【シコイチ】軽率にママチャリで四国一周した話7
食べ放題2980円×6
旅館からぞろぞろと歩いて繁華街とは反対の方向に向かいました。反対方向とはいえ、市内の中心部です。15分ほどで到着したのは、ファミリー向けの焼き肉店でした。食べ放題の大きな看板が駐車場に掲げられています。
少し待たされたあと、コンロが二つ埋め込まれた大きなテーブル席に通されました。食べ放題のお店は初めてでしたが、ファミレスのサラダバーの要領で好きな肉を持って来て焼くようでした。
軍曹はビールを注文し、ぼくらもドリンクバーから飲み物を持って来ました。「四国一周も半分が終わった。お前ら日焼けしていい顔になってるぞ」と、少し改まった口調で軍曹は言いました。確かにぼくらは誇張表現ではなく真っ黒になっています。雨の日が多かった印象なのに不思議でした。
軍曹はジョッキを掲げて「今日はワタナベがご馳走してくれる。お前らちゃんとお礼を言うんだぞ!」と言うと、乾杯!と一人宣言してビールを飲み始めました。
そういうことか。ぼくは不快なやり口に思わず軍曹を睨みました。軍曹はこちらの視線など無視してビールで喉を鳴らしています。皆は怪訝な表情をしつつも、ワタナベありがとうな!と言いながら肉を取りに行きました。
脱走に失敗したぼくとシモカワくんが捕まったあと、運賃の出所を確かめ、残金も確認している筈なのに、軍曹はぼくから財布を取り上げることはありませんでした。
金があれば次の脱走も容易な筈なのに、なぜ財布を没収しないのか。もう逃げないと思っているのか。それとも軍資金があればまた列車に乗れるという発想が浮かばないほど馬鹿なのか。
捕まってから今日までずっと疑問だったのですが、どうやらこういう方法でペナルティを科すために取り上げなかったようです。
脳筋体育会系バカは、イノセントに竹を割ったような性格の人間と、暴力を背景に陰湿な行為も厭わない人間に分類できると思っていましたが、やはり軍曹は後者のようでした。
皆は談笑しながら肉を焼き、軍曹は何杯目かのビールを飲みつつ、時々自分の学生時代の武勇伝などを語って聞かせます。はたから見れば楽しそうな宴に見えたことでしょう。
空腹でしたが、ぼくは悟られないように量をセーブしながら食事をしました。この店を出たらすぐに逃げる決心をしたからです。満腹になってしまえば、走ることはできません。
90分の制限時間いっぱいまで飲み食いをしました。支払い時、軍曹は本当にぼくに全額の支払いを命じました。6人分で約2万円でした。ぼくは諦めて万札を二枚と数枚の千円札を出して会計を済ませました。忘れずに領収書を貰いました。こちらの意思を無視して代金を出させた証拠です。
何杯飲んだのか途中で数えるのもやめましたが、かなりの量のビールを腹に入れた軍曹は、顔を真っ赤にしています。酔ってくれたのは好都合です。判断力も鈍るし、走って追いかけることも難しくなるでしょう。
店を出たところで、軍曹は全員にワタナベにご馳走様と言え!と命令しました。皆愚直に礼を言いますが、食べ放題だけでなくビールまで飲んだ軍曹は、にやにやと笑っているだけでした。心底ムカつく笑顔でした。
二度目の脱走
元来た道を帰りながら、ぼくは徐々に集団の後ろに移動しました。シモカワくんは相変わらず孤立していますが、他の三人は大声でバカ話をしながら歩道を歩きます。
少しずつ、少しずつ、皆から距離を取ります。先頭の軍曹は振り返りません。すっかり陽も沈んでいて、振り返ったとしても、もう軍曹の表情は分からない状態でした。それはつまり、軍曹からもぼくの姿を判別するのが難しいということです。
鼓動と呼吸が早くなり、全身に暑さとは別の理由で嫌な汗が噴き出すのが分かりました。軍曹が商店街のアーケードに差し掛かったタイミングで、ぼくの横に狭い路地が現れました。
今だと思ったぼくは、路地に入り込みました。小さな飲み屋などがひしめき、大人の夜の街を思わせる路地を、思い切り走ります。全力ダッシュなら数十秒で走り抜けられそうな出口の前に、小さな駅が見えていました。
狭い路地に人通りは皆無です。ぼくは一目散に出口を目指しました。振り返らず前を見ながら、神経を後方に集中するのですが、追いかけてくる者も、ぼくの名を呼ぶ者もありませんでした。
永遠のように思えた百メートルほどの路地を走り切り、無事に駅に飛び込みました。切符を買おうとするのですが、巧く硬貨を券売機に入れられません。焦るな、落ち着けと自分に言い聞かせて、何とか切符を購入しホームに入りました。
この駅はJRの高松駅に連絡する終点の一つ手前にあり、反対側の隣駅が3路線の分岐駅でした。そういう位置関係のため、地方の私鉄では有り得ない本数ので電車が発着していました。ホームで息を整えているとすぐに電車がやって来ました。改札口を凝視しますが、軍曹の姿はありませんでした。
今度こそ逃げ切ったなと、ぼくは開いたドアから電車に乗り込みました。電車が発車した瞬間、ドアの前に座り込みました。座り込んだ状態で、笑いが込み上げてくるのを我慢できませんでした。周囲の乗客の視線も構わず、ぼくは掌で口を押さえて笑いました。
立ち上がり、ドアの窓から過ぎ去る駅に目を凝らしますが、やはり軍曹の姿はありません。ぼくがいなくなったことに気づいたとしても、捜索するのはJRの高松駅でしょう。列車も高速バスも高知行きはそこから出発します。高松駅と反対側に向かったなんて、思いも付かない筈でした。
5分で二駅先にある目的の駅に到着しました。ここまで追ってこられる訳もないと、ぼくはゆっくりと伯父の家に向かいました。駅から2~3分歩いた場所にある伯父の家には、明かりが灯っています。万が一留守だった場合は、別の伯父の家に向かわねばなりません。それが唯一の気がかりだったため、ぼくは深い安堵の息を吐きました。
チャイムを鳴らすと、驚いた表情の伯母が迎えてくれました。どしたん?と讃岐弁で尋ねる伯母に「泊めて」とぼくは言いました。