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小説を書くまでの経緯と葛藤

 小説を書くようになったのは、社会人になってからだった。
 学生時代は詩や短い文章などを書くことはあったが、本格的に小説を書くようになったのは社会人になってからだった。小説を書きたいという気持ちがやっと具体的な行動となって現れたのは社会人になってからだ。それまではああだこうだと言い訳や葛藤を繰り返してくすぶっていたのである。

 そもそも小説を書きたいという気持ちは小学生のころからあった。ただ書き方がわからなかった。断片的に書きたい描写は思いついても、それをひとつの物語にするところまではできなかった。だから断片的な描写でもいいのならと、詩を書くようになったのは小学3年生の頃。これくらいの短いものなら、想いを言葉に乗せることができる、そう思って書き始めた。小学生から中高生の思春期にかけては詩や短いコラム、日記を書き留めるようになった。その大半はノートの片隅やルーズリーフに書き留められ、ひそかにファイリングされているが、他人の目に触れるものではなかった。
 学校の授業で作文のコンクールや弁論大会の原稿で、オフィシャルになる機会では、大半の生徒がめんどくさそうにしている中、私は密かに燃えていたものだった。陽の目を浴びた文章もあったし、評価されず、埋没したものもあった。どのような結果であっても、文章にすること、想いを言葉にすることへの純粋な興味は変わらなかった。
 しかし、やっぱり一番書きたいと思っていたのは小説だった。物語の中で心が動かされる時間が好きだった。それを読者としてではなく、書き手として生み出すことができるならどれほど楽しいかと思っていた。

 学生時代、誰もが一度は悩む進路で、私がぼんやり思っていたのは、小説家になって自分が書く物語で生計を立てていければいいなと。しかし、それは簡単ではないということがわかっていた。その時点で、小説らしいものをまともに書けていなかった。世の中には既に才能があって、活躍している人がいるのも知っていた。高校生で小説家デビュー、芥川賞受賞など華々しいニュースはたくさんあった。才気あふれる同世代がいるなかで、あまりにも自分は出遅れていると思った。評価される、されないの次元でなく、小説家になりたいと願いながらも、まともにひとつの作品が書けていなかったのが情けなかったのだ。土俵にすら乗れていないと。
 進路相談というものが、進学先を検討したり、そのための科目やコースを選択するという現実的な問題を考える場だとしても、その話から派生して、これからどう生きていきたいか、何をしたいかという漠然とした、ある意味哲学的なことを考える機会になるのは間違いなかった。その文脈の中で、両親や先生に正直な夢を語ることは躊躇した。また同世代で同じく進路を悩んでしているであろう友人でさえも打ち明けられなかった。想いと行動(小説を書いていない)に矛盾が生じている状態では恥ずかしかった。
 今思えば、素直を夢を語って、でもやっぱり違ったわなんて簡単に言ってもいいと思うし、たいていの大人はそうやって夢と現実に折り合いをつけているものだとわかるようになった。ただ、その頃は言葉で表現することに固執しているからこそ、一度口に出した言葉には責任をとらなければと思っていた。責任をとれるほど覚悟が定まっていないと思っていた。
 それに、小説で生計を立てていくなんて、ごく一握りの限られた人しかできないものよ、甘くないのよ、とばっさり否定されて、他の生き方も柔軟に考えなさいと言われることも恐れていた。
 タレント、アーティストになるというのもそうだろうけど、才能と運どちらも兼ね備えていないと生きていけない世界をめざすなんて、成功すればいいかもしれないが、成功もせず、ただ夢見がちで現実が見えず、ろくに働きもしないという将来が見えてしまうのを恐れるのが親心だろう。
 そんな反論なんて予想もできるし、自分でもわかっているが、口に出すことに葛藤を覚えながらやっとの思いで打ち明けた夢をあっさりと否定されると傷つくものだ。大切な想いというものは無闇に否定されたくはないのだ。
 そんなこんなで小説家になりたいという想いを隠して、無難というか現実的な進路先を考えて、第二に興味のあることを口にすることにした。その進路のもとで勉強をして大学生にめでたくなった。第二に興味のあることは外国への興味だった。英語の勉強や国際問題の勉強をするようになった。そこでも軽い挫折があったが、本論からずれてしまうので、別機会に語りたいと思う。
 大学生になってからも、水面下で創作活動っぽいことはやっていた。詩を書いたり、流行っているSNSでコラムや日記を書いたり、つぶやいたり。表現ツールはたくさんあったから、ひまを見つけてはつらつらと書いていた。大学生は圧倒的に自由な時間があった。
 しかし、本格的にまだ小説は書いていなかった。何にその自由な時間の大半を投じていたかというと、第二の興味(外国への興味)に関係するサークル活動だった。イベントをつくるサークルだったので、準備やそれに付随する会議で何かと忙しくしていた。また海外旅行へもお金が許す限り、わりと頻繁に行っていた。
 真面目な性格が災いしてというか功を奏してというか、サークル運営の幹部になり、代表になりと忙しくしていた。文章にしても何にしても、創作するということはある程度エネルギーのいる作業で、片手間にするにしてもバランスを考えなければできない。ましてや、いまだまともに小説を完成させてこともないのに、サークル活動で生じる責任や役割を全うしながら、その新たな試みをする力量が私にはなかった。
 サークル活動を卒業してからは、本格的な就職活動が始まった。今度は就職活動に忙殺されることになる。小説のかわりにエントリーシートの作成に頭を悩ませる。

 就職活動というのも中高生の進路相談のときと同じく、これからどう生きていきたいのか、何をしたいのかという哲学的問題を考えさせられることになる。小説を書いて生計をたてたい、プロになりたいという思いは変わらなかった。むしろ、中高生よりもその思いは強くなっていた。大学生時代を第二のの興味対象の活動に捧げた分、一番好きなことへの努力をせず、ないがしろにしてきた後悔を感じるようになっていた。
 小説を書きたい。小説を書こう。日々に忙殺されてやらなかったら後悔する。まずは土俵にのらなきゃ。そんな思いが強くなった。
 思春期のときよりも、ちょっぴり現実的に冷静に自分の立ち位置を見ることができる。若くして小説家デビューした人ばかりでなく、社会人経験を何年もしてから、デビューする人もたくさんいる。スポーツとは違い、若くないと有利ではないというわけでもない。会社員をしながら、創作活動をし、受賞などしてデビューして、徐々に会社員と小説家の割合を変えていくそんな道があると知る。
 で、あるならば、私にだってチャンスがあるはずだ。
 就職活動を終えてから、社会人になるまでのあいだ、小説を書き始めた。本当は就職するまでに完成させるはずだったが、間に合わなかった。それであきらめるわけもいかなかったので、社会人になってから完成を試みた。だが、就職して新生活に慣れるまでの執筆のブランクもありで、完成したのが社会人2年目になってからだった。産みの苦しみがあった。はじめてにしては原稿用紙300枚超えの大作だった。

 ひとつの作品を完成させるというのは大きな自信となった。夢見がちになるのではなく、夢を現実のものにするための第一歩を踏み出せたのが誇らしかった。最初の小説を完成させる決意をしたとき、これまでごく親しい人でさえ打ち明けられなかった、小説家になりたいという希望を口に出すことができるようになった。
 昔とは違って、行動に移していることが、想いと言葉に矛盾がないことが堂々とできる要因だった。
 本心では笑われているかもしれない、夢見がちだと思われているかもしれない。それでも頑張って応援してるよと言われるのは嬉しかった。自分が心血を注いでいる対象を承認してもらえたというのが大きかった。
 会社員として生計をたてつつも、小説家になることを目指し続けたい。そんな想いで小説を書き続けた。また小説を書くだけでなく、真摯に仕事にも向き合ってきた。

 でも、あれ、このままでいいんだろうか? この頑張り方あってる?
そう自問自答する出来事が増えてきた。そのエピソードは小説して今後アップしていけたらなあと思います。

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