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夢が無くても生きていける、けれど。

生きるために必要なのは、実現可能な「目標」であって「夢」ではない。

推しのRAB(リアルアキバボーイズ)を主人公とするアニメの放映は、実現が難しい自分の「願い」ではあるけれど、「夢」とは言えない。

「願い」を「夢」にするには、実現に向けて積極的に努力し、具体的な計画や行動を遂行する必要がある。

推し自身の夢であるRABのアニメ化のために、その原作小説を書いて発表し、推しの夢に貢献すること。
これがシニアの今の自分が初めて抱いた「かなえたい夢」だ。

だが、推しの夢に重ねて、自分の「夢」とすることは、有りなのだろうか?


第1章 夢を抱いたことがない

これまでの60年ほどの人生の中で、達成可能な「目標」を立てたり、こうだったら良いなという漠然とした「願い」はあっても、それを実現させようと行動に至る「夢」を抱いたことはなかった。

ネットが無く、仕事も趣味も、共有できる同世代の人口が少なかったため、仲間と「夢」を語り、共有し、目指した経験は無かったのだ。

それでも特に不自由なくDX系の仕事をし、2〜3世代若い友人たちとカードゲームやリアル謎解きゲームに興じていたし、生活を楽しんでいた。

節目が変わったのは、夢そのものではなく、自分が憧れているものは何か、ということに気がついた、ほんの3年ほど前のことだ。

第2章 コロナ禍でのコミックからの学び

コロナ禍で外出が減り、元々好きだったコミックに読み耽る日々が訪れたことがきっかけだった。

数あるコミックの中で特にハマっていたのは、女子バレー部の「少女ファイト」、箏曲部の「この音とまれ!」、サッカー部の「ANGEL VOICE」という長編だ。
何度も何度も繰り返して読んでは感動シーンに震え、彼らの生き方に憧れた。

これらに共通するのは、同世代の高校生の主人公たちが、様々な障害を乗り越えて、実現可能性は無さそうな「夢」に向かって進む点だ。

そういうベタな展開を経験したことが無い自分にとって、仲間と共に夢に向かって歩む姿が憧れであり、読み返しての追体験に感動していたと気づいた。

ただ、自分の憧れをコミックで理解したところで、現実での夢を急に持てるはずもない。
そもそもフィクションなのだから。

第3章 RABとの出会い:夢への始まり

そんな自分に訪れた転機は、半年前、RABの存在を知り、アニメや楽曲への深い理解のもと、高難度なブレイクダンスを中心としたパフォーマンスに感動し、その動画にハマったことだった。

同世代の友人から始まったアニオタかつプロのブレイクダンサーが、武道館ライブと自身のアニメ化を共通の夢として歩んでいるのは、まさに、自分が追い求めた憧れの姿だった。

最初に自分の中に芽生えたのは、彼らの夢が叶って欲しい、という素朴な「願い」だった。

しかし、RABの動画、自己紹介やトークなどから様々なエピソードを知り、彼らの約16年を追っているうちに、その苦難の歴史と仲間の強い絆に心惹かれた。

さらに、彼らの夢である武道館でのソロライブと、自分たち自身の二次元化=アニメ化は、数年前の動画から幾度も出てきていた。
最初は勢いだったかもしれないが、いつしか本当に夢になったのではないかと確信するようになった。

自分としては、武道館の方は、目標のようにも思えたが、自身のアニメ化は、アニオタである彼ららしい夢であると感じた。

そして、単なる観客でいるだけでなく、彼らの夢の実現に、直接貢献したくなったのだった。

自分が彼らのアニメ化のために何かできないかと考えて閃いたのが、アニメ化のための原作小説を書くことだ。

しかし、自分はブログもなく、X(旧Twitter)を始めとした、SNSへの書き込みも、これまでほとんどしてこなかっため、文章力は不安だらけだ。
また、素直にRABの歩んで来た道を小説にするなら、自分が書く意味は無いようにも思えた。

ただ、ここでもハマっていたものが、自分に指針をくれたのだった。

第4章 願いが夢に変わるとき

幸運なことに、その時にちょうどハマっていたものが二つあった。
一つは、長いコロナ禍の間に流行って、月に数十冊は購入していた異世界系コミックだ。
その推奨文を書いてみようと思って、ダウンロードだけしていたnoteを、アウトプットしていくツールに選んだ。

もう一つのハマりものは、AIで自動で小説を書けると評判だったChatGPTだ。
DXの仕事でも使い始めていたから、すぐに飛びついて課金までしたものの、書きたい小説を作成するのは難しかったが、プロンプトの書き方で回答が変わるのが面白くてハマってしまった。
文章の構成や作成、内容チェックには有用だと実感し、今では個人秘書のような存在だ。

自分のハマりものの合体、すなわち、異世界ファンタジーとRABのアニソンブレイキンを融合させ、ChatGPTに文章力を補ってもらいアニメ化原作小説を書く、というアイデアに心が弾んだ。

だがしかし、小説を書こうとnoteにアップロードされている記事を読んでみると、その言葉の選び方のセンスや、構成の上手さ、内容の面白さに、ただただ圧倒されてしまった。

こんな中で小説なんて書けるのか、とも感じた。

この時、ちゃんと「noteが大切にしていること」という公式記事を読んだ自分を褒めてあげたい。

そこには、「何よりも大事なこと。それは、楽しんで、発表し続けること」「まずは、創作したいこと・伝えたいことを世に送り出す」とあったのだ。

救われた思いだった。

原作小説を書くために、文章を発表していこう。
自分が目指すような原作小説を書き、読んでもらうには、自分の文章を、エッセイやコミック感想文など、稚拙でもいいから、積み重ねていくしか無いと覚悟が決まった。

この瞬間、自分の素朴な「願い」は、より具体的な「夢」に変わり始めた。

推しの夢に自分の夢を重ねたものであっても、その実現に向かって行動し続けていけば、いつか自分の「夢」になっていくことを知った。

最終章 夢のような時間

RABが怪我をせずに自身の夢を実現させること、これが自分の「切なる願い」だ。
そして、アニメ化原作小説の発表によって、推しの夢に貢献する、これが自分の「かなえたい夢」だ。

この理想形で夢がかなえば、一番嬉しい。

しかし、その実現に向かって、全くのゼロから45本の文章の発表という形で行動出来たこの半年は、シニアになるまで夢を持てなかった自分が、夢を追いかけることができた、まさに夢のような時間だった。

「夢」を、実現可能な「目標」にするために、そしてまた新たな「夢」を見出すために、これからも文章を積み重ねていきたい。

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