神様がくれた時間調整
5年前のFacebookのリマインダーより。
当時は実父がいよいよ通院できなくなり、
私だけでお一人様受診して、
今後の治療方針を相談しに行ったときの心情。
がん末期で治療としてやれることがなくなってきた時期。
看護師としては理論的にも経験的にも、段階は頭ではわかっているが。
娘として、家族としては、
“父が悪くなっていくのが受け入れられなくて”。
まだ何かやれることはないか葛藤し。
非現実的な希望的観測で。
私以上にもっと状況を理解しておらず、
混乱、葛藤している母にどうやって説明すればいいか…
そもそも、最期はどこで過ごさせるか…
もはや、今本人に決断する力はないし、
元々そういうキャラだったし…
仕事はプロジェクトが3つくらい重なってピークに忙しい時期だし。。
同世代の友人たちは、まだ親を看取ったことのある人が圧倒的に少なく。
医療従事者だからこその、この辛さ、
わかってくれる人が少なくて。
相談しても単なる傾聴と同情のみで、
地獄のような日々だった。
で、やはり、こういう場の情報と感情の整理と道しるべをしてくださったのが古巣のプロの先輩だった。
意思決定支援、広い意味での緩和ケアは高度な看護技術だ。
誰でもできるわけではない。
そう言えば私、この人みたいになりたかったんだ。
そして、ウナギを食べる時間というか、
「神様がくれた時間調整」みたいな考え方もすごく大切なんだなと思った。
エビデンスや正しさだけを突き詰めたら、
いつか、壁にぶち当たる。
その根底は不安とか意地とかネガティブなものだから。
辛いからスピリチュアルに逃げたのかもしれないけど。
辛いなら、受け入れられないから、
「一旦、そういうことにしておく」
ことも必要だ。
事実かどうかは別にして。
事実と解釈は異なるし。
自分がどう見るか、捉えるかで幸せにも不幸にもなる。
どうせなら、周りにポジティブな影響を与えていきたいよね。
そうか、それが私のやりたいこと、
つまりは、私の残された命の使い方か。