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私たちうつ病患者は「休んで」いるのか NHKスペシャル「山口一郎 "うつ"と生きる ~サカナクション 復活への日々~」を見て

 連休中、NHKでサカナクションのボーカルである一郎さんが(なぜか苗字が出てこない)、うつ病であることを告白したことで特集が組まれていた。番組中、バンドのメンバーが「絶対言っちゃいけないけど『いつまで休んでんだよ』って言いたくなる」と心中を明かす。一郎さんはリハーサルの時間になっても姿を現さず、遅刻や欠席の連絡すらない。

https://www.nhk.or.jp/music/programs/493711.html

 見ていていたたまれなくなるくらいに「私」だった。一郎さんが寝込んでいる自身を記録として撮影していたが、私も同じアングル、同じコンディションで写真を撮ったことがある。診察の様子や話まで、私と同じだった。診察での受け答えって、誰に習ったわけでもないのに、あんなに似るんだと思うと泣けて笑えた。Twitterでも同様の意見がツイートされていた。

 さて、50分を通して感じたのは、うつ病当事者とその周囲の人間の「休む」についての捉え方だった。「休む」をググるとこのような説明が出てきた。

「1.働きを一時やめて安らぐ。2.活動を中断する、または中断した状態を呈する。「日曜も―・まず働く」「店が―・んでいる」。欠席・欠勤する。 

Oxford Languagesの定義
 

 なるほど。これらを「休む」と定義した場合、うつ病患者の「休む」とはかなり違うように思う。だって我々は2のように予定をキャンセルして、ベッドに横になっていようと、1にあるような安らぎは一切ないのだから。

 私のうつ病が深刻であった2023年5月から11月まで、横になっていても安らぎの時間はほとんどなかった。体が押しつぶされそうな倦怠感が常にあり、寝ていても身体は常に力が入ってこわばっていた。そのせいで関節痛を引き起こし、その鈍痛から気をそらすために貧乏ゆすりをしていた。空腹は感じない。けれど食べないと薬が飲めない。カロリーメイトを箱買いした。2種類の味が入っていたが、味覚がほぼなくなっていたのでなんでもよかった。少しでも栄養を摂るべく200㎖の紙パックに入ったオレンジジュースも箱買いした。冷蔵庫まで摂りに行く元気はないので、居間に置いた。起き上がっていることさえ辛かったので、横になって飲んだ。
 とにかく体がだるい。テレビの効果音がうるさい。バラエティー番組の展開についていけない。眠い。けれど寝れない。睡眠導入剤を飲んで寝ると、今度は12時間以上眠ってしまう。いつも夢を見る。車のブレーキが利かない夢。飛び起きて深呼吸する。大丈夫、大丈夫。私はまだ生きている。生きる。

 こうしてどうにか生きて、半日外出しては2日から3日寝込んだ。会社の人は言う。「君は出勤してくれればあとはなんでもいい」「来れないならせめて連絡だけはして」。でも、こんな状況の人にはそんなの無理だった。スマホすら見れない。文字が読めない。うつ病の人は社会活動をキャンセルしているが、その分を休息に充てているわけではない。ただ、戦っているのだ。静かに色んな不安と痛みと苦痛と虚しさと情けなさと、戦っている。

 番組にあったバンドメンバーの「いつまで休んだいるんだって言いたい」という発言を責めるつもりは全くない。一郎さんの能力を知っている故にそれだけの期待があるのはわかるし、私たちには知りえない絆があるのも分かるから。そして、社会一般の常識として、欠勤するなら連絡したほうがいいに決まっている。遅刻厳禁なのは当たり前だ。

 ただ、うつ病の人間の予定のキャンセルをさぼりだとか、楽なほうに逃げているのだとか、断じてそういう風に思ってほしくない。私たちは24時間病と闘っているのだ。目に見えず、数値にすらできない何かにおびえながら、生きながらえようとしている。
 それだけ、わかってほしい。


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