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土佐日記 第23話 九日、④

(行程)大湊から奈半

(原文)
かく思へば船子、梶取は船唄歌ひて何とも思へらず。
その歌ふ唄は、

「春の野にてぞ 哭(ね)をば泣く 若薄にて 手を切る切る、摘むだる菜を、親やまぼるらむ、姑や食ふらむ、かへらや」

「昨夜(よんべ)のうなゐもがな、銭乞はむ、虚言(そらごと)をして、おぎのりわざをして、銭持て来ず おのれだに来ず」

これならず、多かれども書かず。
これらを人の笑ふを聞きて、海は荒るれども心は少しなぎぬ。
かく行き暮らして、泊に至りて、翁人一人、尊女(たうめ)一人、あるが中に、心地悪しみしてものも物し給はでひそまりぬ。

※船唄
 船頭、水夫などが、船を漕ぎながら歌う唄で、当時の流行歌の貴重な記録。
※春の野にてぞ~
 「かへらや」までが一つの唄。
※うなゐ
 子供の髪型。襟首のところで髪を結ぶもの。またその髪型をした少年・少女。
 髪を肩まで垂らした子
※もがな
 願望をあらわす表現。
※おぎのりわざ
 掛け買い。支払いを後にして物を買うこと
※奈半の泊 
 安芸郡奈半利川の河口にある。大湊からは東南東航路約40キロメートルの距離。

(舞夢訳)
このように(私たち船客は、夜の海の恐ろしさに)震える思いだったのですが、船頭と梶取は、大声で船唄を歌って、何の恐ろしさも、感じてなどいない様子なのです。
彼らが歌う、その唄は、

私は、春の野原で、(悔しくて)大声をあげて泣いています。
若薄の葉で、手を切りながら(私が辛い思いをして)摘んだ菜っ葉なのに、(私の苦労には何の感謝もしないで)義父はむさぼるように食べるだけだろうし、姑は(さも当然といった顏で)食べるだけだろうから、(もう適当に摘んで)帰ることにするかなあ。

夕べ寝てあげたあの若者には、「金よこせ」と言いたいよ。
嘘八百並べて、いつか払うと言いながら、金を払いに来ないのだから。
(また通って来るかと思えば)姿も見せやしない。

その他にも、いろんな流行歌をたくさん歌ったけれど、(書ききれないので)この日記には書きません。
こんな戯れ歌ばかりなので、船客たちは面白がって笑い声をあげています。
その笑い声を聞いて、海が荒れてはいたのですが、心も少し落ち着きました。
こんな様子で船は行き進み、夜遅くに奈半の泊に着きました。
年老いたじい様とばあ様(紀貫之夫妻)は(ひどい船酔いでもしたのか)、食事も取らずに、床につかれてしまいました。

なかなか面白い流行歌である。
一つ目は、水夫の妻らしい。
妻は、夫が海に出ている間、夫の父と母に「こき使われていた」と、(海から帰って来た夫をつかまえて)文句を言う。
「私が、ススキで手を切るまでして摘んだ菜っ葉を、あんたの両親は、お礼も言わずに、食い放題なの!」
「だから、もう適当に(手当たり次第に)摘んで帰ったの!」
夫の「困り顔」を思えば、なかなか面白い。

二つ目は、河口や港にタムロしていた売春婦(おそらく年増)の歌らしい。
「寝るだけ寝て(抱くだけ抱いて)、金を払わないで(いつか払うと嘘を言って)、金を持って来ないし、姿も見せない」
もしかすると、水夫自身の若い頃の経験を歌ったのかもしれない。
「あんなババアには金払わない」と言いながら実際は、金そのものがなかったし、払う気もなかったのかもしれない。

恐ろしいはずの暗い夜の海でも、こんな戯れ歌は楽しい。
船上が、大笑いになるのも、よくわかる。

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