秋分の日の一冊

10年よりも、もっと前。
卒論で籠もった大学図書館で出会った鶴見和子さんの全集『鶴見和子曼陀羅』

その衝撃。

このなかで淡々と熱を持って語られる「内発的発展論」に熱狂して、卒論そっちのけで読んた。
(留年したおかげで、提出まで2年の時間があったし…!)

あのときの感動と震え。

カンボジアで感じていた、大地から湧き上がるようなエネルギー。
それが土地の人たちの目の奥に宿り、まっすぐこちらに向かってくるその強さ。
たくさんの人々がこの地で重ねてきたチャレンジとうまくいかなさ。
情熱と予算と、現場の実情とのズレ。

カンボジアを通して出会ったたくさんの体感と疑問を「内発的な発展」という一言でスパッと明快に示されていたことにしびれた。

これだ、これだよ…!

その後、鶴見和子さんの半生記も読み、晩年のいくつもの対話を拝読してなおさらしびれた。

女性が学問をし続けるのが当たり前でない時代のど真ん中を、颯爽と生きたその背中。
しかも他界されたのは2000年代で、実はこの世界のどこかで同じ時代の同じ空気を吸っていたんだと思うと、著者近影の写真に命の奥行きが見えてくる。

大学図書館という知の塊の存在と「とにかく今年書きなさい」とゼミで1人だけ留年する私に、卒論への取り組みを急かしてくれたゼミ先生の存在を心からありがたく思った。
その恩師のことはこちらに

周囲のみんなが就活と卒論の両立に苦しむなか、ひたすら読んで感動して、静かな図書館で気取られないように泣いて、また読んでというしあわせに没頭させてもらった。

それからときを経て、2021の秋分の日。

引越しの荷物のなかから、出てきた。
どこでどうやって手にしたか覚えていないほど、ずっと手元にあった本。
カンボジアでの幾度とない引越しの全てをともにして、いまここに。

写真家大石芳野さんと鶴見和子さんの対話集
『魂との出会いー写真家と社会学者の対話』 藤原書店

秋分の日には、よいエネルギーに触れて、自らを満たしてあげるといいと聞いたので、まさに今がそのときだ!と引越し後の書籍の整理にそっと終止符を打ち、静かなカフェに持っていって再び、開いた。

画像1

サブタイトルの堅苦しさとは裏腹に、あっという間に読める。
写真のもつ力とともに染み込むように2人の言葉がするすると入ってくる。

タイトルにある『魂』との出会い。

2人の間で語られる魂は、
キラキラした形のないものではなくて、

“地に足のついた魂”というか、
誰のなかにもある、実体のある(見えはしないんだけど)、そういう魂の話だ。
その地で生きたすべてのものの中をつながって、今大地から湧き上がる、そういう種類の“魂“の話だ。

カンボジアの農村で、この種の魂を、ふとその人のなかに感じることがある。
その人の身体から、気配から、空気から。
写真家の大石芳野さんは、人々の瞳の中にそれを感じたという。
魂はあの世だけにあるのではなく、どの人のなかにも、私のなかにも、私たちの周りのすべての人たちのなかに、今あるのだと、2人の対話は教えてくれる。

そして、なによりも、この本のある一節に、
大学時代の図書館の衝撃が上書きされた。

本の後半で語られる鶴見和子さんが、ご自身が病に倒れたあとに「内発的」ということを自ら身をもって体験した、というところ。

倒れて、半身が思うように動かなくなり、絶えず離れぬ痛みもある、そのなかですらも内側からポコポコととめどなく溢れてくる言葉たちを見つけたとき「ああ、これこそが内発的ということか」と実感した、と。

「それまでの“内発的“は、まだ理論だったのよ」と、自ら語る。

自らが病に倒れてもなお、気づきと学びを感じ、それを驚きとともに迎えて、自らが長い時間をかけて発信してきたそれまでの自説がまだまだ理論であった、とかろやかに話すその姿勢。

その在り方。

あぁ、こういうことか。
生きるとは。
魂とともに、生きるとは。

図書館で震えながら読んだ『曼荼羅シリーズ』は70代後半で倒れた後、編纂されたものだそうだ。

あのとき、書いてあることは5割ほどもわかってなかったと思うけれど、あの棚の、9冊並んだあの本を手に取って、それを開くといつもふわーっと本の中からこちらに向かって溢れてくる淡々とした熱さは、この時のものだったのだ。
これを知って、なおさら噛み締める。

そして、この秋分の日の夜、たまたま昔からの友人に
「あなたにとって、人生の旅ってなんですか?」と唐突に(ほんとに突然、なんの前フリもなく)聞かれた。

昼間のカフェの1時間で、鶴見和子さんの倒れた後の発見に衝撃を受けていたゆえに「もう、今はまだ、まだまだ途中。人生の旅、そのものの途中。」ともつれるように答えた。時空を超えて受け取っちゃった熱に突き上げられるように出てきた正直な内側。未加工の、整理されない、熱々の肉まんみたいなことば。

秋分の日に、あの本を介して届いたメッセージは
きっと、ずっと歩き続けていなさい、ということ。
そのあゆみは、かろやかで、突拍子もなくて、激しく、それでも、美しい。


80代になるときがくるのなら、そういう姿を目指したい。
背を追いたいというより、著者近影の凛としたその空気に、近づいていきたい。いつか会いにいきたい、そういう気持ち。

人生の、この一冊。
この日のことを、備忘録まで。


2021.10 何日も寝かせたあとで。



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