炎症性乳がんになった私・・・ でも元気です! (1) 初発から再発まで
皆さん、初めまして。
私はmaica(マイカ)と申します。ここでは私が、乳がんの中でも悪性度が非常に高いと言われている、炎症性乳がんに罹った時のことを中心にお話しします。どうぞよろしくお願いします。
私は2024年2月末、同題で電子書籍を出版しました。この電子書籍はアマゾンのサイトにて発売しており、キンドルで読むことができます。しかし、キンドルを使っていないという読者の方から、別のプラットフォームでも読めるようにしてほしいとの要望がありました。なので、その内容を、NOTEの有料記事として三回に分けて発表することにしました。(マガジンでは三回分まとめて読むことができるようにします)。
私は1964年生まれ、これを書いている今現在(2024年)還暦を迎える女性です。私がこの本のテーマである、炎症性乳がんに罹ったのは・・・いえ、炎症性乳がんであることが分かったのは今から約8年前、2016年9月でした。これを今読んでくださっている方は、ご自身も乳がんの経験があるか、もしくは乳がんの患者さんが身近におられるという方だと思います。恐らく、皆さんは既に、乳がんについて色々なインフォメーションを集めて、多くのことをご存じだと思いますが、乳がんにも種類があります。中でも乳房が赤く大きく腫れ上がる炎症性乳がんと呼ばれるタイプの乳がんは罹患率が全体の1-4%という珍しいタイプで、とても悪性度が高く、予後が最悪と言われています。私が調べたサイトでは、5年後の生存率が50パーセントと出ていました。
そんな最悪の乳がんに罹ってしまった私。もちろん、それを知ったときは、大変なショックでした。
どうして私が、がんにならなければいけないの?
きっと、皆さんも同じようなことを思われたのではないでしょうか。
がんにならなくてはいけない人なんていません。でも、人間は生きている限り病気になるのは免れません。私は40代半ばまで病気といえば風邪を引くか、虫歯か近眼ぐらいしかなく、大きな病気にかかるなんて、どこか別世界の話だと思っていました。
でも、中年にもなると体のあちこちに次々不調が現れ始め、手術が必要な件も次から次へと起きてきました。
長年生きていると、こんなこともあるさ。
当時はとてもそんな気持ちにはなれませんでしたが、今振り返ってみるとそう思います。
これは生きているならしかたないことなのだと。
運命を受け入れ、一日、一日を大事に生きる。
これが病気後、私の行き着いた心境でした。とはいえ、決して快復を諦めて投げやりになっていたわけではありません。できるだけ長く生きることができるよう、治療には真剣に取り組みました。これも一日一日を大事にしたいからです。
この電子書籍を作るに当たり、ペンネームのmaicaは、私の友人で小説家の、みんさんが書いた小説の主人公にちなんで付けました。若年性がんになっても健気に生きる主人公の女の子の名前が舞花(まいか)でした。同時に、がんになったけど、ま、いっか、という意味も含んでいます。「ま、いっか」で、まいか ... そんなにいい加減な気持ちでいいの? と思われるかもしれませんが、闘病を通して私が辿り着いた心境が、この「ま、いっか」なのです。永遠の命を持った人がいない以上、誰でもいつかは人生の終着駅に着いてしまいます。それがもうすぐなのか、何十年も先なのか、人によって違いますが、でも悔いのない今を生きてさえいれば、いつ終わりが来ても恐れることはないと思えるようになったのです。
これを読んだ方も、「ま、いっか」と思うことができるように。
嵐の中でも肩の力が抜けるように。
と思いながら、私の体験を書かせていただきます。
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