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2025年年間テーマ評論「日常から見える戦争」①

見えてしまった戦争

島田修三

  インターネットの外務省公式サイトによると、二〇二四年三月時点で解決の難しい深刻な戦争・内紛が起きている地域は、パレスチナ、ウクライナ、アフガニスタン、シリア、リビア、イエメンということである。ミャンマーの軍政による民主勢力への武力弾圧、中国政府による香港の民主派活動家の逮捕拘束、同じく中国政府による新疆ウィグル地区の少数民族への過酷な弾圧、あるいはトルコに頻発する爆弾テロ事件(クルド族によるものらしい)なども戦争や内紛に準ずる問題といえるかも知れない。

ざっと記しても世界の戦争や内紛はこれだけあるが、私たち日本人にとって目下の戦争とはパレスチナのガザ地区へのイスラエルの侵攻、ウクライナへのロシアの侵攻の二つに限られている。他の文芸ジャンルの動向は寡聞にして知らないが、歌に関していえば、ウクライナ侵攻を題材とした作品は開戦三年目に入ってから、めっきり減ってきた。総合誌でも結社誌でもそうだと思うが、私の担当する中日新聞選歌欄でも最近ではウクライナの歌は激減、ガザも減っている。かつて湾岸戦争が勃発したとき(平成二年八月)、詩人の藤井貞和はこんな詩を書いた。その一節を掲げる。

 

湾岸戦争が現実になってより

わたくしは自分の仕事らしい仕事をしていません

仕事が手につきません

歌人なら、戦争を心配する短歌を作ったり

短歌雑誌がとくしゅうしたりして

いろめき立つことができるかもしれない

しじんは何をしますか

無用の、無能のわれらは、戦争だ、さあ表現を、という

いろめきをできません

 「アメリカ政府は核兵器を使用する」(『飾粽』平3・4)という

散文詩の一節なのだが、短歌に対する現代詩人の揶揄のような意識を感じて、当時は実に腹立たしいものがあった。荒川洋治などの高飛車な短歌否定論とも重なって不愉快だったのである。だが、ウクライナ戦争でも短歌は確かに「いろめき立」った。短歌雑誌も「とくしゅうしたりして/いろめき立」った。

     *

湾岸戦争詠もそうであったし、ウクライナ戦争詠もまたそうなりつつあるように、「いろめき」は次第に尻すぼみになりつつある。藤井が婉曲に短歌を揶揄するのは、短歌の時局時事に対する大騒ぎは事が過ぎるとただちに消えてしまう、そういう軽々しい言葉を短歌は紡いでいるじゃないか、ということである。

藤井の揶揄は或る点で正鵠を得ているが、或る点では短歌の本質を全く見ていない。短歌の言葉は藤井が考えるほど軽々しいものではない(ならば、詩の言葉がそんなに重たいのか、とは反論しないけれど)。多くの短歌は「私」の生活や日常の記録という性格を色濃くもつ(私は塚本邦雄の初期作品にも、戦争を経験した彼の重たい生活や日常の影を感じる)。対象が戦争のような大事件、まして対岸の火事のような外国の戦争を歌うことになれば、「私」は日常や生活を通して対岸の火事を興や感慨に任せて歌いあげ、言葉に留める。しかも身は安全圏にある、という批判こそが藤井のいう「いろめき」の内実なのだろうが、むろん、所与の情報に踊らされただけの空騒ぎめいた「いろめき」短歌も掃いて捨てるほどある。だが、興味本位であろうが、なかろうが、安全圏にいようが、、戦争の渦中にいようが、あるいはまた、言葉が重かろうが、軽かろうが、文学に問われるのはその質だけなのである。

新聞投稿短歌からもウクライナ、ガザの戦争詠がめっきり減って来たのは必然的なことだった。じりじりと執拗に続く遠い国の戦争を、爆音も聞こえない、血の匂いもしない、現在の日本国内の安全な生活や日常の意識を通して歌い続けるのは、どう考えてみても困難だからである。私の実感でいえば、ウクライナ戦争詠もガザ戦争詠も日録的に歌い続けると、自己模倣の繰り返しになる。そのワンパターンに我ながら辟易せざるを得ない。しかも取材は多くマスメディアやインターネットの記述や画像動画に限られるため、あらかじめ切り取られた現実に「私」が振り回されているだけの受け身の情けなさ、危うさに陥ることになる。

     *

 いま私の手もとに読売新聞社募集の日中戦争初期の歌をまとめた『支那事変歌集』(昭13・12、三省堂)がある。斎藤茂吉と佐佐木信綱が選者を務め、現地篇と銃後篇で構成されている。その銃後篇から歌を引いてみる(居住地・作者名は省略)

 

  戦場の兄の葉書の一ところ泥にこすれて着きぬ此の朝

  送りたる子等の写真を身につけつつ徐州に向ふとの便り届きし

  御軍に召されていゆく馬の乳にすがりつつ居る仔馬愛しき

  戦地より洪水のこと気づかひ来し弟に書きてやる繭の値よしと

 

中国戦線に出征していった父や兄弟の消息、あるいは家族のように養った農耕馬の供出場面を通して歌う銃後の家族の歌である。一か所だけ泥の付いた戦地からの葉書、子どもの近影を肌身離さず行軍するという便り、戦地に送り出される母馬から離れようとしない仔馬(農家の厩の場面だろう)、戦地発の郷里の災害見舞や蚕の繭の値段に関する返信といった題材は、いわば生活や日常とリアルに繋がった戦争といった構図をもつ。事実に基づいた地味なテクストだが、看過してはならぬのは、名もない「私」たちが日常の延長に命がけの現実として戦争を絶えず凝視していること。それを可能にしているのが短歌という定型詩であるのはまぎれもない。

日中戦争は日本が海彼の大陸で起こした戦争であり、その戦争詠のありかたは現在の日本人の詠むそれらとは根本的に異なる。国家政府レベルでの関与は別として、日本は世界で続く戦争・内紛に直接的には参加していない。客観的にはただ戦争を傍観する極東の人間に過ぎない。日中戦争詠の「私」の位置からは遠く隔たっている。無差別に住宅を破壊しないでくれ、子どもは殺すな、病院は攻撃対象から外せ――こういう凄惨な悲鳴や切実な懇願は、ウクライナやガザ、シリア、イエメンの市民なら命の声になろうが、私たちの歌は当然その安全な対岸にとどまるだけである。

     *

しかし、戦争当事者でなくとも、その声を「戦争を心配する」あまりの「いろめき」レベルで終わらせない歌のテクストもある。おそらくそれが歌の文学としての質に関わることなのだった。私たちは日常から見える遠い戦争しか歌えないが、戦争は日常からそんなに遠いものではないということを、知らしめてくれる歌がある。一昨年、昨年の「まひる野」を読んでいて、私はそういう歌を少なからず見つけた気がする。

 

叔父さんを父と呼びて育ちたる友ら幾人私の世代  箱崎禮子(令5・4)

マリウポリ包囲戦にてわたくしの住むこの町の人口が消ゆ  柳 宣宏(令5・3)

ウクライナに透析治療はあるだろか 配電所がまた爆撃さるる  井野佐登(令5・3)

募金をとスマホ開けば求めらるるトルコからシリアからウクライナから         
     広坂早苗(令5・5)

輜重車のぐわらりぐわしやんと行く真夜を木と膠泥(モルタル)に隔てて眠
る    麻生由美(令5・4)

さくらふる戦車の列を観るべしとSNSに人は喚ばるる  麻生由美(令5・6)

露ウ混成クラスを仕切る勇気など誰にもなくてなされる配慮  米倉 歩(令6・4)

 一首目、作者は昭和二〇年代に学齢期に達していたと思うが、この世代には実の父親が戦死し、その兄弟と母親が再婚したというケースがよくあった。生活周辺の事実から過去の戦争を端的にとらえている。二首目、作者は昨年故人となったが、彼の住む神奈川県大磯町の最近の人口は三万一千人ほど。ウクライナ東部のマリウポリ製鉄所の攻防戦でほぼ同数の戦死者が出た。なまなましい生活の想像力がとらえた日本の日常から見える戦争である。三首目、医師の作者は腎臓病の透析治療が気になる。透析が出来なければ患者は簡単に死ぬからである。医師の職業意識から見える戦争。四首目、多発する世界の戦争・紛争の現実を、不意打ちのように机上のPCに知らされて息を呑む場面である。五、六首目、作者の住む大分県玖珠町には陸上自衛隊の戦車駐屯地がある。ごく身近な日常に戦車部隊の訓練や情宣活動が行われ、作者はある種の生理的な不安と危惧でそれに接している。七首目、作者は日本語学校教師。ウクライナ戦争は日本語学校の日常にも潜んでいたわけなのだ。

こういう作品は「いろめき」とは隔たったところで発想されている。生の在り処としての日常から見えてしまった戦争をリアルな感覚や認識を通して歌い、強い訴求力をもつものと思う。

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