大きいから。」
 
そう言い切る優希。
 
入院中、
元彼と音信不通になって
恋愛に自信がなくなったという
話をすると、
キッパリこう言った。
 
「そうね。でも男女問わず、
みんなズルイところがあって、
自分に都合良く生きている。
私だってたくさん裏切ってきた。
別れなんてほとんど
裏切りのようなものじゃない?
 
誰だって終わりは辛い。
ただ、終わり方には
その人の心が出る。
強さや弱さが出る。

逃げる人は
自分が大事な人なんよ。
自分の弱さを守るために
逃げるんだから。
そんな男、
こっちから捨てていいんだよ。
 
取捨選択。
また選択するためにも、
捨てなきゃ。」
 
…なんてかっこいいんだ。
 
少し前までは人に流され、
どちらかというと
フラフラしていた優希。
いつの間にか
自分の軸を持っていた。
そして今の彼女には
その言葉通り、
取捨選択の力がある。
 
私に足りない部分だ。
 
私が捨てなきゃいけないのは
目の前にあるモノじゃなくて、
私を不健康にしてきた
心の中に在る、’何か’だね。
 
さすが親友。
名前の通り、
優希に会うととてつもなく
勇気がでるよ。
 
ありがとう。
 

しかし。
気分の良さは長続きしなかった。

三歩進んで、二歩下がる。


海の波のように
人の心にもバイオリズムがある。
気分が上がる時、下がる時は
誰にでもあるものだ。
 
だから、どんなに
調子が良い日が続いても、
下がる時がある。 
逆に、どんなに
気分が下がっていても、
必ず上がる時がくる。
そう心得ていたほうがいい。
 
退院したての私の心は
不安定でとても忙しかった。
 
 
3日間とっても調子が良かったのに、
また寝込んでしまったのだ。

落ち込む理由は分かっていた。

自信がないからだ。
食べることも生活することも、
これから待っている
仕事に対しても。
 
現実と向き合おうとすると、
体がそれを拒むように重くなった。
 
でも、それでも前に進みたい。


 
…そうだ。
気分転換に美容室にでも
行ってみようかな。
外見が変わったら、
ほんの少しだけでも
自信がつくかもしれない。
地元の行きなれた美容室なら
なんとか行けそうな気がする…。
 
多分、誰かに何かに
背中を押して欲しかったのだと思う。
 
常連客の母にLINEをする。

『気分転換に
Lillieで髪を染めて、
マツエクもしたいなと思って。
明日空いてるかどうか、
真由美さんにLINEで
聞いてもらってもいい?』
 
すると10分後…。
 
『本当は
空いてなかったけど、
事情説明したら特別に
明日いれてくれたよ!
気分転換に行こう!』
 
早速LINEが返ってきた。
さすが母。
すぐ予約を取ってくれた。
 


翌朝、地元に帰る。
ついでに
久しぶりに産婦人科にも寄って、
生理の薬をもらうことにした。
 
先生に
摂食障害になった話をすると、
体調をとても心配してくれた。
 
診察の最後には、
「まずはゆっくり
健康になってくださいね。
本当に子どもが欲しいと思った時に
授かれるように。」
と言ってくれた。
 
美容室に行くと、
痩せてしまった私を
みんなが心配してくれた。
病気のことを口にはせず、
元気になる言葉を
かけてくれる。
 
先にマツエクをしてもらうことに。
施術が終わると、
マツエク担当のお姉さんは
「うん、可愛い!
まぁ、花ちゃんは何もせんでも
そのままで可愛かけどね~。」
と笑ってくれた。
 
シャンプー担当のお姉さんは
「頭皮固いね~。
花ちゃん、頑張り過ぎてなか~?
もう充分頑張っとるから、
ゆっくりしていいとよ。」
と声をかけてくれた。
 
中学生の頃から
髪をカットをしてくれている
真由美さんは、
「お母さんの
心配しとらしたよ~。
入院しとったとやろ?
もうそりゃ、
お母さん心配ばい。
 
うちも子供が入院とかなったら…
もう、ぎゃん心配。
自分の子供っていうのは
いつまでも可愛いかけんね。
 
何歳になっても
子どもが辛い想いしてたら
同じくらい辛いし、
心の底から
変わってあげたいて
思うもんばい。」
と言ってくれた。
 
私が暴言を吐いていた時、
母はどんな気持ちだったんだろう。
ちょっと泣きそうになる。
 
今回は久しぶりに髪も染めて、
伸びっぱなしだった髪を
カットしてもらった。
今日は特に丁寧に髪を
巻いてくれる、真由美さん。
 
「よし、できた。
うん!可愛か!
花ちゃん、
花ちゃんはステキなもの
いっぱい持ってるんやけん、
自信持ってね。」
 
そう言って、
笑顔で送り出してくれた。
 
まつ毛も髪の毛も
可愛くしてもらった。

だけど、
一番つくってもらったのは
笑顔かもしれない。
お姉さんたちの言葉は
自信のない私に
元気とパワーをくれた。
 

美容室のあとは、
母と地元のショッピングモールへ。
いつも化粧品を購入しているお店で、
仲の良いお姉さんに
メイクをしてもらうことにした。

 

笑顔


化粧品売り場に行く。
 
「あ、よかった。お姉さんいた。」

お姉さんが私に気づく。

「あら!朝野さん、お久しぶりです。
あれ?ちょっと痩せられました?」
 
地元の小さな化粧品売り場だけど、
ここのお姉さんはセンスがある。
嘘のない的確なアドバイスも好きで、
信頼していた。
 
「ちょっと入院してまして…。
その間に彼氏にも
振られちゃったんです(笑)
でも、無事退院して!
退院のお祝いも兼ねて、
今日は気分を変えたいなと
思ってきました。
お任せでメイクしてもらっても
いいですか?」
 
何かを察した様子のお姉さん。
 
「そうだったんですね!
退院おめでとうございます。
もちろんです!
今日は朝野さんに似合う
可愛いメイクしましょう!」
 
とびきりの笑顔で
そう言ってくれた。
 
「ありがとうございます。」
 
メイクルームで
一旦化粧を落としてもらい、
保湿をしてもらう。

お姉さんの優しい手。
良質な成分で
たっぷり保湿をしてもらい、
肌も嬉しそうだ。
 
「これ、うるうるとした
艶めきが可愛いんです。」

お姉さんの
おススメのアイシャドウ。
自信がなく萎れていた表情に、
キラキラうるんだ
輝きの魔法がかかる。
その上に、明るい
オレンジの粒子が重なっていく。
チークとリップで
頬と唇がピンク色に染まる。
ちょっとしたテクニックと
新しいメイク用品で
いつもと違う私になる。

「わぁ、可愛いですね!」
 
お姉さんの言葉に照れながらも
嬉しい気持ちになる。

ほんの少しだけ。
いつもよりキレイだな、
なんて思ったり。
心もピンク色になる。
 
「次、違うメイクしてみます?」
 
「あ、はい。
ありがとうございます。」
 
それにしても今日も
お姉さんの笑顔はステキだ。
スッとした大人の
華麗さを纏いながらも、
晴れの日の青空のように
スカッと明るい。
その笑顔を見るだけで、
元気が出る。
 



  
「なんか自分に自信がなくて…。」
 
メイク中、
つい本音が漏れる。
 
「あら、花さん、
メイクも髪もお洋服も、
いつもステキでいらっしゃる
じゃないですか。」
 
ニコニコして答えるお姉さん。
 
「全然ステキじゃないんですよ。
最近気分も落ち込んでて…。
だから、化粧で少しでも
自信がついたらいいなと思って。
どうしたら私、
ステキになれますかね?」
 
わっ、
答えに困る質問をしてしまった。
 
「う~ん、
充分だと思いますが…。
 でも、女性はやっぱり!

一番は笑顔じゃないですか?
笑顔が一番のメイクだと
思いますよ。」
 
キラキラした笑顔で
お姉さんが言う。
 
お客さんにメイクをして
化粧品を売るのが仕事のお姉さん。
そのお姉さんから出た、
一番のメイク術が『笑顔』。
 
なんかとてもグッときた。
 
たしかにどんなにキレイな
メイクをしても、
表情がぶっきら棒だと
魅力的とは言えない。

そういえば昨日、
テレビで見た『お見合い大作戦』。
人気があったのは
笑顔が可愛い女性だったな。
特別美人という
わけではなかったけど、
女性の私から見ても
愛嬌のある笑顔がステキだった。
 

≪笑顔が一番≫
 
よく聞く言葉だけど、
自信のない今の心に
深く染みる。
最近の私は悲しい顔ばかり。

無理に笑顔をつくる
必要はないけど、
自然と笑顔になれる
心になりたいなと思った。

 

周りの優しさ


お喋りしながら
メイクが完成する。
 
最後にお姉さんは
赤のリップを塗ってくれた。
 
「うん、これも可愛い。
この色はやっぱり
花さんにしっくりきますね。」
 
さっきの淡いピンクの
リップも可愛かったけど、
この濃い赤のリップも
大人っぽくていいな。
 
鏡に映る自分が
少し、微笑んでいた。
 
その表情を見て、
 
「花さん、今キレイですよ。」
 
お姉さんはそう言ってくれた。

例えこれが接客トークでも、
今の私には
とっても嬉しかった。
 
「ありがとうございます。
お姉さんのおかげで
今日は元気がでました。」

「いえ。花さん、
こんなに可愛いんだから
自信を持って大丈夫ですよ。」
 
最後の最後まで
ステキな言葉をくれる。

思い切ってここまできて、
よかった。
メイク以上のプレゼントを
もらった気持ちだった。
 
今日は行く場所行く場所に
人の優しさが溢れている。
その温かさにふれる度、
泣きそうになった。
 



なんでだろう。
退院してからというもの。
 
初めて会う人も
通りすがりの人も
友達も
町の人も
家族も。
 
なんでこんなに毎日、
みんな優しいんだろう。
ステキなんだろう。
 
それなのに、
なんで私はまだ
元気になれないんだろう…。
 
悔しい。

入院しても相変わらず、
病気と向き合っている。
 
そんなことを
帰りの車内で考えていたら、
涙が溢れてきた。
 
「なんでやか。
なんでみんなこんな私に
優しいとやか…。
私、こげん性格悪かとに…。」
 
そう呟くと、
 
「花が優しいけんよ。
した分が返ってくるとよ。」
 
母はそう言った。
 
そんなことない。
私は与えてもらってばかりだ。
 
みんなの優しさは
心地よい距離感で。
スッとさり気なく、
側にいてくれる。

ばあちゃんが証明


その夜、
母方の祖母の家に
退院の報告に行った。
 
祖母の顔を見て安心したのか、
寂しいのか不安なのか。
別れ際また涙腺が緩み、
号泣してしまう。
 
そう。私は
’おばあちゃん’という
存在にとことん弱い。

母方の祖母も父方の祖母も、
小さい頃から
心の拠りどころだったから。
 
支離滅裂だけど、
涙とともに
素直な気持ちがこぼれる。
 
「ばあちゃん、本当は私、
不安で不安で仕方なかとやん…。
自信がなかとやん。
なんでこんなに
自信がなかとか分からんけど、
毎日怖かとやん。
 
食べるのも怖かし
太るのも怖い…。
外に出るのも人に会うのも
本当は怖い…。
 
病院でいろんなこと学んだとに、
上手くいかん。
お母さんのことも
いっぱい傷つけてしまって…。
みんな優しいとに、
私なんも変われとらん…。」
 
すると、ばあちゃんは
大らかな笑顔でこう言った。
 
「な~~~んね。
そげん言わんでよかたい。
花ちゃんはそのままでいいたい。
花ちゃんが頑張っとること、
み~んな分かっとるよ。
上手くいかんでも
それはそれでよかとやない?
 
花ちゃんは優しかよ。
ばあちゃんね、
小さい頃から
花ちゃんのこと見とるけん、
ばあちゃんが証明ばい。
 
大丈夫。
自信がなか~とかも
思わんでよかとよ。
花ちゃんは花ちゃんの
好きなことばしたらよかと。
今できることば
したらよかとやけん。
花ちゃんは
そのままで充分ステキよ。」
 
ばあちゃんが証明…。



小さい頃、
ばあちゃん家に
預けられることがあった。
その時間、
私は自由を感じていた。

「花ね、
ばあちゃんとおると、
黒色がなくなって
心の透明になる。
楽しいし、
嬉しいし、
悲しいし、
寂しい。
花、こんな風に
思ってたんだなって
分かるとやん。
ばあちゃんとおると
分かるとやん。」

祖母と居る時間は
透明な自分になって、
素直になれた。



だから、そんな私を
大人になっても「優しい」と
言ってくれて嬉しかった。

私の揺らぐ心に足される
ばあちゃんの言葉は
あたたかく、 
心の波を落ち着かせてくれた。
 
泣いてばかりじゃダメだね。
ありがとう、ばあちゃん。
 

 
帰りの車の中。
窓を覗くと、星が出ていた。
 
小さくきらめく、
たくさんの星。
川のようにのびる星屑は
まるで足跡みたい。
ひとつひとつは小さいけど
たしかに輝いている。
 
『三歩進んで、二歩下がる。』
 
日高先生が言ってくれた
言葉を思い出す。
 
そうだ。
それでいいんだ。
 
三歩進んで、二歩下がる。
だけど、一歩
ちゃんと進んでる。
 
小さなきらめきの連続。
それが道になるんだ。
 
まだ笑顔は上手くつくれないけど、
明日は今日より笑えたらいいな。

 

退院後の初診察


「朝野さん、
いきなり退院になって
びっくりしたでしょ?
本当すみません…。」
 
久しぶりの病院、
久しぶりの日高先生。
今日はちょっと委縮している。
 
「いや、本当に~大変でした!」
 
ちょっと大げさに言ってみる。
 
もちろん、
病院の唐突な対応も、
みんなの優しさにふれて
すっかり吹っ切れている。
 
「お家で
大変だったみたいですね。」
 
実は退院後、
あまりにも私が
狂気的に暴れるもんだから、
母もどうしていいか
分からなくなって、
病院に相談の電話を
したらしい。
 
なぎ総合心療病院は24時間、
患者や家族からの
電話相談受け付けている。
相談できる相手がいない
家族にとっても、
有難いことだろう。
 
母がどんなアドバイスを
受けたのかは知らないが、
退院して暴れまくっていた
数日のことは
先生に共有されているようだ。
 
「はい…。ちょうど心が
不安定になっている時に、
いきなり退院って言われて。
家に帰って
心が乱れてしまいました。
自分の気持ちを
コントロールできなくて、
母に八つ当たりしたりして。
本当ひどいことをしたと思います。
でも。なんとか
持ちこたえました。」
 
「そうですか。
ちょうどあの日、
僕が診れなくて…。
本当申し訳なかったです。
でも、頑張りましたね。」
 
「いえ、いいんです。
だって入院中、
途中までは順調だったから。
だけど、
元彼とのことがあってから、
何度気持ちを保とうと
頑張ってみても、
ちょっとしたことで
心が乱れるように
なってしまって…。」
 
「うんうん。そうだよね。」

吹っ切れたはずの
『元彼』というワードが
自分の口から出てきて、
焦った。

ちょっと待って。
私、もしかして
まだ俊介君のことを
引きずっているの…?
 
「きっと…
入院した時に描いていた、
入院後の『理想』と『現実』の違いに
心が大きく揺さぶられて
しまったんだと思います。」
 
 
 …ぐすっ。
 
あれ?
なんかすごく泣きたい。
 
あれ?
もう大丈夫だと思ってたのに。
なんで?
 
「好きだったんですね。」
 
日高先生が言う。
 
ポロポロポロ…。
涙が溢れてくる。
 
「一週間、よく頑張りましたね。」
 
先生の言葉に
涙が止まらなくなった。
 


そっか…。
 
私、本当は
辛かったのかもしれない。
大好きな人から裏切られて、
信じていた人から裏切られて。
とってもとっても
辛かったんだ。
辛い気持ちを隠すために
強がっていたんだ。
 
そして。
もがき苦しんだ一週間を乗り越えて、
やっとこの安全地帯に帰ってこれて、
嬉しいのかもしれない。

 

ゼロからのスタートじゃない


日高先生がティッシュを
差し出してくれる。

「…ぐすっ。
私、思っていた以上に
彼のこと
好きだったんでしょうね…。

なんか、
退院して想像以上に
できなくなっていることが
増えてて。
食べることも
普通に生活することも、
上手くできなくて。
当たり前だった日常にも
緊張しちゃって。

これから恋愛できるかも
分からないし、
摂食障害の私を
受け入れてくれる人なんて、
現われるんだろうかって…。

…ぐすっ。

30歳にもなって
ゼロからのスタートだと思うと、
なんだかなあって思います。
 
…ははは。」
 
泣きながら苦笑いする。
すると日高先生は 、

「ん?ゼロから?
本当にゼロからのスタートですかね。
僕はそうじゃないと思いますよ。」
 
と優しく微笑みながら言った。
 
え?
ゼロからのスタートじゃない…?

だって、病気になって
失ったものは大きい。
 
「積み重なっているんです。
大丈夫ですよ。」
 


積み重なっている…?
  
日高先生のその言葉に、
心がストンと軽くなる。
塞がっていた心の視野が
広がっていくのを感じた。

そっか。そうだよね。

摂食障害になって
食べる喜びを失って、
恋人も失って、
生きる希望を失いかけた。

だけど、入院したからこそ
自ら苦しむ生き方を
選んでいた自分に気づいて、
ラクに生きる方法を
学ぶことができたんだ。

病気という運命を
超えるような勇気を、
与えてもらうことができたんだ。

空いていた心の穴には今、
ここでしか出逢えなかった、
かけがえのない宝物が
キラキラ輝いている。
 
そうだ。
ゼロになったんじゃなくて、
不健康なモノは
削ぎ落とされたんだ。
これから健康な心になるために。

今までの出来ごとは
これからの人生に
溢れる程のプラスになったんだ。

「そうですね。
積み重なっているんですよね。
よかった…。
先生、なんか最近、
泣いてばかりですみません。」
 
「いえ。僕はこうして今、
不安な気持ちを素直に伝えて
泣いてくれている花さんに、
安心しています。
 
無理して笑顔なほうが心配。
ちゃんと成長していますよ。」

そっか。
この溢れてくる涙は
相手に甘えられている、
相手を頼れている証って
ことなのかも。

「…先生。
ありがとうございます。

なんか吹っ切れました。」

やっぱり日高先生は
私のスーパーヒーロだ。
 
たった10分の診察で、
どうしようもないと思っていた
一週間が、報われた気がした。
 
「それにこの一週間、
辛いこともたくさんありましたが、
支えてくれる人たちが居ることが
あらためて分かったったんです。
 
三歩進んで二歩下がりながら、
日常生活になれていきたいです。」
 
「そうですか。
よかったですね。
今は周りをたくさん頼ってくださいね。
自分の素直な気持ち、
伝えてください。
頼ることは悪くないから。」
 
「はい。」
 
退院しても、
日高先生は心の道しるべだ。

本当のさよなら


「それにしても、花さん。
復帰こんなに早くて大丈夫?」
 
「はい。大丈夫です。」
 
実は、仕事の復帰が
一週間後に迫っていた。
 
‘今は暇な時間は
少ないほうがいい。
勢いよく進んだほうがいい。’
自分でそう決めた。
迷いはない。
 
先生に復帰の診断書を
書いてもらう。
その間、病棟のほうへ
足を運んでみることにした。
 
一週間前までは
そこで暮らしていたのに、
少し緊張する。
 
看護ルームに顔を出す。
すると、
牧田さんが気づいてくれた。
 
「あ~!朝野さん!!
ちょっと、
あなた大丈夫だった!?」
 
勢いよく私のほうに向かってくる。
 
「も~、急な退院で
本当に申し訳なかったわ。
朝野さんの気持ち、
ちゃんと分かってあげれてなかった。
ごめんなさいね。」
 
母から連絡があり、
私のことを
心配してくれていたようだ。
 
他の看護師さんも私に気づき、
声をかけてくれた。
 
「頑張り過ぎてないですか?」
「きついことはない?」
「ゆっくりしていますか?」
 
相変わらず
優しい看護師さんたちに、
笑みがこぼれる。

「大丈夫です。
ありがとうございます。
今日あらためて私、
入院してよかったなと思いました。
みなさんに出逢えてよかったです。
感謝でいっぱいです。
本当、お世話になりました。」

ここで愛された日々を想うと
元彼を引きずっていることも、
そのせいで心が乱れて
大切な家族を傷つけていることも、
バカらしくなった。

たしかに好きだった。
だけど、
それでも彼は
最後に私の心に
大きな傷をつけたんだ。
 
終わり方も
ちゃんと出来ない人に、
右往左往している時間が
もったいない。

周りを見渡せば
私を大切にしてくれる人が
こんなにもいるんだから。
 



ふと、
蚊が飛んでいるのが見えた。
 
そうだ。 あいつは蚊だ。
私の人生に
ちょっと寄り付いた、蚊。
長い人生の
たった一瞬の痛みだ。
 


目を覚まそう。



パチンッ!
 
思いっきり叩く。
蚊ではない、自分の頬を。



あらためて、
こっちから「さよなら」だ。
 
やっと、
厚い壁が壊された。

世界が広がる音がした。




「…そうだ!」



タタタタッ。

受付で待ってくれている母に
駆け寄る。
 
どうしても伝えたい言葉があった。
 
「お母さん!
 あのね、あの時、
『俊介のくそやろう!』
て言ってくれてありがとう。
すっごく嬉しかったよ!」
 
母は「は?」という
顔をしていた。


その日は母と一緒に
実家に帰った。
 
こだわりが強くて不器用で、
だからこそ愛しい…
大好きな父に、
バナナをひと房買って。

 

入院して減った体重


身長158cm、
大学の頃は50キロ台だった私。
 
それから社会人になり、
仕事のストレスで自然と痩せていった。
そして過度なダイエットを続け、
摂食障害になった。
 
入院前、
拒食の症状がひどかった時の
体重は30キロ台。
しかし、過食が続いた入院直後の
体重は42キロだった。

入院してから
体重は増加していった。
食べる量が増え、
過食の症状もあったからだ。
 
しかし、
過食の症状が落ちついて
病院食のみを食べる生活になり、
散歩もしだすと
体重は減っていった。
 
病院食の
一日の総カロリーは
1500キロカロリーほど。
調子が良いと食事は進むが
基本おかずは7割、
ご飯は半分ほどしか
食べれていなかった。
痩せるのは当然かもしれない。

退院時の体重は40キロ。 
退院後のほうが痩せていた。
 
しかし、
日高先生はそこまで体重に
こだわっていない感じがした。
 
それよりも
痩せたいと食事を制限してしまう、
痩せたいと運動してしまう、
体重減少の行動を起こす
『心』を診ていた。
 
きっと、
一時期体重を増やしたとしても
『心』が変わらなければ
また痩せ願望への行動を起こして、
もとに戻ること。
『心』が変わったら
結果的に行動が変わり、
体重も安定することを
日高先生は知っていたんだと思う。
 
他の拒食症の患者さんは、
入院してきた日から
食べる量を義務づけられたり、
体重が○キロになったら
退院という人もいた。
 
私も一応、
一日の摂取カロリーの
目標数値はあったけど、
体重や食事を強制的に
制限されたことは一度もなかった。
 


そう。
全ては『経過』なんだ 。

まずは
体重を落としたいと思う、
心に向き合うこと。
食べたいと思う、
心に向き合うこと。

体重は結果として
後からついてくる。
日高先生はきっと、
そう考えていたんだと思う。
 
全ては『経過』。
そう思うと、
退院後に起こる様々なハプニングも
なんとか持ちこたえることができた。
落ち込んでも立ち上がれた。
辛い時も頑張ろうと前を向けた。
 
全ては『経過』。
今の体重も結果ではない、
ただの『経過』なんだ。

体重が増えたとしても
それはただの『経過』。
本当に太ったら
その時、痩せたらいいんだ。
 
過食してしまった日も
それはただの『経過』。
また明日、頑張ればいい。
 
母と喧嘩してしまっても
それはただの『経過』。
きっとまた分かり合える。
 
愛が見えない日も
それはただの『経過』。
きっとまた、
ステキな人に巡り逢える。
 
自分が嫌いになってしまう日も
それはただの『経過』。
きっとまた、
自分を好きになれる。
 


全ては『経過』。
日高先生はそれを教えてくれた。

 

 
朝起きると、
雨が降っていた。
 
カレンダーは
2017年7月25日、
青空に咲く向日葵の写真を
映している。
 
今日で実家とはしばらく
さよならだ。
 
仕事復帰の準備のため、
今晩から本格的に
一人暮らしをスタートさせる。
 
雨だけど、
今日はどうしても
行きたい場所があった。
 
それは
あのバスケットゴールがある
公園だ。
 
母に車で連れて行ってもらう。
 
「お母さん、
雨だから車で待ってて。」
 
「うん。
傘持っていきなさいね。」
 
バスケットゴールがある
公園に向かって一人、歩く。
 
水色のベンチが見えた。
今日は雨で濡れていて
座れない。
 
ここにくるのは3度目。
ベンチの前に立って
バスケットゴールを見つめる。
 
ここにきた理由は、
今の『私』を知りたかったから。
ここにきたら何か見える気がした。
 
真っ直ぐゴールを見つめる。

 
繊細な布に包まれたような、
音のない霧雨。
 
バスケットゴールは
いつもより白く霞んで見える。
 
この前来た時より、視界は悪い。
だけど
この前来たより、視野は広い。
そして
ほんの少し、希望を持っている。
 


あれ?
 
ほんのちょっぴりだけど
私、成長してる?
 
一週間前、
ここに来た時より
成長してる?
 


なんだ…。
 
大丈夫じゃないか。
やっぱり、
積み重なっているんだ。
 

それに。
最初にここに来た時は、
人と自分を比べていた。
 
だけど今は、
過去の自分と今の自分を
見つめている。
誰かと比べるんじゃなくて
自分を見つめている。
 
それだけでも大きな進歩じゃないか。


「あれ?」
 
ゴールの下に
バスケットボールが
転がっていた。
 

シュート


「誰かの忘れ物かな?」
 
傘を閉じて
バスケットボールを拾う。
 
濡れたボールを手に持ち、
フリースローの位置に立つ。
 
「これでも昔は
バスケ部だったんだから。」
 
息をひとつ吐き、
シュートを放つ。

ボールに降り注いだ雨粒が
空に舞う。



トンッ、トントントントン…。
 
ゴールに届きもしなかった。
 
もう一度。
ボールを拾う。
 
さっきより力を込めて、
シュートを打つ。
 
「シュート!」


…ガンッ!
 
ゴールの淵に当たり、
外れる。

手が濡れて
ボールが滑るせいだろうか、
雨で霞む視界のせいだろうか。
何回か試してみたけど、
なかなかゴールが決まらない。
 
よし、
レイアップシュートにしよう。
元センターだったから
レイアップは得意だ。
 
トンッ、トンッ、トンッ。
 
「シュート!」
 

…ガンッ。
 
外れた。
もう一度。
 
トンッ、トンッ、トンッ。
 
「シュート!」
 

コロコロコロ…。
ゴールの淵を回るボール。
 
「入れ!」
 
ストン。
 
ゴール枠から外れる。
 
「なんで!?」
 
ちょっとイラッとした。
 
転がったボールを拾いに行く。
 
ボールを手にとると
そこはちょうど、
スリーポイントシュートを打つ
位置だった。
  
「フリースローも決まらないのに
入るわけないよね。」
 
でも、最後に…
やってみるか。

「これで最後。」

白いラインにつま先を揃え、
ゴールを見据えて
ボールを構える。

「シューート!」

思いっきり
空にボールを放った。
 


予想以上に
キレイに弧を描くボール。
まるで雨上がりの虹のように。
 
 


スパッ。
 
 
コロコロコロコロ…。
 

「…えっ。」
 
バスケットボールは
ゴールの淵に当たることもなく、
キレイにゴールに
吸い込まれていった。
 

ゴール

 
「こんなことってある!?」
 
ね、神様、
もしかしたら空から見てる?
 
上を見上げると、
青空は雲に覆われていた。
 
神さまがいたとしても…
今日は見えないか。


「痛っ。」

髪の毛に溜まっていた雨が
目に入り、チクッと染みた。
同時に心もキュッとなった。

まるで雨が
瞳から心に流れて、
萎れかけていた心に
ポツッと当たったように。
 
「…ん?」

その瞬間、
何かが花開いたように
答えが見えた。


「そうだ…そうだよね!」

シュートの打ち方って
ひとつじゃない。

ゴールに向かって、
いろんな位置から
いろんなやり方で、
何度だってシュートしていい。
 
人生だってそうだ。
誰が人生の失敗や
挫折を決めるの?
 
ゴールが入るまで
打ち続ければいい。
その『過程』は
失敗なんかじゃない。
 
私は今、生き方を変える
大きな大きな
ターニングポイントにいるんだ。
 
人生の中で想像もしなかった、
『摂食障害』という
病気になったんだ。
 
初めての経験なんだから、
最初から分かるわけない。
心が揺れないわけない。
いっぱいいっぱい、
心が動いていいんだ。
 
『上手く食べられるようになりたい』。
 
ゴールは見えているけど、
今はシュートの打ち方すら
分からないようなものなんだから。
 
いろんなやり方で
ゴールに向かっていくんだ。
 
その中で、また誰かと
比べてしまう日もあるかもしれない。
退院した日のように、
ドン底に落ち込む日もあるかもしれない。
誰の言葉も心も
響かない日もあるかもしれない。
明日は傘が役に立たないくらいの
大雨が降るかもしれない。
 
でも、大丈夫。
雨が一生続いたことなんて
ないんだから。
 
雨はいつか止む。
視界は晴れる。
 
大事なのは
広い視野でいること。
雨さえ栄養にできる
心でいること。
晴れることを信じること。
晴れるまで進むこと。


摂食障害がなんだ。
心にいるモンスターは
私自身なんだから。
いつか絶対、
克服してみせるんだから。
生き方を変えて、
もっと成長して。
食べることが
『楽しい美味しい幸せ』って
心から思える日を、
自分でつかみ取るんだ。

どんなに挫折しても、
よくなることを、
長い目で信じ続けるんだ。

次この場所に来た時、
今日の私より
笑えていますように。
少しでも心が
晴れていますように。 




私の名前は、花。
 
雨に打たれて
キレイに咲くんだ。

笑顔を咲かすんだ。
 

序章にしかすぎなかった


水たまりに
枯れ葉が浮かんでいる。

小舟のような枯れ葉を
ボーッと眺める。

動かない小舟。
留まっているのではなく、
目的地を
見失っているように見えた。

これから沈みゆく
沈没船に見えるのは、
私の心が
そうだからだろうか。



「君の命が大事だ。」

2010年、23歳。
はじめて心療内科に行った時、
故・談志先生に言われた。

嬉しかった。
心が救われた。

 
 
それなのに…。



2017年、31歳。 

今、私は自らその命を
断とうとしている。




死にたくもないけど
生きていたくもない。




生きているのが辛い。
 
 
 
続く。
 


~最後に伝えたいこと~


――――――――――――――――――――
DEAR
作品に出逢ってくださった皆さまへ
note創作大賞関係者の皆さまへ
摂食障害に悩むあなたへ
摂食障害の家族を抱えるあなたへ
摂食障害かもしれないと悩んでいるあなたへ
―――――――――――――――――――――

『30歳、OL摂食障害』
~苦しい。だけど私、
 病気になってよかった~
を最後まで読んでいただき、    
ありがとうございます。

とても長かったと思いますが、
大切な時間を使って読んでくださり、
本当にありがとうございます。

はじめに、
お礼を言わせてください。

 ―――――――――――――――――――

note創作大賞関係者の皆さま。
この度はnote創作大賞2022という
ステキな機会を設けていただき、
ありがとうございます。
 
この企画のおかげで、
やっと書きたいことを
書きはじめることができました。
 
実はこの作品を書きあげるのに、
いや、書きはじめるのに
約4年の歳月を要しました。
 
何度も何度も書こうとしました。
だけど、
過去を振り返る度に
過食の症状に襲われ、
太るのが怖くて
書くことができませんでした。
辛かった場面を書こうとすると
体調を崩してしまい、
手が進みませんでした。

書きたいのに。
書けたらきっと、
誰かの心を救うことができるのに。
書けないことが
本当に悔しい4年間でした。
 
だけど。

どうしてもnote創作大賞で
大賞をとりたい。
賞をとって、
摂食障害という病気が
本当はどんなものかを
たくさんの人に伝えたい。
少しでも、
摂食障害に悩む方たちの
力になりたい。
このチャンスを、
絶対につかみたい。

その想いが原動力になり、
今回ここまで書くことができました。
ありがとうございます。
描ききれなかった続きは、
次回のNote創作大賞で
綴りたいと思います。

現状として、近年。
コロナ渦も相まって、
摂食障害に悩む人の数は
増加していると云われています。
しかし、病院が飽和状態で
入院できない患者さんたちが
たくさんいるのです。

入院したくても入院できず、
亡くなりかけた人が
いることも知っています。
病院にも行けずに、
一人で悩み続けている人が
いることも知っています。

これまでSNSを通して、
いろんな相談を受けてきました。

何年経っても
病気との向き合い方が分からず、
苦しんでいる人たち。
「痩せ願望」から抜け出せず、
命を削ってまでも
食べることを我慢している人たち。
ご飯を上手く食べることができず、
生きているのが嫌になるくらい
辛い想いをしている人たち。

本当にみんな、
悩んでいます。
助けを求めています。

そして、
予備軍と言われる人たちが、
自分が予備軍だと知らずに
今この瞬間も「理想」を追いかけ、
苦しんでいます。

摂食障害は
一時の病気ではありません。

摂食障害。
それは生き方の問題であり、
さらには何世代も続く
家庭環境の問題でもあり、
もっと広く捉えれば
社会全体の問題でもあるのです。

これまで綴ってきたように、
私は決して大それた経験を
しているわけではありません。
摂食障害を患う人の中で、
症状は軽い方なのかもしれません。
幸いにも
体質的に嘔吐が苦手で、
過食嘔吐タイプには
なりませんでした。

でも、きっと
心の苦しみはみんな変わらない。
根本にあるものは変わらない。

だから、私の経験もきっと、
摂食障害の悩む方の力に
なるのではないかと思いました。
そして、この作品が
本や映像となって広く伝われば、
一人でも多くの方に
この想いを届けることが
できるんじゃないかと思いました。

もし、私の想いと
note創作大賞関係者の皆さまの想いが
重なる部分がありましたら、
賞の候補として
ご検討いただけますと幸いです。

もちろん、
賞に選ばれなかったとしても
この作品を自分なりに
伝えていきたいと思っています。

それに、すでに私は
note創作大賞からステキな
プレゼントをいただいています。

それは自分を愛する心です。

4年間書けなかった想いを、
この数カ月でこんなにも
書くことができた、
そんな自分のことが
すごく好きになりました。
書くことを通して
私は自分を愛してあげることが
できるんだと気づきました。

あらためて
本当にありがとうございます。

―――――――――――――――――――

そして、
摂食障害に悩む「あなた」へ。

今回、この作品を通して
「あなた」に逢うことができて
本当に嬉しいです。

もう、ずっとずっと
「あなた」に逢いたかった。

食べることに苦しんでいる
「あなた」を助けたかった。

痩せることを頑張り過ぎている
「あなた」の心を救いたかった。

気づかぬうちに
難しい生き方をしてしまっている、
「あなた」の心を
少しでもラクにしたかった。

本当はもう、
身体も心も限界なんだよね。
今まで苦しかったよね。

食べたいのにずっと我慢して、
辛かったよね。
食べたくないのに我慢できなくて、
悔しかったよね。
太るのが怖くて運動し過ぎて、
キツかったよね。

自分のことを
どうしてあげたらいいのか
分からなかったよね。

でも、もう大丈夫だから。
そんなに頑張らなくてもいいから。
自分を責めなくていいから。

大丈夫。

生き方が少し変わるだけで、
人生はストンとラクになるから。

今までは、
ラクになれる生き方を
知らなかっただけ。

生き方を見直すだけで、
「あなた」の見ている景色は
色鮮やかになるから。
楽しくなるから。
面白くなるから。

少しずつかもしれないけど、
必ず未来は明るくなるから。

自分の力で立ち上がって、
前に進むことができるから。

だから、
絶望しても後悔しても
それでも、
その先に光があることを
信じて生きて欲しい。

もちろん、
どう頑張ってもどう決意しても
上手くいかない日も
あると思います。
暗闇から抜け出せない時も
あると思います。

私も摂食障害になって
はじめて、
摂食障害という病気が
こんなにも辛くて苦しいことを
知りました。

これまで何度、
人生に絶望したか分かりません。
普通に食べられない悔しさや、
自分の気持ちを
コントロールできない悔しさに、
何度泣いたか分かりません。

ほんのちょっとかもしれないけど、
「あなた」の気持ちが
分かるつもりです。

だからこそ、
もう無理をして欲しくないのです。
我慢して欲しくないのです。
大事な「あなた」の命を、
自ら縮めるようなことを
して欲しくないのです。

もちろん、
摂食障害の症状は十人十色で、
私の経験から伝えられる
症状の改善方法は限られています。

でも、根本に抱えている問題は
一緒だと感じています。

「あなた」に
もっとラクに生きて欲しい。
その一心で
この作品を書きあげました。

摂食障害になったきっかけや
日高先生が教えてくれたこと、
看護師さんたちがくれた言葉、
なぎ総合心療病院の取り組み、
患者さんとの出逢い、
母との関係や家族のこと、
仕事、彼氏、友達との関係。

1つ1つの章の中に、
摂食障害を乗り越えるための
‘気づき’という星を
ちりばめています。

入院生活の中で
みんなが私にくれた’気づき’の星が、
「あなた」の心の中で
一粒でも輝いていたら嬉しいです。

そして、
症状の改善やラクな生き方に
繋がれば幸いです。


この作品が「あなた」の
生き方を見直すきっかけに
なりますように。

―――――――――――――――――――

そして、
摂食障害の家族を抱える「あなた」へ。

この作品は摂食障害の
当事者と共に頑張っている、
ご家族にも届けたくて書きました。

大切な人が
摂食障害になってしまったこと、
症状に苦しんでいること、
日に日に痩せていってしまっていること、
毎日頑張り過ぎていること…。

その姿を見ているご家族も
きっと、私たち当事者と
同じくらい辛いと思うんです。

どうしてあげたらいいんだろう。
自分には何ができるんだろう。
どうして気持ちが伝わらないんだろう。
なんで変わってくれないんだろう。

ご家族のほうが
先に心が疲れてしまうことも
あるかもしれません。

私の母も
とても苦しんでいました。

だから、
この作品がご家族の方にも
前向きな気づきを得られるものに
なればいいなと思いました。

ただ、
症状も回復のスピードも
それまでの環境も性格も、
人それぞれ違います。
この作品はあくまでも
私個人の体験談となりますので、
比べるのではなく、
一つの事例として
参考になれば幸いです。

そして、
摂食障害の娘さんを持つ
お母さん。

娘さんと向き合う中で、
「娘が摂食障害に
なったのは私のせい」と
自分を責めることが
あるかもしれません。

『摂食障害は幼少期の
母子関係性が関わっている。
乳児期において、
母親との愛着の形成が
不充分だったと考えられる。』

そう云われているように、
もしかすると、
摂食障害になる種は
赤ちゃんの時に
撒かれているのかもしれません。

でも。
私はもっと深い土壌から
病気の根源は
はじまっていると思っています。

何世代も前の家族から
種は撒かれていると思うんです。

だから、決して
自分を責め過ぎないでください。

私も最初は、
「なんで私だけ摂食障害になったの?」
と家族を責めてしまう時が
ありました。

だけど、
病気のことを知っていく中で
『何世代も難しい生き方をしてきた
家族の負の連鎖を止めるために、
私が摂食障害になったんだ』
そう受け止められるようになりました。
『それなら私で止めよう!』
と前向きになれたんです。

そして実際、私が
摂食障害になったからこそ、
家族みんなで生き方を
見直すきっかけができました。
苦しい生き方をしてきた
家族みんなの心がラクになりました。

できることなら
『摂食障害に
ならなかったらよかったな』
と思う日もありますが、
摂食障害になったおかげで
生きるのがラクになったのも
事実なんです。
(作品の続きはまた書きます。)

だから、
どんな日も諦めないでください。

それに摂食障害は
偶然の結果であって、
少し歩む道が違っていたら
アルコール依存症や
買い物依存症など違う依存症、
または他の精神病を
患っていたかもしれません。
他のご家族が病気に
なっていたかもしれません。
(もしかしたらすでに
悩んでいらっしゃるかもしれません。)

家族の負の連鎖を、偶然、
摂食障害が教えてくれたんです。

だから、
原因に固執することなく、
起きてしまったことを
責めるのではなく、
ここからみんなで
より良い方向へ進む気持ちを
持って欲しいです。

今はとても苦しいかもしれません。
すぐに問題を解決することは
難しいかもしれません。
だけど、家族それぞれが
建設的な考えを持てれば、
家族みんなで幸せを
感じられる日もくると思うんです。

家族が摂食障害になった意味を
それぞれが見つめ直して、
家族みんなが
建設的な方向に向かっていくこと、
笑顔になれる日が来ることを
心から願っています。

そしてどうか、どんな日も。
娘さんのことを
ご家族のことを
信じてあげてください。
勇気を与えてください。
愛を伝えてあげてください。

摂食障害になった私たちにとって、
信頼と勇気と愛が
とても大きなパワーになります。

振り出しに戻った時も、
むちゃくちゃになった日も、
自分の力で立ち上がれることを
長い目で信じてあげてください。
必ず変われることを
長い目で信じてあげてください。

私もご家族の
明るい未来を信じています。

本当に毎日お疲れ様です。

―――――――――――――――――――

最後に。
届くか分からないけど。

この作品は今、
摂食障害の世界に足を
踏み入れそうになっている、
「あなた」にも
届けたくて書いています。

頑張り過ぎる「あなた」が
あの時の私みたいに
なってしまうのが分かっているから、
あの時の私のような思いを
「あなた」にさせたくないのです。

食べるのが怖い、
太るのが怖い。
食べてしまった後悔。
これを心が覚えてしまうと、
そこから抜け出すことは
なかなか難しいから。

「あなた」には
食べる喜びを失って欲しくない。
美味しい、楽しい、幸せ!を
充分味わって欲しい。

心からの願いです。

この作品を通して、
暗闇にハマりそうだった心が
助かったのなら
この上ない幸せです。

そして、
もう一人で悩まないでください。
きっと想像以上に
周りは優しいから。
周りの人を病院を頼ってください。

もし相談したいことがあったら
Instagramのメッセージに
ぜひ連絡をください。

摂食障害に悩む若い人が
一人でも減ることを
心から願っています。

―――――――――――――――――――
 
どうか、どうか
たくさんの「あなた」に
届きますように。

この作品で少しでも、
「あなた」の人生が
ラクになりますように。
 

「何でこんな病気になったんだろう?」
 
不幸にもとれるその問いかけが、
幸せに変わりますように。

「あなた」の心に
優しい花が咲きますように。






祈りを込めて
今日2022年2月6日、
私の人生を
インターネットの世界に放ちます。



2022年2月6日 朝野花

―――――――――――――――――――――


【コラム】嫌われる勇気

 
最後の最後に。
私が大事にしているメモを残します。

一度話を締めて申し訳ないですが、
どうしても
最後が一番しっくりきたので、
時間がある時にでも
読んでいただけたら嬉しいです。

――――――――――――――――――

摂食障害になった
私の人生を変えてくれた本がある。

それが『嫌われる勇気』だ。
今や全世界で大ベストセラー、
ロングセラーとなっている。

この本は今、
人生に迷っている「あなた」や
摂食障害に悩む「あなた」に、
ラクに生きるためのヒントや
大切な気づきを
教えてくれる本だと思う。
少なくとも私は救われたし、
摂食障害の治療に役立った。

入院中、
心に響いたところを夢中で
スケッチブックにメモした。
今でも人生に迷った時は
そのメモを見返して、
教訓にしている。
読み返す度に発見があり、
偏った考えから
抜け出すことができる。

最後にそのメモを紹介したい。
このメモを最後に載せる理由は
これまで書いてきたことが
全部、つながるから。
 
きっと、読むだけで
今抱えている悩みや心の荷物が、
少し軽くなると思う。

そして、この中の
何か一つでも実践できたら、
心が少しラクになって、
症状も少し落ち着くと思う。



「あなた」の悩みが
一つでも解決しますように。
 「あなた」の人生が
ラクになりますように。

このメモが
幸せに生きるヒントに
なりますように。


(参考文献:『嫌われる勇気』
 岸見 一郎/古賀 史健:著)
(当時のメモをそのまま写しているため、
 話が繋がりが分かりにくい部分が
 あると思いますが、ご了承ください。)
(【コラム】アドラー心理学との出会い
 の中で紹介した、
 『漫画で分かるアドラー心理学』
 の理解も深まると思います。)
 

【嫌われる勇気】
====================
世界はどこまでもシンプルであり、
人生もまたシンプルである。
人は変われる、
今日からでも幸せになれる。

====================
 
世界が複雑に見えるのは、
「わたし」の主観が
そうさせているのだ。
人生が複雑なのではなく、
「わたし」が人生を複雑にし、
それをゆえに
幸福に生きることを
困難にしている。
 
サングラス越しに世界を見れば
当然、世界は暗くなる。
暗い世界を嘆くのではなく、
ただサングラスを
外してしまえばいい。
そこに映る世界は強烈にまぶしく、
思わずまぶたを
閉じてしまうかもしれない。
それでもなお、
サングラスを外すことができるか。
世界を直視することができるか。
あなたに
その勇気があるか。
 
――――――――――――――
 
過去の原因ではなく、
今の目的で考えるのだ。
われわれはみな、
なにかしらの「目的」に沿って
生きている。
不安だから
外に出られないのではなくて、
外に出たくないから不安、
という感情をつくり出している。
 
原因論の住人であり続ける限り、
一歩も前に進めない。
 
――――――――――――――
 
トラウマは、存在しない。
いかなる経験も、
それ自体では成功の原因でも
失敗の原因でもない。
われわれは
自分の経験によるショック、
いわゆる
トラウマに苦しむのではなく、
経験の中から
目的にかなうものを見つけ出すのだ。
自分の経験によって
決定されるのではなく、
経験に与える意味によって
自らを決定するのである。
 
――――――――――――――
 
大切なのは、
なぜ与えられているかではなく、
与えられたものをどう使うかである。
 
あなたが
他の誰かになりたがっているのは、
「なにが与えられているか」ばかりに
注目しているから。
 
いまのあなたが不幸なのは、
自らの手で「不幸」であることを
選んだから。
(【善】→ためになる 
 【悪】→ためにならない)
つまり「不幸であること」が
自身にとっての【善】だと判断したのだ。
 
――――――――――――――
 
ライフスタイル、
すなわち「人生のあり方」は
自ら選びとるものだと考える。
 
あなたはあなたの
ライフスタイルを、
自ら選んだのです。
 
そして、再び
自分で選びなおすことも
可能なのです。
 
――――――――――――――
 
人はいつでも、
どんな環境に置かれても変われます。
あなたが変われないでいるのは、
自らに対して
「変わらない」という決心を
下しているから。
 
――――――――――――――
 
もしも
「このままのわたし」で
あり続けていれば、
目の前の出来事に
どう対処すればいいか、
そしてその結果
どんなことが起こるか、
経験から推測できます。

一方、
新しいライフスタイルを
選んでしまったら、
新しい自分に何が起きるかも
わからないし、
目の前の出来事に
どう対処すればいいかも
分からない。
未来が見通しづらくなるし、
不安だらけの人生を
送ることになる。
もっと苦しく、
もっと不幸な人生が
待っているかもしれない。

つまり、
人はいろいろ不満はあったとしても、
「このままのわたし」で
いることのほうが楽であり、
安心なのです。
 
――――――――――――――
 
ライフスタイルを
変えようとするとき、
われわれは
大きな「勇気」を試されます。

あなたが不幸なのは、
過去や環境のせいではない。
ただ「勇気」が足りない。
「幸せになる勇気」が
足りていないのです。
 
――――――――――――――
 
『人は変われる』。
人は常に自らのライフスタイルを
選択している。
わたしが変われないのは、
他ならぬ私自身が
「変わらない」という決心を
くり返しているから。
新しいライフスタイルを選ぶ
勇気が足りていないのです。
 
――――――――――――――
 
あなたがいま、
いちばん最初にやるべきこと。
それは
「今のライフスタイルをやめる」
という決心。
 
もしも何々だったら…と
可能性のなかに生きているうちは、
変わることなどできない。
なぜなら、
変わらない自分の言い訳として
使っているから。
 
――――――――――――――
 
シンプルな課題(やるべきこと)を
前にしながら
「それをしない理由」を
あれこれとひねり出し続けるのは
苦しい生き方である。
 
――――――――――――――
 
あなたは「あなた」のまま、
ただライフスタイルを選びなおせばいい。
 
これまでの
人生になにがあったとしても、
今後の人生をどう生きるかについて
なんの影響もない。
 
自分の人生を決めるのは、
「今ここ」に生きるあなたなのだ。
 
過去など存在しない。
 
――――――――――――――
 
なぜ自分のことが嫌いなのか。
 
短所ばかりが目についてしまのは、
あなたが
「自分を好きにならないでおこう」と
決心しているから。
 
あなたが他者から嫌われ、
対人関係のなかで傷つくことを
過剰に恐れているから。
 
あなたは、
他者から否定されることを
恐れている。
 
誰かから小ばかにされ、拒絶され、
心に深い傷を負うことを恐れている。
そんな事態に巻き込まれるくらいなら、
最初から関わりを持たないほうがまし。
 
つまり、あなたの「目的」は、
「他者との関係のなかで傷つかないこと」
なのです。

――――――――――――――

人間の悩みは、
すべて対人関係の悩みである。
 
――――――――――――――
 
われわれを苦しめる劣等感は、
「客観的な事実」ではなく、
「主観的な解釈」なのだ。
 
しかし、
主観は自分の手で選択可能である。
 
――――――――――――――
 
「あの人」の期待を
満たすために生きてはいけない。
 
われわれは、
他者の期待を満たすために
生きているのではない。
他者からの承認を求め、
他者からの評価ばかり気にしていると、
最終的には
他者の人生を生きることになる。

他者もまた、
あなたの期待を満たすために
生きているのではない。
相手が自分の思う通りに
動いてくれなくても、
怒ってはいけません。
それが当たり前なのです。
他者は
あなたの期待を満たすために
生きているのではないのです。
 
――――――――――――――
 
あらゆる対人関係のトラブルは、
他者の課題に土足で踏み込むこと、
あるいは
自分の課題に土足で踏み込まれること、
によって引き起こされる。
 
――――――――――――――
 
これは誰の課題なのか?
という視点から、
自分の課題と相手の課題を
分離していく必要がある。
 
誰の課題か見分ける方法はシンプル。
『その選択によってもたらされる結末を
最終的に引き受けるのは誰か?』
である。
 
――――――――――――――
 
他者の課題には介入せず、
自分の課題には誰ひとりとして
介入させない。
 
――――――――――――――
 
自らの人生について、
あなたにできることは
「自分の信じる最善の道を選ぶこと」。
 
その一方で、
その選択について
他者がどのような判断を下すのか。
それは他者の課題であって、
あなたはどうもできないのだ。
 
――――――――――――――
 
信じるという行為も、
課題の分離。
相手のことを信じること。
これはあなたの課題である。
しかし、
あなたの期待や信頼に対して
相手がどう動くかは、
他者の課題である。
そこを線引きしないままに
自分の希望を押しつけると、
たちまちストーカー的な
「介入」になってしまう。
 
例えば相手が自分の希望通りに
動いてくれなかったとしても、
なお信じることができるか。
愛することができるか。
 
――――――――――――――
 
もしも
人生に悩み苦しんでいるとしたら、
その悩みは対人関係なのだから。
まずは、
「ここから先は自分の課題ではない」
という境界線を知ろう。
そして、他者の課題は切り捨てる。
それが人生の荷物を軽くし、
人生をシンプルなものにする
第一歩である。
 
――――――――――――――
 
愛とは、
相手が幸せそうにしていたら、
その姿を素直に
祝福することができる。
それが愛。
互いを束縛し合うような関係は、
やがて破綻してしまう。
一緒にいて、
どこか息苦しさを感じたり、
緊張を強いられるような関係は
恋ではあっても愛とは呼べない。
 
――――――――――――――
 
人は、
「この人と一緒にいると、
とても自由に振る舞える」
と思えたとき、
愛を実感することができる。

劣等感を抱くわけでもなく、
優越感を誇示する必要にも駆られず、
平穏な、きわめて
自然な状態でいられる。
ほんとうの愛とは、
そういうことです。
 
――――――――――――――
 
一緒に仲良く暮らしたいのであれば
互いを対等の人格として扱うこと。
 
『差し伸べれば手が届く、
けれど相手の領域には
踏み込まない。」
そんな適度な距離を保つことが大切。
 
――――――――――――――
 
見返りに縛られないこと。
他者になにかをしてもらったら、
それをたとえ自分が望んでいなくても
返さないといけない、と。
 
相手がどんな働きかけをしてこようとも
自分のやるべきことを決めるのは自分。
 
対人関係のベースに「見返り」があると、
自分はこんなに与えたのだから、
あなたもこれだけ返してくれ、
という気持ちが湧き上がってくる。
 
われわれは、
見返りを求めてもいけないし、
そこに縛られてもいけない。
 
――――――――――――――
 
課題の分離をすることなく、
他者の課題に介入していった方が
楽な場面もある。
 
しかし、それは
相手の課題を取り上げてしまっている。
そして介入がくり返された結果、
子どもはなにも学ばなくなり、
人生のタスクに立ち向かう
勇気がくじかれる。
 
――――――――――――――
 
『自由とは、他者から嫌われること。』
 
他者の評価を気にかけず、
他者から嫌われることを恐れず、
承認されないかもしれない
というコストを支払わないかぎり、
自分の生き方を
貫くことはできない。
つまり、自由になれない。
 
嫌われることを恐れるな。
嫌われる可能性を恐れることなく、
前に進んでいく。
 
坂道を転がるように生きるのではなく、
目の前の坂を登っていく。
それが人間にとっての自由なのである。
 
――――――――――――――
 
他者にどう思われるかよりも先に、
自分がどうあるかを貫く。
 
――――――――――――――
 
幸せになる勇気には
『嫌われる勇気』も含まれる。
その勇気を持ちえたとき、
あなたの対人関係は
一気に軽いものへと変わる。
 
――――――――――――――
 
対人関係のカードは常に
「わたし」が握っている。
わたしが変わって変われるのは
「わたし」だけ。
 
その結果として
相手がどうなるかは分からないし、
自分が関与できるところでもない。
 
――――――――――――――
 
他者を操作する手段として
自分の言動を変えるのは、
間違い。
 
――――――――――――――
 
対人関係というと
「ふたりの関係」「大勢との関係」を
イメージするが、
まずは自分なのだ。
 
――――――――――――――
 
承認欲求に縛られていると、
対人関係のカードはいつまでも
他者の手に握られたままである。
 
――――――――――――――
 
自己中心的とは?
「課題の分離」ができておらず、
承認欲求にとらわれている人。
 
(他者はどれだけ自分に注目し、
自分のことをどう評価しているのか?
つまり、どれだけ
自分の欲求を満たしてくれるのか。
わたしにしか関心がない。
他者を見ているようで、
自分のことしか見ていない。)
 
他者によく思われたいからこそ、
他者の課題を気にしている。
 
それは、他者への関心ではなく、
自己への執着である。
 
――――――――――――――
 
他者を仲間だと見なし、
そこに「自分の居場所がある」と
感じられることを、
『共同体感覚』という。
(過去から未来、
 そして宇宙全体までも含んだ
 「すべて」が共同体。範囲は無限大。)
 
『共同体感覚』は、
幸福なる対人関係のあり方を考える、
もっとも重要な指標である。
 
――――――――――――――
  
「ここにいてもいいのだ」と
感じられること。
つまり所属感を持っていること、
これは人間の基本的な欲求である。
 
――――――――――――――

不幸な源泉は対人関係にある。
逆を言えば、
幸福の源泉も対人関係にある。
 
―――――――――――――― 

「わたし」は世界の中心に
君臨しているのではない。
「わたし」は人生の主人公で
ありながら、
あくまでも共同体の一員であり、
全体の一部なのです。
  
――――――――――――――
 
「人生のタスク(仕事、交友、愛)」
に立ち向かうこと。
あなたもわたしも
世界の中心にいるわけではない。
自分の足で立ち、
自分の足で対人関係のタスクに
踏み出さなければならない。
 
――――――――――――――
 
「この人はわたしに
なにを与えてくれるか?」
ではなく、
「わたしはこの人に
なにを与えられるか?」
を考える。
 
――――――――――――――
 
所属感とは、
生まれながらに与えられるものではなく、
自らの手で獲得していくもの。
 
――――――――――――――
 
対人関係の
[入口]は課題の分離であり、
[出口]は『共同体感覚』である。
 
『共同体感覚』とは
他者を仲間だと見なし、
そこに自分の居場所があると
感じられること。
 
――――――――――――――
 
出口が見えなくなってしまったとき、
まず考えるべきは
「より大きな共同体の声を聴け」
という原則。
→学校に居場所がない。
 それなら学校以外の世界に
 行ってもいい。
→会社に行くのが辛い。
 外を見れば、
 仕事はいくらでもある。
共同体のコモンセンス(共通感覚)と
物事を判断せず、
より大きな共同体の
コモンセンスに従うのだ。
 
ひとたび
世界の大きさを知ってしまえば、
自分が感じていた苦しみが
「コップの中の嵐」で
あったことがわかる。
 
コップの外に出てしまえば、
吹き荒れていた嵐も
そよ風に変わる。
 
――――――――――――――
 
人はほめられることによって、
「自分は能力がない」という
信念を形成していく。
ほめられることが
目的になってしまうと、
結局は
他者の価値観に合わせた生き方を
選ぶことになる。
 
――――――――――――――
 
関係が崩れることだけを
恐れて生きるのは、
他者のために生きる、
不自由な生き方である。
 
もしあなたが
異を唱えることによって
崩れてしまう程度なら、
そんな関係など
最初から結ぶ必要などない。
こちらから
捨ててしまってもかまわない。
目の前の小さな共同体に
固執することはありません。

もっとほかの「わたしとあなた」、
もっとほかの「みんな」、
もっと大きな共同体は
必ず存在します。
 
――――――――――――――
 
まずは課題の分離をすること。
そしてお互いが違うことを
受け入れながら、
対等な横の関係を築くこと。
(劣等感とは、タテの関係の中から
生じてくる意識である。)
 
――――――――――――――
 
同じではないけど、対等。
「介入」ではなく「援助」。
あくまでも課題を分離したまま、
自力での解決を援助する。
 
――――――――――――――
 
横の関係を築くこと。
その先にあるアプローチが
『勇気づけ』である。

(人が課題を前に
踏みとどまっているのは、
その人に能力がないからではない。
純粋に「課題に立ち向かう勇気」が
くじかれていることが問題。)
 
『勇気づけのアプローチ』で
いちばん大切なのは、
他者を「評価」しないということ。
 
評価はタテの関係から出てくる言葉。
 
もしも横の関係を築いているのなら、
もっと素直な感謝や尊敬、
喜びの言葉が出てくる。
 
――――――――――――――
 
人は感謝の言葉を聞いた時、
自らが他者に貢献できたことを知る。
 
――――――――――――――
 
どうすれば人は
勇気を持つことができるか?
→人は「自分には価値がある」と
 思えた時だけ勇気を持てる。
 
どうすれば「自分には価値がある」と
思えるようになるのか?
→「わたしは共同体にとって有益なのだ」
 と思えた時、自分の価値を実感できる。
 
(自らの主観によって、
  「わたしは他者に貢献できている」と
  思えること。)
 
――――――――――――――
 
「ここに存在しているだけで、
価値がある。」
 
――――――――――――――
 
まずは、
他者との間にひとつでもいいから
ヨコの関係を築くこと。

意識の上で対等であること、
そして主張すべきは
堂々と主張することが大切。
 
――――――――――――――
 
「自己肯定ではなく、自己受容」
無邪気な自分がいないのではなく、
ただ人前でそれができなというだけ。
→どうすればいい?
 『共同体感覚』を持つこと。
 自己への執着を
 他者への関心に切り替え、
 『共同体感覚』を
 持てるようになること。
 
――――――――――――――
 
■『自己受容』
大切なのは
「与えられたものをどう使うか」。
「わたし」に対する見方を変え、
いわば使い方を変えていくこと。
「できない自分」を
ありのままに受け入れ、
できるようになるべく
前に進んでいくこと。
 
――――――――――――――
 
100点満点な人などいない。
「肯定的なあきらめ」をする。
変えられるものと
変えられないものを見極める。
そして、
変えられるものに注目する。
 
≪カート・ヴィネガットの残した言葉≫
「願わくばわたしに、
変えることのできない物事を
受け入れる落ち着きと、
変えることのできる物事を
変える勇気と、
その違いを常に見分ける
知恵をさずけたまえ。」
 
われわれは勇気が足りないだけなのだ。
 
――――――――――――――
 
■『他者信頼』
信頼とは、他者を信じるにあたって、
いっさいの条件をつけないこと。
無条件に信じることである。
(信頼の対義語は、懐疑。)
 
あなたが
疑いの目を向けていると、
相手は
「この人は私を信頼していない」
と理解してしまう。
 
われわれは
無条件の信頼を置くからこそ、
深い関係が築ける。
裏切るか裏切らないかを
決めるのは、
あなたではない。
他者の課題だ。
 
あなたはただ
「あなたがどうすか」だけを
考えればいい。
 
われわれは
信じることも疑うこともできる。
 
そしてわれわれは
他者を仲間とみなすことを
目指している。
 
あなたはどちらを選択する?
信頼することを恐れてたら、
結局は誰とも深い関係を築けない。
 
――――――――――――――
 
■『他者への貢献』
仲間である他者に対して、
なんらかの働きかけをしてくこと。
貢献していくこと。
・NG
 他者のために自分の人生を
 犠牲にしてしまう人。
 →「社会に過度に適応した人」であるとして
  アドラーは警鐘を鳴らしている。
「わたし」を捨てて
誰かに尽くすことではなく、
むしろ「わたし」の価値を
実感するためにこそ、
なされるもの。

 ――――――――――――――

交換不能な「このわたし」を
ありのままに受け入れる。
→『自己受容』。

これができるからこそ、
対人関係の基礎に懐疑を置かず、
無条件の信頼を置くことができる。
→『他者信頼』

そして、人々は
自分の仲間だと思えるからこそ、
他者に貢献できる。
→『他者貢献』 

さらには、
他者に貢献するからこそ
「わたしは誰かの役に立っている」
と実感し、
ありのままの自分を
受け入れることができる。
→つまり、
 『自己受容』することができる。
 
――――――――――――――
 
自分を「行為のレベル」で受け入れるか、
それとも「存在のレベル」で受け入れるか。
 
――――――――――――――
 
他者がわたしに
なにをしてくれるかではなく、
わたしが他者に
なにをできるかを考え、
実践すること。
 
この貢献感さえ持てれば、
目の前の現実は
まったく違った色彩を帯びてくる。
→「ありがとう」の言葉がなくても
 「わたしは家族の役に立っている」
 と思える人がいる。
→なぜその人は貢献度を持てるのか?
 家族を「仲間」だと思えているから。
 
――――――――――――――
 
「人生の調和」が欠けた生き方
 →どうでもいいはずの
 ごく一部にだけ焦点を当てて、
 そこから世界全体を
 評価しようとしている生き方。
(ワーカーホリックの人は、
 人生の特定の側面だけに注目している。
 「仕事が忙しいから
 家庭を顧みる余裕がない」のではなく、
 仕事を口実に、
 他者の責任を回避しようとしている。)
 
――――――――――――――
 
幸福とは、貢献度である。
→「わたしは誰かの役に立っている」
 という主観的な感覚。
 
「行為のレベル」では、
誰の役に立てていなかったとしても、
「存在のレベル」で考えれば
人は誰でも役に立っている。
 
――――――――――――――
 
すべての人は
幸福になることができる。
 
自分は誰かの役に立っていると
「感じる」こと、
つまりは貢献度が必要。
 
あなたが幸福でないのは、
貢献度が持てていないからかもしれない。
 
――――――――――――――
 
≪アドラーは「承認欲求」を認めない≫
 
「共同体感覚さえあれば、
承認欲求は消えると!?」
 
「消えます。
他者からの承認はいりません。」

もし、本当に
貢献感が持てているのなら、
他者からの承認はいらなくなる。
わざわざ他者から
認めてもらうまでもなく、
「わたしは誰かの役に立っている」
と実感できている。

つまり、
承認欲求にとらわれている人は、
いまだ共同体感覚を持てておらず、
自己受容や他者信頼、
他者貢献ができていない。
 
――――――――――――――
 
「特別によくある」ことではなく、
普通であることの勇気。
なぜ「特別」になる必要があるのか?
普通であることは
なにか劣ったことなのか?
実は誰もが普通なのではないか?
→これを持つことができたら、
 世界の見え方は一変するばず。
 普通は無能なことではない。
 わざわざ自らの優越性を
 誇示する必要などない。
 
――――――――――――――
 
人生とは連続する刹那である。
計画的な人生など、
それが必要か不必要かという以前に、
不可能なのです。
 
――――――――――――――
 
いま、この瞬間を
くるくるダンスするように生きる。
目的地は存在しない。
 
ダンスを踊っている、
「いま、ここ」が
充実していればそれでいい。
 
ふと、周りを見渡したときに
「あれ、こんなところまで
来てたのか」と気づかされる。
→「いまなしつつある」ことが、
 そのまま「なしてしなった」ことで
 あるような動き。
 つまり、「過程そのものを、
 結果と見なすような動き」。
→登山に例えるなら、
 目的が登頂ではなく登山であること。
 結果として、
 山頂にたどり着くかは関係ない。
 
――――――――――――――
 
「いま、ここ」に
強烈なスポットライトを当てよう。
人生全体に
うすらぼんやりとした光を
当てているからこそ、
過去や未来が見えてしまう。
見えるような気がしてしまう。
 
しかし。
「いま、ここ」に
強烈なスポットライトを
当てていたら、
過去も未来も見えなくなる。
 
――――――――――――――
 
過去にどんなことがあったかなど、
あなたの
「いま、ここ」には
なんの関係もないし、
未来がどうであるかなど
「いま、ここ」で
考える問題ではない。
「いま、ここ」を考えていたら、
そんな言葉など出てこない。
 
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NO STORY
人生は点の連続であり、
連続する刹那である。
物語は必要なくなる。
 
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つまり、いまできることを
真剣かつ丁寧にやっていくこと。
 
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『人生の嘘』

人生の嘘とは、
さまざまな口実を設けて
人生のタスクを
回避しようとする事態を指す。
 
人生における最大の嘘は
「いま、ここ」を生きていないこと。
 
(過去を見て未来を見て、
人生全体に
うすらぼんやりとした光を当てて、
なにか見えたつもりに
なっていること。)
 
――――――――――――――
 
目標などなくていい。
「いま、ここ」を
真剣に生きること。
それ自体がダンス。
 
だれかと競争する必要もなく、
目的地もいらない。
どこかにたどり着くでしょう。
 
――――――――――――――
 
人生の嘘に頼らず、
この刹那を真剣に生きる「勇気」。
 
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『人生に意味はない』 
 
「一般的な人生の意味はない。
人生の意味は、
あなたが自分自身に与えるものだ」
とアドラーは述べている。
 
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『導きの星』

人が自由を選ぼうとした時、
道に迷うことが当然である。
アドラー心理学では、
自由な人生の大きな指針として
「導きの星」というものを掲げている。
 
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「導きの星」=「他者貢献」
 
導きの星とは他者貢献のこと。
 
「この指針さえ
見失わければいいのだ。
こちらの方向に
むかって進んでいれば
幸福があるのだ。」
という巨大な理想になるもの。
 
「他者に貢献するのだ」という
導きの星さえ見失わなければ、
迷うことはないし、
なにをしてもいい。
 
――――――――――――――
 
自らの上空に、
他者貢献という星を掲げていれば、
つねに幸福とともにあり、
仲間とともにある!
 
――――――――――――――
 
わたしの力は
計り知れないほどに大きい!
 
――――――――――――――
 
「わたし」が変われば、
「世界」が変わってしまう。
世界とは、
他の誰かが変えられるものではなく、
ただ「わたし」によってしか
変わりえない。
 
――――――――――――――
 
世界はシンプルであり、
人生もまたシンプルである。
 
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『誰かが始めなければならない。
他の人が協力的でないとしても、
それはあなたには関係ない。
わたしの助言はこうだ。
あなたが始めるべきだ。
他の人が協力的であるかどうかなど
考えることなく。』
 
end

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はじめて本を読んだ時は
心が震えました。

私に足りていなかったのは
「嫌われる勇気」だったんだと。

そして、
摂食障害だろうが何だろうが、
私は今、この瞬間から
変われるんだと。
 
これまでの私は
自分の承認欲求を満たすために、
人の期待に応えることに
必死でした。
 
誰かに認められたくて
学校では一番を目指して。
会社では社長の
期待に応えるために生きて、
苦しくなっていました。
 
体型についてもそうです。
自分を認めて欲しくて、
誰も期待なんかしていないのに
痩せることにこだわり続けて。
いつの間にか
摂食障害になっていました。

普通でいることが
劣っていることのように感じて、
「特別」になろうともがいていました。
 
「人生の調和」が
欠けた生き方をしていたのです。
 
そして。病院のみんなは
それを教えてくれていました。
 
日高先生が言っていた
「自分の課題と相手の課題」も。
 
寧さんが言ってくれた
「相手のために頑張ることより
自分の心をまず大事にしてね」
という言葉も。
 
室さんが言ってくれた
「そんな不健康な人はいりません」
という言葉も。
 
健康になれる世界、
健康な人たちがいる世界、
もっと大きな共同体の存在を
示してくれていたのです。
 
この入院生活で病院のみんなが
私に与えてくれていたのは、
ラクに生きるための
「嫌われる勇気」だったのです。

そして、
母との関係も分かりました。
 
母は忙しいあまり、
少しでもラクになるようにと、
自分でも知らないうちに
子どもの課題を
取り上げてしまっていたのです。
心の余裕がなくて
課題の分離ができずに、
私たち子どもの勇気を
くじいてしまっていました。
自立するチャンスを
奪ってしまっていたのです。
 
私も兄も
自分に自信がありませんでした。
過度に
人に嫌われることを恐れ、
それを避けた生き方をしていました。
 
でも、
やっと原因が分かりました。
だから、
原因のことはもういいのです。

それに母も、幼い頃、
『愛着関係』を上手く
築けなかった大人の一人。
「嫌われる勇気」がなかっただけ。
みんな同じなのです。

これからだって変えていける。
「嫌われる勇気」を
持つことは今からでもできる。

人はいつだって変われるんだから。

世界はどこまでもシンプルであり、
人生もまたシンプルである。
人は変われる、
今日からでも幸せになれる。
  
摂食障害だから
幸せになれない、
なんて、ない。

私は経験しています。
誰が何と言おうと、
摂食障害でも
幸せになれることを。

それを今、
苦しんでいる「あなた」に
伝えたい。

もし今、「あなた」を
苦しめる人や環境があるなら、
思い切ってそこから逃げて。

大丈夫。
一人じゃないから。
あなたの居場所はあるから。

「あなた」の人生は
「あなた」のものだから。

少しの間、
心が痛むかもしれないけど、
もうその苦しみは
味わなくて済むから。
きっと心はラクになるから。

今はただの『経過』。
生きていれば必ず、
良いことが待っているから。

私は知っています。
それなら
私から始める。
私が伝える。
だから
「あなた」に伝えたくて
ペンをとりました。


今はただの『経過』。
一緒に
摂食障害という運命を
越えて行こう。

今から幸せになろう。
生きていれば必ず、
良いことが待っているから。

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