小説に浸かり込んでしまったあなたへ

本が好き、本が友達、そんな時期もありました。
でもそんな健全な小学生みたいな表現は、今のあなたにはちっとも似合わない。あなたは、今はもうそれが必要な患者のように言葉を欲していますね。麻薬患者はこんな様子なんじゃないかと、私はあなたと小説を見ていて思うのです。

文体に口調を支配されながらうつろな目をしている。
身を切られるような残酷さの後でしか、共感という深淵に触れられないほど傷つきたがっている。
この本は「違う」と思うと居ても立っても居られない不安に襲われる。
一つの物語が終わってしまったらせわしなく別の世界を求めて断つことができない。
あるいは物語の跡の薄いベールのかかった世界にしばらく漂い、戻れなくなる。

私はあなたから現実味という乾いた殻が剥がれ落ち、だんだんとふるえる花びらのような内部が見えてくる様子を見ていました。その物語がどんな曖昧さと現実と繊細さであなたを迎えているのかは、話の内容を知らなくてもあなたを見ていればわかりました。

あなたの話し方はよく変わりました。
中世のヨーロッパの婦人だろうかと思うこともあれば、角張った様子の男性探偵を彷彿とさせる時もありました。
かとおもえばまだ棘を知らない高校生のような姿で私を驚かせました。
しかしとりわけ私を不安にさせるのは、30代くらいの日本人女性の艶のあるゆらぎをあなたが纏ったときでした。

そんなとき決まってあなたは少し世界を諦めたように、静かに優しくなるのです。少しだけ大人びた言葉遣いの中に、ぎっしりと詰め込まれた熟れた果実か蜜のような甘さと気だるさを私が見逃すことがあるでしょうか。あなただって気づいているでしょう。その口調がまさに登場人物たちのものであることを。

あなたの感情の起伏にも変化が見られました。
一貫して周りのことを事実と捉えるような視線をするとき、感情には鍵がかけられたように、あなたは平然として周囲を認識してみせました。
物語の繊細さに打ちのめされているとき、あなたはとても不安定になりました。

カップの水面のその細かな波の美しさを見て、指の震えが収まらなくなることがありました。選ぶ言葉の一つ一つが憂いを帯びて、美しさという一筋の光を追いかけるように発されていきました。額には求めても見つからないものへの苦悩がいつも現れ、その姿をよりアンニュイなものにしていました。

あなたは、純度100%の「心温まるストーリー」だなんて嫌いだと言いました。真っ直ぐにストレートを投げてくる青春小説ではもう酔えなくなっていました。人の弱さやものごとの不確かさを、文章を通じて自分に刻み込もうと必死でした。そうやって自分が傷ついた後でしか、物語の中の「彼ら」に寄り添うことができないようでした。彼らにあるゆらぎを愛していたから、その匂いを嗅ぎ分けて、自然と繊細で不安定で時々残酷な物語に惹きつけられていったのでしょう。

ある時、わたしはもうあなたは現実という鎧自体を脱ぎきってしまったのだと思いました。もう望んでもここには戻ってこられないのだと悟りました。そして、せめて私の見た限りの美しさをまとい続けてほしいと願いました。

私は、あなたを美しいと思います。美しい言葉に囲まれ、女性のゆらぎが描かれた小説を特別愛するあなたが、ますます憂いを帯びて美しくなっていくことは当然のことではありませんか。それはあなたが現実を愛せなくなったということではなく、小説に先に飲み込まれてしまったのだと思うのです。

そんなに無防備に小説に感染したから。
あなたがあなたであった頃を思い出せなくなってしまった。
あなたが感じやすい人だったのを知っていて、図書の海でただあなたを見ていることしかしなかった。
麻薬から救い出さなかった私は罪でしょうか。
そうやってうつろな目で今日も本を探し、主人公を憑依させたあなたを見つけて神聖だと想っている私も、もうなにかの世界から戻れなくなっているのでしょうか。

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