2021年。「野生の勘」を取り戻せ。
行き過ぎたポジティブシンキングは得意ではないけれど、素直に思う。昨年は、少なくとも私にとっては、良き年だった。出来なかったことやがまんしたことよりも、「できたこと」の方がずっと多かった。それはとてもささやかなことで、近所の今まで知らなかった道を歩けたこと、外食尽くしだった私が初めて家で揚げ物をしたこと、何もないと思っていた田舎の実家こそが未来だと気づいたこと、雨の日に散歩すると濡れた雑草が美しいこと、夕暮れの家のベランダでの晩酌、そんなようなことの積み重ねなのだけれど。そんなささいなことの全てが、いつも通りの一年のルーティンだったら、絶対にできてなかった、かけがえのないことたちだった。
基本的に、通常の私の行動範囲はとても広い。ちょっと無理めな予定でも、タクシーに飛び乗れば大抵どうにかなる。行きたい場所は、当日でも飛行機に飛び乗って日帰りしたりもする。経験こそが財産と思い、とりつかれたように予定を詰め込み隙間のない毎日を送ってきた。でも、コロナで「移動」が制限され、「歩く」ことが基本になって気づいた。本来人間の体って、このくらいしか移動できないんだなと。そして、歩けば疲れるから休憩する。そこに余白が生まれ、足元や空を見る。葉っぱが綺麗だなとか、知らない小道に入り込んだりする。猫みたいだな。いのちは本来、もっとのんびりと、おおらかに生きているのだと思った。私はちょっぴり、自分のいのちや感性のスピードを、追い越しすぎてたかもしれない。
外出したり人に会う機会が減らされ、選択肢をなくされたおかげで、自分の両手いっぱいぶんくらいの狭い世界の、音、匂い、光に敏感になった。外の世界からのインプットはもちろん大切だけど、子供のころから私の内側に蓄えた感性、田舎を駆け巡って育ち鍛えた「野生の勘」みたいなものが、きっとこれからの私の一番の力になる気がしている。迷ったら、野生の勘。これ、私の今年のスローガンです。
というわけで、あふれる情報に支配されず、鵜呑みにせず、いまこの論調が主流だから合わせておこうなんて小賢しいことも考えず、「自分の感受性くらい自分で守れ馬鹿者よ」by茨城のりこの精神で、猫のようにますます本能的に生きていくことを自分に誓います。2021 元旦。