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【短歌】 偽りと 本物分ける 雨しずく 手越の軽羅(チャラ)に 答えを見たり

偽りと
本物分ける
雨しずく
手越の軽羅(チャラ)に
答えを見たり

嵐山役満 短歌集

日曜日の夕方。

空は灰色で、冷たい小雨が降り始めていた。

足早にスーパーへと向かい、頭の中では夕飯のメニューを思案する。

ふと隣で買い物をしていた若者たちの声が耳に飛び込んできた。

「手越ってやっぱ本物のチャラ男だよな。兼近や藤森とは違うんだよ」。

その一言に、私は思わず聞き耳を立てた。自分でも驚いたことに、「そうなんだよな」と心の中で呟いていた。

手越祐也—『世界の果てまでイッテQ!』でお茶の間に広く知られる存在となり、豪快な笑顔(テイッ!)と自由奔放な振る舞いで人々を魅了した男だ。

彼は一時期、何らかの理由でテレビから姿を消していたが、最近「お祭り男」として復活し、再び話題をさらっている。

オリエンタルラジオの藤森やEXITの兼近も「チャラ男」として知られているが、そのキャラクターにはプロとしての計算が見える。

彼らは自分の役割を熟知し、視聴者に楽しんでもらえるように振る舞っている。その手腕には素直に感心する。

でも、手越は違う。

彼はチャラさを演じているつもりでも、その根底にあるのは彼自身の自然なチャラだ。

そこが「本物のチャラ男」として人々に映る理由なのだろう。私もどこかでそう思っていた自分に気づき、心の中で小さく頷いた。

考えを巡らせながら買い物を続けるうちに、ふと「自分の中にも、どこか計算を超えた素直さがあるだろうか」と思う。

その問いは、手越のように何かを演じることなく、自然体でいられることの難しさを示していた。

自分自身も、無意識のうちに何かを取り繕っているのではないか。そんな思いが頭をかすめ、少し恥ずかしくなる。

でもその一方で、「本物のチャラ男」の姿が頭から離れない。

手越はテレビのキャラを超えて、チャラそのものである。

意識して演じることなく、自然体で自分をさらけ出している。その姿にこそ「チャラさ」としての価値があるのだ。

買い物を終えて外に出ると、雨は少し強まっていた。

傘を開きながら歩く私の中で、一つの結論が浮かぶ。「やっぱり、チャラって、作り上げようとして作れるものじゃないんだ」。

手越祐也は自分を飾ることなく見せ、そのことで視聴者を惹きつけている。彼が再び話題になるのも、ただのキャラ作りではない「チャラさの本質」から来るものだからだ。

冷たい雨に打たれながらも、少し心が温かくなる。

手越のように、自分の素をさらけ出して生きることができたらどうだろうか。

その勇気がある人だけが「なんだか気になる存在」として周りに響くのかもしれない。

憎らしいけど、つい見たくなってしまう存在で、結局笑えるから許されてしまうのだ。

そして不思議なことに、そのチャラさの中に信頼が同居している。

彼の過剰なまでのチャラさにツッコミを入れたくなる瞬間もあるが、彼が見せる正直さや無防備さが、なぜか信頼を生んでいる。

まるで、チャラさを極めたその先に、人を惹きつける不思議な力を秘めているかのようだ。

そんなことを思いながら、雨の中を家路へと急いだ。

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嵐山 役満
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