編入④
合う、合わないの話なのか
こちらの心配をよそに、学校生活にうまく馴染んでいる。
編入して約一ヶ月になるが、学校に一緒に行くものの朝の時間が始まるタイミングで帰宅している。
朝の準備が終わるとそれぞれ遊びだすのだが、そこはまだうまくいかない。朝の過ごし方が身に付いている子と比べると、致し方ないことだろう。
ただ、みんな特定の子と必ず遊ぶわけでもないし、一人でノンビリ過ごす子もいる。娘もその時によってだいぶ違うようだが、それでいいんだと思えるようになったらもっと楽になるだろう。
学校から帰宅すると、一日の出来事を聞く。これは前の学校の時から変わらないのだけれど、授業内容について話すことが多い。また、休み時間に誰と遊んだということも喜々として話す。
もちろん、今通う学校でも子どもによっては行きたくないと思ってる子もいると思う。合う、合わないの話でもあるし、娘の場合は比較対象があるからこそ楽しさを噛み締めているということもある。
ただ、前の学校の友人たち(保育園から一緒の子たち)が「小学校が楽しくない」と言っていることはずっとひっかかっている。
理由は、先生が怖い、勉強がつまらない、遊ぶ時間はない、友だちができない、などなど。
学校って楽しい場所じゃないという意識が入学して半年の子たちにインプットされてしまっている。
これも私の周りだけの話かもしれないが(周りの話で楽しく通っている子は皆無だが)、それでもなんだかなぁ…と思ってしまう。
合う、合わないの話ではなく、「つまらなくても、嫌なことがあったとしても行く場所が学校である」ことを受け入れるか受け入れられないかの話になっているように思える。
やりたくなくてもやらなきゃならないことは多い。が、それを小学生なりたての子が覚える必要があるのか、甚だ疑問である。
困り感
編入してから一度カウンセリングに行ってきた。前回は編入直前だったこともあり、プレイセラピーからも緊張感が伝わってきていると言われたが、今回は全く違ったのことだった。
編入③でも触れた、過去の出来事を振り返り受け入れた上で「支えてくれてありがとう」という発言があったことも話した。
「話してくれてありがとう」などと伝えるのが良いとのことで、どうやら私の対応は間違ってなかったらしい(心のなかでは衝撃しかなかったが)。
プレイセラピーをずっと勧められていて、そろそろ重い腰をあげて大学機関の心理相談所に連絡せねばならない時期となってきた。月1の短いカウンセリングだけではなく、娘のアウトプットをプレイセラピーを通して促していくということなのだろう。
気持ちの浮き沈みの激しさ(数分でがらっと気持ちが変わる)、誰かの一言で深く考えてしまうこと、考え込みすぎると浮上できなくなり周りの声が聞こえなくなる(恐らく物理的に)ことなど、やっぱり難しいと感じることは多々ある。
でも、最近よく見かけるギフテッドとも違うような…。なんとも言えないモヤモヤは続く。
同じような子が集まる
娘の周りの子というのは、いずれも同じ保育園の子たちだ。保育園時代はなんの不自由さもなく、仲もよく、のびのびと過ごしていた。
多少の分散がありつつも、1学年120人から150人ほどの小学校に通い、濃淡あれどうまく馴染めないことに子も親も苦労している。
保育園は長ければ6年間一緒で、途中入園の娘でさえも4年間を過ごしてきた。保育園は幼稚園とは違うので教育方針がしっかりあるわけではないが、ここ最近の保育園は幼保の差をなくそうとしている…という論文を何年か前に読んだことがある。娘の保育園もその傾向にあった。ただ、保育園と幼稚園の明確な差はいわゆる待機児童問題で、保育園は選択することが第一義ではない。入れるところに入れたという親のほうが大半だろう。
小学校はさらに選ぶことができない(少なくともうちの地域は越境が難しい)。公平な教育という理念は当然だが、これまでの幼保と異なる経緯で入学することになるし、選ぶことができないのだから集まる子たちは様々である。
にもかかわらず、各学校で独自の取り組みをしている。カリキュラムや使っている教科書が同じだとしても、それ以外の部分が違えば本当の意味で公平ではない。
だからこそある程度選ぶことができる越境システムがあるのだろうけれど、それが叶わない地域もある。
別にすべて一律でしろ、というのではない。人間がやっているのだからそんなことは不可能だと思うし、民主主義にも反する部分がある。
つまり、全部中途半端なのである。そして、一度その学校に通い始めると越境することが非常に困難になる。合わないという理由だけでは越境できない。
どこかの記事でも書いた気がするが、公立と私立の差は集まる子ども(もしくは親)の幅が広いか狭いかであるとSCに言われたことがある。
結局選べるか、選べないか(条件付きで選べるか)ということなのだろう。同じ環境の子どもが集まれば学校としてもまとまるし、先生も余計な疲弊をしなくてすむし、子どもたちも過ごしやすくなる。
公立にそこまで求めるなと言われるかもしれないけれど、大半の子たちが通う公立にこそもっともっと考えてほしいものである。