Race and art in the U.S. in 2020-2021
私の母校 Brooklyn College は生徒のダイバーシティが進んでいると’言われている’大学でして、日本人である私は、自分の興味の範疇では知りうることのできなかった、アフリカンアメリカンをはじめとするたくさんのPOC(People of Color=非白人) の素晴らしいアーティストの作品に出会いました。ここでは、その時起こりつつあるBLM・Blackness とその環境をテーマにしているアーティスト&作品をご紹介します。
Movie: Paris Is Burning : 1990のNYのゲイとトランスジェンダー & ブラックやラティーノによるボールダンスコミュニティを題材にした映画です。監督Jenny Livingstonは白人女性でこの作品によって賞をとったり声名と財を得たのですが、演者の出演料はなしでのゲリラ撮影風のスタイルについて、出演者はpublic domain(公有=著作権が消滅した状態)なのか(パフォーマーの自立性の問題)、またこの表現スタイルはcultural appropriation (文化の盗用=ある文化圏の要素を他の文化圏のものが流用する行為)ではないのか、が問題にもなっています。 また、この映画の中でvogingダンサーとして出てくるダンサーがのちにMadonnaの music video Vogue に 出演しますが、白人女性であるマドンナのVogingの使い方は、本来の意味とは真逆の、ジェンダーロールを後戻りさせるような演出(マドンナの盛り立て役としての群舞としてのダンサーの使い方)であり、こちらもやはり文化の盗用ではないのかという議論もあります。
Rashaad Newsome : ↑Shade Compositions かっこつけて、侮辱をするようなバカにしたような態度のことをshade というらしいのですが、それをオーケストラのように構成したパワフルな作品。2005から形を変えていろいろな所で上演されています。Rashaad Newsome さんは、vogingのダンスをダンス用語集のような形にアーカイブしてパフォーマンスとして再構成したFIVEもあります。マドンナやJenny Livingstonと違うのは、パフォーマーたちはプロフェッショナルなパフォーマーとしてリスペクトされて扱われていることとのことです。作品も素晴らしいです。
Shaun Leonardo : 実際の事件や人物を題材にした作品/ 再現した作品も多いですが、題材であるモデル(とその家族)からは許可をきちんと得て良い関係を築いているそうです。作品も素晴らしい。
Dana Schutz 'Open Casket'-Article こちらも実際の事件を題材にした作品。少し前ですが2017のWhitney Biennial で公開されました。現代白人女性作家による1955に起きたエミットティル黒人少年殺害の絵でしたが、発表の際に抗議者が現れ、結局作品は取り下げられました。エミット・ティル事件についてはこちらのラジオでも日本語で聴けます。
Joe Scanlan 'Donelle Woolford' -Article この作品は、実在の白人男性アーティストScanlanが、黒人女性アーティストDonelle Woolfordというフィクションのキャラクターを作り、実在の人物のようにビエンナーレに参加させる(フィクションであるというキャプションなしに黒人女性パフォーマーに演じさせる)という作品でした。実際に演じ、また属性の近い黒人女性パフォーマーはそのキャラクター形成になにも参加せず、文化背景の異なるアーティストがその想像上で作ったキャラクターを、作家のクレジットなしに、発表したことは、cultural appropriation (文化の盗用=ある文化圏の要素を他の文化圏のものが流用する行為)ではないのかと論争になりました。
Dread Scott 'I AM NOT A MAN' - Article : Using the historical context of the quote :'I AM A MAN.'
I AM A MAN (condition report) by Glenn Ligon : ヴィデオ参照。Glenn LigonさんはDouble America のネオンサイン作品で有名です。
Book: White Fragility by Robin DiAngelo
参考文献:'Black Looks' by Bell Hooks
戯曲 Claudia Rankine 'The White Card'_ appendix
実際の人物や事件を題材にする場合、何が目的か、どのような立場の人が、どのような視点から作るのか、また作品に対する観客の様々な反応やディスカッションは誰が、どのように牽引するのか、をしっかり見届けること・把握することが大事です。そうした観客の反応に、アーティストはどこまで責任があるのだろうか、という問いが残ります。
実際にアメリカNY に10年ほど住んでみて、私も人種差別を受けたことも沢山ありますし、ニュースや実際に見聞きすることも数えきれないくらい、切実な問題としてアメリカに重たくのしかかっています。また当人の人種や住んでいる地域によっても、問題の見え方が全くことなることが(すべての問題がそうとも言えますが、人種問題は特に。)さらに問題を複雑化しています。