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枕草子 第84話花の木ならぬは(2)

清少納言先生:続きをお願いします。
舞夢    :了解しました。

榊は冬の賀茂や石清水の臨時の祭りの時で、御神楽の舞に見ると、本当に趣が深い。
世の中の様々な木の中でも、特別に神前に供える木として生まれて来たと思うので、その趣も格別になる。
楠の木は、木々が多く植えられている場所でも、他の木と混ぜて植えられることはない。
ものすごく枝葉が繁った様子は、想像するだけでも疎ましく思うけれど、千の枝に分かれているところを見て、恋する人の乱れる心をあらわず比喩として使われる。
いったい誰が楠の枝分かれを数えて、言い初めたのかと思うと、興味が湧く。

清少納言先生:はい、お疲れ様。
舞夢    :楠木は、成長すると根や枝も張り出しますし、高さも20m
       から30mになりますね。
清少納言先生:それだから、他の木とは別に植えなくてはいけない。
舞夢    :千の枝に分かれてというのは?
清少納言先生:古今六帖に「和泉なる 信太の森の 楠の木の 千枝にわか
       れて ものをこそ思へ」からです。
       千枝は、千重に掛けてあります。

確かに楠の大木の、うっそうと繁る枝葉に、恋人を思い千重に乱れる心を思えば、興味も湧くというもの。
忘れ去られた表現とか感性とはいえ、不思議に納得する部分がある。
これも、日本人としてのDNAなのだろうか。

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