柿本人麻呂出雲娘子の溺死を嘆く
溺死せし出雲娘子の吉野に火葬せらし時に、柿本人麻呂朝臣人麻呂の作りし歌二首
山の間ゆ 出雲の児らは 霧なれや 吉野の山の 峰にたなびく
(巻3-429)
八雲さす 出雲の児らが 黒髪は 吉野の川の 沖になづさふ
(巻3-430)
溺死した出雲娘子が、吉野で火葬された時に、柿本朝臣人麻呂が作った歌二首
山の際から立ち上がる雲ではないけれど、出雲の娘は、霧なのだろうか。吉野の山の峰にたなびいている。
出雲の娘子の黒髪は、吉野川のかなたの水面に漂っている。
※八雲さす:出雲にかかる枕詞。
若くして、溺死してしまった出雲の娘子。
おそらくは、出雲出身の采女。
禁忌の恋を他人に知られて、それを苦に、吉野川に身を投げたと推測される。
山の間から立ち上がる火葬の煙は、出雲の娘子の魂なのだろうか。
どれほどの無念と哀感を持って、あの世に旅立つのだろうか。
それを見つめる人麻呂の嘆きも尽きない。
二首目の吉野川にたなびく黒髪は、出雲の娘子が溺死して、水面に浮かんだ時の姿を、おそらく現実に見たわけではなく、幻視。
美しく豊かな黒髪が、冷たい水面に漂う。
漂うのは黒髪だけではなく、出雲の娘子の溺死体。
気にかかっているのは、歌の順番。
先に、黒髪の歌があれば、まだいいのだけど、次に来ている。
確かに、身体そのものは火葬されて、その煙が空に昇っていく。
しかし、その次に、吉野川に浮かぶ溺死体、黒髪幻視の歌が来るということ。
人麻呂は、まだ娘子の哀しい念が、黒髪とともに、吉野川の冷たい水面に漂っていると感じていたのではないだろうか。