
2025年年間テーマ評論「日常から見える戦争」③
崇高美ではなく
滝本賢太郎
コロナ禍に入ってから、展覧会に行かなくなった。日時指定やネットでの予約を要求されるのが、どうにも億劫だ。新しいこと、特にネット関連の作業はきわめて苦手で、ならばもう行かなくてよいと思ってしまう。神奈川近代文学館の安倍公房展に妻と出かけたのは、そういったちょこざいな手続きがなかったのもあるが、十代の頃夢中になって読んだ作家に、久々に触れたくなったからでもある。
小説『壁』の芥川賞受賞の知らせを、彼は下丸子で聞いた。会場内、大きくそう書かれているのを見て、ここで自分の住む町の名を見るとは思わなかった。公房は一時期、下丸子文化集団という文芸サークルの旗振り役の一人だった。今になって思えば公房の、特に初期の作品には、オルグとその挫折の家庭が通奏低音として流れている。『飢餓同盟』はその最たるものだろう。後の井上ひさし以上に、運動を信じ切れず、むしろその挫折に人間の性を見るところが、この生まれながらの故郷喪失者の宿命なのだろう。
公房の冷めた視線とは異なり、下丸子文化集団は熱っぽかった。戦後すぐの五十年代、労働者の団結を詩作を通じて呼びかける運動が盛んだった。工場町だった大田区下丸子で生まれたこのサークルは、その中でも特に成功した団体である。ただ彼らが残したのは歌ではなく、詩だった。日常に見える戦争と聞いて真っ先に思ったのは彼らだった。目の前には朝鮮戦争があり、敗戦の記憶も生々しく、下丸子では輸出する武器が作られていた。加えて階層の対立。彼らの目にはいくつもの戦争が映っていたはずである。だが歌は詠まなかった。松澤俊二の『プロレタリア短歌』を読んだのは、こんな関心に引きずられて、戦前の彼らと似た集団の歌を読んでみたかったからだ。今ではまとめて読むことも難しいプロレタリア短歌を集め、解説を加えているだけでも、この所には資料的価値がある。だがその上で彼らの歌についていえば、坪野哲久や前川佐美雄のような個性であっても、このジャンルの中に入れば不思議と埋没してしまう。プロレタリア短歌という名が前景に強く出て、それをただただ生み出す集団は見えても、個人は感じられなくなってくる。だからそれぞれの労働や軋轢は歌われているが、不思議と個別性は希薄である。
わたしが本来、ここで取り上げるべきは集団であり、群衆であり、大衆である。日常に見える戦争と聞き、歌の枠を外してまず浮かぶのは分断であり、その分断を引き起こし、常に相手を殲滅させようとする敵と友の群衆だった。格差や性差、世代の対立もここには滑り込んでくるだろう。そのような歌論じること。それがどうにも気が進まない。分断は相手を呑み込み、一つになろうとする。ル・ボンが『群集心理』で繰り返す、群衆は論理ではなく感情に反応するというテーゼは、昨今ますます真実だと感じてしまう。だから感情に訴えようとすれば、歌においても叫びに近いヒステリックなものとなり、それは画一的なプロレタリア短歌の印象にも近いものだ。
昔、戦って勝つために生まれたと詠った女がいた。臆面もなくこういえる恥ずかしさに驚いたが、それはわたしにとって歌とは、勝者の詩にはどうにも思えないからかもしれない。わたしは古臭い人間である。当世風に言えば老害である。だが新しいものを積極的に受け入れ、若いだけしか取り柄のない連中との共通言語を手にする必要もないとも思っている。だから歌について考えるとき、決まって浮かぶのは保田與重郎の短歌観であり、後鳥羽院である。保田が日本武尊や後鳥羽院に英雄を見るのは、ギリシア悲劇の英雄観もあるように思われる。ギリシア悲劇では絶対的な力を持つ神々が、人間を理不尽に翻弄する。人間はそこで挑戦し、敗北する。だがこの敗北からこそ、神話から離脱した人間の時代の第一歩がはじまる。そのため英雄とは死をもって生まれ、歴史を作り、敗北は勝利に変わる。絶対的な力に敗れた者が英雄となること。いわばこの貴種流離の姿に、保田はドイツロマン派のイロニー理論と、飛び石から始まる日本の橋のイメージを結合させ、端から端への飛翔を可能にする歌を見る。保田に夢中になり、彼にやられた誰しもが覚えるめまいの内に読んでいた頃を思い返すと、わたしにとって歌とはやはりこのような文芸なのである。だから日常に見える戦争の歌とは、圧倒的な力でねじ伏せられ、それでも詩で立ち向かう歌であり、それをたとえば尾崎まゆみの歌に見たい。
破壊もまた天使であるとグレゴリオ聖歌が冬の神戸を駆ける
レクイエム零れつづける木蓮の一籠がまだ空にとどまる
玩具箱ひつくりかへす感情の洪水の跡 うるむ神戸へ
くちびるが欲しい地下鉄送電線パンタグラフのかひなのあひだ
みづうみでいつぱいの空致死量を包む両てのひらの熱さに
思ふことすべて虚しくポケットにすべりこませる「希望」とは何
『酸つぱい月』冒頭の三部構成からなる連作「KOBE」から引いた。阪神淡路大震災を詠う大作である。一首目、グレゴリオ聖歌が歌われるのは鎮魂のミサだろうか。しかしそこに参加し耳を澄ませる作者には、黙示録に描かれる天使たちの姿が、世界の終焉をもたらす天使たちがもたげてくる。ミサに参列しながらも、そこに一体感を持つことができない。この歌に漂う寄る辺なさは、ぽっかりとしたまま立つしかない、ぬぐえない喪失感も感じさせる。
破壊も現状も受け入れるのでもなく、ただ見ていることしかできない。感覚は開きっぱなしで、外界は絶えず入り込むが、それらはどこか歪に感受されて残る。尾崎の『酸つぱい月』に思うのは、このような強い喪失感であり、それが生む茫然の感覚である。ただ茫然とあるしかない。そこに価値判断も感情も下せない。目の前にあるのは、あまりにも圧倒的すぎるものなのだ。
圧倒的なものが描かれるとき、時にそこには、崇高なものに感受された美が表れる。廃墟に感じる美しさはその一つの典型である。だが尾崎の歌に滴る美しさは、この崇高美とは異なる。崇高美が、絶対的な力に完全にねじ伏せられた者が敗北と引き換えに感受しうる最後の甘やかな感覚とするならば、ここで描かれる茫然の美しさは、そこに立ち続けることを要求する。こうしてぎりぎり立ち続けることで、敗北への流れは阻止されている。
神戸の状況は、廃墟のように乾いたものではなく、もっと生々しい。四首目に詠われる身体のイメージは、死に切ることもできないずたずたの街に残る熱を思わせて、苦しい。苦しさは三、五首目の横溢や氾濫、溢れた水が起こす窒息のイメージにも強く見られる。「みづうみでいつぱいの空」という言葉のねじれ、そこにわたしは惹かれる。水でいっぱいなのではない。湖が満ちている。それは溢れて落ちてくる不穏な予感をたたえ続ける。「致死量」も比喩なのか、何かの薬のそれなのかが見えず、それでいて致死量という言葉でしかないものの具体が不思議と感じられる。言葉に奇妙な重量感が満ちている。言語の脱臼とでも言えばよいのだろうか。日常の言葉からずれはじめたこれら詩の言葉は、特異な生を帯びて輝きはじめる。
『微熱海域』に見られた、句割れ句またがりを自在に扱い、独自のリズムを作り出し、固有名詞や引用も多分に混ざる軽やかな歌は、『酸つぱい月』では姿を変えている。
きつと心の中のはつなつあをによし奈落の青葉しんとけぶれる
スープが空に零れた歌をくちびるのビルで待つててコック・ロビン
一見すると言葉遊びのようにも映るが、それとも微妙に異なる。言葉が言葉を呼んでいると見た方がよい。それは脱臼した言葉が、ねじれながらも元に戻ろうと動く再生にも見える。軽やかさの中には、やはり暗い影がある。喪失は喪失としてぽっかりと開き、言葉はそれを埋めようと増殖し、結果的にその穴を際立たせる。
「われふかき淵より汝」最後まで思ひだせずにバスタブをでる
「LOVE ME TENDER」流れる広沢歯科医院青春はこれからなんてでも
感情操作技術さうしてほんたうの事はどうでもよくて滅びぬ
一首目は旧約聖書の詩篇一三〇編一節を元にしている。「主よ、われ深き淵より汝を呼べり」というこの聖句は死者のために、罪の赦しのために唱えられる。だがこの聖句も抜け落ちて、断片化されてしまう。二首目下句の句またがりは痛切に響く。青春という華やかな時間が、これからの人々に可能なのか。そう思い、打ち消そうとするも、打ち消しきれない。逡巡はかえって、希望の希薄な現状を描写する。三首目のやぶれかぶれな歌いぶりには、喪失をより深くさせるあきらめがにじむ。
わたくしを殺して帰る青空に月の出口がぽつかりとある
ルミナリエ縫ひ目ほころびよろこびの祈りは声の中にはかない
真昼の月を「月の出口」と呼ぶとき、自分自身を殺しても逃れられない出口のなさはいよいよ極まる。二首目のルミナリエとは、神戸復興の光のイベントである。だが尾崎がそこに見るのは分断を縫う光ではなく、縫ったそばから目立つほころびである。「よろこびの祈り」にのぞく眼差しの冷たさは、あきらめや喪失の冷たさである。
雨はひそかな音へ記憶の午前五時四十五分すぎの目覚めへ
分解掃除された去年の蒼穹の空(から)井戸深く眠るほほゑみ
そして時はめぐる。またその日がくる。
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