君の見上げる 空へと続く道
2024年は出来る限り、大田泰示の姿を見に行こう
一体いつから、そんなことを考えていたんだろう。
多分それはきっと、丁度去年の今頃。
もう少し細かく言えば、ドラフト会議当日の10月26日。
第一巡選択希望選手として度会隆輝の名前が読み上げられて、交渉権獲得の文字が記されたくじを三浦監督が高々と掲げる。
横浜高校からENEOS、そして明るいキャラクター。
何かに導かれるようにやってきたキラキラ輝く一番星。
パブリックビューイング会場全体が熱気に包まれ、良かったねえ良かったねえと今日初めて会った人たちが笑顔で肩を叩き合う。
その場にいる誰もが、横浜の未来に大きな期待を抱いている。
2023年のドラフト会議指名内容は、今後のベイスターズにおける転換点になると個人的にかなり注目していた。現在地を把握するため、年齢・ポジションごとのチーム構成表を手書きで自作してしまったぐらいに。
実際に2024年シーズンに向けて、萩原チーム統括本部長から「優勝は今の延長線上にはない」というかなり強い決意表明が出たことからも、その予感はそこまで間違っていなかったんだろう。
ドラフト会議PV会場からの帰り道、ひとりになりイヤホンを耳に突っ込んだ電車の中で、当然のことに思い至る。
若い外野手がやってきたということは、競争が生まれる。
そして必ず誰かが弾き出される。
自作した年齢構成表の一番上の欄に、自然と目が行ってしまう。
外野手の最年長は、大田泰示。
今季開幕一軍を逃したら、おそらくかなり厳しい立場になる。
ピアノから始まるゆったりしたイントロ。
宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶うころ」が流れ出す。
3球団目ともなれば、適度に力を抜いていい具合でプレーするんだろう。
ベイスターズは若い選手が多くて明るいチームだけど、そこには染まらないんだろうな。そもそも、もう30代半ば手前だし。
大田泰示に対しては、こんな風に思っていた。
……そんな事は、まったく無かった。
スタメン、控え、どちらだろうと関係なく早い時間からグラウンドに出て、念入りにストレッチに励む姿。今まで度重なる怪我を乗り越えてきたのもあるんだろう、出来ることは全て準備して臨んでいた。
そこが一軍でも、ファームでもそれは変わらない。
試合前から若手に負けないぐらい、下手したらそれ以上によく体を動かしていた。
あまりに気温が高いので試合前ノックを控えた選手もいるような暑い日も、ハードな練習をまるで野球少年のように声を出して楽しむ。
オープン戦で左ハムストリングスの肉離れを発症し、開幕一軍入りを逃した悲壮感は見られない。
シーズンが始まって4ヶ月が経とうとしていた。もうすぐオールスターが始まる。
つまり、今シーズンが折り返す。
月に3回から4回、横浜スタジアムに足を運ぶと背番号0のレプリカユニを身に纏う人を必ず一度はスタンドで見かけた。
あの大きな背中を待っている人がいる。
7月、そして8月になっても大田泰示の名がNPBの公示情報・出場選手登録の欄に並ぶことはなかった。
月に1回から2回、横須賀スタジアムに足を運ぶとスタメンに大田泰示の名が並んだり、並ばなかったりした。情報だけは一球速報で毎日チェックしているので分かってはいる。その頃には彼の定位置、ライトで起用されることはかなり少なくなっていた。
一軍では度会、蝦名、梶原の3人がそのポジションを奪い合う。
大田がファームで出場する時は指名打者か、レフトか、代打。
もし仮に一軍に昇格したとしても、そのポジションはもう全て埋まっている。
指名打者があれば……そこには外国人のフォードが入るだろう。
現地で彼の動きを見ていればなんとなく分かる。
コンディションは日によって結構違う。
でも、彼が打席に立つとひときわ大きな歓声が上がる。
スカスタには鳴り物応援がない。
ただただ純粋に大田泰示の活躍を願う人の声だけが聴こえてくる。
日差しの強さが変わらないので、季節が巡っている実感なんてほとんど無かった。
9月29日、ファーム最終戦。
スタメンに大田泰示の名前が並ぶ。4番・指名打者。
5回裏、先頭打者として打席に立ちツーベースを放つ。その後ヒットが続き三塁へと進み、6番の勝又が犠牲フライ。
生還した大田を、ベンチに並ぶ若手たちが出迎える。
勝又もすぐに戻ってきて前方でハイタッチを交わしている。
一際明るい歓声が沸いて、みんなが笑っていて。
だから、分かってしまった。
私が横浜DeNAベイスターズの大田泰示を見たのは、それが最後の姿になった。
3球団目ともなれば、適度に力を抜いていい具合でプレーするんだろう。
ベイスターズは若い選手が多くて明るいチームだけど、そこには染まらないんだろうな。そもそも、もう30代半ば手前だし。
大田泰示に対しては、こんな風に思っていた。
そんな生き方を選んでいたのは、私の方だった。
同じ1990年生まれ、転職も3社目。
仕事に対してもう全力でなんて取り組めない。70%前後が丁度いい。
20代の子達に対してどこまで親しくしたらいいか分からないし、40代の先輩方への距離感は基本的には探り探り。
人見知りはしないのでそこそこに周りと馴染めるけど、腹を割って話せる人が居るかと問われたらうーん、微妙。
同世代だからってどこかで自分と重ねていたこと自体が烏滸がましかった。
なんて浅はかな目で見ていたんだろう。
高卒でプロ入りした時と同じような瞳のまま、大田泰示はどこまでもずっと大田泰示として駆け抜けていった。
現役としてプレーすることを希望している、取材記事にはそう書かれている。
横浜の空からその先にどんな道が続くのかはまだ分からないけれど。
あなたの背中を追い続けたファンの一人として、その道が明るい未来に続くことをどうか、願わせてください。