
2024年年間テーマ「時事詠を考える」⑨
時事詠雑感
今井恵子
「國民文学」四月号の〈えもの待つ痴漢と掏摸を待つわれら残して電車次つぎに発つ『車站』〉についての自歌解説を読んだ。一節を引用してみよう。
二、三分おきに満員の乗客が乗った電車が発着する小一時間は掏摸にも刑事にも痴漢にも稼ぎ時である。ドアが閉まった電車の発車の瞬間はラッシュアワーの積み残しのようにホームに人影はまばらとなり、すぐにホームは人が溢れるまで、挙動不審な人影の全身が他の者の視線にさらされる。ボウとして立たずに居ない工夫は乗客、下車客の流れに融け込むことで自分を消すことだ。
この間のホームに用もなく立つのは、見習いの刑事か痴漢で、本物の掏摸は飛燕のように遠くから出没する。目ぼしい鴨がいれば旋回する燕のように掏摸が追い、刑事がその後ろに密着する。
(御供平佶の自歌解説「昭和覚え書き」)
一般に作者の自歌解説はつまらない。解説しないければいいのになあと思う場面にしばしば遭遇する。けれどもこの解説は面白く読んだ。解説がなければ状況がつかめないからでもあるが、読後にふたたび歌を読むと、「えもの」「われら」の走らせるの鋭い視線の交錯が、ラッシュアワー時の駅ホームに、それまで思い及ばなかった存在を顕現させる。
作者はかつて日本国有鉄道の鉄道公安職員であった。国鉄民営化ののち機械化がすすんだ現在も、痴漢や掏摸が撲滅されたわけではなく、都市部における朝夕の電車の込み具合は相変わらず相当なものだ。現状がどうなのか知らないが、注目したいのは、「二、三分おき」に到着する満員電車の間隙に、一般乗客の思いもかけない、掏摸・痴漢・刑事という人たちの激しい攻防が繰り広げられているという事実があり、一見ガランとした駅ホームの空間にみちる緊迫感を、歌がとらえているという点である。
わたしたちは、同じ時間、同じ場所に臨場していれば、同じような感慨を抱くわけではなく、作者が素材をどのような立場からどのように見るかで、歌の内容はガラリとかわる。仮に自分が作者だとして、作者が見たり聞いたり感じたり考えたりした内容には、必ず、異なる立場から見たり聞いたり感じたり考えたりした異なる内容があるということを、この自歌解説は示している。一言でいうならば事物の多様性であるが、多様性という言葉に集約してしまうと内容が無表情になってつまらない。
この記事を読んだとき、かつて、東京下町の小さな硝子工場経営者が、表参道にあるファッションブランドのビルに嵌め込む特殊ガラスを作っていると聞いたことを思い出した。そのときの綺麗だなあと見上げる自身の一面性を指摘されたような思いが蘇ったのである。ビル建設には、大小の素材が使われ、さまざまな特殊技巧を専門とする人々が動く。建設に携わる人々は、通りすがりの消費者とは全く違う視点をもって、完成したビルに親しみをもって見上げることだろうと気づいたのである。そう思うと、街を歩いても、野山を眺めても、交通機関を利用しても、あらゆるコトやモノの向こうに生きる、人間の直向きな影を想像するようになった。人間はそれぞれの立場で、外界と接し、それぞれの感情や感覚を育んでいる。想像するだけでも豊かな気持ちになる。
街は動いて呼吸をして変化し続けている。ガランとした駅ホームの空間や、ファッションビルの特殊ガラスを契機に、見知らぬ人々が動き呼吸し変化することを想像すると心が躍る。あらゆる人間の属性を飲み込んで生成を繰り返す世界は豊かで興味が尽きない。人が接しているのは、つねに現在進行形で動いている諸相である。諸相は、時々刻々と変化し続け、一瞬先はわからない。諸相の変化につれて人も変化するだろう。このとき同時代人たるわたしたちは、未だ漠然とした感慨や、言葉に結実する前の不分明の世界にいる。時事詠と括られる領域が短歌にあるとすれば、このように、人間が蠢く世界に目を向けた歌を指すのだろうと思う。
ところで、時事詠と言うとき、わたしたちは思い浮かべるだろうか。まず、同時代を生きる目や耳に届いた社会、政治、経済、風俗の諸相、すなわち外部の動向が歌の主題になっている歌だろうと思う。たとえば、能登半島地震、ウクライナやガザの戦争、政治資金規正法問題、DX社会がもたらす社会変革、ジェンダー問題、孤独死問題等々。これら日々報じられるニュースのなかから関心のある話題を拾いあげて一首とするのは、それほど難しいことではない。今日では、キーボードを叩けば、瞬く間に溢れるような情報を手に入れることができる。得た情報を短歌的技法でうまくアレンジして見せることもそれほどハードルが高くはない。もちろん相応の努力は必要だが、机上の努力の及ぶ範囲のことである。ここで大切なことは、それが情報の上に築かれた歌であることを忘れないことだ。
このように考えるわたしは、いわゆる時事詠を作ることができない。外部の相の一つを言葉の網で掬い取ると同時に、これではないという違和感、あるいは一種の疚しさ感じるからである。つまり、時事は、自身の位置が定まるまで、そう簡単に言葉になるものではないと思うのである。これは、有限の言葉で無限のものを表わすという文芸の宿命に関わることでもある。
窪田空穂は「歌の特質は、その立体味にあるとして、立体味はこの心の働きのどれからくるものかといえば、いうまでもなく取材からはこない。取材は取材に過ぎない。いかにすぐれた認識を持ったにせよ、その認識は要するに理知的なもの」(「歌の調と総合力」)であるといっている。「立体味」すなわち臨場感は、情報の組合せからは生れないというのである。
先の、御供平佶の自歌解説を面白く感じたのは、作者としての御供ではなく、半世紀をすぎて、現場を熟知した読者としての御供の立ち位置が明瞭に語られているからだろう。読みは物語である。
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手許に昭和十六年に刊行された『支那事變歌集 銃後篇』(大日本歌人協會刊)という一冊がある。「銃後」で詠まれた短歌作品を網羅したアンソロジーである。時事詠というよりは戦時詠ともいうべきものだが、考える契機として引用したい。
みなしごの二人相寄り家持ちて一年ならず兵に召されし 相澤俊子
一個人のことにかかはれぬ戦地なれど従弟の最後の様を知りたし 阿部静枝
うかららは灯をかざしつつ見送れり帰り来る日のなきわが馬か 岩城正春
ばんざいに驚ける軍馬荒れながら糞ひるあはれ誰か笑はむ 植松壽樹
戦にいでたつ義兄(あに)が幼な子の手をひき歩むは今日ひと日のみ 小松崎芳子
あをあをとつらなる山はいでてゆく兵らの胸に沁みてのこらむ 谷 鼎
いつか自分の番も来ると思ひながら、一兵の表情も見のがすまいとする 元吉利義
こんな明るい窓の下に、なげ出してゐる義足の冷たさに触れる 富永 貢
不気味さは機銃の寧ろ意外なる単純にあり我が見据ゑたる 四倉重夫
この本は『支那事變歌集 戦地篇』(改造社刊)の姉妹編として昭和十三年刊行の予定が、慌ただしい太平洋戦争への時代動向のなかに、大日本歌人協會の解散などさまざまな事情を抱え込み刊行が遅れた。第一稿作製時に通覧した歌数は三十万首にのぼったという。
戦時下で詠まれたこのような歌は、国威発揚に供する、あるいは無自覚に時局に加担する歌が多いのではないかと思い、わたしはこれまで近づく気になれなかったのだが、『戦争と歌人たち ここにも抵抗があった』(篠弘)などを読むうちに、繙いてみようという気になった。読みながらこれまでの思い込みを猛省した。
収録歌は、前年の盧溝橋事件にはじまる日中戦争を銃後から詠んだ歌である。一般の短歌作者も歌壇の重鎮も五十音順に並べられている。国威発揚の歌も、戦争に疑問を呈する歌もあり、一様に括り切れない銃後の思いが述べられている。およそ九十年前の人の、それぞれの立場からの声である。選者の目を通しているものの、多種多様な思いを知ることができる。
わたしたちはその後の日本が歩んだ姿を知っている。収録歌には、その目をもって指弾すべき内容も収められているが、それも含めて、一集には、巧拙を問うのも気後れするような、銃後の、それぞれの立場からの思いを読みとることができる。
読みながら思ったことを二つ。一つは右の元吉利義と富永貢にみるような口語自由律のもつリアルさである。この問題は、時事詠のように臨場感を求める領域では重要で、戦後の第二芸術論に直結する。二つ目は、時事詠は多方面から、すなわちアンソロジーのような体裁で読まれると、歌の相乗作用によって一首一首が豊かな表情を見せるということである。これは個人と全体の問題で、近代以降の個人(=われ)の突出は、検討されるべきときに来ているのかもしれないと思った次第である。
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