忘れ去られた記憶も蘇って来る
お久しぶりです。舞美です。
目まぐるしい毎日を送っていました。全くの別人のように生きています。良い意味で、健康的に、です。
昨晩、「理解できない?」と大切にしていた友人に言われ怒り、しかしその後、「4回も言ったじゃないか、LINEを見返してみて」と言われ、あぁ、私が忘れていたのか。と久しぶりに自分は健忘持ちだったことに気付きました。
最後に記事を書いてから、今日まで
ほぼ休む日もないくらいの忙しい日々を送って来ました。それは健康的な努力であって、いまでも症状はしばしば出てはいるのでしょうが、それそのものを覚えていないため余り問題になりません。一般的な人が努力するよりも難しい問題を抱えてここまで走り続けました。今でもまた、新しい問題を抱えています、きっとそれは成長のため。自分に言いたい、「えらい」。
私は認知症などには明るくありませんが、確かに一つだけ言えることがあります。
本当に葬られてしまった記憶に関しては、返ってこないものも多いです。私も悲しく思います。額縁は思い出せるのに中身で何を話したか思い出せない、と。
ですが、確実に少しずつであれば、本人にトラウマのない記憶に関しては、記憶喪失者もゆっくりと歩むうちに色んなことを思い出すことが出来ます。
昔の想い出において、部分的にしか思い出せないものに関しては、その人が現在生きる上で、その記憶は必要ないのだと脳が判断しているのでしょう。私もあります。過去にとても大切にしていた友人がいましたが現在は縁がない状態です。その人側について、周りの記憶はほぼ思い出せません。
・幼少期に数カ月ないし数年にわたり虐待を受けていた経験や激しい戦闘に参加していた日々など、特定の出来事または特定の期間(限局性健忘)
・ある出来事の特定の側面のみ、または一定期間中の特定の出来事のみ(選択性健忘)
・個人的な自己同一性や過去の経験すべて、ときに習得した技能や世界に関する情報を含む(全般性健忘)
・特定の人物や家族に関するすべての情報など、特定のカテゴリーの情報(系統的健忘)
・発症後に起きた新たな出来事すべて(持続性健忘)
私には複数個当てはまります。
はてさて、葬られた記憶はどこに行ったんでしょうか?
記憶は、想起できないだけで、どこかに眠っていると聞いたことがあります。そう思うと色々と怖いものもありますが、そう思わせないための自己防衛なのでしょう。
今でも、名前をつけた他の人物がたまに生きようとすることがあります。私の症状が酷い時には、多重人格者でもありました。
今でこそ、本名とビジネスネームで満足出来ていますが、そういえば、このブログを書いた時は違ったなと。
数ヶ月度に繰り返される記憶喪失がありましたが、それは刑事事件になるレベルの問題を起こす人間が傍にいたからだったかもしれません。完全に決別しました。今は単身で、それこそ本当に前向きに生きています。
多重人格の子達が、恋しい。
一人一人に名前、年、性格、生きたいことがあります。
私はどちらかというと人生他人奉仕のような部分があるので、多人格たちが和気あいあいとしていた様子に憧れます。
けれど、多重人格、解離性同一性障害は解離性障害でも一番重く、一番生きづらい障害。健康な今だからこそこんなことが言えるのですよね。
私は、演者にでもなるといいのです。
わかるのですから、他人が本当に、違う考えを持って
違う生き方をし、それに満足することを。そしてその人々にしか想起できない記憶があることを。
身体が生き続ける限り、まだまだ人生は終わりません。
私は、どうキャリアを構成していこうか、
もう、大まかなものは決めて覚悟していますが、それでもたまに、こうしてふと思い出すと、
懐かしい気持ちになります。
よく頑張ったね、4ヶ月の完走。
きっと、誰よりも強くなれたよ。
舞美
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