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対等な関係
対等な関係って、ちょっと強めに表現するとしたら、「相手と同じ力で押し返すこと」だと思ってる。私の中ではそうなっている。あえて強めに表現すれば、ですが。
優しくて気を使うことが多い、本当は嫌でも大概のことをYESと言ってくれる人、なんでも決定権を譲ってくれる人。そんな優しい人が、うっすら軽んじられている時があると感じている。
悪気などないかも知れない。それでも、あの人は後回しでいいよね。あの人なら頼めばYESと言ってくれるよね?
相手の決定権に配慮する姿勢すらも見せないのなら、あの人の時間なら搾取してもよいと考えているのと同じことだ。
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昔の私は、「断ったら失礼だし、傷付けてしまう」という考え方を前提のようにして大人になったため、あっという間に一人のNOと言えない星人に仕上ってしまった。
けれど、NOと言わないから好かれるなんて事は決してなかったし、周囲の一方的に要望を伝えてくる「押す力」は、当時がもっとも強かった。
NOと言えない星人だった私は、自分で決めてそうしているくせに、次第に、強く要望と都合を押してくる他者のほうを恨みがましく思うようになっていったのです。
「どうやら関係性のバランスに歪みがあるぞ」と認めることが出来てから一転、(一方的に怒りをため込んでいたこともあり。)
☆別人誕生か☆?!という位に、行きたくない誘いには、予定があっても(無くても)堂々と断るようになっていきました。礼儀と感謝を伝えてきっちりお断り。キリッ。(行きたいと思うお誘いは喜んで)
NOと伝えたら傷付けると、強く固く思っていた。ひとの傷ついた顔を想像するだけで足がすくんで断れなかった。自分よりいつも他人を大切にしていた。
けれど、恐る恐るでもきっぱりと一歩一歩、押されるがままYESというのをやめ、相手と同じくらい自分の要望も提示するようになった時。
嫌なのにYESと言っていた頃には築くことのできなかった、対等で互いに配慮のある関係を築けるようになっていきました。よくがんばりました◎
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いまは俄然、YESもNOも言える星人。
そしてそれは、相手のYESもNOも同じくらい大切に配慮するということであり、どちらか一方ではなく「お互いに」対等に尊重しあう関係性だということ。
相手と同じ力で押し返す、というと攻撃的に聞こえるかもしれないけれど、右の手と左の手を合わせて力を入れたとき、同じ位の力で押し合うから真ん中にいられる。
ずっと譲ってきた人は、当然の主張ですら相手を拒絶する攻撃のように思えてしまうことがある。
けれど、相手を尊重するのと同じ大きさで、あなたも尊重されることが、右の手と左の手を合わせて真ん中になる状態。すなわち対等な関係性だと今は思っています。