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☆「歌壇の〈今〉を読む」☆波汐國芳歌集『虎落笛』

波汐國芳歌集『虎落笛』評

被爆地福島に生きる
         矢澤 保


 二〇一一年三月十一日の東日本大震災、東京電力福島原子力発電所事故から九年の時を経て編まれた歌集である。

・虎落笛 泣く声ならね福島の人ら覚めよとノックするらし
・虎落笛福島の地に奏ずると被爆九年のおもいならずや

 いま、福島の地に吹き渡り奏でる虎落笛の音は、哀しみの旋律だけではない。人々の背を押す前向きな旋律でもある。
 全篇を通して主旋律は、被爆地福島に生きる意志である、その主題の上に「落暉の譜」「再起の譜」と二章をもって構成されている。、哀しみ、怒り、慟哭、哀惜と愛惜、再起への希望、郷土福島への熱情を和音として、この九年間の思いが詠唱される。作者は、大震災以前から、福島原発の危険性について警鐘を鳴らしてきた歌人である。それゆえに、なおさらに、本歌集の直截な抒情と多彩なリフレーンが、強く深く読手に迫ってくる。

・ああ海は乱打のピアノ原発のそびらひた打つ警鐘なるを
・原発の送電線が延びる丘手繰っても手繰っても尽きぬ冬なり

 安全神話の崩壊した現在も、海は原発のそびらを乱打し警鐘を鳴らし続けている。都市へ延々と延びる送電線は、ただ空しく在って、享受者に被災者の哀しみや怒りは、届いているのだろうか。

・振り向くを嘗ての原発銀座とや透きて動ける他界のひとら
・目つむれば暗き海より海草のゆらゆら揺れて起ちくる死者ら

 亡くなった夥しい被災者の姿が、今も作者には、厳然と見えるのだ。誰ひとりいない帰宅困難な町にも、今は穏やかな透き通る海原にも無機質な防潮堤の上にも、累々と被災者たちが現れるのだろう。

・妻逝けば北極海に哭く声の吠ゆるが如きトドとなりしか
・墓誌の碑に我と妻との歌彫れり平成生きし証の二つ
・ほうたるは妻ぞと思うほうたるの命過るをじっと見送る


 被爆禍の中、妻が亡くなった。もはや、人であることでは尽くせぬほどの深い悲しみに激情し慟哭する。亡き妻への哀惜に満ちた挽歌は、本歌集の主題と共に重層し繰り返し詠唱される。共に歌人として生きてきた妻との「証の二つ」に「ほうたる」の閃く光に、決して癒やされぬ哀しみと原発事故の不条理が象徴される。

・原発を招きし人らシジフォスの刑とし受けよその廃炉こそ
・大地震に地は揺れ天も傾きてこぼれこぼるる文明ぞ ああ

 原発の事故処理と廃炉まで百年、核のゴミの無害化までは十万年の歳月がかかるという。私達が今、享受している文明はどこかで間違ってしまったのだ。「ああ」と立ち尽くす人々の声がきこえる。

・大津波に残りたる松 地に深く張りたる根もて歌汲みあげよ
・復興へかじかむ指を震わせて笛をし吹かな咽喉翳るまで
・烈風に削がれ削がるる裸木の芯持つわれか九十五歳


 混沌のなかでも、福島の地に立って、歌を「汲みあげ」続ける熱情の尽きることはない。歌の可能性を確信するがゆえに、復興と希望が見えるのだろう。「削がれ」てもなお屹立する歌への気概こそが、被爆地福島に生きる意志の所以ではないだろうか。

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