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なんで我々は自ら死んではいけないのか 私見

タイトルが、強すぎる。

結論

理由じゃなくて。
我々は何人(なんぴと)たりとも殺してはいけない。それが自身であっても。
我々は誰からであっても殺されてはならない。それが、自身の手によって、でも。

なぜあなたは死なないのか

先に述べたのは結論で、揺るがないものなのでみんな忘れないでくれよな。
ここからは私見です。
死にたい理由は多々あれど死なないのは
・死ぬときの苦痛が怖いから
・幸せになりたい気持ちがあるから
・生きていなくてはならない理由もあるから
に大別されると思っています。
私の24年と7ヶ月とかいう短〜い、けど確かに歩んできた人生でそれらの理由を補強し、死なないぞという意思を新たにする、生きた方がいいかも〜と思えるイチ意見を持ってもらえると私が嬉しい。

死ぬ時の苦痛が怖い

ごもっともです。
私は14歳の時に母、23歳の時に父を亡くしており、両方を看取りました。
母は突然死、父は慢性的なある臓器の疾患から発展した癌による死。
人は死ぬ時、そんな顔するんだ……と思わないではいられないほど、表情を失います。正しくは、なんの感情でもなく、死ぬために身体が起こす反応に顔の筋肉が支配されるため、見たことない顔をする。
死ぬのは相当なエネルギーを要すると、父が死んだ時に医師に聞きました。
大の大人が、泣くこともできず苦悶の表情を浮かべるでもなくただ物体として筋肉を動かすことしかできないほどの現象が、死です。
苦しすぎるので、死ぬ苦しみが怖い人は死ななくて正解。

幸せになりたい

私も!
幸せになりたい、幸せの絶頂で死にたい、今幸せじゃないから死にたい など、幸せと生死(特に、自死について)を結びつけて語る人はそれなりに多いのではないでしょうか。
中には、私もそうだけど「ただし、いざ幸せを目の前にすると怖くて拒絶してしまう」ような人もいると思います。
何度もいうように私見だけど、我々は、幸せになるために生きています。(生きる理由は本当はないです。ないから自分で決めていい。悩むくらいなら、私と一緒で、「幸せになるため」と思っておきましょう。この目標はかなり漠然としているので、変にとらわれないで済むよ。)
幸せになれる、と信じているからあなたはまだ生きています。
あと、幸せの絶頂で死ぬのは、不可能です。前述した通り、死ぬのは本当に辛くて苦しいので。前述した通りです。せっかく幸せなのに大きく苦しんでその記憶を最後に息絶えることとなります。諦めましょう。そんな絶頂の幸せを感じることができるあなたは、そのまた次にさらなる絶頂を味わう準備がもうできています。死なないでその頂点から少し落ちるくらいまで、落ち着くまで待ちましょう。幸せの絶頂の次に待ち受けるのは、落差による絶望でもどん底でもなく、さらなる幸せです。幸せの絶頂で死にたいなんて言うほど強欲なあなたには死はもったいない。
幸せを拒絶してしまうあなたは、「まだ早いのかも」「いつかこれを手に入れられたらいいな」と思いながら、焦らず幸せを眺めたり少し舐めたりしつつ、最後には手に入れられるように準備しましょう。今あなたが少し不安定だからその幸せを恐れているだけで、「いまだ!」と思ったタイミングで取りに行けばいい。今目の前の幸せの形ではないかもしれないけど、その準備ができているタイミングで手に入る幸せはきっと(これは、おそらくではなく確実に、という意味のきっと。)あります。

生きる理由があるから

幸せになる!なんていう漠然とした理由以外に、死ねないほどの理由があるのは幸いです。生きましょう。あなたは世界にわかりやすく必要とされています。
ただそれは、辛い理由かもしれません。逃げられるなら逃げましょう。かといって、死ぬ以外にも逃げる方法はあるし、あなたを生かす理由はその辛い理由だけではない。「幸せになる」それだけでいい。幸せになろう。

幸せって?

幸せって言いすぎました。
人によります。
質も量も種類も人によると思います。
どこか誰かから与えられるのか、自分から手に入れるのかも人によると思います。
ただ共通して言えるのが、幸せを怖がらなくていいということ。
また、きちんと自分を愛した時に、これこそが幸せだと胸を張って言えることの方がきっと(これも、きっと。)大事だよ、ということ。
手に入れるのが辛いほどの幸せなら逃げてもいいけど、みんなには幸せになる権利が等しくあるので、幸せになる努力をしたいならした方がいい。
自分を誤魔化して幸せだと思い込むのではなく、本当に自分を愛する時に大切だ、甘美だ、光輝いてみえる、そんなふうに感じる幸せこそが、あなたに必要で、あなたのためにあり、あなたが得てもいい 得るべき幸せだと思います。

やっぱり、死ぬな

私は家族を多く亡くしました。友人も、何人か亡くしました。自分も何度も死にたいと思いました。
ただ、死にたいと思う時間は本当に苦しいけど、やっぱ死んじゃいけないんですよね。
死んでいいほどの理由は誰にもありません。
死ななくても、死にますから。人はいつか死にます。であれば、辛さの中死ぬのはあまりにもったいない。
幸せを見つけて、いつか、死ぬ日までそれを味わい尽くして、満足だな、とか思いながら死ねた方がいい。死のうとする労力は、幸せを少し手に入れるために使った方がいいと、思います。
自分で死を選んだ友人らのことを貶す意図はありません。ただし、その意思を尊重してもいけないと思っています。
社会に貢献しろ、とか、自死が悪だとは思いません(そんなの、死にたい死にたい言ってる私がめちゃくちゃ悪人になるので……)。
ただただ、あなたが生きていると私が幸せです。
あなたが幸せなら私が幸せです。

これが届くみんなが、いつか死んでしまうその日まで生きていられますように。
どうか、自分を愛し、楽しく幸せでいられますように。
「みんな」のうちのひとりとして、まず私が救われてみせるから、みんなそれぞれ幸せになろう。

そんなことをよく思います。

ではまた。

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