【FIRE夫の子育て】満ち足りた経験が、のちの挑戦の土台になる
夫がおもむろに話し出した。
「俺いま”SHOE DOG”読んでんじゃん?
NIKEの創業者が書いた自伝なんだけど」
「その中でさ、子供の頃、おじいちゃんがしょっちゅう自分のトラックの荷台に孫たちを乗せていろんなとこに連れて行ってくれた話が載ってんのよ。
で、途中でドーナツ屋さんに寄るんだけど、毎回ひとり1ダースずつドーナツ買ってくれたんだって。全員で1ダースじゃないよ、ひとりに1ダースだよ?」
「もうさ、ドーナツ1ダース食べていい状況って、子供にとって至福の境地だよね。トラックの荷台で足ブラブラさせながら甘いドーナツ食べるわけよ。
で、その満ち足りた経験が、のちにビジネスで大変な思いをしている時の支えになったって書いてあるわけ。あのときの、気持ちが満たされた感覚、安心感があったから、その後のビジネスで何があっても踏ん張れたって」
「俺、それすごい分かるんだよね。死に物狂いで何かを成し遂げようとしてるときの支えになるのって、そういう子供の頃の満ち足りた気持ちなのよ。
昔さ、ビックリマンチョコ(のシール)を集めてた時におばあちゃんがダンボール3箱くらい買ってきてくれたことがあるんだけど、そのときの気持ちはさー!もう歓喜だよね。『わあああ!』って。
あと、金曜日の夕方から始まるアニメのゴールデンタイムね。2時間くらい次から次へと大好きなアニメが放送されるのよ。あれはもうワクワクしっぱなしだったよね」
「でさ、俺の場合もそういう満ち足りた経験が、後に周りにひとりも味方がいない状況で踏ん張らないといけなかったときの支えになってたと思うんだよね。
辛いときに明確に昔のことを思い出すわけじゃないけど、やるかやられるかの場面でも『あの経験をしてきた俺だから大丈夫だ』と思えてたと思う」
なるほどな、と思う。
たしかに満ち足りた経験と挑戦には関係がありそうな気がする。
そういえば私も、祖父母の家に子供だけで泊まりに行った時はいつも、溢れるほどのお菓子を買ってもらっていたことを覚えている。
そして朝起きてすぐに(朝ご飯の前に)お菓子を食べても怒られないのだ。
普段だったら考えられない魅惑を享受する背徳感と、でも祖父母に許されている私、という複雑な感情であったが、満たされまくっていたことは事実だった。
年に2回あるかないかの、至福の祖父母家お菓子タイムであった。
なので、(私はやるかやられるかの場面に出くわしたことはないが)夫の言うことは理解できたし、息子にもそういう満たされた経験をたくさん作ってあげたいなと、同意しながら話を終えたのであった。
ところで、FIRE夫がこの話をしてきたのは私と息子が話し合っている時であった。
息子が今日の分のおやつ(この日はミニチョコとグミとプリン)を全部食べてしまってから「ママ?このプリン美味しかったから、○○ちゃんもーっと食べたくなっちゃったなあ」と言ってきたことに起因する。
「甘いもの食べすぎでしょ」と返事をする私に対して夫はつまり
「甘いものぐらい好きなだけ食べさせてやれよ」
と言いたかったのだ。
ストレートに意見すると私の反感を買うので興味深い本の内容を持ち出し、自分の経験まで話して穏便に伝えてくる涙ぐましさ…。
そしてまんまと気持ちが揺らぐ私…。
だって、挑戦できる人って素敵だもの☆
幼稚園の栄養士さんから言われている1日の砂糖の量の2倍は毎日食べている状況で、考える余地もない気はするが。
至福の時間は、たまにでいいんじゃないかな??とやっぱり思うのだった。
けど甘いもの食べてる時の子供って、ほんとに嬉しそうではちきれんばかりの笑顔を見せてくれる。ついあげたくなっちゃうのは私たちだけじゃないですよね☆?
この記事が参加している募集
いただいたサポートは、子どもとのおやつ代にさせていただきます♪(私も食べます)