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表現世界の限りない可能性

 美術の秋。多種多彩な展覧会が開かれている中、表現世界の限りない可能性を実感させる3人のアーティストの個展に注目した。「生と死」という人間の根源的な問題に向き合い、大規模なインスタレーション作品を展示する「塩田千春 つながる私(アイ)」が大阪中之島美術館で、広告、舞台、映画など表現のジャンルから国境までを超え、世界的に活躍したデザイナーの特別展「石岡瑛子 I(アイ)デザイン」が兵庫県立美術館で、ともに12月1日まで展開中だ。一方、絵画、デザイン、映画、演劇、音楽、文学…などジャンルを横断しながら活躍する横尾忠則の「レクイエム 猫と肖像と一人の画家」が横尾忠則現代美術館で12月15日まで開かれている。そのスケールは伝えづらいので、ぜひ会場に身を置き、体感してほしい。 

大阪中之島美術館の「塩田千春 つながる私(アイ)」 「つながり」をテーマに、壮大な作品で追求 

 会場に入る前、無数の赤い糸が垂直にさがり、いきなり塩田ワールドへと導かれる。現在ベルリンを拠点として国際的に活躍する塩田は、作品を通じて「生きることとは何か」、 「存在とは何か」を問い続けている。今回は、全世界的な感染症の蔓延を経験した私たちが、否応なしに意識した他者との「つながり」に、3つの【アイ】-「私/I」、「目/EYE」、「愛/ai」を通じてアプローチしようという趣旨。塩田の出身地・大阪で、16年ぶり開催する大規模な個展だ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          
 展覧会は約1700平方メートル、天井高6メートルの会場を舞台に、塩田の大規模なインスタレーション6点をメインに、映像やタブロー、立体作品、ドローイングなど多様な手法を用いた作品が展示され、その規模に息をのむ。

《インターナルライン》(2022/2024)

 展示の幕開けは、会場入り口前の壮大なインスタレーション作品《インターナルライン》(2022/2024)。内部図形/線と直訳できるタイトルの作品は、おびただしい数の赤い糸で構成される。作品のコンセプトは、日本に古くから伝わる“赤い糸”の言い伝えからインスピレーションを得たという。人はこの世に生を受けると、心臓から小指まで繋がる血管のような目には見えない赤い糸が指に結ばれる。人生を通して、恋愛感情に限らずその目に見えない糸は他者の糸と絡み合い、繋がり、相互の人生に多大な影響を与える、とのンセプトにもとづく。
 赤い糸の背後に巨大なドレス(衣服)が見える。塩田は、その空っぽのドレスは第二の皮膚で、張りめぐらされた赤い糸は血液と表現する。国籍や家族、宗教といったくぁらゆるつながりを象徴するという。

プレス内覧会で展示品の解説をする塩田千春ベルリンのアトリエ

 塩田は1972年、岸和田市に生まれる。大阪府立港南高等学校(現・大阪府立港南造形高等学校)から、京都精華大学美術学部(現・芸術学部)洋画科を卒業。その後、1996年、ハンブルク美術大学に入学。ベルリン在住し、アトリエを構え、世界各地で個展や国際展に参加する。

ベルリンのアトリエ

 2015年に第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館代表作家として選出されて後、南オーストラリア美術館やヨークシャー彫刻公園(2018年)、ニュージーランド国立博物館テ・パパ・トンガレワ(2020年)、クイーンズランド・アート・ギャラリー/ブリスベン近代美術館(2022)、アーマンド・ハマー美術館(2023年)など国際的に活動を展開している。
国内でも、2001年の第1回横浜トリエンナーレに、泥の付着した巨大な5着のドレスからなる作品《皮膚からの記憶》を出品。2008年に大阪の国立国際美術館で「塩田千春 精神の呼吸」を開催する。
 2019年に東京・六本木の森美術館で開いた過去最大規模の個展「がふるえる」には、約67万人が詰めかけ話題になった。死や不在によって人が存在することの意味を追求してきた塩田が、自ら癌の再発を通して、生と死という根源的な問いを改めて発する企画趣旨だった。
 この間、2008年に芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2020年には第61回毎日芸術賞を受賞している。
 私が塩田作品を初めて目にしたのは、塩田さんの郷里・岸和田市マドカホールで市制施行100周年記念事業として開催された「塩田千春展 永遠の糸」(2020年)だった。地元小学生からの「私の大切なもの」というテーマでの図画を集め赤い糸で絡ませた作品だ。わずか400平方メートルの小さな会場だったが、会場を埋め尽くす作品に圧倒された。森美術館での展示を美術誌で見ていて、大阪の個展開催を待望していた。
 

《巡る記憶》(2022/2024)

 今回の展覧会の主な出品作品に《巡る記憶》(2022/2024)がある。白い糸を用いた静かな作品で、これも「つながり」がテーマ。張り巡らせた白い糸から水滴が滴り、静かに水面を揺らす。水盤に落ちた水滴は表面に溶け込んだ後に吸い上げられ、再び水盤へと戻ってくる。循環する水は命の源であり、私たちが生成した記憶は、生きたまま消え去ることなく体内にとどまり、絶え間なく循環して私たちを形成する要素となる。現実には不在である人々の記憶が糸によってつながれて、私たちの目の前に「不在の中の存在」として示されている、といった制作意図だ。

《家から家》(2022/2024)撮影:木奥惠三

 《家から家》(2022/2024)も、「不在の中の存在」や「つながり」を考えさせる。故郷から遠く離れたベルリンで過ごす塩田にとっての“home”とは、実際の居住地を意味するものではなく、心の奥底に存在する、いつも自身とつながっている故郷を意味するという。現実には離れていても自分とつながっている、帰ることができる場所。目でとらえることができない、今ここに不在であるように思えるものとの心を介したつながりが、赤い糸と家のフォルムによって表現されている。
 

《多様な現実》(2022/2024)撮影:木奥惠三

 また《多様な現実》(2022/2024)のモチーフはドレス。塩田にとってドレスとは、第二の皮膚とし位置づけ、空っぽのドレスは身体が不在であることが示す。その人自身が不在でありながら、確かにその人の存在を感じさせるもの。「不在の中の存在」が私たちに何かを語りかけているようだ。

《つながる輪》(2024)撮影:木奥惠三
《他者の自分》(2024)撮影:木奥惠三

 さらに、《つながる輪》や《他者の自分》(いずれも2024)といった大規模なインスタレーションとともに、小説家・多和田葉子が新聞で連載している『研修生(プラクティカンティン)』のために描いた挿絵を展示。挿絵の作品は会期中にも増えていき、最終的には361点を展示する予定となっている。

塩田千春・多和田葉子『研修生(プラクティカンティン)』(2023–2024年)撮影:木奥惠三

 塩田は内覧会で「コロナ禍を経て、改めて多くの人とつながっていたことを感じた。コロナの間は人とつながってはいけない、距離を置いて接しなければいけなかった。コロナ禍が明けて自分が感じたことをテーマに『つながる私(アイ)』としました。それぞれの要素はさまざまに作用し合いながら、わたしたちと周縁の存在をつないでいると考えます」と話していた。 

兵庫県立美術館の特別展「石岡瑛子 I (アイ)デザイン」 ポスターやCM、スケッチまで400点以上

 

 《太陽に愛されよう 資生堂ビューティケイク》資生堂ポスター(1966)

 石岡瑛子の名を知らない人でも、前田美波里を起用したポスター《太陽に愛されよう 資生堂ビューティケイク》を目にしている人は多いであろう。石岡瑛子は広告をはじめ、舞台、映画など多彩なジャンルで、世界的に活躍したデザイナー・アートディレクターだ。没後10年を経て国内外から再び注目を集める。今回の展覧会では、石岡が東京を拠点にしていた1960-80年代の仕事を中心に、センセーションを巻き起こしたポスターやCM、アートワークからスケッチまで400点以上の作品を一挙公開する、大規模個展だ。しかし主催者は、これは“回顧展”ではなく、石岡はここにいて、いまを生きるあなたをインスパイアするための展覧会であるとの位置づけだ。
 

石岡瑛子 ©Kazumi Kurigami 1983

 この展覧会のタイトルも、「塩田千春展」と同じく【アイ】が掲げられている。表現者にとって大切なのは「ほんとうの自分力」を培うこと。つまり「私」を磨き抜くこと。石岡はその信念を胸に、革新的ビジュアルを生み出す創造の旅を続けた。写真や映像、イラストなど多様な分野のトップランナーたちとの協働作業コラボレーションを重ねながら、石岡のクリエイションの核となる「 I=私 」に迫る。
 石岡瑛子(1938-2012)は、東京都出身。東京藝術大学卒業後、1961年に資生堂宣伝部に入社。前田美波里を起用したポスターなどで頭角を現し独立する。70年代にはパルコ、角川文庫など時代を揺るがす数々のキャンペーン、ファッションショーの演出、書籍デザイン他を手がける。80年代初頭に活動の拠点をニューヨークに移して以降は、美術及び衣装デザインなど、さらにボーダーレスに仕事の領域を広げる。
さらに舞台「M.バタフライ」でニューヨーク批評家協会賞、アルバム「TUTU」でグラミー賞、映画「ドラキュラ」でアカデミー賞を受賞するなど世界的評価を得る。作品集に『EIKO BY EIKO』『EIKO ON STAGE』、著作に『私デザイン』などがある。

「石岡瑛子展」会場の展示風景

 見どころの第一は、約50点の代表作に石岡自身の言葉を対置させ、その表現の基底にあるクリエイティブな思想にスポットを当てている。「メッセージは常に時代の中で刺激的でなければならない」「デザインに男も女もない。“石岡瑛子”に裏づけられた表現をしたい」「不安と期待と自信が錯綜している時間を持たない仕事はダメだと私は思う」といった、強い信念に裏づけられた言葉の数々は、時代を越えて私たちの心を揺さぶる。
 第二に、ポスターなどの印刷物に加え、石岡直筆のスケッチや校正紙を合わせて展示。細部まで生命力みなぎるデザインがどのようにして生まれたのか、その制作プロセスと、
徹底したクオリティを求める石岡の妥協なき情熱を検証する。
 第三に、教科書のデザインを初公開。企画や編集にまで携わった雑誌の仕事など、石岡の業績を語る上で欠かせないジャンルの一つであるブックデザインも多数出品されている。
 展示構成は、舞台にちなんで幕仕立て。プレスリリースを参考に、各幕の内容と主な作品を取り上げる。
 1幕は「知性と品性、感性を磨く―資生堂デビューと新しい女性像の創造―」。働く女性がまだ少なかった時代、東京藝術大学を卒業した石岡瑛子は資生堂宣伝部に就職し、デザイナーとしてのキャリアをスタート。男性の“愛玩物”としての女性像に疑問を抱いた石岡は、サマーキャンペーンで、当時の広告で主流だった人形のような美人のイメージを覆す。《太陽に愛されよう 資生堂ビューティケイク》資生堂ポスター(1966)のように、健康的で意志的な女性像を打ち出すなど、新しい価値観を提示した。

《鶯は誰にも媚びずホーホケキョ》PARCO ポスター(1976)
《あゝ原点。》PARCO ポスター(1977)

 2幕は「あの頃、街は劇場だった ―1970’s 渋谷とパルコ、広告の時代―」。池袋や渋谷にフッションビルを建て、街そのものを劇場と捉えて文化イベントや出版事業を多角的に展開したパルコ。1970 年にフリーランスとなった石岡は、1973 年に渋谷パルコが開業するとメインのキャンペーンを総括し、「新しい時代」の象徴としてのパルコのブランドイメージを築く上で中心的な役割を担う。

《女性よ、テレビを消しなさい 女性よ、週刊誌を閉じなさい》角川書店ポスター(1975)

 代表作に《鶯は誰にも媚びずホーホケキョ》PARCO ポスター(1976)や、《あゝ原点。》PARCO ポスター(1977)、《女性よ、テレビを消しなさい 女性よ、週刊誌を閉じなさい》角川書店ポスター(1975)などがある。

《シンポジウム:現代の発見》 1,2,3 日宣美賞受賞作品(1965)

 3幕は「着地は熱情であらねばいけない ―裸のアートワークに映る私―」。石岡の前半期の活動は「広告」を中心に語られるが、ここでは、学生時代に作った絵本や東京藝術大学時代の裸体デッサン、新人デザイナーの登竜門・日宣美の出品作やギャラリーの企画展作品など、広告以外の仕事に焦点を当てている。石岡は、仕事において完璧なパフォーマンスを達成するため、また「私」を引き出すために、終生、知性・品性・感性・美意識を磨き続け、枠にとらわれることなく表現力を洗練させた。
 ここでは、《シンポジウム:現代の発見 1,2,3》日宣美賞受賞作品(1965)や、《NEW MUSIC MEDIA》音楽祭ポスター(1974)などが展示されている。

《NEW MUSIC MEDIA》音楽祭ポスター(1974)

 4幕は「本も雑誌もキャンバスである ―肉体としてのブックデザイン―」。フリーランスになって以降、石岡が力を入れていた領域がブックデザインだ。表紙やカバーといった「衣」だけではなく、紙質やサイズ、文字組みなどのボディ(本体)はもちろん、時に骨格たる企画、内容にまで関わる。まさに“肉体”としてのブックデザインといえるよう。そして、石岡にとっての究極のブックデザインは、自身の作品集『EIKO BY EIKO』だった。同書は日米同時出版され、ジャズの帝王マイルス・デイヴィスやアップル創業者スティーブ・ジョブズなど多くのアーティストや経営者のハートをとらえ、石岡の米国デビューを強力に後押しした。
 

《地獄の黙示録》映画ポスター(1979)
《ドラキュラ》映画ポスター(1992)

 最後の5幕は「地球のすべてが私のスタジオ ― I(アイ)デザインは境界も時代も超える―」。1970 年代以降のエンターテインメント分野におけるグラフィック・デザインの仕事を中心に紹介している。美術監督として関わった映画「MISHIMA」(1985)ではカンヌ国際映画祭芸術貢献賞、マイルス・デイヴィスのアルバム「TUTU」(1986)ではグラミー賞最優秀レコーディング・パッケージ賞、映画「ドラキュラ」(1992)では衣装デザインでアカデミー賞を受賞するなど、石岡は様々な分野で最高の評価を受けた。
《地獄の黙示録》映画ポスター(1979)や、《ドラキュラ》映画ポスター(1992)などが並ぶ。

横尾忠則現代美術館の「レクイエム 猫と肖像と一人の画家」
三島由紀夫、高倉健、寂聴らを偲ぶ作品

 横尾忠則も、塩田千春と同じように「死」を見つめ、描き続けてきた現代美術家だ。今年6月に88歳を迎えた横尾忠則は、グラフィックデザイナーとして注目された1960年代から画家として新たな境地を開拓し続ける現在まで、創作を通じて多くの人々と関わってきた。憧れの文学者や俳優、ともに前衛的な活動に携わった演劇人や同業者、コラボレーションで高めあう異業種の友人たちなど、ジャンルを横断した交流の足跡は、作品として歴史に刻まれている。
 今回の展覧会は、これまでに横尾が見送ってきた親しい人々と愛猫に想いを馳せ、タイトルが示すように、会場は「猫」と「肖像」、そして「一人の画家=横尾忠則」の言葉で構成されている。愛しい者たちが彼岸と此岸を往来し、時空を超えて共存するヨコオワールドを体感できる場となればというのが、主催者の意図だ。
 横尾は1936年、兵庫県西脇市に生まれる。1956年より神戸新聞社にてグラフィックデザイナーとして活動後、59年に独立。1980年にニューヨーク近代美術館で催されたピカソ展に衝撃を受け、「画家宣言」を発表。以降、日本を代表するアーティストの一人として、ニューヨーク近代美術館で個展が開かれるなど国際的にも活躍してきた。
 今や「世界のヨコオ」は国内でも注目され、2021年に東京都現代美術館で大規模な「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」、2023年には東京国立博物館 表慶館で「横尾忠則 寒山百得」展が開催された。このサイトでも「現代アート界の “モンスター”が競演」(2024年6月6日号)で、村上隆とともに取り上げている。
 横尾は幼少期に西脇でさまざまな超常現象を経験し、死後の世界の存在を信じるようになったという。横尾はつねに死後の世界を想像し、「死の側から生を見る」ことで、自らの生き方を見つめてきた。2018年には「横尾忠則の冥土旅行」を横尾忠則現代美術館で開いている。
 今回の展覧会の「肖像」の部屋では、家族や友人をはじめ、横尾の生き方や創作に影響を与えた人々の肖像画や関連資料を紹介するとともに、横尾自身の言葉でその交流を振り返る。プレスリリースを参考に主なセクションと作品を取り上げる。

《友の不在を思う》(2003年、横尾忠則現代美術館蔵)

 最初は「家族・故郷」。故郷・西脇は、横尾の創作の原点である。10年以上帰郷していなかった横尾が故郷を訪れたのは、横尾の恩師や同窓生、思い出の場所を篠山紀信が撮影するという、雑誌の企画のためであった。それから30年後の2000年、西脇市岡之山美術館での個展「西脇・記憶の光景展」のため、西脇に約2週間滞在し現地で制作する。この時、懐かしい線路の風景に、他界した同窓生の姿を重ねた作品が生まれた。本展出品作《友の不在を思う》は、その後に旅立った友人たちを描き加えたもの。
 

《理想の実現》(1994年、兵庫県立美術館蔵)

 次に「三島由紀夫(1925.1.14-1970.11.25)小説家、劇作家」のコーナー。三島は1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を編集者に渡した後、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地において自決する。三島の発案で制作が進められていた横尾との写真集『男の死』(撮影:篠山紀信)は、三島の撮影を終え、横尾分未撮影のままお蔵入りとなっていたが、2020年に三島単独の写真集として日の目を見ることとなった。三島の死後もその存在は横尾の制作に影響を与え続け、《理想の実現》(1994年、兵庫県立美術館蔵)など、あらゆる年代の作品にその姿を見つけることができる。

《切断された小指に捧げるバラード(八九三書房)》(1966年、横尾忠則現代美術館蔵)

 「高倉健(1931.2.16-2014.11.10)俳優」では、高倉のポスターを自主制作するほどの熱狂的ファンであった横尾は、任侠映画の役ではない実像の「高倉健」にさらに惚れ込んだ。《切断された小指に捧げるバラード(八九三書房)》(1966年)が展示されている。

《瀬戸内寂聴》(2009年、作家蔵)

 「瀬戸内寂聴(1922.5.15-2021.11.9)小説家、僧侶」とは半世紀以上にわたって親交があり、横尾は新聞連載の小説『幻花』(1974-75)、『愛死』(1993-94)、エッセイ『奇縁まんだら』(2007-11)の挿絵や、多くの著書の装幀を手がけている。《瀬戸内寂聴》(2009年)は具象的な作品だ。

《うろつき夜太 II》(1993年、横尾忠則現代美術館蔵)
《天井桟敷 定期会員募集(天井桟敷)》(1967年、横尾忠則現代美術館蔵)

 その他、「柴田錬三郎(1917.3.26-1978.6.30)小説家」や、「ジョン・レノン(1940.10.9-1980.12.8)音楽家」、「寺山修司(1935.12.10-1983.5.4)歌人、劇作家」、「土方巽(1928.3.9-1986.1.21)舞踏家、演出家」、「和田誠(1936.4.10-2019.10.7)グラフィックデザイナー、イラストレーター」、「三宅一生(1938.4.22-2022.8)衣服デザイナー」、「一柳慧(1933.2.4-2022.10.7)作曲家、ピアニスト」、「磯崎新(1931.7.23-

《Universiade Kobe '85(ユニバーシアード神戸組織委員会)》(1984年、横尾忠則現代美術館蔵)
《腰巻お仙(劇団状況劇場)》(1966年年、横尾忠則現代美術館蔵)

2022.12.28)建築家」、「リサ・ライオン(1953.5.13-2023.9.8)ボディビルダー」、「篠山紀信(1940.12.3-2024.1.4)写真家」、「唐十郎  (1940.2.11-2024.5.4)劇作家、俳優」らのセクションがあり、関連作品が出品されている。
 

《タマ、帰っておいで 005》(2014年、横尾忠則現代美術館蔵)
「猫」の部屋の展示風景

 「猫」の部屋では、愛猫タマ(-2014.5.31)は「わが家の野良猫」として横尾家に迎えられた。タマを偲んで描いた作品は、2020年までに91点を数える。「タマ、帰っておいで」シリーズのほか、在りし日のタマの写真やスケッチを展示している。
 

 

 

 

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