【シコイチ】軽率にママチャリで四国一周した話4
初めて心地よく目覚めた朝
五日目。
この苦行で初めて、布団の上で目覚めました。寝起きの感覚を一言で表現すれば「睡眠の質が違う」でした。昨日までも疲れ切って落ちるように眠っていましたが、汗臭い身体で地べたに寝るのと、風呂に入って清潔な寝間着で布団に入るのとでは、雲泥の差がありました。
旅館の朝ご飯をたらふく食べ、ぼくらは愚直にママチャリにまたがりました。雨は上がっていますが、鉛色の空が低く見えます。天気予報では今日も雨とのことでした。昨日どこかに買い物に行った軍曹からカッパが支給されました。100均で売ってるような、安っぽい透明なカッパで、スクエアに折りたたまれていました。それを前カゴにぶち込むと、軍曹の後に続いて走り出しました。
最初の目的地である道後温泉までは、一時間半ほどの距離らしいです。車列は軍曹を先頭に一列で国道を走ります。しっかり休めたからなのか、昨日までに比べてペダルをこぐ足取りも軽くなったようでした。
ぼくとシモカワくんは最後尾を走りながら時々併走し、今日の計画を確認しました。道後温泉に軍曹たちが入ったタイミング、あるいは一緒に入浴はするが、先に出てJRの駅に向かう手はずでした。もしチャンスがあれば、松山市内に入った時点で逃げ出すことも視野に入れていました。
やがてぼくらは松山市内に入りました。これまで通過してきた街とは比べものにならないほどの都会でした。大きな道を進んでいると、やがて路面電車が道の中央を走り始めました。
この時、願ってもない機会が訪れました。
チャンス到来
大きめの交差点を軍曹と二人の生徒が渡った時に、信号が赤に変わったのです。軍曹は残ったぼくらに真っ直ぐだと道をジェスチャーで伝えると、そのまま先に進んで行きました。その瞬間、シモカワくんが「今や!」と告げました。ぼくも即座に好機と判断し、一緒に取り残されたマツダくんに「俺たちはここで旅をやめる、軍曹にはチェーンが外れたから直してる、道後温泉までの道は分かってるから追いかける、心配するなと伝えて!」と言い放つと、青になっている方の信号を渡りました。
ここからは全力ダッシュです。この無意味な四国一周で一番のダッシュ具合。まず路地に入って、マツダくんやもしかしたら見ているかもしれない軍曹の視界から消えます。駅のおおよその方向は把握しています。心臓がバクバク音を立てるのは、運動量の増加だけではありません。
再び大きな道に出た時、頭上に松山駅の方向を書いた青看板の道路標識がありました。見ると確かに、駅がありました。ここからは歩こうと言うシモカワくんの言葉に従って、ぼくらは自転車が置かれている雑居ビルの下に、ママチャリを乗り捨てました。荷物もカゴに入れたまま、ぼくらは大通りから一本だけ外れた路地を走り出します。
時々後ろを振り返りますが、軍曹は追ってきません。数分後、ぼくらは松山駅に飛び込みました。
息を整えながら案内板を見るのですが、次の岡山や高松行き特急の発車まで40分以上ありました。40分もここで待つのは危険です。その前に普通列車が5分後に出るようでした。一秒でも早くここから立ち去りたいと思ったぼくは、券売機で取りあえず500円分の切符を二枚買いました。
とにかく列車に乗り、高知まで戻る方法は、車内で車掌さんに聞けば良いと判断したのです。ぼくたちは改札を抜け、列車に乗り込みます。ドアの陰に隠れて改札を見ると、軍曹の姿が見えました。あっさり追いつかれていたのです!改札から身を乗り出した軍曹は必死にぼくらを探しているようですが、こちらは完全に死角になっています。心臓が全身に散らばったかのように、鼓動が早く大きくなるのが分かりました。
永遠の二分間
ぼくの位置から見えるホーム上の時計は、発車まであと二分あることを告げていました。永遠のような二分間でした。ぼくらはただ荒い息をしながら、時間が経つのを待ちます。軍曹が駅員に声を掛けているのが見えました。
それでも今までの人生で体感した、最も長い二分間は経過し、列車のドアが閉まりました。ぼくらは同時に深い息を吐きました。立ち上がってドアの窓から外を見ると、軍曹と目が合いました。驚きと怒りと、少しの安堵が混じったような表情になっていました。
シモカワくんは軍曹に向かって中指を立てます。そんな態度取って二学期以降どうするんだと一瞬思いましたが、次の瞬間、ぼくは笑ってしまいました。理由は分からないのですが、心底面白かったのです。シモカワくんも大笑いしました。ぼくらはお互いの握り拳を突き合わせました。
列車はゆっくりと、しかし確実に松山駅を後にしました。