リスペクトを示す言葉との出会い ~3月という節目に考えたいこと~
先日3月8日の、国際女性dayという機会に
「一人ひとりをリスペクト(Respect)する」という行動を示しているリーダーのインタビュー記事を紹介しました。
そして今回は、リスペクト(Respect)を示す行動について深堀りしてみたいと考えています。
●リスペクト(Respect)の本来の意味
改めて調べると、リスペクト(Respect)の本来の意味は、こうありました。
価値あるものに価値を認めること、心服し敬意を表すこと
人々の活動に対して、価値を考えるのは「私たち一人ひとり」。
周りの人たち(チームメンバー、同僚、家族、友人、接点を持つ人々など)のアクションに対して、「敬意を表す」とは、どんな行動でしょうか?
自分も参加している日々のコミュニケーションから、私はこんな風に考えるようになりました。
【リスペクトを示す行動とは】
物事に触れた瞬間の自分の想いを
「言葉で添えて」周囲にシェアすること。
そのアクションがスピーディーであったり
言葉に自分の素直な気持ちが入っているほど
周囲へ届く力は大きくなる。
このシェアという行動は、大きなRespectを表現できる手段の1つです。その場所は、広くインターネット上で万人に向けたものとは限りません。
公開でも非公開でも、そのコミュニティの中で届くことが大切だと感じます。
また身近な人の言葉や活動に限らず、日常生活で触れる記事やコンテンツにもその対象となり、思考する機会や出会いの価値を認める機会になるかもしれません。
この気付きは、自分が発信する時に
「その想いのキッカケとなった記事を添える理由」への理解も深めてくれました。
●自分を表現することは、何へのリスペクト?
では自分の活動に対しては、このようなRespectの行動は必要ないでしょうか?
自分自身が作ったり、関わったコンテンツや経験について、自らがシェアすることは、何へのRespectになるのか。
活動を誰かに取り上げてもらい、紹介してもらう機会も素晴らしいものでありつつ、その活動に取り組んだ期間の価値を、自らも認める。より深くその経験にフォーカスすることで、利己的な行動ではなく、そこに関わった人もRespectすることが出来るように感じます。
この「自分を認める」という時に思い出すのが、
10代の頃に触れた有森裕子さんの1996年アトランタ五輪での
「初めて、自分で自分をほめたいと思います」という有名な言葉。
その後日に、あのエピソードの舞台裏が描かれた記事がありました。
有森さんの自分を認める印象的な言葉があったからこそ、そこにあった様々な出来事に興味が増していくのかもしれません。
この記事を読み、改めて周囲の人との関わりや、その中での自分の経験について「自分の言葉で表現できることの素晴らしさ」に強く惹かれている自分がいます。
●姿はなくとも、その言葉は生き続ける
そんな私は間もなく、「自分の言葉で伝える」という大きなチャレンジ機会を迎えます。「自分は何者でもない」ということも意識しているので、本当に色々な気持ちが頭の中を巡っています。嬉しい、怖い、待ち遠しい…。
そんな中で、昨日ある心に響く言葉に出会いました。
著名な方が、過去のご経験を振り返る中での
「父は亡くなってしまったけど、言葉は生き続けるんだよね」という一言。自分の中に生き続けている言葉の存在について、改めて考える時間を過ごしました。
そして同じタイミングで目にして、今の自分に贈りたい記事がこちら。
その言葉を残した人の姿を、例え今は見ることが出来ないとしても、その言葉は生き続けていることを実感させてくれる記事です。
「最初からうまくやろうなんて自惚れてるんじゃないわよ」
「誰でも最初は初心者だ。挑戦や失敗を繰り返し、ときに休息を挟みつつ」
記事の中にある多くの言葉が、つい忘れてしまいがちなことに気付かせてくれます。
この「3月」という、多くの人が門出や節目を迎える時期だからこそ、この記事に励まされている人も多いのではないでしょうか。私もその一人です。
でも「『初めて』は一度しかないからこそ、今やれることを精一杯!」と思っている自分の本音も忘れずにいたいと思います。
そうした経験や時間が、自分の言葉をまた1つ2つと増やしていってくれる予感も感じています。
今この節目にいる自分にも、その自分を支えてくれる人々や温かい言葉、その両方へのリスペクト(Respect)を残したい、数年後の自分にも届けたい想いから、このnoteを書きました。