時評2024年2月号
ラブとリスペクトのあいだ
あはれなるやうにて、つよからず。いはば、よき女の悩めるところあるに似たり。つよからぬは、女の歌なればなるべし。
十一月二十七日放送の「100分de名著」(Eテレ)で紹介された紀貫之による小野小町評である。指南役の渡部泰明は「この場合の「強くない」は心情表現に重点を置きすぎてがっちりとした構成をとっていないということ」と解説した上で、貫之は「女」を一括りにしている、女性の歌には弱々しく見えて実は強い歌もあるとして異議を唱える。
この番組は四週にわたって専門家が一冊の魅力を掘り下げるという内容で、十一月は「古今和歌集」がテーマ。右は最終週「女の歌は「強くない」のか?」の冒頭部分である。男が女の歌に注文をつけるのは遥か平安の時代から変わっていないのだなあ。MCの伊集院光が番組の最後に「古典は新しいね!」と気の利いたことを言っていたけれど、むしろわたしはいまだに古典の時代を生きているような気持ちになったのだった。それはさておき、番組で紹介された女性歌人たちの歌がとても面白い。女主人である温子(おんし)への思いを詠んだ伊勢の一首も熱いが、ここでは女同士の強い絆を詠んだ陸奥(みちのく)の歌を引く。
(詞書)女ともだちと物がたりして別れてのちにつかはしける
あかざりし袖の中にや入りにけむわが魂のなき心地する 陸奥
話し足りないまま別れたあなたの袖の中に入ってしまったのでしょうか。魂が抜けて呆けたようになっています――。まるで相聞歌のような雰囲気に伊集院は「ラブなの? リスペクトなの?」と戸惑うのだが、わたしは表現が大袈裟なところなんかが、いかにも「女ともだち」らしいと感じる。二人にしかわからない二人の世界。この番組を見ながら、わたしはある作品を思い出していた。
ひとさじのもらった苺パフェ甘い このさき忘れるぜんぶがひかる
友情でキスして眠る曖昧なランドマークを沈めた海辺
死(スメルチ)が女性名詞と知るときの さいごに老女の手をとる女
あなたから欠けたのがもしあたしでもバラバラの一生でいようよね
作者は山中千瀬。第十一回現代短歌社賞次席作品「脱出の最中」(「現代短歌」二〇二四年一月号収録)の抄録より引いた。山中はまさに女同士のラブとリスペクトの間を詠んでいる歌人だと思う。パフェを分け合いながら戻らない瞬間を生きる二人。上句のつんのめるようなリズムに若さと感情が迸っている。二首目の「曖昧なランドマーク」は性別や異性愛規範や世の中の常識などだろうか。「友情で」と断ってはいるが、その背後にもっと複雑で繊細な感情が揺れ動いている。三首目、上句には理不尽な運命を感じさせられるが、しっかりと手を握り合う二人の姿に魂の強さを見る。四首目はまるで陸奥が詠んだようではないか。たとえ心が離れてもあなたの幸福を思い続ける。一途な祈りの歌だ。
関係性の微妙なグラデーションを描く、山中の「女ともだち」の歌。その向こうで、十二単の彼女たちが手を振っているのが見える。
(北山あさひ)