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『お前は、スーパーサブだよな。』
中学2年の夏に、恩師に言われたこの一言がずっと忘れられずにいる。

この言葉を言われたのは、
夏限定の活動期間である、水泳部にて。

運動が苦手な私が唯一できたのが水泳で、
誰がどの種目に出るのか、その発表の時だった。

水泳の4種目、どれも押し並べて泳げた私。
だけど、どの種目も1番を取れることはなかった。
どの種目でも私よりも上がいるのだ。

当時の私は、誰よりも負けずぎらい。
特に水泳に関しては、幼い頃からスイミングスクールにも通って、
努力だけは誰よりもしてきた自負があった。

だから、1番になれないことが悔しかったし、
1番になれないことを気にしている自分にとって
スーパーサブという称号を与えられることは、とても不服だった。

『スーパーサブだよな』というその言葉は、
これまでの人生のあらゆる場面で思い出され、
その度に不快な気持ちになった。

でも、実はこのエピソードには続きがあることを思い出した。
恩師はこの言葉の後にこう言ったのだ。

『スーパーサブのお前がいることによって、チームが壊れずに済む。
お前の存在は、とても安心なんだ。』

記憶とは都合よく書き換えられるものなのか、
この後半のエピソードの存在をすっかり忘れていたが、

この言葉をかけられたことによって、
『私って人を安心させられる人なんだ』
と新たな自分を発見をすることになり、

その後の人生においても、
『一緒にいて、安心できると思ってもらえる存在になろう』
そう思って、自分なりにできることに取り組んできた。

とはいえ、ナンバーワンがうらやましいと思う気持ちは嘘ではなくで、
何度か頑張ってみたこともあったり、

ナンバーワンの存在を目の当たりにすると
劣等感などネガティブな気持ちがくすぐられることもあったけど

年齢と経験を重ねていく中で、段々と
『なれるものになる方が心地よく生きられるのではないか』
そんなふうに思えるようになった。

その結果、
『南さんといると安心するよね』
そんなふうに言ってもらえることが多くなった。

何かに秀でていたり、
エッジが効いている人って、
魅力的に見えたりするものだけど、

そういう人たちが存在できるのは、
実は安定感がある人の存在が影にあったりすることもあるのかなと。

心理学やヨガの学びを通して
物事には陽と陰があることを知り、

優劣が付くものではなく、
お互いが存在するためになくてはならないことを知った。

だから私はこれからも、
『安心できるよね』と言ってもらえる存在でありたいなと
改めて思うし、

同じような思いをしている人たちがいるとしたら、
その人の強みを肯定して、サポートしていきたい。

そんなことを改めて感じた連休前半。
この連休は予定を詰めすぎず、自分の中にスペースを作るようにしたのだが、
そういう余裕ができる時って色々思い出すものなのかもしれない。

立ち止まって振り返ることって、実は前に進み続けるよりも大事なことで、
そして振り返るためには、自分の中にそのスペースを作ってあげないといけないのだと感じて、

今年は特にそういう時間を大切にしていくぞと、
何度も何度も自分に言い聞かせる。

気がつくと世の中のスピード感に飲まれてしまって、
我に立ち返ることを忘れてしまいがちなので。




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