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時評2024年8月号

定型の中の自由

 「自由に」って言われた時、いつもやってる「パ」のほうが自由だなって思った。
 二〇二四年三月に出版された恩田陸の小説「spring」は天才バレエダンサーかつ振付師の春という人物をめぐる物語であると同時に、創作や表現というものに一度でも触れた経験のある人なら感じえるだろう様々な感情が渦巻いていた。冒頭は「バレエ」の定型についての春の言葉だ。「パ」というのはバレエの基本のポーズ、振り付けのことらしい。レッスンで「自由に踊るように」という指示をうけたにもかかわらず定型の「パ」を踊り続ける春は、指示に従っていないことを講師に注意される。しかし彼は「基本の形のなかに、定型の中に、自由がある」と感じているのだ。
 形が定められているからこそ、その中での自由な表現がうまれる、自由に羽ばたける。定型詩である短歌にも通じるものがある。
第六十八回現代歌人協会賞を受賞した睦月都『Dance with the invisibles』は静謐で整えられた世界の中からあふれてくる一種の情熱を感じる。静かに、決意を感じさせる熱意だ。

  春の二階のダンスホールに集ひきて風をもてあますレズビアンたち
  香水をたがひに交換して秋の夜を抱く耳のうしろがひかる

 「春」「二階」「ダンスホール」と明るく開放的な印象を抱かせる言葉が並ぶ。翻り社会からの抑圧に知らず知らずのうちに閉じ込められている彼女たちの心を想像してしまう。たった三十一文字前後の中で描き出された光景はあまりに広い。また香水の歌はきっちり定型には収まっていない。句跨り、字余りが散見している。しかし詠み手のリズム感がしっかり提示されていると、(あとは結句が七音できまっていると)多少のアクセントがかえって心地よく響きながら、定型として受け止められる。
 作歌を始めたとき、よりどころになるのは定型のリズムだった。型が決まっていると模倣しやすい。短歌は理論より先に実作が来る人が多いジャンルだと思う。手探りでなにかを始めるとき、壁が定まっていると「ここまで腕を伸ばしていい」「ここからは膝を曲げなければならない」という身体的なとっつきやすさがある。
 定型は作歌だけでなく読みも助けてくれる。型決まっているから表現の幅もあると同時に比較しやすく、ほかの作品を手掛かりに新たな歌を読み進めることができることもある。定型はつまらなさ、堅苦しさではなく安全な枠組みであり、その中で自由自在に羽ばたくことが担保されている。
 「spring」の話に戻るが、春はダンサーとして自らの体で表現するのみならず、振付師として自分の踊りをふさわしい相手に提供していく。自分ひとりで完結するわけではなく、もっと広い世界の中でただしい形を模索しそのために手段を択ばないとでもいうように。歌を読むとき、広く共感するもっとその先で、こんな美しい形に出会えたことに心が震える。ひとりではたどり着けない場所がある。短歌という共同体のなかで一つの目標にむかい、皆が目指す究極の一首があるのなら、そこに到達するのが誰でもいいのかもしれない。