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【シコイチ】軽率にママチャリで四国一周した話6


罰としてのサイクリング

夕方から雨が強くなってきましたが、日没が来ても軍曹は走り続けます。しばらく真っ直ぐ道なりに進めと言われてから数時間、相変わらずぼくは先頭を走り続けました。途中休憩は一度だけで、既に6時間以上雨の中を進んでいました。

幸いこの日は一度もパンクはありませんが、肉体的にも精神的にも限界が近づいていました。ママチャリの隊列の横を、スピードを上げたクルマが雨水を撥ね飛ばして行きます。いっそのことクルマにぶつかって怪我してやろうかと何度も思いました。さすがに責任問題になるだろ?訴訟も辞さないうちの両親なら、確実にこいつをクビにしてくれる。そんなことを考えながら、無心にペダルを回しました。

ここから先は俺が先頭を走ると軍曹が言ったのは、もう21時を過ぎた頃でした。数十分後に軍曹の後を追って辿り着いたのは、昨日と同じ「駅前旅館」という名の宿でした。一瞬フランチャイズか?と思ったのですが、単に駅前にある旅館ってことなんでしょう。宿に着いたのはもう午後10時近い時間でした。

風呂に入ってコンビニの弁当を食べたら、すぐに布団に入りました。シモカワくんとはあれ以来、まったく会話をしていません。そもそもぼくらの脱走が空気を悪くしたのか、他の連中もあまり喋ってはいませんでした。軍曹も特に何も言いません。今になって思えば、叱責するよりも効果があるだろうと、10時前まで走らせたのかもしれません。

この五日間、軍曹は何も楽しそうではありません。しかめっ面なのはいつものことですが、何の目的でこんな馬鹿げたことをやっているのか疑問で仕方ありませんでした。ただ何も考えてないんだろう、いや考える力がないんだろうなというのは、当時14歳のぼくにも分かっていました。

軍曹のモチベが何なのか、知ったところで状況は改善しません。香川県か徳島市内にいるうちに、次の逃げる機会をうかがうしかない。そんなことをとりとめもなく思考していると、いつの間には眠っていました。

ママチャリで100キロという拷問

翌日、目を覚ますと窓の外は晴天でした。昨日までの雨が嘘のようです。身支度を調えて外に出ると、蝉の鳴き声が降ってくるようでした。

六日目はひたすら海沿いを走り続けました。途中、何人かがパンクしましたが、無事に夕方には屋号は違いますが、昨日と似たような感じの旅館に到着しました。ここはもう香川県です。走行距離と時間は、今までで最も長かったように思いました。

この日はひたすら自転車を走らせるだけの一日でした。何の観光もありません。そもそも観光をしたのは、三日目の宇和島城だけです。汗だくになって自転車をこぎ続けることに何の意味があるのか、そこに楽しさや意義を微塵も見出せそうにはありませんでした。

ただメンタル的に良かったのは、高知県の西側から愛媛県に抜ける時のような、事故っても遭難してもどうにもなんねー的な怖さがない点です。途中民家がないような場所を通ることはあったのですが、交通量は多く、人が暮らしている場所なんだという安心感が常にあったように思います。

しばらく大人しくしてから逃げるのが良いのか、まさか二日連続アタックするとは思っていないだろう油断を突くのが良いのか、時々通り過ぎる列車を眺めながら思案したのですが、結局この日は逃げることは諦めました。

七日目

この日も朝から晴天でした。昨日は宿で洗濯が出来たので、洗い立てのTシャツを着られましたが、ぼくらのみすぼらしさは洗濯くらいではどうにもなりません。全員揃いの無地シャツに麦わら帽子という、人目を惹くスタイルでこの日も出発しました。

しばらく走ったあと、突然軍曹が「ちょっと観光して行く」と言いました。どこに行くのかと誰かが訊くと、こんぴらさんに行くとのこと。金比羅がどんな場所なのか知っているぼくは「嘘やろ?」と思いましたが、そこが何なのか知らない他の連中は、とくに感想もなく、軍曹の後に続きました。

こんぴらさんこと、金刀比羅宮の近くまでやって来たのですが、駐輪場が見当たりません。しばらく参道の周辺をぐるぐる回っていたのですが、親切なおばさんがこっちこっち!と手を振ってくれました。おばさんに案内され通りから少し奥まった空き地に自転車を止めると、当然のように6台分の駐輪料金を請求されました。

こんな空き地で自転車やのに金取るんか!?と、もちろん軍曹は食って掛かります。ああ、また面倒なことになるなと思ったのですが、意外にも軍曹は言われる通りの金額を払ってその場をおさめました。

分かっていたぼくはショック少なめでしたが、参道口から続く石段を見た瞬間、他の生徒たちが絶句するのが分かりました。ママチャリをこぎ続けた足には拷問のような石段往復のあと、昼食に讃岐うどんを食べました。初めて観光地らしい食事でした。というか、初日のラーメン屋以外、店で食べたことは皆無です。

次のチャンス

田園風景の中を通って、まだ日の高いうちに、高松市内の宿に到着しました。この日の泊まるのも、よく見つけてくるなと思うほど、昨日までと同じような旅館でした。

宿に到着し、まず風呂に入って洗濯をしました。旅情や風情はゼロですが、父が好きで良く見ている「男はつらいよ」で寅さんが泊まっているような安旅館の雰囲気は、嫌いではありませんでした。

洗濯物を干しながら、逃げるなら今夜か明日だなとぼくは思いました。

金比羅宮の石段をぼくが知っている理由、それは高松市内に親戚の家がいくつかあるからでした。一番近い伯父の家は、この宿からなら、電車で一駅です。もちろん徒歩でも行ける距離でした。親戚の家に逃げ込んでしまえば、もう軍曹が捕まえることは不可能でしょう。

よしんばぼくが逃げたと判明しても、軍曹はJRの高松駅に向かうくらいしか出来そうにありません。私鉄の駅や路地を探すことは不可能です。土地勘のあるぼくが圧倒的に有利でした。

風呂上がりにテレビを見ているぼくたちに、いつになくご機嫌に笑いながら、今夜は焼き肉を食べに行こうと軍曹は言いました。シモカワくんは軍曹とぼくを交互に一瞥しただけですが、他の三人は飛び上がるような勢いで喜んでいました。

外に出られるなら好都合だ。ぼくは気取られぬように「食べ放題の店が良いです!」と軍曹に笑顔を向けました。

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