37. 生きるのに疲れたときに、それでも「生きていたほうがいっかー」と思える映画3選
年間100本映画を観ることを自らに課して7年目のわたくしが、映画初心者のために「なりたい気持ちで映画セレクト」する企画、『THREE FOR YOU』。今回は、かつてわたくしが所属しておりましたコルクラボで仲良しになったDr,ゆうすけさんからこちらのリクエストをいただきました。
「生きるのに疲れたけど、それでも、生きてたほうがいっかー、と思える映画3選」を!
「再生」をテーマにした映画はたっくさんありますが、今回のお題のキモだなと思った「いっかー」くらいの軽妙さ、っていうのは、大事にして考えてみたいと思います。なんとなく説教くさく”生きていかなきゃあかん!”みたいな重々しさではなく、無理せず、解決なんかしてなくてもいいから、とりあえず明日につながっていけそうなこの感じ。ゆうすけさんが連載している「月刊 自己肯定感」にもつながっていきそうな、自己肯定の物語でもあるなあと個人的には思っている3本をえらびました。
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スウィート17モンスター
2016年公開
監督 : ケリー・フレモン・クレイグ
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何をしても不機嫌で被害妄想で厄介ばかりな17歳が、周りに当たり散らしながら自分と向き合っていくお話。「自分らしさ」とは、他者との摩擦を通じて、自分を相対化していく中でしか獲得しえないんだなあという物語。僕個人としては、この主人公はめっちゃイラつくキャラだし、これくらいの年のころ、同世代にこういうキャラクターは確かにめっちゃいたけど、引いた眼で「バカなんじゃないか」と見ていたっけねw でもそれはその時の自分が聞き分けていたわけではなく、「他者との摩擦」そのものから逃げていただけだと思うし、バカだと思って引いてみていたのは、その人の中の葛藤が、自分の中にも存在して、それがわかっちゃうからっていう同族嫌悪だったのかもなあと思う。意味もなく不機嫌になって友達に当たり散らしたり家族に嫌味を言ってみたり、主人公の少女ネイディーンはそれのシンボルみたいなやつで、大体のことは自業自得なんだけど、俯瞰で理屈で見えてしまう人は通らないような尊い「17歳」の瞬間はこういうことなのかもしれないと思ったり。大人には大人の「成長として必要な他者との摩擦」が、まあありますけどもね。この映画の”それでも生きてたほうがいっかー”ポイントは「自分の思う”自分はこうありたい”を一度、手放してみると他者が”自分らしさ”に輪郭を引いてくれることもある」ということに尽きるかな。無理してあがいて自分で自分らしさにたどりつかなくても大丈夫。自分らしさがほしければ、自分のことではなく、だれかを応援したいとかだれかのために動いたほうが、かえって輪郭は与えられるのかもしれないなあと感じるし、「こじらせている」というのは要するに、自分らしさの輪郭を自分で引こうとし過ぎたり他者に引かせたがらなすぎたりすることを称した言葉なのかもなあと思う、そんな青春もどかし映画です。
マンチェスター・バイ・ザ・シー
2016年公開
監督 : ケネス・ロナーガン
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兄の死によって突然、甥の後見人になってしまった孤独な男の、葛藤のお話。変わりたければ強制性が一番、荒治療としては聞くかもしれんという物語。トラウマと暗い過去を引きずり倒す人々がどうやってそれを乗り越えて前を向くかっていうことを描き切る2時間なんですが、結果的には「強制的に環境が変わっちゃって、向き合わざるを得なくなって、めっちゃ苦しいけど、だんだん慣れる」っていうことな気がします。元も子もないと感じるかもしれないけれど、アドラー心理学よろしく、「人が前を向くには、前を向くと心に決めるしかない」ということなのかもしれない。決してそんなに、明るく吹っ切れた克服ではない描写なんだけど、それもリアルで、切ない苦しいお話でした。時間軸が注釈なく行ったり来たりする表現が、今を生きられていない心情を切なく表現してて、苦しかった。この映画の”それでも生きてたほうがいっかー”ポイントは「自分の中の折り合いにこだわりすぎず、目の前の”うれしそうな人”のその嬉しさに、してあげられることを大切に」ということでしょうか。正直、全然、主人公の苦悩は浄化されていないと思うんです。もっと言えば、永遠に浄化なんかされないのかもしれない。それでも日々は流れていくし、人間、ある程度長く生きていれば清廉潔白で居続けられなくなっていくわけで。そんな自分自身に潔癖に向き合ってしまうと、どんどん苦しくなってしまう。いろいろあるけど、今この瞬間、目の前のことを大事にすることの積み重ねが、結局は「自分はここにこうしていていいんだ」という思いにつながるのかもしれないなあと思えるそんな作品。
リトル・ミス・サンシャイン
2006年公開
監督:ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス
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娘がミスコンの最終審査に図らずも進出したことから始まる、家族のドタバタキャラバン劇。理屈は説明するのが難しいのですが、なんか、良かった。うん。ラスト、家族みんなでステージに乱入するところが、そこはかとなく美しくて、泣きそうになったw 家族って、難しいし、選べないし、わずらわしいし、道中、いざこざし続けながらニューメキシコからカリフォルニアを目指すんだけど、小さなオリーブの純粋に前に進む力が一つに絡めとっていく。子供って最強ですね笑 もうこれは、子役のアビゲイル・ブレスリンちゃんに尽きるでしょう。この映画の”それでも生きてたほうがいっかー”ポイントは「明るく前を向いていきていくことに、根拠なんかいらない!」ということでしょう! 登場人物の中で、自己肯定できているのはオリーブちゃんとおじいちゃんだけ。ほかの人は、「こんな自分ではだめだ」とどこかにイチモツ抱えているステータスで旅がスタートします。そんな大人たちからするとオリーブちゃんは到底、ミスコンでは勝ち目なさそげなわけで、「恥かくだけだからやめとけばいいのに…」と誰もが思う中で、オリーブちゃん自身は出る気マンマン! 物事、「勝てそうだから勝負を打つ」というのは時と場合によってはとても重要な打算なのですが、そもそもその打算において「負けたときに負うリスク」を高く見積もりすぎていたり、「そもそも勝ち負けに拘泥することで、大きく失っているもっと大事なことがある」かもしれないという一階層上の”打算”がすっぽ抜けていたり。『私は出たいから出る!』という思いが家族を一つにして、壊れかけの一家が前に進んでいく様がね、すがすがしくて、大好きな映画です。
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人はどういうときに生きるのに疲れるんだろうって考えてみると、やっぱり自分の思い通りに他者とかかわることがうまくいかないときだと思うんです。人生のほとんどの悩みはやっぱり対人関係だと思うし。だとするとその思いとの折り合いのつけ方って、「”自分の思い通り”自体を見直して手放す」か「人との関係性を見直す」か、大きくは二つだけ。だけど、自分から働きかけて変えられるとしたら、どうしても前者になるわけです。選んだ3本はその形は違えど、「”思い通り”の手放し方」を提示していうように思います。このあたりはゆうすけさんにもぜひ、コメントももらいたいところではありますが! あまり僕のほうからぐちぐち書き過ぎずにこの辺でとどめておいて、ぜひご鑑賞いただいて、感想をnoteにしてもらえたりしたらうれしいです笑
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