自粛ムードに流されない【まいまい京都のめざすもの⑪】
■ツアー実施は、参加者さんとの「約束」
まいまいは、ツアーを実施することは参加者さんとの「約束」だと考えている。旅行代理店によるパックツアーの場合、「最少催行人数」が決められていることが多い。最少催行人数に達しなかった場合、そのツアーに参加したい人がいても、ツアーは実施されない。
まいまいでは、そのようなことは基本的にしない。正直にいえば、参加者が集まらず、実施するほうが赤字になるツアーだってまれにある。けれど、赤字になるからというこちらの事情で、さまざまな都合をつけて「この日このツアーに行く」と表明してくれた参加者さんとの約束を反故にするわけにはいかない。黒字にできるくらい集客するかどうかは、完全にこちらの責任だからだ。
■荒天時の判断は?
まいまいツアーは、その多くが屋外で実施されるまち歩きだ。つまり、天気に大きく左右される。台風などの荒天時には、安全管理にひと一倍気を使う。台風の接近が予期されているとき、ツアーの催行は慎重に判断する。
開催可否については、前日夕方には一次判断をおこなう。その時点で、交通機関の運休や台風の直撃がほぼ確実な場合は、やむなく中止を判断する。しかし、台風の進路やスピードの予測は難しく、状況は直前まで刻々と変化していく。前日夕方に判断できないこともある。
わずかだが、まだ判断がつかないタイミングで「ツアーを中止してほしい」と連絡を頂戴することもある。不安はわかる。でも、それにはこたえられない。まいまいとしては苦しい局面だ。
■「自粛」が命じられる社会で
近年、鉄道会社が早めに計画運休をアナウンスするようになった。局地的な地震を受け、南海トラフに備えて、お盆の海水浴場が閉鎖されたこともある。社会の風潮として、リスクがある場合にはそれを徹底的に避ける行動が求められ、通常の営業を続けた場合、ひどいバッシングにさらされることもある。
「自粛せよ」。コロナ禍でも、世の中を覆っていた現象である。感染リスクばかりにとらわれていると、学校に行くとか仕事をするとか親戚づきあいをするとか、あたりまえの日常が失われた。「リスクのある行動をしない」ということが孕む別のリスクがあったことを、私たちは知ったのだ。
■リスクを抱えながらも、ふだんの営みを続ける
天候悪化の可能性が予報され、メディアが騒ぎ立てている状態では、ツアーを催行することが怖くなる。中止すれば、非難されることはない。けれど、中止をしない場合、後ろ指をさされる怖さとずっと戦うことになる。
実際、中止すると決めるほうが楽なのかもしれない。たとえば前日18時に中止せざるを得ないと判断したら、参加者さん全員に連絡し、連絡が届いたことを確認すればそれで仕事は終わる。
でも、中止すると決めない場合は、該当コース担当者は可哀想なくらい天気予報を見ている。気象庁をはじめとする一次情報とにらめっこし、中止を判断すべきか検討する。前日の時点で問題なさそうでも、朝5時に起きてまた天気予報を見て……。
ツアーを実施するというのは、参加者さんとの大事な約束なのだ。台風が来るかもしれないから、社会全体がなんとなく自粛を促しているから、はい、やめます、と気楽に反故にできるものではない。安全にはもちろん細心の注意を配る。だからこそ、ギリギリまで中止にすべきかどうか検討する。そのうえで、ツアーを実施したり、やむなく中止したりする。
この世界に生きている限り、リスクがゼロなんてありえない。さまざまなリスクを抱えながらも、どうやったらふだんの営みを続けることができるのだろうか。そうした日々の営みこそ、尊重されるべきものだ。自粛や自主規制に安易に流されずに、それぞれが大切な日常を送れる自由な社会であることを願っている。