もう1人の祖母を訪れる(1)
今月の頭に母方の祖母が死去しました。実はその頃、父方の祖母も緊急入院し、そのままホスピス生活がスタートしました。
自分は退職→引っ越しという節目でもあり、精神的にも肉体的にも忙しく・・・合間に就労移行&社会人学校通学・・・今月はいろいろありすぎて、ちょっと疲れてしまいました。
けれど時間は待ってはくれないので、昨日父方の祖母を訪れました。
「特に人にいじわるもせずに生きてきたのに、なんでこんな目に遭わなければならないんだろう・・・この、今の私の気持ちはなってみないとわからないよ」と言われてしまいました。
確かに肉体的な衰えは年齢的にまだ序の口である小生。進んだ老いを「わかる」とは言えませんが、うつ病により身体が生理機能を一切拒否し動けなくなるような経験をしました。「健常者よりは『わかる』に近いと思うんだけどな・・・『なんで自分がこんな目に???』という気持ちだってわかるさ」と感じましたが、寝たきりになってもなお他人を心配してくれる母方の祖母を思い出され、無用な暗い話題をしてもな・・・と思い、口をつぐみました。
人を癒やすためには、聞き手の「自分語り」ではなく「傾聴」が大切だと感じさせられた一コマでした。
そして、「食べたい」と思えない人に栄養を入れ続ける。未だに延命に賛成できない小生でした。健康的に老いれねば長生きをする意味はあるんでしょうか?