三一節の思い出
韓国で暮らして、何回となく経験してきた3・1節。この日になると、いつも思い出すのは、1991年3月1日、韓国で暮らして初めてのその日のことです。初めてなので、やはり緊張していましたね。当時は今よりずっと反日感情も強かったし。以下は6年後に書いたコラム。もう20年前のものですが、再掲。
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6年前の3月1日のことである。私はその日の前日から緊張していた。韓国で暮らして半年あまり、初めて迎える「3・1節」である。
その日の朝はいつものように下宿のみんなとご飯を食べるのがためらわれた。日本帝国主義の末裔であるところの私が、韓国人にとっては誇りある抗日独立運動の象徴であるこの日に、どんな態度で朝食の場に望めばいいのか。韓国人は日本の首相などに求めるように、私にも「公式謝罪」を求めるのだろうか。「遺憾です」じゃあ本質になっていないし、まさか「ミアナムミダ」(ごめんなさい)というわけにもいかないだろう。
えーい、寝たふりをして乗り切ろう。休みの日の朝寝坊なんて自然でいいじゃないか。そうして布団にもぐっていると、階下から下宿のおばさんが叫ぶのが聞こえる。
トクベツナゴハン
「ジュンコー、パブモゴー(ご飯食べな)!」そしておじさんの日本語。
「ジュンコさん、ゴハン、ゴハン」
私は黙っている。すると、おばさんが階段を駆け上がってくる。なんだかただならぬ様子だ。
「ごはんだ。今日は特別なんだから早く来て食べろ」
というようなことを言っていたと思う。というのは、この頃の私はまだ韓国語がちゃんと聞き取れず、おまけにこのおばさんの全羅道訛りの言葉はほとんど聞き取れなかった。とにかく、ただならぬ様子で、私は仕方なく階下に下り、顔を伏せたまま朝食の席に座った。
おばさんは今日の良き日を祝うかのように、うれしそうにご飯を盛り付けて「たくさん食べろ」と言う。おじさんも嬉しそうに「トクベツナゴハン」と言った。「特別なご飯」は五穀米だった。
今も残る「農村カレンダー」
「五穀米」は文字通り五種類の穀物を入れて炊くご飯で、米の他に麦、豆、アワ、キビなどが入る健康食だ。韓国では陰暦の正月15日に、これらを食べるのが昔からの習慣だ。1991年の3月1日はちょうど陰暦の1月15日にあたり、それで「特別なご飯」を下宿のみんなにふるまってくれたのだ。「三一節」だから「特別なご飯」だろうと思ってしまったのは、近代主義におかされた私の発想の悲しさであり、韓国の人々の中には自然の恵みに感謝する「農業カレンダー」が豊かにひきつがれている。
先週の土曜日、私はソウル市内のドイツ系ホテrで日本料理の定食を食べた。てんぷらと刺し身とともに出てきたご飯はこの「五穀米」だった。
「あ、今日は正月十五日ですね」
韓国人のサラリーマンが嬉そうに言った。 政治、経済ともに空前の大混乱。「大統領選挙までは」とあらゆるスケジュールが空転している中だからこそ、こんな「五穀米」が嬉しい。そして、私は久しぶりに韓国文化の豊かさを噛みしめた。