日記2023.4.9
おばあちゃんちに行った。
もう誰も住んでいない家は取り壊されるのを待つだけかと思いきや、そんなにがらんとはしていなかった。まだ、人の気配はある家だった。
大きなテーブルや家具はほぼ残っていて、家を潰すときに一緒にぺしゃんこにしてくれるからそのままにしておくかも、と聞く。
そんなゴジラ襲来みたいなやり方があるのか。
半年後には更地になる家にみんなを集めてご飯を食べて写真を撮りたい、と言ったのは私だ。
急がないと、おばあちゃんが生きているうちに。と思った。
実際まだ自分で歩く、耳も聞こえる、だからすぐにおじいちゃんのところに行く感じには見えないけど、自分も、誰かも、明日も生きてるかなんてわからないから、できるならすぐやりたかった。
日常的でないことを激しく苦手とする母には計画を直接言わず、周りから固めて一気に決行した。
母は約束の時間より二時間も早く家に来ていた。
お寿司を受け取り、姪っ子甥っ子も登場して賑やかになり、皆何度も美味しいお寿司だと褒めてくれ、良いお寿司屋さんが近所にあるのに、この人たちは一度も外に何かを求めなかったんだと知る。
全てがこの家の中で完結している。
子どもがおばあちゃんに(子どもからみたらひいおばあちゃんに)、なんどもなんども、私のことをあなたの孫だ、と説明してくれている。
お寿司をとってあげている。
温かいお茶をペットボトルだけど注いであげている。
ずっと隣に座って、何食べたい?とるよ、ウニ好き?と聞いてあげている。
10分後には全て忘れてしまうおばあちゃん、私のことも不思議そうに見ているおばあちゃんが、子どものことはすぐに覚えて何度も何度も、いいこだね、かわいいねと言っている。
子どもたちが走り回る音でほっとする。騒音には聞こえない。みんないてくれてありがとう。
夫はずっとその光景を撮り続けてくれていた。
忘れそうになった集合写真を撮ろう、という段階になってなんだか母がむくれ、出たーと思う。小さい子のように嫌だ写りたくないと言って椅子の後ろでしゃがむ母を見て呆れたけど誰かが引っ張り上げてくれた。
私はもう、同じ目線でしゃがんであげられない。
この人の機嫌をとるために生きていたと思うとやるせないんだ。
物理的に離れただけではわからなかったことが、本当にここ数年で都合のいいように解釈することができるようになった。
母は自閉スペクトラム症(ASD)の傾向が強いのではないかと思う。
自分の脳内で考えていたことと少しでも違うことが起こるとパニックになり、母のパニックとは不機嫌の爆弾なので、私は爆弾処理班として日々活躍していた。
おかげで母が何を考えてどうすれば機嫌良く過ごせるか、わりと、かなり、わかる。その立ち回りはできる。
できるポテンシャルがある子に育ったが、何度か精神を病んだ。結果的に長い長い時間がかかったけど、もう処理班は引退していいと思える、霧が晴れた瞬間があった。
私は、私が出会えた好きな人たちと生きるのがよいと思えた。処理班は私の中で解散した。
なので今はもう、日常的にこの不機嫌に出会すことがないのだけど、久しぶりに現場に遭遇してとても冷めた目で見てしまった。
なんでみんなこんなに自分のことをわかってくれないのか、と悲しくなっているんだろうな。
自分はこんなに頑張ってるのに、今日だって二時間早く来て掃除したのに、孫と楽しく過ごしてたのに、なんでなんで。
代弁ならいくらでもできる気がする。
そういう特徴がある人だと思うと、とても気が楽になり、母と直接接しても、かなり心を保てるようになった。
診断を受けているわけでもなく自己解釈だけれど、この特徴に名前をつけてくれてありがとうと言いたい。
子どもだった私は、夕飯が終わって自分の部屋に引っ込んで良い、という空気になったとき、毎日心からほっとしていた。
ママの機嫌良く終われた、今日はもうサポートしなくても良いという任務完了の気持ち、自分の時間がきたと思っての「ほっ」だったんだろうなと今ならわかる。
自分に興味のない話は聞くことができない母。私はわからないから言って逃げる母。
でも私は私の気持ちを偽りなく話す話を、聞いて欲しかったんじゃないかな。ママが好きそうな話じゃなくても。だって子どもなんだからさ。
雑談ができた日はすごく嬉しかった。
きっと楽しいことも嬉しいことも面白いこともいっぱいあって、心から楽しいと思っていた日だっていっぱいあったと思う。
だけともう、今は身を削らない。
帰り際までパニックを起こしてなにか大きい物音を立て、気づいて私こんなに大変なのと叫んでいそうな母の魂を父に押し付けて、今の家族と帰った。
私はそれでいい。私がそうしたかった。
いい子でなくていい。
家に帰ったら皆からありがとう、写真を見るのを楽しみにしているとLINEが届く。
ありがとう、私も楽しかった、我儘に付き合ってくれて、おばあちゃん元気で来てくれて、よかったと返した。
ごはんを食べ終わり、お風呂に入って、3人で今日の写真を見た。
綺麗な写真。孫とふざけて笑っている母は普通の母親に見えた。楽しそうに見えた。
私にもきっとずっとそう見えてた。