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私の読書遍歴④ 維持期

読書界のパンドラの箱こと中国歴史小説に出会ったあとの私と言えば、さながらフルマラソンに挑む陸上初心者のように苦行を強いられることになった。

北方謙三さんの「三国志シリーズ」に取りかかった私をいきなり悩ませた問題、それは「登場人物がめちゃくちゃ多い」ということだ。

思えば、それまでの私が好んで読んでいたジャンルである純文学と推理小説は、比較的クローズドな舞台で起こる事件やエピソードが多く、登場人物もそれほど多くはなかった。
また日本の歴史小説などは、登場人物が多くても名前に聞き覚えがあることがほとんどなので、それほど苦にはならなかった。

ところがどうだ。
中国歴史小説の登場人物の多さは常軌を逸している。

気になったので、「三国志シリーズ」に何人くらい登場したのか調べてみたらWikipediaで紹介されているだけでも67人いた。結婚式に全員呼んだら300万円くらいかかる人数。
それでも歯を食いしばって読んでみると、これがめちゃくちゃ面白かった。ものすごく薄っぺらい表現になってしまうが、激アツなのだ。

これなら全巻完走できると喜んだのも束の間、新たな問題が勃発する。
勘のいい方ならピンとくるかもしれないが、登場人物の名前が似ているのだ。

孫堅、孫策、孫権、孫賁……孫はもういい!

しかしそれでも人間の順応性は意外に優れているもので、読み進めるうちにどの孫くんだか頭の中でイメージできるようになってくる。そうなるともう末期症状で、すっかりハマってしまっているのだ。
気付けば北方謙三さんの「水滸伝シリーズ」も完走してしまっていた。私は一体どこに向かって行くのだろう。

そうして中国歴史小説に目覚めた私が次に出会ったのが、浅田次郎さんの「蒼穹の昴」だった。

中国歴史小説といっても「三国志」や「水滸伝」に比べるとかなり近代の物語で、中国清朝末期が舞台だ。
ひとりの貧しい少年が、占い師の老婆に「おまえには昴の星がついている。財宝を手に入れる」と告げられる。その言葉を胸に宦官になることを決意した彼が、否応なく歴史の濁流に呑み込まれていくことになるという超大作。
今でも定期的に再読するほど大好きな作品だ。

そしてこの作品を皮切りに、私の読書遍歴は「浅田次郎期」へと移り変わっていくことになる。

浅田次郎さんは本当に、稀代のストーリーテラーだ。
現代ものも歴史ものも、やくざものも恋愛ものも、長編も短編も、なんでもござれ。

浅田次郎さんを知ってからの私の読書スタイルは、彼の新刊を待ちながら、お気に入りのシリーズを再読するルーティーンへと変わっていった。

なかでも一番再読しているのが、「天切り松 闇がたりシリーズ」。
この物語が本当に好きだ。何回読んでも泣いてしまう話もあるし、痛快で胸がスカッとする話もある。一番好きな登場人物は、百面相の常。彼の天才ぶりを表現した一文で、「あれで男気がなけりゃただの化物だ」というものがある。格好良すぎる。

これまでも何度も読んだし、これからも何度も読むことは間違いない。


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