私は役に立てない人間なのか#4
#3では、2021年7月現在の心理的状況を執筆した内容である。あれから約8ヶ月経った今、状況は変化しているのでここで自分の変化をちょっと記録しておくためにも新しく執筆していきたい。
まず、タイトルの通り「役に立てない人間なのか。」という視点は、主に2つあると考える。
というわけであるが、私の答えは後者のタイプに見られるような気がして自分自身が納得していないと痛感している30代である。
20代の生き方ではおそらく前者のタイプであったために結局、友達もあまり深いところまで馴染めていなかった。<パワハラ>であろうと結局は誰も心配せずに放置して、周りが離れてしまった。気楽に声掛けるほどの信用性が薄いかのように楽しいこともない。といったところの現状になっている。一時的に引きこもり、自殺未遂など誰にも会いたくないほどの精神的に追い込まれた2年間という暗黙の時期もあった。仕事もせずに収入がなかった時期もあった。色々と社会的に迷惑をかけることもあった。そんな20代の終わりであった。これは、最初に描いた人生設計とは、予想もしなかったことである。
充実した人生というには簡単に出来るわけではなかった。これが社会人としての厳しさであると挫折した経験を一度してきた私が、これからの30代をどう生きていくのか。キャリアステージで言ったら、分かれ道でキャリアアップする者も人生において結婚し生活観が変わったりする者もいる年齢だろう。でも私は何一つも良いことない。むしろ下っ端ばかりで自己研鑽する毎日で変わらぬ何一つ、本当にこれで良いのか。と自己模索する日々である。
2021年7月当時の勤務先を実は辞めて新しい職場で働き始めてもうすぐ半年になる。そんなある日の出来事・・・。
店長「君、本気で仕事しているつもりなのか。」
私「えっ・・・??」(一瞬、「本気で仕事している?」この言葉に戸惑った。この本気とはどういう意味で何を聞きたかっただろうか。)
新しい勤務先とは、これまでと違って仕事に対するイメージが私の中でいくつか誤解というよりは、全く違う新鮮な気づきが多く見られたわけである。多分、職場のジャンル云々よりその場それぞれの考え方が異なっていることだろうと周りはそう見るけど、多分きっと今の仕事に対するイメージが世間における当たり前であってほしい考え方ではないかと共感で納得いくところがあった。(続きの会話のやり取りは、またいずれ後日に・・・。)
むしろ、公務員という世界では学ぶことなかったこのような職場環境に対する考えが必要かもしれない。簡単に一言でいうと・・・
というように私の職場の環境下で経験した視点で述べたが、あくまで筆者自身の考えなのでこれが世間の一般的な位置づけということは別なので誤解しないで欲しい。一つの参考として頂ければと思います。では、この中で聴覚障がい者が働く上で追記すると・・・
①の職場は、聴覚障がいというハンデや言語理解など相手側の認識によって受け入れる環境整備にバラツキがあるだろう。理解してくれる上司がいたり職場の体制が障害認識を向上しているかによって、障がい者自身が働ける事出来れば良い。一人では難しいために法的整備として障害者雇用促進法、障がい者差別解消法、障がい者バリアフリー施策(市町村の定める)がある。これはICFでいうと社会モデルとして支えているが、結局は障がい者自身のアクション次第である。
筆者は、たまたま[聾学校]という母校だから障がいの特性としては一致していたが教育の考えの違いそしてきこえる人の価値観のズレがあり、また矛盾する研修体制や環境整備において働く場所にはタイミングが不運といったところであろう。(詳細は、近日中に「ある聾学校の研修の実際から」で述べる予定)
②の職場は、正直障がい者に受け入れ易いところかもしれない。一人ひとりの個性を尊重して働くことの責任は会社であって労働者自身に追い詰めることはない。店の都合に障がい者自信がアクションして合わせて働けることであれば問題ないだろう。また周りの人間関係とうまく築くこと出来るかどうか。公務員同様、障がい者自身の努力次第であろう。
筆者は、大学時代の経験もあってその人間関係がうまく採用させてもらった経緯から長く働くことが出来たし、その中で色々とアルバイトというキャリアを考える機会が大きかった。当時のクルー仲間には感謝している。悪い気持ちはなかった。ただ自分自身が耐えられなかっただけである。(詳細は、「A店長と私」で述べている。)
そして現在働いている③の職場について、初めてお伝えすることになる。
接客業においてやっぱり聴覚障がいを持つことはかなり精神的にも心理的に強い覚悟を持ってチャレンジしていかなければ上手く働けないし、長く続くことに複雑な気持ちを抱え、逆にストレスが溜まりやすくなることは間違いないだろう。職場の上司や会社全体が障がい認識をどれだけ理解し、しっかり合わせてくれる働き方を提供出来るのか。一緒に考えてくれるのか。という状況でない限り、ダイバーシティという考えがとても重要かもしれない。また法的整備によって障害者雇用促進法が大きく影響していることはあるが、まだまだ認知が高いとは限らず、一部認識にズレが起こる出来事があったりする覚悟が必要である。
筆者は、何度も面談を断れた上で採用させてもらったことに感謝しているのが今の勤務先の店長である。そして常に一緒に働くパートナー的な従業員Oさんとする方が色々と私が働きやすいことは何かを考えながら指導し、一緒に働くことが出来ている。そして採用するにあたって、会社側も聴覚障がい者がいることを認識した上でいくつかの細かなことを相談したりしているようで、見えない職場の支えもあることを感じている。このお陰で接客業が成り立っている私である。(どのような工夫をし、どのようにやってきたのか。詳細は、近日中に「障がい特性の働き方を考える」で述べる予定)
このように3つの職場を通して、社会経験を更に一段積んできた私である。大学時代を含めて勤務場所というのは6ヶ所目とお世話になってきた。その中で働き方や仕事の考えのイメージそれぞれを学ぶことが多く身につけてきた。人間関係の関わり方も多種多様であった結論として、やっぱり聾学校で指導することは、全く通用しなかった。
きこえる人がよく言われるように「社会経験が一番の大きな学び」でもあるが、よく分析すると以下の3点が聾学校でも出来ることであって、最も重視するべき指導内容として図ってもらいたい。これが聾学校で働く教員の専門性として大事ではないだろうか。と私は考えている。
実は聾学校の科目「自立活動」で挙げられる項目のうち、「心理的安定」と「コミュニケーション」に多く割っていることを教育実践で多く見られるけど実は、きこえる人の視点での取り組みに勘違いしているのではないだろうか。という違和感が多い。「環境の把握」「人間関係の形成」を結びつけた横断的な視点であって、この部分がきこえる人には分からない当事者視線をもう少し教材観において、広げなければならない。「デフフッド」、「ろう者学」の論点を整理して、この知見からより学ぶ「自立活動」の内容を改めて整理したのを研究していきたい想いが強くなってきた。これを大学院の挑戦として、取り組んでいる最中である。