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[日日月月]7月2日、パーマカルチャーの映画『TERRA』を見た

この連載は…
八燿堂の中の人、岡澤浩太郎による、思考以前の言葉の足跡です。まとまらないゆえとっちらかってますが、その過程もお楽しみいただけましたら

パーマカルチャーの実践者を追ったドキュメンタリー映画『TERRA ぼくらと地球のくらし方』が公開されている。

HPにはこう書いてある。この映画は、「パーマカルチャーの”希望の世界観”を広めたいと、コロナ禍に一才の息子を連れた撮影の旅で訪れた日本各地とアメリカ西海岸で、楽しみながら地球を救うヒーロー達の物語」

この映画を知ったのは2017年頃だろうか? ソーヤー海くんから「今年のツアーに参加した人が、『パーマカルチャーの映画を撮りたい!』って言ってて…」と聞いたのだ。

ひとつずつ説明していく。まず、パーマカルチャーとは何か。ムリヤリひと言でまとめるなら、「互いに活かしあいながら豊かになる方法」だろうか。

辞書的に言うと……
パーマカルチャー(Permaculture)とは、永続的な(Permanent)農法(Agriculture)および暮らしや文化(Culture)を掛け合わせた造語。動植物・建物・水・熱などの資源を有効にデザインする技術をまとめたもので、コンパニオンプランツや廃材の建造物への利用など、それぞれが持つ特性によってお互いを生かし合う関係性を構築することを目指す。1970年代末に提唱され、現在では教育、医療、エネルギー、経済などさまざまな分野に応用されながら、世界中に広まっている。

という感じになるだろうか(昔、自分が書いた原稿に肉付けした)。

私がパーマカルチャーに出会ったのは2015年のことだ。謎のアフロの青年、ソーヤー海に出会い、何気なく誘われるまま飛行機で向かったのが、通称ブロックスと呼ばれる、パーマカルチャーの聖地のひとつだった。

このブロックスや、西海岸のパーマカルチャーサイト(実践場)をめぐる旅が「ツアー」だったわけだが、ブロックスに滞在したときの記録は、雑誌『murmur magazine for men』の第2号に詳細に記した。ちなみにパーマカルチャーを特集したこの号は、ツアー後の私にとって、マイルストーンとなる仕事になった。

ブロックスでなによりも衝撃だったのは、プルーンの味だ。あんなのは食べたことがない。しかも、広大な土地のそこらじゅうに実っていて、「腐っちゃうから、お願いだから食べて!」と差し出されるのだ。見れば、プルーンなどさまざまなフルーツを収穫したコンテナが山積みになっている。

「お願いだから食べて」……? そう、生きるために金なんて必要なかった。「食うために稼ぐ」? それまで当たり前だったことが、突然信じられなくなった。

なぜなら、賃金労働しなくても食っていけるのだから。稼ぐヒマがあるなら食べるものをつくればいい。そんな世界が目の前にあったのだ。

働くってなんだ?
仕事って何?
生きるってどういうこと?
俺は何を失くしてしまったのだろう?

いろんな「?」が頭のなかにあふれた。

それからが運の尽きだ(笑)。「人生が変わるよ」という海くんの言葉通り、人生が変わってしまった。帰国後、先述した雑誌でパーマカルチャーの特集を組み、海くんの連載をウェブで始め……

さらに数年後、私は東京から長野に移住して、本をつくる仕事と庭をつくる仕事を同時並行する生き方を選ぶことになる。

あれから8年経つのか。ブロックスとか、ビーコンとか、8年前にツアーで訪れた場所が、この映画に出ている。海くんはじめ、あれから出会い、言葉を重ねた人たちがたくさん出ている。

感動したことのひとつは、8年間での変化だ。海くんの「パーマカルチャーと平和道場」は、ツアー後に始まったが、当初は荒れ果てていてとても人が住める状態ではなかった(笑)。それがあんなにきれいになっている!

ビーコン・フード・フォレストは、8年前は畑だったのに、映画では森になっていた。

あのブロックスはと言うと、変わらず美しい場所だった。ただ、これも映画に出ている大村淳君(浜松でフォレストガーデンを実践しているガーデナー)から聞いた話によると、ブロックスは土地を切り売りしていて、規模を縮小しているという。

際限のない拡大を目指すパーマカルチャーの思想からすると意外だった。が、「たぶん、技術や知恵を狭くした土地に凝縮している」と聞き、また驚いた。必要最小限のシステム。パーマカルチャーの最先端は、そっちに向かっているのか。

感動したことのふたつめは、彼らのブレないパッションだ。

  • 誰かが種を蒔かなければ、植物は育たない

  • 自分が楽しいことをやる

  • 新しいことを始めると苦難が付きまとう

心に残ったことを書き出してみる。
特に3つ目は涙が出た。その言葉に自分を重ねてしまった。

私も、パーマカルチャーを「知ってしまった以上」、見過ごすことができなくなった。だから自分なりのやり方で――自分は伝える仕事をしているのだから、本や記事をつくることで――パーマカルチャーに貢献しようとしてきた。

けれども手ごたえは、さほどなかった。少なくとも、自分が感じた情熱と、同じかそれ以上の情熱を人に与えることは、できなかったと思う。それが悔しかった。歯がゆかった。何度も挫けた。

時が経ち、時代も変わったのか、以前はガーデニングすら一般誌ではほとんど取り上げられることがなかったのに、「植物」がアカデミズムやカルチャーの分野で注目され始め、2021年には『BRUTUS』が「みんなの農業。」特集をやった。

8年前は「知る人ぞ知る」存在だったパーマカルチャーが、いつの間にか「それっぽい人なら聞いたことある」くらいの存在になった。いまだ資本主義の世界観からは抜け切れていないとはいえ、ものすごい変化だ。

これもすべて、ずっと昔からブレずにパーマカルチャーを実践し続けてきた、先人たちのおかげだ。せめて自分もその環に連なることができるように。パーマカルチャーという名前ではなくとも、200年後の世界を豊かにすることに、貢献できるように。

なお、この映画は一般の映画館ではなく、自主上映会の形式で、草の根で広がっているのも大きな特徴だ。

私が見たのは、長野県の青木村というところでビールをつくっているNobara Homestead Breweryが企画した、改装した古民家での上映会+マルシェだった。ご夫婦で活動している彼らは、神奈川県旧藤野町のパーマカルチャーセンタージャパンでPDC(パーマカルチャーデザインコース)を受講している最中だという。

青木村には初めて行ったが、とても静かで新しい(新しく見える)場所だった。こんもりした山が周囲をぐるっと囲み、ややエアポケットのような雰囲気のある村だが、丁寧に草刈りされていたり、庁舎が異様に立派だったり、大きな児童公園があったり。景観の抜けもよく、上田市にも近い。

会場には面白い人たちが集まっていた。特に北信・信濃町でパーマカルチャーを実践している人たちがいたとは知らなかった。そう言えば最近、なんかいい感じのマルシェをやってるなーと思っていたところだった。

北信と言えば黒姫高原で、そっち方面にも面白い活動をしている人たちが集まっているようだ。これはいずれ紹介したい。


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