「光る君へ」で道長の有名な望月の詩の中に見た、道長の本音と人間の嵯峨
この度、生まれて初めてNHK大河ドラマにハマったのだが。
「光る君へ」
藤原道長の有名な詩、
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる ことも なしと思へば」
少し前までは、
自分を世と思ったり、
満月のように欠けてないという、
なんて傲慢で、
上から目線なモラハラみたいなこと言ってんだろう~
くらいな解釈だったのだが。
最近の所感は、
立場的には頂点を極めた道長も、
実は不安でいっぱいで。
満月はこれから欠けていく。
つまりは、今がピークなんだろうな…
みたいな、切なさと。
でも、組織のために虚勢を張って、
大丈夫なフリをして、頑張らないと…
と思ってるけど。
年を重ねて、気力体力が衰え、
昔みたいにもう頑張れないし。
周りのみんなは嫉妬してきたり、
反発するし、
うまく行かない。。
なんか、めっちゃむなしいな…
全てがアホらしい、虚構だわ…
みたいな感じが本音なんじゃないかなと。
まさに「帝王は孤独の罰を受ける」ってことだなと。
まひろという存在が居て、
本当によかったなと。
まひろとの時間が心穏やかで居られる、
素で居られる、唯一のほんの一時なんだなと。
ソウルメイトみたいな感じなんだと、
これって、所謂、一般社会通念だと、
不倫てことになるのよね。。
法や文化、習慣は違えど、
1500年前も(平安時代は1000年代だとして)
人間の嵯峨?本質は変わってないんだなと。
マズローの欲求の階層通り、
生理的欲求、
安心安全の場が欲しい、
どこかに所属していたい、
認めて欲しい、わかって欲しい…
それがベースにあっての自己実現と。
さらに、そこを越えた自己超越の段階。
なんかな~
と、思った秋の夜長。
ごきげんよう。
写真は朝食のガレット。
じゃがいも千切りと塩昆布、オリーブオイルのみで焼いただけ。
フライパンの中にも満月居たわ(笑)
今が(食べる前が)ピーク。
諸行無常。
南無~(^人^)