なべて自然の風物というものは見る人のこころごころであるから
谷崎潤一郎 蘆刈より
なべて自然の風物というものは見る人のこころごころであるからこんな所は一顧のねうちもないように感ずる者もあるであろう。けれどもわたしは雄大でも奇抜でもないこういう凡山凡水に対する方がかえって甘い空想に誘われていつまでもそこに立ちつくしていたいような気持にさせられる。こういうけしきは眼をおどろかしたり魂を奪ったりしない代りに人なつッこいほほえみをうかべて旅人を迎え入れようとする。ちょっと見ただけではなんでもないが長く立ち止まっているとあたたかい慈母のふところに抱かれたようなやさしい情愛にほだされる。
谷崎潤一郎が、後鳥羽院の水無瀬離宮跡に向かった時に、書いた文。
私は、この文と同じ思いを、明日香村を歩いている時に感じた。
明日香村は一一見、何でもない、どこにでもあるような、農村に見える。
しかし、秘められた歴史、その歴史の中で、必死に生きて、戦い、勝った人、負けた人の思いは、実に深く、濃い。
今の自分に、何が出来るか、そんなことは考えない。
深い歴史を秘めた明日香村の土も川も空気も、何も自分には求めてはいない。
ただ、歩いて行くうちに、また違う思いが起こった。
もしかすると、遠い先祖が、その歴史の渦の中にいたかもしれない。
そのDNAが、自分の身体に残っているかもしれない。
そうしたら、
「帰って来たの?」
柔らかく頬に当たる風から、そんなやさしい、可愛い声が聞こえたような気がした。
「うん。お待たせ」
自分の中の先祖の誰かのDNAが、反応したような感じ。
おそらく、そのDNAの人が、明日香村の空気に残った愛しい彼女に逢いたくなった、そう思った。
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