時評2022年8月号
新聞掲載であった子育て漫画「毎日かあさん」の娘さんのブログで告白があった。自分のことを作品にされるのが苦痛であった。学校で皆が自分のことを知っている恐怖。やめて欲しいと訴えても聞き入れてくれなかった。など辛い心境を書いた。(現在は非公開のようだ)面白い、可愛い登場人物と思って気楽に見ていたものが、傷つける結果になっていたことに驚いた。これを受けてSNSで育児日記を公開することの危うさも言われた。未成年の場合、親が作品として公開することは、個人情報開示に親権者の同意があるとみなされるともあり、難しい問題のようだ。
同じ時期に、友人の母上もまた創作をされており、家族の立場からは重くて読め作品もあったと聞いた。そのことから、作品にすることが家族に与える影響、情報の扱いについて気になってしまった。
短歌の重要な要素に「私性」がある。筆者も実生活の出来事、結婚出産育児介護など表現したらどうなるかと考える。表現したい、記録として留めておきたいと思う。その経験が自分にとって特異であればなおさらだ。作品と実生活が隣り合うことについて否定せず、作品とし鑑賞してきた。
全歌集には年譜がついており、作者の生年・出生地・進学先・就職先・両親、兄弟、妻子の有無、名前などが載っていることもある。作品と照らし合わせ、背景や心情など推し量る資料として大変助かるのである。
この父を怠けものとぞなしはててわが子のなつ子墓に隠るる
『鳥声集』窪田空穂
子どもの名前がある歌で真っ先に思い浮かんだ。亡くなった子の名前を呼びたい、きっとこれは動かせない一言だったと思う。茂二郎さんへの挽歌もあるが、個人名のある歌は他には思い当たらない。
間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子
『田園に死す』寺山修司
今無記名で提出があったら、いじめでの不登校でしょうか、言葉がちょっと強いです。弟さん心配ですねとコメントしてしまうかもしれない。作中の行方不明の弟は架空である。(なぜ架空とわかるかはやはり年譜があるためなので皮肉だ)一連の中で物語があり、弟が表現する題材としてあるとわかる。
作品は作者の主観を通じて描かれた心象風景である。そこでは家族はどこまで自由に表現していい私性の範囲内なのだろう。
現在プライバシーで問題となるような作品を知らないし、作品ごとにアウト・セーフとジャッジをしたいわけではない。指針が欲しいわけでもない。
もし現代で寺山の弟や父の歌が事実として拡散したら、本当に弟が存在したら。心情的にも実生活にも影響がでる可能性は否定できない。
個人的には私的事実が、個人情報に抵触するなら、作品の完成させる上で、必須かどうかは考えようと思った。作品は作品として決着をつけたい。まったくの事実でないと私性が保たれないわけでもない。自分自身のことを公開し、作品にするのは問題ない。過度の自主規制も嫌だ。ただ家族に限らず情報には配慮があっていいと思った。 (佐藤華保理)