『江戸っ子の心意気』

「いき」「はり」「いなせ」
「江戸っ子」という言葉の生まれは、江戸中期の明和八(1771)年。
「江戸っ子のわらんじをはくらんがしさ」と川柳で詠まれたのが最初とされています。
「わらんじ」は草鞋、「らんがしさ」は「乱がしい」、言ってみれば騒々しいという意味で、江戸っ子はガサツな人間だという事を詠んだようです。

この頃、各地から多くの人が江戸に流入し、江戸居着きの住民と江戸の気風に馴染みきれない地方出身住民との意識に差異が生じて「江戸っ子」という言葉が誕生したと考えられています。

江戸っ子といえば、先祖代々江戸に住み、上品で金ばなれが良く、「粋」(いき)な美意識の持ち主。容姿や身なりの洗練された色気を持ち、人情味と反骨精神を表す「はり」(意気地)も江戸っ子の「粋」の条件とされてきました。また、江戸っ子の「張り」を象徴する言葉に「いなせ」があります。出世魚である鯔(ぼら)の未成魚のイナの背を意味していて、日本橋魚河岸で働く若い衆の髷(まげ)がこれに似ていることから、威勢の良さを表す言葉に転じていったものです。

日本橋魚河岸の商人たちや、猛火に生身で立ち向かう命知らずの町火消たちは、とりわけ威勢の良さと気風の良さ、勇み肌を意気地としていました。
「歌舞伎十八番」のひとつ『助六由縁江戸桜』)すけろくゆかりのえどざくら)の主人公、『花川戸の助六』で、江戸っ子が憧れる男伊達の代表格でした。

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