自然体験とか環境教育とか
身近にこうしたキーワードにひっかかる活動をしている人がたくさんいるので、なかなか大きな声では言いづらいけれど、私は「自然体験」「環境教育」などの言葉に、いつも警戒心を持っている。
かく言う自分自身も、そのキーワードにひっかかる活動をしているのだけど…。
ごくおおざっぱに言えば、自然という存在は、人を自由にするものだと考えている。
人工物には「人の意図」が埋め込まれている。
コップは飲用の液体を注ぐためのものだし、アスファルトの道路は自動車を走りやすくするためのものだ。
人工物には「正しい使い方」が定まっている。
一方、自然の論理で自然に生まれたものに、そのような「正しい使い方」はない。
そこに生えている草は、遊び道具になるかもしれないし、食べ物になるかもしれないし、うまく作れば笛になるかもしれない。見ているだけで面白いかもしれないし、引っこ抜いて気づくこともあるかもしれない。毒になるかもしれないし、薬になるかもしれない。
その意味で、自由なのだ。
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