時評2023年7月号
天王星、お太鼓結び
「現代短歌」三月号に平岡直子の作品連載二十四首「傾国」が載っている。昨年秋の皆既月食・天王星食を題材にしたものだが、全体にメタファーの度合いが高く、ふつうの時事詠という感じではない。乾遥香は「短歌」四月号の短歌月評でこの連作を取り上げ、
回転寿司が寿司を回転させる間に天王星が消えてしまった 平岡直子
祖父とわたしに血のつながりがあるということよくわからない味の素
を含む数首を引いて次のように書いている。
一首目の天王星をもちろん「天皇制」と読み替える。作中〈天王星はわたしのための星じゃない生クリームに匙をしずめて〉という一首もあるように、天王星≒天皇制への、主体≒作者からの積極的な関わりは否定されるが、しかし「つながりがある」ことは断てない。
天王星を天皇制と示唆する読みが、一連の核心に迫っていよう。じつは「現代短歌」で前号作品評を担当している私も「傾国」は取り上げていたのだが、この読み替えについては全く思い至らなかった。改めて天皇制、ひいては「日本」を意識して読み返すと、社会への不信感を露わにした歌の存在に気づく。
星蝕よ 身分の高い人々がお箸をつける空っぽの皿
食品をおいしくみせる照明に照らされている紫キャベツ
銃声も天王星もやることはやっているってみんな言うのよ
一首目の「空っぽの皿」、二首目の「食品をおいしくみせる照明」には人が豊かさの中で失ったものがみてとれる。三首目、みんながいう「やることはやっている」とは何のことなのか。確定はできないが、天皇制のこともあって、私はこの歌から戦争のことが直感されてならない。こういう社会性の含み方にいまの平岡の関心があるのではないか。
第五回笹井宏之賞は左沢森「似た気持ち」と瀬口真司「パーチ」に決まった。瀬口の一連は戦後の日本社会に対するシビアな眼差しがあり、文体の独自性も含めてその批評性の高さが評価された。
囲われ者の小さな島で花が降る、降られたあとのお太鼓結び 瀬口真司
ぼくの若い日本がその後生み出した定食屋に二台の食券機
君の身体は君のものでも人生は人生は天皇に生きられて
一連には花(さくら)や「お太鼓結び」、「青海波」、「さざれ石」のような和的なイメージが頻出するが、それらは美しい伝統として享受するようには詠われず、むしろ毒をもって毒を制すような向きが強い。選考会で塚本邦雄の話題が出たのもうなずける。
穂村弘はかつて、戦後の共同幻想を撃った塚本の歌の呪詛が時代が経つにつれその生々しさを失い、武器としてのレトリックが玩具と化してきた現況について論じたことがあった(穂村弘「『戦後』の終焉」『短歌の友人』所収)。それから二十年近くが経とうとしているいま、平岡と瀬口の試みる塚本由来の手法は、短歌のもつ批評のかたちとして、また新しい局面をみせはじめているように思う。
(狩峰隆希)
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