アラン・フルニエ「グラン・モーヌ」天沢退二郎訳
半年積読だった「グラン・モーヌ」をようやく読了。
寒波と雪に閉じ込められ、骨折のこともあり読書が進む今日この頃。
映画化された「ル・グラン・モーヌ」を観たのが先だったので、どうしても映画のイメージが拭えないだろうと気になったが、読み進めているうちに自然と原作の世界に入り込んでいくことができた。天沢退二郎の訳を選んだこともよかったのだと思う。
ルキノ・ヴィスコンティ監督も好んだ19世紀末。その時代のフランスの田園風景が映画よりさらに素朴な様子で脳裏に映像となって広がっていく。
アラン・フルニエ(1886~1914)
第一次世界大戦で戦死した時は27歳の若さだった。
「Lu Grand Meaulnes」は1913年に発表され、フランスでは青春小説として最も多く読み継がれてきた作品の一つとされている。(アラン・フルニエのファン・サイトを先日見つけてビックリ!)
主になる登場人物は、タイトルにもある「モーヌの大将」と仲間によばれることになったオーギュスタン・モーヌ、語り手であるフランソワ・スレル。そしてモーヌが一目で恋に落ちた美少女イヴォンヌ・ド・ガレーである。
恋愛小説とも言えるし、青春小説とも言えるかもしれない。解説によると、アラン・フルニエの実体験がかなりの部分で投影されているということだ。
19世紀末のフランス。サント・アガトという田舎の上級学校に赴任した校長一家。一家は校舎の一角に住み込む。語り手のフランソワは校長の息子で15歳、教員になるための勉強をしている。そして突然転校してきたのが17歳の大柄で大人っぽいオーギュスタンだ。そして冒険の日々が、彷徨う数年が幕開けすることになる。
簡単に感想をまとめておくことにする。
19世紀末のフランス。田舎の情景や暮らしが興味深い
町はずれにある、細長い、赤い建物で、ガラスの嵌まった扉が五つあり、壁一面にツタがからんでいた。校庭はとても広く、雨天体操場と洗濯場も付いていて、前方は村に向かって大きな正門が開いていた。北側は、三キロメートルさきの駅に通じる道路に面して、小さな格子門があった。南側とその向こうは、畑地や庭園や牧草地が、郊外まで続いている・・・これが、私の人生で最も悩み多く、最も大切な日々を過ごした棲処の概要であるーこの棲処から、まるで荒びれた岩にうちよせる波のように、私たちの冒険の数々が、去っては戻り、砕けたのだった。
これは第一部第一章の冒頭部分の抜粋。当時の田舎の風景や庶民の生活の記述が全編を通じて多く、その情景を想像して浸っていたわたしだ。
誠実で優しいフランソワと大人っぽくて行動的なオーギュスタンの対比が魅力的
オーギュスタンは、大柄で大人っぽく(少しいけない雰囲気もある)、行動的で自由奔放(少年たちの憧れの対象であり妬みの対象にも成り得る雰囲気)。また金銭的に豊かな家庭の育ちである。
その逆に、教師一家の息子フランソワは病気のために片脚が不自由で虚弱体質に近い。つましい生活だが両親の愛情を受けて育ち、誠実で優しい性格である。
「オーギュスタンとフランソワはどちらも作者のアラン・フルニエの分身である」と解説にあるように、誰にでもこのような二面性があるのかもしれない。それを分離させて典型的で対照的な人物として配することによって、物語の面白味が増すのだろうね。(よくある手かな・・とも思うけど)
映画で一番心惹かれた「謎のお屋敷の不思議な祝宴」は最強
オーギュスタンが無断で馬車を持ち出し、道を間違えてたどり着いたお屋敷での幻想的な祝宴。そこで出会った美少女に強く惹かれて、再び会いたいと願いながらもなかなか叶わない。
オーギュスタンが迷い込んだ不思議な屋敷の奇妙な祝宴には村人が招かれ、子どもたちが招かれ(子どもたちがパーティーのコーディネートをしているらしい様子も見られる)旅芸人たちが招かれている。屋敷はかつては繁栄を誇ったらしい片鱗も窺わせながらも、荒れ果てている。そこの一室で子どもたちににピアノを弾いているイヴォンヌ・ド・ガレー。彼女は没落したお屋敷の娘だった。ブロンドで素晴らしく美しく、控えめで知的、そして愛情深い少女。
この屋敷でのできごとはいくつかの章に亘って記述され抜粋しきれない。そして天沢退二郎の訳は流麗で、何回も読み直したくなる。映画でも原作でも、わたしはこの部分が一番好きだ。
容姿端麗、情熱的で冒険家、魅力に溢れているが傍に居てくれない男と容姿貧弱で控えめ、傍に居て誠実に尽くしてくれる男とどちらがいいか
数日後にようやく学校に戻ってきたオーギュスタンだったが、その日から少女にもう一度会うために、再びあの屋敷を訪ねるための冒険が始まる。この冒険というのは、精神的な冒険、心の旅とも言えるかもしれない。
オーギュスタンは(夢を求めて)冒険をしないではいられない男なのだ。
オーギュスタンは常に何かを求めて旅を続ける。ネタバレだけれど(わたしのこのダラダラした日記を最後まで読む人は限られると思うし、この本を読むもの好きな人はほぼ皆無だと思うから)イヴォンヌ・ド・ガレーにとうとう会うことが叶い、結婚を申し込むことができたというのに・・・。結婚初夜の翌朝、イヴォンヌを一人置き去りにして旅に出るのだ。友との約束のためだ。
それから年月が経ち、ようやくオーギュスタンがもどってきた時にはイヴォンヌは亡き人となっていた。オーギュスタン不在のまま娘を出産して、難産の挙句に息を引き取ったのだ。彼女が愚痴や恨みを口に出すことはなく、およそ自分を主張するような記述は見られない。
一体何だったのだろうかイヴォンヌ・ド・ガレーの人生は!(19世紀の女性はそんなものだったのかも)
その間にイヴォンヌの傍でずっと彼女を支え続けたのはフランソワ・スレルだよ!オーギュスタンとイヴォンヌへの深く誠実な愛をもって、忘れ形見の娘まで世話をしていた。
それなのに、ひょっこり帰ってきたオーギュスタンは娘をフランソワから受け取ると、彼女を抱き上げてまた出て行ってしまうのだ。次の旅へと・・。
そりゃあないでしょう~~~!
この時点でわたしは完全にフランソワの味方となっていた。
でも19世紀の物語ですからね、怒ってはいけませんね。淡々とまとめるつもりが、次第にエキサイトしてきたのがわかって自分でも苦笑。
映画はとても美しかったから原作を読んでみた。途中ブランクがあったが、記録できたのは達成感がある。部分的に読み返したい美しい訳文が多くあったのはよかったと思う。