おしゃべり
ずっと以前、私がこのnoteを書き出した初期に、「私の頭の中はおしゃべりでいっぱいだ」と書いたことがある。
たまにそのおしゃべりが頭の外に出てきて、それが始まると止まらなくなることがある。
そして衝動的にこうしてnoteに書き出したり。
話は少し変わるが、私の家の隣人のおばさま。
私が引越してきた15年ほど前はご両親と3人暮らしでお母様の介護をしてらした。
そのお母様が数年して亡くなられ、今度はお父様の介護生活になった。
そのお父様も昨年亡くなられた。
60代と思われるそのおばさまは、とてもお喋りでたまたま顔を合わせるとお話が止まらない。
普通にお喋りする機会が家の中ではないから、何でもない会話ができるそういう機会が大切なんだろうなー、
つまりはお喋りがめちゃくちゃ溜まっているんだろうなーと思っていた。
そう、なんでこの話を入れたかと言うと、
私も同じだと思ったのだ。
私は家には夫がいるし、それにオンラインでお話する機会も結構ある。
コーチングを学んだ仲間は話をよく聞いてくれるし、話す機会は十分にある。
その時はその時で満足もしている、
とはいえ、自分の頭の中、心の中を話しているようで、実際はなかなか表現できないとも感じる。
そうやってせっかくの機会はいくらでもあって、なのになぜか上手く使えてないなーという不完全燃焼感が残ることも結構ある。
それがそれが、言葉が急に溢れ出すことが時々やってくる。
その時はしつこいくらい、ウザイくらい止まらない。
それはきっと、ここなら聞いてくれる、ここなら大丈夫そうと私の何かが緩んだ時。
そう緩みながらも、実はそれでも怖い。
そう今書いたように、私しつこい?ウザい??ってどこかで警戒感があることは否めない。
私はわかって欲しいという思いが強い。
その思いが強いのだけど、何がわかって欲しいのか自分でもよくわからない。
表現できない。
そういう感覚がある。
それが苦しい。
その苦しさに普段は自分でも気づかないのだけど。
例えば家の中でおしゃべりする機会がないからって、その時はきっと苦しいなんて思ってないだろう。
だけど、何かの機会に話し出したら止まらない。
それは聞いてくれるって思う人や場が目の前に現れた時。
そして自分の中にうずくまっていたものが、良い感じで刺激された時。
あれよあれよと流れ出す。
いたんだね、そんなにいっぱい。
私は思い知らされるのだ。
怖がっていたことも。苦しかったことも。
わかって欲しかったことも。