悩みはゼロにならない。だから共存してみようと思う。
今回はステキな時間を過ごせた昨日のことを、自分の中にしっかり留めたいと感じて書き始めています。
その時間をご一緒したのが、自分に向き合う時間を届けるサブスクサービス「LetterMe」を展開中の西村静香さん。
キッカケは、お互いが最近考えていたことが共通している予感から。LinkedInクリエイター同士でもありつつ、投稿を拝見している中で、自分の頭の中のキーワードと投稿での言葉が重なる感覚を持っていました。数か月ぶりにお話したくなり、お声がけしての日米でのオンライントークでした。
何者かになろうとしない
これは下記の、西村さんのご投稿で触れられている言葉です。
これからの時代を生き抜くための・・・、
市場価値を高めるための・・・、
ということだけを軸にするのではなく
「自分にとって」より良いキャリア・人生を軸に歩むことが、とても大切だと思っています。
私はこの言葉に、「自分にとって」は自己中心ではなく、むしろ大切にしたい周りと分かち合いたいから考えているのかも。キャリアは人生全体とつながっていますね。とコメントしました。
この背景には、「自分にとっての〇〇」と考えて行動しようとすると、アウトプットの方法によっては、自己中心的と誤解されることもある気がしています。そうではなく、さまざまな情報もシェアしやすくなった今、自分たち一人ひとりが心地よいと思えることが具体化していくことは、「このカタチも有って良いんだ」という次の道標になっていくと思います。
そして「自分はこれで良いんだ」、と思えた時に「何者であるか」という問いは、自分の価値を決めるものではないと感じる時があります。その「何」を決める指標が単なる数字だったり、数合わせだと、ふと気付くからかもしれません。
西村さんも以前のご投稿で、自分の内面の充足感や納得感について、このように発信されています。
「自分にないものを見つけて、それを埋めようとすることをやめる」
「あのすごい人はこの資格を持っている」
「あの大学院を出ている」
「SNSのフォロワーがこんなにいる」
ではなく、自分が興味のあることを始めてみて、どんどん足していく。
結果として自分が何者かになっているという順番になると
内面の充足感や納得感は全く違うものに。
それがたとえ、社会の中で少数派だったとしても、選ぶことを決めて受け入れる。その必要が生じる時も人生にはあることを、私はこの3年間で学びました。
そして短期間とは言え、私自身も渡米後にはキャリア形成においてアイデンティティクライシスに近い感覚をもった経験も踏まえて、自分の興味を出発点にまず自分を整えることから「英語が苦手でも、試行錯誤しながらも、アメリカで子育てできている自分」になれたと感じます。
その自分の言葉で経験をアウトプットすることから、周りにプラスとなる可能性も広がりつつある気がします。この実感につなげてくださる周りの皆さんのメッセージには感謝がつきません。
誰かのせいにしたくないから
西村さんと強く共感し合えた話題の1つに、【アドバイスをその通り受け入れるべきか】がありました。
これはキャリアに悩む方や、今後について思い悩む人に多いのかもしれませんが、沢山のアドバイスを聞きすぎてしまうあまり、逆に迷い込んでしまったり、その通りできない・考えられない自分に思い悩んでしまうという時はないでしょうか。そんな時は・・・
いっそのこと
それらを振り払ってみて残るものが
一番コアになるのではないか。
という考え方もあると思います。この残るものが、自分の本心だったり潜在的な希望であることも多そうです。
自分に置き換えて考えてみると、私も何かを決めて進める時に、考えを深めたり幅を広げてみるために調べたり相談することあるものの、最終的には自分で決めて行動に移すことを大切にしてきました。
物事の選択には、大きくても小さくても必ず理由がある。それを知って納得するのも自分自身であることが、とても大切だと思っています。
それは実際に行動に移していくなかで、最初の一歩だけでなく、2歩目・3歩目~100歩・・・と歩みを続けていくのは「自分自身」だから。
その途中で誰かと出会って一緒に歩いていくことがあったとしても、やっぱり自分の足で歩いていくことが必要。
誰と歩くかを考えたり、その相手との歩調を感じていく中で、一時的に助け合うことはあっても、ずっと「おんぶにだっこ」してもらっては、続いていかないという想いもあります。
「あなたのせいで続けられなかった。」
という言葉で歩いてきた道を後悔したくないという気持ちも、
その根っこにはあるのかなと感じています。
Letter Meという事業が、悩みを解消することをミッションにしていない、という西村さんの言葉は、本質を捉えていらっしゃると感じています。
何かを考えたり、誰かに相談する時には、悩みを解消する(ゼロにする)ことをゴールにしない方が良いのかもしれません。悩みの度合いを見極めたり、状況に応じた応急処置をしながらうまく共存していくことで、アレンジする方法や自分なりの学びが生まれてきそうな気がしています。
自分も多様性の一部だから
Letter meの可能性についてディスカッションする中で、過去の自分と出会える機会があることは、未来の自分にも大きな影響力をもつというお話も出ました。これは私のアメリカ滞在中の実体験からも強く感じる点です。
・少し変化している自分
・全く変わってない自分
・変化に気付ける自分
・変化していない理由がわかる自分
・何が本当に大切か伝えられる自分
何が答えにつながるか今は明確につかめていなくても、そういう自己認識の移り変わりは感じることができます。これは長い人生においては想像以上に影響が大きなものでした。
既にあるモノサシで測れる自分ではなく、新しいモノサシや測り方(感じ方という方が近いかも)を見つけることができたり、それを誰かと共有して楽しめることが、より人生を豊かにしていける一歩になると感じています。
この日も、静香さんからに投げかけて頂いた「海外で子育て中のわたし」への質問は、多様性の1つである自分を認識できる時間となりました。
日本とアメリカの違い、などの問いはもちろんのこと、キャリア観など「一人のわたし」の視点や言葉が、静香さんにとってインプットしてみたい対象であったことは、「立場が違っていても、この点が共有し合える」という実感を得られるものでした。
特にこの「共有」という部分には、「越境を楽しむ」という感覚がコツのような気がしています。どうしても同じ属性や価値観、その場や時間を共有している身近な存在との情報シェアが多くなりがちな中で、その少し外側との接点を見つけられると「意外な共通点」からアイデアが幅広いものになっていくと感じます。
言語の壁や、時間の壁など、「今この瞬間」だけに集中し過ぎると見えないものが沢山ありそうです。
今までの当たり前をどんどん塗り替えながら、今までは想像もしなかった、違った立場の方とシンクロできる瞬間を、これからも私は楽しんでいきたいのだと、再確認した時間でもありました。